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スピーカー 1
ただ、僕はまりこさんと違って、やっぱり娘といる時間がそこまで多くなかったから、
もともとはね、僕もまだ外で仕事をしてた期間、娘がちっちゃい頃はね、外で仕事してたから物理的に一緒に過ごす時間も少なかったし、
で、今はまあ僕家にいるけども、まあもうね、その頃には小学校が上がってるし、過ごす時間はそんなにもう多くなってきたじゃないですか。
とはいえね、家で仕事してるんで、他の家庭に比べれば多いんだけども。
なんで今この話をしたのかよくわかんないんですけど、話したかったのは、
そういうことを、いろんなことを学ばせてもらってるなとか、いろんなことに気づく。
娘と接する中でとか、娘が例えば反抗期になって、僕もいろんな感情が起こったりとか、
お互いこうネガティブな感情が生まれたりだとか、そういういろんな何かが起こった時に考えることっていうのが、
ヨガを始めてからなんですよ。
で、例えばまあ、まりこさんの場合は、もう本当に赤ちゃんの頃、生まれて間もない時に、
まあその受入期、受入してるような期間とかでも、考えることいろいろとあると思うんですよね。
やっぱり、母親って娘のために、もう神経も体もすり減らして、まず守っていくっていう期間、
それはおっぱいあげるってこともそうだし、寝不足とか、そういう体力とかっていうのもそうだしね。
で、僕ももちろんそこはサポートっていうか手伝ったつもりではいるけども、やっぱりそこまでは感じないんですよね。
何のために自分はここまでやらなきゃいけないんだろうとか、こんなに苦しみを…みたいなことは思わないんですよ、お父さんは。
いや、全員が思わないとは言わないですよ。でもなかなか思えないですよね、そこまではね。
っていうのもあるから、そこまで深く考えることって少なかったんだけど、っていうのもあるんだけど、
まあでも、自分がヨガをするようになってから気づいたことが多いなって思うんですよね。
なんか娘からマリッコさんが学んだこととか、自分自身が成長するきっかけになったこととかさ、出来事ってさ、どういうことがありますか?
スピーカー 2
自分の至らなさがすごく映し出される鏡みたいなもんだなってすごく思いますね。
娘と接する中で、例えばそれが相手が大人の人とか他人とかだと、ちゃんと対応できるのに、どうしても感情が先に立ってしまうから、
感情的に対応してしまったりとか、ということはやっぱり多々あるんですよ。
そういうときに、ああ、ダメだなと思うんですよね、自分がね。
そこでまた反省っていう感じで。
そういう学びっていうか、気づき。自分のそういうところに気づかせてくれる。
自分はまだまだ、まだまだ、全然っていう感じを思い出させてくれる。
そういう存在かなと思ってて。
それは例えばだけど、今の対象が娘っていう話なんだけども、それは僕でも同じじゃないかって感じてしまうけど。
それは同じ同じ。
スピーカー 1
それはやっぱり家族は、みんなそうかなって思う。
スピーカー 2
身近な人だからってことだよね。
うん、身近な人だから。
だけど子供じゃないですか、まだ。
子供に対して、そういう態度をとってしまう自分が、やっぱりちょっと恥ずかしいですよね。
そういうふうに思っちゃう。
スピーカー 1
まあでも、家族になっちゃったら、もう子供も大人も関係なくなっちゃうよね、そこはね。
スピーカー 2
大人げないこと言っちゃったなとかさ。
スピーカー 1
なんかね、そういう意味で言うと、子供に限らず家族だからっていうところで言うと、やっぱり前にもこんな話はしたけども、
わかるでしょっていうような感覚になってしまうっていうのはすごくあるし、
だけども、やっぱりそれは僕のものの見方だとか、経験から来る考え方であって、
だから僕の中での常識、それは娘には通用しないんだなっていうようなことをすごく教えてもらったなと思いますね。
で、あとね、すごく大きかった気づきは、
これも同じ話にはなってしまうんだけど、自分の娘だから、自分と同じだって思ってしまうんですよね、基本的に。
スピーカー 2
それよく言ってますね。
スピーカー 1
なんかね、まあ遺伝ってあると思うから、それもあると思うし、
スピーカー 1
僕が育ててるから、僕の考え方の癖とか、そういうことが娘にも伝播するっていうかさ、それもあると思うんだよね、と思うけど、
でもまあそうじゃなくて、そうじゃなくて、それをだから極端にそうだと思い込んでるところがあって、
なんか何でも、いいところも悪いところも、自分が持ってるものと同じものを持ってるんじゃないかって思ってて、
それって自分が認識してる部分じゃないところで発動するんだよね、なんていうのかな。
あえてわかりやすく悪いことで言うと、こういう行動をしたときに、内心こう思っているはずだ、みたいな感じ。
例えば反抗したときとかもそうだよね。反抗っていうか反論。
例えばこれがやりたくないとかっていうふうに言ったときに、そのやりたくない理由を勝手に決めつけたりする。
それっていわゆる僕から親からしたら認めたくないような理由だったり、例えばめんどくさいみたいなこととかね、そういうことだったときに、
そうはそもそも思ってもいないんだけど、自分が心の中で本当はそう思っている。
自分だったら、違うか、過去にそう思っていた自分がいたりだとか、自分の真相真理っていうか、どこかにそういう気持ちがあるから、
娘にもそれを当てはめてしまうみたいなことがあって、それはすごく良くないなって思ったんですよね。
良くないなと思ったし、そもそも自分とは違うっていう認識を持っていなかった。
でも違うんですよね、やっぱりね。
だからちょっとうまく説明できてないと思うんですけど、尊重してないってことですね、あんまりね、できなかった。
それが尊重できてないっていうのは多分、僕のそもそもそういう至らなさ、これはまりこさんが言った話と一緒で、
やっぱり身内だからそれがやっぱり浮き彫りになったところだと思うんですよね。
そういうことをすごく教えてもらいましたね。
ヨガを始めてからみたいな話しましたけど、別にそれはヨガがどうのこうのじゃなくて、そういう物の見方、そうじゃないかもしれない。
これは自分の主観からしか見ていないような考え方かもしれないっていう考え方をしてなかったので。
それをできるようになったのは、やっぱりヨガを始めてからの話なんで。
ヨガっていうかベーダーか、ベーダーで4つの人生で4つのステージがあって、
今僕たちはグルハスタ、家庭を持っている人が自分のそれぞれの家庭での役割とか仕事での役割を全うする期間、時期に僕らはいるんだけども、
これはクラスとか生徒さんにも話すけども、そんなヨガするだけがヨガじゃないんですよ。
今の私たちっていうのは、特にお母さんとかはそうですけど、子育ての中でヨガをすることがたくさんできると。
それは自分の存続とか利益とかではなくて、与えられたことを全うする。
その行為自体、自分がすべきことをする中で心の成長の道具にしていく。
それを、要するにカルバヨガの生き方を一番求められる、するべき期間がグルハスタの期間なんだけど。
それでいうと、仕事も含まれると思うので、すべてじゃないんだけども、その期間が一部終わる直前に来てるんだと思うんですよ。
もし、病生活になって娘が家を出ればね。
だから、まさにそのグルハスタ、今この時期に娘、だから子育てですね。
子育てを通じて心を成長させてもらう機会をたくさんもらったなっていうふうに改めて思ってたという話です。