1. 戦略的幸福論〜ぶっちゃけどう生きたい?〜
  2. #50 「え?全部仏教のリブラン..
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▼今回のトーク内容

近年注目されている「マインドフルネス」や「ウェルビーイング」って、結局ブッダが言ってることの焼き直しに過ぎないのでは?という観点から身の回りを振り返ってみます。そもそも「空」の概念とは?日本人が元々備えていたウェルビーイングの仕組みとは?

▼番組概要

お金、キャリア、家庭をテーマに、小手先のライフハックではない『人生を豊かにする"本質的"な問い』を哲学するPodcastです。


住商・リクルートから主夫に転身した日英ハーフのリチャと、500億円盗難事件から出家修行を経て悟りを開いた日系アメリカ人のかがやきが、リアルな体験談や厳選書籍から得たノウハウを発信します。毎週月曜日AM配信。


▼番組ハッシュタグ:#戦略的幸福論


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▼パーソナリティ

岡田毅志リチャード(リチャ/プロコーチ) https://x.com/tiedfamily244 日本育ちのイギリス系ハーフ。住友商事、リクルートを経て妻の海外駐在に同行するため退職し、バリバリのサラリーマンから一転、主夫として渡英。2児の父。筋トレ、読書、ストレッチが日課。国際コーチング連盟認定コーチ


河畠ライアン輝(かがやき/個人投資家/プロコーチ)⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://x.com/kagayakimann アメリカシカゴ育ちの日本人。所属するコインチェックが役500億円盗まれ資本主義的幸せの限界を体感。出家体験で俗世を離脱後、仏教にはまる。エンジェル投資16社。元野総、エクサウィザーズ、VC、起業家、芸人。10店舗経営する2児の父。国際コーチング連盟認定コーチ。


▼戦略的幸福論DEEP CONNECT(noteメンバーシップ)

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サマリー

このエピソードでは、仏教のリブランディングやウェルビーイングの概念について説明されています。仏陀の発見と量子力学の関係、そして失われた幸福の習慣についての考察もあります。さらに、神社参拝を通じての感謝や自己の見つめ直しがどのように幸福に寄与するかが探求されています。また、失われた習慣の復活と個人の幸福を取り戻す方法についても言及されています。

仏教のリブランディング
今週の戦略的幸福論は、言葉で説明しちゃってるけど、これを体で本気で感じると、マジで食うじゃんってなって。これはもうね、言葉にできない。この、この感じで。
戦略的幸福論です。セミトモ少女を辞めて専業処分になったイギリス系日本人の岡田剛義リチャードと、会社が500億持ち逃げされて悟りを開いた、アメリカ育ちの日本人、川端がやんかん駅です。
輝さんさ、大体のことは仏教のリブランディングだよって言ってるじゃない。
言いました。つぶやきました。
つぶやきましたよね。なんか、あの、どういうこと?
そういうことなんです。大体のことは焼き回しなわけですよ。
で、言ってることはほぼ一緒なんだけど、いろんな側の放送史を変えながら、同じことを違う言葉で語ってるものがほとんどだなと。
なんで、ベルビーンとかもそうだし、心理学とか、その精神医療的なアクト、アクセプタンスセラピーみたいなやつもそうだし、
大体、そこら辺に書いてあるノウハウは、ほぼブッダが言ってましたっていう印象。
めっちゃわかる気がする。
っていうのも、さっき言ってたアクト、アクセプタンス&コミットメントセラピーだっけな。これとかも、僕も興味があって、本読んだことあるし、
あと、ウェルビーング、よく生きるみたいな、心も体も健康にみたいな、ちょっと乱暴だけどね。
そういう文脈の話って、まあ、手塚治虫、ブッダを読むと、そこに通じる話は結構書いてあるというか。
書いてあるし。
あと、僕好きな本で、反応しない練習ってあるじゃないですか。
はいはいはい。
あれも仏教の和尚さんが書いた本だと思うんですけども、原始仏教、原始仏教の中で、ブッダが説いたものをベースに、
なるべくこう、自分の身の回りで起こることに反応しないことが大事ですよって説いた本だけれども、
今の日常生活で十分通用する話だったりするので、
カタカナ言葉で入ってきたベルビーイング関連の話題が、え、これブッダもう言ってんじゃんみたいなことがよくある。
そう。でもほぼ、ほぼそう。
ほぼそうなの?
もうほぼ、ほぼ空に行き着くから。そこら辺を掘り下げていくと。
だから、ほぼ言ってることは一緒なんだけども、おそらくブッダはもう瞑想の中でその真理に気づいちゃったんだよね。
自己と空の概念
要は空だってことに。
空ってさ、ちょっと教えてよ。空ってどういうこと?
ね、空はね、言葉ではダントでも言えるんだけど、実体はないってことですよ、すべての物事に対して。
すべては関係性の中で生まれているものであって、たくさんの濃度があって、その濃度の中で自分がいるっていう。
だから、例えば今目の前にリシャさんが僕のことを認識してなかったら、僕はもう存在してないなと一緒だし。
なおかつ、例えば自己紹介するときね。
自己紹介するときって、結構これ暴論になりがちだけど、
じゃあ例えばちょっとリシャさんに自己紹介してみて。
ああ、私は今イギリスに住んでいる。
はい、ダウト。
あ、なになになに?ダウト?いや。
それ言われるとあれだけど、どういうこと?どういうこと?
もうイギリスって言ったでしょ?
イギリスって言った。
イギリスは自分じゃない。
自己紹介しろって言ったのに、イギリスの話したなって言ってる。
だから、自己紹介してって言うときって、基本的にやっぱり周りの自分の事象を話さないと自己紹介できないんだよ。
要はそういうことですよ、空って。
自分だけど自分じゃないじゃん、それって。
いろんな物事の事象を、いろんな濃度を自分で繋ぎ合わせることで自分が現れる。
本質的には自分がいないというか、中心には。
あーなるほどなるほど、それが自分がいないってこと。
あーなるほど、だからリチャードがリチャードというものを説明しようとすると、どうしても周囲との関係性でしか説明できないよねっていうのが、これは空の説明の一部ってことなのかな?
空の説明の一部であり、これをより広い客観的にメタ認知で、体感覚で感じると空になる。
空の質感になるっていうことなのかなと自分は思う。
空って書いて空だよね。
そう空って書いて空。
そうなってくると、例えばもうこの、今はねこう自己紹介の、言葉と認知の遊びだったけど基本的には。
言葉と認知の遊びの中で空ってものを今説明しようとしたけど、今生かされてる感覚っていうのは空気があってとか、重力があるから今ここの地球に立ってられるとか。
いろんな関係性の中で自分が今ここに存在してられるっていう。
科学と宗教の接点
そういったものがないとそもそも自分はここに存在していないっていうもの。
そこからさらに派生していくと過去とかご先祖様とかもそうだよね。
ご先祖がいたから自分がここにいるっていう思想にもなってくるし、だから全てのものに関して自分がここにいるのは関係性の他はものでしかない。
だからその周りに生かされてる、ご先祖様がいたから自分がいるし、ご先祖様も周りのいろいろなものの関係の中で生かされてたんだから、もうこの周りの関わり合いみたいなものを追求していくとキリがないよねっていう。
そう、キリがないし全部つながっているし、つまりは全部一つであるっていう質感にもなってくるし。
言葉を違う言葉にするとワンネスって言葉で例える人もいるし、クーっていう表現をする人もいるし。
多分この2つの言葉は割と言葉は違える質感は近いっていう印象があります。
なるほど、ワンネス。だからクーって一言で言っちゃって、これがしっくりこない場合にもうワンネスのことだよって置き換えても意味が通るというか、近しい考え方だっていう。
近しい考え方。
で、それを今は言葉で説明しちゃってるけど、これを体で本気で感じるとマジでクーじゃんって。
マジでクーじゃんって、なるほどね。
これは言葉にできない、この感じは。
それは輝きさんが瞑想体験で至った質感なの?
そう、瞑想体験で至った質感で、それこそその瞬間になるともう過去のめちゃくちゃ嫌いだった人とか、過去のめっちゃ嫌な体験にすら感謝ができるっていう。
なぜかというとその体験があるから、自分がいるから。
うん、なるほど。それは頭どころか、体でその感覚を得るともうクーじゃん、マジでクーじゃんって。
そうそうそう、マジでクーじゃんって。
たぶんね、これでもその感覚はやっぱりなかなか得れるものではないと思う、すぐには。
どうしても体のほうではね、あいつ腹立つわーって、たぶん頭でクーぼり返してもなっちゃうと思うんだよね、ほとんどの人は。
うん、そうだろうな。
それを体まで落とし込めるとマジでクーになる。
うーん、なるほどなー。
面白いね、つながってるとかさ、過去のご先祖様がみんな関わり合ってるとかさ、あらゆるものが関係性の中にあるっていう話はさ、論理的に聞こえるよね、すごく。
直感的に否定できないというか、論理的にもそうではないとは言えないというか、なぜなら事実だからっていうところがあるので、
なんかこう、仏教を指して、なんだろう、哲学であるというか、科学的な説明もできるみたいなことの言説はさ、よく耳にするけど、
なんかそういう、このクーの概念っていうものが、そういう論理の積み重ねで、まあ説明することができるよっていうところが、
ゆえんなのかなっていうのは思ったね。
そう、そうなんですよ。
だから、仏陀はこれを思考じゃなくて、体感覚でここにたどり着いてるんだよね。
それがすごいことで、やっぱ思考でこねくり回してさ、やっぱ関係性全部つながってるから、クーだよね、みたいな。
インテリ系じゃないわけですよ。
本当にこう泥臭く、いろんな修行をして、自分の中で体感、体をもってして、それを感じきったって。
体で感じた後に、自分の脳で処理をしたって感じだと思うんだよね、仏陀って。
自分らが逆なわけですよ。本読んでなんかしたわけじゃなくて、やりながら、その弟子たちが勝手に本にしてったっていう、そういう。
それだとすると、やっぱなんか宗教として発達していったっていうものが、すごい納得いく感じがするね。
形式というか、一緒に瞑想しなければいけないとかさ、そういうものが大事だっていうゆえも、なんかすげえ納得がいくので。
なおかつそこでの発見が、現代の量子力学って言われてることと、ほぼほぼ重なってきてるっていうのがまたすごいことで。
というと?
というと、仏陀ってこう、瞑想ずっとしてて、自分の内観を見てたら、自分の体を感じるって瞑想もあるんだけど、自分の体は全部量子でできてるっていうことに気づいた人なんだよね。
その量子力学って、あのものがある前から、以前から、2500年前にね。
自分の修行の中で、あれ?体量子でできとるやんってなったわけ。
瞑想してたら。
うん、気づいたね。量子、量子、量子と言っていたかどうかは置いといて。
言葉がある、確か、仏教の言葉はちょっと忘れちゃったけど、あるんですよ。
それでできてるやんで気づいて、さらにそこからもう一歩先行っちゃうんだよね。
あれ?振動でできてるやんってなるわけ。
で、それがもう最近出てきた超ひも理論なわけですよ。
超ひも理論で言われてる、その量子のさらに、量子自体はひもでできてるみたいな。
うん。
仏陀はそこまで自分の瞑想修行の中で気づいちゃってる。
論理的な理解がないのに。
体の実体験でそれを感じきったっていう。
で、それが2500年の時を経て今、量子力学だったり超ひも理論だったり、そういった発見が科学者によってされてきてるっていうストーリーなわけですよ。
だから宗教と科学が交差してるっていうのはそういうところ。
だから人間は頭脳じゃなくて体での体験値とか、実際の経験で学んできたことみたいなことの方が、実は英知として正しかったんじゃないかっていう。
そもそも科学的に証明せずともそれに気づいてたみたいな感じ。
戦略的幸福論。
すごく興味深い話だよね。
一個あるのは2500年前の人類が今の人類と脳の構造とか能力ってそんなに変わんないんだねっていうのはさ、一つ証明している気がするんですよ。
そのブッダ、2500年前の人が量子力学の理の字もない時代に一人で瞑想してそこにたどり着いちゃってるっていうことがあってさ。
もし彼が今のようなGPT4.5とかさ、そういうものにアクセスする術があって、自分が思いついたことを壁打ちする相手がいて、それを発展させられる人がいたならば、ものすごいところまで行っちゃったんでしょうねみたいな。
どっちかっていうとあれだな、2500年前の時代って今と比べたらすっげー不便だったじゃん絶対。
めっちゃ不便だった。
貧富の差とかもすごく差が開いてたであろう、そういう時代に心穏やかに過ごすための方法っていうのは確立されててさ、今の時代もっと簡単にできそうなものなのにとか思ったりするんだよね。
人類の真理みたいなものって何なら下手したら量子力学のベースみたいなものを2500年前にたどり着いてて、なんで今の俺たちはこんなに毎日苦しくてさ、生きるのが難しいの今の時代はって思っちゃうんだよね。
それの一つの仮説は、習慣が失われてしまったっていうのが大きいと思うんだよね。
深いね。どういう習慣の話?
幸せに生きるための習慣。
おお、いいね。戦略的幸福論っぽくなってきたじゃないか。
これ僕の仮説だけど、基本的にウェルビーングって習慣だと思う。幸せであることみたいなことを。幸せというか習慣。
ウェルビングになるための習慣ってものを、本来古代の人たち、例えばネイティブアメリカンとか、厳重民族とか、昔の日本の神社とかが盛んでみんなお参りしてた時とか、
神社参拝の重要性
っていうのはウェルビングであるための習慣があったはずなんだよ。
その習慣とは何かっていうと、食べるものもそうだし、神社に歩いてお参りするっていう参拝の習慣もそうだし、
神社とかってコンビニの2、3倍あるわけですよ、日本に。
いるね。
30万とかあるのかな、確か小さいものも含めると。
それだけ信仰してたわけですよ、日本人は、そういう神社というものを。
だからそれって、やっぱ瞑想なんだよね、一種の。
お参りに行くっていう行為自体。
なるほどね。
なるほどなるほど。
自分を顧みたり。
そう。
だから、しかも最近神社の本を読んで、やっぱ神社の一つ一つの動きとか、そのやしろとか、2杯2拍手とか、全てに意味があるんだよね。
あるらしくて。
それのやる行為自体に。
例えばこの2拍手で、あえて右手がちょっと下になるっていう。
2拍手するときって。
手をピッタリ合わせるんじゃなくて、右手を下にするみたいなのがあるみたいで。
それって何を意味しているかというと、右手は基本的には自我とか、自分の利己的なものを表現している。
左手は理他的な、もっと社会のためとか人のためっていう意味があるらしくて。
だからあえてこう、自己を沈めて、周りに感謝するっていう意味合いも含まれる。
2拍手に。
それってもうまさに瞑想なんだよね。
瞑想って自分の自己を見てって、自分の自我を手放して、より感謝とかありがたみみたいなものを感じるっていうような行いでもあるから。
だからもう神社参りという、今のは一例だけど他にもね、水で清めるとかいろんなものがあると思うんだけど。
1個1個がウェルビーングであるための、習慣化が自動的にお参りするだけでできるみたいな。
そういう装置。
そうなんですよ。
僕はもう1時間散歩して神社お参りしてから、家に仕事を始めるっていう習慣を持ってるんだけど。
だからそれしてるとね、やっぱいい気持ちになるよね。
それを理解した上でやってると。
そうだね。意識的にやってるっていうのはさらに進んだ感じだし。
いい習慣だね。
実際にさ、初詣でお参りして、その時にまあじゃあ今年はこういうこと頑張るんで神様一つよろしくみたいな感じでさ、お祈りしてたわけだけどもさ。
そのお参りでじゃあ、お願い事する時にやっぱ自分の行いとか変えりみると思うわけですよ。
あるいはさ、こういうことを願うっていうさ、自分の中の願い願望とかもその時にさ、頭の中で言葉にするわけじゃない。
自分がどうありたいかとか、そのためにどんなことをするかとかっていうのを都度振り返る機会を持つっていうのはさ、それこそ何だろう、
現代だとコーチングとか、あるいは内政、セルフレビューとかをこうして、紙に書くといいですよとか日記書くといいですよみたいな話とさ、
なんか通じる仕掛けになってそうだなっていうのはさ、なんかすごい表層的なところかもしれないけど。
かがやきさんの言う、昔の生活には自分のウェルビーイングを保つための仕掛けが習慣化されるようになってたんじゃないかって仮説はめちゃめちゃ面白いね。
たぶんこの仮説正しいと思うんだよね。おそらく。だからこんな人事あるんだなって。
あるいは結果としてそうなってたのかちょっと意味がわかんないけどさ。
結果としてそうなってたって感じだと思うけど。
でもそれはなんか、失われてったっていう話とも整合性があるからさ、それが。
失われてたって話だと思っていて、だから本来日本人はそういう、要は神社へのお参りって基本的には神様に感謝するっていう習慣だから、
つまりは本来であれば、今だとね、年末年始、みんな明治神宮に行って、お金持ちになりたいとかそういう利己的なお願いばっかしてると思うんだよ、ほとんどの人は。
でも本来は神へ感謝する場所なんだよね。
今までありがとうございますとか、今までのご縁に感謝してますとか、それこそさっき言った空の概念ですよ。
空の概念の中で生かされていることに感謝しますっていう、そういう場のはずなんだよね、本当に神社って。
だから神っていう風に言ってるけど、神っていう言葉は基本的には宇宙とか神羅万象っていう意味だと自分は思っていて、
それをあえて神という言葉に置き換えてるだけで、さっき言ったような関係性の中でできてるっていうのも大きな宇宙なわけですよ。
その周りは空であり宇宙でありっていう。
ここら辺もそこら辺の概念が繋がってくるんだけど。
だからそういう物事全てに感謝するっていう場が神社なのかなっていう。
仏教と幸福の復活
なるほどね。感謝100%にきの感謝が出たところで。
いやちょっと時間もいい時間なので、じゃあここまでの話としては、
仏教が昨今流行ってるって言っても過言ではないんじゃないかと、
昨今流行っているメンタルウェルネスとかウェルビーングとか、
そういったお話って、あるいは超ひも理論みたいな最先端の科学においてすら仏教のリブランディングでありリライトなんじゃないかっていう話を
かがやきさんが話してくれて、そう思うゆえんっていうのを話してくれましたと。
空という概念がとてもキーになるんだけれども、この話も全ての繋がりのことだっていうことで。
英語にするならワンネスみたいな概念であるっていう話もあった中で、
実は昔の人の生活の中にはこの自分の幸福に保つ習慣が組み込まれてたんじゃないかっていう仮説を披露してくれまして、
それがすごく確からしいなっていう話が盛り上がってきたところで、
ぜひ後編ではなんでそういう習慣が失われてったのかっていうお話と、
そういう習慣が失われた世の中で僕ら個人個人がどうやって取り戻していくかっていうコツというかヒントみたいなところを話していけたらなって思いますけれども、いかがですか。
素晴らしいです。まとめは。
そんな感じで後半いきましょうということで。
前半はここまでですが、
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