今日は1ヶ月間、同じクラスで練習した日本人のお友だちが次の目的地に向かうということで、お見送りに行ってきました。海外で出会った日本人(特に長期滞在中に)とはとても仲良くなりやすく、妙に連帯感があったりするので絆も深まりやすいと思います。そしてそんなお友だちたちとは、帰国して離れても心の距離が近いような気がしています的なお話。
・日本人 ・絆 ・友情
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サマリー
インドでの生徒としての姿勢を考える経験により、私たちは自分たちの価値観とインドの文化の違いに気づき、ヨガの継承と絆について考える機会がありました。インド人の足の使い方や日本人の固定概念について考察し、生徒としての姿勢を深めることの重要性についてお話しています。
インドでの生徒としての姿勢を考える
生捨て、皆さんおはようございます。YOGA LIFE smsuun YOGA TEACHERのマリコです。
オットマケンスケです。
この番組では、明日を生きやすくするをテーマに、YOGAの学びを交えた、私たち夫婦のタイムナイトークを、月曜から金曜に、福岡の山小屋よりお届けしています。
はい、Om Shanthi 明日を生きやすくするラジオ始まりました。
はい、よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。僕たちは11月末から、YOGA修行で南インドマイソウルに滞在していまして、本日も現地マイソウルよりお届けしております。
はい、本日は12月の28日、インド生活31日目、ただいまの時刻は現地時間で5時です。
はい、もう1ヶ月、まるっともう経ったってことだね。
そうですね。
早い?
長い。
長いって、じゃあ遅いってこと?感覚的には。
うーん、そうね。
へー、そうなんだ。
でも、そう思わせてる要素って何なの?
あ、僕はね、全然そう感じてないんだけど、まる子さん何がそう思わせてるの?
空気かな、やっぱり。
うーん、空気じゃないですか?
ちょっと体に負担がかかる感じが、ちょっとしんどいというかね。
なんか不調になってるの?なんかあんまそういう印象ないけど。
不調ではないんだけど、快適じゃないんだよね、自分にとって。なんか乾燥が、乾燥した空気が。
乾燥のケアをなんかしてみたらいいかもしれないね、もうちょっと。
そうね、なんかあるかね。
それこそ、ナスや。
ハナのオイルの点火とか。
あー、そうね、オイルね。
いいかもしれないよ。
あー、いいかもね。
うん、ちょっと、まあこっちの中、セサミオイルがないので、何でやるかまあ、調べてみるけど、いいかもしれない。
うん。
はい。
はい。
ヨガの継承と絆
あと、なんかその、お湯とかを口元でこう、置いて蒸気を吸うみたいな、そういうのもいいよって言ってたね。
あー、なるほど。でもちょっと、なんか手間っていうか、大変だよね。
まあ、手間だよね。
うん。
まあ、なんかケアできてね、それが解消できるといいね。
うん。
うんうん。
はい。
はい。
で、今日はね、えっと、最近まりこさんが、あの、Instagramのスレッツ?の方のアカウントでも始めて、で、
ここのところで、あの、素直さが大事ですよっていう、まあ、それはヨガの練習でもそうだし、ってことだと思うんだけど、
あと、RRR?
うん、うん。
映画のね、あれの話の流れで、 like 師匠から教えてもらった事もあるし、
決まったことを素直に受け入れることが大事みたいな話をしてたじゃないですか。
それでね、ちょうど今日、僕、練習中に気づいたっていうか、感じたというか、思ったことがあって、
ちょっと今日はそれをシェアしたいなと思ったんですけど、
でね、なんかあの、インドでの先生、こっちのシャラで練習してると、
先生が練習している生徒に、例えば足元のちょっと向きが違うとか、
位置がちょっと違うとかね、時に、足で正すというか、することあるでしょ?
してる。
うん。
で、
あの、
日本の感覚で言うと、足でされる、もしくはすること自体、
なんかちょっと失礼じゃないけど、
ああ、まあね。
そうそう、そういう感覚ってあるじゃない。
そうね、日本の礼儀としては。
そうそうそう。
で、なんていうのかな、あの、それをね、例えば、
まあそれが例えば日本でね、手でやったとしても、
まあそのやり方、なんかグイッて強くやったりとかするのか、
そっと優しくやってあげるみたいな話だと、だいぶ違うじゃないですか。
ああ、そうね。
うん。それはだから、受け取り側の印象というかね。
そうね。
うん。で、僕はそういうのをすごく気にするタイプだったんですよ。
そうよね。
うん。まあ、される側としてもそうだし、その根本にあるのは、
自分がする側だったとしたら、相手のことを考えてあげたいから、みたいなね、気持ちがあって。
うん。
でね、もっと言っちゃうと、例えばマリコさんがうちのクラスでね、
指導してる時にの、別にその、それは手でこうやって立たす、立たさないとか、
足で立たす、立たさないとかの話じゃなくて、
その様子を見て、もっとこういう風にした方がいいんじゃないの、みたいな、
それ生徒さんの気持ち考えたらこうの方がいいんじゃない、みたいに思ったこととかもあったりするわけ。
はいはい。
そう。
で、まあ今日のその、僕が、
先生に足でね、それを立たされたことをきっかけに、まあそんなことまで、
マリコさんの指導のことまで回想してね、いろいろ考えたんだけど、
そう。で、まあ結論から言うと、全然気にするべきことじゃないなって思ったんだけど、
それを足でやられた生徒側の立場として。
はい。
うん。で、まずそのきっかけになったのはきっと、やっぱりさっきもマリコさんがまさに言ったように、
日本人の感覚だと礼儀とかね、そういうのあるけども、
うん。
まあインドっては全然そんなこと気にしないのかもしれないし、
うん。
まあそれは知らないよ、一般的にどうなのか。知らないけども、まあ要するに、僕らの勝手な価値観っていうことかもしれないし、
はい。
で、そう思ったら、それが日本であっても、やっぱり例えば、もしね、日本でマリコさんが足でそれをやったとしても、
僕とマリコさんの価値観というか、考え方の違いだったりするわけで、
うん。うん。
で、もっと言うと、それがまあ仮に、例えば何も考えずにね、足でこう、無限にしていたとしても、
まあそれは僕がどうこう思うことってもないし、そもそも自分が慕っているというか、ついていきたいって思う指導者がそうしているのであれば、
なんか僕がその、それはどうこうっていう前に、なんでそういうふうにしたんだろう、そこに何か意味があるんだろうかって考えることの方が先だよね、じゃないかって思ったんですよ。
はい。
で、まあなんかパランパラって、ヨガでね、えっと、あるじゃないですか。
はい。はい。
のパランパラ、パランパラってマリコさんどういうことでしょう?
あの、師匠から弟子に言葉伝いで、しっかり伝統を伝えていく。
うん。
継承していくと。
うん。まあ多分、その、まあ一言で言うとそういうことなんだろうけど、そこには多分もっと深いいろんな意味があって、
うん。
絆だとか、その、信頼とか。
はい。
で、その絆とか信頼っていうのは、時間をかけて築かれていく。
うん。
築かれていったもの。
インド人の足の特徴と使い方
はい。
その上での継承みたいなこととか。
そうですね、はい。
うん、ってことだと思うんだけど、それもね、なんかの文献みたいなのちょっと見てあるんだけど、なぜその師匠がそういうふうにしているのか。
はい。
とか、そういうことを生徒は一生懸命考えるべきみたいなね。
うん。
ことを書いてあったんだけど。
うん。
そう。だからそれと同じことかなって思ったんですよ。
はい。
うん。っていう気づきです。
はい。
そう。だからなんか、ホームラジのね、リスナーさんの中でも、ヨガやってる方もそうだと思うし、まあいわゆる師匠とまで会わなくても、先生と言うべき人、先生と思っている人がいる方。
はい。
とかでもね、そこに信頼関係とか、尊敬とかそういうものがあれば同じかもしれないけども、そういう相手がいて、僕と同じようなことを感じたことのある人もいると思うんですよ。
はい。
うん。だからそういうときはね、まあ今日言ったようなこと、まあその否定とか、嫌な気持ち、嫌な受け取り方をする前にそういう考え方ができると、また師匠とか先生と言うべき人から受け取れるものが増える。
増えるっていうか、それができないと、せっかく受け取れるはずのものが受け取れなくなっちゃうと思うんだよね。
はい。
うん。それをしっかり受け取ることができるんじゃないかなと思いました。
はい。
はい。なんか僕がひたすらしゃべったけど、なんか、なんかありますか?
そうですね。あの、まあインド人の足に関して付け加えると、まあ知らなかったと思うんですけど、あの、まあ手のようにね、インド人は足を使うんですよ。
うん。
床に落ちてるタオルを取るときも足でするし。
あ、そうなの?
うん。
へえ。
そう。あの、本当にお猿さんのように足で、ものを掴んだりとかするんですよ。
それは、まあつまり、僕もそれするんだけど、僕の場合はちょっと横着的なところがあるんだけど、そういうことではなくて。
そういうことで、横着でやってるんじゃなくて、普通に手と同じように足を使うっていうのがあるから、足を使うことは多いと思います。
なるほど。
だから、アジャストするときも足を使うことも多いですし。
あ、そうね。足で足を踏んで、こう止めてあげるっていうか、そういうこともするしね。
うん。はい。つま先の角度が違ったら、足でこう、ちょいちょいってしてやってるし。
そうなんだ。
うん。押さえるのも、足で押さえるときもあるし。
うん。じゃあ、もしかしたら、地べたに座ってご飯食べてる人とか、お皿を足で押さえたりとかね、そういうこともしてるかもしれないね。
うん。
だから、きっと、それが普通ってことは、日本人はさ、なんでそれがダメな印象っていうか、嫌な印象かっていうと、
足が汚いものっていうような、ちょっと印象あるじゃない。地べた、足が汚れていたりとか。
はい。
だって、足でやるんじゃないとか。
そうね。昔からそういうふうに、私たちは教育されてきたもんね。足で何かをすると、怒られてきたから。
だから、その理由っていう話。なぜそうなのかっていうことを言うと、やっぱりちょっと汚いみたいなイメージがあるんだと思うんだよね。
うん。
だけど、インド人はそれがないのかもしれないね、あんまり。
うん。
足だから汚いとか。
うん。
そもそも、これ、素手でご飯食べる。まあ、右手と左の区別はあるけども、素手でご飯食べるの、日本人だったら、汚いからやめなさい、みたいな話になるじゃない。一般的には。
そうね。裸足で歩き回ってるしね、外でも。
そうだね。
うん。
それは、逆な話が、逆な感じがするけどね。
汚いと思ってないから、裸足で歩き回る。
うん。それは、汚いと思ってないのは、地面の話だよね。足が汚いと思ってないから、裸足で歩き回るんじゃなくて、
うん。
汚れる、足が汚れると思ってないから、ってことだったら分かるけど。
日本人の固定概念と生徒としての姿勢
うん。
うん。まあ、でも、いずれにしても、だから、その、僕らが持ってる、その、固定概念っていうか、感覚を、足に持ってないんやろうね。
うん。
うん。
なるほど。
うん。
はい。まあ、というわけでね、そういう今日の気づきでした。
はい。
はい。
それでは、今日も一日、皆さんが心穏やかに過ごせますように。せーの。
ナマステー。
ナマステー。
あ、普通に言っちゃった。
11:03
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