1. 現役リフォームプランナーの業界裏話
  2. 女もマッチョ化する時代#431
2025-08-26 21:33

女もマッチョ化する時代#431

女と世代シリーズの続きです。

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サマリー

ポッドキャスト「女もマッチョ化する時代」では、女性の魅力が男性だけでなく女性自身にも重要視される時代の変化が論じられています。特に、マドンナのようなセクシーな女性が新たなロールモデルを提供し、自己表現の自由を促していることが強調されています。現代の女性たちは、自己実現や野望を追求する中で、セクシーさを兼ね備えた理想的な女性像を求めています。この変化は、自己啓発ブームやインフルエンサーの影響を受けて、女性が自らの魅力を活かして成功を目指す傾向が強まっていることを示しています。

セクシーな女性の需要
お聞きの皆様、おはこんばんちは、現役リフォームプランナーの寸尺かんなです。
ゆり子のところまで話したと思うんですけれども、つまりエロス資本というのは、実は男性のために行使していたのが、今やもう違うんですよね。
今は、女性受けするにはセクシーな人しか実は成功しないんですよ。
まったく色気がない人は、おそらく人気が出ないんですね。
これは、女性に限らず、実は男性の世界ではずっとそうだったと思いませんか。
男性に人気がある男性というのは、やっぱり色気があって、異性からモテる男の人を、みんな男性も崇めていたんじゃないでしょうか。
これは、女性にもまったく同じことが起こっていて、今までだったら、例えば吉永さゆりのような、天使のような、とても無垢そうに見える女性が、なんとなく憧れの対象として、
これはでも全部、おそらく男性サイドの、作り上げた女性像だと思うんですけれども、こういった女性像ではなくてですね、もっともっと奔放で、昔の昭和の女優さんで例えたら、大地清子みたいなね。
これは昔の白い巨頭で、タミヤ・ジロー・フンスル主人公の愛人役をやったことでも知られる、めちゃくちゃ超絶度級に色っぽい、私が大好きな女優さんがいるんですね。
この大地清子みたいな、エロエロの服を着てても、まるで裸でそこにいるかのような、全身から匂い立つような、フェロモンの塊みたいな女優さんがいて、こんな人はですね、女性からもめちゃくちゃ人気があるんですよ。昔から。
だから、セクシーな人っていうのは異性同性問わず人気があるんですよね。これは女性も実はそうだったっていう話なんですよ。そういう対象が、ついにマドンナのような人が出てきたことによって、まさに自分たちが求めているような、私たちがかっこいい、こういう女の人になりたいと思う、具現化したような女性がわかりやすく出てきたのが、
もちろん昔からいるんですけれども、マドンナという大スターが出てきたことによって、いよいよこのガールパワーというか、セクシーな女性が、女性からも需要がある時代に変わっていったんですよね。
日本の女性運動
女性たちが自分が女としての魅力を行使すればですね、大抵のことは多めに見てもらえたり、融通してもらったり、得をするっていうことを味を占めたんでね。どんどん調子に乗って、どんどんギャル文化が生まれたりとかね。
そういう日本独自の、サブカルとか文化の発展なのか、交代なのかわかりませんけれども、そういったことも起こったんですけれど、実質的にはですね、欧米のウーマンズリブ運動とかと違って、日本の場合は常にイデオロギーが不在のまま、なんとなくこういう、なんとなく盛り上がりがあってまたしぼんでいくっていうことを繰り返してるんですよね。
ここでちょっと話を欧米に変えるとですね、欧米っていうのは実は日本よりも進んでいるように見えるんですけれど、実は100年ぐらい前までは、もう日本よりもはるかに封建的で厳しい過不調性の社会だったんですね。
だから日本なんかよりも、日本も男尊女卑ですけれど、それの10倍ぐらいはハードな、ほとんどの人権とか、女性が人間であるっていう尊厳みたいなものはほとんど認められていなかったんですよね。
なので欧米の方が、特にイギリスですね、イギリスからやはり激しい女性の社会運動が起こり、いち早く世界の中でも、早くから女性の賛成権運動であったりとか、そういったウーマンズリブの最初の頃の動きっていうのが起こっていくんですよ。
それはもう圧倒的に虐げられていたせいで起こっていくんですよね。その後のアメリカで起こったいろんな黒人の解放運動であったりとかね、そういった社会運動もやはりもう生死に関わるというかね、命にも関わるような差別を受けていたからこそ、ああいった社会運動が起こり、そして女性のウーマンズリブ、60年代から70年代に起こったウーマンズリブ運動みたいなものも起こっていくんですよ。
だから常にね、欧米ではやはり理由があって革命が起こっていって、もうみんながこのまま黙って国の政策とか、そういう社会の常識にとらわれていると、もう永遠に自分たちが人間として認められないっていうことがあったんで、立ち上がって自分たちの力ですべて勝ち取ってきて、今の非常にリベラルで男女平等であったり、そういう多様性であったりということはね、
常に命だけで戦って勝ち取ってきた権利なんですよね。一方の日本っていうのは、もちろん明治時代、大正時代に日本にもウーマンズリブの運動は起こりました。
平塚雷長とかね、そういった人たちが、一部の非常にインテリの女性たちが欧米のそういう社会運動とかに感化されてですね、女性の自立を訴えたりとかっていう運動は確かにあったんですが、これはやはり2回の対戦とかも戦争があったりとかして、下火になってしまったりとかっていうこともあったし、
あとはね、この欧米と決定的に違うのは、日本はなんだかんだで、このね、あの専業主婦というか、主婦というか、この女性が差別されているようでも実は守られてきたという側面もあるんですよね。
女性を家の主婦として立てておくというふうにしておくとね、全て家内が円満にことが運ぶというかね、女性を立てておけば、いろいろ家のことは全部家内っていうね、奥さんのことを家内っていう言葉がありますよね。
家の家って書いてね。これが象徴しているような言葉ですよね。家のことは妻に任せておけば、全部やっておいてくれるっていうね。非常に奥さんを大事にしておけば、万事、平和にうまくいくっていう、日本の男性の方がある意味、欧米の男性よりもしたたかで、ずる賢かったというふうに思うんですよね。
良い面と悪い面とあると思います。欧米はもっともっと本当に酷い、過不調性という言葉で済まされないぐらい残酷なことを女性に長年強いてきたという歴史があるのでね。やはり激しい反動が起こってきた一方で、日本の場合はそういうふうにね、ソフトな差別で済んでいたところがあり、今でもそうですよね。女性の方がやはり強かったりしませんか。
特に主婦の方が全部夫の経済を握ってたりとかして、今の40代以下の若い人たちからどんどん今、社会が変わってきて、夫婦が共働きなのも当たり前になってきましたしね、どんどん変わってはきてますが、つい最近までですね、やはり夫が外で働き、妻が家にいて、家事全般と子どもの教育を、
保守的な社会構造
一手にやるっていうふうな、夫婦で分業するっていうのが当たり前だったので、ここに関してもね、奥さんはやはり家のことを全部、子どものことも一番分かっているのは奥さん。
家の貯金がいくらあるかとか、お金の管理とかも全部奥さんがやってるっていうことで、財布を握ってる人は強くなるので、こういった感じでね、日本はやはり欧米に比べると主婦が非常に強いっていう、伝統的にそういう部分があったんですよね。
だから日本はそういう社会運動みたいなものがね、すごく遅れてると思うんですね。日本にも確かにあったし、日本でも70年代の学生紛争期に、やっぱりそういうウーマンズリブ運動みたいなことは確かにありました。
ですけれども、それほど大きなうねりになってないっていうことは、それが答えだと思うんですよね。
なので、話をまた現在に戻してみると、だから緩やかにね、いろんな女性の歴史にはね、いろんなコブというかね、変換があるんですけれど、どれも自分たちで問題意識を持って、自分たちで何かこれはもう社会を変えていかなければいけないっていうね、その本気度が他の国に比べて少ないんでね。
やはりこれには異論がある人たぶんいると思います。日本でも田中美津さんとかね、すごいウーマンズリブの運動家がいましたんで、もちろんそういった人たちはもちろんいたんですよ。
いたんですけれども、やはり実際に彼女たちの活躍によって日本がもう180度欧米のように変わったかといったら変わってませんので、やはりね、それは欧米のこういう社会運動に比べたらはるかにやはり影響力が少なかったっていうことは否めないと思うんですよね。
だから日本はとても女性をある意味大事にして立てて優遇してきてるんですよ。だから今もね、60代後半よりも上の女性たちっていうのは非常に保守的ですよ。私はよくこの人たちのことを男尊女子って言うんですよね。
だからもう完全におじさんマインドの女性っていっぱいいるんですよね。だって自分たちの方が、変に男女平等にしたりね、そんなことするよりも、今こうやって主婦でいる方が得なんですもんね。だから絶対世の中の変革とか全く望んでなくて、男性をうまくお立てて立てて働かせれば自分たちはもう安泰だっていう頭があるんですよ。
だからこの人たちは今も世の中が変わってきてるとかね、そういったことはもしかして子供を通してね、賢い人なら知り得てるかもしれませんけど、気づいてない人結構いるんじゃないでしょうかね。だから今の若い人たちはバカなんじゃないのと、この世代の女性たちは思ってるかもしれません。
男っていうのはうまく立てて、面倒くさいことは全部男にやらせておけばいいのよと。女はその代わり全部男の面倒を見て、子供の面倒を見て、それで丸く収まるんだからみたいなね、考えている女性っていうのは実は結構多くて、この人たちがすごく人数多いんでね。
だから世の中は変わらないんですよ。この人たち意外にとても政治っていうかね、選挙とかにもやたら熱心な人が多くてですね、地元で自分たちが応援している議員さんとかのね、選挙手伝ったりとかして、このおばちゃんたちをだから味方につけれるかつけれないかで、政治家になれるかなれないかっていうこともすごく左右するんですよ。
日本においてはこの60代以上のおばさんというかね、おばあさんとかそういった人たちから、すごく保守的なおばさんたちから受ける必要があるんですが、なかなかね、そうなると結局だから世の中を変えていこうっていうね、若い新しい考えの人っていうのがなかなか日本から生まれにくいっていうのは、こういった構造的な問題もあると思うんですよね。
つまり、だからなんだかんだでね、男の作ったルールにうまくはまれる女性のことはすごく大事にしてきたっていうね、ことを男の人たちがしてきたのでね、だからそこさえ俺らの言う通りにしとけばいいのにみたいなね、森吉郎みたいな人が、なんかそういうこと言ってそうな気がするんですよ。
女がもうガチャガチャうるさいこと言わんでも、俺らの、わしらの言う通りにしておればもう悪いようにせんのにみたいなね、なんかそういう感じなんですよね。
で、また話を戻すと、だからね、私はもうくれぐれも別に小池都知事ね、ゆり子さんが別に好きでも嫌いでもないんですけれど、ああいうタイプの女性っていうのは本当に許せないんだと思うんですね。保守の男性たちからすれば。
ゆり子は独身ですしね、小泉純ちゃんと噂があったりとかしましたけど、本当なのかどうなんでしょうね。だけど、ゆり子はああいうふうにちょっと色っぽいしね、なんとなく嫌なんです、ああいう人は。
自分たちがよくしたい女性っていうのは、もう男を一歩も二歩も三歩も、男の後ろにちゃんと引いて男を立ててくれる、割と何ていうか、そそとしたつつましやかな清掃で地味な女性がそういう場にはふさわしいと思ってるんですよね。
夜の遊び用の女性たちっていうのは、夜の銀座とかに美しい女性たちがいるんで、そこと自分たちが日中とかね、政治の世界とか会社のビジネスの場とかで相手する女性っていうのは、あんまり自分たち男性の中でパッと悪目立ちしないようなね、自分たちが扱いやすい、割とおとなしめの女性を好むっていうところがあって、
女性の自己実現の追求
そういうところに合致する人たちがある程度、うまく泳いできたっていうのが長らく続いていたんですけれども、徐々に徐々に先ほど言ったように、だんだん若い女性たちを中心に自分たちの若さと女性としての性的魅力みたいなものを使えばですね、
逆に男を手玉に取れるっていうね、あのことがわかってきたりとかして、だんだんそこらへんのね、男の言いなりにならないっていう女性たちが徐々に出てきて、
それでイデオロギーもないし、特に女性の何か地位を向上しようとかっていうそんな高い志があるわけじゃないんですけれども、徐々にね、女性もやりようによってはね、野望を実現できるんじゃないかっていうものはね、
やっぱり緩やかにね、そういった自己実現とかね、あとは野望みたいなものを持って、自分だってもしかして何者かになれるかもしれないみたいなね、そういう女性も大志を抱くというかね、そういう空気感みたいなのは徐々に徐々にこの90年代から2000年代の頭ぐらいにかけてね、醸成されていったんじゃないかなっていうふうに思うんですね。
はい、ここでようやく割と最初の頃にこのテーマで話し出した時に、自己啓発がね、誕生してきた頃っていう話をした回があったんですが、ここでようやくね、この自己啓発、特に女性たちによる女性たちのための自己啓発ブームみたいなものにいよいよ結びついてくるんですけれども、
初期のビジネス系の自己啓発っていうのはやはりビジネスパーソンらしい、あえて名前は出しませんけれども、非常に金融系のね、外資系の金融会社とかで働いていて、そこから独立して成功されたような女性のビジネスパーソンがですね、インフルエンサーになり、
多くの女性に啓蒙というかね、いろいろあなただって頑張ればやり終わってはね、うまくいくよみたいな、そういう自己啓発とかサロンとかね、そういったことを流行らせていったんですよね。だからこの初期の自己啓発は、やはりね、非常にビジネスパーソンらしい、バシッとスーツ着たシャープな女性たちが多かったんですね。
色気とか全部封印して、男性社会でちゃんとやってきたような女性たちを中心にね、こういったものが流行ってたんですが、徐々に今ね、結構、正直この当時の自己啓発で有名になったインフルエンサーよりもどんどん小物化してきてると思うんですけど、みんな結構露出度が高いように思いませんか?
みんなちょっとセクシー路線というか、結構中にはもうすごく露出してね、洋服とかももう肌見せめっちゃしてて、でやたらなんかこう華やかなパーティーとかね、そういったところの演出をしたりとかして、なんかちょっと昔のその自己啓発と比べるとよりなんかこう華やかでゴージャスで、すごくねセクシー路線なインフルエンサーが多いなっていうふうに思うんですよね。
これはやはりね、先ほどから話している、女が求めるというか、理想とする女性っていうのが、やはりねセクシーな女性がいいなっていうことのニーズをね、拾い上げてるからだと私は思うんですね。
だから結構すごくセクシー路線のインフルエンサーたちが女性を相手にしているのにどうしてね、色気があるのかっていうと、これはね別に男の人から受けようと思ってやってるんじゃなくて、実はこういうセクシー路線の方が女に受けるからなんですよ。
まさにマドンナーと一緒なんですよね。マドンナーには明確に、マドンナーとこの辺の辺りのインフルエンサーを一緒にしたいわけじゃないんですけれど、このやはりね、女がセクシーであれば女に受けるっていうね、あのやはり流れを作ったのはやっぱマドンナーだっていうふうに私はやっぱり思うんでね。
だからどうしても言わざるを得ないんです。今のこの小物のインフルエンサーたちが自分たちが実はマドンナーの影響下にあるなんていうことはもう未人も自覚している人多分いないと思うんですけれど、そういうことなんですよね。
女の人が求める理想的な女性、私ももしかして頑張れば誰々さんみたいになれるかもしれないっていう女性は、やはり頭が良くて仕事ができて、なおかつ色っぽくて男にモテそうな女の人っていうふうにね、やはりね、女性たちが同性に求める女性像がね、こういうふうにね、セクシー路線になってきてるっていうのは、
ニーズの現れなんですよね。これは男性を意識、男性顧客をね、ターゲットにしてるんじゃなくて、女性ターゲットだからこそやってるんですよ。やはり女も、昔の社民党の議員みたいな女の人じゃなくて、色っぽくてセクシーな綺麗な女性がいいやっていうことの現れなんですよね。
女性のマッチョ化
はい、まあこういったことを見て何か思い当たることはないでしょうか。はい、つまりですね、男性が男性をAUCというかね、こういう男の人いいよねって憧れる男っていうのは、やはり部骨で全然女にモテなさそうな、なんかサイゴドンみたいなね、そんな人じゃなくて、やっぱりセクシーでマッチョでムキムキで、まあすごい虚婚そうなね、
ムンムンしたような男の人。私なんかは映画が好きなので、やはりあの007のね、ジェームズ・ボンドっていうのは女性が好むからああいうキャラクター作ったんじゃなくて、明らかに007っていうのは長らく男性のための男性による娯楽映画だったと思うんですよね。
あんなかっこいいジェームズ・ボンドみたいな男の人になりたいみたいな男の人の夢と願望を具現化したヒーローがジェームズ・ボンドだったと思うんですよね。これと同じことが今女性にも起こっていて、女性は女性でこういうセクシーでムチムチでエロくて、男を手玉にとっても何でも手に入れるっていうね、
逆、ジェームズ・ボンドを実は女も求めているっていうことがここで浮き彫りになってきてるんですよ。だからマチズモっていう言葉がありますね。マッチョっていう男らしい、ムキムキ男性優位のマッチョ文化みたいな、マッチョっていう言葉でマチズモっていう言葉があるんですけど、実はこのマチズモが女性にも起こっているっていうことが言えると思うんです。
女は女で、マッチョになってきているっていうね。だから非常に言い方は難しいんですけれど、女も男性化している、マッチョ化しているっていうことが言えるのではないかと思います。はい、というわけで続きはまた次回といたします。ごきげんよう。
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