今日のテーマトークは、平場の月です。はい、ではマリオンさん、解説お願いします。
はい、映画ドットコムより解説を読ませていただきます。大人の男女の心のきびを繊細に描き、第32回山本秀吾朗章を受賞した
朝倉霞の同名恋愛小説を、坂井茂と主演、伊賀はるか共演で映画化。中学時代の初恋の相手同士が時を経て再会し、
惹かれ合っていく姿を描く。妻と別れ、地元に戻った青人賢章は、印刷会社に再就職し、平穏な毎日を送っていた。
そんな青人が、中学生時代に思い寄せていた須藤陽子は、夫と私別し、現在はパートで生計を立てている。
共に独り身となり、様々な人生経験を積んできた二人は息統合し、中学生以来の空白の時間を静かに埋めていく。
再び自然に惹かれ合うようになった二人は、やがてお互いの未来についても話すようになるのだが、
デスティニー鎌倉物語以来、8年ぶりの映画主演となる坂井が青人役を務め、坂井とはドラマ半沢直樹でも共演した伊賀が須藤役を演じた。
その他、青人の同級生江口役で大森直が出演。 監督は花束みたいな恋をした。
罪の声の土井信宏。 脚本はある男の向井耕介。
はい。
はい、ではここから内容に触れる話に入っていきますので、ネタバレ気にされる方がいらっしゃったら是非見てから聞いていただけたらと思います。
では沢井の感想、マリオンさんいかがでした?
そうですね、めちゃくちゃ良かったっす。
ちゃんと地に足ついた大人の話というか、ちょっとファンタジックというかちょっとロマンチックな部分もちゃんと踏まえつつも、すごく地に足ついた感じが前編に渡ってあって、そこがすごくいいなというふうに思いました。
なんかもうちょっとしたところなんですけど、なんか生活感がすごい滲み出てくるみたいな映画になってたなと思っていて。
伊賀遥演じる須藤の家に初めて行った時に、この家具二取りで買ったんだみたいないうところとか、わーめっちゃなんか生活感感じるみたいなふうに思ったりとか、本当にそれこそ監督土井信宏で言うと本当花束みたいな恋をしたがありましたけど、
あれにもちょっと近いような、ディテールが細かい生活感みたいなのが前編に渡ってあって、それを見てるだけでもすごく親近感が湧くというか、感じがあってすごく良いなと思いました。
あとやっぱり50代なので、やっぱり濃厚にというか、すぐ横に死というものが結構近くに感じられる年になってるっていうのが、これが50代のリアルかというふうにやっぱちょっと思いましたね。
確かになんか久しぶりになんかあいつどうしてるかなーみたいになったら、実はもう亡くなっててみたいなこととかあるんだろうなとか、別に若い30代でも20代でもあると思うんですけど別に。
それがやっぱ50代という年代になればなること、それが結構より近いものに感じられるなというふうに感じましたね。
やっぱりあと眼周りの描写とかの、そこもすごいディテール細かくて、ある種ちゃんと毛毛にもなっているのではというか、というふうに思ったりもしたぐらい。
そこしっかりやってるのもすごい好感が持てるなと思いましたし。
あとやっぱラストのなんていうんですかね、いやーなんかもうすごい、そこであまりベタベタせず終わるところ含めて、
あ、50代だわーっていうふうに思って、すごくしっかりと地に足ついた恋愛映画。
しかも50代のっていう意味ではなかなかないような気がしたので、こういう映画が生まれてくれたことがすごく、僕はまだ50代ではないですけどすごく良いことかなと。
貴重な映画だなというふうにすごい思って楽しみました。
はい、大井さんいかがでしたか。
素晴らしかったです。
ストーリーとしては言ってしまえば多分難病者って呼ばれるような、これは多分20代30代だったらおそらくそう描かれるようなものだと思うんですけど、
そもそも青人、佐々木真司さんが演じる青人が最初ポリープを見つかるところから始まるという通りで、難病は50代になれば日常であると。
いつどう癌になってもおかしくない、これちょっと発明なんじゃないかって僕は思ってて。
確かに。
そう、だからある意味語り尽くされたストーリーのテーリングだと思うんですよ、流れも含めて。
正直20代10代だったらめちゃくちゃよく見るストーリーだと思うんですよね。
特に夏におそらく公開されているであろう感動系の映画として。
ただこれを50代にした瞬間にこれだけ地に足ついてるんだっていう、これはちょっと僕すごいなってまず思いました。
なので既存のストーリープロットみたいなものをこういうふうに読み換えれば、実はもっと新しく新鮮に扱えるんだっていうのを発明した映画だなっていうふうにも思いますし。
さっきマリオさんもおっしゃってますけど、やっぱりディテールがこの映画は素晴らしいなと思ってて。
生活描写はもちろんですけど、細かいところですけど、例えば須藤のとあるセリフを言った後に背中を映すシーン。
あれのその水が跳ねるっていうところがあるんですけど、その辺の描きすぎない余白を残しながらでもこう描ききれてる。
映画だからこそ描けてるところに到達してる感じというか、なんか一個一個の技感というか、なんか技術がめちゃくちゃ高いんですよねこの映画。
だから本当にベタなストーリーだし、ベタなプロットなのに全然楽しく見てられるというか、素晴らしいなんていうか、
主治力を途切れさせない職人の映画みたいな感じが、本当隅から隅まで詰まっててめちゃくちゃ良かったです。
あとその50代描写っていう意味で言うと、須藤と青棟はもちろん演じられた江川遥さん、坂山さんの二人とも素晴らしかった。
坂山さんの可愛らしさと真剣な頑張ってる感じ、もうめちゃくちゃ好感持てましたし。
あと江川さんのその男言葉をあえて言うっていう、結構その小説にありがちなキャラクター的描写だと思うんですけど、それをこう本当にキュート、これ言い方キュートでいいと思うんですけど、結構魅力としてというかキュートにやってのけてる感じがすごい良くて。
で、もうお二人はもちろんなんですけど、青棟の同級生周りの4人とかもう最高、うわぁ50代だな、50代だなっていうかおじさんだなっていう、しかも何に憧れてこうなってきたのかっていうのもなんとなくこう見え隠れするような。
僕は大森さん演じてる江口という役は絶対キムタクに憧れてるんだろうなってすごい思いながら見てたりしたんですけど、なんかそういうの、なんかそれぞれの人生がちょっとずつ見え隠れする感じがすごい、しかももうある種、皆さん脇役というかいろんな映画でたくさん出られてる方々、もうベテランの方々ばっかりですけど、その方々がもう自分のフィールドだと言わんばかりにこう生き生きと演じられてるのを含めて、
すごいいい映画を見たなっていう感じがしました。そうですね。でやっぱ、丸さんもさっきもおっしゃってますけど、ラストの余韻の切り方というか、エンディング星野源の行き止まりという曲で終わるんですけど、あの曲のそのあっけなさに映画の本編も合わせてるんじゃないかっていうぐらいスッて終わるんですよ、本当に。
ぺー これ、中年の健康啓蒙映画としてもよくできてると思うんですよね。 そうだそうなんですよね。いや、本当健康診断皆さん行ってますか?みたいな。まあ会社勤めてる方は多分絶対なんかね、あると思うんですけど、フリーランスの皆さん健康診断サボってませんか?みたいな。
ぺー 本当に行かないと何が起こるかわかりませんよ、みたいなことですよね、本当に。 いや本当ね、フリーランスってちょっとね、妙な居場所にしがちというか、その仕組みとして健康診断がないから、気づいたらめちゃめちゃ体調崩してたみたいなことあると思うんで、あのぜひこれ聞いてる自営業の方も健康診断行ってくださいっていう感じで、はい。
実際の感想を締めたいと思います。はい、ではお便りいただいてますので紹介させていただきます。大石さんお願いします。
大石 タウルさんからいただきました。こんにちはタウルです。 坂井雅人がいつもの大量な顔の演技のままだし、いがわはるかはツンデレではなく癒し系では?と最初はノイズに感じていたのですが、
年齢の面が大きいですが、設定も話もあまりにも自分ごとすぎて引き込まれました。病気になる展開は日本映画でよく見るものでしたが、向き合い方や周囲の反応が丁寧でよかったです。
そんな健康面も含めて熟練の二人が平場というよりは緩やかな下り坂、時には諦めや終わりも意識していた関係性だったのがリアルに感じました。
ところで山口さんも印刷会社の経験があるとお聞きしましたが、私も若い頃印刷会社に勤めていたことがあって、営業でしたが研修や仕上がり確認で工場にはよく行っていたのでそこも興味深かったです。
印刷という仕事は単純作業に見えることもあるけれど、受注産業だから内容は一つとして同じものはなく、毎回新しさがある、そんなことを現場で教わりました。
それを映画に生かして坂井雅人が若手社員に向かい、日々同じように見えるが同じじゃないんだぞ、みたいなセリフがあって、それが平場の人生にも変化や希望はある、に繋げる感じがあったらグッと来たのに、なんて妄想してしまいました。
野暮な思いつきで雰囲気で十分醸し出してましたね。それでは皆さんのお話楽しみにしております。」とのことです。
はい、ありがとうございます。ありがとうございます。
坂井雅人さんと伊河遥さんって、なんというかちょっとフィクション寄りの存在だなって感じはあるっちゃあるとは思うんですよね。
うんうんうん。
そんなにリアルな感じがあるというよりは、伊河遥さんは結構ちょっと浮いたぐらいの美人だし、
坂井雅人さんはもう、ある種顔芸の人としてもやってきてた側面があるから、結構ね、途中会おうとも顔を歪めてるシーンあるけど、これ音楽変えたらハンザーナオキになるなっていう顔してたから。
してましたね。
ちょっとそういう時はありましたというか、今すごい顔してるけどなぁみたいな瞬間はちょっとあったというか、はありましたけどね。
ただまぁ、デフォルメが効いてるからこそ本作の良さもあったかなぁとは思ってて、そのリアリズムに寄せ切らないリアリティみたいな感じって言ったらいいんですかね。
すごい初体地見た暮らしを描いてはいるんだけれども、なんか完全な現実というよりはあくまで映画としての範疇に収まるって言ったらいいのか、
なんかそこのバランスはすごい良い映画だったんじゃないかなっていうふうに僕は見てたんですけど。
そうですね、なんて言うんですかね、この映画ちょっと気になりすぎて、妻と一緒に見て、妻も結構気に入ってて、一緒にインタビュー映像とか見てるんですけど、
思った以上に坂井雅人さんって普通に話してるテレビとかで出てる時もあの感じなんですよ。
普段からこの人こうなんだって思って。なんかその常にフィクショナルな状態、だからこそ理想というか、まあそれこそ美版であったりとか半沢直樹ってもう本当に50代のイデアを背負ってるんだなっていつも思いながら見てるんですけど、坂井雅人という人は。
それをこうさらっとこなせるし、本作も別にそうやろうと思ってなくてもそうなっちゃうぐらいな人。
なのがすごい演技からもというか、この映画でよくそれを使ってるようにも思えたっていうんですかね。
あとなんかプラスアルファで井河遥さん、今年も似たような時期に同じような、同じようなというか、メハラス世代って映画あったと思うんですけど、あれでも出演されてて、そちらでもういなくなってしまう母親の役なんですけど。
そうですね、はい。
儚さというか、もうちょっとあのように片足突っ込んでる感じというかですかね。
うんうんうん、わかります。
わかりますよね、なんかね。
言いたいことすごいわかります。
なんかそれも本作の多分、須藤の雰囲気に結局合ってたんだろうなっていう。
そうですね、本当に確かにちょっと連続で確かに井河遥を僕を見ていたので、メハラス世代を見て。
で、今作なので、確かにちょっと失ってしまう何かの存在になってしまっているなっていう際っていうのは、ちょっと思いましたね、はい。
あと、タウルさんも病気になる展開日本映画で良かったって触れていただいてますけど、いやー僕そこ気づいてなかったですわ。
難病者は50代でやると、ただのリアルになるって、それ気づいてなかったなって思って。
そうなんですよ、だから結構予告編見た時に、いやどうせこれ難病者なんだろうなってちょっと思ってた自分がいて、まあ実際そうなんですが。
なんか正直予告編で、この映画全部言ってると思うんですよ。最初から最後までの展開、なんなら。
言ってるね、言ってますね。
言ってますよね。
言えてますね、うん。
ここ映すってことはもうそうだよな、ここで坂山さんは泣くってことはもうそうだよなっていうのを全部言っちゃってると思うんですよ、予告で。
だからそういうのは正直読めてたというか、何の新鮮さもないだろうなって思って見に行ったんですけど、ただこれが50代になるだけで、あーリアリズムが全然違うと思って。
いつ死んでもおかしくないよねっていうのが、まあ20代30代で言うから意味があるっていうのはもちろんそれぞれの映画においてはある。
だからこそ非日常的に泣けるっていうのはあると思うんですけど。
50代になったら泣くとかじゃなくて、もう真剣に考えなきゃなってるあたりがすごい良いなと思って。
日常なんですよね、その死という概念というか病気という概念が。
それがすごいこの映画の発明ってさっきも言いましたけど、なんかもっとそういうふうに描いてくれたらいいのに病気というものをっていうふうに結構思ったりもして。
特別なものではなく日常の隣にあるものとして描くっていうところは本作結構、すごい誠実に描かれてるような気がするなっていうのは見てて思いましたね。
よくあるのだとその若者の難病者、例えば10代とか20代の若者が亡くなるっていう難病者。
あるいは本当の高齢者、70代とか80代とかの年齢がかなりの高齢になって、そもそも体調が悪くなってるっていう中で、その人が亡くなるみたいな話もよくあると思うんですけど、結構50代って絶妙のラインだなと思って。
中間がないんすよね、本当に、物語の中に。
そこをやってくれてるのがまずもう偉すぎるというか、これは語るべきというか作られるべきだと思ったというか。
花束みたいな恋をしたの、映画も来たときも、僕ら世代の恋愛映画来たじゃんみたいなふうに思って、めちゃくちゃ嬉しくなった覚えがあって。
だから平場の月という作品も、僕ら世代のことを言ってくれてるなって思う人はきっといると思うし、それは嬉しいと思う人は多分いると思うなって思いましたけどね。
だからもちろん悲劇だし非伝なんですけど、過剰な悲劇性がない感じがするんですよね。
だからそれは、よく難病者と言われる映画が持つ批判的な文脈でよく言われるのは、病気を悲劇として使うなっていうのはよく言われますし、
花束も悲劇じゃないかと言われたら悲劇ではあるんですけど、そのコンテンツを消費してるっていうところはもちろんあるっちゃあるんですが、
とはいえそこに対する解像度であったりとか、あるいはそもそも日常である、それが常に隣にある状況の年齢であるっていうだけで、
過剰な悲劇性であったりコンテンツ性っていうのはかなりそがれてるなっていう感覚がしたんですよね。
だってそれ普通にすぐ隣であるじゃんっていう、あり得ることではあるじゃんっていう感じ。
そうですね。ある種ちょっと諸行無常であるという感じはすごいして、
いきなりラストの話しちゃいますけど、やっぱすごくいいなと思ったのは、
もう実は死んでましたじゃないですけど、1ヶ月前に亡くなってましたっていう話になるじゃないですか。
で、そっからそのことを知り、また縁あって2人で飲んでた酒場で行くことになり、
そこでただしくしくと泣くっていう、もうこれが10代の難病者だったらここから愛する人からの手紙がやってきて、
それを読んでまた大泣きするみたいなシーンが入ってくるわけですよ。
もうそこまで見えますっていう展開として見えてたものがないわけですよね。
ただただしみったれて泣くだけっていう、もうそれがリアルじゃないですか。
もうなんかあんだけ仲良くやった人が、そういえば最近何も聞いてないな、あいつどうしてるのかなって思ったら亡くなってましたみたいな、
このってリアルだと思うんですよね、もう。
なんかそれだなっていう、その感じ出せてるのすごくいいなと思いましたね。
いやー、本当ね、あのー、何でしょうね、別にこの映画見てもめっちゃわーって泣かないとは思うんですよ。
ただしみじみ人生だなーって感じがあるなっていうのはすごいいいなっていうのと、
あとその花束みたいな恋をしたと、またちょっと関連付けて話したいんですけど、僕あの映画って結構その20代の若者のカルチャーに触れてるっていう生き方を描いてたっていうのが、
ちょっとあの作品が感情移入しやすい部分としてあったと思うんですよ。
ただ、僕あの作品のサブカル感ってエッチ効いてないと思ってて、
全員がこれ自分のことだって思える最大公約数としてのサブカルみたいなやつやなと思ってるんですよね。
そうですよね。
それより薄っぺらいってやつですよね。
これ自分にしかわかんねえかもって全員が言ってるみたいなラインだと思うんですよ、あれって。
大学生全員アキラーを本棚に置くみたいな。
いや、そのアキラー本棚に置くのも何もそんなにみたいな感じだけどやっぱり。
何も特別じゃないですからね。
そう、あの風の旅なしっかの漫画版とか本棚に置きたくないじゃないですか。
うわ、すげえことしてると思っているけど何もすごくないんですよ、これが。
そう、何もそういうことじゃないんですよね、本当に。
その最大公約数、だから全員に刺さる何かを描いてたと思うんですけど、
本作の全員に刺さる何かっていうのが健康っていうのがすごいなと思ってて。
50代に健康の話って全員に刺さるんですよ。
いやー、あと個人的には本当に伊賀春香演じる須藤の家の家具がニトリっていうところがめっちゃ刺さるんですけど、僕だけですかね、ニトリに刺さってるのは。
ニトリ小島通販ですよね。
ニトリ小島通販、もうそうですよ、当たり前じゃないですか、もう。
家具揃えるなんて当然ですよ、みたいな。
その3つですよ、私もそうです、みたいな。
すごい思いましたし、あと親の介護問題とかね。
あー、そうっすよね。
あれとかもね、分かるなって、分かんなって僕は今介護してるわけではないんですけど、
うんうんうん。
そう、なんかああいうところもおそらく取材であるとか、あるいは原作に書かれてるのかもしれないんですけど、
なんていうか、そこも病気のリアリズム、例えばその抗がん剤を摂取することで、神が抜けるって描写は多分たくさんこれまで見てきたと思うんですよね。
うんうんうん。
よくありますよね。
そう。でもそこじゃない別の見せ方で、辛さというか生活のしんどさみたいなものを描いてみせるっていうのも、結構誠実に向かい合ってるなっていう気がして、
やっぱりどちらにおいてもステレオタイプで収めようっていう感覚がないんですよね、病気の描き方において。
うん。
なんかそれがすごくやっぱり誠実な態度だなっていうふうに僕も思いました。
うんうんうん。そうですね、ふーん。
あともう一個リアルだなという意味では、やっぱ印刷会社なんですけど、
やっぱりなんかもうちょっとタオルさんとちょっと話す理解があったので、
やっぱりリアルなんですかみたいなやったら、ああリアルっすね、ああいう印刷したやつを虫眼鏡みたいな、スコープみたいなの見てとかやってたよみたいなとか聞いたりしたので、
ああそうなんだみたいな、その辺のリアルさもなんかすごいしっかりしてるそうだなっていうふうに思ったんですけど。
うん、いやね、働いてる人の感じが印刷工場の人たちの感じなんですよ、本当に。
ほうほうほう。
この人たちのこと僕知ってんじゃうかなと思って。
へー。
僕はあの流れよりもうちょっと手前にいたんですよね。
だから印刷データを作ってる立場だったんで、ただまあその間にいるその印刷データを正反に落とし込む作業というか、そういう部門の人はやっぱり直接やり取りするんですよ。
だからデータがちゃんとその範を作る上で、ちゃんとした仕様にのっとってなかったら、なんだてめぇこの野郎ってなるわけですよ。
うんうんうん。
てめぇら作ってる側を作りたいように作って、あの印刷する側のことなんも考えてねーなみたいなことを怒られたりするわけなんですけど、
なんかその人たちのリアリティ無茶苦茶あるなと思って。
ああなるほど。
いやもうね、愛しかったです本当に。
いや良かったですね、現場感というか、デンデンさん演じてるそのねベテランというか、いろんな多分職を転々としてきたであろうけど、まあこの現場では多分ベテランな人の感じというか、久しぶりに怖くないデンデンみたいなと思って。
あとあの鬼役を演じてるジムの感じとかね。
いやむちゃくちゃいいですよねあれ。
あれすごい。
彼女も同級生でしたっけ確か。
うんうんうん。
すごいねあの、ちょっと30代ぐらいで子供ができたぐらいの若い社員が役職持ってみたいな。
多分すぐ辞めるって思われてたんだろうなみたいな。
そうですよね。
ちょっとチャラそうでしたからね、チャラそうでしたからね。
いやでもね、なんかその、わっすぐ辞めそうみたいな人が長くいたりもするんですよね。
うん。
人ってわからないっていう。
いやそこね、良かったですね、なんだろう、印刷会社を映画で見たの、僕もしかしたら初めてかもしれないですね。
そうですよね、あんまりやっぱりね、クローズアップされることあんまない気がするので。
確かにそうかもしれないですね。原作も印刷会社なんですかね、全然知らないですけどね。
原作も確か印刷会社だったはずですね。
なんならもう本当ロケ地も含めて原作と同じ場所で撮ってるので、埼玉県の浅賀市って場所ですけど。
あー、そっかそっか、そうですよね、あれ埼玉ですよね。
そうそうそう、だから埼玉って場所もまたあれ良くて、遠景で映った時にうっす、向こうに東京が見えるんですよギリギリ。
もうあの人たちの、主人公二人の人生そのものでもあるじゃないですか、それってっていう。
で、たまに池袋ぐらいまで遠出するってことですよね。
西部行こうかみたいな、西部でご飯食べようやみたいにしてましたけど、もうその地域の人たちの生活描写って感じですよね。
確か作者の朝倉さんの地元、お住まいが確かそうなんです、浅賀市なんですよね。
へー。
だから本当に自分が今住んでる場所で小説を書いてみたくなって、しかも自分と同じ年代の人たちの小説を書いたっていうところだったはずなんですけど。
いや、すげー。
いいですよ、本当に。
小説はもう完全に青年展なんですけど、結構小説もまた良くて、この映画僕プロモーションすごい好きなんですよ。
ショート動画のプロモーションなんですけど、小説の字の文を映画のシーンに重ね合わせながら見せるっていう、
両方の原作と映画、両方のプロモーション映像っていうのがたぶん3つか4つぐらい東方から出されてるんですけど、
それがめちゃくちゃ良くて、文体がめちゃくちゃいいんですよ、原作者の本の。
で、実際その主演されたお二人も結構それを意識しながら演じられてたっていうふうなお話をされていて、
例えば坂井さんが演じられてる方が、青人が須藤の死を知るシーンで、
ちょっと顔芸じゃないですか、とんでもない表情してましたけど、
あの時の確か原作の字の文で、アゴアゴがゴリっとなったっていう文があってて、
それだけアゴに力が入るってどういう状況なんだろうと考えながらあの顔をされてたらしいんですけど。
そうなんですね。いや、あの時の顔、その顔で大丈夫かって思ってたんですけど。
ちょっと大丈夫か、坂井マスターそんな演技下手じゃないよな、みたいな思ったんですけど。
いや、あれは忠実なんですね。
彼なりの解釈らしくて。
なるほどなるほど。
なんでこの原作のその小説自体が、青人の視点でのその結構身体感覚みたいなところに根差して書かれてる部分があって、
そこも結構読み応えが、まあ妻が読んでて、話し限り結構読み応えがあるってのことなので、
結構そういう意味でも、なんかストーリーというか原作も含めて結構この作品はいいんだろうなっていうのは思ったりはしてます。
多分なんですけど、原作だとその平場に対応する言葉が出てくるんじゃないかなって気はしてて、
劇中に平場っていう言葉、まあ映画だからっていうのもあると思うんですけど出てこないと思うんですよ。
小説やったら出るんじゃないかなと思って、まあその平場に対応する言葉が何かはわかんないですけど、例えばその壇上であるとかそういう言葉があったんじゃないかなと思うんですけど。
なんかそれなんですけど、わりとインタビューとか見てる限りは、その言葉から、小説から持ってきたというよりもなんか作者さんの中でお笑いがお好きらしく、
で平場って言葉を知って、すごいあの今書いてる普通にしっくりくるなってつけたっていうことらしいです。
いわゆるあのお笑いの平場のことなんですね、その拾い方。
そうそう、お笑いにおけるその舞台じゃない場所のことを平場って芸人さんたちが言ってるのを見て、ああそうかそういうことかもって思われたそうで。
なるほど。まあ劇中のことを素直に解釈するんだったら、あの埼玉県旭市が平場っていうことで、東京がその舞台の上みたいなイメージかなと思ってて、まあ2人とも一旦東京出てたわけじゃないですか。
で、それらがあえて嫌な言葉遣いをするなら、宮高地して地元に帰ってきて、地元という平場で生きていくことを選んだっていうところだと思うので、なんか結構そこをあんまり概念として深掘りしなかったんで、映画が。
小説の方はもしかしてちゃんと触れてたりするのかなって想像してたんですけど、むしろこう感覚的なものから拾ってつけた感じだったんですね、そこは。
みたいですね、あくまであの僕はまだ原作読み読なので、インタビューを聞く限りはそうっていう形なんですけど。
なるほど、でもむちゃくちゃいいタイトルだな、トークは。
素晴らしいタイトルですよね。
そうですね。
またね、埼玉って舞台の平場制みたいなものもありますし、主人公たちの人生における、もう要は舞台を降りてる状態っていうのも示せてて、ただ、そこから月を見てるってのがまたいいなっていう。
しかも、僕そこまで厳密じゃなかったのかもしれないですけど、劇中月が映る場面って何回かあると思うんですけど、ちょっとずつ欠けていきますよね、月。
そうなんですよそうなんですよ。
ね、多分もう最後の方、もうほぼ薄い三日月みたいになってましたよね。
半月だなと思ったら三日月になったみたいなんですよ、この映画が進むにつれ。
ちょっと途中で気づいたので、もしかしたら最初から映ってるやつ、最初はちょっと満月気味で、だんだんほど欠けていくのかなっていう、ちょっとこれは確かではないかもしれないんですけど、その辺とかしっかりやってるとか、いいですよねとかって思ったりとか。
あと地味にちょっと演出的にも思ったのは、やっぱりその平場の月というか、まあもう舞台を降りた二人みたいな話だと思うんですけど。
もうなんか大森なを演じるあの親友ですか、今更サーフィンか、今だからだよーみたいな言うとこ、わーいいじゃないですかーみたいな。
今だからサーフィンするのいいですよーみたいな。なんかそういうのね、すごくこんな年だからみたいな、もう私はもうそろそろ終わりなんでみたいなことじゃないわけですよ、やっぱり。
自分の今だからこそできる何か輝けるものじゃないですけど、人生日常を生きてくってこと、そのもの自体がすごく尊いなっていうふうに思ったし、
あと映画の節々に出てくる、ちょっとお前だらしないなエピソードというか、みたいなのも含めて愛おしいじゃないですか。
あの須藤の、若い美容師に見ついちゃってたってヘイペローみたいな話とか、
すげーな、あんたすごいっすねーみたいな話でしたけど、もはや笑い話というか、まあそういうこともありましたみたいな。
あのね、成田良が絶妙に怖くていいんですよね。
あいつ、お前来るなよって思いましたけど、怖えーよって思いましたね。
いやもう、俺たちの成田良ですよ、あそこほんとに。
ほんとあの、愛が何だいっこを久しぶりに信用しちゃいけない男成田良だなって思いましたもん。
チャラいね、もうほんとに。もうこういうのに入れ込んじゃダメですよ、もう。
しかもあんなね、もうこれはちょっと関係ないですけど、若干エセ感の漂う関西弁でございましたけども、みたいな。
あとなんか、それに関連してなんですけど、成田良も箱ちゃんっていうわけじゃないですか、須藤のことを。
苗字呼び捨てで呼び合う二人良くなかったですか。
あー。
そう、なんかその絶妙な距離感というか。
あの、なんていうか、やっぱりその、節々にもういい歳ですからっていうの出てくるじゃないですか。
もういい歳してなんていうんですか、何々ちゃんて呼ぶのはさ、みたいなことじゃないですか、あれって。
最初から、俺は最初からずっと苗字呼び合ったけどみたいな話はありましたけど、
けどじゃあだからといって、まあ仲良くこれからなりますよみたいな感じになった時に、
呼び方そんなちょっと砕けたの無理っくないですか、みたいな感じが出てるなと思いましたよ、今回は。
いやー、本作のなんか不器用っていうのともちょっと違うんですけど、こう下手さみたいなもの、各々の。
下手さみたいなのはすごいよくって、僕はむちゃくちゃいいなと思ったのが、キスシーンなんですけど、
はいはいはいはいはい、あのね、下手くそなんですよ。
もうね、いやー。
なんかキスシーンって呼べないんですよね、なんかもう上唇とかムヤーってなってて、あれはねキスとは呼ばない、チューですよチュー。
ベッチューっていうオノマトペが聞こえてきそうな、下手くそなキスをしてて、うわーなんかすごい良いぞこれ。
いやー、もう本当にあの青人が距離詰めてくところの、おいおいそういくかねみたいなところ、
あの皆さん多分やってると思うんですよ、これは。やってると思うんです、多分。やってて、でも本人はそれをみっともないと思ってるわけじゃないわけですよ。
はたから見てるから、お前お前お前、それわかんてみたいな風になってるだけで、そう、あれはリアルじゃないんですかっていう風に思いましたけど。
あのね、シーンは生っぽさすごかったですもんね、すごいですよね。
生っぽすぎて、ちょっとあの、見ちゃってごめんなさいって気持ちでしたよね、なんか。
人のそんなね、ちょっと求め合う姿をね、そんなマジマジとはたから客観的に見てしまって申し訳ないですみたいな気持ちです。
人のセックスを終わらないじゃないですけど、でも面白いんですよ、あのシーンは本当に。
そう、なんかね、本作ね、人に見せるように作られたものをちゃんと見てるというよりも、見せるように作られてないものを見せていただいているみたいな感じが。
そう。
なんかすごいね、ギリ坂井正人と井川遥であることでお見せできるようになってるけれども、本来的にはこれ見ていいものでは決してないはずのものを今見ているなみたいな。
そうなんですよね、本当に。もうそのなんかリアルさ、生々しさが、やっぱこれぞ大人の映画ですよね、みたいなっていうか。
これはね、もうそらもうその10代、20代の何秒ものにはできませんよ、こんなもんはみたいな。甘酸っぱい場まで終わりますから、やっぱり。
そうっすね、かつさっき冒頭で言いましたけど、坂井正人と井川遥というある種ちょっとフィクショナルな2人、だからこそギリ見れるっていうラインでもありましたね、これね。
うーん。
いや、ちょっと僕、現実にいる人があのキスしてたら、ああーってなっちゃうと思います、あれは。ああーってしまったーって。もう今この場を見てしまったことが本当に誰も幸せにならないっていう。
そう、もうこれは2人だけの時間なのに、僕が見てしまってごめんなさいな、わかった人、これは。もうこっちが謝らないといけないっていう。
消費していいもんじゃないっていうね。
そうそうそうそう。そう、見とまなくたっていいじゃないですか、みたいなことですよ、みたいな。
なんかだから、ある意味それを見れるようにしてるためのキャスティングでもあるっていう、絶妙ですよね、本当に。
あれは本当に素晴らしいです。
あとまあその、かっこつかなさの部分なんですけど、須藤の中学時代の志みたいなものなんですけど、まあ自分の母親が家族を捨てて出ていったっていうことで、
男にすがって生きていくみたいな生き方は嫌だっていう思いがあって、私は一人で生きていくんだっていう決意を強く固めて生きてるわけじゃないですか、中学時代の彼女は。
それが大人になってどうなったかっていう。
そうなんですよね。結局同じことしちゃってたねーっていう、なんとも皮肉と言いますか、なんというか。皮肉っていうのもちょっとなんか違いますけど。
友人から略奪婚をし、そして夫を亡くした後は若い美容師に見継ぎみたいな、一人で生きていくっていう言葉は何だったのみたいなのに、距離を置いて他人からはそう言えてしまうけれども、そのままならなさこそ人生だっていうのはすごい思うんですよ。
正論かまさないでくれよって話じゃないですか、やっぱり。そうじゃないと生きていけなかったからしょうがないじゃない、みたいな。
で、それらを経て、自分で自分のことを嫌いっていうふうになっても、まだ人生って続くわけですよね。
そうなんですよ。そうなんですよね。
そこでね、その間のことは関係ねーよって言ってくれる人が隣にいるって素敵なことですよ、あれは。本当に。
だから中学時代以降から50代の出会うまでの間っていうのは、まあ互いに空白なわけじゃないですか。
だからこそ映画はその空白の部分を描かないし、互いに問い正さないというか、話したい範囲で話すっていう。
私こういうことあってさーみたいな。え?僕のところに見ついてたの?ほう。でもそこから先踏み込まないっていうね。まあいいじゃん。昔じゃんっていう。こっからでしょっていう。大人ですよこれが。
それこそそれをこう明かされるときに青棟が言う。もう50代になればそんなこと何の悲劇でもないと。
俺だってそのぐらいの一つや二つはあるよっていうふうに言ってのける。これが50代というかこれが人生なのだっていう。
ね。酸いも甘いも経験してきましたっていうことですよね。
50年も生きればね。
あの青棟が自分のエピソード。女を追い出したみたいなこと言ってたじゃないですか。あれも結構丸めて言ってると思うんですよ。
そうですね。
あそこで話していいぐらいの丸め方はしてると思うんです。あのエピソード。たぶんむちゃくちゃひどいことしてると思う。
ね。もはや笑い話とかもう思い出だねってなってると思うんですけど。
そこはね、そこを描いてしまったら、いやお前それあかんやろってなると思うんですよね。
そこを描かないっていう。その現在進行形として人生の可否になるような部分っていうものはもうあえて描かない。
ただ過去として今の二人の中にそれらは含まれてはいるんだけれども、
ただそれはもう過去は過去でしかないから、今を描きますっていう風になってる。
まあ今っていうのはその二人が出会って以降ですけど、実際にはこの映画出会ってから1年後かの年末の話になってるから、
その出会ってからはちょっと時系列は微妙に入れ替えはあるんですけど、それ以外の部分はあくまで中学時代と
出会ってからの今しか描かないっていう描き方になってるのもクールだなっていう。
二人が互いのことを知っている範囲しか描いてないってところがクールだなって思うんですよね。
そこにこう中学生のその夢を描いていた二人っていうのと、50代の夢をみたいなことを考えている二人っていう。
そこが重なるっていうのがすごい良いんですよね、本当。夢の意味合いが変わってるというか。
そうですね、本当に。しかもあれですよね、時勢ほぼ一緒じゃないですか、僕らと確か。
確か本当は温泉に行く予定だったのって、今年の12月20日でしたよね。
なので、なんかまあちょっとずれますけど、この映画公開された時ぐらいに、
ああ、須藤が亡くなったのかっていう。1ヶ月前とかになってた話だから。
って考えると、ああ、すごい知らない誰かの人生、本当にそこにあったんじゃないかっていう気持ちにすら思えてくるぐらいだなってちょっと思いましたね、なんか今ふと思ったというか。
そこもなんかちょっとだけ原作から改編してるところらしくて。
ああ、やっぱりそうなんですね。
本当は2018年とかが舞台なので、そこで坂井さんがおっしゃってて印象的だったのが、
世代が変わると、原作の世代だと。ちょうど原作はバブル世代の2人の話になるんですよね。
だからお前とかって言い方がすごいしっくりくるんだけど、坂井さんが実際の今52歳っておっしゃってましたけど、
ほぼ実年齢で演じられてるはずなんですけど、氷河期世代なんですよ。バブル崩壊後。
なるほど。
で、それをやっぱ雰囲気の中でどうお前っていうのを解釈してるかっていう話とかもすごい面白くて。
だから、あえて現代色にしてるっていう。全然それで考え方変わるんですっておっしゃってて。
それはすごいですね、なんか。やりますね、脚本までやりますね。
いやー、むちゃくちゃいいな、その婚案。むちゃくちゃいいですね。
で、なんかその方がこの2人の話よりしっくりくるとこあるじゃないですか。
きますね。
いやー、それね、まずバリオンさんがおっしゃった通り、本作の時世がまさに今っていうの結構珍しいと思ったんですよ、僕。
うんうんうん。
あ、今だって。結構あえてずらすことが多いというか、なんか今として描きすぎると、ちょっとそこに気が行きすぎるというか、
あえて過去の方が、今じゃない方が飲み込みやすかったりすると思うんですけど、
あえて今っていうのは結構珍しいなと思って、すごい良かったとこだったんですよ。
うんうんうん。
あとそのバーブル世代じゃないっていうところも、あ、そこあるなって思ったのが、居酒屋での振る舞いなんですけど、
はいはいはい。
その、怒ろうとするんですよね。
はいはいはい。
あー。
で、カッコつけさせてよっていう、俺にカッコつけさせてよって言って怒ろうとするんですけど、
僕あの感覚って、バーブルにちょっと遅れてきた人の振る舞いなんじゃないかなって気がするんですよね。
なるほど。
おー。
ど真ん中の人って、そのカッコつけさせてよって言いもしないというか、当然、怒れない時点で女と飲まねえみたいな人いるんじゃないかなと思って、
うんうんうんうん。
そこを、なんか割り勘だよねっていう感覚で始まったところで、いやもう俺に腹を押したよって言うっていう感覚が、
バブルを仰ぎ見てきた人の感覚なんじゃないかなって気がしたんですよね。そこって。
なるほどなるほど。はいはいはい。
っていうのを思ったのと、あと、もうバブルど真ん中って本当に僕、嫌な時代だなと思ってるんですけど、
うん。
海が聞こえるっていう映画。
はい。はいはいはい。
あって、あのむちゃくちゃ跳ね返りのヒロインと、まあ主人公の男が、まあ結果的に、あ、俺あいつのこと好きだみたいな結論に至るんですけど、
再開してからその、今まであんだけ跳ね返りだった女の子が、主人公の男の、3歩後ろを歩くようなラッソになってるんですよ。
おおおおおお。
ほうほうほう。
これがバブルの男女感だなって思って、むちくち嫌なものを見たわと思ったんですよ。
結局あんなに跳ね返りだったのが、シュワらしくなっちゃって女の子になったねとか、そういう感覚の時代なんでしょってもう、もうクソ暗いだわと思ってあれ本当に。
うんうんうん。
あの映画好きなんですけど、あのラッソむっちゃ嫌いで、その、対等な関係というか、むしろ女の子の側がガンガン来るから良かったものを、なんかそれを男の後ろを歩くようになったのが、さも良きことであるかのように描いてんのも、クソったれやと思ってたんですよ。
嫌な時代だなと思って。
うんうんうん。
でもちょっとやっぱ遅れてくると、そうならなくなるというか、別に男の方が別に経済的にもめっちゃ優位っていうのもちょっと弱まるし。
ただ、その世代に対する憧れはあるんですよ。ちょっとしたら。
うんうんうん。
わーなんか、ガンガン女性に奢る男、これが男だよねみたいな、それがカッコつけるってことだよねみたいなのを見てきたんじゃないかなと思って。
うん。
だから、東京でもそう振る舞ってきたと思うんですよ。
うんうんうん。
伊達男でありたいみたいな。
うん。
なんかその片鱗みたいなのをね、ちょっと感じたんですよね。
この良くない時代の片鱗みたいなものを感じて。
うんうんうん。
で、そのね、なんかね、リアルさはあるなっていうのは、なんか感じたんですよ。
うんうんうんうんうん。
海は聞こえるは、1993年放映。
主人公が大学1回生で18歳か19歳。
2025年時点で50歳か51歳となり、ひらばの月の2人と同世代になります。
なので、2作品を人物の世代で区別するのは適切ではなく、作品の制作年の違い、そして劇中年齢の違いで捉えるのが適切だったかと思います。
いや、すごいですね。その…
そう多分、演出としてはおそらくその、演じやすくなるように、実年齢に合うようにっていうところはまず前提としてあったとは思うんですけど、
やっぱり物語として、青人の精神性みたいなものの解釈が割と変わるよなっていうのは本当に思って。
それこそ多分中高時代まではおそらくバブルだし、トレンディーが主流だったものがだんだんそこを引いていって、大人になったらその理想像が崩れていってる世界で生きなきゃいけなくなった2人じゃないですか。
それってある意味2人の中学時代から大人になっていくっていうところにも、世代的にも実際通じ得る。
あれ?思ってたのと違うぞ大人っていうふうになる時代というか、世代なんだろうなとも思いますし。
ゆえにその世代のことを多分すごく素直に描けてるようにも見える。
舞台に行こうとして平場、自分が思ってた舞台ではなく平場で生きるしかないっていう、その世代のリアルもたぶんある程度この中に刻まれているような気がしたので、
その辺やっぱり向井さんかもしれないですけど、この法案、脚本っていう意味では。
いやーよくぞやってくれたなというか、すごいなと思います。
向井:「氷河期世代のことなんじゃないですか、平場って。」
たしかにそうも捉えられますもんね、そう捉えると。というかそこを踏まえると。
そうか、いやー氷河期世代が本当バブルも直近にわかってるからこそ余計につらいなみたいな感じなのかな。
僕らぐらいになるともう遠の昔すぎて、もう昔はすごかったらしいですねみたいな。
あの我々ずっと失われた何十年みたいな中でずっと生きてますけどみたいな話ですよねみたいな。
って思ってるんですけど、やっぱり近いからこそ余計にちょっとひけ目じゃないけど、
なんとも言えんなみたいな気持ちになるんだろうなっていうのはあるかなって思いますね。
そう、だから同級生4人が居酒屋で飲んでるときに、同級生で1人だけ銀座に住んでるっていうこの話をしてると思うんですけど。
あー、いましたねいましたね。
その時の、旦那さんが外資なんだってっていうときの外資かーってこの回答の低さが面白すぎて。
いやでもなんかそうなんだろうなってすごい納得もしたんですよあの描写。
いや、言いそう。もうなんかその、高収入みたいな人たちの世界観わからなすぎて、
ああいうことしか言えないなっていう気持ち。
もう僕らでもそうじゃないですかみたいな。
もうよくわかんない言葉使ってますもんね。
そうそうそうそう。
へー外資系なんだーよくわかってないっすみたいなっていうね。
まあでもきっと高収入なんだろうなーっていう想像の感じで。
だけわかるみたいな。
バリバリやられてるんですね旦那さんみたいな感じですかねっていう。
いやーあのーあと僕はあの男友達のやりとり、
僕結構嫌なやりとりだなーって思いながら見てて。
中学時代のいや俺告白しようみたいなノリもほんと嫌なやつやなーと思ったあれ。
あのー男同士の嫌なノリだなーと思ったし、
それ別に50代に乗ってもそんな変わらんなーと思って。
そうなんすよね。
葬式で須藤さんみたいな、何してたのみたいなこの距離感嫌だなーと思って。
うんうんうん。
まあ僕あの4人組の反応で一番嫌だなって思ったのはあの結婚式で笑ってたところですかね。
あーあの吉岡六郎さん。
あの人もほんと最高ですけどね。
いやもうね、ああいう奴らってね合コンとか行ってもね、
いやこのノリ面白くねーよなとかって言ってね、
男同士でこちょこちょ喋り合ってね、場の空気乱したりしてるんですよ。
ははははは。
うん。
もうザ・ホモソーシャルで生きてきた人たちっていうね。
いやー、その地元のちょっと嫌さもちゃんと描いてますよね、そこ。
そうそうそうそう。
あんまりだからそう、良いものだけとしては描いてない感じもいいんですよね。
しっかり嫌なんですよ。
あとあのパートで一緒に働いてる、あの安藤さん演じてる、
あのめちゃくちゃ噂好きでいらんことまで喋ってくる葵ちゃんでしたっけ?とかね。
そうですね。まあそこのなんかねちっこい人付き合いというか、
人間関係が渦巻いてる感じ?っていうのがやっぱりリアルというか、
地元のリアルって感じだと思うんですよね。
スーパーで会った時の反応とか最悪ですからね。
うん。
なんかなーみたいな。
なんかそこかかとなく、嫌な感じって言ったらいいんですかね。
なんか悪気ないんやろうけどーみたいな。
たぶんそれ以上にたぶんホットなトピックって基本的にはないと思うんで。
そうね。噂話好きでーみたいな。
そうそうそう。
正直中学生時代からそんなやつでしたもんね。
私たちが助けてあげようねーみたいな。
うるせーなーみたいな。それは怒るわーみたいな。
気持ちになりますよーみたいな。
でもあの中学時代、あの関係性であったものが50代になると一緒にいないといけないみたいなのも、
はい。
それがあの店に行って座った時に、あ、もう隣にいないんだっていうふうにして泣くっていう。
うん。
そうですね。
もうベタですよ。ベタですけどね。
あと思い出の薬師丸ひろこも流れてねっていう。
そうそうそうそうそうそうそう。
そしてしおみさんがそっと音量だけ上げてくれるのがねまたね、意気ですねみたいなね。
うん。
だって完全にもうそれってね、たぶん山口さんもこちらのポッドキャスターの方でおっしゃってますけど、花束みたいなこういう人と同じじゃないですか全く。
はい。
ファミレスでかつての自分を見て、ああもうあの頃には戻れないって知るみたいな。
はい。
すると全く同じっちゃ同じなんですけど。
うん。
いやでもね、戻れなさの質が違うんですよねやっぱり。
そうそうそう。
もうただひたすらにうなだれるしかないっていう。
うーん。
もう実感ともうその先のなさと言いますかもう、期限がそこまでなさそうみたいなとこ含めてですよね。
うーん。
あとあの、今更触れますが、須藤かわいすいませんが。
あははは、思いました思いました。それはもちろん思いました。
いやーこれはね、まあ伊賀遥さんってあのサントリーの核のCMやってたりとか。
ああ、ありましたね。
バーのママみたいなのは、合うんちゃ合うキャラはしてたわけですけど。
この、ちょっとぶっきらぼうな言葉遣いで、まあ中学時代の同級生ですよねみたいな距離感で話す。
このね、むちゃくちゃいいですよ。
むちゃくちゃいいですよ、あれは。
あの、恋は光の西の七つに通じる良さがありますよね。
ああーそこ拾うか、なるほどなー。
幼馴染感ね。
てかまあ、友達、まあもちろん恋人関係ではあるし、お互い許し合うんだけど、
その、いわゆる恋人ではなく、なんなら戦友ぐらいの距離感でいたい感じの二人というか。
確かに幼馴染ポジション感あるー、確かにそうだ。
まああとあれですね、あの、髪下ろした時の須藤、ドキッとしましたっていう。
はい、すっごい俗物的な、ビジュアル的な話なんですけども、髪を下ろした時の須藤、私ドキッとしましたっていう。
いやー、なんかいろいろあったんだろうなって思っちゃいますね、本当に。
病院のバイトでいきなり働いてたら、なんかいろいろあったんだなーって。
その、多くは問わないけど、いろいろあったんだなーみたいな、その感情をすごい思っちゃうだろうなと思って。
でもあの態度もしかしたら青人の前だけかもしれないなとかもちょっと思いましたけどね。
それこそ慣れた量の前ではきっと違う態度を示してたかもしれないし、元夫の前ではもう少しこう女性らしい振る舞いをしてたかもしれないし、まあこれはカッコつきですけど。
それはもう余白でしかないですもんね。
余白でしかない、まあそれがまたいいんですけどね。
そう、もう過ぎたことですからっていう。
そうそうそう、でもそれを青人がいる前では、ある意味中学生の頃のあの理想に慣れてるっちゃ慣れてるみたいな。
はいはい、いやその、青人の前だけではあの頃の私を続けるって言って、そこでね、意地張るのがね、もう辛いんですけどね、僕あれカッコいいなと思っちゃって、あの最後は。
うんうんうん。
中学時代の意地張れたねって言ってあげたくなるというか、それをやれなかったからずっとしんどかった部分があったのを、本当は一番しんどいはずのところでその意地張り通せたのは、カッコいいなって僕は思っちゃうんですよね、ああいうのを見ると。
これがいいことかどうかわかんないんですよ、あれはちょっと嫌な話でもあると思うんですけど。
うんうんうん。
そうですね、なんか別にそこで意地張らなくてもよかったってよかったのかもしれないんですけどね、って思うんですけど。
こう間違ってても自分らしさを貫きたいっていうその生き様ですよね、もうね。
そうですね、やっぱりそういう意味でもやっぱ結局ままならないなっていうところですよね、人生の。
そこがもうある意味ストーらしさでもあって、その強さって青人なんて大したことないんだっていう中学校の頃の擦り込みをそこで果たしてみせたというか。
つまりそれは男なんて大したことないんだってことでもあると思うんですけど、なんかそこがちょっとやっぱ彼女らしさもあって、だからすごい一概に彼女のことを責められるわけでもないなっていうのがすごいまた味わい深いなと思いますね。
いやー、かえすかえす、僕は本当にこの映画が好きですね。
うんうんうんうんうん。
ちょっと年齢的な部分で刺さってる部分もあると思うんですけど。
うんうんうん。
いやでも年齢関係なくというか、しっかり新しいものを見れてる感覚もあるんで。
そう、ちゃんとままならさ、諸行無常さみたいなところは年齢関係なくしっかり感じられるし、本当に地に足がどこまでもついてることが素晴らしいなと本当思いました。
はい、ではそんな感じで平場の月の話を終わっておこうかと思います。
ではお知らせになります。映画の話しさせれば次回開催日は12月20日土曜日になります。
これまでは毎月最終土曜日の開催が基本でしたが、今後は開催タイミングが流動的になりますのでご注意ください。
場所は大阪南見る町週刊回り19時オープン23時クローズです。
またこの番組ではお借りを募集しております番組全体やトークテーマ作品に向けてご自由にお送りくださいませ。
2025年のベスト投票もお待ちしております。締め切りが12月25日中にお願いいたします。
ファーの最新情報を次回テーマはXおよびインスタグラムにて告知しております。各言内は番組説明文をご確認くださいませ。
それでは映画の話したすぎラジオ第240回ひらばの月の回を終わりたいと思います。それではまたお会いしましょう。さよなら。