東電OL殺人事件の背景
お聞きの皆さま、おはこんばんちは、現役リフォームプランナーの寸尺かんなです。
ちょっと間が抜けたんですけれども、世代の話の続きになります。
ちょっと我々の世代より前の世代なんですけれども、この世間的には東電OL殺人事件というふうに言われて有名になった事件がありました。
私はこれは東電OLではなくて、東電エリート社員殺人事件と言い換えようと思います。
この殺された女性というのは、東京電力のエリート社員だったんですよね。
この当時としては、彼女は今もし生きていれば60代後半の年代の方ですね。
なので相当異例というか、この当時まだ女性が管理職になったりということが珍しかった時代に、かなり高いポジションまで出世していた人だったんですが、
この人が信じられないような場所で、信じられないような殺され方をし、そしてまたこの女性が別の東電のエリート社員という表の顔とは別の裏の顔があったということで、非常に世間を騒がせた、とても有名な事件ですよね。
つまり、この人は普段は普通に会社勤めをしつつ、夜になると決まった時間から、正確に決まった時間から決まった時間までと自分の中で決めて、きっちり例えば夜の6時から7時とか、夜の11時終電の何分の電車に乗るまでと決めて、買収をしてたんですよね。
風俗店で働いたり、あとはもう街頭に立って立ちん坊したりとかいうことをしていたことがわかったので、より一層世間が大騒ぎをして、最終的にこれはネパール人男性の冤罪事件にまで発展した非常に大きな事件で、これはよく知っている人たちが多いと思うので、詳しく話すことは割愛するんですけれども、
この事件が多くの女性たちの心をざわつかせたと思うんですよね。この場合は、彼女は殺人事件の被害者で、いまだにこれの真犯人は見つかってないんですよね。
なんですけれども、なぜこのエリート女性がそういう別の顔を持っていて、そんな売春までして、しかもこの当時彼女はもうすでにそんな若い女性じゃないんですよね。もうこの亡くなった年齢というのは39歳だったので、いつから始めたのかは、私何冊かこの事件に関して本を読んだんですけれども、そんな若い時からやってなかったと思うんですよね。
何かで彼女の中で精神的歯車が狂って、30代になってから数年間こういった生活を続けていたと思われるんですよね。
どうしてこんなエリート女性、彼女は慶応大学に出てたと思います。そこから東電のエリートで管理職人まで上り詰めていて、39歳というのは若くもないけれども、十分にまだ社会的には若い年齢で、これからまだまだいろんな前途があったと思われるんですが、
何でしょうねこれは。私もこの事件には非常に興味があるんですよね。これは私だけじゃなくて、たくさんの女性たちの心をざわつかせている事件だと思うんですよね。
この事件私が知ったのは、大学を出てちょうど社会に出たぐらいだったんですよね。これは1997年の事件なので、ちょうど私は最初の結婚している頃だったかな。
私たち前後の年代にとってはとにかく大きな衝撃を与えた事件だったんですよ。単なる殺人事件というだけじゃなくて、しかも未解決事件というだけではなくて、なぜこのエリート女性がこういう人生を送っていたのかということで、いろいろみんな彼女の選択に思いを馳せていない人の方が少ないんじゃないかと思うんですよね。
私はずっとずっと長年、これが不思議で不思議でしょうがないんですけれど、以前ですね、作家の花草観音さんの小説で着想を得た小説があるんですよね。
花草観音さんの小説は、実際の事件をモチーフにして書いている小説が一連あってすごく面白いんですけれども、やはりこの東電OLというか東電エリート社員のこの女性をモデルにしたと思われるような女性が出てくるやつがあるんですよね。
これは小説のタイトルが浮かれ目島でしたね。渡鹿野島を舞台にしたものすごく面白いサスペンス小説だったんですけれども、ここに東電の女性社員をモデルにしたと思われる女性が出てくるんですけれども、これを読んでね、すごい花草さんの解釈っていうのかな。
東電のこの女性がなぜそういう世のような会社員の顔を持ちながら世のような子の買収していたかということに対する解釈がですね、すごく私はなんか腑に落ちる考え方だったんですよね。
これはね、多くの人がやはり好奇心をかきたてられるんで、いろんな人がいろんなことを分析して書いてるんですよね。きっとおそらくこういったことが理由で彼女はこういうことをしてたんじゃないかっていうね、いろんな人が書いてるんですけれど、どれも納得がいくものはなくて、特にね、男性が分析してるものはどれも私から見るとピント外れなものが多いと感じてたんですけれど、
花草観音さんの解釈だと、やはりこの管理職にまで登り詰めて、男性社会の中でバリバリと仕事をしている中でね、だんだんですね、なんていうかな、彼女が男性社会の中でも頑張ってやってることに何かね、限界を感じたというかね、そこで擦り切れていく出来事があって、小説をぜひ読んでもらいたいんですけれどね。
読んでない人は。だけども、とにかくすごく私は負に落ちたんですよね。何か社会的には満たされていたとしても何か欠損があって、それをある種の、うまくちょっと言えないんですけど、代償行為というかね、そういったものが必要だったんだっていうね。
現代の若い女性の動向
この事件が非常に象徴的だったようにね、この辺りからなんとなく景気が良かった日本が景気が一点悪くなりつつある。もうバブルは崩壊してるんで、どんどん悪くなりつつあるその前夜的な時代ですよね。1997年っていうのが。
私がちょうどアメリカから大学卒業して帰国してきた頃には、もう日本は一気に景気が悪くなっていたんですが、この辺りから徐々にですね、何となくちょっと今までにはなかった何かね、空気が出始めるんですよね。
それが私がちょっと驚いたのが、まだね私の世代にはいなかった、ちょっと私たちより若い子たちの中から援助交際っていう名前で、年上の男性たちに体を売って、それでお金を得るっていう人たちがどんどん出始めたんですよね。
それは実は私の世代とかあたりにももちろんそうやって年上の男性からお金をもらって交際しているような女の子っていっぱいいたんですけれども、なんていうかな、それがすごい大人数ではないんですよね。
ところがね私たちの年齢よりもちょっと4,5歳ぐらい下のあたりから非常に高校生ぐらいで、もうどんどんその売春とかを積極的にする人たちがどんどん出始めて、ちょっとギョッとしたんですよね。
で、なんて言うんでしょうね、その頃はまだ経済的に今みたいに貧しい区はまだなってなかったんでね、彼女たちもそれほど家が貧乏で、区に困っているみたいな人はほとんどいなかったと思うんですよね。
みんなそれなりに裕福で、私立の高校とか行かせてもらっているような恵まれたうちの女の子たちが次々に売春したりとかするようになっていて、あれれって思ってですね、アメリカ帰りの私の目から見たら非常にキーに移ったんですよね。
っていうのが、若い女性が売春するっていうのはどこの国でも行われていると思うんですが、ほとんどはですね、やはり貧しいからやってるんですよね。
ところが経済的に困っているわけじゃないのに、さらにお小遣いが欲しくて、その売春したお金ですごくブランド品が買えたりとかね、そういったことのために軽々とね、売春っていう普通の育ちの子がするにはかなりハードルが高いことを安々と飛び越えていく人たちが相当数出てきたのと、
あと例えば文学で言うと山田恵美のようにね、非常に女性の性をセンシュアルに描く作家がすごく大ブレイクしたりね、したりとかしたりがあったんですよね。
山田恵美、私もすごくハマって大学時代とかたくさん読んでましたがね。
彼女は別に売春の話を書いてるわけじゃなくて、彼女自身は作家として売れる前はSMクラブでね、アルバイトをしたりとかして、あくまでも作家にそういう人は結構いますよね。
作家はやはり好奇心旺盛ですし、いろんな人間の深い深淵みたいなものを探るために、あえてそういう水商売やってみたりとかね、そういう究極のサービス業みたいなところに身を投じて、いろんな男女の秘め事であったりとか、奥深いことを探求するためにね、そういったところに身を投じる人って一定数いると思うんですが、
山田祐美もその例に漏れず、そういった経験をいろいろセキュララに書いた小説をたくさん書いているんですが、そういったものを目にする機会がそれ以前というのはそんななかったと思うんでね、非常に文学を好きな文系の人たちもですね、
要するに一定の教養とか、ある程度の学力がある人たちも山田祐美の小説とか、そういうのを読むことによって、こういう世界があるんだとかね、あと内田春樹くんの漫画とかも人気がありましたよね。内田春樹くんの漫画も非常にセクシャルでしたね。別に戦場的なセクシーじゃなくて、もっと根源的な性についてのもっと深い考察を描いてますよね。
例えば、南くんの恋人っていう漫画があるんですよね。内田春樹くんの。これとかもね、すごい当時読んで衝撃を受けましたよね。
山田祐美とか内田春樹くんっていうのは、この2人の恋愛感とかセックスに関する価値観は全然2人違うとは思うんですが、この2人同世代なんですよね。おそらくこの東電のエリート社員なんかも同世代っていうかね、ほぼ同じぐらいの年齢なんですよね。
何かこの辺りに今までにはなかった女性たちと女性性みたいなものに対する迷いとか、いろいろ出てきたような気がするんですよね。こういったものをいろいろ見て、読んだり影響を受けたりとかして、私たちが彼女たちの一回りぐらい下の世代としていたのでね。
2000年代の意識の変化
その後、この2人が出てきた後ぐらいからどんどんもっと女性の性をセキララに描く漫画家とか小説家がどんどん増えていくんですよね。それまでの少女漫画っていうのは、もっと恋愛とかを美しく描く漫画が多かったんですよね。夢見がちなロマンスを描いていたのが、どんどんリアリティのあるものに変わっていってですね。
例えばですけども岡崎京子であったりとか、この人の漫画なんかももうこれは恋愛ではなくて、もっとヒリヒリするような恋愛を描いていたとしても、これは難しいですね。うまく説明できないんですけれど、とにかく恋愛をいいものとして描いているわけではないですよね。
でもこのようにセキララな、恋愛っていう何か綺麗なパッケージでくるまれたものではなくて、もっとセキララなヒリヒリするような女性性とか人間性みたいなものを描くような女性の作家とか漫画家とかがたくさん出てきてですね。
またそれが非常に若い人たちから支持を集めるというふうに変わってきたんですよね。こういった動きを見ていても、その当時の女性たちの真理っていうんですかね、そういったことが何となく伺えるというかね。
今この辺りの話っていうのは、ちょうどこの東電エリート社員の事件とほぼ時を同じくしてるんですよね。この山田井美だとか、内田俊樹だとか、その後の岡崎京子とかね、そういった人たちがだんだん人気を集めていく時代に並行してるというかね。
ちょうどだから2000年代の、1990年代後期から2000年代頭ぐらいですよね。そういったところでバーっとこういうふうに出てきて、何となく女性たちの意識、価値観が変わっていったんだなというふうに思うんですよね。
それがね、うまく私も説明はできないんですけれども、日本という国が何かこの辺りからね、何かね、自分探しというかね、女性たちがね、いろいろこうちょっと燃やつき始めたのはこの辺りだったんじゃないかなっていうふうにちょっと感じるんですよね。
そこはまたちょっと次回にもうちょっと深掘りしたいなと思います。はい、それではごきげんよう。