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このエピソードでは物理学界きっての「モテ男」であるエルヴィン・シュレーディンガー博士をご紹介します.彼の名前はご存じなくても「シュレーディンガーの猫」という言葉は聞いたことがあるかもしれません.彼は物理学の地平を一気に押し広げ,また「分子生物学」という新しい学問の扉を開きました.

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改めましていちです このエピソードは2022年3月26日に収録しています
このエピソードではシュレディンガー博士の異常な愛情についてお届けしていきます 今回も25分間お付き合いください
このエピソードでは物理学界きってのモテ男であるエルヴィンシュレディンガー博士をご紹介します
彼の名前は知らなくてもシュレディンガーの猫という言葉は聞いたことがあるかもしれません
彼は物理学の地平を一気に押し広げ また分子生物学という新しい学問の扉を開きました
そんなシュレディンガー博士の研究とそして一部変わった私生活をお話ししていきたいと思います
知的な眼差し、尖った鼻筋、きりっと結ばれた口元 おちゃめな印象のあるアルベルト・アインシュタイン博士に比べると対照的とも言える典型的美男なのが
オーストリア出身の物理学者エルヴィンシュレディンガー博士です
メールでお送りしているニュースレターの方にはもちろんシュレディンガー博士の写真も掲載しています
どちらかというとゆるキャラのアインシュタイン博士とは高対照の美男子ですね
シュレディンガー博士は歯通り器学という物理学の一分野を築き上げた 天才物理学者です
これは非常に小さな粒子、例えば電子に関わるものです
電子は小さな粒なんですが粒であると同時に波の性質も持つんです
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シュレディンガー博士はこの波としての性質がどのようなものであるのか
具体的に言えばどのような数式に従うのかを考えて
シュレディンガー方程式という式を発見しました
このシュレディンガー方程式は電子や原子の世界で起こる自然現象を次々と説明することができました
電子や原子の世界では A が起こったから B が起こるという確実なことが言えないんですね
世の中は必然が積み重なって偶然が生まれているんですが
その必然これは電子や原子の世界の偶然が積み重なって生まれているんです
シュレディンガー方程式はこの電子や原子の世界で起こる偶然の確率を予測するのに使えます
シュレディンガー博士がこの方程式を発表したのは1926年のことですが
実は大きな欠陥もありました
1905年にアルベルト・アインシュタインが発表していた特殊相対性理論を考慮していなかったんです
正確に言うとシュレディンガー博士は特殊相対性理論とも整合するように自身の理論の修正を試みたんですが
うまくいかないまま発表したんです
まあとはいえですねシュレディンガー博士の発表は物理学の地平線を大きく広げるものでした
シュレディンガー博士はまたシュレディンガーの猫という試行実験によっても有名になりました
シュレディンガー方程式は未来に起こることの確率を求めるものなのですが
当時の物理学者たちはもし全ての条件がわかっていれば未来に起こることは確実に予測できるはずだと考えていたんです
例えば1時間の間に1/2の確率で放射線を放出する原子があったとします
そこで放射線を検知すると毒ガスを発生する装置を作って箱の中にその原子と一緒に閉じ込めておきます
1時間後の箱の中は空気だけの確率と毒ガスが充満している確率が半々ということになります
新しい物理学ではこの状態を重ね合わせと呼んで両方の現象があり得る入り混じった状態であるとします
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もちろん箱の蓋を開けてみれば毒ガスが充満しているかどうかはわかります
そこで箱を開けることで現象が収束すると考えるんですね
さてこの箱の中に猫がいたらどうでしょうか
1時間経って蓋を開けなければ猫は1/2死んでいるんでしょうか
箱を開けるまでは猫の生死は概念的にないということで良いのでしょうか
未来予測はどうなってしまうんでしょうか
というのがシュレディンガーの猫という思考実験です
この実験は物理状態の重ね合わせをどう解釈したらいいのかという問いになっています
シュレディンガーの猫は物理学的にはもう過去の問題なのですが時々わけしり顔の哲学者がやってきてはひっくり返します
メールでお送りしているニュースレターにはシュレディンガーの猫について詳しく説明している web ページへのリンクも貼ってありますので
こちらもよかったらニュースレターでご確認いただければと思います
バックナンバーから第23号に進んでいただくとお読みいただけます
ところでシュレディンガー方程式と特殊相対性理論との整合性問題なんですが
1928年にイギリスの物理学者ポールディラックによって解決されました
1933年シュレディンガー博士はポールディラックとともにノーベル物理学賞を受賞しています
さてそんなシュレディンガー博士の独創性は研究だけではなく私生活にも発揮されました
彼は超モテ男だったんですよねちょっと意味がわからないレベルで
シュレディンガー博士は1887年8月12日にウィーンで生まれています
実家は裕福で一人息子だったそうなので周囲の女性にいきなりモテモテだったようです
ドイツオーストリアスイスのドイツ語圏では日本でいう小学校4年生を終えると
ギムナジウムという学校に入学します 若きシュレディンガー博士はギムナジウム在学中から天才ぶりを発揮するのですが
この頃からすでに定時リストを作成しています
見た目は子供頭脳は大人といったところでしょうか まあ世の中の大学教員とは逆かもしれません
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そんな若きシュレディンガー博士フェリチェクラウスという女性と大恋愛をするんですが フェリチェの母親に反対されて結婚は叶いませんでした
単にチャライだけじゃないんですよね彼は人生を捧げようと思って一時期は学問の世界を断念しようとさえします
しかしこの思いを引きずったまま彼は学問の世界へと戻ります 1914年にヨーロッパで第一次世界大戦が始まると彼の研究も中断します
しかし終戦後はイエナ大学の物理学者マックス・ヴィーンの助手を務め等格を表し始めます
シュレディンガー博士は1920年32歳の時に23歳のアンネマリー・バーデル 通称アニーという女性と結婚します
アニーはシュレディンガー博士に続行に惚れ込み食事の用意病気の看病など彼に尽くします
それどころかシュレディンガー博士がアニーに性的関心を失うとアニーは彼のために愛人探しまでしました
ただ当然といえば当然なんですがアニーも精神的に不安定だったらしくシュレディンガー博士とアニーの間はずっとぎくしゃくしていたようです
二人は結局は離婚しなかったんですけれどもね シュレディンガー博士は大変優秀で1921年34歳で中理大学の教授になっています
そして1925年の年末といいますからシュレディンガー博士が39歳の時でしょう
彼は波動方程式を発見します 彼はクリスマスに妻ではない女性とスキー休暇に出かけ本に曰く
エロスの爆発により波動方程式を見つけるんです この女性が誰かは記録が失われているため永遠の謎です
少しシュレディンガー博士に同情するとこのよく知られたストーリーの裏には彼の大きな苦悩もあったんですよね
シュレディンガー博士は親友のアルベルト・アインシュタインによって見つけられていた特殊相対性理論と自身のシュレディンガー方程式との整合性に悩みつつ方程式をいじり回していました
ここぞという答えにたどり着いたかに見えたんですが導かれた結論が ドイツの大先輩アルノルとゾンマーフェルト教授の式と一致しなかったためにどうやら不適されてしまったようなんです
結局エロスの爆発によって修正なしのシュレディンガー方程式の価値を確信したシュレディンガー博士は 休学から帰って3週間で論文を書き上げ提出します
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この論文はアルベルト・アインシュタインに熱狂的に支持されました
1927年シュレディンガー博士は当時ドイツ最高の物理学者マックス・プランク教授の公認としてベルリン大学に迎えられます
1933年ヒトラーが政権を昇握するとユダヤ人学者への弾圧に抗議して シュレディンガー博士はベルリン大学を辞職します
どうもこの時すでに人妻ヒルデ・マーチと小田舎になっていたようなんですね
翌年の1934年シュレディンガー博士が46歳の時ヒルデは女の子ルースを産みます
もちろん父親はシュレディンガー博士でした
このヒルデの夫はなんとシュレディンガー博士の親しい同僚であったオーストリア人物理学者アルテュール・マーチだったんですよね
そしてシュレディンガー博士を大尊敬していたマーチ先生 なんとなんとシュレディンガー夫妻の家に転がり込みます
シュレディンガー博士、シュレディンガー博士の奥さんの兄、シュレディンガー博士の愛人であり自分の奥さんでもあるヒルデ
シュレディンガー博士とヒルデの間の娘ルースと一緒に住み始めるんですマーチ先生
さすがにこの状況はきつすぎたのか一旦は解消されるんですがヒルデ母子は再びシュレディンガー一家に戻ります
ある時アニーは競争場と一緒に住むよりカナリアと住む方が楽ですがね
でも私は競争場と一緒の方が好きよというふうに話したことがあるそうなんですが
本心だったのか強がりだったのかあるいは諦めだったのかはわかりません
ベルリン大学を去ったシュレディンガー博士にアメリカのプリンストン大学が人気なしのポジションを提示します
ところが彼は断ってしまうんですねどうもアニーとヒルデの2人分のビザの要求がアメリカから認められなかったようなんです
実はその後イギリスのエリンバラ大学に行こうとするんですがやはりビザの発給が遅れに遅れます
まあ奥さん2人分のビザっていうのは前代未聞だったんでしょうね
プリンストン大学の人気なしポジションっていうのはこれ学問の世界では最高のポジションなんですが
奥さん2人連れて行けないからということで蹴ってしまったシュレディンガー博士
まあある意味新年の男なのかもしれません
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一方でアイルランド首相で自身も数学者だったエイモンでバレラからの誘いを受けて
シュレディンガー博士はダブリン高等研究所の設立のためにアイルランドへ渡ります
1939年のことでした この時アイルランド政府はシュレディンガー博士のために奥さん2人分と娘さんのビザを用意したそうです
ところがなんとですね我らがシュレディンガー博士ここでも2人の女性の間に2人の女の子を設けています
1944年シュレディンガー博士は女優で労働党に身を寄せる社会活動家でもあったシェイラ・メイとお洒落な関係になります
問題はシェイラがキエイの言語学者デイビッド・グリーンと結婚していたことなんですね
シュレディンガー博士も結婚していたわけなんですけれどもしかも奥さん2人いたわけなんですけれどもシェイラも
結婚していたということになります シェイラは女の子を妊娠したのですが
この後シュレディンガー博士の愛情が冷めてしまうんです シェイラは夫に全てを打ち明け生まれてきた女の子は夫によって自分の娘として育てられました
ただしシェイラ自身は夫の元を去っています
1945年シュレディンガー博士は赤十字のボランティアだった26歳のケイト・ノーランを
くどきにくどいて次には2人の間に女の子が生まれます この子はリンダと名付けられ非公式ながらシュレディンガー博士の幼女になりました
もっともその後ケイトはリンダを連れ戻してしまったようです 年の差を考えるとちょっとシュレディンガー博士をおとなげないかなと僕も思ってしまうんですが
どうなんでしょうかね なおケイト・ノーランという名前は実名ではないとする報道もあります
こうなるとシュレディンガー博士をヨーロッパの種馬と呼んでも差し支えないんじゃないでしょうか
彼の定時リストには10代の女性まで名前があるそうです
ただしシュレディンガー博士の日記によるとこう書いてあるんですね Love is more important than sex
いやいやお前が言うかって話ですけれどもこの緊張感が科学的創造性に必要だともシュレディンガー博士は言ってます
いやわからんでもないというか分かったらダメかな シュレディンガー博士は1955年に定年退職し
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翌1956年にオーストリアへ帰国して歩行であるウィーン大学の教授に就任しています
1961年1月4日 シュレディンガー博士はウィーンで亡くなります
73歳でした その4年後には兄が亡くなり夫婦でオーストリアのチロル州アルプバッハに埋葬されています
シュレディンガー方程式はシュレディンガー博士の功績のまだ半分にすぎません 彼は「生命とは何か」という本を書いて
なんと分子生物学という新しい学問分野を切り開きました 本書の中で
シュレディンガー博士は生物の遺伝物質が持つべき物理的性質について鋭い考察を加えていきます
衝撃的なのはこの本が書かれたのが1944年ということなんですね 1944年
シェイラとイチャコラした年という意味ではなくて 次のこと聞かれたらきっと驚かれると思います
「生命とは何か」という本を書いたのが1944年 DNAが遺伝物質であることが確定的になったのは
1952年 DNAの構造が分かったのが1953年です
つまりシュレディンガー博士は当時の他の研究者たちも同じなんですが 遺伝物質が何なのかというのは知らなかったんです
しかし遺伝物質は非常に大きな情報を持つことからある種の巨大な分子であろうこと 生死37度体温ですね
これ絶対温度では310ケルビンという物理的には結構な高温です この高温に耐えることから
遺伝物質は自己複製を行うであろうことをシュレディンガー博士は結論づけていきます
シュレディンガー博士の「生命とは何か」を読んだ一人がシカゴ大学の学生だった ジェームズ・ワトソンでした
彼は何度19歳で大学を卒業しています 彼は後に
イギリスで フランシス・クリックという科学者と共同研究をします このフランシス・クリックも
シュレディンガー博士の「生命とは何か」を読んでいました 運命の1953年女性科学者
ロザリンド・フランクリンはX線をDNAに照射して散乱パターンの写真を撮りました 後に有名になるフォト51という決定的な写真はこの時
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彼女と彼女の学生であったレイモンド・ゴースリングによって撮られたものです この写真の重要性に気づいた生物学者モーリス・ウィルキンスがこれを
ロザリンド・フランクリンに内緒でクリックとワトソンに見せました
1962年ジェームス・ワトソン、フランシス・クリック、モーリス・ウィルキンスは DNAの構造決定に関して
ノーベル整理学賞を与えられています フォト51を撮影したロザリンドは受賞できなかったんですね
彼女は1958年に37歳という若さで亡くなってしまったので 受賞機会がなかったとは言えるんですが
DNAの構造決定に関して男性中心の学術界が彼女の役割を無視しがちであった
ということからロザリンドは今フェミニズムのアイコンにもなっています
2008年アメリカのコロンビア大学は 権威あるルイザ・グロス・ホロウィッツ賞を
ロザリンドへと送っています
さてワトソンとクリックに多大な影響を与えたシュレディンガー博士の声明とは何かの助文の中で
シュレディンガー博士はこう言っています
科学者は自分が十分に通行していない問題についてはものを書かないものだと世間では思っています
この度は 私はとにかくこの身分を放棄してこの身分につきまとうを着てから自由になることを許していただきたいと思います
我々の中の誰かがもろもろの事実や理論を総合する仕事に思い切って手をつけるより
他に道がないと思います
たとえその事実や理論の若干については また利器で不完全にしか知らなくとも
また物笑いの種になる危険を犯してもそのようにするより
他に道はないと思うからです
僕がこうして科学の掟を破ってニュースレターを書いたり ポッドキャストをお送りしたりしている理由もこのシュレディンガー博士の助文に書かれていることなんですね
まあ専門性の深さも興味の広さも エロさもシュレディンガー博士には遠く及ばない僕ですが引き続きお付き合いいただければ嬉しいです
聞いてくださってありがとうございましたいちでした
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ご視聴ありがとうございました!
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