さあ、例えばよ、ディズニーのアニメ映画アラジンの中でさ、
生まれた時から宮殿で暮らしているジャスミン姫が、
私は下々の暮らしが見たい、王宮の外の世界に出たいのって言って、
こう市場に潜り込んでさ、目をキラキラしながらこう下々の生活を見るっていうものとさ、似てるのこれ?似てない?
似てるようで似てないんじゃない。
何が違うんだろう。知らない世界を知りに行く、そしてそれはお店で売ってないっていうのは一緒だよね。
そう、知らない世界でお店で売ってないし、がしかし下々の生活を見に行ったとて、
その職人さんのそういう体験をしている下々は多分数%みたいな感じ。
だから体験としてレア、希少価値がある体験なんじゃないかなっていう。
どういうこと?テーマパークとして機能してるってこと?
テーマパークとして機能してる。希少なテーマパークとして機能してる。
だから下々の他の三人家族の家で寝泊まりするみたいなのはもうありふれたテーマパークであって、
何十年も修練を積んできた職人さんの家で寝泊まりして何かを一緒に学ぶっていうのは価値が高いって感じるんじゃないかな。
なるほど。貧富の話をしてるんじゃないってことだね、ここは。
お金持ちがお金持ちじゃない人の暮らしを知るとかではなくて、
そもそも何十年も修行して特別な技能を持っている伝統を守っている職人っていうものに対するリスペクトが高まった世界が来てるって話?
そうそうそう。そういった人たちのリスペクトが高まってるし、そういった人たちはやっぱりお金では買えない価値を積んでるから、
時間とか歴史というものをその人自身積み上げてきてるから、それは一夜にしては絶対買えないわけで。
その人の生き様であり、その人の空気感とかバイブスを感じに行くっていうのもあるだろうし、
そこの価値、やっぱ体験とかの価値だよね、それって。
一時体験をしてる人をリスペクトしてるっていう積み上げで、しかも。
この人すげーみたいな、俺にはそれできないわとかになるじゃん、ずっと。
ずっと漆抜いてきましたっていう体験とか。
漆ね。
俺にはできないな、でもこの人ずっとやり続けて漆の人間国宝なんだなみたいな。
すげーみたいな。金じゃ買えないし、すげーみたいな。
みんながそういうのを目指し始めるっていう話ではないの?これ。
目指し始める、マウントの世界に留まると、いろんな方向でそういったものを目指し始めるのかなと思う。
漆を塗り続けるのか、
はたまた、何かを、分かんないけど、かつらを作り続けるのかどうか、分かんないけどね。
何かをやり続けるみたいな感じとか。
でもさ、このマウントの世界ってさ、AGI前の今の価値観じゃない?
そう。今の価値観。
今の価値観じゃん。なくなったりはしないのかな?
なくなるんじゃないかなと思う。
なくなる?
いつかどっかで気づくんじゃないかなって。
でも最初は多分、やっぱりね、ホワイトカラーの人たちはひたすら勉強していい大学行ってっていうところでのマウントが始まってると思うから、
そこのパラダイムからはしばらくは抜け出せない気がするんだよね。
しみつきすぎて。
そうすると、あれ知能じゃマウント取れないから何でマウント取ろうみたいな感じで、
同じ構造のまま違うものに移るだけっていう状態にもなり得るのかなと思う。
いや、あれから前にもさ、確か自分が有能であるということを証明する競争から抜け出せるのがAGI語の世界なんじゃないかっていう話をしたじゃない?
それっていうのは、まず今現在っていうのは子供が大人になる過程で、学校のまさに受験とかは競争以外の何ものでもないじゃないですか。
より優秀な、より高い得点を取ったものがより高い偏差値の大学に行けるみたいな。
前提においてより高い学歴を目指していくっていう競争を、
助走の経路としてさ、社会人になる、22歳ぐらいまでの間にか、もう少しで加速しながら世の中に出ていって、
その後多くの卒業生が大企業とかを目指して就活して、そこでもまたより優秀で、他の就活より優秀だったら選ばれるみたいな競争を続けて、
会社に入った後は価値をどれくらい生んだかに日々フィードバックがあって、給料が決まるってものではなくて、
同期で一番優秀だと一番出世するみたいな、比較の競争において日々自分の存在を証明し続けなければいけないっていう生活をさ、
してるわけじゃない。
でもこれっていうのは人間が能力とかやる気とかパフォーマンスによって、
埋める価値に差が生じるっていう前提だったってことだよね。
で、その差の証明が給料の多い少ないだったり、給料たくさんお金をもらってるからどれくらいの贅沢ができるとか、
どれくらい将来を予想する力が強いから投資で儲けているとか、あるいは分債があるからノートで稼いでるとか、
わかんないけどさ、そういう人より自分は世の中を見る目があって、あるいは何か能力があって、
とにかくいろんな形でいろんな人がマウントを取ってるっていうのが現在の状態だし、
そこに至るまでに明確な線路が引いてあるよねっていう、レールが引いてあったよねっていうのを今長い言葉で話しました。
その前提となる比較、人の能力の差とかで発生する価値に差が出なくなるよと、
AGAの方が100倍何千倍って能力が高いんだから、
もうそういうちょっとずつマウント取り合う意味ないぜ人間どもよっていう世界が来ると、
だったら同じようにマウント取り合ってどうするのっていうふうに気づきそうだよねって言ってる?
そうだね。だからもう同じようにマウント取らなくていいじゃんっていうの関係ないじゃんっていう。
マウントとかやめようよっていうことですね。
結構いいね真っ直ぐで、俺好きだよそれ。
なんでやめようよ?やめようよマウントも比較もやめようよみたいな。
誰が稼いだ、誰が一番だとか、
キングダムの漫画読んで憧れて国統一するんだ俺はみたいな話とか、
全然統一しなくてもいいじゃん。
AGAが統一してくれるから。
その統一された世界の中で一人一人で楽しもうよみたいな。
もう比較なんてしないで、自分が好きなことやってればいいじゃん。
それを上とか下とか気にしなくていいじゃん。
そういう世界が一番理想なんだろうけど、
そこに移行すると僕は思ってるけどね、
移行すると思ってるけど、その過渡期の話をXで押しました。
面白いな、なんかでも過渡期だっていうことを前提に考えると、
本当は違うのに今までのパラダイムを引きずっていくっていうのが過渡期なんだろうね。
本当は違うのに。
競争なんかないのに、今まで競争ずっとしてたから競争を続けるので、
そういうことが起こるんじゃないのって言ってるんだ。
だから戦争終わったよーって言ってる、終わったのに、
島の中でずっと敵から身を隠してるみたいな日本兵の話あったじゃん。
ヨッコイショイジだね。
ヨッコイショイジさんの話だね。
ヨッコイショイジさんの現象が起こるわけですよ、これから。
なるほどな、でもそうだよね。
だってこのマウントこそが今富野源泉になっているわけじゃない。
個人の富野源泉ではなくて、人々の注目を集めることが単純に広告費につながって、
それで大金儲けているメタっていう会社があって、
メタが発展する前提になっている各種タブレットやスマートフォンなどのディスプレイ付きのポータブルデバイスを作りまくっている
AppleだったりGoogleだったり、その他いろんな会社がたくさんお金を儲けているっていう世の中、
みんなが電車で首を犠牲にしながらスマホを使ってるっていう世の中の前提はこの競争というか、
戦争というか、人の憧れを集めるとか、いいないいなっていうものを全体に作ってるんだけれども、
これがいきなりなくなるとやっぱ想像できないのが僕がずっと思ってたことなんだけれども、
過渡期っていうのはそういうことなんだね。
その価値観があるかのように世の中は振る舞うんだね、きっと。
そうそう、そんなイメージです。
そうすると激レア人間、激レア経験により価値が集まって、
そういうものをお金持ちがお金払ってやろうとする?
そうそう、やろうとする。
そういう世の中になるんじゃないかと。
そんな手放してないよ、そんな競争っていうことをちゃんと認めて、
自分の幸せって何かなとか、何すると楽しいかなっていうところをちょっと真剣に考えて、
大事にする癖をつけといたらいいよって思ってるよと。
そうです、そうなのです。
いいことですな。
戦略的幸福論。
僕が今日話していて、いかに自分の楽しいとか自分の幸せみたいなものが、
やっぱりいろんなものに引っ張られてるよなっていうのは感じましたよね。
引っ張れてますよね。
お金あったほうがいいよねとかさ。
僕とかはね、半期に1回ツイッターをよく見てるので、
そうするとさ、主に6月とか12月のボーナスのシーズンにさ、
勝者はボーナス、夏ボーナス400万円だったらしいとか出るからさ、
そういうのを見てさ、えーって思ってさ、
自分には関係ない話って割り切りながらやり過ごしたりするんだけどもさ、
そんな半期に一堂どころじゃなくてさ、
同い年ぐらいの人がどれくらい稼いでるみたいな情報とか、
あといろんな海外旅行の情報とかさ、
すごい高そうなディナーの情報とかいろんなものが入っているけど、
やっぱそういうのを真に受けてる場合じゃないのかな。
なんか月並みだけど。
全然そういうものが本質的に大事なものじゃなくなってくる可能性があるんだけれども、
世の中はマウント合戦をけしかけてき続けるからちょっと気をつけようなって話になってますからね、これ今日ね。
そう。で、このマウントは形を変えていろんな風に現れてくってのは過渡期なのかなっていう。
なるほどね。
というならば、精神世界でもこのマウントは起こってるわけですよ。
お金とは関係ない生きてる人たちも。
なるほど、なるほど。
例えば悟ってるって言葉すらもうマウントじゃん。
なるほど、そうだったね、そうだったね。
手塚治ブッダを見る限りそうだったよ。
あれもマウントなんですよ、一瞬。
なるほどね。
ブッダがマウントを取ってたって話じゃないんだけど、
ブッダを取り巻く元々のジャイナ教、元々の周りの人たちは、
俺たちを差し置いてお前が悟っただなんてっていうことで、
マウントを取られたっていうことに心を乱してるけど、
それは全部ブッダの外。
で、己たち個人の中で起こってたことだもんね。
そうなんです。
ブッダ自身は多分何も感じてなかったんだろうけど、マウント的なこと。
周りが勝手にその王道を作り上げたっていうことだよね。
なるほどな。
だから、人間が生まれた時からそういう他者より自分が引い出てるっていうのを証明する戦いっていうのは続いてたんだけれども、
まあそうだよね。
人間を超える存在が出てきたらさ、人間同士が自分の方が上っていうことを証明することに本質的な価値はないよね。
なんかことわざだと思うけどさ、奴隷がさ、自分の鎖の色を自慢し合うみたいなことわざあるんじゃない?
同じ奴隷同士なのに、俺の鎖の方が綺麗だぜみたいな話。
これを言うのもあるけれどさ、
それを滑稽だと思うのであれば、ちょっと引いて今の自分を見直す必要はあるかもしれないし、
今まさに過渡期で本当に大事なものなんだろうっていうことを個人個人が問われている時代だから考えていきたいよねっていうお話でしたか?