2025-11-14 17:16

遊びと学習とお膳立て

すべての活動は学びになるものの、その学びを最大化するには教育者(親・教師・上司)が介入する・しないを意識的に選択する必要があるなぁと。 例えば子どもと公園で自転車の練習をするときに、誰が公園まで自転車を運ぶか。自転車を押すのも学びと捉えるなら、子どもが運ぶ方が学びは大きいです。 #子育て #子育てパパ #学び #自転車 #コンフォートゾーン #ラーニングゾーン #教育 #子どもの教育 #社員教育 #教育論 ==== 【コーチングのお問合せ・申込み窓口】 下記いずれかよりご連絡ください📮 ※無料相談も受付中❗️ <①stand.fmレター> ▶️https://stand.fm/channels/656722094db2e7bbf5fb6196/letter <②公式LINE> ▶️https://line.me/R/ti/p/%40071pdlzi --- stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。 https://stand.fm/channels/656722094db2e7bbf5fb6196

サマリー

このエピソードでは、子供の自転車の練習を通じて、遊びや学び、お膳立ての役割について考察されています。特に、自転車を押すことが自転車に乗るための重要なステップであるという視点が紹介され、子供が自ら活動することの価値が強調されています。また、教育と学習において教育者がどの程度介入するべきかという難しさについても考察されています。さらに、日常生活における学びの重要性や、意図的な学びを促すためのお膳立ての必要性が論じられています。

自転車の練習と親の役割
どうもおはようございまーす、まーくんでーす。
今日は11月14日、金曜日ですね。
まーくんコーチの屈伸チャンネル始めていきまーす。
今日のテーマは、遊びと学習とお膳立てというお話でーす。
あのー、うちの子、真ん中の子が小1、7歳で、
あのー、ちょっとね、親としてっていう感じ。
あのー、ちょっと気抜いてたんですけど、
一番上の子は、まー、あのー、
保育園の時から自転車一人で乗れてたんです。
あのー、乗りたい乗りたいっていうふうに、なんか練習をせがんでたんで、
あのー、乗れるようになってたんですけど、入学前に。
真ん中の子がですね、あんまりそういうことを言ってこなかった。
言ってたけど、なんか諸々あって、ちょっと後回しにしちゃってたんだっけな。
あのー、小学校1年生の夏の段階で、自転車乗れてなかったんですよ。
あのー、一人でね、補助輪なしで。
で、あのー、あ、そっか、本人がやっぱりやりたいって言ったんだ。
で、本人がやりたいって言って、で、
あ、そっか、そういえば、自転車の練習してこなかったなって思って。
親としてもなんか、あ、ごめんって思いながら。
なんかね、アドラー心理学で課題の分離とか言いますけど、
あのー、自転車を乗るって、子供だけで何とかするのってなかなか難しいじゃないですか。
自転車をそもそも買ってくるとかね、補助輪についてたのを外すとかね。
なんかいろいろそういうのが必要なんで、
なんか親としてちょっとサボってたなっていう気持ちもありつつですね。
あのー、じゃあ練習しよっかって言って、
あのー、自転車の練習をしてたんですよ。
秋口ぐらいかな。
で、近くに公園があるんで、じゃあそこでやろうと。
まあね、あの道、通り少ない道は確かに近所にあるんですけど、やっぱ怖いんで。
いろいろとこでやろっかって。
やろうとして、じゃあ自転車を持って公園に行こうって言っていくわけですよ。
で、ここで自転車をどういうふうに持っていくかっていうお話なんですよね、今日は。
あのー、これ、これを聞いてるあなたが子供の自転車の練習をしようってなったときに、
自転車って誰が持って行きます?自分が持って行きます?あなたが持って行きます?
学ぶことの重要性
あの、子供に持って行かせます?
これ、意見分かれる?
僕は子供に持って行かせました。
あのー、子供が自転車を乗る練習をするんですよね。
で、あのー、なんかちょっとさっき課題の分離っていう話もしたんですけど、
子供が自転車を乗るかどうかっていうところなので、
子供にやってもらう、なるべくその自転車の練習に関連する事柄の多くを子供に担当してもらうっていう考え方もあるし、
そもそも自転車を乗るって、そこからだよねって。
自転車を押して公園まで運んで行くっていうところから、
もう自転車を乗るっていう学習だと思ったんですよ。
だから、自分で持ってけって。
時間かかるよ、そりゃ。時間かかる。
大人が持ってきゃすぐ大人のペースで歩けるんで、
普段歩いて公園行くのと同じ時間で行けるんですけど、
子供が不慣れな自転車を子供の力で押していくと、
まあ時間かかるね。
普通に歩ってくるの3、4倍時間かかるんですけど。
でもそこからだなって思うんですよ。
僕は2輪のバイク、中型バイクの免許を持ってるんですけど、
バイクの免許の教習の一番最初は、
バイクを起こすっていうところから始まるんですよね。
それと似ている気がする。
バイクを起こす練習をしないままバイクの免許は取らない方がいいと思うんですよ。
なぜならバイクが倒れたときに起こせないから。
同じです。
自転車を押す練習をしないで自転車を乗るのをやめた方がいい。
なぜなら自転車を押すフェーズは絶対、
フェーズって言うとおけないけど、
自転車を押すっていう作業は自転車を乗るっていうことに含まれると思うので、
だから押させたんですけど。
なんかこういうことって何だろうな。
僕この話するにあたっていろいろ他のことから見ついても、
自転車に似たような考え方をすることってあるかなと思っていろいろ考えてたんですけど、
自転車ってちょっと特殊なのかな。
自転車ってすごく生活に密着してるじゃないですか。
自転車のなんていうんだろうな。
本当にうんち、おしっこを一人でできるようになるならないとか、
そういうレベル感の生活密着具合だと思っていて、
車の免許は取る取らないはあるけど、自転車は乗れるようになるよねみたいな。
なんかそういう感じな気がしているんですよね。
だからこそってのもあるのかな。
それぐらい生活密着してるからこそ自転車を自分で押すっていうのは大事だぜっていう考え方が通用する。
他の遊び、例えばローラースケートを公園でやります。
そのローラースケートは誰が持っていくって話になったときに、
僕は多分子供に持ってかせると思うんですけど、
ローラースケートやるってそういうことだからとか言って持ってかせるかな。
他の子供もそうか。
何かで遊ぶっていうことは、その道具を持っていくっていうのは、
その遊びに付帯する。付帯する、難しい言葉を使い出した。
遊びをするにあたって必要な準備だもんな。
やらせるか。自転車に限らずだな。
話しながらそんなことを考えてますけど。
だから、お膳立てって言ったのは、多分自転車の練習をするにあたって、
自転車を親が持っていくっていうのはちょっとやりすぎじゃねって思うんです。
僕の感覚で言うとね。
みなさんどうですか?持っていきます?
初めて自転車を乗る子供に自転車を押させて移動させるなんてとか思う?
わからん。この辺は考え方による?
なんかいろんなことに通じるかやっぱり。
何かを遊びとか学習とか、子供に何か活動をやってもらうにあたって、
どれくらいそこを大人がお膳立てしてあげるか、
そのお膳立て介入の強さ、程度によって、子供の学びって全然変わると思うんですよね。
だから、学びとしてその活動をやらせる。遊びとしてその活動をやらせる。
子供って基本的にあらゆる活動から学びを得ていくと思うので、
あんまり介入しない方が学びが深まるよなっていうのは感じる。
子育てと仕事の関連性
だから僕はいろんな活動からなるべく多くのことを学んでほしいので、
あんまり介入しません。お膳立てあんまりしません。
っていうのが僕の子供に対するスタンスかな。
子育てについて言ってるんですけど、
多分これ部下育成とかそういうところも絡んでくる。
仕事で配属された部署で完全に放置プレイを食らいました。
僕今11月から新しい現場でデータサイエンティストの仕事をやってるんですけど、
みんな忙しくて最初の数日間は放置プレイだったんですよね。
だから僕はどんなデータがあるのかなと思って、
一応データベースこうやったら入れますよみたいなことは聞いてたんで、
データベース入ってどんなデータがあるか争ってみようとか、
そういうことをやって時間を使ってたんですけど、
本当に新入社員でポンって現場入って放置されたら、
何やっていいかわかんないよね。
程度によるのかな。
そこを放置しすぎるのもあれか。
教育者側の怠慢になっちゃうか。
難しいね。
どれぐらいお膳立てをするか。
学習、活動するにあたって、
どれぐらい教育者側がお膳立てをするか。
難しいね。
9月までデータ分析の研修を提供している会社でやってたんですけど、
そこでもどれぐらい介入するかっていうのは常に
研修担当者のテーマになってましたね。
研修会社なんで、
成果が出るか出ないか、
参加者がどういう学習成果を持って帰るか、
どれぐらい学んで帰ってくれるかっていうのが、
研修の質を左右するところだったんで、
介入しすぎて、
講師TA頼みになっちゃって、
自分で考えなくなっちゃうのはちょっと嫌なんで、
なるべく参加者自身で考えてほしいみたいなスタンスはあるんですけど、
とはいえ参加者の技量的に、
なかなかそこ考えられないよなっていうところは介入したりするんですけど、
そういう感じだな。
学習者の、
ここで言えば子どもだったりとか、
新しく配属されてきた社員の人とか、
いろんな学習者がいると思うんですけど、
学習者がどれぐらいの力量を持ってて、
今何を学ぼうとしているのか、みたいなのの兼ね合いか、やっぱり。
簡単に放置プレイはちょっと無責任ですね。
っていうのを話しながら感じておりますが、
難しいね。
日常生活における学び
僕、教育学部出たんで、一応教育実習行ったんですけど、
教育実習の指導版っていうのを作るんですよ。
このクラスがこういう状況でここまでできていて、
次こういうことをやらせたいからこの指導版を作成します、みたいなことを最初に書くんですよね。
あんまり当時、そこ重要視してなかったんですけど。
でも大事ですよね。
今どういう、どこまでできている学習者に対して、
どれぐらい介入して補助をして、学習成果を出してもらうか。
やっぱりそこ必要ですね。
日常の子育ての中だとそんなにここまで、
全て学びなんですけど、学びとして、結果として学びになるけど、
何か学ばせようとして何かをやらせる、親が何かやらせるっていうのはあるかな。
常にそういう意図を持っていればある。
自転車を乗るとかだとすごくわかりやすいけど、何か買い物に行きました。
買い物に行って、一緒に買い物に行って、じゃあなんかお菓子選んできていいよーで、
300円までね、みたいなことを言って、
お菓子選んでもらう、足し算してもらうとか、
そういうすごく、でもそれはあれか、結構学習、学ばせ意図が入ってるな。
意図しない学びが発生するときに、どれぐらいお膳立て、介入をしていくかって、
まあ難しいな。
すげえ発散した回なんですけど、
そんなことを考えながら常に子どもと接していますね。
全部学びなんですよね。子どももそうだし、きっと会社で働いている社員の人、
部下を持っている人だったら、その部下も仕事のすべてが学びだと思うんですよ。
そういうところで、どれぐらい意図を持ってその仕事をやらせるか、
子どもだったら学習に限らず、自転車とか分かりやすい学習に限らず、
普段の生活の中でどういう学びを起こしていくか。
そこって、まあそっか、やっぱり教育者側は結構意識的であった方が、
学びはきっと加速していきますよね。
そこに対してどうやってお膳立てをしていくか。
どれぐらい介入して学びやすい環境を整えていくか。
どれぐらいハードルを設けていくか。
まあ、なんか意識的であった方がいいんだろうな。
ちょっとそんな結論に達しています。
何か参考になれば幸いです。
この放送、面白いと思っていただけたら、
フォローなり、いいねなり、コメントなりいただければと思います。
では、また明日。さよなら。
17:16

コメント

スクロール