1. 現役リフォームプランナーの業界裏話
  2. 聖母と悪女とマドンナ旋風 #430
2025-08-25 21:43

聖母と悪女とマドンナ旋風 #430

女性には、聖母と悪女、2つの基準が設けられているというお話です。

▽映画『エリン・ブロコヴィッチ』 ✴︎大傑作!
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サマリー

このエピソードでは、日本の政治における女性の役割や、それに関する社会的なダブルスタンダードについて考察しています。土井孝子さんの登場や、マドンナの影響を通じて、リベラルな女性像とその受容について語られています。エリン・ブロコビッチという映画を通して、女性のエンパワーメントやセクシーさを両立させる重要性が論じられています。特に、ジュリア・ロバーツが演じた主人公の実際の事例を通じて、タフな女性像が描かれています。

日本の二大政党制と土井孝子
お聞きの皆さま、お運んばんちは、現役リフォームプランナーの寸尺かんなです。
今日こそ、世代の話の続きをしようと思うんですけれども、時はですね、1990年代ぐらいですね、また。
この辺りとかですね、1980年から1990年というのは、日本は、自由民主党と、あともう一つのね、二大政党というかね、
自由民主党がもちろん強かったんですけれども、もう一つがね、日本社会党という党があるんですよ。
今の社会民主党ですよね。今だから福島みぞほさんが党首になってますかね。
とにかくこの社会党っていうのが、だから自民党が保守で、この社会党がリベラルっていうことでね、あったんです。
この後、徐々にですね、日本もアメリカのように二大政党制にした方がいいんじゃないかっていうことでね、いろいろ出てきて、
民主党が出てきたりとかね、いろんな動きがあって、結局でもこの小澤一郎さんとかをね、
筆頭にだいぶ頑張ってね、この二大政党にしようという動きはあって、今もそれはなくはないんでしょうけど、結局未だに実現してませんよね。
話を戻して、今の日本、民社党になるんですかね、ごめんなさい、社民党ですね。
社民党の前身である社会党、ここに土井孝子さんというね、当時女性のリーダーが、
だいだいここはリベラルであるっていうことを歌い文句にしているせいか、女性が党首になることが多いんですよね。
今の福島みずほさんを例にとってもね。
当時ですね、この社会党の土井孝子さんがね、すごいブームになってですね、
なんとこれがね、マドンナブームとか、マドンナ宣布、おたかさんブームとかね、そういう呼び方をされて、
すごく女性のこの土井孝子さんの、ある種のリベラル運動みたいなものがとても脚光を浴びたんですけれども、
ここからは非常に言葉を気をつけて話さないといけないんですけれども、
この当時の日本の女性の政治家をイメージというか思い出していただきたいんですけれども、
この土井孝子さんを筆頭にですね、みんなすごいショートカットでね、七三和系みたいな髪型をするんですよ。
そしてなぜかピンク色とかね、パステル系の色の服を着てね、
割と厚めのメイクをして、とても真面目なイメージではあるんですけれども、
ちゃんと一応女性としての見出し並みは整えたみたいなね、
女性の政治家というとこういう人がどさどさいたんですよね。
よりにもよってですね、これが時代が1990年前後ということで、
当然私が敬愛するアメリカのアーティストのマドンナもいたのでね、
当然このマドンナに引っ掛けてマドンナ宣布って言ったんですよ。
非常に不愉快だったんですね、当時から。ふざけんなと思って。
こういう政治家と大好きなマドンナと引っ付けてるっていうこと自体が非常に不愉快で、
女性に対するダブルスタンダード
でもね、ここからだから多くどいですけれども、非常に気を付けて話をしていきたいんですが、
ことほど左様にですね、女の人は、これは日本に限ったことじゃないんですけれども、
これは世界全て共通だと思うんですけれど、女性にはダブルスタンダードというね、
2つのスタンダードが存在してるんですね。これは男性にはないことだと思います。
何が良い悪いという話じゃないんで、何がどうダブルスタンダードかというと、
女の人には2種類存在するんですね。だから、肩や正常、真面目な、
聖母のようなイメージ、だから母、良き母、良き妻、良き娘っていうね、
非常に清純で真面目なイメージが聖母グループになるんですよ。
肩や悪女、こちらは売春婦とか愛人とかね、そういう男性の性的ファンタジーを掻き立てる、
闇の女性というんですかね。だから表と裏があるんですよ、女の人にはね。
だから2つの面が、2つの面というか、完全に女性を2つのカテゴリーに、
真っ二つに分けていて、これは当然男性が設けたスタンダードなんで、
男の人の理想を2つの女性のグループに分けて、どちらも男性にとって理想の女性像なんですよね。
肩や理想的な母、妻、というすごく清純な聖母のイメージの女性も必要とする一方で、
自分たちの性処理としてね、セクシーで大背的な女性というのも同時に求めてるんですよね。
だからそういった自分たちの男性としての性的ファンタジーを満たす、
そういう売春風的な女性たちも同時に求めていたんですよ。
だけどこの二面性というのは、絶対に一人の人に同時に存在してはいけない特徴なわけですよね。
だから実は一人の女性の中に非常に真面目な妻であったり、母であったりする一面と、
同時に夜になるととても奔放な性的欲求が強い女性であるとかっていう、
この二つの面が一人の女性の中に共存しては絶対いけないんですよ。
男性はここは明確に分けたいんですよね。
自分のお母さんとか奥さんとか娘がですね、実は裏の顔があってめちゃめちゃ性的に奔放だったりとか、
正当作者だったりしたらめちゃめちゃ困るわけですよ。
それは自分たちの社会的な評判であったりとか、自分たちの生活そのものを裏で支えてくれる女性が、
こういう奔放な女性であってはやばいっていうことがあって、そこはもうすごくお堅い女性で、
もちろん処女で結婚して、ずっと男は自分しか知らないっていう女性であってほしいわけですよ。
娘も当然ずっと処女として育てて、自分が認めたしかるべき家柄のちゃんとした男性と縁組みして、
またそこでしかるべき子供たちを育てていくっていうね、そういう役割しか求めていない女性たちがいる一方で、
自分たちのそういう性処理をする女性たちっていうのはこちらはですね、逆にどこまでもセクシーで退廃的であってほしいんですが、
逆にこの女性たちには、そういう普通の家庭人としての幸せっていうのは得てはいけないっていうのがあるんですよね。
この人たちは結婚して子供を持ったりとかしてはいけなくて、あくまでもとても要するに自分たちの性的欲求をかきたてるときに生活感があっては、
なえるじゃないですか。実はこのセクシーな女性が実は子持ちのお母さんだってなるとね、
途端に何かをなえてしまうっていうのが多分あると思うんですよね。だからどこまでもこのセクシーな女性たちっていうのはセクシーに特化してなければいけないっていうね。
だから女性っていうのは2つのグループにずっと分けられていたんですが、私がもう重ね重ね言うように、
マドンナっていうねアメリカからこのすごい女性が出てきたことがどれぐらい画期的だったかっていうのは、
マドンナの影響と女性の解放
一人の女性が要するに両党使いだっていうことだったんですよ。非常にビジネスマインドでめっちゃ頭良くて、
すごいいろんなパイオニア的な性格があるんですけれども、同時に非常にセクシーで非常に奔放で性的にとても大胆な女性だったっていう、
この両方を持ち合わせた女性っていうのが出てきたっていうことが、とてもとてもとてもとても画期的だったんですよね。
だからもちろんこういう女性は影に隠れていたかもしれませんよ。今までもね。
でもこれが公明盛大に出てきて、しかもとてもみんなから人気があり、特に男女ともに人気があって、
さらに女性たちから特に支持されたっていうことがとても画期的だったんですよね。
マドンナっていうのはとてもいいタイミングで、ちょうどいい感じで自分のプロデュースに成功して出てきた人だと思うんですよ。
これがちょっと50年前だったりとかすると早すぎて潰されたでしょうし、逆に今の時代にマドンナが出てきてももうちょっと遅いというかね、
そういう人は結局今活躍している女性たちってほとんどがマドンナの子供みたいな人たちなので、
マドンナがまだ今の時代に生まれてたら、ちょっとだから女性の解放とかっていうものがその分遅れていたのかなというふうに思いますよね。
つまりですね、マドンナを含めて、マドンナが私は一番の突破口だったと思いますが、
日本でもですね、前回ちょっと前にお話ししました文学界からは山田英美のような人とかね、
漫画では内田俊樹子のような人とかね、いろいろそういう非常に解放された性的にも奔放でオープンな女性たちっていうね、
今までにはいなかったタイプの女性たちが登場してきたということで、ちょっとね徐々に女性の風向きが変わってくるわけですね。
だから今までの男性から押し付けられている、そういう2つのダブルスタンダードっていうね、
性母か悪女かっていうね、このどっちかしかダメなんだっていうことがね、徐々に女性たちが、
それではね、もう納得ができなくなってくるっていうふうに変わってきたと思うんですね。
だからこの土井孝子さんに私は何の別にあれもないんですけれども、恨みも批判も、ただこういったタイプの議員を良しとするって思った女性が果たしてそんなたくさんいたでしょうかね。
特に若い人たちからしたら、この人を自分たちのリーダーとして仰ぎ見るっていうのがね、
同じマドンナだったら、そりゃあマドンナがいいだろうっていうね、思ったりしませんかね。
だからつまりね、ここでもこういう女性がなぜ議員に多いかっていうと、これは男性たちが自分たちとともに働くというかね、
一緒に政治の仲間として迎え入れるにあたって、こういう女性のイメージを求めているからなんですよ。
これ別にみんながこれがすごくスタイリッシュでかっこいいわと思ってやってる人は誰もいなくて、
政治家として頭角を表すためには、男性たちが望むこういう姿と振る舞いとか様子であってほしいっていうところを踏襲すると、
この七三和家のおばさんたちが誕生するっていう仕掛けになってると思うんですよね。
これは全く社会でも同じことが起こっていて、例えば会社で今はね、どんどん変わってきてると思いますが、
私が若かった頃は女性で、やはり男性社会でね、受け入れられて出世していくためには女々してない方がもちろん良かったというか、
そういう女性性みたいなものは封印した人たちがやはり男性たちから可愛がられたと思います。
だから可愛がられるのが別のパターンがあるわけですね。
だからすごく接待要因として若くて可愛い女性たちは、だから富士テレビがやったようなことですよね。
ああいう接待要因としてホステス役としては可愛がられたりしたことがあったとしても、
まともに自分たちがビジネスで目をかけてやって出世させようというね、そもそも女性をそこの中に入れてない上にですね、
その狭き門の中で多少なりとも男性の上層部の人たちに気に入られようと思ったらですね、
ある種この土井孝子とか福島瑞穂のような感じの会社員版みたいなのをやらなきゃいけなかったんですよ。
これそんなセクシーで胸を谷間を強調したようなね、
すごく女性の体の曲線美とかを強調したようなファッションだったり、すごいミニスカートを履いてたりとか、
もちろんそういったことがビジネスの場にふさわしくないというのはもちろんあるんですけど、
そういうことを置いておいたとしてもやはり女性としてあまり魅力的な人は、
男性社会で企業で上に上がっていくということにおいてはね、
真面目にビジネスやってる人じゃないんだという目で見られるっていうのは確実にあったんですよね。
昨日お話ししたプリティ・ウーマンなんですけれども、
皮肉にもこんな映画に出てしまって大スターになったジュリア・ロバーツなんですけれども、
おそらく彼女はねこれ自分でも恥じていたと思うんですね。こんな映画に主演してしまったことが。
この映画はだからつまり売春風で道に立ってね、商売していたらたまたま大金持ちのハンサムな男を引っ掛けることに成功して、
この男のおかげで玉の腰に乗るっていうような話をとてもきれいな物語に仕立ててね、
描いてしまった映画なんですよね。
エリン・ブロコビッチの物語
だからこれはねやはり同じ女性としてやってはいけない映画に出たなっていうのは絶対あったと思うんですよね。
私ジュリア・ロバーツの別にインタビューとかをあちこち漁ってフォローしてたわけじゃないんでね、
そこは私も確認を取ってるわけじゃないんです。ただ絶対そう思ってたと思うんですよ。
でその証拠にですね、このだいぶ後にエリン・ブロコビッチっていうね、映画に主演して見事これでアカデミー主演女優賞を受賞するんですよ。
エリン・ブロコビッチっていうのは、ブルーカラーのシングルマザーがですね、
アルバイトで潜り込んだね、この弁護士事務所でたまたまですね、ある地域で大手企業が有害な物質をですね、川に流していたということで、
このあたりからですね、やたら健康被害が出ているっていう事実を突き止めるわけですね。
この人たちの調査をもうすごく地道にね、コツコツとやった結果、
やはりですね、ここ大手企業が作っている製品に含まれている有害物質が垂れ流されていて、それによってこのエリアに住んでいる人たちが、
いろいろあの健康被害にあって、がんになったりして亡くなったりしているケースもあるってことが分かったというね、
あの史実というか実際に起こった事件を元にした映画なんですよね。
これで彼女はですね、これは事務員としてね、アルバイトに入ってたんですけれど、この事件を担当させてくれということで、
ここの弁護士事務所の社長にね、直談判して、彼女はこれものすごい努力をして、結局これはもう全米史上最大の和解金をね、
勝ち取ったということで有名な、自断で成立した社会的な事件の映画なんですよね。
これをこのエリン・ブロコビッチという主人公が成し遂げるっていうね、これこそがですね、本物の女性のエンパワーメントムービーであり、
しかもですね、さらにすごいのはこれ、実際に本当にあった出来事なんですよね。
このエリンさんはですね、このモデルになった女性というのは本当に、このジュリア・ロバーツがこの映画で演じたように、
いつも胸の谷間を強調したピチピチの服で、セクシーな格好でね、いつもこの弁護士事務所にやってきてですね、
でも周りの同僚たちもすごく白い目で見てたんですよ、最初はね。若くて綺麗かもしれないけど、
なんかもうやっぱりその会社員というかね、その社会人として場にそぐわないということで、すごく彼女をアルバイトから外せとかね、
いろいろそういうふうに外圧もあったんですが、社長さんが何とか彼女を守り抜いてですね、
結果彼女はすごいことを成し遂げて、見事に弁護士というかね、弁護士の多分免許は持ってなかったんで、何か彼女のためにある役職を与えてね、
今でも彼女はここの弁護士事務所でバリバリと活躍しているっていう話なんですよね。
で、その彼女はいつもミニスカートにね、胸の谷間を強調したファッションにハイヒールを履いて、いつもこの弁護士事務所に出勤してくる女性なんですよ。
で、これを派手な格好で会社に来ないでくれって言って、注意するとですね、私は今まだ30いくつだと、まだ若いんだと、
この格好が似合っているんだと、だから似合っているうちに、この格好して何が悪いんだって、私のエロス資本というのは、今が頂点なんだから、今似合っているうちにこの格好をさせてくれっていうようなことを言うんですよね。
いや、すごいよと思って、これもマドンナですよ。
これこそが、だから女性がセクシーで魅力があると同時にですね、できる女であるということが両立しえるんだっていう、
本物のエンパワーメントムービーがエリン・ブロッコビッチなんですよね。で、見事にこれでアカデミー賞を受賞したっていうことを見てもね、ジョリア・ロバーツがプリティウーマンのイメージを払拭したかったことは間違いないと思うんですよね。
はい、というわけでね、ちょっとまた話が途中なんですけれども、つまり女性には常にこのダブルスタンダードがあったと。
女性のエンパワーメントと政治
性母か悪女か、その二択を男性たちから用意されていたんだけれども、ちょうどこの90年代あたりからですね、女性たちが選ばなくていいんだと、どっちでもいけるんだっていうふうに思い始めた、その意識が変わってきた時代がこのあたりだったんだけれども、
当時の日本を見るとね、このマドンナっていう言葉を本当には正しく全然認識できてなくて、女性が頑張ってるねっていうことで、おじさんたちが適当にこの女性の議員にマドンナってつけちゃったっていうね、非常に恥ずかしい言葉の間違った使い方をしてたっていう事例についてお話ししたんですよね。
だからですね、例えばもしマドンナがですね、本当にもちろん絶対やらないと思うんですが、マドンナがアメリカ大統領に立候補してくれたら、私は当然別に投票権ありませんけども、もちろんマドンナに入れますよ。
だから、どういうリーダーというかね、どういう人を女性たちが尊敬したり仰ぎ見たり憧れたりするかっていうところの認識がですね、男性は全く理解できてないんだと思うんですよね。
このエリン・ブロコビッチもそうなんですけれども、頑張ってる女性、輝いてる女性がですね、七産分けで、なんかみっともないね、あのパステルピンクのスーツを着てるっていうような人を、女性が応援したくなるかっていうと、絶対そんなことないっていうところが、おそらくおじさんたちは全然読めてないっていうか、いまだに読めてないんじゃないかなと思うんですよね。
この流れっていうのは、小池百合子さんのね、あの緑の、なんだっけ、緑のなんとかって言ってましたよね、あの旋風とかにも結局来ていて、小池百合子さんのことを好きか嫌いかは別にして、なぜ彼女があれほど人気があって、一方で自民党のおじさんたちが小池百合子が大嫌いなのかっていうことが、ここで理由がわかると思うんですよね。
女性たちは小池百合子さんのそこはかとなく漂うね、熟女にも関わらず、必ず彼女は膝よりも上のミニスカートをね、割と膝上丈のスカートを着用し、そこはかとなくね、ちゃんとエロス資本をちゃんと使ってる女なんですよ。
いろいろ学歴差症とかもろもろいろいろあるんですけれども、彼女はね、やっぱり私が言うマドンナセオリーにのっとった戦略をとってるんですよ。だから彼女はめちゃくちゃ女性から指示を受けていて、でもおっさんたちはですね、ああいう女性は認めてないんですよ。
セクシーな女が政治家だったりとかビジネスパーソンであったりしては絶対いけないっていうことをね、今も堅く信じているおじさんたちが一定数いるんで、小池百合子はね、だから嫌われるんですよね。
はい、というわけで今日はここで終わります。続きはまた次回といたします。ごきげんよう。
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