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皆さん、こんにちは。コミュニケーションディレクターの松浦秀彦と赤眼鏡です。 Web3リサーチャーの小麦です。この番組、それでもメディアは面白いわ。2人があらゆるメディアの器をつねくります。というテーマでお送りしております。
ようやくですね、私の所属を明らかにできたというタイミングでやってまいりまして、プレスリス掛けさせていただきました。
ありがとうございました。ありがとうございます。裏話をせっかくなので、緊急報告があったら聞きたいところもあったりとかするんですけど、
裏話?いや、裏話ってわけじゃないですよ。なんかピックアップするようなことありました?いろんな相談が死ぬほど増えたとは思うんですけど、それは何か起きましたみたいな。
そうですね。会社名がありなしで、付き合う人が変わるっていうところがあるのかもしれないなということで、やっぱり今まで会社の肩書きがないところで色々お付き合いさせていただいた方々って本当に大事にしなきゃいけないかなっていうふうに思うっていうのは一番大きくありますかね。
結構よくあるあるじゃないんですけども、会社名が明らかになるとちょっと仲良くしておかなきゃなみたいな、利害関係を働かされるっていうことってよくあると思うんですよね。それはそれで当たり前のことだと思うんですけども、よりですね、この肩書きないところでちゃんと向き合っていただいた方々っていうのをより大事にしなきゃいけないんだなっていうところはすごく感じたところがありました。
でもそれはね、やっぱ思いますよね。それでいうと、せっかくだって今、ほら、義命経済じゃないんですけど、小麦という形で出ていって、ある意味、ここの部分を強くして出して、もちろん所属としての部分のラベルがついたっちゃついてるかもしれないんだけど、この世界やっぱりこの小麦として前に出ることが重要なのであるって、まあね、我々も含めて赤メガネとこういう形の番組をわざわざちょっと名前と違うような形でやってきたからこそっていうのはありますしね。
そうですね、そこはもう本当に感じるところで、あとあれですね、アイコンを一新してこのボルシーのアイコンが前の小麦、何ですか、第1形態の小麦かもしれない、今第2形態に変身しちゃったので、アイコンを変えましたってところはあって、ツイッターのアイコンはすでに変えてるんですけども、一応これNFTでミントしてるんですよね。
会社としてMOOTっていう会社ですね、WEB3特化ファンドを作ったっていうところで、名前がちょっと行業式ですね、共同創業者になってるんですけども、そんな偉い感じではないっていうのはまず言っとかなきゃいけないところだっていうところと、あとはあれですね、このNFTみんなそれぞれ同じデザイナーさんにデザインしていただいて、ミントしてきてですね、オープンシーンにあるというような状態で、
これ面白いんですけど、転売するごとにですね、MOOTに90%の利益が設定されているという恐ろしいNFTになっておりますので。
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これさ、ちょこちょこ見たんだけど、僕が知らないだけなのか、オープンされてるだけなのかっていうところで言ってるだけ、この世界観はどうしてこういうこの世界観を選んだの?
これはでも、MOOTのテーマっていうのが、WEB3ともちろんMETABASEっていうところがテーマにあるっていうのがあって、言ってみればグローバル見たときに、日本っていう地理とかアジア的なものみたいなものの一つのテーマにしたいっていうのがある。
街のごちゃごちゃしたところって当然東京をイメージしてるってところがあるのかなと。ちょっとごめんなさい、私が発著したわけじゃないであれですけど、おそらくそうなんだろうなって肩に持ってるところですかね。
近未来っぽい感じ、METABASEのところと、文脈としてのアジアのような文脈ってどう捉えるのかっていうのが結構、アンテナの中にもやっぱり地域性みたいなのってあると思うんですね。
例えば、テクノロジー系のスタートアップで言ったら、それこそ欧米っぽいものって言うと、アメリカ系っぽいものって言うと、GAFAのようなプラットフォーム的な手法でやるものが多いと思うんですけども、それこそ
中国のアリバブテンセントっていうところって、軍戦略のようにわちゃっとしたところで成り立ってるじゃないんですけども、買収するよりもそれぞれが子として、軍として存在する方が強いっていうような考え方でたぶん成り立っているような、いわゆる財閥のような形で、システムとして成り立っていると思うんですけども、
ウェブサイトでも結構そういうところはあって、よくシリコンバレーが強いなっていうのは、プロトコルとか、ソフトウェアアーザーサービスとして出てくるスタートアップって、結構アメリカのスタートアップは結構いいスタートアップが多いって言ったら大変ですけども、
USDでゲームギリードとかで言うと、アジアのプレイヤーが多いっていうところもあったりするので、このわちゃわちゃっとしたところとか、Mとかテーマにしているところって結構ダップスレイヤーというか、分散型アプリケーションのレイヤーだったりするので、そういうアプリケーションレイヤーだと、地域性で言ったらシンガポールを中心とした、こちらの側のエリアの強さっていうのがあったりするので、
グローバルって、もちろん地域関係ないっていうところはあるんですけど、カルチャーとしてやっぱり、国の方にカルチャーがあるので、市場としてはグローバルなんですけども、やっぱりカルチャーに沿って、ルーシーのスタートアップも存在するっていうものがあって、いろんなことを背景にして、このイラストをキービジュアル化するっていうような感じですね。
我々もここでカルチャーとして文脈ですね、コンテキスト、何を持ってみたいな話のところで言うと、これがもし言われた通り西海岸、アメリカ西海岸とかだったら、もっとスッキリしたのが出てくるんだろうなと思いながら、出てきたイメージがまさに夜ですからね。
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しかもゴチャゴチャしたイメージ、まさにシンガポールとか、今香港こうかって言われたらちょっと違うんですけど、でも台湾の夜とか韓国の夜とか東京の夜とかまさにこんな感じですからね。
やっぱりそこから生み出されてくる流れっていうところは、アジアならでは特有のIP、まだまだ日本だって強かりしね、この強みってありますからね。
思ったより渋谷のクロッシングとか、歌舞伎町の夜のバチャバチャとした風景って世界でも結構有名な、一つの風景になってるっていうところがあると思う。
あのね、ほら一応ね緊急事態とかマンボウとかなくなって夜が帰ってきたじゃないですか。改めて新宿を歩くとやっぱこの世界観がやっぱり東京の一部だなっていうふうには思いますな、それで言うと。
原間としてやっぱ渋谷もそうだし、渋谷のね、テマトニュースのオフィスがあるあたりとかすごい勢いで店がなくなってなかなか帰ってこないなっていうのはあったりとかするんだけど。
そうですね、その辺は結構、商業ビルが建つと家賃が高くなるので、わざとした雑居ビルがある土地の方が面白いものが生まれやすい。
昔の浦原みたいなところが面白かったりしたんですけど、今その街はどこなのかって結構難しい話かもしれないなとは思ったりもしません。東京の地価があまねく高くなっちゃってたりするっていうのも分かるかもしれない。
あと、裏番して聞いてみると、アイコンのこのコンセプトっていうのが、サイエンティストなんですね。科学者っぽいっていうテーマで。
すごい少年っぽくなって、あれ人からどうしたんですかっていう質問。
ローティーン少年すぎるっていうことなんだと思うんですけど、アイコン変えるだけで気分が変わるっていうところはあるのかもしれないなというところで、
リアルフィジカルな空間の自分自身との帰りが出てくるので、ますます映像には出にくくなるなっていう感じ。
ミスロだからこれやっぱりモデリングして3Dアバター化するのが一番良いんでしょうね。
僕のアイコンって本人とほぼ一緒。アイコンずっと出しててもリアルであってもほぼ変わらないですねって言われるのはあるんですけど、
やっぱり次の目標としては今ずっとこの10年使っている私のアイコンをですね、やっぱりモデリング化してこれで登場したいですね。
VRの世界観にも。
そうですよね、それこそバーチャル美少女ネムさんとかがあの姿で登場して、しかもボイスチェンジで完璧なネムさんを演じてるっていうところがあると思うので、
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リアルな世界観っていうのは別に不思議じゃなくなってくるはずだっていうのもあるかもしれないですね。
はい、ちょっとあれですね。この裏話と言っても全然面白くないですけど。
いえいえいえ。
このことがありましたっていうのが一番大きかったですね。
ゴールデンウィーク明けの話なので。
近況としてはそんな感じでございましたが、私近況で言うとこれもTwitterやら何やらでシェアしてますけど、ファスト映画の本を読みまして、
話題ですね、これで言うと。会話も含めて話題になっていたりとか。
あとイントロスキップの話も出てきましたね。話題のところで言うと。ギターフローとか聞かないとか。
ああそうですかね。
そういうような話が今出てきて、まさにちょっとしたトレンド話みたいになってるなっていうところがあるので、ここは少し掘っていきたいなっていうのは本日ですかね。
そうですね。まさにこのタイトル、こう文章紳書ですよね。映画を早送りで見る人たちというような本で。
たぶんこの背景となる話っていうのがあるんだとしたら、この著者の稲田さんってご存知ですか。
はい、僕は何度か見かかっております。
そうですよね。もともとというか今もそうなのか、ライターをやってるんですけども。
もともといらっしゃったのは、まさにこの映画を早送りする人たちという、映画に関わる仕事をしてたというところで、本の中にも登場しますけども。
稲田さん自身がキネマ人法というところで働いていたっていうところが、やっぱり起点になっているっていうところが一つコンテクストとして、
しっかかなきゃいけないことなのかなっていうところと、もう一つは、これはあんまり表には出てこないかもしれないんですけども。
ヤンキー経済っていう本ってご存知ですかね。
昔、あれ何年なのかな、2014年か。
原田洋平さんというマッハ広報道で働いていらっしゃる方が、若者論として非常に売れた本になったって言ったらいいんですけども、
この商品の主役がヤンキーになっているっていう話で、
実はライターが稲田さんなんですよね。
稲田さん自身もこういうような原田さんの本を作る中で、若者文化論みたいな造形が深くなったのかなっていうところがコンテクストとしてあって、
案の定、この本もかなりストーリーとして作り込まれているとは思いますけども、非常に読ませる本になっているなという感じがするので、
ぜひ、今回話したらどうかっていうのをツイッターコミュニティで提案させていただいたというところですね。
当然ながら、赤眼鏡の方から先にこれ読みましたっていうのを見て、私もすぐに読んだっていう感じなんですけど、
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まず最初の感想から聞いていきたい感じがしますね。赤眼鏡、どういうふうに感じましたか?
そうですね。その上で、でも稲田さん、このコンテキストを持たれているから、やっぱり早受けするんですかっていうようなところの、
やっぱり稲田さんなりの視点の部分がずっと残っているところがありながら、ただ、僕ね、それでいいと思うんですよ。
この疑問系がフィールドワークされているじゃないですか。いろんな方に当たって。
だからこそ引き出されてくる、いろんな角度のお話が出てくるのが非常に面白い本になっているかなと思うんですね。
あともう一個、昔からこの本の感想として、いわゆるビデオデッキ、それこそVHSの時代から早送りで見てるんじゃないかっていうような話があるんですけど、
僕ね、そことちょっと違うところがこの本にはあるかな。ポイントがあるとすればストレス。
コンテンツ消費のストレスっていうところに対して、ちゃんと言及されているというのが一つのポイントなのかなというのがあるんですね。
確かにそうですね。視点としてやっぱり、心象っていう器もそうなんですけども、
稲田さんがどこまで本当にそう思っているかわからないんですけど、参考としてはファストエリアでいかがなものか?
でもね、そのポジションをずっと貫いているからこそ、やっぱりちゃんとそうじゃないっていう人が浮かび上がるって構図になっているので、僕はそれでいいと思うんですよね。
そうですね。いかがなものかっていうとこの根底にある話っていうのは、当然クリエイターがすごく考えながら、
この間とかセリフとか、いろんなものを計算して作っている一つの映画という作品一つとっても、
すべてが計算されて作られているのに、それを自分のこの都合で10秒飛ばすっていうのはリスペクトにあまりに効く話なんじゃないのかっていう話が書いてあるわけですよね。
それは今としていることは当然かなと言ったらいいんですけど、一方で最近映画についてもセクハラだなっていうところの話があったりとか、
結構映画批判みたいなものが多く登場しているようなところで、
映画って一つ産業として見たら非常に大きな産業と言いつつも、見られにくくなってきている。
特に若者世代にはっていうのはもちろんあるのかなっていうのは思いますね。
中に出てくる話で、なるほどなぁと思うのは、映画がまずどのぐらいの時間なのかって思った時に2時間あるっていう風に見たら、
損したくないって思うっていうような若者の意見が書いてあるというか、そこについてはなるほど感があるじゃないんですけど、
損したくないっていう感覚を映画を見る前に思うっていうのって、本当最近だよなっていう風に思います。
いろんなコンテンツが相対化されているからっていうところなんだと思うんですけど、
映画2時間って当たり前だし、そこに期待してみるっていうのが普通だと思うんですけど、損したくないっていう心情ってなかなかのもんじゃないですか。
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選択肢が増えてきたっていう論があんまり世代論の話にはしたくないけど、昔に比べれば選択肢が増えてきた。時間消費の。
そこからした時に、2時間の消費をする時に映画っていう選択肢が、本当にあまたあるうちの一つになっているっていう話になっちゃう。
それはしょうがないかなっていうのは。
本当にそうだと思うんですね。映画が特別なものじゃなくなってるっていうのがよくわかる話だなとは思いますね。
いろんなものを比べた時に映画っていうのはちょっと長すぎないかみたいな話で、
もちろん法的な問題のファスト映画をどうこうっていうものというよりは、コンテンツ消費論として扱ってるっていうところも、
非常にフラットに扱ってるっていうのも面白さなのかなって気がするんですけど、
見る説得力がある話だなと思うのと、あと若者世代論というよりは、
こういう消費傾向って実は世代関係なく起こっていることなのかなって気はするところはありますかね。
多分、我々もそうですけど、コンテンツを作る側の人たちって、チェックしないとっていう心理って絶対あるはずなんですね。
そういうことですね、そういうのは間違いなく心理的にはあるなという感じはしますかね。
まさにこの本にもこういうところが書かれてますからね。
みんなそれぞれ別々であるっていう多様性の中において、みんなが見てるから見なきゃいけないという恐怖観念みたいなものは、
この本でも勉強されてるし、実際のところフィールドバックで出てくる話の部分でいうと、
最低限知っておかなきゃいけないからコンテンツを消費しなければいけないっていうような言説が出てるんですよね。
まさにこの本に出てくる人方も、ファスト映画供用してる人方も、でも知りたいんですよね。
根本の部分が。
そうですね、ここっていろんな切り口があると思うんですけど、
一つはコンテンツ、昔この番組内では作品なのかどうかっていうところとか、
スナックとかみたいな議論をしていた話って全く同じだなと思っていて、
この作品、映画って作品だと思うんですけど、作品をある意味ファストフードのように情報コンテンツとして言ったら変ですけど、
ニュースのように消費するってことだと思うんですよね。
この作品を味わうんじゃなくて、この情報としてこれを吸収して、
それをソーシャルメディア上でああでもない、こうでもないっていう風に言って、
たぶん昔で言うと、これってニュースの消費と同じなんですよね。
芸能人のニュースと同じように消費されてるっていうのは、
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たぶんこのコンテンツ商品のあり方ってかなりのWhat's Newなんだろうなというか、
最近になって顕著になってきてる話なんだろうなっていう風に感じるところありますね。
実際のところだと、例えばラーメンを一風にしたって、
じゃあ別に炭水化物がいくつで質がいくらでみたいなサポリできるわけじゃないじゃないですか。
ラーメン美味しいものであるって言ったって、
いや美味しいってレポート受けても実際に食ってみなきゃ分からないものは、
そこまでのコンテンツを消費をするのか、
単純にラーメンが美味しいもの、ラーメンという栄養素を摂ってるのかっていう話の部分で、
ラーメンという情報を消費するのか、ラーメンというコンテキストを消費するのかっていうところが、
今それで言うと、情報の消費だけでいいやって思ってる人が多いっていうのも事実なんですよね。
そうですね。だからこういう消費傾向、コンテンツ消費のあり方っていうのは、
結構メディアビジネスをする人はかなり敏感にならなきゃいけないなと思っているところがあって、
一つこの本に書いていないことで同じようなことってあるかなと思ったときに、
一つ思い浮かんだのは、吉本工業の漫才、今まで劇場に足を運んでお金を払ってもらっていたものは、
オンラインチケットが売れるっていうような状況になって、
結構昔、吉本工業の芸人は食えない、食えないって言われていたものが、
オンラインチケットを売ることによって、
ある程度収入が得られるようになってきたみたいな話があるんですよね。
これすごい面白い話だなと思うんですけど、
稼げる世界になっちゃってるっていう話で、笑いになってるところだと思うんですね。
結構稼げてしまうっていうことがある一方で、
これって何が違うのかなと思ったときに、
吉本の漫才も、結局そのコアなファンって、
劇場に足を運ぶまでにファンだと思うんですけども、
最近はこの漫才の、例えば話題になった漫才とかあったら気軽に見れるというか、
オンラインチケットで見ればいいやっていう風になってきたっていうのは、
一つはもちろんコロナで、オンラインでもお金を払うっていうことがきちんと根付いたというか、
文化としてできたみたいなところですね。
消費としてそれって当たり前だよねってことができたっていうところもあると思うんですけど、
こうやって二分されてきてるような感じがしていて、
何がいいかというと、漫才っていうものを消費する、
つまり面白い面白いってエンタメコンテンツとして消費するのと、
劇場まで足を運んでその人のファンとして、
ファンコミュニティとして応援するってことって、
多分全然違って、そこが結構わかりやすく、
オンラインチケットオフラインチケットみたいなところで、
分離してるなーっていうふうに思うんですね。
大きな話としては、売上としてはこれで最大化されているっていうのも、
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一番新しいロゴだと思うんですよね。
なのでこの辺の変化っていうのは、ちゃんと取り込まなきゃいけない文脈だと思いますね。
これとタイムパフォーマンス、タイパって表現もこの本の中にありますけど、
それでいうと移動のコストがないんですよね、オンラインは。
やっぱりタイパーを気にする話の部分でいうと、
移動のコストがないっていうのが一つのメリットかなと思っていて、
それが消費されやすい、消費されにくいっていうのは、
一つのポイントとしてあると思うんですよ。
オフラインだからこそメリット感が出てくる。
例えば映画、大劇場、物を食べながら見ます、
素晴らしい音響っていうふうに捉えるか、
すごく手元でそれで消費できるかどうか、
吉本の芸人さんのライブとかも手元で消費できる、
コンテンツなのか、
劇場まで行って消費されるコンテンツなのか、
そこがポイント、コンテンツのコンテキストの部分でいうと、
そこの消費のところもオンライン向き、
オフライン向きっていうところもあると思うんですよね。
そうですね、すごく時代の変化を感じるところだなと思うんですけど、
例えばAKB48が決勝にアイに行けるアイドルみたいなのが
一つブレークしたっていうところがあって、
アイに行けるとかファンコミュニティが
可視化されるっていうシーンがずっと続いていたような気がするんですけど、
そこが見事にオンラインチケットっていうことをかませることによって、
ちゃんとコンテンツとしてファンじゃなくても、
これは良い曲だとか、良い漫才だっていうことで、
消費できるような環境が整ったっていうところで、
結構これは大きな時代の変化だなというふうに感じるところありますかね。
2000年代、インターネットからソーシャルメディアに行くときに、
そんなに消費自体が変わってきたっていう印象はなかったんですけど、
やっぱり2020年代に入ったときに、
だいぶファンコミュニティっていうものと、
通常のコンテンツ消費っていう文脈が分化したっていうのは、
ひとえにオンラインチケットっていうものの登場とか、
そこに対して課金をきちんとできるっていう状況が揃ったっていうのは、
大きいような気がしますね。
そうですね。あと、ちょっと触れててまだ触れきれてない話で言うと、
ストレスっていう話、さっきちょっと話しましたけど、
これやっぱり失敗したくないっていう心理っていうところもあったりとかするんですね。
それで言うとね、コンテンツ2時間消費したんだけど、
つまんなかったっていうところが一番困るようなところ。
でもストレスってあともうちょっとあって、
楽しいっていうのはもちろん大事なんですけど、
悲しいとかそういうところとか、ちょっとの違和感っていうところ、
どんどんどんどんある意味コンテンツ側が削ぎ落としてるなっていうのもですね、
最近実感としてあるんですよ。それで言うと。
何かというとですね、つい先日ですね、ある大型アーティストのライブに行きました。
ちょっといろいろあるんで、誰かとは申しませんけど、
どうもクラスの人の公演に行ったんですね。
世界中に売れてる方っていうところに行ったんですけど、
演出その他もろもろ素晴らしかったんですけど、
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何て言うんですかね、淡々と曲が進む。
でも曲楽しいんですよ。楽しいんですけど、
同じようなパッケージ。装飾とか派手かって言うとそこまで派手じゃない。
歌ってる声のピッチとか素晴らしいしっていうところの部分で、
完璧なパッケージングで、全く僕はね、
そこまでその大アーティストのところを知ってるわけではなかったんですけど、
飽きることなく3時間行ったんですよ。
ここね、全然僕ストレス感じなかったんですね。
構成から何からっていうところで言うと、
例えばちょっと違和感感じさせるのか引き込むとかあるじゃないですか。
コンテンツの流れにおいてというか、いろんなパッケージの流れで言うと。
そういうのはあまり関係させず、
どっちかっていうと気持ちよくさせる方で、
3時間構成して、
客がまさにそこに全員飲み込まれていくっていうのを見ちゃったんですよね。
グローバルコンテンツっていうのは今現時点で言うと、
やっぱりお客さんを見て、
いかにストレスを感じさせず引き込んでいくっていう構成にしていくんだったら、
こうなっていくんだっていうのをまたまた感じてしまった。
そうですね。
それこそ作品に語る必要がないみたいな話なのかなっていう気がするんですけど、
この本の中では、
それこそあれですね、
ライトノベルを例にして、
自分のうってなるシーンとか嫌なシーン、
読みたくないというか、
例えば主人公がピンチに陥るみたいなシーンっていうのが、
どんどん嫌われるようになっているというか、
飛ばされるようになってきている。
面白いですね。
ハッピーエンドじゃないと見たくないっていうこともそうだし、
本当に読者とか視聴者がわがままになってきているみたいな話が書いてあって、
それをもって快適主義っていう言葉を与えているんですけど、
本当にそうなんだろうなっていうのはすごい。
都合がいいとも言うし、
本当に見たいものしか見たくないみたいな、
ユーザー心理。
そういう快適主義っていう言葉もそうだし、
僕はこの中でいいワーディングだなと思ったのは、
オープンワールド化みたいな話。
いい表現だなって思ったんですよね。
今までの、いわゆるコンテンツが世界観だけを提示して、
どこを冒険したいかっていうのはユーザーが決めるっていう話だと思って、
作品ってそういうふうに何率あるんだなっていうのは、
例えば連続ドラマでも1本だけ見ても完結するけれども、
全部見たらそこに文脈があって、
こういうことだったんだっていうことがわかるようになっているみたいな構造っていうのは、
結構作品としては確かに理想的なとこがあるなっていうのも思うとこがあって、
それを飛ばしてみる人たちがいることを、
作り手としてそれをいかがなものかというか、
作り手が意図するように見てほしいって思うのももちろんそうなんだけども、
ユーザーファンがどう見ようがそれは自由であるっていうとこもまた、
しっかりっていうとこもあるので、そこは結構バランスが難しいとこだなっていう。
これ今の話聞いて思ったんだけど、まさにゲームの主張ってそうじゃないですか。
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それでいうと、自分がゲームのプレイヤーじゃなくて、
ゲーム動画を見るような形の部分でボス戦だけチャレンジするとか、
ここら辺の部分で、自分がプレイしてなくても結局ほぼほぼクリアするじゃないですか。
その感動を得る。
何だったら、ドラクエとかファイナルファンタジーみたいに、
えらい長い作品でも、ボス戦言うても5分くらい。
5分、10分っていうところの部分をそれで受け止めて、
最終的には勝って語らせてくれる。
なるほどね。
それはそもそもあった議論の部分で言うと、
あるんですればそれも最適かなって思いますね。
そうですね。
この辺の受けてというか、ユーザーでもあり、
視聴者でもあり、読者でもありっていう人たちの、
消費の在り方っていう変化に対しては、
コンテンツの作り方を変えていかなきゃいけないよねっていう議論は、
当然あるだろうなっていうところは思って、
今までの作り方をしていると、
牽引されるところとかがやっぱりあったりするのかなとか。
そこは合わせていかなきゃいけない部分もありそうだなっていうのは、
すごく感じた。
超伝の流れって言ったら変ですけど、
SNSって今までって、
ある意味で一時で創作させたもの、
二次創作しているようなもので、
ああだこうだって感想いうに留まっていたと思うんですけど、
この全体の快適主義とかタイパー主義みたいなものって、
実はユーザー主導になっているっていうのは大きな違いだと思うんですよね。
ユーザー主導でどう消費されるのかっていうことを決めたいっていうような流れだと思うんですけど、
ファストに見たいとかもそうだし、飛ばして見たいっていうのもそうだし、
自分の好きなとこだけ見たい、繰り返し見たいみたいなもの、
それこそTikTokにショート動画になって自分の好きなところだけ集まっているようなものがあって、
ライブのシーンのこの表情だけを何回も見たいみたいなものとかもそうかもしれないですし、
いろんな意味で消費傾向が変わっていくってことに対しては、
結構敏感に知らなきゃいけないよねっていうところはありますね。
敏感に知らなきゃいけないからこそポジティブにどう乗り込んでいくかっていうところの話を最後にするとすれば、
でもとはいえベースのコンテキストはしっかり作らなきゃいけないと思うんですよ。
いかにユーザーがそのコンテキストの上でコンテンツとしてショートに楽しく過ごせるような場を
コンテキストでちゃんと文脈として設定してあげれば、
その文脈上でいろんな小さなパスでも構わない。
コンテンツの消費っていうところの快楽で消費されてもいい、そうじゃない消費があってもいいみたいな、
ちゃんと構造化されていることが、これからこのメディアとしてコンテキスト、
情報に伝えていくんだっていうパッケージ化するときには、
それが一番大事になってくるんじゃないかなと思うんですよ。
この本の中の言葉で言うと、干渉モードと情報収集モードっていう2つのモードについて触れてるんですけども、
結構二重構造になっていくよねってお話ですよね。
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作品やそのコンテンツとしてはどちらにも耐える、どちらのモードにも耐えるようにコンテンツ作らなきゃいけないって結構難易度はあるんですけど、
ある意味で情報収集モードの人たちにはきちんと見ていただいて満足できるようなスクリーンをしなきゃいけないし、
干渉モードの人にはいろんなコンテクスとして、今赤眼鏡が言ったようなコンテクスを埋め込んであげて、
それもちゃんと消費できるように繰り返し見て発見があるようなものにしなきゃいけないって、
ちょっと難易度はすごい高いんですけども、ある意味でコンテンツの理想系ってそうだよなっていうところはありますよね。
わかりやすいハリウッド映画的な側面もありつつもフランス映画のようなコンテクスを読み込む、
社会問題、当時の時代背景とかを考えながら見ることもできるみたいなものが求められるっていう、
相当にわらわかな消費者というか、コンテンツを見る人たち、ユーザーを相手しなきゃいけないっていう意味で、
難易度は上がってるような気がするんですけども、それはそれで必要なことですよね。
だからそれぞれにビジネスは違うっていうことだと思ってて、今までファンコミュニティとか、
やっぱりファンがドリブンするようなエコノミーって重要だよね。
ファンダムみたいな言葉もそうですけど、ファンダム作った方がいいよねって話をしてたんですけど、
実はここはもう文脈が変わってるなと思っていて、ファンダムっていうものはファンダムで重要なんだけども、
そこに情報収集モードで、とにかく遅れたくない、流行に乗りたいっていう人たちもきちんと取り込むことによって、
おそらくマスアダプションできるっていう話なのかなっていう風になって、
このモードの2つの使い分けっていうものをきちんとやっていくことで、
コンテンツっていうものがちゃんとマネタイズを最大化できるっていうようなシチュエーションになるっていう話なのかなっていう風に解釈してます。
だからこそこれが大きな意味でのWEB3のトレンドになっても全然ビタッと当てはまってる話だし、
僕が一番最初に言った、例えば世界観っていうところのベースのところはどういう風に設計されてるんですかっていうのを、
僕は例えばアジア的なもの、アメリカ的なものっていうところのベースの部分になって、
それぞれ個別のところで遊べていく設計っていうところが、
大きな意味でのWEB3がやってきたトレンド感の部分においてもビタッと当てはまる、
非常に重要な流れなんだなっていう風に思います。
ちょっと謙虚不快になりすぎないように思うんですけどね。
そうなんですよね。WEB2、ソーシャルメディアの時代って、
2次創作的な、1次で流れたものの観測コメントを言ったりとか、
それぐらいまでで済んでいたようなものが、
WEB3が目の前になってた時に、オープンワールド的になってきてるよねとか、
メタバス的になってきてるよねっていう話だと思ってて、
コンテンツクリエーションの在り方が、1つの作品、
リニアな作品を作るというよりはオープンワールドで、
いくらでも探索できるユーザーが楽しむことができるっていうものに、
変えていかなきゃいけないっていうような、非常に大きな節目を感じますし、
その1つのテクノロジーとしてのトレンドがWEB3っていうトレンドがあるっていうところは、
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おそらくこの番組を連続して聞いていただければ、
WEB3とは何かっていうことは理解していただいてると思うんですけども、
要するにファーシックエコノミーってそういうことですね。
ユーザーが主役だし、ユーザーが主導権を持ってる。
あらゆるコンテンツについても主導権を持ってるっていうような状態だと思うので、
このオープンワールド化していくユーザーが、
どういうふうにコンテンツ消費をしていくかが変わっていく、
このトレンドの中にWEB3を位置づけると、
すんなりとスッと入ってくるようなイメージがあるなとは思いますね。
だからこそファスト映画っていうんじゃなくて、
ファストなんとかっていうような商品のところっていうのは、
これは避けては通れないし、むしろそれを組み込むぐらいの勢い。
ただ、そこだけで寄るわけではなくて、
それは非常にWEB2だけ。
本当にどんどんどんどん、我々がツイッターの任務でどんどん消費できた、
っていうのはそれであって楽しいんだけど、
これからのトレンドでいうと、
それを消費を受け止められるばっかりでかい文脈っていうところを用意しておかないと、
結局消費されるだけで、アグレディエーションされるだけで終わります。
というようなことだと思うんですよね。
見方としては、スナックコンテンツとしてただただ消費されるということになってしまうので、
そこに対して、カメラのいろんなコンテクストを埋め込むことによって、
ちゃんとファンダムにも応えていくという文脈が必要ですよね、
っていうような見方になったので、
やっぱり1年前に言っていたことよりも、
アップデートされている感はありますね。
それが現実世界に巻き上がってきて、
稲田さんの本も別にWEB3がどうだろうって、
一切合切書いてないんですけど、
一切書いてないけど、結局のところにつながっているのである、
という一点においてで言うと、
ぜひメディア関係者に限らず、
全体的なコンテンツ、コンテンツのビジネスにかかっている方は、
読んでおいたほうがいいかな、というふうに思っておりたいですね。
コンテクストのところの部分とか、
最近、本当に最後はアウトロじゃないですけど、
新ウルトラマンとか、まさに僕はウルトラマンのコンテクストを
100%理解した上で楽しむわけですよ。
でもそれだけだと、多分ウルトラマンというところで理解している
コンテクストのだけの人って少ないと思うんですよね。
そこでちゃんと切り分けできるコンテンツ、
ファストで消費できる、何だったら斎藤匠商機でもいいんですよ。
長澤正美商機でもいいんですよ。そこもちゃんと受け止められるのが、
宣伝構造、構成になっているからこそ、やっぱり
ロケットスタート決められたのだなって改めて思いましたよ。
おっしゃる通りですね。そういうふうに、
ちゃんと意図的に作っていると思いますね。
これから見る人間なんであれですけども、
どちらにも答えるように作り手側が
変わりつつあるのかなっていうところが、
いろんな作品を見ても
そう思うところがあるなという感じですかね。
今回の話の総論としては、
ファスト〇〇っていうのは決してネガティブワードではない。
もちろん法的な問題は含めてあれなんですけども、
消費行動の変化というところでは、
ちゃんと捉えなきゃいけないし、
作り手側もそれに沿って変えていかなきゃいけない部分があるよね
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っていう風にポジティブに
意味を捉えていくっていう重要性みたいな話でしたかね。
はい、そんなところでございますかね。
そしてこの放送もですね、いよいよこれで
なんと99回ですね。
次回どうしよう。
次回どうしようかね、みたいなところがあるので、
ここら辺とかね、コミュニティでいろいろ話を見て
100回記念どうしようかという話は
何回やったほうがいいかなっていう風に思ったりとか
ちょっとここら辺の話でありますので、
期待していただければという風に思う次第です。
何やりますか、24時間配信でやりますか。
無理無理無理。
無理無理無理。
というわけで、
今日の放送はここまでにしたいと思います。
本日はありがとうございます。
ありがとうございました。