マドンナの影響力
お聞きの皆様、おはこんばんちは、現役リフォームプランナーの寸尺かんなです。前回の続きになるんですけれども、場面を日本からアメリカに移します。
前回出てきました、山田英美であったりとか、内田俊樹であったりとか、そういった1959年生まれの女性たちの話をしました。
実は、私が敬愛してやまない教祖様であるアーティストのマドンナは、1958年生まれなので、ほぼ同世代の女性なんですよね。
私は常々、マドンナが誕生する前と後で、180度時代が転換したというぐらいの大きな衝撃を与えた人だと思っているんですよね。
紀元前、紀元後という言葉がありますよね。これは英語で言うとBC、BCって言うんですよね。これはビフォークライスト、だからキリスト以前、そしてキリスト誕生後というふうに分けているんです。
アフタークライストですね、ACは。それぐらいのインパクトがあって、もう私の中ではBM、AMなんですよね。
マドンナが出てくる前と後では、女性たちの生き方、価値観が全く変わっているんですけれど、日本の女性たちはおそらくそれを自覚できていないと思うのは、
マドンナから影響を受けた女性アーティストたちが日本からも誕生して、例えば松田聖子とかが大きな代表例だと思うんですけれどね。
実は間接的にマドンナから大きな影響、マドンナ引いては、つまりアメリカンカルチャーですよね。アメリカンカルチャーから実は多大なる影響を受けているんですが、多くの日本人はそこに気づいていないんですよね。
だからマドンナという人がとにかく出てきたということも、実はとても隠れた要因として大きいんじゃないかと思っていて、
まずマドンナのことを話し出すと、マドンナ界をしたくなるんでね。なるべくマドンナのことは短めに話すんですが、
マドンナという人は非常に自分の女性としての魅力を最大限に活用して、典型的なブルーカラーのイタリア系移民のうちの女の子がですね、
エンタメ界の最高峰っていうんですかね、頂点に上り詰めたっていうね、サクセスストーリーを絵に描いたような女性なんですよね。
で、とにかくデビュー前後はとにかく色っぽくて可愛くて、へそを出してね、踊って胸も大きくて、
自分の女性としての色気をフルに活用して、力を持っているその当時のプロデューサーとかミュージシャンと関係を持ってですね、
どんどんどんどんのし上がっていって、ついには彼女に手を貸した男たちの誰よりも成功して、頂点の上、トップオフザトップに上り詰めたんですよね。
で、マドンナはね、本当に初期の頃からあなたの夢は何ですかってインタビューで聞かれると、私は世界征服をしたいんだってはっきりと言ってるんですよね。
かっこいいですよね。もう今ね、喋ってても鳥肌が立ちます。だから彼女は自分のね、もうとてつもない野望っていうものを隠すこともなく、堂々とですね、でも色気を振りまいて、
当時、だからデビュー当時のマドンナって非常に声がね、ちょっとぶりっ子な声なんですよね。ちょっと可愛い、ちょっとバカっぽい声を出していて、
もう推しも押されもしない大スターになっていくと、だんだん本来の図太いというかね、のぶとい地声で低いね、しっかりした知的な声で話し始めるんですよね。
だからこういうバカっぽい方がウケると思っている時には、バカな若い女の子を演じていたんですね。だから世界を征服するためなら何でもやる女なんですよ。
誰とでも寝るし、もう使えるカードは全て使って登り詰めたんですよね。私、マドンナはね、もう劣気とした、だからブルーカラー、ヤンキー女なんですよ。
私がヤンキーを非常にリスペクトしているのは、こういうところにもあって、ちょっとヤンキー論の話がそれるんですけど、これは日米問わず、実はヤンキー要素がある人しかスターになれないということに皆さんお気づきでしょうか。
これね、知的なインテリのお坊ちゃんが成功するっていうのはもちろんあるんですよね。例えば石原ファミリーですよね。石原慎太郎と石原雄二郎ですよね。この人たちは結構いいところのお坊ちゃんだったんですけれども、大抵はですね、やはり、
労働者階級であったり貧しいうちから裸一貫で出てきたような人が多くて、ヤンキーなんですよね。アメリカでも。マドンナももちろんヤンキーです。私が大好きなジェニファーロペスもヤンキーです。移民の子供で貧しくて、そこからもう使えるカードは全て使ってっていうね。
まさに、マドンナがこういうビジネスモデルを作ったような気がしますね。ちなみにマドンナは、クリエイター・ビジネスマン・凡人理論で言ったら、この人はクリエイターに一見見えますけれど、ビジネスマンです。超優秀なビジネスマンです。
本当にバカなふりして成功し、そして成功した途端に、一気に実は自分が敏腕なビジネスマンであることをバッと出してですね、そこからは誰にも指示をされない、誰の言うことも聞かない、天才的な経営者、天才的なビジネスパーソンとして一世風靡していくわけなんですよね。
つまりね、マドンナという人が誕生して何がすごかったかというと、みんながマドンナに熱狂したんですね。マドンナの人回りしたの、私たち世代前後の人たちがマドンナに熱狂したのは、つまりセクシーで可愛くて、みんな男を手玉にとって、男にモテモテで、男の人たちを手玉にとって自分の野心を実現していくっていうね、
女の人を初めて見たんですよ。そしてそのちょっと前の世代でいうと、マリリン・モンローという人がいますね。マドンナは初期はこのマリリン・モンローの自分は生まれ変わりなんだっていうことを言って、世に出ていったんですけれど、このマリリン・モンローは実は非常にIQが高くて、ズバ抜けて頭の良い女性だったらしいんですね、本当は。
女性の新たな価値観
ですが非常に苦労してハリウッド女優に上り詰めたんですが、どこまでも彼女は権力者の男性たちに媚び、権力者の男性たちに利用されて、ダム・ブロンドっていうんですよね、このおバカな金髪女っていうね、嫌な言い方があるんですけれど、そういうイメージで売っていって、実際彼女自身も実は非常に頭の良い人だったんですが、
このおバカな金髪女のフリをし続けながら、成功していった人なんですよね。だから、ある意味男たちに踊らされ、利用されながら、出世していったマリリン・モンローの世代から数十年経った後のマドンナっていうのは、むしろ男を自ら手玉に取って、男に利用されるのではなくて、
自ら利用してのし上がっていったっていうね、完全に逆転した女性が誕生したんですよね。このマドンナのような生き方をする女性の誕生というのは、すごい私たちの若い女性たちに勇気を与えたわけですよ。
女の人が賢くてもいいんだっていうね。実は頭脳に男女差なんてないんですよ。ないんですけれども、女の人はやはりちょっと3歩下がって男を立てておくべきだと教え込まれてきましたし、そして実際に本当は賢いんだけれども、女が本当に賢いと本当に嫌われるんで、得をしないんでね。
みんな実は賢い女性も馬鹿なフリを、馬鹿というか男の人よりは、例えば学級委員になるのは男の子で、副学級委員っていうんですかね、は女の子っていうふうに、サブが女っていうね、常にそういう男を一歩立てて女は一歩引くっていうね、これを叩き込まれてきた時代にですよ。
これは欧米も変わらないんですよ。男の人がやはりトップに座っていて、あくまでも女性っていうのは男の人をサポートする側だっていうね、そういう価値観があったところにですね、マドンナのような最初はですね、馬鹿なフリして男の子のおもちゃみたいなね、私って男の子にもてあそばれていいんですみたいなね、AV女優的な雰囲気で出てきたにも関わらず、
実際は完全に男を手玉に取ろうっていうね、ある意味リリちゃんの元祖みたいな人ですけども、リリちゃんが単なるホストに入れ上げるために一部の男性たちを利用していたのとは違い、マドンナは大きな大きな自分自身のね、野心のためにそういうことをしてたっていうね、スケールが波外れてるわけですよね。
彼女のような女性が誕生したことによって、女はどちらかを選ぶ必要がなくなったんですよね。だから優等生で頭が良くて非常に優秀だけれども、可愛げがなくてブサイクで冴えない女っていうカテゴリーにね、優等生カテゴリーにいるのか男の子にモテてイケてるけれどもちょっとおバカっていうね、
どちらかしか二択しかなかったところに、どっちもアリなんだよということをね、もうすさまじくかっこいいパッケージで表現してくれたのがマドンナだったんですよね。もう女の子が見てもかっこよくてオシャレでね、スタイリッシュなファッションで可愛いルックス、そしてもう女でさえとろけちゃうような色気。
だけども、実はもうバキバキに冴え渡るビジネス脳を持った女っていうね、もうちょっとマドンナの話すると止まらないですよね。もう本当に最高峰にかっこいい人類だと思うんですよね、マドンナっていうのはね。
この人は性的にもめちゃくちゃ奔放で、この男ももちろんですが女もOK、バイセクシャルなんですよね。そして人種も全部OKなんですよ。ジェニー・シミズってねすっげーかっこいいレズビアンの日系アメリカ人のモデルさんがいて、ある時期ケイト・モスなんかと同じ時期に一世風靡したモデルさんがいるんですけれど、彼女なんかとも実は愛人関係だったりね。
あとは、黒人のバスケットボール選手のデニス・ロドマンと付き合ってたりとか、ボビーブラウンにちょっかい出したりとかね、彼女自分の好みだったら性別も人種も年齢も何もかも超えていくんですよね。だからかっこいいよね、マドンナ。
今ね、何やっても許されるんですよ、マドンナがね。本当に本当に本当に大好きですね。
はい、ちょっとマドンナの話からね、本筋に戻ってですね。つまり、女性の性的価値、だから今でいうエロス資本ですよね。エロス資本を武器に女の人が力を持ったっていうね、最初の芽生えの時期だと思うんですよね。これがね、マドンナのような人が誕生し、そして日本では別にマドンナから影響を受けているという自覚はないものの、
エロス資本の幻想
私たちってエロス資本があるんだっていうね。女性たちがね、自分のその性的価値を活用すれば、男よりも男を手玉に取れるとか、男の人を利用して自分たちが欲しいものを手に入れられるかもしれないっていう、自分たちのその若さとかエロス資本の力を自覚し始めたんですよね。
で、その前の女性たちっていうのは、まだあくまでも男性たちの下にいるっていうことが普通というか当たり前だったので、自分がもちろん美しかったり、エロス資本がある方がもちろん得するっていうことは、いつの時代にも同じように自覚していたんでしょうけど、それをね、あえてフル活用にね、使っていくっていうことは一部の人しかおそらくしてなくて、
一般のね、一般大衆までもが、女って実は力を持ち得るんだっていうね、自分の若さとか、性的魅力で世の中をもしかしたら制圧できるかもしれないんだ的なね、そういった野心とかと結びつくっていうことが出てきたのがこの辺りの時代だったのかなというふうに思うんですよね。
でも現実はですね、まだまだ特に日本はやはり非常に男尊女卑であったし、そしてまだまだ普通の女性が男性社会の企業とかで働いていて、不利だったのはもう間違いがないんですよね。
女性がバリバリと総合職で男性並みに活躍できるっていうのはもうごく一部に限られていたでしょうから、そこで前回お話しした東電のエリート社員の女性の殺人事件の話にまた戻るんですが、この女性もですね、どこかで何かでキャリアの壁にぶつかったんだと思うんですよね。
いわゆるガラスの天井ってやつですよね。わからないですよ。もっともっと複雑ないろんな理由があるかもしれません。花武さん、観音さんの小説なんかにもまたいろんな違う解釈が描かれていました。
でもいずれにしてもですね、やはり一、女性がたとえどんなに優秀であっても、男性が一番力を持っている企業の中で声を発するということは極めて困難だったと思うんですよね。そこの限界にやはりぶつかったときにね、もしかしたらそこの答えがあるのかなっていうふうには思いますよね。
でね、だから彼女がなぜこういうエリート社員であると同時に夜の街に立って外証していたかということはもちろんわからないんですけれど、そういう彼女の人生に多くの人が興味を持つのは、やはりね、なんとなく男性社会で鬱屈としている女性たちの思いみたいなものを、多分彼女の選択にダブらせているところがあるんですよね。
で、それは何かというと、この女性がとても貴重面に毎日いくら稼いだかということを全部家計簿みたいなのに書いてたらしいですね。
例えば5千円かける何人相手したとかということを全部書いて、貴重面に自分の日々の数字を記録してたっていうことを見てもね、何かしら自分に評価付けしているような感じが私はしたんですよね。
つまり自分というのは今、女としていくらの値段が付くのかなっていうことは常に注意してたのかなとかね、思ったり。
例えば普通に会社で働いているとか学校で勉強している場合に、男性の生徒や男性の社員と女性が競い合っていて、同じだけ例えばいい点数を取っていたり、同じぐらいの営業成績を例えば稼いでいたとしても、
なぜか男性の方がいい評価をされて、女性がいい評価をもらえないっていうことが起こったときに、もう腑に落ちないというか理不尽ですよね。理由がないわけじゃないですか、女だっていうこと以外にね。
でもそこがね、分かってるようで分かってないし、分かってないようで分かってるみたいなね、いうところがあって、そんな時にですね、このエロの世界ですとね、明確に自分が女だっていうことで評価が出るわけですよね。
若ければ若いほど価値が上がったり、様子が綺麗だとか、プロポーションとか胸の大きさとか、いろんなことで評価が上がったり下がったりするんでしょうけれども、そこはものすごく明確な世界で、そこで自分が女としての評価付けがいくらになるのかっていうのがね、ある種の心地よさがあったのかなっていう気がするんですよ。非常に言いにくい話なんですけれどね。
だから会社でとか学校で一生懸命勉強したり、会社でいい成績を収めても、そこでどう考えても自分が挙げただけの成果が正しく評価されてないことに対して、こちらのエロの世界ではですね、君女の子だからとかね、若いからとかね、そういったことで評価付けされて、なおかつそれで売り物になると自分を評価してくれて、
中には買ってくれたり、もてはやしてくれたりとかする人たちがいるっていうことに、ある種の快感というか喜びを感じたのかなっていうね、ちょっと本当に推測の息を出ないんですけれども、ちょっとそんな感じがしたんですよね。
だからつまり、力を持たない女性たちがエロス資本を使うことによって力を持てるかもしれないというね、幻想を抱いてやるのかなという感じがするんですね。
女性の現実と未来
でも結局はね、これはもう完全な幻想なんですよね。マドンナのように明確なビジョン、野望、絶対に成し遂げたいと思っている目的意識みたいなものがあってこそ、この戦略を使ったわけですよね。
この戦略を使わなくていいんであれば別に使わなかったと思いますよ。
彼女が男だったらもちろんこんな手は使わないわけなんで、いやわかんないな、男でも使ったかもしれませんね。
若くて美しい男がね、芸の大金持ちを手玉に取ってみたいなね、何をやってもかっこいいサクセスストーリーになると思うんですけれどね、マドンナであれば。
だけどそうではなくて単に自分のアイデンティティとか、自分の評価付けのために自分のエロスみたいなものを切り売りしていった時に、そこは空洞化していきますよね。
はい、というわけで今日は非常にね、コントラバーシャルな話をしているなというふうに思うんですけれども、ちょっとこの話はもう少し続けたいなと思います。
はい、それではごきげんよう。