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2024-04-10 19:30

団塊ジュニア世代の不幸は、核家族が原因だったのではという話 #37

団塊ジュニア世代の何が悲劇だったのか。その原因は核家族における画一的な価値観と、自分軸を持たない主体性のなさに原因があったのではという仮説をもとに、私なりに深掘りします。

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お聞きの皆様、おはこんばんちは、現役リフォームプランナーの寸尺かんなです。
今日も、私の履歴書シリーズの一部分と、私の世代が今まで体験してきた、壇上格差であったり、性役割ですね、こういったところの話題の話を何度かシリーズでやったんですけれど、
さらに、この周辺の話を今日も少し深掘りしたいと思います。
一応、今までの復習として、団塊ジュニア周辺の世代の人たちが、男女ともにかなり悲惨な世代だったよ、という話ですよね。
男性も苦労していたし、あまり語られることがない女性たちも、結局、キャリアを選択したがために婚期を逃す、ずっと独身でいるという、この女性たちと、
結婚はちゃんとして、家庭にいる女性たちも、この人たちはこの人たちで、人知れず苦労していたというような話を、何度かに分けてさせていただいたんですけれど、
じゃあ、何でこんなことになっちゃったのかとか、今後こういうことがもう繰り返されないように、若い人たちはきっと変わっていっているし、今すでに変わっていっているし、全く違う価値観が生まれてきているとは思うんですけれども、
もう一度、ここで私自身もちょっと頭を整理したいなと思ってお話ししようと思うんですけれど、ちょっと個人的な記憶の話をしようと思うんですけれど、
まず、私が小学校の時、多分そんなに多い学校じゃなかったので、150人ぐらいだったと思うんですね、同級生の数が。この当時はまだ今ほど個人情報とかうるさくいう時代じゃなかったので、みんな名簿、学年名簿みたいなのを配られていて、
そこには住所とか、もちろん電話番号とか全部載っていて、親の保護者の名前とかも書いてあるんですよね。これが同じ同級生の中で、みんなお父さんの名前なんですよね、保護者がね。
その中で私だけが母の名前が保護者に載っている子供でした。つまり私はシングルマザーの子供だったんですね。そんな人が少なくとも私の学年には一人しかいなくて、その後中学に行くとさらにすごい人数。
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9クラスぐらいあって、私たちの世代は人数が多いですので、すごいたくさんの子供たちになったんですけれど、この人数の中でも片親の子っていうのは、あともう一人ぐらいしかいなかったと記憶しています。
そしてお父さんがサラリーマン、お母さんは専業主婦、兄弟が2人っていう、この4人家族っていうのがほとんどでしたね。たまに小田区産の3人、4人の兄弟がいるっていう人もゼロではないですけれど、ほぼ8割9割の家族は4人家族でしたね。
私は、母が以前音楽家だっていうことをどこかで言ったと思うんですけれど、めちゃくちゃ忙しくて、いろいろ事情があって母は私を一人で産んで育ててっていう人なんですけれど、母の両親ですね、私の祖母と祖父と、
このじいちゃんばあちゃんが私同居してですね、私のことを育ててくれてもいたんですよね。
自分の話、自分語りばっかりになっちゃうんですけど、このね、うちはちょっと本当に特殊でして、祖母も大学の先生だったので、ずっと働いている人なんですよ。
なので、おじいちゃんもおばあちゃんも大学の先生で、母は音楽家っていうね、こういうすごいちょっと特殊な家庭だったんで、家族の中にはね、男女格差も性役割もね、皆無のうちで育っちゃったんですよ。
おじいちゃんも普通に家事やるしね、全くおじいちゃんとおばあちゃんはそこに男女の役割分担みたいなのがないうちだったんですね。全員働いてもいるし。
私を育ててくれている頃は、もう2人とも定年してね、家にのんびりはしてたんですけども、非常勤講師とかね、名誉教授みたいな形で時々大学行ったりっていうね、そんな感じだったんですよね。
母はバリバリバリバリ働いていて、周りの友達たちとは全然あまりにも家庭環境が近いすぎてね、逆に周りの家族、友達の家族とか見てて、興味深く子供なりに見てたんですよね。
とても私は祖父母からも愛されて育ってますし、母はとにかく忙しくて飛び回っていて、ほとんど家にいなかったんですけれど、その後また結婚したり、離婚したり、結婚したり、離婚したりっていうね、本当にめちゃくちゃな母なんですけど、
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まあでもね、そんな人ですけど、すごく愛されて育ったんで、私はなんだかんだ言ってね、一応若干ぐれた時期もあるけど、ぐれずに育ったんですよね。
それはいいんですけど、とにかく周りの友達たちとはとにかく全然違うっていうところでですね、羨ましくないかと言われればね、私は自分の家族をとても誇りにも思っていて、
全然ね、ちょっと特殊なね、企画外れの日本でね、日本においては企画外れの家族と言ってもね、全然そんなに恥じることなく生活はしてたんですけれど、やっぱりね、常に友達の家に行くとね、お母さんがいらっしゃってね、お母さんがね、ちょっとなんかおやつ出してくれたりとか、子どもたちに対してね、いつもそばにいてね、目が行き届いてるっていうのを見るとね、
羨ましいなと思わなくはなかったですよね。いくらね、おじいちゃんとおばあちゃんからも大事にされてるって言ってもね、母っていうのは特別な存在ですのでね、子どもにとって。その母親はいつもそばにいないっていうのはね、やっぱり寂しかったのは寂しかったんですよね。
で、周りのね、友達たちっていうのはみんなね、いいなっていうのはそこは思ってたんですけれど、ただですね、ほとんどのお家が、やっぱりお父さんはほとんどいないんですよね。日曜日とかにいる以外は全然家にいなくて、単身赴任してるお父さんもね、結構いたりして、圧倒的に母親と子どもたちが一緒にいるっていう家庭がほとんどでしたね。
結局、当時、うちはちょっと他の家とは違うんだっていうことをね、ずっと意識してたんですね。特にその不満があるわけでも、うちは嫌だなと思ったりはしてないんですけれど、とにかく違うっていうことだけは強烈に思っていて。
で、なんかちょっとコンプレックスまではいかないんですけど、やっぱりね、ちょっとややね、肩身が狭いような部分っていうのは実は内心あったんですよね。なので、決してね、その友達たちのお家が羨ましいとまでは思わないけれども、うちはちょっと違うから、ちょっとね、人に言いにくいなみたいな意識はあったんです。
なんですけれどね、これがやっぱり子どもの頃から徐々に大人になっていくにつれて、やっぱり日本のこの核家族っていうね、家族の構成そのものがやっぱり問題だったんじゃないかっていうふうにね、今はね、もう私は確信してるんですよね。
私がね、確信しなくても、そういうことはちゃんとね、分析されてると思うんですけれどね。つまりね、その当時、例えば小学校の時に、家が近所だった親友がいたんですけれど、すごく勉強できる子で、テストがあった日にね、テスト終わったねっていう感じで一緒に帰ってきて、その友達の家に私も一緒に行ったんですよね。
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そしたら、お母さんが玄関先に出てきて、私が横にいるのにね、ドマでね、靴もまだ脱ぐ前に、あんた今日テストだったでしょ、出しなさいっていう感じでね、友達が言われてて。
答案用紙をバッとランドセルから出すと、その子すごい勉強できる子で、でもね、94点とかだったんですよね。そしたらね、もう何これ、なんでこんな点数で帰ってきたの、もう恥ずかしいみたいなね、すごいわめき散らされてて、泣きじゃくってるんですよね。
でもちょっと異常なお母さんだなと思って、私が横にいるのに、もうわめき散らしてね、娘を罵ってるんですよ。これが、いわゆる教育虐待ですよね。結局この友達はね、今大人になってもね、一応私、まだ今でも友達なんですけれど、相当ね、やっぱりちょっと変わった大人に成長しちゃってますよね。
ちょっと前、ちらっと言った、中年少女です。こういうね、過剰に親に干渉されて育ったような子がね、結局とっても多いんですよね。
なのでね、ちょっとね、話が行ったり来たりするんですけれど、私の育った育ち方はね、一番そばにいて欲しかった母が常に家にいない、父親っていうのはもう初めからいない家庭で育ってるんですよね。
そういう育ち方している私と、ほとんどの家庭はお父さんとお母さんが一応いる、表面的にはちゃんと全てが揃っているお家の子どもたちなんですけれど、今思うとね、やっぱり家庭の中での父親の存在感っていうのはもうめちゃくちゃ希薄で、ほとんどね、この子どもの教育っていうところは母親が一点になっている家がほとんどだったと思うんですよね。
自分たちがもしかして、自己実現できないまま家庭に入ったりとかしたっていうね、そういう自分たちの不完全燃焼の思いもあるでしょうし、あとは夫がそばにいないっていうことの、夫婦関係のね、必ずしもそれは別にセクシャルなことだけじゃなくて、やっぱり子育てしている悩みとか、日常の生活の中で出てくる不安とか、
そういったことをね、この夫婦で、というかパートナーと一緒に話し合ったりして、発散できる場がないわけですよね。
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そのストレスとかね、怒りとか、もちろんその性的な欲求不満とか、そういったものもね、全部その子どもにね、やっぱりそれがいくっていうのがね、あったと思うんですよね。
私の今例えに出した友達、こんなのはこの子だけじゃなくて何人もいましたんでね、この頃やっぱりもうみんな女の子も、親がね、ちゃんと4年生の大学ね、いい大学行かせるっていう、そういう時代になってきてましたんで、もう男女関係なくこの頃はもう親の期待を一心に背負って、めちゃめちゃ競争の激しいね、大学受験っていうところに一直線で進んでた頃だったのでね。
まあもう、こういう目にね、あってた子どもっていうのはたくさんいて、ちょっとね、そろそろまとめに入っていこうと思うんですけど、つまりね、今いろいろ私たちの世代がね、抱えている問題っていうのは、そもそもこの、何て言うんでしょうね、この経済をね、最優先させるがゆえに、
作られたこの、各家族のね、この家族のこの問題っていうのがね、根本原因にあるように感じます。
だから私は私で、個人的にいろいろあの欠落もあったうちで、別にその物理的に父親がいない、母親がキャリア女性で忙しくしてたっていうことだけじゃなくて、どのうちにもね、その問題がない家庭っていうのはもちろんないので、
あの私のファミリーには私のあのファミリーの問題がもちろんあったんですけれど、こういうやっぱりね、あの私ね、本当に日本のね、良くないところってね、表をね、すごく取り繕うところなんですよ。
本当はいっぱいやばいことがあって、もうすごい土台から腐ってきてるのに、表をね、すごく綺麗に取り繕うので、問題が見えないんですよね、外からね。
だからうちの家を例えて言うならば、もう初めから父親がいない、キャリアバリバリの母親が常に家にいない、あのだからね、もう初めからいろいろその模範的な家族と思われるようなことが初めからない。
それだけじゃなくて、いろいろやっぱりあの私の家族には私の家族の問題がいろいろそれ以外にもあったんですよね。
なんですけれど、全部ね、そういうそのうちの問題っていうのはね、表に全部見える形であって、家族で大喧嘩したりですとかね、いろいろその摩擦があったりとか、そういうところがね、あの完全に丸出しだったんですよね。
だから例えて言うなら、表に火傷を負ってね、あのすごい大火傷して赤くただれたりね、産んだりとか、そういうのはもちろんあったんですよ。
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なんですけどね、他のその日本的な家族っていうのは、とにかくその他人にはそこを悟られたくないっていうね、もう恥とか、その他人よりちょっとでもその劣ってたり違ったりするっていうのは恥とするような価値観があるので、
実は夫婦関係が悪いとかね、実は子供とうまくいってないとか、そういうことも全部覆い隠す上に、その子供がいい大学行ってもらわないと困るとかね、その夫の会社がちょっとでも他の人よりもいい企業じゃないと嫌だとか、こんな車乗ってないとかね、もう食らうんじゃないとダメだとか、もう何坪の家に住んでなきゃいけないとか、
結局恥ずかしい思いをしたくないっていう、その価値観が強すぎて、実はいっぱい問題があるのにそれを全部隠しちゃうっていうね、これが結局そんなことをやりすぎたために、今それが全部ね、ブワーって表に出てきてるんだと思うんですよね。
なのでちょっと話がね、大きく膨らみすぎてるかもしれないんですけれど、何が言いたいかというとですね、私たちの親の世代は、だから団塊の世代とかその前後ですよね、この世代はこの世代でものすごく問題をはらんでいたんですけれど、
まあもう日本がね、経済も上向きで、一見ね、うまく回転してるので、こういう問題っていうのは全部覆い隠されてしまってたんだと思うんですよね。
なんですけれど、私たちの世代以降は、どんどんどんどん衰退してっているので、ある意味こういう、実はもうすでに問題が潜んでいたものがね、徐々に出てきてしまったっていうことなんですよね。
つまり、今急に起こってきてる問題じゃなくて、もう以前からあったんですよ。もう私たちの親の頃からずっとあったんだけれども、ただただ見えてなかったっていうね。だからがんが静かに進行してるんだけれども、体内の中にあってわかんなくて、
今になったらついにもう全身にがんが全部転移して大変なことになっているっていう状態なんじゃないかなと思うんですよね。
ということでね、まあそれは大変だったよねって思いますよね。
子供の頃からずっと、これが正しいのよと、こういうふうに生きなさいって言われてたことからね、徐々にそうではないというか、そうしたくてもできないとかね、それは必ずしも正しいことではないとか、
世の中がね、急激に変わっていっている中でね、自分たちの価値観とか、自分軸をちゃんと持つっていうような教育を受けてなかったし、むしろ自分軸なんか持ってない方が幸せになれるんだから、隣のうちよりもちょっといい暮らしができるように頑張りなさいみたいなね、そういう価値観の親たちから育てられてきて、
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そういうことのね、そういう価値観がもう全く通用しない社会が出てきた時に、道標みたいなものを失ったのが、段階ジュニア世代の私たちだったんじゃないかなって思います。
なので、もう結論に行きますが、やっぱりこれからはね、もう自分軸でちゃんと考えられるようにならないと、もう生き残れない時代が来たと思うんですよね。
だから、結婚するしない、子供いるいない、どういうふうに生きるかっていうのは、平均的な答えっていうのはなくて、それぞれが自分に合った生き方をちゃんと探さなければいけないっていうね、ある意味今までそういう訓練がなされてなかったがためにね、本当に大変なんだとは思うんですけれど、
そういう能力が日本人にも求められるようになってきているということだと思います。
なんかちょっと話がでかくなりすぎた気もしますけれども、はい、今日はこれで終わろうと思います。ごきげんよう。
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