1. (仮)ムカツキ〜明日を耕すタネ〜
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2024-09-09 34:39

#01.違和感やムカつきを自分こそが正しいんだと思い込み、自己を正当化する私

違和感やムカつきを自分こそが正しいんだと思い込み、自己を正当化する私。https://x.com/iamloveboyfukui/status/1793950361214198015

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サマリー

このエピソードでは、自己正当化に対する違和感やムカつきについて、話者が自身の感情と向き合う姿勢を示しています。また、社会的役割や固定観念に対する葛藤が浮き彫りになり、特に家庭内での役割分担に関する考察が展開されています。自己正当化とその影響についての議論も行われ、社会的なレッテルや固定観念が個人に与える負の感情や疲労感が詳しく語られています。さらに、自己理解のプロセスが探求されています。

自己正当化とムカつき
たまです。
たいきです。よろしくお願いします。
前回があれですね、こういう番組をやりましょうかっていう相談会。
実質、第1回目の配信が今日になりますね。
まだ番組名もついてるでしょうか。
今、収録日時点ではまだ決まってない。
なんかさっきね、こんな感じがいいかなっていうのはあった。
ちょっとアンアンというか喋ってたんですが、固まることなく。
クリティカルなタイトルがあれば思いつけばそれつけるし、
皆さん思いついたら是非ちょっと命名してほしいですね。
これを出す前にね。
配信してる時にはね、決まってるかもしれないですね。
だから、配信の前に聞くかもしれんね。
そうですね。
今回は、たいきくんがXQツイッターで書いてたムカつきをテーマに喋っていくんですが、
今回のムカつきは、違和感やムカつきを自分こそが正しいんだと思い込んで、
自己を正当化する私です。
ですね。これにムカつきますね。
こういうことをしちゃう私にムカついちゃうんだけど、
これを書くときの具体的な何かっていうのは例によって覚えてないんですが、
ムカついてるときとか、それこそ違和を感じるときって、
自分をゼとして、そうじゃないものに出くわしたり発見したときとかにムカついたりするんですけど、
ムカついてるときって、もしかしたら、
僕の方が間違ってるかもっていうことを思う前にムカついてるんですよね。
で、後から一見考え、一区切り置いて考えると、
考えると、もうちょっとムカつきが弱まっていたり、
よりムカついていたりすることもあるんですが、
その瞬間にやっぱり、自分をすっごく非力目で見てるなとか、
あとは、自分が今までしてきたことを正当化するために、
ムカついてたりも多分するなっていうのを感じますね。
それは理想やな。
自分がしてきたことの、
何か過ちというか失敗っていうのを認めたくなさからのムカつき、
ムカつきというか正当化してることっていうのが、
今何か具体例がまた思いつかないんですが、きっとあるなっていうのがありますね。
だから自分を棚にあげてるなっていうのもよく思います。
そうやんね、そうやんね、そんな気がする。
自分を棚にあげてるなっていうのもよく思いますね。
社会的役割への葛藤
そうやんね、そんな気がする。
今全然例が思いつかないけど。
何か何だろう、
私が大輝くんが書いてるムカつくっていうのを、
良いなって思うのが、
ムカつきを素通りして、
例えば気がつかないフリをするなりして、
こう言った時に、
なんとなくやっぱり、
全員が見て見ないフリをしていたら、
社会って多分中枢になってる人だけの思惑で進んでいくし、
それって必ずしも私とか、
目に見える周りの人でもいいんだけど、
にとっていいかどうかって分からないよねっていうのは、
立ち止まって考えたいなっていうのはなんとなくあって、
でも確かにそこでムカついてる時に、
自分らしいっていうのって、やっぱり思ってるなっていうのはある。
例えば、政治の決定事項に対して思ってたんだとすれば、
政治家に対してだったり、
それを選挙だったらそういうふうになってしまうシステムに対してだったり、
悪いものとして見てしまうことが多い?
そうですね。
たぶんひいては対立構造みたいなのを作るから、
戦争をするみたいなことも、なんかそれかもなっていうのもある。
確かにそうですね。戦争のきっかけは、
自分というか、自分たちが、
どっちかを正しいして、どっちかが悪いっていうのが固定化したときに、
なんかそうなるような気もする。
そうですね。自分の正義を振りかざしたときに戦争が始まるので、
正義、正義を振りかざした時に戦争が始まるので、
自分の正義を振りかざした時に戦争が始まるので、
自分の正義として何か悪いものに見えているものに対して、
正義を振りかざしちゃいますよね。
振りかざしちゃう。でもなんかそれをたぶん、
ここで書いてるみたいに、なんか一回私それやってるみたいなのを思うだけでも、
思うだけでもなんかこう、ちょっと一回この正義と悪っていう、
この固定化したものがちょっとこうゆるく崩れていくみたいな。
完全にたぶん自分でそれを剥がすって、
それこそ悟りの境地みたいにいかないと難しい気がするけど、
なんかそんな感じにするな。
そうですね、なるべくこれが良くてこれが悪いっていうのを僕の中で決めたくはないんですけど、
たぶん無意識的にいろいろ決めちゃってて、決めてることも気づかないうちに決めちゃってて、
で、悪だなーって思って、悪だなって思ってる自分は正義だなっていう感覚に気づいた時に、
そういう自分にムカついたりしますね。
その一個一個離れた自分がいるみたいなのは置いておきたいよね。
今正義と悪っていう言い方をしましたけど、
だからといって、悪だなっていうか、
その視点を全部なくしたいわけじゃなくて、
良くないものは良くないっていう態度では痛いんですよね。
だからこそこのムカつきのツリーだからね。
だからその良くないものは良くないって言った方がいいけど、
良くないかどうかを決めつけるのは良くない。
ちょっと入り組んじゃってるけど、っていう時に、
これ良くないかどうか結構早い段階で思っちゃってたなっていう、
あんまりよく考えずに良くないって思ってるっていうのは感じますね。
ずっと多分その保留にしておくみたいな状態は、
多分、めっちゃコストがかかるよね。
頭の中でずっと考えてなあかんから、
良いか悪いかっていうのを多分決めた方が何となくこう、
ずっと考えてないんですよね。
けどそれをひっくり返したりとか、
もう一回考え直せるっていう人を頭の中にどっかで置いておきたい。
とりあえず仮にそうしましたみたいな。
全部仮が良いなって思う。
仮って良いですね。
今後変わるかもしれないし、
今後そうじゃなくなるかもしれないっていう余白の部分が。
良いな。
そうですね、その余白がないときに自分に対して、
あれだね、決めちゃってんなって思うんだよな。
私は多分その余白のなさ、
決められてるみたいな感じがめっちゃ苦手なんやけど、
子育てと社会的期待
なんか、
結婚するって婚姻制度みたいなもので、
ずっと一緒にいるっていう前提で、
婚姻システムを使うみたいな感じになるのが、
なんていうんだろう、別に今は一緒にいたいと思って、
もちろんこの後もそういう風にしていきたいっていう気持ちはあるんだけど、
その関係ってほんまにずっとそうですかって言われたことがわからへん。
だから、そういう枠の中にあんまり入れたくないみたいなのがめっちゃあった。
確かに。
なんだろうな。
変更が難しいですもんね。
結婚からの離婚のその変更って容易にできないので、
固定化されちゃいますよね。
なんかね、そこすごい。
確かに。
この次のやつの作られることと、
そいつにかかってしまうみたいなテーマがつながる感じがするんやけど、
私は何がそんなに嫌なのか。
まずはなんかこう、
多分名前を変えなければいけないっていうのもすごく嫌いし。
それは大きいですね。
なんだろう、別に相手の性が嫌とかでもないし、
どっちが変えてもいいと言えばよかったけど、
やっぱり男性の方が社会に出る割合が高いし、
その方が変えるリスクが高いから、
必然的に女性が変えなきゃいけないし。
あとはなんかこの、
夫・妻って役割になるのが嫌なのかもしれない。
それはそうですね。
そこが僕結構ムカつきポイント高いですね。
あとは親とかもなんとなく嫌やね。
子供に、
最初の頃、まだあんまりしゃべれない頃に、
ママと呼ばれてた時期があったけど、
役割として呼ばれてる感じがすごく嫌やったね。
ここに来たら終われないからちょっと待ってて。
ちょっと待ってて。
あと20分くらい。
なんだろうね、このくくられるの嫌さはすごく。
くくられるのは、すっごいくくられた時に、
まあ、くくられてるなって思う。
めっちゃ思うんですけど、
一方で僕も多分無意識的になんかくくってると思うので、
そうなのよね。
一番あるのが、くくられた時に、
この人くくる人だっていう、
くくる人っていうくくり方をしちゃうんですよね。
確かに、それめっちゃあるかも。
この人は一面だけを見て、
こういうふうに物事をすぐくくる人なんだなっていうくくり方をしちゃって、
くくるっていうか、レッテルを貼っちゃう時に、
そういう自分にムカつくというか、
またやっちゃうなっていうのがありますね。
めっちゃあるな。
役割が性的とか、
父母、パパ、ママで役割が、
なんとなく雰囲気で決まってしまっているのは、
腹立ちますね。
私は、
父ではあるし、父親ではあるんだけど、
別に父親じゃなくていいというか、
女性にしかできない授乳とかはもちろんあるんですけど、
父親と母親って、
分けて呼ばないといけないことってそんなあるかなっていうのは、
感じますね。
やっぱりね、強いよね。
なんか、
どっかでも聞いたこと、
聞いた話かもしれないけど、
子供の検診の時、
そもそも時間が平日の日中っていう、
明らかに働いてる人向けじゃない時間に空いてて、
私はザコロナの期間やったから、
どっちかしか一緒にいけない。
片親しか部屋に入れないみたいな。
最初は多分一緒に行ったけど、
片親しか入れないってなって、
で、結局なんか、
私が一緒に入ったんやけど、
やっぱり過ごしてる時間が長いから、
多分、ちょっと知ってる情報が多いとか、
で、ついてったんやけど、
なんか、
そういう、ほんまに多分ちっちゃいことで、
ちょっとずつちょっとずつが積み重なって、
なんとなくこう、
子育て女親っていう、
なんかこの繋がってる感じが、
すごい兵庫になってる感じがしたね。
そうですね。
そうですね、検診って、
そうですね、検診のときに、
僕と僕の母親と子供で3人で行きましたね。
何してたのかな?
覚えてないけど、
その時に先生が、
僕、母親と言ってるんで、
もちろん歳の差があるわけで、
すごい歳の差ですねって言われたことを覚えてます。
母さんと思って。
お母さんであるべきだというね、
多分あれがかかってる感じするね。
そう、歳の差がすごいですねって言われて、
そんなこと言うなよって思った記憶がありますね。
なんで、妻何してたのかな?
妊娠してたのかな?
そうか、歳近い?子供同士。
違うわ、違う違う。
でも3歳検診じゃない。
3歳離れてるんですよ。
3歳検診の時はそうかもしれないけど、
1歳時と2歳時、
ちっちゃい時、何してたか覚えてないな。
でもその1歳の時に、
母と一緒に行って、それがありましたね。
なんかその、くくられたくないっていうのの一つで、
SNSでよく、
父親叩きみたいなツイートがあって、
だから男はダメなんだみたいなツイートがあって、
お父さんはこういうことできない、
お母さんをしてるのにお父さんはできないっていうような趣旨のツイートがあって、
だからお父さんってダメだよねみたいなリプライが来た時に、
僕はできてると思いたい自分がいて、
そうね。
だからくくってるその中に自分を入れたくないんですよね、すごく。
だからくくられてる中に自分がいたくないから、
くくってほしくないって思うんですけど、
なんていうんですか、
自己のくくりについて
その中で僕のことはたぶんくくってないんですよ。
なんていうんだろう、
男性親をざっくり批判してるけれど、
僕が男性親のことをくくってるからこそ、
僕がくくられてるって思っちゃってるんですよね。
僕が全くくくってなかったら、
そのくくりの中に僕入ってるかなとかっていうことすら気にしないはずなので、
少なからず僕がくくっていて、
くくられている中に僕はいたくないって僕が思っていて、
すごいなんか傲慢だなと思いましたね。
そうか。
でもそうやね。
くくられてないその中に入ってるかなって、
入りたくないなっていうのはそのくくりとして見てるみたいな。
そのくくりの一面を。
なんかそういうツイート見るとめっちゃ複雑な気分になるね。
そうですね。
なんかそれを書くことで、
冒頭みたいなのを助長してる感じもあるし、
でも現実そうであるっていう面は否定もできないし。
そうですね。
風刺的にそう書かれるのもそうかと思う反面。
でもそうやっていつまでも書き続けることでやっぱり、
例えばその人がほんまに男性がやってくれないことに悩んでるなら、
それをあげることあんまり解決策にはならん気もするなって。
人間の負の感情の方をずっと触られてる感じがする。
そうですね。
確かに。
そっちの方が人が動くからっていうのはすごくあるんだろうけど、
それこそ見てもらえるみたいな、
人の負の感情を刺激するとやっぱり動きやすいっていうのがあるんだけど、
僕それに振り回されてしまう。
振り回されてしまう。
でもそうですね、僕もそれは他のことでそうですね、負の感情の方が揺さぶられやすいですね。
なるべくくくりたくないくくるとか、レッテルを貼るとかそういうのをしたくないって思いつつ、
より自分が人よりも多分しちゃってんのかなっていうのを感じますね。
そうね。
どこをどう比較するっていうのは難しいけど、
嫌だと思ってるからこそ裏返しみたいな感じはあるよね、ずっとね。
全くくくらない人は、
そのくくってるかどうかも。
確かにね、気にしない。
気にならないかもしれない。
そうかもしれない。
なんだろう、くくるってなんなのかな。
安心したいみたいなことなのかな。
理解するためには、
これが何かを理解するためにはこれじゃないものが何か分からないといけないので、
分けないといけないので、そういう意味で差を作ってるんだろうけど、
その似てるものと似てるもので、くくるってなんなんすかね。
今まで知ってた何かと今見てる何か、なんか似てる部分があれば、くくっちゃうよね。
くくる。
なんかそれこそさっきのこう、正義と悪みたいなのを明確にしておくことで、
自己理解の難しさ
脳のリソースを溜めとくというか、なんかとりあえずそれでいいことにして、
もうそれ以上考えないみたいな。
くくっておけばこういうものとして処理できるから。
そうですね。
っていうのはあるんやろうけどね。
うん。
それをこう同時にしておくっていうのがすごい難しいよね。
やっぱり全部が全部をこう、何だろう、仮状態に置いとくみたいなのはめっちゃ難しい。
理想的だけど難しいですよね。
そう。なんか多分他のことに支障をきたしそう。
日常生活に、多分めっちゃ支障をきたすけど。
そうですね。今日夕飯何作ろうかなとかそういうのを取りにできないですもんね、夕飯は。
だからなんか、
かっこ仮、だけどでも決めておくっていう、仮にやっぱり名前をつけるみたいな。
うんうんうん。
でも仮だと一応知っているみたいな状態。
かっこ仮とくくるって結構似てることしてんのかもしれないですね。
うん、なんとなくそんな気がした。
僕が好きなことと好きじゃないことがほぼ一緒なくくられ方もできる。
そうか、そういうとに似てるってなんすかね、似てる。
似てる。
子育てをしてるとなんか常にこう、かっこ仮ができないから、
なんか決断を迫られることが多い感じがして、
なんかそれでこう疲れるのもあんのかなとか思ったんよ。
確かに。
常になんか、しかもなんだろう、自分だけのことじゃないから、
相手にも影響することで決断をずっと下し続けなあかんけど、
自分自身がかっこ仮スタンスっているから、
その一個の決断に対するエネルギーがめちゃくちゃかかるんやろうと今思った。
そうかも。
なんか、この間、何駅だっけ、
ほぼ教育最前線っていうポップキャストで、
大学生が大人に対して質問するみたいな、
夏休みにいつもやってるコーナーみたいなので、
実際の正確な質問内容忘れたんやけど、
大人が理不尽に何かを変えるみたいなのは、
ほんまは子供のために思ってるんじゃないの?
思っててほしい。
それはありますね。
大人は理不尽な態度で子供に接したことがありますか?
みたいな質問やったかな。
めっちゃある。
めちゃくちゃある。
そうでないようにしたいってすごく思ってるし、
なんか、その中で、
一つの大人も感情の波はあるから、
その時に理を尽くして説明するみたいな理不尽な態度で、
理不尽やから、理が尽くされてないみたいなことが理不尽だと解釈すれば、
きちんと説明するみたいなことも、
理不尽でない状態に持っていくのに必要かもねっていう話をしてて、
めっちゃ私自身トライしてるけど、
その説明を?
そう、説明を。
子供に聞かれた時に、なるべくせっかくに答えようと努力する。
それはそうですね。
本間はこれはちょっとわからへんねんけど、
今はとりあえずこう、みたいな。
そういう説明の仕方がありますね。
社会ではこうなってることが多いんだ、みたいなことをなるべく確定させずに、
自分の中の最大、正確な状態として出したいって思うがあまり、
たぶんめっちゃ自分が疲弊してるんやと思う。
疲れちゃうってのありますね。
僕が知らないこととか、答えがすっごい難しい質問の時とかは、
保留にしてますね、僕は。
だから、今日私の力では答えれないから、
週末一緒に図書館に行って調べましょうっていう保留にして、
答えをその時は答えないようにしてますけど、
答えたい時もあるんですよね。
この時に自分の言葉で答えてあげなきゃいけないっていう時とかは、
ちょっと時間いただきますね。
ちょっとっていうか、ちょっと今考えるから待ってって言って答えてますけど、
確かに疲れますね。
なんか常に頭をこう回転させてる感じがするね。
なんか、なんでこんなに疲れるんだろうなっていうのが、
ちょっと一個私の中で解けた気がする。
子育てのプレッシャー
なんか仕事として、保育士としてやってた時は、
たぶんそこの、そこがもうそれだけにフルベッドできるから、
まだなんかこう、
自分の言葉で答えてあげないといけないんですよね。
うん。
自分の中でもフラストレッション玉ですし。
なるほど。
っていうのがあるのかな。
うん、なるほど。
っていう、なんか、子育ての話になりましたが。
そこを、あれですね、適当に答えてあげないといけないんですよね。
うん。
だから、
自分の中でもフラストレッション玉ですし、
フラストレッション玉ですし、
っていうのがありましたが。
そこを、あれですね、適当に答えるっていう選択肢がないから、
そうなんよね。
どう、なんか、
どう逃げればいいかわかんないですよね。
そう。
逃げるというか、乗り切るかっていうのは。
難しいですよね。
身をかわす。
すべをし。
今、めっちゃなぜなぜ気やから、
もう、口を開けばなぜやから、
その理由、今自分で言ってたやんみたいなこともなぜで言うから。
ってなってるわけです。
それで、自分が何を知らずに生きてきたかっていうのを気づきますよね。
そうね、すごいなんか気づかされるよね。
そういう子育ての話に戻り着いたところで、
今回はこんなところでいきましょうかね。
そうですね。
はい、では、ありがとうございます。
ありがとうございました。
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