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このエピソードでは「数学を永遠に変えたフランスの美少年」エヴァリスト・ガロアについてお話します.フランス革命真っ只中の1811年,パリ郊外にガロアは生まれました.時代のずっと先を行っていたガロアの理論は当時受け入れられず,ガロアも革命と恋に翻弄され,20歳で命を落としてしまいます.

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改めまして市ですこのエピソードは2022年5月13日に収録しています このエピソードではスティームニュースバックナンバー第41号から数学を永遠に変えたフランスの美少年をテーマにお届けします
1811年 エヴァリストガロアはパリ郊外に生まれました
時代はナポレオン一世によるフランス第一帝政です チャイコフスキーの除去1812年に描かれたロシア戦役の1年前なので
ナポレオンの絶頂期でしょう
ロシア戦役は60万人の兵士を連れてロシアに攻め込んだナポレオンがわずか5000人の兵士とともに 敗走するというナポレオン側から見たら大失態に終わります
1814年ナポレオンは追放され フランスは王政に戻ります
ガロアの父親は公立学校校長で詩人で その後長町になります
ガロアの母親はパリ大学法学部教授の娘で ギリシャ語とラテン語に堪能でした
つまりは絵に描いたような文学少年としての教育を受けたわけですね
ガロアはパリの名門高校理性ルイルグランに12歳の時に入学します ここでどういうわけかギリシャ語やラテン語に突然興味を失い
数学に目覚めるんです ルイルグランの後輩には数学者シャルル・エルミートや理論物理学者
アンリポ・アンカレがいますから 数学へと導く何かがここにあったのかもしれません
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ガロアはルジャンドルの「幾何学の基礎」を2日で ラグランジュの「数値方程式の解法」を8日で読んだと言われています
どちらも1年以上かけて読むような本です そしてガロアは16歳の時に理工系のフランス最南官
エコールポリテクニークを受験するのですが 落題してしまいます
しかし悪いことだけではありませんでした ガロアは飛び級で数学特別級に進学し数学教師リシャールに出会います
リシャールの影響でガロアは17歳にして人生最初の論文 循環連文数に関する位置定理の証明を書いています
これが1829年4月1日のことでした その1ヶ月後には新たな論文を書いて
数学者オーギュスタン・ルイ・コーシーに頼んで フランス学士院に提出するよう求めています
人生が好転しかかったに見えたのですが 同じ年の7月ガロアの父親が自殺しています
自由主義の考え方を持った人物で人望まつく 革命の中で長所を務めていたのですが
王政復古による揺り戻しを強く受けてしまいました その直後ガロアは2度目のエコールポリテクニック受験をし落題しています
伝説によれば試験間がつまらない質問を繰り返したため ガロアが黒板消しを投げつけたためだそうです
エコールポリテクニックは生涯2回しか受験できない決まりのため ガロアの望みは断れてしまいました
結局リシャールの手助けによってガロアはエコールプレパラトリア これは後のエコールノルマルシュペリウールすなわち高等師範学校ですね
このエコールプレパラトリアに入学することができました それだけでも大したものなのですがまあ本人は不満だったかもしれません
1830年はガロアが高等師範学校で再出発を始める年でした 1829年に書いて孔子に預けた論文がどうなったかというと
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なんと孔子がなくしてしまったようなんです 実際に何があったのかはわかりませんが結局孔子はガロアの論文を提出しませんでした
そこでガロアは1830年に再び論文を フランス学士に提出します
提出先は学士院の審査員を務めていた数学者ジョセフ・フーリエでした 当時のフーリエといえばフランスの学術界に君臨する
大御所中の大御所でしたのでフーリエが認めれば間違いなく ガロアの名声は響き渡ったはずです
しかしここにも不幸がやってきます なんとフーリエが論文を預かったまま給仕してしまうんです
1830年5月16日のことです 美少年ガロアどこまで不運なんでしょう
そしてフランスは1830年7月27日を迎えます
フランス7月革命 平行の3日間とも呼ばれる市民革命で
王政復古で蘇ったプルボン王朝は再び打倒されます 度重なる不運がそうさせたのか
7月革命に惹かれたのか ガロアは流行しそうでもあった共和主義に傾倒していきます
ガロアが傾倒したのは共和主義であって共産主義ではありません 今では政治参加への自由を求める共和主義はもはや保守系の範疇ですが
この時代では革新的な考え方だったんです ガロアの生きた時代にはまだマルクス主義は生まれていませんが
当時の共和主義は19世紀のマルクス主義くらいの熱量があったんだと思います 秘密結社に加わり政治活動に熱中するようになったガロアは
校長を侮辱したことで1831年1月4日付けで放行されてしまいます
ただしガロア自身はそれよりも前に自分から退学しました この頃ガロアの仲間19人が国家転覆を図った過度で逮捕されています
政治活動と数学は別だったんでしょう 1831年1月17日にガロアは学士院へ3度目となる論文提出を行っています
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ガロアが2度も論文を無くされたことを知って 数学者シメオン・ドニーポワソンがガロアに再々提出を進めたんです
論文のタイトルは法廷式のべき婚による加害条件についての考察でした
同じ1831年の4月 ガロアの仲間が釈放され5月9日にガロアたちが釈放パーティーを開いています
このパーティーには小説家アレクサンドル・デュマもいました このパーティーではしゃぎすぎたガロアは翌日政府によって逮捕されてしまいます
6月15日の裁判で無罪を貸し取りますが7月14日に再び逮捕され 10月23日には禁錮6ヶ月の有罪判決を下されます
1831年6月15日の裁判と7月14日の再逮捕までの間に ポワソンはガロアへ手紙を書いていました
しかしポワソンの手紙がガロアへ届いたのは彼が獄中にいた10月のことでした ポワソンの手紙には君の論文の意味がよくわからない
もっとわかりやすく書いてほしい 書き直したらまた送ってくれと書かれていました
ポワソンも歴史に名を残すレベルの数学者ですからポワソンが理解できなかったということは ガロアの理論が高度すぎたということになるんじゃないかなと思います
パリでこれらが流行したことからガロアは1ヶ月の刑期を残した1832年3月16日に近くの療養所へ仮出所します
そして療養所の医師の娘 ステファニー・フェリス・ポトラン・デュ・モテルに
恋をしました しかしガロアは5月14日付の礼儀正しい手紙で
振られてしまいます ステファニー・フェリスには婚約者がいたんです
しかもステファニー・フェリスの婚約者がガロアへ決闘を申し込みました 決闘は1832年5月30日と決められました
ガロアは決闘の前日に3通の手紙を書いています 1通目はすべての共和主義者へあてたもの
自らの死を予見しくだらない死を嘆くものでした 2通目は共和主義者の友人へのもので決闘相手もまた共和主義者だったことを推測できる内容でした
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両方の手紙にはつまらない色女に引っかかった後 後悔の念を書いています
第三者から見ればつまらない色女はないだろうと思ってしまいますが実際に何があったのかは 永遠にわかりません
ステファニー・フェリスが婚約者の愚痴をガロアに話し それを聞いてガロアが決闘を決意したという説もあります
またこの婚約者が偽物だったという説もあります まあそれにガロアもまだ20歳ですしね
ガロアの最後の手紙3通目はガロアの親友 オーギュスト・シュバリエ宛に書かれた8ページの手紙でした
ポワソンから返された論文の修正や新しい発想を書き ドイツの数学者カール・フリドリー・ヒガウスや
カール・グスタフ・ヤコブ・ヤコビに意見を求めてほしいと書いていました 手紙には「僕にはもう時間がない」とも書かれていました
手紙の内容について20世紀に活躍したドイツの数学者 ヘルマン・ワイルは
内容の新しさと深さを考えると人類史において最も重要な書き付けだろうと述べています
フランスでは14世紀に制度としての決闘は廃止されましたが 盟友のための決闘は長く続きました
フランスで最後に決闘が行われたのは1967年のことです ガロアの決闘の4年後には決闘商店という
決闘ルール集が発行されていますが ガロアの時代にすでにルールがかなり整備されていたことでしょう
ガロアの決闘相手はペッシュ・デル・バンビルと言われています もしそうなら1831年の初めに逮捕された19人の一人で
ガロアがその釈放を祝った共和主義者です ガロアの決闘相手はガロアと一緒に習慣されていた
エルネスとデュシャートレーとする説もあります
5月30日の早朝 パリ近郊
ジャンティーユ地区グラシエールの沼の付近で決闘が行われました
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決闘商店には銃を交互に撃つなどのいくつかのルールが記載されていますが ガロアたちがどのような流儀で決闘をしたかは残されていません
ともかくガロアは蝶を銃で撃ち抜かれ相手にはもちろんのこと 自身のセコンドおつまり買い添え人にも放置されてしまいました
午前9時ごろ近くを通った農家がガロアを病院に運び込みます 翌日ガロアは駆けつけた弟アレフレッドにこんな言葉を残しています
泣かないでくれ、二十歳で死ぬのにはありったけの勇気がいるのだから そしてガロアはわずか20年の生涯を閉じました
ガロアが亡くなった翌日の1832年6月1日には 王政に反対し続けた将軍ジャン・マクシミリアン・ラマルクが亡くなり
これを機に共和主義者たちによって6月暴動がパリに引き起こされました この経緯は共和主義者でもあったサッカーピクトル融合によって
「レ・ミゼラブル」に書かれています 結局ガロアの血統が何のためだったのか
永遠の謎になりそうです なおステファニー・フェリスは1840年に別の人
言語学者のオスカー・テオフィル・バリューと結婚しています ガロアとステファニー・フェリスの間に何があったのかはもう永遠の謎になってしまったんでしょうね
最後にガロアがコンピューターサイエンスに残した 矜石について
触れておきます 残したなんて言い方では全く足りないんです
ガロアの貢献がなければコンピューターサイエンスは成り立たないんです それはガロア体またはガロアフィールドと呼ばれる考え方なんですね
ガロアフィールドをとっても簡単に言うと 0と1しかない算数のことです
算数というと足し算と掛け算ですが ガロアフィールドでは少し変わった足し算をします
足し算記号としてプラスという記号をよく使いますが ガロアフィールドではプラスの代わりに日本で言えば島づけの文章のマーク
英語ではO+というプラス記号 まるで囲った記号を使います
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このO+を使った足し算を見てみましょう 0O+0=0
これは0+0と同じですね 0O+1=1
これも0+1=1と同じことです 1O+0=1
これも1+0=1と全く同じです 特徴的なのは次、1O+1=0
1+1が通常の算数だと2になるのですがガロアフィールドでは1O+1=0という関係を決めておきます
一方の掛け算は普通の算数でもガロアフィールドでも同じです 0×0=0 0×1=0 1×0=0 1×1=1
こんな風にガロアフィールドでは足し算が我々の馴染んだものと少し違うのですが これはこれで足し算なんです
我々が普段計算に使っている数 この数には終わりがありません上限もなければ下限もないんです
しかしガロアが発明したガロアフィールドでは 数は有限個しかありません
今0と1という2種類だけを考えましたけれども 有限個しかない場合をすべてガロアフィールドと呼びます
こんな風に数は無限になくても足し算と掛け算が行えるということを示したのが ガロアの画期的な成果でした
そしてこの成果がなければ後にコンピューターサイエンスというものが生まれることもありませんでした
ガロアは0と1だけの 代数が存在することを示したんです
これはコンピューターが扱う二進数とは別なものなのですが 二進数による計算を支えている論理代数の基礎となるものです
以前質問サイトクオーラでこんな質問いただきました 6歳児の息子にiweoは終わりがあるのに数字に終わりがないのはどうしてと聞かれました
子供にもわかりやすい説明はありますか 僕は人間が無限の数を想像できることそしてその想像を数えることができることが
数字に終わりがない理由だと回答しました この考え方は1885年ドイツの数学者ゲオルク・カントールによって初めて示されたものです
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カントールは数の本質を見抜いた偉大な数学者です しかしガロアはカントールの50年以上も前により深く数の本質を掴んでいたことになります
コーシーやポワソンと名だたる数学者たちがガロアのアイディアを理解できなかったのも仕方ないのかもしれません
1870年 フランスの数学者カミーユ・ジョルダンによって
ガロアの考えたことをまとめた大著が出版されました その著文でジョルダンは
本書はガロアの書論文の注釈にすぎないと述べました
たった20年の生涯で数学を永遠に変えてしまった フランスの美少年ガロアの物語でした
メールでお送りしているニュースレターではおすすめ書籍おすすめテッドトーク テデックストークもご紹介しています
ご登録いただくとバックナンバーすべて読むことができますので ぜひガロアについてお送りした第41号も合わせてご覧になっていただければと思います
おすすめ書籍ではガロア天才数学者の生涯という本をご紹介させていただいています 実はこの本ニュースレターを書き上げた後で見つけた本だったんですけれども
テーマが本当にぴったりだったので ご紹介させていただきました
それからおすすめテッドトーク この号ではおすすめテデックストークということで森田正雄
数学とはというトークをご紹介しています テッドではなくテッドX京都テデックス京都2012からのトークなんですけれどもこのテデックス京都
2012ってね 僕たちも運営をさせていただいた
ものすごく印象深いイベントでした トークは英語だったんですが日本語字幕がついています
森田正雄さんは数学と情緒という少し変わった話題を提供してくれています とてもねわかりやすいトークなのでぜひこちらもニュースレターからリンクを
たどって見ていただけると嬉しいです 今回も最後まで聞いてくださってありがとうございました
いちでした
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