三国錬太郎の波乱万丈
お聞きの皆さま、お運んばんちは、現役リフォームプランナーの寸尺かんなです。
副備訓で、昨日はもう1日寝込んでおりました。ちょっと声が相変わらず酷いんですけれども、前回の続きを始めようと思います。
NHKのファミリーヒストリーという番組で、俳優の佐藤浩一の波乱万丈の人生というか、
佐藤浩一自身よりも、佐藤浩一の父親である俳優三国錬太郎の生涯が波乱万丈であったという、
あと出自、アイデンティティ、そういったことが非常に複雑な老いたちの人だということから、これがすごく感銘を受けて、いろいろお話をしているんですけれども、
三国錬太郎は、ちょっと復習になるんですけれども、母親が17歳の時に宝庫に出されたところで、そこはいろんな外国の兵士、軍人が来るような場所だったみたいなんですよね。
そこに出入りしている、おそらく軍人との間にできた子供のようなんですよね。
若い、そこの働いている女中というか、使用人である若い娘が身をもだということで、世間体も悪いし、働き手として役に立たないということで解雇されたんだと思うんですね。
それを見兼ねた全く関係ない、おそらくそこの使用人と関係がある人の一人だったんでしょうね。
その人が見兼ねて自分の奥さんにして、自分の血がつながっていない男の子を全部引き受けて父親になったという人が、育ての親の父親だっていうね。
これが三国錬太郎の両親になるんですよね。
三国錬太郎というのは、若い時の写真を見ていただければお分かりのように、明らかにちょっと外見が当時の普通の日本人の顔ではないんですよね。
だからおそらく外国人の血が入っているわけなんですよ。
これがすごく面白いなと思って、そこからこの話をしているんですけれども。
結局ですね、外国人の血が入っている入ってないとか、自分の親が本当の親、遺伝子的にとか生物学上の本当の親か親じゃないかということとかね。
そういうこと以上にですね、自分の親たちをすごく内省している人なんですよね。この三国錬太郎という人がね。
ずっと生涯それは、そこを見つめ続けた一生だったのかなと思うんですよね。
このNHKのファミリーヒストリーの中ではですね、生前三国錬太郎の伝記を書いた作家の方がね、ものすごく思い入れを持って振り返っておられました。
いろいろ三国錬太郎の自分の親たちにまつわる思いとかそういったことを全部聞いていた人なんでね。
その辺でいろいろ彼にも葛藤があったんだっていうことを話しておられましたね。
アイデンティティの内省
これがね、ちょっとね、やっぱり大事なんじゃないかなっていうふうにちょっと思ったんですよね。
だから、自分とは何者なんだっていうね、この根源的な内省っていうんですよね。
自分と向き合って自分と対話するっていうことですね。
なんで自分は人と違うんだ。三国錬太郎の場合は、とにかくまず見た目が違いますね。
どうやらうちの家はなんかちょっと他の周りの家とは違うと。
育ての父親の職業とか身分がどうやら世間から見るとちょっと差別される側の職業なんだとかね。
自分の母親がどのような、あれで自分を産むに至ったかとかね。
そういったことをいろいろね、内省せずにはいられない老いたちだったわけなんですよね。
これはね、おそらく佐藤光一も一緒だったと思うんですよね。
これほど有名な父親の息子だっていうことが、やはりね、なんで俺はこうなんだとかね。
周りはだって多分自分の、佐藤光一の周りにいる友達はもっと普通の平凡な家庭で育った人が多かったと思うんですよね。
だけども自分はどうしてこういうふうに破天荒な父親の子供だったんだろうとか。
あとこの人の場合はね、お母さんも芸者出身のお母さんなんですよね。
とてもだから多分普通の世間一般でいう母親とはタイプが違う人だったと思うんですよ。
だからもう明らかにね、10人いたら、9人の人とは違う出自の人なんですよ、佐藤光一自身もね。
だからこういうふうな人とちょっとでも違うと、日本っていうのはね、浮く社会なんですよ。
家族の歴史と出自
これはね、私がこのファミリーヒストリー見て胸を打たれたのは、私自身がやはりすごく共感したからなんですよね。
私は会ったことがある人ならお分かりいただけるんですけれども、普通の日本人なんです。
普通のどこにでもいるおばさんの風貌なんですけれども、かなり出自は変わっているんですよね。
私の祖母は日系2世なんですね。だからアメリカ生まれ、アメリカ育ちの、だから本来アメリカ人です。
だけど自分の両親は1世なんですよね。だから自分たちがアメリカで一旗あげようと思って移民していった両親が、アメリカで結婚して生まれたのがうちの祖母だったんで、日本人なんですよね。
まだこんな感じで、うちのおばあちゃんは日系人だ。だけど戦争で、戦争になる前に日本に帰ってきてですね、無理やり日本に馴染ませようとして馴染めなかったので、祖母の生涯というのもすごい生涯なんですよね。
もうちょっとまたこれはね、どこかで話ができたらと思うんですけれども、壮絶なうちの祖母も大変な人生を送っている人なんですよね。
ただうちの祖母が幸せだったのは、私の祖父、おじいちゃんのような田舎のお坊ちゃんと結婚できたことなんです。
うちのおじいちゃんというのは、なんか自分のファミリーヒストリーになっているんですけれども、うちのおじいちゃんというのはですね、田舎のお坊ちゃんなんですけれども、たまにこういう自然発生的な人が生まれるんだなぁと思って、ものすごくリベラルな人なんですよ。
田舎というすごく閉鎖的で保守的な場所で育ったがために、すごくそこにうんざりしていた人だったんですよね。
田舎ではね、当然古い身分制度はそのまま生きていたのをね、まざまざと体感していたそうです。
自分の家の農業をやったりとかしていて、そこで助けに来てくれている人たちで、身分が低いとされている人たちは土間にそのままお盆を乗せてご飯を食べさせられていたと。
だから土間の上にさえ上がらせてもらえないとかっていうね、そういうあからさまな差別がね、普通にまだあった時代だったんですよね、おじいちゃんたちが子供だった頃っていうのはね。
で、そういうのが嫌だったり、あと母親が飯炊き女として何もかもやらされている、すごく父親が偉そうにしている過不調性も非常に嫌だったそうなんですよね。
だからうちのおじいちゃんは、自分の祖父の子というのもなんなんですけれど、もうめちゃくちゃハンサムなんですよ。
すごいハンサムで、当時としては信じられないぐらい背が高くて、ちょっとね若い頃の芥川龍之介みたいなルックスなんですよね。
だから私の自慢のおじいちゃんだったんですけれども。
で、こんなイケメンでね、頭もすごく良くて、当時の帝国大学に進学していて、まあそのうちのおじいちゃんの家族の中では、すごくだからまあ期待の星という存在だったんですよね。
だけどまあそれで田舎を大学のために出て行ったのをいいこととしてね、長男じゃなかったんでね、長男が家を継がなきゃいけないけど、うちのおじいちゃんは次男の立場だったので、
まあそこはもうそのまま都会に出て暮らすことができたんですよね。で、その時におじいちゃんはイケメンだし頭もいいし、将来有望な人だったんですけれど、結婚できなかったんですよね。
つまり、自立した女性をね求めてたんですよ。めちゃめちゃモテたらしいんですよね。これ本人弁なんで、どこまで本当なのかわかんないんですけども。
まあでもおじいちゃんの当時の写真見てる限りモテただろうなと思うんですよね。だけど絶対に結婚しなかったんですよ。
で、自立した女性っていうのが当時全然いないんでね。で、そのまま戦争が始まったら、うちのおじいちゃんはもう結構その時年取ってたんですよね。20代後半ぐらいだったんですが、
おじいちゃんの戦争体験
でね、もともとね血格をね若い時に患ったりとかして、まあ奇跡的に助かったりね。当時おじいちゃんたちが子供の頃っていうのは血格っていうのは死の病気だったんでね。
まあでもそれが助かってですね、結局まああの元気に生きてはいたものの、もともと虚弱なんですよね。体が弱くて、肺とか血格も弱いわけなんですよ。
だからずっとね、戦争を免れてたんですね。しかも頭がいいんで、まあいろいろあの勉強とかもしていたんでね。
で、ずっと徴兵されなかったのがついに日本もどんどんどんどん、戦争が負けかけている時だったんで、ついに赤髪徴兵が来ちゃうわけですね。
で、まああの戦争にね、だいぶ年取ってから、しかも体が弱いのにね、生かされたんですよ。
でもまあおじいちゃんは勉強できたんで、あの気象観測っていうね、あの天体部みたいなのがあったらしいんですね。
そこに生かされたんで、比較的戦闘のど真ん中みたいなところに生かされる部署ではなくて、そういう意味では優遇される部署には生かされていたそうなんですよね。
だからおじいちゃんのね、戦争体験っていうのはね、ちょっと信じられないぐらい牧歌的で。
天候観測してるんで、山の上かなんかのね、観測所みたいなところにずっとこもってたらしいんですけれど、ここでね、地元の中国人の人たちとめっちゃ仲良くしたりとかして、
なんかね、すごいね、ちょっとね、本当?というぐらいね、すごく平和的で牧歌的で。
うちのおじいちゃんは中国人に対するネガティブな感情ゼロなんですよね、こんな時にね。すごく親切にしてもらったとかって言ってね。
そこから敗戦したんで、そこからね、散髪屋さんをしながらね、行商しながら、中国大陸のね、だから自分たちが中途していたところからね、ずっと行商しながら、なんとか港まで行って、やっと日本に帰ってきたみたいなね、
そんなんだったらしいんですよ。でね、ごめんなさい、話が私のファミリーヒストリーになってるんですけれども、とにかくね、そんな感じで、おじいちゃんは30過ぎてから日本に帰ってきて、だから戦争を生き延びて帰ってきた人の一人だったんですよね。
祖母との出会いとアイデンティティ
帰ってきてから、大学で働き出すんですよ。そこで、うちのおじいちゃんの恩師にあたるね、大学の中の学部長かなんかだったんですかね、その偉い人が、こんな良い青年がね、まだ独身でおるわと。
で、ちょうどもう一人すごく優秀で、いい女性がいるから、この二人を縁組みさせてはいいんじゃないかということで、紹介してくれたのが、うちのおばあちゃんだったという話なんですよね。
で、二人は一目でね、惹かれ合ったみたいなんですよね。で、うちのおばあちゃんはね、すっごいかわいい人で、ただもうすっごく苦労してるんでね、この自分の民族的アイデンティティとかね、いろんなことで。
あと、アメリカで最高の教育を受けてる、受けてたんですよね。当時、だから同じ世代で日本にいる女性たちよりも、先進的なアメリカで、アメリカ人として教育を受けてるんでね、おばあちゃんは。だから、ものすごい進歩的な女性だったわけなんですよ。
だから、おばあちゃんはね、一生結婚する気なかったんですよ。しかも日本の男なんかとっていうね、そんな閉鎖的で保守的な日本の男なんかと絶対結婚するもんかと思っていたんですけれども、うちのおばあちゃんね、めっちゃ面食いだったんで、うちのおばあちゃんが好きだったタレントっていうのが、映画スターとかね、みんなイケメンばっかりなんですよ。
日本人だとね、もっくんが好きでしたね。もときもっくんが、この人綺麗ねって言って、すごい好きだったんで、面食いなんですよ。で、うちのおじいちゃんに、学部長から紹介された瞬間にね、速攻結婚したみたいなんで、おばあちゃんのお眼鏡にかなったんだなっていうね、面白い話があってですね。
すいません。もうね、ちょっと喉が限界だっていうことと、私のファミリーヒストリーになっちゃったんですが、ちょっとここで一旦小休止で終わらせていただいて、ごめんなさい。だからね、前半後半で終わらせるつもりが中編ということで、ちょっとインターバルで終わりにして、後編はまたすぐにアップさせていただきますので、よろしくお願いしますということで終わります。ごきげんよう。