美容とフェミニズムの視点
お聴きの皆さま、おはこんばんちは。現役リフォームプランナーの寸尺かんなです。今日は、いろんなスタイフ仲間たちが、化粧とか美容整形とか、そういったことの話をみんなでしているので、私も便乗しようと思うんですけれども、
美容ね、私はそんなに詳しいわけでも、特にこだわりが強いわけでもないんですが、
私は高校生ぐらいから、やはりだんだん尖がってきて、その頃、私は結構パンクロックとか、そういったちょっと激しめの音楽にかぶれていた時期で、徐々にそういったちょっと左翼的な色合いを濃くしている若者だったんですよね。
その頃、徐々にちょっと頭でっかちな、可愛げのない、思春期らしい子供で、なんで女ばっかりが綺麗にして、おしゃれにして、化粧をして、特にハイヒールとか、自分の体を締め付けるような下着をつけたり、
何かと男性から、都画性的な目で見られて、しんどい思いをするので、それをさらに助長するかのように、綺麗にしなきゃいけないということが、どうにも納得できないというような、わりと青臭い考え方をしている時期があったんですよね。
これはある意味、60年代から70年代の、そういったヒッピー文化とか、そういったものに対する憧れとかもあって、あの頃っていうのは、ボヘーと髪を長く伸ばして、服もゾベーと、一見汚く見えるような格好をして、
外見的な美しさよりも、内面の美しさとか、心の自由とか、そういったことをより重要視するという、そういう価値観だったので、そういった頃の音楽とか文化に被れていたので、特にまたフェミニズムですよね。
この同じ時代、60年代から70年代というのは、フェミニズム運動、ウーマンズリベレーションの略なんですけれども、こういった動きが活発だった時代だったので、これはまさにうちの母親が若者だった頃に、こういった時代のうねりの中にいたんでね。
私は、いろいろ母親から影響を受けてますので、自分も若者になった時にこういう思想に、自分の時代は全然、自分の幼少期っていうのは80年代だったんですが、より物質的で快楽的で、植物的な文化だったことをすごく批判してたんですよね。
だから自分の親たち、前の世代の文化とか歴史の方が、より高尚だったっていうね、より豊かで素晴らしいものだったんじゃないかっていうね、そのカイコ主義的なところがあったんですよね。
で、女ばっかりがね、こうやっておしゃれしなきゃいけないとかっていうのはおかしいみたいなね。
ちょっとそんなことを思ったりし始めてたんですが、ある時、母に、ちゃんとね、もうお金あげるから、ちゃんとね、メイク道具一式買ってこいと。
マドンナの影響
で、今の流行りとかがあるから、詳しくは教えてあげられないから、雑誌でも買ってね、ちゃんと勉強して、買ってきてくれたのかな、こういうメイクのハウトゥーみたいなね、本を。
で、ちょっとね、これ参考にして、ちゃんとね、化粧を覚えろみたいなこと言われたんですよ。
で、さらに、だんだんね、思春期になってくると、女の子も毛深くなってくるんですよね。
顔も、いろんなところから、あの、無駄毛がね、だから眉毛とか、あの、あと、この、口周りのヒゲとかもね、女の子は女の子でやっぱりね、毛深くなるんですね。
で、もちろん脇毛とか、この陰部の毛とかね、足とか腕とか、毛深くなってくるんですよね。
で、こういったものも、ちゃんと処理しなさいっていうこと言われたんですよ。
でも、びっくりしちゃって、母はどちらかというと、あのね、ほとんどいませんでしたし、で、たまに会っててもね、そんなにいろいろな感傷してくるタイプじゃなかったんですけれど、このことに関してはね、結構バシッとね、きつく言われたんですよね。
えー、なんだよと思って、で、あんまりその時はね、言うこと聞かなかったんですが、そこへですね、あの、とある、あの、私にとっての、神様が登場してくるんですよね。
えっと、1980年代の半ばぐらいに、ある、あの、まあ、すごい、あの、女性が人類に登場してくるんですよ。
で、それがマドンナだったんですよね。
で、私はもう、マドンナを見てね、最初はね、下品な人が出てきたなと思って、あんまりね、好きじゃなかったんですよね。
えっと、同じ時代に、シンディ・ローパーっていうね、あの人もいて、この人の方が好きでした。
ところがね、えっと、このマドンナが、初めて日本に来日してくるんですよね。
で、えっと、ベストヒットUSAっていうね、当時、小林克也がやっている音楽番組があって、ね、私たちの世代前後の人は、もうこの番組で、その後MTVが出てくるんですが、このね、あの音楽番組の影響っていうのは、もうすごく受けてるんですよ。
で、えっと、ちょうどこの時代が、まあ音楽を音楽として聞くだけじゃなくて、このね、ミュージックビデオを作るっていうことがセットで、えっと、こう、セットで、あの、なんていうかな、プロモーションする時代に変わっていってたんですよね。
だから、あの音楽がいい。プラス、これ、あの音楽を実際にこのアーティストたちが歌ったり踊ったりしている映像がセットになる、そのなんていうかな、複合芸術みたいな時代に、まあ、ここから変わっていくんですよね。この時代の申し子が、やはりマイケルジャクソンとマドンナになるんですよね。
で、まあ、私はだからあまりピンと来てなかったんですが、えっと、マドンナがまあ、とにかくこのベストヒットUSAに出たんですよね。出演したんですよね。で、えっと、小林克也がね、一生懸命このインタビューしてるんですけれど、この時ね、マドンナはね、本当にめちゃくちゃ機嫌が悪くって、で、まあ、これ後でね、後日談で小林克也がね、あのあの時マドンナが機嫌悪くて大変だったんだよって話を後で聞いてるんですが、
実際ね、これをね、リアルタイムで私、テレビで見ている私でさえね、マドンナが気だるそうにね、なんかもう感じ悪くね、答えてるのは、なんかもう見てわかるんですよ。
何この人も、品もないし、やっぱり感じ悪い嫌な女だわと思って見てたんですよね。で、そうすると、えっとね、カメラがね、ずーっとね、この撮影してるカメラがね、マドンナにすーっとこうね、近づいていくんですよ。アップ撮るためにね。
そうしたらね、マドンナね、なんかじーっとね、カメラが近づいてきたらね、じろっとカメラの方を見てね、じーっとね、カメラににらみつけてるんですけれど、そしたらね、急にね、にらんでたのに、ニコって笑って、パチってウインクしたんですよ。
で、これで私はね、もう完全にノックアウトされて、もうそっから今に至るまでずーっとマドンナが大好きなんですよね。うん、でも本当になんて、なんて綺麗なね、チャーミングな人なんだろうっていう風に、もうガラッとね、評価が変わってしまって。
で、私はもうマドンナ、ビフォーマドンナとアフターマドンナで、もうね、まるで何もかもがね、変わったと思うんですよね。で、その後私はアメリカの大学行ったんですけれども、もうこの時すでに、マドンナはまだね、まだ若いんですよ、今思うと。
30代だったんですが、30代の中間ぐらいのまだ若かったんですけれども、この時すでに、アメリカの大学はね、だからそのちょっと前にリベラルアーツっていうね、要するに一般教養を身につけるのが大学だっていう話をちょっとしたことがあるんですが、ここでね、
ウーマンズヒストリーとかね、ウーマンズスタディっていうのも必修の学科に入っていたんですね。これは特に女性が撮ってましたが、男女関係なく撮るんですよ。やっぱり女性の今までのこのいろんな歩みっていうのもちゃんと撮らなきゃいけなかったんですよね。
で、このウーマンズスタディで、マドンナはね、出てくるんですよ。テキストの中にね。で、ちゃんとね、これで一つワンレッスンが、この一つの講義がマドンナの2時間っていうのがありました。ものすごく面白かったですね。
だからもう、マドンナっていう人が、人類における女性の生き方をどれほど変えたかっていうね、象徴的な存在だったっていうことなんですよね。私は、化粧とか美容の話から、どこに帰結するんだっていう感じなんですけれども、マドンナが教えてくれたんですよ。
女の人が美しくて、若くて美しくて、ちゃんとメイクして綺麗にして、男にモテていたとしてもですね、それでも自立していて、ちゃんと自分の考えがあって、自分らしく生きることは可能なんだということを教えてくれた最初の女性なんですよ。
で、女がだから魅力的であってもいいんだっていう。だから女が、それまでっていうのはですね、過去の60年代から70年代のウーマンズ・リブンの時代っていうのは、ある種、女性が男性と同じように人権とか権利を認めてもらうためにはですね、一旦そのブラジャーとかメイクとか、そういった女らしいと、要するにこれは男性が決めつけたものだっていう考え方が裏にあるわけですね。
男が決めた女性らしさとか女性の美しさというものを一旦脱ぎ捨てると。捨てて、あるがままで、女というあるがままの一人の人間として認めさせようっていう、そういう運動だったんですけれども、そこから80年代になってですね、女は女で別に美しかったりセクシーだったりしたっていいじゃないと。
だからといって、女が美しかったとしてもセクシーだったとしても、だからってバカっていうふうに決めつけられる道理はないっていうね。ちょっと私がうまく説明できないんだけど、つまりどうであろうとね、見た目と女性の見た目と、それから内面っていうのは両立しえるんだっていうことを、
現代における彼女の姿
マドンナが身をもって体感してくれた女性なんですよね。だから彼女は、私は世界を征服するって言ってのけた人なんですよね。実際に本当にポップミュージックで彼女は世界を征服したんですよね。
男性が手に入れている権利は全て手に入れるということを豪語して、実際に富も社会的地位も名誉も成功も何もかも手に入れていくんですよね。そしてキャリアを優先して、後本当に心から好きだったショーン・ペンとの結婚は長続きしなかったりとかね、人間としてはすごくいろんな苦労もされてるんですよね。
若い頃にレープされたりとか、女としてはすごく苦労してたんですが、中年になってからちゃんと結婚して、子供を作ってね、今のルルドちゃんですけどね、マドンナにそっくりな娘がいるんですけど、この娘を作ったり、養子を迎えたり、その後ガイ・リッチーっていうイギリス人の映画監督とまた結婚して、この人との間にも子供を産んだりして、また離婚したり。
今はもう孫と言ってもおかしくないぐらい、20代の彼氏と付き合ったりとかも、いろいろ派手にやってるんですよね。正直ですね、今はもう整形しまくってて、マドンナは。でもちょっとね、それは辛いんですよね。長年のファンからすると、マドンナがもうあそこまでいじくり倒して、あれだけキレキレの動きをしていたマドンナなのでね。
たぶんね、今、例えばローリングストーンズのミック・ジャガーとかが80歳過ぎても、あんなに元気で、それなりに大変なんだと思うんですけど、それでもね、ステージ上を少なくともね、このライブやってる時はね、結構元気に動き回ってるのを見たら、マドンナだったらあれだけ体も鍛えててね、もう十分まだまだ60代の今も活躍できてると思うんですが、
やっぱりね、あの整形しまくってるせいで、やはりね、ちょっと弱ってるように見えるんですよね。去年までやってたワールドツアー、結局日本には来ませんでしたけれども、あれのライブ映像とか見ていても、やっぱり動きが悪いんですよね。
だからもう、お尻を大きくしたりね、いろんなところの脂肪を吸引したり、寄せたり上げたり、いろいろして、顔ももうあっちこっち引っ張り上げたりとかしまくってるんで、もう顔がもうパンパンに広がっちゃって。
ちっちゃい顔だったのに、なんかもうどんどん横に広がってて、なんかもうちょっと見てて痛々しいんですけれども、これもですね、彼女豪語してたんですよね。私が自分の体と顔に何したって私の自由でしょっていうことを言ってて、そりゃそうだって思ってね。
あとはマドンナはね、やはり男性に並ぼうとしているところがあるんですよね。男性が社会的に成功して富を得ると、今のトランプもそうですけれども、自分の娘ぐらいの女性と愛人にしたり妻にしたりとかしてるじゃないですか。
それと同じことを私も女だけどやってやるっていうね。やはりね、ちょっとそういうマドンナ独特の反骨精神があるんですよね。だけどずっとマドンナを尊敬し続けているんですけれども。
もうちょっとね、私はやはりマドンナよりも次の世代なんでね、マドンナが開拓して、より女性が生きやすい社会をマドンナが作ってくれたその恩恵を受けている次世代の人間として、もうちょっとね、やっぱりマドンナよりは肩肘を張らずナチュラルに、そこまでね、男性と競い合わなくていい社会に生きているというふうに思うので。
マドンナがね、ここまで無理やり自分の外見とかの若さを美しさをね、維持して、そしてまあ無理くり20代の男性と付き合ったりっていうね、ここまですることが女性のリベレーションになるのかどうかっていうのはちょっと疑問ではあるものの、
ただマドンナが今までこう私たちに示してきてくれた、女の人がここまでやったっていいんだよっていうね、女の人が女であると同時にね、ここまであの社会的に成功することも富を得ることもね、そしてなおかつ男の人と男の人っていうかなその恋愛とかそういったものを享受することも許されているんだよとね、
女が男からではなくて自分から主体的にそういったことを勝ち取っていけるんだよということをね、やはりこれほどわかりやすく明確に示してくれた人はやはりマドンナなんですよね。
だからどんなそういう社会運動家、日本にも立派な社会運動家、女性のフェミニストたちがいますが、私はどんなフェミニストよりもマドンナのやってくれた、女性を開放してくれたマドンナの功績っていうのは大きいと思ってるんですよね。
男女の美しさ
なんか話がどんどん脱線していっているような気がするんですけれど、やはり、男の人にどういう性的な目で見られようが、見られまいが、自分が自分を美しいと思えるということ、これが大事なんだということなんですよ。
マドンナはもう今いろいろ成形していて、それに対して私を含めて賛否あると思うんですけれども、自分が自分を美しいと思いたいっていうね、そのためにやってるんだと。だから誰からの評価という以上に、自分がこういう自分でありたいということのためにやってるんだとマドンナが言うんであれば、そりゃそうだよねと。
っていうふうに思うので、この単純に女性がメイクしたり綺麗にしたりするっていうことが、これは男性のためにやってるっていうことではないというふうには思うんですよね。これはだからもちろんしない方が自分らしいと思うんだったらしなくていいと思うんですよね。
例えばそれこそ、自然の中で活動するような仕事とかってありますよね。私が例えば自然保護の活動したりとか、国立公園でいろいろその自然の研究したりとかするような学者とか研究チームに所属していたり探検家だったりとかね。
そういう人が別に綺麗にお化粧したりとかして山登ったり、大自然のジャングルの中探検したりとかっていうわけに行きませんよね。こんなところでは自由に水も電気も使えないのでね、それはもう最小限の身だし並みで、そんなことよりも生存、厳しい自然の中で生存していくことが最優先されますので、そんなところで別にメイクする必要はないと思うんですが。
やはりこういった普通に都市生活をしている中で、ビジネスとかそういった普通に社会的な生活を営む中でね、やはり女性が男性からどう見られるかっていうことではなくて、自分がやはり少しでも身だし並みをきちんとしてきれいでいるということで自分の自己肯定感が上がる。
自分にちょっとでも自信がつくっていうことはすごく大事なことかなと思うんですよね。
それが一番の条件で、そこからですね、やはりきれいにしている。別に容姿が美しい美しくないっていうだけじゃなくてね、そういうことじゃなくて、やはり身だし並みをきちんとしている人っていうのはやはり当然異性からだけじゃなくて、同性同士からも敬われるというかね、大事にされるっていうこともあると思うんですよね。
あともう一つはですね、男性がじゃあ何も女性と比べてね、何もやってないから不公平じゃないかというこの議論も、実際男性は今でこそね、若い男の人がメイクをし始めたりしているので変わってきましたけれども、今まではですね、今までというかこの大昔ね、それこそあの昔の、例えば平安時代のなんか男の人も綺麗に貴族の男性なんかを化粧してたし、
ヨーロッパとかも宮廷の男性とかをお化粧してますよね。だから男も化粧している時代っていうのは何度もありますので、ただここ直近のこの何年間というのは男の人がメイクするということはなかったんですが、メイクしない代わりに男の人ってね、逆に女の人よりも身だし並みが難しいですよね。
ごまかしが効かないというか、やっぱり髪の毛の量が減ってきたらすごくやはりバカにされたりするし、身長の高さとかっていうのも女性以上に厳しい目で見られてますよね。足が短いか長いかとか、そういったこともすごく厳しく見られていて、逆に女の人の方がこういった身体的な欠点も隠す術がいっぱいあるんですよね。
ちょっと足が短くても服装でスカート履いたりパンツ履くのでも変わるし、あと下着の着け方で胸も大きく見せたりちっちゃく見せたりできるし、ハイヒール履いたりすることで身長のある程度高低差もつけられるし、女の方がいろいろ潰しが効くのに対して男性は全然潰しが効かないから結構大変だと思うんですよね。
男の人は男の人でやはりルッキズムに晒されているし、そんな中で男の人は男の人で一生懸命ちょっとでも見栄え良くしようと努力していると思うので、これはお互いに男の人は男の人で単に女性から良く思われるっていうことだけじゃなくて、やはり男性として自分がかっこよく見せるっていうことは自分の自己肯定感を上げるってことにつながるので、
やはりここでも男女ともに見栄えを良くしておくっていうことはそれなりにいい効果があると思うんですよね。だからもちろん時間を食うだとか、金がかかるとか、必要以上にやりすぎるのは良くないとか全部その通りだと思うんですが、だからといって完全否定はちょっとできないのかなと思ったりして、そんな話をちょっとしてみました。
人それぞれですけれども、やっぱり自分の性別を存分に楽しむっていうことは良いことだと私は思うんですよね。女が女らしくする、男が男らしくする。やはり男の人の美しさと女の人の美しさって全然違うんでね、そこはね。
だからそのそれぞれの美しさを最大限に生かすっていうのは、やはり悪いことじゃないというふうに思います。はい、というわけで今日はこれで終わります。ごきげんよう。