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スピーカー 2
そうですね。
話変わるんですけど、地下アイドルの法廷式っていう、
これはなんか配信でやってるんだと思うんだけど、
立て方のショートドラマみたいのあるんですよね。
それ僕は毎週土曜日にリリー・フランキーのスナックラジオっていうラジオを聞いてるんですけど、
リリー・フランキーが出てて、
そのラジオにゲストで、最近地下アイドルの法廷式に出てる女優さんっていうのかアイドルなのかな、
女性たちがちょこちょこゲスト出演してるんですけど、
前回出た子がリリーさんに虫ちゃんって呼ばれてる子なんですけど、
その子がすごい素敵な子で、
虫ちゃんってそのまんまなんですけど、魚君みたいな感じですよ。
虫が大好きなんですね。昆虫とか、昆虫じゃない虫も含めて。
めちゃくちゃ詳しいんですよ。
たぶんまだ20歳とか、もしくは20代前半ぐらいじゃないかなと思うんだけど。
インスタでちょっと見たんですよ。めっちゃ可愛いんですよ。
僕からすれば娘みたいな感じですけど、可愛いらしい子で。
虫が大好きで。家にゴキブリ飼ってんだって。
でもそれはちゃんと売ってるゴキブリ。
家に出るようなゴキブリじゃなくて鑑賞用のいろんな種類がゴキブリもいるみたいなんですけど、
っていうぐらい虫が好きでね。
その子がなんで自分が、実際にアイドルやってるんですよ。
グループとかで知らないんですけど、そこ興味ないんだけど。
なんでアイドルになったかっていうと、やっぱり虫とか生き物とか、
たぶん彼女からすれば動物まで含めた、
生き物っていうものをやっぱり過論じている人がすごく多いというか、
虫の命とかね。
それが地球環境とか、命そのものの大切さとか尊厳みたいな話もそうなんだけども、
地球環境にも影響、悪影響を及ぼしているとか、
そういったことで虫をもっと大切にしたいとか、
そういうような思いで、そのためにアイドルになって、
発信力とか、自分の意見を広く伝えるためにアイドルになったっていう、
すごい志じゃない?
そうね。
その子の話聞いてる限りは、本当に一点の曇りもない感じ。
本当にそれが理由でアイドルになったんだっていう。
もはや政治家レベルだよね。
志持って、アイドルはただのツールにしか過ぎないみたいな。
でも普通の女の子なんだよね、可愛らしい。
すごいなと思ってね。
そんな子がいました。
今日の本題なんですけど、
今日はちょっと巷の話題に乗っかろうかなと思ってるんですけど、
連れつでね、少し前だと思うんだけども、
ヨガに解剖学がいるかいらないかとか、
哲学がいるかいらないかとか、もっと言うとアーサナがいるかいらないかとか、
あと瞑想がいるかいらないかっていう、
哲学が大切だと思ってる人はアーサナいらないとか、
解剖学いらないとかって言ったりとか、
アーサナが大切だと思ってる人は他のものいらないって言ったりとか、
それぞれの立場でいろんな意見みたいのがあったりして、
結構だわついてるっていうか、
そういう、それにみんな私はこう思うみたいなことを挙げてるのがあって、
別に対してよく見てないんですけどね。
それに関する僕たち、僕、まりこさんの主張っていうか、
意見、ファンスをちょっとここで出してみようかなと思って、
今日はそんな話題です。
スピーカー 2
うちは、強いて言えば、もちろんアーサナを中心にクラスでは、
マイソウルクラスっていうアーサナのプラクティスを見て指導していくっていうことが
メインにはなってますよね。
世にあるヨガスタジオとかヨガ指導っていうのは、それが最も多いですよね。
だからヨガイコールアーサナっていうイメージが世に浸透してると思うんですけど、
それで言えば、プラスして、
座学、ベイダーベイダーアンタの学びは哲学とは言わないって僕は先生から教えられてるんですけど、
一般的にはそのあたりを哲学って言ってると思うんですけど、
うちはその座学のクラスもたまにしますし、僕らも学んだりするので、
そこも大切だとは感じてますよね。
いるかいらないかっていう話はちょっと違うけども、大切だと思ってますよね。
あとは瞑想についてはマリコさんも実践してるし、僕も実践してるという感じだと思うんですけど、
そのあたりいろいろ個別にでも一括でもいいんですけど、どういうふうな認識っていうか、ご意見ですか。
スピーカー 1
そうですね。ちょっとこんな言い方するとずるいかもしれないですけど、
全てにおいて絶対必要とも言えないし、絶対必要じゃないとも言えないっていう感じです。
スピーカー 2
いいですよ。僕も基本的にはほぼ一緒です。
そもそも結構よくある論争というか話として、必要必要じゃないっていうのもそうだけども、
アーサナだけやっててヨガっていうのはおかしいみたいなこととかね、そういうのもあるじゃないですか。
そういうの全部ひっくり返って、別にどうでもよくねって僕は思ってるんですよ。
ヨガのことを、アーサナのことをヨガっていうのはおかしいとかって言ってる人もいるけども、
別にそう言いたければ言えばいいと思うし、だって世の中ではそういうふうにヨガって言ったら、
アーサナのことってもうなっちゃってるじゃないですか。
今日朝ヨガやってたんだって言ったら、それで通じる。
何やってた、じゃあそれで瞑想したのかっていうと、朝ヨガやってその後瞑想したんだよねって言ったりもするし、
それはどうでもいいと思うんですよね。
必要か必要じゃないかっていう話で言うと、その人が必要と感じてるかどうか。
それはヨガっていう一つのカテゴリーの中に必要かどうかっていうことよりも、
その人にとって必要かどうかじゃないですか。
必要だと感じるならばやればいいと思うし、
必要じゃないって感じるんだったら、やれって言ったところで必要だよって言ったところでやらないじゃないですか。
仮にね、よくいますよヨガの先生でもね、やっぱり哲学も勉強しなきゃいけないのかなって言って、
なんかしなきゃいけない感でそれを学んでも、その人の身にはならないじゃないですか。
スピーカー 1
段階があるから、その人それぞれに。
今はこれしかできない、これしか学ぶ余裕がないとかね。
余裕が出てくるとそこにまた別のものを学びたいっていう意欲が出てきたりとか、
その人のペースに合わせてちょっとずつ広がっていくし深まっていくし進んでいくものだと思うから、
そんなにね簡単に実践できるものじゃないっていうか、
全てをね、全てを知ることがそんな簡単ではないんですよね。
一生のうちに学べることなんて、
例えば100学んでしまうと、すごいいろんなことが分かる状態だとして、
私たちっていうのはそのうちのほんの一部くらいしか一生のうちに学べないかもしれないですね。
それ分からないじゃないですか、人によって違うし。
そのぐらいのレベルなので、とりあえず目の前に来たものを一生懸命向き合って学んでいくことだけ。
スピーカー 2
目の前に来たものの中から、自分が必要だと思うものをチョイスして、それに邁進するというか。
そうですね。
うん、すればいいですよね。
スピーカー 1
こっちからこう能動的に選んでいけるものじゃないと思うんですよね、そういう学びっていうのは。
スピーカー 2
どういうこと?
スピーカー 1
うん、だから。
スピーカー 2
自分でチョイスできないってこと?
スピーカー 1
これを学びたいから学べるっていうものではないというか。
スピーカー 2
そう?それを教えてる人のところに行けば、それを学びたいと思うんだったら、それでいいんじゃない?
スピーカー 1
なんて言ったらいいのか、ニュアンス的に。
最終的にやってくるものっていうか、
例えばこういうふうになりたいと思って、あることを学んだからといって、そういうふうになれるかどうかは分からないってこと、そういう意味?
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
分かる?
スピーカー 2
分からない。
スピーカー 1
自分がこういうふうになりたいって思っている理想があったとして、そのために、じゃあ哲学だの、アーサナだの、いろいろなものを選択したとするじゃないですか。
それを学んだからといって、必ずしもその理想になれるわけではない。
理想はいつか、何か積み重なった後に、自然とやってくるものっていうか。
これをやったからこうなるっていう、約束されたものではないっていうか。
スピーカー 2
必要かどうかっていう話とあんまり結びつかないけど。
スピーカー 1
だから、こうなるためにこれが必要って思っても、必ずしもそうなれるとは限らないっていう。
スピーカー 2
でも、なるためには必要なのかどうかみたいな話だよね、今言う、だとすれば。
スピーカー 1
だから、分からないわけ。
これは必要、これは必要じゃないって決めたとしても、思ったとしても、必要じゃないと思ったものが必要な可能性だったわけじゃないですか。
スピーカー 2
まあ、それは人によって違うんじゃないかってこと?
スピーカー 1
そう、人によっても違うし、タイミング的にも違うし、だから決められない。
私たちがそうやって能動的に決めるものではないというか。
スピーカー 1
その時その時で、タイミングでやってきたものっていうか、これ今学びたいなって思ったものがやってきたとして、
それ一生懸命やっていって、もしかしたらその人はその理想にすごく近づくかもしれない。
それだけで近づくかもしれないし、でもそうじゃない可能性もあるし。
スピーカー 2
それだったらば、僕が思うのは、能動的じゃないっていうのは、
必要な状況になるかならないかっていうのが、その人の人生のタイミングとかだったりするから、
それでいうと、もうそもそも自分で選んではないと思うんですよね。
生きていく中で、その人が送ってきた人生とか、その時のシチュエーション、環境、経験、
そういったことによって、必然的に必要となってくる時があると思うんですよ。
それは健康面かもしれないし、心のことかもしれないし、いろんなことでね。
その時に必要だって思うこと自体が、能動的じゃないっていうか、思わされることだと思うんですよね、自然と。
ただそう思った時に、チョイスするってことはできると思うので、
ただチョイスしたところで、今森子さんが言ったように、そこにたどり着けるか、その目的みたいなものを達成できるかみたいのは、それはわからないので。
だから、能動的にチョイスは僕はできるとは思うんですけどね。
あとは、あれですよね。そもそも論で言っちゃうと、やっぱり必要ない人もいるんですよね。
例えばアーサナもやらなくてもいいっていう、アスタンガヨガで言えば、僕が第一にわかりやすいところで言うと、
自分を立地するとか、困難を乗り越えるとか、挑戦していくみたいなところがアスタンガヨガの特徴の一つかなって思ってるんですけど、
そういうことが別にしなくても、そもそも心が強い人とか、芯がある人とか、そういう人っているじゃないですか。
別の経験からからかもしれないけど、ヨガのアーサナは必要がないっていう人もいると思うんですよ。
スピーカー 1
それでいて、健康で体も強くてってことで。
スピーカー 2
そうそうそうそう。もっと言うと、心の部分はもっとそうだと思うんですよ。
僕みたいに、こういったヨガの教えがなかったら、もともとの僕で言えば、いろんなことに振り回される。
感情に振り回されて、自分のエゴに振り回されてっていうような人もいれば、それは家庭環境で親を見ていたりとか、
立派な先生の元で長年部活、スポーツをやってた人とか、いろんなパターンがあると思うんですけど、
そういうところで、そういう姿を見て、自然とそれが、そういった心の静けさとか強さというものが備わっている人もいると思うんですよ。
そういう人は別にいらないって言ったりすると思うんですよね。
そうだから、人によるし、そもそもヨガとはどうだって、誰にとって必要かどうかっていうよりも、
ヨガっていうものを構成する要素として、これは絶対に必要ですっていう話になると、別にもうそれは良くないっていうふうに思いますね。
スピーカー 2
時代が時代なんで、ヨガって言ったらアファナのことを指してるし、一般的にはですね。
僕らの場合はさっき言ったように取り入れているものとして、哲学的なこととか、瞑想とかは生徒さんにもお伝えするし、
それは自分たちが必要だって感じてるから、必要として役に立つ人がいるだろうって思うから、うちはクラスで取り入れたりしてるっていうだけの話で。
それでいうと解剖学とか全くじゃないですか。
真里子さんは資格取ったりするときとかに多少学んだって言いますけど、でもそれもきっとそんな深くじゃないだろうし、僕は全く解剖学は学んだことないですし、現時点で必要性も感じてないんですよ。
よく怪我をしないために解剖学みたいなことも言いますけど、怪我してるけど怪我することで学びを得てるから、それをうまく回避していこうっていう気持ちもないっていうか。
これ言ったらもともとないですけど、いらぬ論争だなって思ってるわけです。
なんかさ、僕昔、え?って思ったような投稿みたいな時に、よかってその人がやりたいように自由にやるものなんですみたいなことを投稿してる人がいて、何かの人って思ったんだよね、当時は。
もう結構前だと思う。ヨガ始めたばっかりの頃。なんか俺ヨガやってるぜみたいな感じに思ってたとき。
なんかその、僕らアサンガヨガで決まったことをね、アーサランで言えば決まったシークエンスを進めていくヨガをやってるから、当時の僕が何それって思ったのは多分そういうところがあるとは思うんですけど。
でも決まったように、好きなようにやるってことじゃなくて、ヨガっていうものの中に含まれるジャンル、さっき言ったものって全部含まれてると思うんですよ。
その中からどうチョイスしていくか。別に好きなようにやってもいいと思うんだけども、でもそもそもヨガっていうのは英知というか知恵なので、正しいものはあるわけですよね。
本来こうですよっていうもの。それをうまく自分でチョイスしていくっていうか、必要なものをチョイスしていけばいいのかなっていうふうに思ったりしますね。
スピーカー 1
人によって理解できるパターンっていうか材料って言うかね、理解にたどり着くまでの必要な。
スピーカー 2
何の理解?それは。
スピーカー 1
本質的なもの、心理だったりとか、ヨガを何のためにやるのかっていうその本質的なものにたどり着く、本質的なものへの理解にたどり着くための材料っていうか、小さい知識が人によって多分違うと思うんですよね。
今までの生きてきた経験とかもみんな違うし、感情的なものも違うし、思考の癖とかも違うし、だからそのいろんな散りばめられている小さい知識を得ていくためのいろんな場所っていうかいろんなもの、哲学であったりアーサナであったり、日頃の習慣、生活、いろんなものすべてなんですけど、
違っていて当たり前だし、みんなに当てはめることはできないよね。当てはめるにはちょっと少なすぎるっていうか。
スピーカー 2
それはその人にあった道筋とかプロセスとか、もしくは入り口っていうものがあるっていうことでしょう?
スピーカー 1
そうですね。
スピーカー 2
じゃあまとめると、その本質にたどり着くためには道は一つじゃないってことですよね。
そうですね。
というわけで、あんまりね、まりこさんが最初にこういうふうに言ったらちょっとずるいかもしれないんだけどっていう、僕らはそういう意見、意見というか考え方でやってますね。
だからいらないです、そういう論争はね。
別に見てても、こんなこと言ってるかわかんないけど、見てても別にあんまり面白くそういう論争は面白くないし、身も蓋もないというか。
自分が思ったものをチョイスしていきましょう、みなさん。
必要になったら必ず訪れるし、必要でないことをチョイスしてしまうこともあると思うんですけど、でも必要でないものをチョイスしたこともまたそれ必要なことだったりするんですよね。
結局これが必要じゃなかったって、チョイスしないと気づかないこともありますからね、結構ね。
良い手話なのにね、委ねていきましょう。
というわけで今日はこのところで終わりにしたいと思います。
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今回も最後まで聞いていただきありがとうございます。
スピーカー 1
それでは今日も一日皆さんが心穏やかに過ごせますように。
スピーカー 2
せーの、ナマステ。