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スピーカー 1
当時は多分ピンとこない人が多かったのかなっていうような感じの内容ですよね。
スピーカー 2
だからアメリカとかあっちの方ではもうすでにそういう問題が一般の中に広がっていって、
スピーカー 1
アメリカもそうかもしれないし、ヨーロッパの方がもっと先かなと思うけどね。
テレ東で放送されてたっぽいんですけど、
どこから話そうかな。
先にこのアルジナの話からしましょうかね。
そのジュナが地球を守る上で、ずっと13、4話くらいかなまで話が続くんですけど、
その中でいろんな状況に置かれたりとか、いろんな問題と対峙するんだけども、
その中で必ずラージャっていう、明らかにラーガを申してる感じに見えるんだけど、
ラージャっていう、いわゆる化け物みたいな大きな怪物みたいなのから地球を守ろうとする、
それと戦おうとするっていう場面が何度も何度もずっとあるんだけども、
そのラージャっていうのが、例えば食に関して言うと農薬とちょっと結びついていたりとか、
化学兵器と結びついていたりとか、
スピーカー 2
原発とかでエネルギーみたいな。
スピーカー 1
エネルギー、原子力とかそういうのもそうなんだけど、そういうものと結びついていて、
それをそこから地球を守ろうとするっていうか、
ジュナはそれを倒す、倒して地球を守ることが自分の使命だっていうふうに思って、
いろいろな人間関係とかも含めて苦悩する物語なんだけども、
結論としては、ラージャになって現れているいろいろな問題っていうものは、
敵でもなければ戦うべき相手でもなく、全て自分たちそのものなんですよっていう。
それもちろん問題となることは多々あるんだけども、
その問題自体を敵として考えるのではなくて、
自分事というか、自分たちだっていう、そこにどう向き合うかっていうようなことを考えさせられていくっていうような流れなんですよね。
スピーカー 2
そうね。
なんか、表と裏とか、インとヨーとか、黒と白みたいな、
ちょっと相反するようなものが実は一つで、
そのバランスが偏ることで、ちょっとなんか問題が起きてしまうみたいな、
なんかそういうイメージ。
スピーカー 1
そうだね。
スピーカー 2
元は同じ、同じものなんだけどっていう。
スピーカー 1
そうね。バランスもそうだし、いろんな意味が込められてるよね。
なんて言ったらいいんだろうな。
なんか、境界みたいなものなんて、どこにもないというか、
全て繋がっているし、全て元を正せば一つであるし、
元を正さなくても一つなんていう考え方なんだけども、
全体を見る。ある側面から一方的にどこかを切り取ってみたりするんではなくて、
全体を見る。
なんかもうちょっとうまく説明できないんで、話したかったことというか、
言おうと思ったことを一つ言ってしまいますけど、
これだから結局テーマがイーシュアラだと思うんですよね。
スピーカー 2
そうですね。はい。
スピーカー 1
イーシュアラって言うと、何って言うと多分リスナーさんの中でも結構多いと思うんですけど、
ベイダーの宇宙観というか世界観の中で言われることなんですけど、
この世の中、形のあるものもないものも全部ひっくるめて、
宇宙にある全てのものはたった一つの生命体なんですよっていうような概念というか、
それ自体のことをイーシュアラって言うんですよね。
宇宙って言うとピンとこない人多いと思うんですけど、
地球っていうふうな、これさみ先生がよく言ってくれるんですけど、
地球っていうものが一つの生命体だっていうガイア理論とか言ったかな、
って考えると分かりやすいし、
実際そういう研究してる人たちもそういう理論を発表してると思うんですけど、
体、一人の人間で見てもそうだよね。
一つ一つの細胞が生きてるって考えて、
その中で僕たちの一つの体があって、
その中にいろいろ役割があって成り立っているのと同じように地球の中にも、
例えば体の中の一つの細胞が地球の中の一つの細胞が僕たち一つの人間だったりとか、
そう見れば、例えば木であろうが草であろうが虫であろうが何であろうが、
地球にとって必要な存在で、それぞれの地球を成立させるための一つのパーツっていうか、
そういう考え方をするんですよね。
だから、例えば原発とかね、分かりやすく、
原発が良いか悪いかっていう議論はちょっと置いといて、
仮に悪いものだとしてもそうだし、大気汚染とかいろんな公害とかもそうですけども、
ひっくるめて、それらが別に悪いものじゃないですよとか良いものですよっていうことではなくて、
全てがあって成り立っているっていうことなんですよね。
そのイーシュワラっていうものをテーマにしてるんですよね。
スピーカー 1
だからまあ、それはそれでいい話っていうかあれなんだけども、結局ただ単に悪者扱いしてたんじゃしょうがないよっていうことだよね。
スピーカー 2
そうですね。
スピーカー 1
で、あとやっぱり前半で特に食のことをやってたじゃない。
あれもやっぱりすごく印象深かったですね。
スピーカー 2
そうね。食べ物は私。
スピーカー 1
そうそうそう。まあよくね、食べたもので人はできているみたいな話は至る所で聞くんだけども、それ以上にそもそも食べ物が私であり、私が食べ物みたいな。
命の循環っていうかね、っていうところがとても刺さったっていうか、いい話でしたね。
ああやって映像化して、そのことを見ることで、より染み込んでいくというかね、そのイメージがすごく湧いて。
あくまでもイメージでしかない部分もあると思うんですよ。
でもやっぱりイメージ大事だなって思いました。
僕はそのイメージとか雰囲気で語られることって苦手なんだけども、どちらかというと、言葉でちゃんと理論で説明してくれないというところが強いタイプの人なので。
だけどなんかあれを見たら、やっぱりそのイメージ、感覚的なことで感じることもすごく大事だなって思いました。
ただ最終的にね、この映画ぜひ、映画じゃないか、十何話のドラマみたいな感じなんですけど、見てほしいなって思うんですけど、皆さんにもね。
ただ結構やっぱり刺激強いかなって思います。
まあね。
現代のいろんなものを見方によっては否定しているような。
スピーカー 2
だから今放送できない。
スピーカー 1
そうだねそうそう。
逆に昔はできたんだなっていうのはびっくりだけど、今多分放送できないというか放送させてもらえないです。
完全にスポンサーとかと対立するような立場の視点で描かれているから。
だからちょっとね、今の話聞いて面白そうって思った人は見ていただけたらいいかなって思うけど。
まあでもヨガやってる人で、そういうこともただのアーサナやってるだけで気持ちよくヨガやってますっていうこと。
それは全然悪いってことではなくて、だけではなくて哲学のこととか、そういった聖典の学びとかに多少なりとも触れている人だったらぜひ見てほしいですね。
で、庵野の方の話が全然ストアしちゃったんだけど。
まあもう長くなっちゃったんでさらっといきたいんですけど。
でもあれも、イーシュワラがテーマかっていうとそうではないかもしれないけど、
でもなんかそのキキキリンが演じている徳江さんっていう、
長瀬雅俊、どら焼き屋の店主の長瀬雅俊とそこに現れたキキキリン徳江さんっていう2人のがメインの人間ドラマなんだけども、
徳江さんの生き方っていうものがそれに近いものがあるのかなっていう感じがしましたね。
どら焼きのあんこを作るんだけど、小豆の声を聞くっていう。
最後の方のシーンで長瀬雅俊に手紙を出すんだけども、その中で手紙を出した理由を言っていて、
風の声を聞いたら風が店長さんに手紙を出した方がいいみたいなことを言ってるように聞こえたみたいなことを言ってたじゃない。
自然の中にある流れの中で生きているっていうか、
そういう何か大きなものに身を委ねて、委ねながら生きているような感じがすごく石原っていうものとも通じるような話だなっていうふうに思いましたね。