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2022-05-20 24:58

起承転結を忘れろ!TEDが起こしたプレゼンテーション革命【第79号音声版】#79

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日本人がついついやりがちな「起承転結」で文章を書いてしまうという失敗についてお話しします.なぜか「起承転結」で書けと学校で教わってしまうんですよね.でも起承転結は本当に忘れて下さい.伝わらないんです.Q&Aも盛りだくさんなので是非最後までお聴き下さいね.

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市ですおはようございますこのポッドキャストは僕が毎週お送りしているニュースれた
スティームニュースでは科学技術工学アート数学に関する話題をお届けしています スティームニュースはスティームボート乗組員のご協力でお送りしています
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改めまして市ですこのエピソードは2022年の5月19日に収録しています このエピソードではスティームニュース第79号から
気象点決を忘れろ TEDが起こしたプレゼンテーション革命をお届けします
古代ギリシャの王アレクサンドロス三世 通称アレクサンダー大王は歴史上
世界で2番目に広い面積を支配した王です ということは征服した土地にアレクサンドロス三世は偉いのだと説得してまわる必要があったわけですね
文化も風習も異なる人々をどのように説得したんでしょうか カギとなるのはアレクサンドロス三世の家庭教師
紀元前4世紀の人 哲学者アリストテレスです
彼は弁論術レトリケイという本を表し人々を説得する技術を整理しました
彼の技術は修辞学レトリックと訳され 大学の一般教養科目つまりリベラルアーツの一つになっています
修辞学はむしろプレゼンテーションの技法と呼んだ方が現代ではわかりよいかもしれません
アリストテレスの弁術論では説得手段として理屈情熱そして話し手の人柄を挙げていますが
中心に据えたのは理屈でした ヨーロッパでは言葉を発するための修辞学に加えて
言葉を聞くための文法学と理解の骨格になる論理学の3つを合わせてトリティウムと呼んで最も基本的な学問としてきました
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この姿勢は現在にまでつながっています また修辞学の中身も他民族の集まりであるヨーロッパを中心に
長い年月をかけて洗練されていきました ところで日本語では文章の構成のことを
奇象転結と呼びます これを真に受けて本当に文章を奇、象、転、結の構成にすることも行われていますし
端末さえ学校で指導されることもあります しかし奇象転結という構造は文章を非常に読みづらくすることになります
少なくとも文章の論理構造としては全く受け入れられません これは欧米流の修辞学がグローバルスタンダードだという議論ではなく
日本人が日本語で書かれた奇象転結を読んでもその論理構造が理解できないという意味です 日本語でも論理的な話は書けるのでこれは日本語の問題ではなく
奇象転結という構造の問題なんですね そもそも奇象転結は漢詩の「絶句」の構成です
唐の詩人徒歩の「五言絶句」にこのような詩があります 川の水は深緑で鳥はますます白く見え
山は新緑で花は燃え盛らんばかりに赤く見える 今年の春も見ているうちにまたもや過ぎ去ろうとしている
一体いつになれば故郷に帰れる年が来るというのか 情景が浮かび上がるような詩ですね
この詩の3行目 今年の春も見ているうちにまたもや過ぎ去ろうとしている
ここが奇象転結の「転」の部分になります
日本語の俗用にも奇象転結が輸入されています こんな感じです
大阪本町糸谷の娘 姉は十六妹が十四
諸国大名は弓矢で殺す 糸谷の娘は眼で殺す
これも3行目諸国大名は弓矢で殺すが 奇象転結の「転」にあたります
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このようにアート作品やエンターテイメント作品の中で 「転」の部分は良いリズム感を作り出す大事な役割を果たしています
このような効果的な使い方大変美しいと思いますし また徒歩の詩は世界的な評価も受けています
しかしアイディアを伝える 説得する
プレゼンテーションを行うという場面では 奇象転結の出番はありません
特に困るのがこの「転」の部分です 転は伝えたいアイディアと理論的にかけ離れているんです
また奇象転結の「軌」が冒頭に来ることも現代のプレゼンテーションには向いていません 聞いている人の忍耐力が
現在では極限まで小さいからです では欧米の数字学ではどのように書くことが良いと教えているんでしょうか
その前に TED カンファレンスのお話をさせてください
TED カンファレンスを創始した建築家リチャード・ソウル・ワーマンは 情報建築という言葉を作り出しました
彼はアイディアを伝えるプレゼンテーションはこうあるべきというルールを提案し TED カンファレンスで実践したんです
そのルールは当初はこういうものでした
一つ目 一回の講演のトピックは一つだけに制限される
二つ目 一人の講演者の持ち時間は最大18分であり 一般にはより短い時間のみが与えられる
三つ目 質疑応答の時間は一部の例外を除いて用意されず
発表後の交流会の質疑応答の時間に充てられる
四つ目 講演者は挨拶・自己紹介を行わず 講演のアウトラインを冒頭に話すこともない
五つ目 スライドやビデオの使用は推奨される
六つ目 ポインターは使用されない
七つ目 ポディウム・円台は推奨されない
テッドカンファレンスが現在の運営者クリス・アンダーソンに引き継がれた時に
これらのルールは少し緩められました
リチャード・ソウル・ワーマンもクリス・アンダーソンも 習字学について明示的には触れていません
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しかし当初のテッドカンファレンスの映像を見ると
おおむね 自分はこんな問題を解決したよ
なぜこの問題が大事なのか話すよ そしてもう一度自分はこんな問題を解決したよという
シンプルな構造になっているものが多いです
クリス・アンダーソンはテッドを引き継いだ後 世界各地でテッドのローカル版を開催する
テッドXというライセンス共用を開始します
僕はこのテッドXの京都版であるテデックス京都のプロデューサー キュレーターを5年ほど勤めていました
その時学校で習字学を習っていない日本人スピーカーの方にお願いしていた 発表のスタイルがあります
テデックス京都ではスピーカーにこれから伝える
4つの論理構造のいずれかに従ってトークを組み立ててくださいとお願いしていました
その4つとはこうです 一つ目
時系列によって情報を紹介する 二つ目
まず結果を示し次に原因を示すあるいはまず問題を示し次にその解決方法を示す
三つ目 情報Aと情報Bを比較してその違いまたは類似性を紹介する
四つ目 情報を部分に分割する方法とその結果を紹介する
これらは英語圏の習字学の教科書で紹介されている習字のモードレトリカルモーズの中から
近代的な英語によく見られまたプレゼンテーションに適していると僕が判断した 4種類のスタイルなんです
奇象転結の文字を使って説明すると時系列で情報紹介するのは奇象結になるのですがそれ以外は
結、奇、結、あるいは結、奇、象、結になります
このようにして仕上がったプレゼンテーションはトークが日本語で行われていても日本人のみならず
欧米圏の教育を受けた人々にも論理構造が伝わり高い評価を受けています
著名な建築家はやがて椅子をデザインし始めます 著名なファッションデザイナーはやがて香水をデザインし始めます
究極の建築は屋根のない椅子であり究極のファッションは目に見えない香りであるということかも知れません
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テッドカンファレンス創始者のリチャードソウルワーマンもテッドを手放した後
wwwカンファレンスや555カンファレンスという異なる種類のカンファレンスを開催しています
こちらはなんと構造がないカンファレンスでした 構造がないカンファレンスという設定が無理だったのかワーマンがやる気を失ったのかはわかりませんが
テッドカンファレンスが続いている一方 wwwカンファレンス555カンファレンスは後が続いていないようです
最も構造のないカンファレンスとしてはアンカンファレンスという設計がそこそこ受け入れられているようには感じます
実は僕のスティームニュースも開始前に数回 スティームアンカンファレンスを実施していました
こちらまたぜひやりたいところですね テッドカンファレンスもワーマンが当初行った設計よりは緩い設計へと移行しましたが
それでもインターネット時代の新しい数字学を求めて試行錯誤をしているように見えます
スティームニュースの読者の皆さんそしてsteam.fmのリスナーの皆さんもどうかテッドや TEDx を通して
新しい数字学を見てみてください そして僕からの個人的なお願いはいつの日か
TEDxイベントで発表してみてください そのために僕自身も新しくTEDxのライセンスを取得しました
ぜひあなたが伝えたいアイディアを僕に送ってくださいね
メールでお送りしているニュースレターの方では毎週Q&Aもご紹介させていただいているんですが
このsteamnews第79号でご紹介させていただいたQ&A大変興味深いものです
ここで共有させてください ピックアップした質問はこうです
日本語で良い文章を書くにはどうしたら良いでしょうか これ僕自身の回答ではなくて
匿名の方が書き込まれた記事を僕が紹介させていただいたものです この方はアイザック・シュワルツという冠名を名乗っていらっしゃいます
どんな回答だったか見てみたいと思います これから読み上げる10のベカラズ
これはアイザック・シュワルツが日本語で上手な文章を書くためのベカラズ集として提案しているものです
一つ目 何について述べている文章なのかは最後まで明らかにしてはいけない
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日本では何を問題としているのか何がテーマなのか 最後までわからない文章が良いとされている
冒頭で目的を述べるなどはもってのほかだ 具体的には一度テーマらしきものを述べた後すぐにそれを否定し
代わりのテーマは最後まで明らかにしないといった手法が挙げられる 日本では非常に多用されるレトリックだ
二つ目 わかりやすい構成の文章を書いてはいけない
通常の文章構成であるイントロダクション、主題、結論という三部構成は日本ではあまりに型にはまりすぎており面白みのないものとされている
曖昧もことして脱線、反復や省略が多く、読者それぞれに異なる印象を残す文章が良い文章なのだ
三つ目 結論を冒頭に述べてはいけない
我々にとっては一般的な結論を冒頭で述べることは日本では味気ないものとされている 読者の楽しみを奪っているからだ
四つ目 結論を最後に述べてもいけない
皆さんは驚かれるかもしれないが日本の良い文章とされるためには結論は最後に述べてもいけないのだ
それでは結論はどこに?と思われるだろうが、とにかく結論らしきものは文章のどの場所であっても明確に述べてはならない
日本では結論を明確に述べるのは文章の余韻を殺す物質家なものとされているのだ
代わりにまるで俳句のように結論は読者が行間を読むことで見つけるものとされている
当然読者により結論は異なるわけだが、日本ではそのような解釈の多様性の存在が良いとされているのだ
これは非常に高度なテクニックであるため身につけるには長期にわたる修練が必要となるだろう
正直今の私にはとてもこのような文章は書くことができない
ただ手っ取り早くそれらしい文章を書くにはべからず一と同様に一度結論らしきものを述べた後すぐにそれを否定し
しかし代わりとなる結論は述べないという手法が使えるだろう
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5つ目、一つ一つの文章はできるだけ長く曖昧なものとしなければならない
日本では接続詞を多用し一つの文章をできる限り長くするべきとされている
途中で主語や述べている対象が変わったり、文の最初と最後で正反対の主張をしているかのように見える文章が
味わい深い良い文章なのだ
とりわけ何度読んでも何も言ってないように読める文章はもっと良い
同様にパラグラフもなるべく開業せずに話題が変わってもそのまま続けて長く書くことが望ましい
6つ目、主張は断言せず曖昧に述べなくてはいけない
どんなに根拠のある主張であってもそれを明確に言い切ってはいけない
「〜と思う〜ではないか」など自信なさげに述べるのがつつましくおくゆかしい名文の条件だ
またできることなら自分が主張しているのではなく誰かがそう言っていると述べるのが良い
特定の誰かでも良いが大衆などの曖昧な主語を用いるのがより望ましい
この場合著者は大衆には含まれないのは暗黙の了解とされる
達人ともなると誰がそのような主張をしているのか全く特定することができないような文章を書くものだ
感覚せざるを得ない
7つ目 主張の根拠を明示してはいけない
我々は一つの主張につき最低3つはサポートとなる議論を用意するべきと教えられるものだが日本ではこうした形式をとってはいけない
引用は許されるが出典は記述してはならない あまりに形式ばったぶん投されるからだ
8つ目 客観的な記述は控えなくてはならない
何かの理由を述べるときはなるべく主観的に自分自身の印象感情や経験に基づいて述べるべきだ
誰かがそう言っていたという伝聞や昔読んだ歴史小説などに基づくのも好ましく事実
対応されているただし出典は明記してはならない 客観的な事実を具体的な事例やデータとともに上げることは間違ってもしてはならない
押し付けがましくなり文章の品格がなくなるからだ 9つ目他人の主張を批評してはいけない
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日本では誰かが書いたものを批評することは最もしてはいけないこととされている どんなに冷静な批評であっても全人格的な侮辱として捉えられるからだ
さらに我々には信じがたいことだがある人の主張を批判的に検討することすらその人への侮辱であると考えられている
日本では誰かの主張を特定し具体的な批評を行うことは非常に品性のない行為とされているのだ
したがって他人が書いたものを批評するときは曖昧に行わなくてはならない ここでも一度書いたことをすぐに否定するというレトリックが多用される
また上手く言えないのだが言葉にならないのだがなどを用いて自らに非があるように見せかけるのも良いだろう
試験だがこれは曖昧な結論の多様な可能性の中から一つだけを取り出して批評するという行為が好ましくないとされていることに起因しているように思える
文章とはすなわちその人の作品であるから読者はそれを部分に刻まずに多様な結論の可能性をそのまま受け入れるべきなのだ
そして最後10番目どうしても他人の主張を批評する必要がある場合は主張そのものではなくその人の老いたちや人となりについて述べなくてはならない
これも我々には信じ難いことだが日本では他人の主張そのものについての批評は避けられているが
その人の人格に関する論評は往々に行われているつまりある主張について具体的に検討したい場合は主張そのものを扱うのではなく
著者の生まれや育ち人となりまた思想心情問題としなければならないのだ
残念ながらこの理由についてだけは私には今回の調査では開幕検討がつかなかった
以上アイザックシュワルツ(カリ)さんの主張を引用させていただきましたなかなか通列ですよね
もちろんこのような文章を書いても良いのですが
誰かを説得したい誰かに伝えたい時にはこのような文章を日本人同士でも伝わりません
このエピソードも最後までお付き合いいただきありがとうございました皆様も素敵な1日をお過ごしください
次のエピソードでお会いしましょうイチでした
24:01
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さよなら
どうすか、皆さん。
24:58

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