声で届ける起業家の物語、Startup Now-MCの大稲荷です。
本日のゲストは、コミューン株式会社代表取締役CEO 高田 優哉さんです。
コミューンさんは、ビジョン、あらゆる組織と人が解き合う未来をつくる、を掲げ、
コミュニティサクセスプラットフォームコミューン及び信頼起点経営を実現するプラットフォームの開発、提供されていらっしゃるスタートアップです。
2025年の9月、シリーズCラウンドにおいて、総額55億円の資金調達を発表されたばかりとなります。高田さん、よろしくお願いします。
ご出演いただいた経緯なんですけれども、コミューンで応募されていらっしゃる方々と個人的に接点いただいておりまして、
ご情報提供をいただきながら、本当にプレスリリースが発出された翌々日とかですね、かなりタイムに取らせていただいてありがとうございます。
ありがとうございます。こちらこそよろしくお願いします。
僕自身、コミュニティという領域に非常に関心がございまして、そして何よりですね、僕、新卒が33だったんですけれども、33の卒業生のネクストキャリアで、
コミューンさんが大人気でございました。
本当に数名、はい。
多分片手で収まらないぐらいいるのが実態なのかなと思っておりますけれども、なのでその実態が非常に気になっておいてですね、設定をさせていただきました。
前編ではですね、高田さんの人生の物語を紐解いていきたいなと思っております。
この番組は、決まる商談が増えるイメディオの提供でお送りします。
問い合わせ直後や資料を読んでいるホットな顧客と、画面上で商談を自動で設定、リードの商談転換率がグッと改善する有効商談オートメーション。
レイヤーX、ハコモノ、アイブリーといった成長企業が活用中です。
33時代の先輩濱田さんが、インサイドセールスの課題を解決するために始めた事業です。
ぜひ、イメディオのウェブサイトで資料請求して、スムーズな商談設定を体験してみてください。
まずは、事業についても1、2分程度、簡単に教えていただけますでしょうか。
はい、ありがとうございます。改めまして、コミュニケーションの代表しております高田と申します。よろしくお願いいたします。
我々は、あらゆる組織と人が溶け合う未来を作る、先ほどご説明いただきましたけれども、そういったビジョンを掲げています。
BtoB の企業向けのサービスを提供しているんですけれども、企業様向けに提案しているものとしては、信頼起点経営というものでございまして、
企業がお客様や従業員に対して誠実に向き合って、信頼を獲得する、信頼を勝ち取る、そしてその信頼を事業の成長、企業の成長につなげる、
金に変えるというところですよね。このプロセスがちゃんとできるようにするということを信頼起点経営というふうに我々は定義してまして、
その実現ができるためのプラットフォーム、ソフトウェアの提供と、それからサポートの部分を両方ご提供しているというのが、我々のビジネスの簡単なご説明でございます。
これまで、創業から柱という形で提供してきているのがコミュニティサクセスプラットフォームのコミュートというものでございまして、
企業が簡単にコミュニティが作れて、事業の成長につながるような形で効果的に運用ができますよというソフトウェアでございます。
ありがとうございます。企業がコミュニティを運営するって、場合によってはパッドイメージがつきづらい方もいらっしゃるんじゃないかなと思ったりもするんですが、これはどういった領域で使われるようなものですか。
ありがとうございます。カスタマーコミュニティ、顧客コミュニティと、それから従業員コミュニティと、そしてパートナーコミュニティのような形で大きく3つぐらいコミュニティに入る人の属性がありまして、
お客様コミュニティの場合ですと、お客様の力をその経営とか事業の成長により生かすためにお客様コミュニティを作る。
お客様との双方向のコミュニケーションができる基盤を作るっていうのが、そのコミュニティのコンセプトというか役割でございまして、例えばお客様の声を生かして新しい製品の開発をしましょうとか、
直近ですとカッパエビセンの新しいフレーバーをコミュニティの中にいらっしゃる市消費者の方、生活者の方々の意見を元に作られたりしてるんですけれども、そういったことをやろうとしたときのお客様コミュニケーションの基盤としてコミュが使われていたりとか、
あるいはコミュニティの中でちょっとテクニカルな製品とか、例えば今ポッドキャストをさせていただいていて、マイク、なかなかここのマイク収音が難しくてどうしようとか、編集の部分ってどうやったらいいんだろうとかそういうのって悩みがたくさんあられると思うんですよね。
ただじゃあメーカーさんが全てのお客さん完璧に対応できるかというと、なかなかちょっと難しかったりとかするっていうところでお客様同士で課題解決をしていただく、ある種カスタマーサポートとかカスタマーサクセスをリプレイするような形でお客さんの力を借りる、こういったこともコミュニティの一つの使われ方かなと思ってます。
それがお客様向けの話で、従業員のところであれば従業員間で知見の共有をする、例えば店舗がたくさんあるビジネスモデルとかだと店舗間の知見共有って実は全然なされていなかったりとか、エリアマネージャーの方がめっちゃ頑張ることによって成立してるってなっていたり、あとは社長って本社にいたりして、やっぱり社長がすごい思いを持ってるんだけど店舗の方って社長が遠すぎて、そもそも誰かも分かってないみたいなと正直あったりするんですよね。
そこってやっぱり双方向性がある対話の場所、フラットの対話の場所がないとビジョンの共有だったりエンゲージメントの向上ってできないよねっていうことで従業員コミュニティがそこで使われたりみたいな感じで、そのインフラとしてコミュニティが活用されているという形です。
ありがとうございます。コミュニティで聞くとまさにカッパエビ戦と言われるようなC2Cの商材が多いんじゃないかなと思ったんですが、かなり幅広であられるんだなということを今よく分かりました。
このあたりちょっとまた深掘りはおそらく後編で入れさせていただくのがいいかなと思っておりまして、前編では高田さんのここまでの歩みを終点的にお伺いしたいなと思っておりまして、ここからぐっと高田さんの話をさせてください。
高田さんの幼少期だったり学生時代だとかご経歴とか中心としたような自己紹介、これいただきつつかぶり回させていただきたいなと思うんですけれども、ざっといただいてもよいでしょうか。
私は岩手県の沿岸にある野田村っていうところで生まれ育ちまして、ピンとこない方はアマちゃんっていうドラマがあったと思うんですけど、そのアマちゃんのロケ地が九二市っていう市なんですけど、
あれでもドラマ見た方っていうのはめっちゃ田舎だなと思ったと思うんですけど、その隣にあるもっと田舎の村、今時村ってまだあるんだみたいな感じなんですけど、
そこで生まれ育ちまして、小学校も中学校も野田小学校、野田中学校っていう形で野田村で過ごしておりまして、高校に入る前のタイミング、中学生の時に自分の人生どうしていこうかなっていうふうに考えた時に、
自分の人生を社会を良くすることに使いたいなっていうふうに思って、社会を良くするって、今大人になるといろんな選択肢があるし、いろんな貢献の仕方あるなっていうのはイメージあるんですけど、
当時は全然世の中のことわかってなかったので、社会を良くする、しかもすごく大きな規模で良くするっていうのは国連だろうっていうふうに思って、
それで岩手県の中で唯一、公立高校なんですけど、英語とフランス語の勉強ができる学校に進学するために野田村を離れて森岡市の方に行って、大学は東京大学に進学しまして、農業経済を専攻してまして農学部を卒業してます。
在学中にOECDっていう国際機関でインターンをしてたんですけれども、そのインターンの経験の中でちょっと自分が志してたものとできる仕事というか、国際機関の役割っていうのがちょっとズレがあるなと思いまして、
自分はこの環境は選ぶべきじゃない、ベストな環境じゃないかなっていうふうに思って、ビジネスの道、企業の道を志すようになりました。
ただ、企業をするって言っても何をするのって話が当然あったり、あとはちょっと家庭環境的に奨学金とかをすごく借りてたような形だったので、
それらを返さなきゃいけないっていうのもあって、お金がもらえてビジネスの修行ができる場所にまずはいかなきゃっていうので、前職、新卒でボストンコンサルティンググループっていう会社に日本で入りまして、
日本だけではなくて、例えば中国の上海であったりとか、アメリカのロサンゼルスであったりとか、シンガポールとか、いろんなチャンスをいただいてコンサルティングに従事した後に、
2018年にこのコミューン株式会社の前身、名前が変わってるんですけども、前身となるデイワン株式会社を橋本さんと共同創業して、今に至るまでCEOをやっているという形でございます。
ありがとうございます。ちょっと滑らかな自己紹介すぎて聞いてしまったんですけれども、気になるところがたくさんあったので、一つずつ持って聞かせてください。
まず野田村に生まれていらっしゃって、都内ですごく質の高い教育といいますか、たくさん受けられて周りの意識も高くてっていう学生だったら、
学生のうちでも、そうやって自分が社会のために自分の命使いたいとか思うこととかはあるかもな、それでもそれっぽろ意識高いなと思ったりするんですけど、
地方の、失礼かもしれないですけど、そういうところにいらっしゃって、一気に社会だとか国連だとか視野が広がっていることがすごくびっくりしたんですけど、このあたりどういったきっかけがあったのか教えてもらえますか。
ありがとうございます。小学校、高学年のタイミングで、父親の仕事が変わってというか、仕事を失ってしまって、それがあって家庭の環境がちょっと変わってしまったんですね。
親の愛情とか、子供にもたらそうとしてくれているものとか、そういったものは一切変わらなかったんですけれども、とはいえ、やっぱり先立つものがないといけないよねというところで、選択肢がちょっと少なくなってしまったりだとか、
というようなところがありました。私自身はその後、直後はまず心理学と全部一緒で、まず受け入れられない気がきて、次に怒り気が来るんです。
どういう怒りですか。親に対しての怒りじゃないですかね。なんで自分はこんな、例えばちっちゃい話ですけど、
習い事ができないとか、あとは私立が受けられないとか、そういうふうなもので、なんで自分はみたいな、それは親のせいだみたいな感じに次になって、その後、それを通り越してというか、ちょっと冷静になって、
なんでこうなっちゃってるんだろうなっていうふうに、自分の中で自問自答をして、というのは、私の親はすごく普通っていうか、すごいいい人、いわゆるよくいる人なんですよ。
で、そういった善良な市民が、もちろん私はお父さんお母さんが働いてる姿は別にオフィスで見てないんで、実際はすごい活躍してないとか、もしかしたら分かんないですけど、いわゆるちゃんとした人、真っ当な人が、
なんでこんな損をするというか、大変な目に遭わなきゃいけないんだろうっていうふうに思って、そういう社会を変えるべきなんじゃないかっていうふうに思ったんですね。
で、ただその社会を変えるっていうものの解像度がすごく荒かったっていうのと、まさにおっしゃったように、情報がすごく少ない環境だったので、私はその情報が少ない環境だったっていうのがすごい良かったなっていうのは思っていて、
なぜなら選択肢をどのように捉えるかっていうのは、スコープの広さと深度深さによって規定されるじゃないですか。で、意識の高さ的なものとか志の強さっていうのは、深度側を規定するんですよね。
はい。で、スコープの広さはもうちょっと知識とか周りの知ってる人の数とかが規定すると思うんですよ。で、私の場合は熱量だけ一一枚あって、知識とかそういう視野は広くなかったので、たまたま同じぐらいのその熱量が求められるゾーンにあるものの中で、国連で働く日本人になるっていうものが、たまたま先生が教えてくれたり、
あとは教科書とかにも国連で載ってたりもするので、そういったものを通じて、これだって思うことができた。たくさんの選択肢があったら、もしかしたら迷ってたかもしれないですけれども、自分の中ではすごくキラリと光る将来の自分の姿に見えたので、これだと思って、中学2年生ぐらいですね、そこから国連でのキャリアを目指し始めたっていう感じです。
ヘタしたら、そんな良い方向に行かず、極端な話なんかグレちゃうじゃないですけど、飛行に走るとかもあり得たんじゃないかなって思うような状況な気がするんですけど、そういうのはなかったんですか?
あり得たと思うんですけど、それは私の家庭の教育方針が、すべてあなたのせいですっていう、すべて自己責任ですっていう教育方針で、
中学校卒業した後に、高校に行っても行かなくてもいいと言われてました。もはや。
なかなかですね、高校もですね。
なんでもいいですと。ただ、我々は何もしませんっていう。全部あなたの責任ですっていう。
唯一、一つだけ親に言われてたのは、家を出ろって言われてました。
出ろって言われてたんですかね。
なので、中学卒業したら家を出ろっていうのだけが唯一の言われてたことで、何を勉強するとか。
例えば、中学生にとってのすごく大きな意思決定って、勉強がすごい鋭い方向に行くのか、それとももうちょっと専門性があるようなところに行くのかとか、
あとは部活で選ぶのか、それともその先の進路で選ぶのかとか、いろいろあると思うんですけど、
そういうのも一切なく、とにかく家を出ろって言われてて、その先の人生どうなってもあなたのせいですっていう風に言われてたので、
これなんかグレても助けてくれないなと思って。
自分で自分の人生作るためには、グレるのは後からでもできるかもしれないけど、
ちゃんと真面目にやるのは今しかできないなと思って、まずは真面目に進路を選ぶ選択を取りました。
そこから、東大に入るっていうのも多分かなりレアですよね。
東大に入ったのは、私の出身の学校では創業以来初めて。
で、今に至るまで他に誰もいないですね。
高校の時に偏差値107ぐらいあったんですよ。
107?
学校の中で。
周りと比べた時のってことですね。
そうそうですね。なのでだいぶ珍しい。
その野田村からっていうところも、私の前に40年前ぐらいに先輩がいらっしゃるんですけど、
今60、70歳の方がいらっしゃるんですけど、それ以来っていう形。
シンプルにどうやって入るんですか、そこから?
いや、10年以上前の話を偉そうに言うのもあれですね。
大学受験は個人戦じゃないですか。
で、よく先生が大学受験は団体戦だっておっしゃったりすると思うんですけど、
それ嘘で、学校点ってないじゃないですか。
あなたは海生高校出身だからプラス5点ですとか、
あなたはちょっと偏差値が低い学校だからマイナス10点ですとかないじゃないですか。
で、結局個人戦なので、だとすると自分がやるべきことをやって、
おのずと受かるみたいなレベルになっていれば、当然結果はついてくるっていうふうに思って。
で、東大はいろんな大学の中でも、
採点がめちゃめちゃ明確なほうの大学だと思ってて、
謎採点、謎評価がないというか、
どうやったらこれは加点されるんだろうみたいなのがわからないものがない。
だからゲームとしてプレーすごくしやすいものだと思ったので、
それもあって東大はたまたま相性が良かったっていう話かなと思います。
選ばれた学科も農業関係の学科だったってことだと思うんですけど、
これはどんな理由で。
そうですね。やっぱりもともと東大に行きたかったのも、
国際機関で働く日本人の方のサンプル数が多いのがどういうところかなってなったときに、
国家公務員から国際機関に出向する方っていうのが非常に多いんですね。
それはやっぱり日本の場合は国連の居室金が多かったりとか、
世界経済の中で今少しプレゼンス下がってるとはいえ、
とはいえ世界の中で五本の指に入る規模ですから、
そういった中でプレゼンスが大きいので国家公務員の方が非常によく出向されると。
そこから、例えば上司に認められてとか、そこで実績を積むことができて、
国際機関のキャリアが開けていく。これがある種目指しやすいというか、
ものかなっていうふうに思ったときに、国家公務員に一番なる人が多いというか、
なりやすいのどこだろうって考えたら東大かなと思って、
で、東大を選んだっていうのが大学を選んだ理由で、
で、大学に入ってから最初は国際関係論とか、
そうですよね、なんかそういうイメージが強かったですね。
英語とか、なんかそういうのを勉強しようと思ったんですけど、
実際に大学に入った後に、国際機関で働いてる方とか、元の方とかにいろいろ話を聞いていく中で、
国際関係論を知っていますとか、英語が話せますっていうのは、
なんか日本で仕事する人が日本文化知ってますみたいな。
日本語話せますっていうのと一緒で、そりゃあそうでしょみたいな。
必須要件だけれども差別化要素にはならない。
っていうことを自分の中で感じて、
で、かつ、そういったところにすごく強みがあって、
国際機関で働かれてる方も実際にたくさんいらっしゃるんですけど、
その方々とはやっぱり出発点というか、やっぱり土俵が違いすぎて、
もともと日本だけではなく、いろんなところで生活をしてこられた、
多様なカルチャーに触れてこられた方々だったりとか、
言語的なところでも日英どころか、
四ヶ国語が喋れますっていう人だったりとか、
いろんな方がいらっしゃる中で、
その方面では絶対勝てないなっていうふうに思って、
そうだとすると、自分が選ばれる
ドメインを見つけなきゃいけないっていうふうに考えて、
で、ポジションがどれぐらいオープンかっていうのを調べたんですよ。
そしたら、農業ってすごく大きな産業で世界的に見ると、
当たり前のことなんですけど、日本にいるとちょっと見落としがち。
そうですね、根付きすぎてて当たり前になっちゃってますね。
世界的に見ると、特にやっぱり途上国どうやって発展をより強化していくかみたいなときに、
農業って非常に重要な産業で、
農業についてはポジションもたくさんあるんですね、国際機関で。
で、私自身は農業や漁業が、
おばあちゃんがやってたっていうのもあって、
すごく身近な環境で育っていて、
めちゃめちゃ解像度が高いんですけど、
大学の同級生とかって、そんなでもない人とかもいるじゃないですか。
もうどっちかっていうとそっち側で全然わからないです。
作物育てたことないですとか、
あるって言ってるけど夏休みのプチトマトみたいな人とかがいたりとか、
ジャガイモって目が出たら食べちゃいけないと思ってる人とか、
いろんな人がいる中で、あれ自分ってこの領域実は優位なのかもしれないっていう風に思って、
ポジションもたくさんあって、自分も頑張れそうなとこだなっていうので、
ある種打算的にというか、形で農業経済を選んだっていうのが理由です。
本当に着実に国際機関に行くためのルートを選定されて、
邁進されてたと思うんですけど、
そこまで行くとそのまま突き抜けていきそうですけど、
やっぱ違ったっていうのは何が違ったんですか?
そうですね、国際機関はまず私がその当時、
非常に限られた経験から自分には合わないという風に思っただけですので、
ちょっとディスクレイマーっぽくなっちゃいますけど、
未だにその国際機関で活躍している先輩とか、
当時一緒にいたんじゃった方とかで、
実際に活躍してる人とかもいて、すごく尊敬してますし、
意味ある仕事やってるなっていう風に思うんですけど、
何によって自分の仕事の価値を感じるかっていう点で自分には合わないなっていう風に思って、
今ビジネスの世界にいて、
ビジネスの世界ってすごく自分のやっていることの価値を
ちなみに私は3人兄弟でお兄ちゃんとお姉ちゃんがいるんですけど、
お兄ちゃんとお姉ちゃんは両方地方の公務員をやっていて、
割と公務員側に行きそうな感じがあったんですけど、
私だけなぜかビジネス側に来ちゃったって感じです。
国際機関の方とかだと環境要因が大きすぎるというか変数が多いというか、
本当に自己責任だけじゃ語れない領域が多すぎてっていうところなのかなと。
そうですね。あとはお金が絡まないとというのは言いすぎですけど、
お金が絡んだときの社会の動き方ってすごく大きいなっていうふうに思ってしまったっていうのもあって、
例えば温室効果ガスとか、我々が子供の頃から理科の教室とかに
地球温暖化がやばいみたいな宝極熊の写真が載ってたりとか、
あとは例えば環境破壊で言うと酸性油の話とかってよく出てたと思うんですよ。
ずっと改善しないって言われてて、それが排出量取引が行われるようになったりとか、
場合によってはそこにペナルティがかかったりとかするようになったり、
あと日本だったら例えばエコな車だったらエコカー減税っていうのがあったりとか。
お金が絡んでくるとやっぱ人の動きってすごく変わるんですよね。
で、ってなったときに、自分の関わらせていただいてたプロジェクトに立ち返ると、
食料廃棄をなくそう、減らそうっていうプロジェクトをやっていて、
各国、例えばアメリカで言うと170キロとか180キロぐらい食べれるものを捨ててる1人当たりなんですよ。
で、日本って80キログラムぐらい。
で、例えばもうちょっと少ないところだとフィンランドとかだと40キロとかで、
で、それってだいたい1人当たりいくらぐらいの損失になっていて、
アメリカだとそれ3億人いるからこれぐらいの損なんですみたいな、
しかも環境も良くなくて最悪ですみたいなレポートを作るんですけど、
でも1個人として考えたら、自分が別に何万円捨ててるって気持ちなくて、
自分にとっての最適な行動を積み重ねた結果、たまたま捨てることになってるわけじゃないですか。
で、例えばスパゲッティ作るときに、
なんかちょっとたらこスパゲッティのとき大葉をかけたいなっていうときに、
でも大葉って1枚で売ってなくて、バルクで売ってるじゃないですか。
10枚で売ってるじゃないですか。10枚で売ってて、しかも大葉ってすぐ悪くなるじゃないですか。
持たないですね、あれはね。
もう使うか分かんないなって思いながら、たらこスパゲッティの紅葉を上げるために買うじゃないですか。
で、その後大葉って結果的に残念ながら捨てることになるかもしれないじゃないですか。
でも自分にとっては、たらこスパゲッティのレベルを上げるっていう紅葉のほうが上回ってるので、
私の中で別に合理的な意思決定をした結果でしかないんですよね。
なのに、なんかその大葉は良くないみたいな、もともと買うべきじゃなかったとか言われても、
なんか一個人として考えたら、自分の行動変えないかなって思って。
でも、じゃあ大葉1枚捨てるごとに100円の罰金ですって言われてたら、
多分思い留まってたと思うんですよ。
ってことはやっぱりその経済性がそこに絡むことによって、人の行動って大きく変わる。
で、ビジネスって私は経済性の部分で社会を良くする役割を持ってると思ってるので、
だとすると自分にとってはビジネスのほうが向いてるかなと思ったって感じです。
BCGはどうでしたか、そこの点でいくと。
BCGは最高の4年間でした。
本当ですか。
はい。私新卒から丸4年働かせていただいて、本当に自分をレベルアップというか、
本当に自分のビジネスパーソンとしての素地を作っていただいた期間でしたし、
本当に素晴らしいメンターの方とかパートナーの方、上司の方とも巡り合って、
本当に感謝しかない先っていう感じですね。
いろんなチャンスもいただきましたし、たくさん怒られましたけど、
でも自分の中ではそうじて、本当に人生のターニングポイントになるような期間をいただいて感謝してる感じです。
そこからの企業を意識し始めたとか、踏み込んだっていうそこの原点と言いますか、そこはどんな感じなんですか。
そうですね。BCGに入る前から企業しようっていうのは決めていて、
ただ何するのっていう企業って言っても、どんなアイディアで何するのっていうところが自分の中で決まっていなかったっていうところと、
それからやっぱ奨学金を返したかったんですよ、自分は。
それはやっぱり人からもらったものなので、返さないと気持ち悪いし、
次の世代に対しての責任があると思っていたので、そこは筋通したいと思ってて、
やっぱ企業してからなかなかお金回らなくなったりとかして、それができなくなったらちょっと嫌だなっていうのもあったので、
返し終わるまではいいよっていうふうに決めていたっていう、この2つでたまたまそれが4年間っていう期間だったんですけれども、
奨学金も返し終わって、自分の中では次のチャレンジ早くしないといけないなっていうふうにすごく思っていて、
特に私は吉田松陰が好きなので、当時私が退職した時って26歳とか27歳くらいなんですけど、
吉田松陰の人生考えると、やばいあと3年しかないと思って、マジで時間ないじゃんみたいな感じで思って、
早く挑戦しないといけないっていう、すごい焦りみたいなものも含めてあって、それで2018年の初めに卒業するっていうのを決めて、
最初は自分たちが知っていることとか、課題があるというふうに確信しているものをしか自信持ってやれないかなっていうのを思ってて、
なった時に我々がやっていたのはD2Cのサプリメントの事業なんですけど、
それは私自身が全職のコンサルティングをやっている時に、たまたまその領域サプリメントとか健康食品とか、
そういった領域を知る機会が何回かあって、かつ日本だけじゃなくて、アメリカとか中国とか、
っていうサプリメントが比較的社会により普及しているというか浸透している国の状況を見ていた中で、
日本ってもっと伸びしろがあるんじゃないかと。しかもその伸びしろっていうのがサプリメントの場合、私は本当に意味あると思ってて、
未病のタイミングで自分の健康を管理することが、何か病気になってからそれを改善するよりもはるかにコスト低いっていうのはみんなわかっていることじゃないですか。
毎日歯磨きした方が絶対、全部虫歯になってから全部治療するより絶対コスト安いっていうのはみんなわかっていることなので、
国にとってもいいし、それぞれの人にとってもいいことだなっていうふうに思えていたので、そのサプリメントの通販を始めたっていうのが企業のきっかけです。
今の聞くとすごく思い回って続きそうな気がしますけど、続かなかったというところと、
コミュニティさんで、今度急にコミュニティ領域のビジネスされると思うんですけど、そのあたりも教えていただけますか。
ありがとうございます。サプリメントの通販事業は、だいたい100人ぐらいのサブスク会員の方がいらっしゃるタイミングで閉じるという意思決定をしたんですけれども、
その意思決定をしたのは、自分たちが人生をかけて伸ばしたいと思えるか、やりたいと思えるかっていう点で、イエスと言い切れなかったからっていうのがあります。
やっぱり物が絡むので、お金がやっぱちょっと必要で、俺以上の規模でやるなら、エクイティーファイナンスやらないともう無理だっていう状況だったんですけど、
エクイティーやるってことは、やり続けるっていう、この事業やり続けるってことだと思って、
で、社内で会話というか話したときに、ちょっと分かんないねみたいな、分かんないんだったらやめたほうがいいねっていうので、閉じるって意思決定をしました。
ただ、せっかく頑張ってやってたので、何か次に生かせることなかったのかっていう振り返りをその後していた中で、100名しかお客様がいない。