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#20 オッカム「有名すぎるオッカムのカミソリの発案者」
2023-06-17 21:58

#20 オッカム「有名すぎるオッカムのカミソリの発案者」

中世哲学史も佳境に入りました。中世哲学の最後の哲学者として紹介するのが、「ウィリアムのオッカム」。『オッカムのカミソリ』という原理を発案した人として有名ですね。神を信仰しながら、直感的にかつシンプルに物事を考えられる方法としての「オッカムのカミソリ」を発案した人物はどのような人だったのでしょうか。 #中世 #中世哲学 #オッカムの剃刀

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どうも、身のない話チャンネルのタカーシーです。
今回は、オッカムという人について、
まあ、語っていこうかなと思っています。
オッカムと言われても、うーんっていう人が多いかもしれませんけども、
オッカムのカミソリという言葉については、
聞いたことがあるんじゃないんでしょうか。
そのオッカムのカミソリを発明した人がオッカムです。
高校で、中世の一つの区切りとして、
オッカムを取り扱えるのは、すごくありがたいことなのかなと、
自分の中でも一つ知識の整理になるかなという点で、
頑張って語っていきたいと思います。
それでは始めます。
オッカムのウィリアム。
生まれは1287年頃。
イギリスのフランシスコ修道士、哲学者、心学者、政治家であり、
中世思想の主要人物の一人とされ、
14世紀の主要な知的・政治的論争の中心人物でありました。
ただ、オッカムのウィリアムって何か名前が変ですよね。
それというのも、ウィリアム村で生まれたオッカムさんだから、逆ですね。
オッカム村で生まれたウィリアムさんだから、オッカムウィリアムと呼ばれています。
失礼しました。
そのオッカムなんですけども、幼少期についてはほとんど知られていません。
先ほど述べたように1287年頃、イギリスのサリー州にあるオッカム村に生まれました。
オッカムのウィリアムはオッカムのカミソリと呼ばれる、カミソリのような哲学的原理で知られ、
哲学、科学、認識論など様々な分野に影響を与えました。
オッカムのカミソリ、英語で言うとオッカムレイザーですね。
オッカムレイザーの発明者です。
オッカムはフランシスコ海に入会し、フランシスコ海に入った時はまだ幼かったと言われています。
しかしフランシスコ海の修道院でオッカムは論理学の勉強に集中しました。
その後オックスフォード大学、パリ大学で心学と哲学の教育を受け、当時の心学論争に参加します。
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オッカムの思想というのはしばしば一般的な見解に意を唱えることが多く、
論争を引き起こし、最終的には宗教会や学会の権威との対立を招きました。
それでもオッカムという人はイギリスの修道院で学問を続け、
自然哲学の論理を研究する当時に心学論争に参加し続けるのであります。
そんな研究をしている中、1324年秋頃、教皇の要請で国を離れてフランスのアビニョンに向かいます。
そのフランスのアビニョンに向かった彼は論争だけではなく、
権威への挑戦で揺れる大学の環境というものを知ることになります。
このオッカム、学術的著作たくさん書かれています。
心学的著作と哲学的著作に分けられるんですけども、
いずれの著作もオッカムの哲学を研究する上で不可欠なものです。
著作としていくつか挙げると、明大衆第一巻オルディナティオ、
アリストテレス明大論、未来の偶然事に関する神の予定と予知についての論考、
二位論集、二位討論集ですね。ごめんなさい。
そして大論理学、前回扱ったルンス・スコーツスに関する
スコーツス個体化への倫理への批判などが挙げられます。
オッカムは刑事上学的有名論を唱えたことでも、
おそらく最もよく知られている哲学者の一人です。
実際オッカムの神剃りとして知られる方法的原理は、
彼にちなんで名付けられたものですので、
オッカムの神剃り、オッカムの神剃り、
よく聞くけどもなんだかよくわからないなということが多いとは思います。
古い話ですからね。そこらへんをもうちょっと深掘りしていきましょう。
オッカムの神剃り、オッカムレーザーとは一体なんだったのか。
オッカムの神剃りとは、説明や仮説が競合する場合、
最も単純なものが最も優れているという原則のことを指し示します。
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不必要な仮定や贅沢な仮定、
贅沢な仮定というとちょっと言い方が悪いですけども、
余分な仮定ですよね。
余分な仮定は避け、より簡潔な説明を優先すべきであるということです。
要するにオッカムの神剃りというのは、
思考におきる単純さ、そして経済性というものを促進するものでありました。
先ほどもちょっと申し上げたんですけども、
オッカムというのは有名論者です。
オッカムは普遍性についての哲学的立場である有名論の支持者でありました。
有名論者は、抽象的な概念や普遍的な本質の存在を否定し、
個々の物体や特定のものだけが存在すると主張しています。
オッカムによれば、普遍的なものは単なる名前であり、
だから有名論者と言われているわけですね。
実質的な実在性を持たない精神的な構成物であると、
普遍的なものは。
この見解は当時主流であったアリストテレス的実在論に挑戦するものでありました。
オッカムは、存在するのは個人だけであり、
普遍は個人の集合を示す心的方法に過ぎないと主張しました。
オッカム曰く、私は普遍的なものは対象に存在する現実的なものではなく、
心の中の思考対象、オブジェクティブム・イン・アニマとしてのみ存在することを主張すると述べています。
オッカムは原則として、説明に必要のない実態を仮定することに反対しました。
これがオッカムの紙剃りの話ですね。
従って、例えばソクラテスの中に、
人間性という実態性があると信じる理由はないし、
それを主張しても何も説明されないじゃないかとしています。
また、オッカムの哲学の中心の一つとして、
会議論とフィリズム、信仰主義というものが挙げられます。
ちょっと聞き慣れない言葉なのでちょっと説明しておくと、
会議論とは、人間の認識力を不確実なものとして、
客観的、普遍的心理の認識の可能性を疑って、
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一切の判断を差し控える態度のことを指し示しています。
スケプティズムなんて言いますね。
そしてフィリズム、信仰主義ですけれども、
信仰はある意味で理性から独立したものであり、
理性と敵対するものではないとする思想の学派に与えられる名称であります。
神の存在を論争する合理主義的な自然心学の伝統とは対照的に、
フィリズムは宗教的信念を行使し正当化するために、
理性は不要であり、不適切であるとすると。
この注意点については後ほど詳しく述べさせていただきますけれども、
この言葉は、フィリズムという言葉は、
ラテン語で信仰を意味するフィリーゼ、フィリースに由来し、
直訳すると信仰主義となります。
したがって、フィリズムは宗教的信念の同義語としてではなくて、
理性に対する信仰の適切な管轄権に関する特定の哲学的説明を示すものとして、
理解されなければなりません。
というふうに、ちょっと難しいですけども、
フィリズムって信仰を理性と敵対するものではないとする考え方だというふうに
ちょっと思ってくれればいいかなと思います。
オッカムは人間の知性に対してとても懐疑的で、
人間は世界について限られた知識しか持ち得ないと主張しました。
彼は、理性が提供できるものを超える知識の源として、
信仰と神の啓示の重要性を強調します。
オッカムの会議主義とフィリズム、信仰主義というのは、
紙面的な推論に過度に依存することへの批判と、
宗教的な信仰を重視することを反映しています。
ここでもっと神学的なことについて語っていきましょう。
オッカムの主要な神学的信念は次の通りです。
オッカムは、神を信じることは信仰だけの問題であると考えるフェデリスト、
信仰主義者であったと、
神学は科学ではないと、
科学ではないと主張し、
神の存在の証明とされるものをすべて否定しました。
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オッカムは、神の絶対的な全能を支持し、
倫理学における神の命令説に傾倒していきます。
この倫理によれば、神は通常であれば間違いであるようなことを個人に命じて、
その命令によって正しいものにすることができるとされています。
また、宗教的信仰というものは物理的な証明が不可能でありと、
信仰の問題であると、
宗教的信仰というのは信仰そのものの問題であると考えていました。
オッカムは、精神に関するすべての事柄について教会の支配を支持しましたが、
人間の倫理の使用についても信仰していました。
だから教会だけの話だけではなくて、
人間個人として会議主義的ではあるんだけども、
倫理の使用、人間の倫理の使用というものも信用していたということが言われています。
さて、オッカムの神剃りについてですが、
オッカムが発明したもので、実態を不必要に増殖させてはいけないというものを、
もう少し深く見ていきましょう。
オッカムの神剃りは、科学者が理論モデルを開発する際に、
指針となるヒューリスティックな経験則であるとも言えます。
ヒューリスティックってなんだという話なんですけども、
ヒューリスティックとは、発見的手法という意味の心理学用語で、
必ずしも正しい答えではありませんが、
経験や先入観によって直感的に、
ある程度正解に近い答えを得ることができる思考方法です。
ありますよね。
あれ、これって本当に正しいのかなと思いつつも、
経験則から正しいもの、ある程度正しいものを見つけられる、
それがヒューリスティックという意味ですね。
この原理、オッカムの原理、オッカムの神剃りというのは、
生物学、医学、物理学など様々な分野で用いられています。
だから古い考え方ではあるんですけども、
現代でも使われている理論です。
ぜひぜひ覚えてください。
オッカムの神剃りの意義としては、
不必要な仮定や複雑さを排除して、
現象の理解や説明を容易にすることにあります。
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またオッカムの神剃りは、
科学的な探究の基本原則であり、
ニュートンやアインシュタインなど、
歴史上多くの科学者によって使用されてきたという点も重要な点であります。
しかしここで疑問がわくのが、
オッカムの神剃りって常に有効的、有用なのでしょうか。
ここではちょっとオッカムの神剃りに対する批判を紹介していきます。
オッカムの神剃りは、
法則というより論理的な指針であり、
単純化しすぎることを推奨しているわけではありません。
もし、より複雑な理論があり、
それが事実をよりよく説明できるのであれば、
より複雑な理論が優先されるべきであるという原則があります。
最も単純な仮説が単純すぎることもありますし、
この原則は製品に関わらず、
最も単純な理論に盲従すること、盲従って盲目的に従うことですね。
そういうことを言い見するわけではありません。
だけども、世界は私たちの誰もが考えつかないほど複雑であり、
最も単純なモデルが正解でないこともあるわけです。
オッカムの神剃りというのは、
また科学的な原理ではなく、むしろ哲学的な原理であり、
科学的な理論に常に適応できるわけではないという批判もあります。
なので、一部の科学者はオッカムの神剃りは主観的であり、
どの理論がより単純であるかを判断する明確な基準を提供していないと批判する。
こんな批判があるわけです。
じゃあ、やっぱりニュートンとかアイン・ユッシャイン、ちょっと前の科学者ですよね。
そこで立ち止まってしまったのかというと、そうではなくて、
オッカムの神剃りは時代とともに進化を遂げています。
オッカムの神剃りは、生物学、医学、物理学など、
様々な分野で広く使われているヒューリスティックな経験則であることを説明しました。
ヒューリスティックって何だったっけかなという話ですけども、
ヒューリスティックとは発見的手法という意味の心理学用語で、
必ずしも正しい答えではないが、経験や先入観によって直感的に、
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ある程度正解に近い答えを得ることができる手法のことですということでしたね。
このオッカムの神剃りという原理は、
経験則によらない迅速な意思決定や心理を確立するための手段として用いられてきました。
科学者の中にはライプニッツ、これから説明することもあるでしょう。
哲学者をやる上ではライプニッツって重要な哲学者なので、
私も説明する予定ですけども、
ライプニッツの観測可能なものの同一性や、
アイザック・ニュートンの自然物の原因はその出現を説明するために、
真実かつ十分であるもの以外認めないという発言のように、
オッカムの神剃りを採用したり、再発明したりする人たちもいました。
この原則オッカムの神剃りは、
隕石、電球、大陸移動、原子論、遺伝情報の担い手であるDNAなどの現象について、
単純化された、そして最初は誤った説明なんですけども、
その説明を受け入れるために使われてきました。
しかし、研究が進み、より多くの証拠が明るみに出ると、
新しい証拠に基づいた新しい理論が出現してくると、
そのきっかけとしてオッカムの神剃りというものがあるんだということが重要な点ですね。
オッカムの神剃りは法則というよりも論理的な指針であり、
単純化しすぎることを規定するものではありません。
事実をよりよく説明できる、より複雑な理論がある場合は、
より複雑な理論を優先するべきだとも考えられていると先ほども説明しましたが、
どういうふうに使えばいいかというと、
一番最初のアイデア出しですよね。
あとは経営者とかが、経験則から、
このアイデアはうまくいくぞ、なんでか証拠はないけど経験としてわかるとか、
そういうような時に使われるのがオッカムの神剃りです。
ということで、オッカムのウィリアムについて説明をしてきました。
ちょっと長くなってしまいましたね。20分を超えてしまいましたが、
これで中世の哲学の説明を一旦区切らせていただきたいと思います。
これからはどんどんと近代に入っていこうかなと思います。
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皆さん大好きなデカルトだったり、聞いたことのあるトマス・ホップスだったり、
そんなところを説明していこうかなと思います。
また、今回説明したオッカムの神剃りについて、
もう少しここをブラッシュアップできるんじゃないのとか、説明ちょっと違うんじゃないのっていうことがありましたら、
ツイッターのコメントやこのスタンドFMのレターにポンとコメントをいただけると幸いです。
それでは高橋のみのない話チャンネル、哲学誌バージョンでした。
それではまた。失礼します。
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