役者としての自己認識
おはようございまーす、まーくんでーす。
今日は7月30日、水曜日ですね。
【まーくんコーチの屈伸チャンネル】を始めていきまーす。
今日のテーマは、
役者であるために、というお話でーす。
役者…ですか?
すごい…問いですけど。
あの、役者…
ま、なんか役を演じる人ですよね。
で、役を演じるって聞いたときに、どういう印象を持ちますかねー。
なんか、自分を偽っているとか?
目標達成?目的を達するために仮の自分でいるとか?
うーん、なんかねー、どういう捉え方するんでしょうねー。
僕は役者になるって聞いて、そうだなー。
なんかね、覚悟が決まった人?みたいな。
うーん、覚悟が決まった人っていうイメージの奥には、
うーん、なんか自分を捨てるじゃないけど、
なんだろうな、違う自分であろうという覚悟みたいなものを感じる?
今この瞬間ね、僕以外今喋ってるこの瞬間はそんな風に感じる。
で、そうだな、役者であれって僕は少し思っています。
うーん、タイトルを副題にも書いたんですけど、
コーチとか管理職とか、他にも役者である場面あるかもしれません。
コーチとしてで言うと、コーチング、僕はカール・ロジャースが好きなんで、
カール・ロジャースの中核3条件は念頭に入れて、
個人を提供するなり、人とコミュニケーションを取るなりしています。
カール・ロジャースの中核3条件の一つに一致っていう考え方があって、
自分が感じていることに気づいておく。
自分本当はこれ、今こうやって、こういう態度をとっているけど、
本当は違う気持ちがあるんだよなーとか。
そこに気づいておくっていうのは一致だと思います。
一致だけで本が一冊出るぐらい深いテーマなんで、
有識者の方はちょっと僕が違ってたら教えてください。
僕は一致はそういうふうに捉えていて。
役者であることと一致していることって、すごく密接な関係があると思っているんですよね。
役者であるっていうことは、本当の自分と違う自分を演じるっていうことだと思います。
それによって人にその目的、ポジション、管理職だったら、
部下により働きやすいように動いてもらったりとか、
職場の環境を作るとか、もっとハードなところで言うと、
契約とか、111とかで、もうちょっと頑張ってよって言わなくちゃいけないところもあるかもしれない。
そういうところって本当は別に本来の自分は言いたくないこともきっとある。
管理職っていうポジションで求められている、だからやるんだ、
言わなくちゃいけないこと、掘らなくちゃいけない態度、行動、
少なからずあるんじゃないかなと思うんですけど、そういうところで役者として振る舞う。
本当の自分じゃないんだけど、管理職として振る舞っていく。
そういう時に、本当は自分はこう感じてるんだよなっていうのは、
気づいておく。一致しておく。
それってすごく大事な気がするんですよね。
本当の自分ともしかしたら違う自分を演じることになるかもしれない。
その演じる時に、ここが普通の自分と違うポイントだっていうことに気づいておく。
こういうことをやりたいから、今は自分を演じていく。
そうやって自分の意識の中で違う自分を、その時必要とされる自分を演じていくっていうのって、
そこに気づいておくほうが、より良いと思って自分でいられる。
そんな気がしますね。そうするとより効果的な関わり方ができるとか、
本当の自分を見失わないとか、こんな効果があるような気がしますね。
コーチングと役割の重要性
コーチングでも、当然カール・ロジャースをベースに、
僕が学んでるリュウハは、カール・ロジャースの影響を結構大きく受けている。
当然一致とかいう考え方もする。
でも自分に気づいておく。本当の自分でいる。
それってすごく大事なことではあるんですけど、
結構コーチって、コーチとして振る舞う必要があったりする。
すごく盛り上げるとか、やる気を出してもらうために、リラックスしてもらうためにとか、
ポジティブな、前向きな心でいてもらうためにとか、
相談者、クライアントによりいい状態になってほしいから、
コーチとしては、本当の自分。
素の自分だと、友達いないんですとか、
素の自分はネクラなんですとか、
わかんないけど、
素の自分じゃないコーチとしての自分として振る舞うことが要求される場面があるなと感じている。
僕は結構、ロジャースの中核三条件を学んで、
家族と中核三条件を大事に関わるとかやっていて、
コーチとしても中核三条件を守って関わるとかやっていて、
一致に関して、本当の自分である。
そのことを重視しすぎって言うと、
捉え方が少し違ったなって振り返ると思う場面がある。
本当の自分であろうとしすぎて、薄味になるんですよね。
さっき言ったような、コーチってクライアントの変化を助けるための存在だと思っているので、
本当はそういう変化を起こせるような関わり方をするために、
多少芝居がかったりする必要がある場面があるんですね。
そこでコーチが、「いや、僕は一致してるんで。」とか言って、
一致大事なんでって言って、
揺れが少ないと感情を表に出すとか、
本当の自分であるとか重視しすぎると薄味になってしまう。
ここでやっぱり演じる必要があるんですよね。
演じるからには、普段の自分と違う自分である、
違うコミュニケーション、普通とは違うコミュニケーションをしていく。
普通とは違うコミュニケーションがコーチングの成果を生んでいくと思っているので、
今、本当の自分と違うコミュニケーションをしているな、この瞬間って思う。
コーチとして振る舞っている。そういうことに気づいておく。
この辺、賛否両論あんのかな。
うーん、コーチ、対人支援やるんだったら、
1、自分に気づいておく。
普通の自分でいるって大事じゃん。
芝居とかそんなのいらないんじゃ。っていう考え方もあるような気がする。
ここはいろんな考え方があると思うんですけど、
僕は最近、役者であるっていう、
コーチとして役者であるっていうのって大事かもなーってちょっと思い始めているので、
今日こんなことをシェアしてみた次第です。
今日は管理職とかコーチとか、そういう役割、役者であろうっていう、
役者であるために自分の気持ちに気づいておこう。
カール・ロジャースの位置を大事にしよう。
そんなことを話してきました。
コーチとか管理職以外のところでもね、きっといろんな役割を持って、
皆さん過ごしていると思うので、
ちょっとこの辺念頭に入れてみるといいのかなと感じました。
何か参考になれば幸いです。
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では、また明日。さようなら。