イレーザーヘッドの衝撃
スーパーナチュラルハイテンションズ
セブンイレブンで売ってるすなずり玉ねぎのポン酢あえみたいなものと、野菜スティック食べてビール飲んでたんですけど
サクチュに出てくるその、臓物が出てくるんですよ。ちゃんと。色々出てくるんですよ。人間の体から。
それを見ながら食べるのが苦痛にしょうがなくて、一回中断して、YouTubeでグルメ系のYouTuberの動画を見てから
ビールとおつまみ平らげて、もう一回映画に戻ったくらい、生理的にちょっとダメだったんですよ。本当に。
だから、もう一回見ろって言われたら、ちょっと厳しいかもしれないです。イレーザーヘッド。ちょっと時間置かないと。厳しいくらい強烈な映画をたくさん見れますんでね。
それ考えると、僕はそこまでではなかったんだよね。
あ、そうなんですか。
水野さんが相手のお父さんのね、その笑顔にやっぱりすごく恐怖じゃないけど、嫌悪感を抱えたっていうのって、僕は多分違う。ちょっと違うような気がするの。
なのでやっぱり、今そのイレーザーヘッドに対する水野さんの身長っていうのはすごく反応しやすいのかもしれないね。人間性なのか。
そうかもしれないですね。面白いですね。なんか映画一般に言えることですけど、見る人によって反応する部分も違うし、解釈も違うっていう部分がありますね。
ただその、グロいとか、もちろんそういったのもあると思いますけど、面白い面白くないを通り越して、人にそれだけ見たくないとか、それこそ水野さんに傷を負わせる。
そうですね。
作品ってやっぱすごいのだと思います。
よくスーパーナチュラルハイテンションズでも引用しますけど、宮台先生の芸術とは人を傷つける。
そうですね。
本当にそれに符合しますよね。デビット・リンチのイレーザーヘッドっていう映画は。
そうだよね。
本当のアートなんだなと。
僕は非常に思います。
例えばなんかこう、よくそのグロテスクな映画とかで言うと、いろいろあると思うんですよ。残虐シーンが多いものとか。
でもそういったものとまたちょっと違うかなっていう気はしますね。
そうですね。確かになんか残虐さを売りにしている映画って大喜利みたいな感じで、残虐さがどんどん過剰にエスカレートしていくんですけど、
結局見終わった後ってそんなに残らないんですね。
残らないですね。それがスプラッター映画とかの醍醐味なのかもしれませんけどね。
見終わった後のスッキリというかね、何も残らないというか。
それがまた一つの楽しみ方なのかもしれませんけど、またそういったグロテスクさとともちょっと全然違いますね。
違いますね。でもやっぱりオススメしたいですね。
一度ちょっと体験してほしいなと思ってます。
万人受けはもちろんしないと思うんですけども。
ぜひ最初の一本入れざるを得たらいかがでしょうかということでね。
ワイルド・アット・ハートの魅力
よろしくお願いします。
まだまだデビット・リンチの話は続けたいなと思うんですけど、
ブルーベルベットにさせてもらったんですけど、デビット・リンチの位置づけをね、とてもピュアで。
そして人間の内面を映像とか色とか音楽とかで彩る監督なのかなっていう風に。
一応一つ位置づけして、ワイルド・アットハート、そしてブルーベルベットにさせてもらったんですけど。
その面でいうと、ワイルド・アットハートはめちゃくちゃわかりやすい。
そうですね。
愛の物語なのかなって思いました。
本当に一見ハリウッドの超大作家と見惑うほどの。
そうだよね。
あのジャケットも、映画のジャケットもそうだけど、
すげー正当派な恋愛労働ムービーみたいな感じだけど。
あとニコラス・ケージとアゴラダーンっていう二大俳優が出ていて、若き頃の美しい二人が。
ちょっと入れざるを得た人には申し訳ないんですけど、だいぶパッとするなって思っちゃいますよね。
確かに確かに。
名優ぞろいで。
本当に面白いんですよね。
なんか見てて引き込まれちゃう。
ストーリーとしてもパッと引き込まれちゃう部分もあるし、
わかりやすさっていう点では、本当に構造がわかりやすい。
もうただ男女の逃避行ってことですよね。
ただその、箇所箇所にリンチらしさっていうのは出てくるよね。
そうですね。
謎のシーンはいっぱい出てきますね。
なので、ちょっとデビッド・リンチを味わってみたいなっていう人は、
恋愛ドラマを純粋な真っ直ぐなストレートな恋愛映画を見るつもりで、
あれを見てもらうと親って感じてもらえるかもしれない。
そうですね。
ちょっと親っていう。
だってSATSUさんにはまずワイルド・アット・ハートから。
ごめんなさい。お勧めするの間違えてました。
ワイルド・アット・ハートから見てもらった方がいいかもしれないですね。
いろいろシーンとしては心に残ったのがありますけど、
僕一番ゲセないのは、殺し屋が深く見てくれないじゃないですか。
ウィリム・デフォーっていう名優ですけど、
すごいなんか面白い感じで、
ボビーっていう、最初から最後まで何してんのか。
みんな見て欲しい。めっちゃ見て欲しい。
ずっとニヤニヤ笑ってる。歯がすごい汚い。
ローラ・ダーンにつっかかるだけつっかかって、
いつか抱いてやれよってこと言って消えて、
その後結局行っちゃうんですけど。
すごい謎なんですけど。
ウィリム・デフォーも謎なんですけど、
もう一方のジャマイカ風の男と、
特にブロンドの40代くらいの綺麗なお姉さんの殺し屋のタッグ。
謎すぎない?
最初から最後まで激烈にチューしてましたけど。
2回くらい。
それ以外何かあったんですか?あの二人がって。
あれ?笑
思いませんでもうあれ。
あれ、もしデフィット・リンチさんがまだ生きてるんであれば、
誰かインタビューしてくれなかったかな。
本当ですよね。
何なんでしょうね、あの殺し屋は。
最後とかライブハウスみたいなめちゃくちゃ光が点滅している中で、
ずっとキスして一瞬終わってましたけど。
一応役目は果たしているのかも。
一人殺し屋として殺してはいるんですけど。
真実探偵をやってきましたよね。
とか。
とかですよね。
いろいろありますよ。
あと最初のシーン、最初のパーティー会場みたいなところがあって、
すごい賑やかなクラシック音楽が流れてて、
ニコラス・ケージとローラ・ダウンが待ち合わせして、
よし行こうかみたいなダンス会場に行きましょうね。
行ってから後ろから黒人がトントンと駆けつけてきてからの音楽の変わり方。
急にバイオレンス。
すっごいバイオレンスな描写がきて、
ちょっと早いって言って、
笑っちゃいましたから。
笑っちゃった?
あそこちょっと僕笑っちゃったんですよ。
ちょっと早いみたいな。
僕真顔だったよ多分。
いろいろありますね。
いろいろあります。
今回記事を書いたんで、ノートでね。
なので話してても、
じわじわとワイルド・ハートの面白さが僕の中でどんどんどんどん。
作品の解釈と感情
湧き上がってきたんですけど。
あれ本当にオススメかもしれませんね。
これは本当に超絶オススメ。
面白かったです。
あとなんていうのか。
1990年か。
90年の作品だったと思うんですけど。
愛情表現の過剰さ。
ニコラス・ケイジが歌いながらローラダウンに急行するシーンとか。
いろいろありますけどね。
あれも逆に新しいみたいな感じしますよね。
今見たら逆に新しいのかもしれないですね。
ただその1990年代の映画ってあそこまで過剰に甘い言葉を掛け合ったりとか。
過激な愛の確かめ合いみたいな。
掛け合いする映画って普通だったのかちょっとわからないですけど。
今見ると新鮮かもしれないね。
そうですよね。
ちょっと思い出して笑っちゃった。
煙草つけるシーンあるじゃないですか。
2本吸うとか。
妊娠してることがわかった時に。
あそこ笑いました。
ちょっと笑っちゃいますよね。
恋人からね。ローラダウンから。
手紙で伝えられたらね。
あれは明らかに行き通ってましたね。ニコラス・ケイジは。
その時に撮った、息取りを表すために撮ったシーンが
タバコを1本吸うんではなく、タバコを2本吸うっていう。
同様かもしれないですね。
でもその後もタバコを2本吸うシーン。
繰り返しありますね。
ローラダウンの父親役の人が火事で亡くなってます。
過去があって。
言っちゃっていいのかなこれ。
古い映画なんで。
多分そのトラウマを背負ってる人なんですよ。
ローラダウンもタバコを吸ってるんですけど、
タバコに火をつける度に火事の描写が
フラッシュバックされるみたいなのが
5回くらいで見るんですよ。
あそこもちょっと、笑っちゃいけないですよ。
暗い格好を背負って。
ちょっと5回目とかで笑っちゃっても
またやるのかみたいな。
それだけ思い出すねみたいな。
そういう表現も含めて
やっぱり浅川さんの言う通り
デビトリンチですごいピュアな表現をする人だなって。
僕もかもしれないですね。
結局僕が行き着いたところっていうのは
テーマ自身があいゆえに
非常に難解じゃなくなってしまう。
ストレート。
僕の予測なんですけど
過剰なまでの愛情表現っていうのは
逆を返せばイレーザーヘッド
過剰なまでの嫌悪感に繋がるのかなと思う。
そうやって考えれば
ストーリーが割と難解だって言われる。
ツインピークスとかもそうですよね。
ドラマ作品、ツインピークス。
あとマルフォランドドライブ。
あとロストハイウェイ。
なんかはいろんな人の感情が
本当に幾度となく層となって重なって
あたりを彩っていくので
ちぐはぐに覚えてしまう。
それが現実と夢の区別をなくしてしまう。
ちょっと位相がシーンによって変わっちゃう。
それはわかんないんですけど
人の真相真理って
やっぱり一言では語れなくて
一言では表せない。
それって何か解釈することを残すのではなくて
人々はこうじゃないか。
見る時の感情によって
見え方が変わるんじゃないかっていう。
それも含めて作品なのかなって思いましたね。
永遠に語り継がれていく。
そうだね。
正解は出ないかもしれないけどってところですね。
僕は過剰な愛情表現っていうのが
僕にはないものというか
今の多くの人にはないものだと思うんで
そういう部分ですごく
ワイルドアットハートのニコラスケージを
眩しい存在というか
憧れとしてちょっと見ちゃった部分はありましたね。
映画の体験と評価
でもそれはある意味いい体験でしたね。
そうですね。
あのライブハウスで踊ってる時
ヤンキーみたいな人に
ロラダンが絡まれて
それをボコった後に
一曲歌おうみたいな。
あそこも
臭いけど
かっこいいみたいな。
めちゃくちゃかっこいいと思った。
確かにライブハウスでみんなが見てる前で
恋人に愛を表現されるというのは
すごい嬉しいことなのかもしれないですね。
でも今はさすがにそういう表現はしないよね。
大勢の前で
目の前に起こってくる困難
例えば絡まれるチンビラを
跳ねのけて
その後に歌を歌うとか
そういう過剰な表現って
今はしないよね。絶対。
ないですよ。
かろうじてミュージカル映画とか
そういったところではあるかもしれないですけど
ないです。劇映画ではないですよね。
そういったところで。
笑っちゃいますしね。多分。
今見ても。
僕はでもやっぱり見て
見終わって今話をして
どんどんどんどん楽しくなってきて
もう一回ぐらい見ようかなと思っちゃった。
ワイルド・アット・ハートは
マジでもう一回見れます。
あれは。すごい良かったですね。
一般的な評価はどうだったんですかね。
あれでも確かアカデミー賞候補になってるんじゃないですか。
僕今日収録前に
両親にワイルド・アット・ハートって知ってるって聞いたら
二人とも知ってたんで
結構有名な方の映画なんじゃないかな。
いやでもあれを今思い返して
あれをアカデミー賞候補にするというと
どうが良かったんだろうね。
笑
ちょっとちょっと
今までの会話全部返して。
笑
いや。
いやでも
アカデミー賞候補にはなってないですね。
観の映画祭で
デビット・リンチの独自性
最高賞のパレードをもらってました。
取ってましたね。
だる?
笑
もう
誰がデビット・リンチ好きなの?
この作品確か
デビット・リンチは脚本で参画するはずだったんですよね。
脚本を書いてて
是非とも
自分が撮りたいって言って
願い出て監督・目がほほを撮った作品が
えー。
なので僕最初ちょっと思ったんですけど
ワイルド・アット・ハート
過去に見てるんですよ。
だけど全く記憶ないの。
基本的にはデビット・リンチ作品だったら
イレーザーヘッドそうですし
ホラー・アンド・トラフィック
あとロスト・ハイウェイなんかは
やっぱり不穏な空気だったりとか
何か掴みどころのない雰囲気
っていうのは今でも覚えてるんですよね。
ただワイルド・アット・ハート
何の記憶も残ってなくて
で、いろいろ見ながらですね
自分の中の
心に残る
ワンカットみたいなのがないかなと思ったけど
やっぱり強烈なワンカットなかったんですよ。
なるほど。
ブルーベルベットでも見てても
今見ても
ポストカードにしたいようなシーンが
たくさん出てくるんですよ。
それくらい何十年経っても
色を馳せないシーンってあったんですよ。
ワイルド・アット・ハートって僕
自分にはまらなかっただけかもしれないんですけど
なかったんですよね。
で、その時に
もしかして
デビット・リンチ自身
勝手な推測で
あまり載ってなかった作品
なのかなと思ったんですよ。
雇われ監督みたいな感じで
撮ってたんじゃないか。
要するに資金調達できたんで
宛てがわれて監督になったとか
お願いされて監督になったのかなと思ってたんですけど
見たら
自分から監督を
名乗り出たっていう作品だったんで
いや、これ本気じゃん。
ありましたけどね。めちゃくちゃ
シーンとしては。
これ何?
あるある。
でも、それを考えたゆえに
やっぱり向かう方向先は
愛だったのかなっていうことにしたんですね。
なるほど。
そうですね。
確かに。
フィナーレの終わり方も
すごく
ロマンチックというか
本当にロマンチック。
本当に
古き良き映画みたいな
やっぱそれが
愛っていう
一つの
人間のシンプルな感情の
発露だからこその
構成なのかなって
いう気もしますけどね。
僕、あの映画って
ニコラス・ケイジが主人公では
あると思うんですけど
ローラ・ダウンが
本当の主人公
のような気もしていて
っていうのもやっぱりローラ・ダウンって
実の母親が
出てて
その母親から
ある種ちょっとコントロールされてるみたいな
ニコラス・ケイジと
合わないようにされていて
その母親の狂いっぷりも
最高ですよね。
狂いっぷりは最高です。
リップで真っ赤になってますよね。
だいたい作地で起こることは
母親がいなかったら
何の物語もない。
多分あそこまで
愛も盛り上がらなかったと思うんですよ。
母親が
そういった状況を
差し向けてくるから。
ただその
ローラ・ダウンって
母親にずっとコントロールされてきた
みたいな描かれ方をしていて
20歳っていう年齢で
ずっとその
ニコラス・ケイジと合わないように
合わないようにされていて
逃避校に出るっていう。
逃避校に出た結果
ニコラス・ケイジは
もう一回牢屋に入っちゃうんですけど
その後に
やっぱりちゃんと結ばれるじゃないですか
あの二人は。
そのローラ・ダウンの
ある種、自分の人生を
生き始めるみたいな一つの
なんていうのかな
イニシエーションっていうか
大人になるような
映画なのかなっていう
気もしますけどね
それは水野さん的な視点ですよね
僕にはちょっと正直なかった
どうしてもニコラス・ケイジを
主軸として
愛と母親の描写
考えてしまうので
その話はちょっと新鮮ですね
本当ですか
でも確かに
何が中心で動いているかというと
娘が受けている支配が
中心にやっぱり描かれているのかな
むしろね
それに周りの人間は
巻き込まれていくわけじゃないですか
殺し屋も含めて
よくある宝とか
何か大事なものを持って逃走した
それを
追いかける
殺し屋達っていう構成の映画の
何か
持っていった何かってローラ・ダウンじゃないですか
劇中で
ローラ・ダウンを主軸にやっぱり物語が
動き始めるという部分では
あるんですよね
面白いね
そういう考え方で
ちょっと見ても面白いかもしれないね
そうやって見ると
逃避行を続けて
そして最後ニコラス・ゲイジ
旦那が刑務所に入っても
それでも待ち続ける
しかも2回も
待ち続けて
その先に子供ができて
自分で育てて
そこでまた出てくる夫に対して
対応するか
含めてですけど
そういう風に
彼女目線を見ていくとまた全然違うかもしれない
また違うと思います
すごい面白い
何通りも楽しめるという部分があって
そうかもしれないね
多分今成人ぐらいの
お子さんを持っている
親御さんだったら
もしかしたらローラ・ダウンの母親の
心情も結構わかってしまう
のかもしれないですし
あの映画で?
一応ニコラス・ゲイジが
あの映画だとかっこいいんで
僕たちは勘違いしてしまいがちですけど
悪いやつですから
ニコラス・ゲイジも普通に
めちゃくちゃ悪い男