4つの事業を今運営しているといったところになっております。
ありがとうございます。
まさに話題のロールアップ方式かなと思いますけど、
ただ単に買収して大きくしていくだけじゃなくて、
AIの技術も持ってバリューアップしていくみたいなところも
1つポイントということですね。
そうですね、はい。
やはりそのAIを入れると成長するところを僕らは見つけてくるといったところがポイントでして、
すでにやっているところであったりするとなかなか成果出ないので、
やはりその既存のビジネスでもすごくうまくいってて、
さらにAIを入れるともっと成長できそうな会社さんをですね、
探しているような状況になっています。
買収されている企業さんとかの商材っていうのは、
基本的には同じ顧客層に対して提供していくような感じなのか、
結構それも広がっていくような感じなのかとかでいくとどんな感じですか?
そうですね、現状は顧客層は似ているような形で、
エンタープライズの大企業をターゲットにして今やっているんですけども、
今後はいろんなセグメントを増やしていきたいなと思っています。
より広げていくような想定で今動いています。
ありがとうございます。
あと詳しくはまた参画されたタイミングとかのお話でお伺いできればと思うんですけど、
実は南野さんは創業社長ではいらっしゃらず、
前身となる会社がありまして、
このグロスバースさん自体をその前身から含めると結構歴は長い会社さんには。
そうですね。
最初にM&AしたAMSRっていうサービスを運営していたスプリームシステムといった会社をですね、
2021年にM&Aしたんですけども、
そのスプリームシステム自体は2000年からやっている会社でして、
なので前身の会社、もう1個今回買った電話放送局さんもですね、
1978年からやっている会社でして、
それで言うとグループで一番古い歴で言うと78年からやっているので、
50年くらいの歴を持っている会社にはなります。
めちゃめちゃユニークですね、そもそも。
ありがとうございます。
この辺りもまた詳しくお伺いしたいなと思います。
続きまして是非、南野さんご自身の人生についても迫っていきたいなと思っておりまして、
幼少期から学生時代など、少しずつ老いたちがどんな感じだったのかっていうのを
深掘りとかもさせていただくかもしれないですけれども、
是非教えていただけますでしょうか。
そうですね。幼少期から言うとまず、
大阪で生まれました。
お父さんはサラリーマンなんですけれども、
祖父二人が、一人が事主で、片方が経営者で、
その京都と大阪にも祖父がいたんですけれども、
京都の祖父の方がカステラ会社を経営しておりまして、
そのカステラを結構山崎さんであったりとか伊藤洋門さんとかに作って下ろすみたいなことを
メーカーとしてやっていたといったところに生まれました。
そこから中高は西山戸学園という奈良の新学校に行きました。
ここも結構スタートアップっぽい新学校で、
僕が入ったときってそんなに偏差値高くなかったんですけど、
出るときには結構関西では有力な高校になったりとかするような
中高時代を過ごしてバスケットボールをずっとやっておりました。
なんかもう超名門校と今では言われるような学校なんですね。
そのときはあまり名門校じゃなくて、頑張ったらいけるみたいな感じだったんですけど、
今はかなり勉強しないと入れないみたいな感じです。
でも南野さんがいらっしゃるときから変わっていった感じなんですか?
僕が中高いるうちにだんだんレベルが上がっていって、はい。
で、バスケもかなりガッツリやられてた?
そうですね。バスケットボールは中学校からやりました。
奈良県でベスト4とかになったりやったりとかしていて、
結構西山戸学園部活かなり弱かったんですけど、
バスケットボールだけは強かったという、はい。
そんな学生時代を過ごしていました。
ちなみに中学生前とかっていうのはバスケはやられていらっしゃらなかったんですか?
中学生前は水泳をやってまして、水泳とピアノですかね。
小学校のあるある習い事をやってまして、
野球とかサッカーやりたいんですよってお母さんに言ったら、
いや、親の態度あるからダメみたいな感じで、分かりましたと言って、
プールと、そうするのもピアノやってましたね。
親も自由な感じなんで。
で、高校の後は東京大学ですかね?
そうですね。これも起業を最初からする前提ではいまして、
祖父が経営者であって、やはりその、何ですかね、
結構会社の飲み会とかも一緒に連れて行ってもらって、
僕はお酒は飲んでなかったんですけど、
一緒に宴会を見たりとかすると、やっぱ社長ってすごいいいなと思ってまして、
ずっと起業したいなと思っておりました。
その時に祖父が結構言ってたのは、
自分は本当は東京の大学に行って、東京で仲間を作るべきだったと、
言ったことを結構僕に言ってきていて、
なんかやっぱ東京に人材が集まると。
で、このカステラ会社も大きくしたらいいんだけども、
あまりそんなに仲間を集めることはもう今になったらできないと。
なんで本当にやりたいことができないから、
あなたは東京行って仲間を集めてくるんだ、みたいなことをずっと言われていて。
で、西山本学園ってすごい兄弟日本一高校だったんですよね。
だから学年300人中90人ぐらいが兄弟って。
めちゃめちゃ多いですね。
で、医学部に60人が行って。
すごいですね。
で、10人ぐらい東大に行くみたいなそんな感じだったんで。
まあ普通に兄弟行こうかなと思ってたんですけど、
なんか東大行けっていう話になって、
で、じゃあ目指すかみたいなところで東大に行くみたいな、
そんな感じの流れがありました。
同級生の中でもやっぱ王道に兄弟を目指す方々と、
東大に目指す方々ってちょっと毛色違ったりするんですか?
そうですね。
やっぱり東大行く人はずっと中古を勉強してる人が多かったなって感じで、
ずっと学年に10位ぐらいにいる人たちが、
まあそのまま東大行くみたいなケースが多かったんですけど、
僕結構部活やってて勉強しなかったんで、
最初スタート300人中たぶん180とかからスタートして、
で、結構ガリガリ勉強して最後5番ぐらいだったんですけど、
なんか頑張って勉強しましたね。
あと先ほどおじいさまの話もいただきましたけれども、
憧れが当時からあられたっていうのは、
なんかどういう姿を見ていいなと思ってたのかとか、
そういうのっていかがですか?
うーん、やっぱりそのお祖父はカステラ会社だったんですけど、
カステラをどんどんいいのを作りたいとか、
そういった自分のビジョンを掲げて経営してたっていうところに、
結構その京都の仲間たちが集まってきて、
一緒にやってたっていうところで、
結構飲み会も楽しそうに飲んでるんですよね、
みんな社員の人たちとかと。
で、よくある昭和の宴会みたいな感じで、
旅館に行って畳の和室みたいなところで結構広く、
宴会場貸し切ってそこでみんなで飲んでたんですけど、
そういうのを見てると一刻のある実感があるなと思って、
自分のビジョンに仲間がついてきて、
それで仕事も頑張るし、
プライベートでもみんなで楽しく飲むみたいな、
そういうのを見てていいなと思った記憶があります。
ありがとうございます。
東京大学に進学された話に戻りますけど、
これ学部は工学部、システム創生。
システム創生学科ですね。
これはどうしてここを選ばれたのかとか。
そうですね、最初1,2年生の時は東大って教養学科っていう、
あんまり専門性なくいろんなことを学ぼうっていうので、
自由に授業取ったりできるんですよね。
で、僕はずっと企業のネタを探していたので、
ずっと最初カステラ会社とか飲食店とか、
社長ってそんな感じのことやるのかなと思ってたんですけど、
なんか情報っていうのがある。
要するにインターネットであったりとかアプリとか開発すると、
それが会社になるんだみたいなことを気づいて。
で、すると最初初期投資結構いるなと思ってたんですよね。
なんだかんだやるならお金も借りたりとか、
そういうのあるんですけど、システムってやっぱ自分が資産なので、
自分が頑張ればできると。
なんか初期投資少なく企業できるなと言ったところで、
情報ってすごい面白いなと。
で、今後AIとかもどんどん来るっていうような話も出てきてたのを気づいたのと、
僕結構理系で結構数学とか物理とか好きだったんで、
情報もすごいいいなと思って、
情報学科に進むといったようなことを決めた記憶があります。
いわゆるシンフリーで2年目終わるタイミングとか。
そうですね。
そのタイミングでAIって世間的にも結構知られ始めてたりしたもんなんですか?
いや、僕の時2010年とかなんですけど、まだAI前進で、
ディープラーニングが出だしたのは2013年とかなんですよ。
なので、情報とかビッグデータとかは結構キーワードとしてあったんですけど、
その先の解析のAIの技術とか全然出てきてなくて、
でもウェブ工学とかウェブとかそういったのは結構キーワードとして出てたような感じですね。
そういうAIっていうのはなぜより注目したかとかって覚えてますか?
そうですね。エネルギーすごい楽しいなと思ったんですよね。
その情報の中でもエネルギーをどんどん突き詰めていくのって面白いなと思って、
僕の研究室でエネルギーを作ったり貯めたりするような研究をしている研究室に行ったんですけど、
するとその研究室でやってることはどんだけ電力が使われるかを予測することと、
その予測した電力においてどういう発電をするかが一番効率がいいのかみたいなのを、
風力発電とか火力発電とか太陽光とか再エネも含めて最適化するみたいな研究をしてたんですよ。
その時に予測するって結構アルゴリズム作らないといけないんですよね。
そこで結構AIであったりとか、全身ニューラルネットワークとかそういったようなアルゴリズムを作って、
明日の日射量を予測するとか、この1ヶ月の電力需要を予測するとか、そういったことをしてたんですよ。
なのでそこでAIと触れ合っていて、ずっとAI使っていろいろ開発してたんですけど、
2013年ぐらいにディープラーニングっていうニューラルネットワークを重ね合わせて多層にする技術っていうのが出てきたんですよ。
今まで画像認識って全然できなかったんですよね。
情報量多すぎて今までのアルゴリズムと認識精度悪い。
でもディープラーニング使うとついに猫を認識できたみたいなコンピューターがあって、これはすごいってなったんですよ。
としちなみに何が画期的だったんですか。
今までテキストを分析したりとか数字の計算とかはできたんですけど、画像をこれが何かで捉えることはできなかったんですよ。
なのでよくこれ東大の松尾教授っていうディープラン協会の理事を一緒にやってる理事長の先生が、僕の研究室の恩師でもあるんですけども、
言ってたのは目ができたと。
昔は今までのレベルで言うと目がない状態でいろいろ探索してたと。
でも人間で考えても目がない状態で結構いろんな情報入ってくるけど何か認識できてない状態だと。
でもこれディープラーニングが出てついに目を手に入れたんで、ロボットとかも今まで画像を認識できてなかったからここに何があるかも分かんなかったことが、
そのディープラーニングが出たことによってロボットも目を手に入れたと。
これは一気にいろんな職種に広がってより効率化されていくっていう第一歩が切り開かれたっていうのがディープラーニングの登場で起こったんで、
要するに機械が目を使えるようになったってことなんですけど、それはすごい果てしなくイノベーションが起こったんだよねみたいなところでした。
そこからそれをもってこういうアクションをしたとかそういうのってやられるんですか?
そうですね、僕それで言うと大学の時に書いた論文、エネルギー最適化した論文が世界一の論文になって賞をもらいましたと。
で、なんかもう研究は一旦もういいかなと思ったんですよ。
そのままその道で突き進むとはならないのかな?
なんか会社作りたいなっていうのを。
元々はその道でしたもんね。
で、大学3年生ぐらいの時から会社作ったりとかちょっとビジネスしたりとかを始めていて、
で、大学4年生の時卒業するぐらいにフィンクっていうヘルスケアのスタートアップを共同で作ったっていうのがそもそもの始まりなんですけども、
で、2012年だとまだディープラニング出てない状態で、13年に出たんで、
で、フィンクで何をやるかというと、僕ら今までエネルギーを科学して最適化したと。
で、次やりたいことは人間の体をデータ化して、科学的に何を食べたら損したら健康になるのかとか、
何をしたら痩せるのかとか、何をしたら病気が治るのかって、
結構その健康領域って、なんか例えば息吐くだけダイエットとか、きゅうりダイエットとかいろんなダイエットがあるじゃないですか。
ありますね。
で、みんなやった後リバウンドするじゃないですか。
そうですね。
もう絶対ルール決まってるから、ちゃんと科学的にやればうまくいくはずなのに、
いろんなマーケティングの要素もあって、わかりやすいものばっかり流行るんですよね。
これをちゃんとゼロから解明したらいいんじゃないかと。
で、これも今度高齢化して医療費上がっていくんで、それをできることってめちゃくちゃ日本のためにもなるし、
それが日本でできたモデルが例えば中国とか、これからまた高齢化していくところにどんどん持っていけば日本モデルを展開できるなというので、
フィンクを作りましたと。
ちなみにそのタイミングでエネルギーやってたわけじゃないですか。
エネルギーからヘルスケア領域にいくっていうのはまた興味領域としてはちょっと違う気もするんですけど、それはどうしてなんですか?
それでいうと、全部最適化っていうのにくくれると思ってたんですよね。
データ化してそれを組み替えて計算したらアウトプットが変わると。
これでも要するに何かを最適化してるわけなんですよ。
エネルギーやってたんですけど、エネルギーで起業しようと思ったらやっぱり発信所作ったりとか、これまた初期投資めちゃかかるやんと思ったんです。
でも健康データって別にいろんなアプリから取れるし、自分も使えるしっていうので、健康領域ってすごいこの日本の課題、高齢化していく、
医療費が上がっていくっていう課題にもフィットしてるし、かつ初期投資も少なくできるし、
かつデータの組み替え、最適化によって課題が解決できるってところで、すごくストーリー性も今までのやってきたことともつながってくるなみたいなところで、
これヘルスケアで解きたいなって思ったのがその時ですね。
THINKのタイミングで初めてではないんですよね、その前身のご自身の会社でもヘルスケア領域を。
自分の会社ではもっと単純にAWSが出てきたんで、オンプレをクラウドに変えてあげるサービスをやって大企業と一緒にやってあげたりとかして、
それで研究室のメンバーとかと一緒に開発して、自宅開発みたいなことをしてたのが最初です。
フィンクさんは共同創業みたいな形になるんですか。
そうですね。
その時のエピソードと言いますか、どういう感じでご一緒されたのか。
健康をやりたいなと思った時に、共同創業したみぞくちさんと出会って、みぞくちさんもジムを持ってたりとか、
元々トレーナーだったりとか、プロの野球選手をトレーナーしてたりとか、栄養と運動の知識がすごいあったんですよ。
僕はどっちかというと、今から栄養と運動の知識を勉強しながらアルゴリズム作っていこうと思ってたんで、
これ一緒にやったら一気に専門家の人もいるし、僕はシステム作れるから一緒にやったらすごい早く進みそうだなというのを持って一緒に作りつつ、
向こうからも誘いも来たし、僕も一緒にやりましょうってなって、最初一緒に作ったみたいなのがフィンクの前身です。
そもそも出会いとかっていうのはどんな感じだったんですか。
出会いは共通の友人がいまして、僕の中高大同級生だった奥村君という人がいるんですけど、
奥村君がみぞくちさんとフットサル仲間で、フットサルしてたと。
その時に何のお前ヘルスケアなんかやるって言ってたよねと。
みぞくちさんという人もヘルスケアでアプリ作りたいって言ってたけど、
お前とやると仕事一緒やから一緒になったらいいんじゃないっていうので紹介してもらった記憶があります。
当時のみぞくちさんの印象とかそういうのってありますか。
そうですね、なんかすごい背でかいんですけど。
体重ですよね。
そうですね、大きいし、トレーニングもすごい詳しいし、栄養も詳しいし、やっぱりやりたい課題って得る課題も一緒だったんで、
これすごい面白いなと思って一緒にやろうみたいな話になった記憶があります。
その時はみぞくちさんがCEO?
そうですね、みぞくちさんがCEOで、僕がCTOでやり始めたって感じです。
創業でいくと何年になるんでしょう?
創業が2012年。
2012年ですね。
結果的にバトンタッチをされたのは2020年?
バトンタッチ20年ですね。
そうなんですね。
ちなみにフィンクさん油断すぎて言うか迷いましたけど、
僕2019年ぐらいにまさに新卒ぐらいの台で、
まさにスタートアップベンチャーに入ってバキバキやっていくぞタイミングで、
健康的な意識とかアプリいろんなの触ったりとか結構あって、
フィンクさんダウンロードしてですね。
ありがとうございます。
しかも有料会員にもならせていただいて、
なんか当時は体操系、体重系。
体重系あれが一番みんな使ってくれましたね。
そうですよね、あれすごいアプリと連携しててよかったなっていうのと、
あと今もなお自宅にヨガマットフィンクさんのやつで使わせていただいたりっていうので、
そういうときがしてて、今また水口さんも別の形で経営者という意味で
すごく有名でしてますけれども。
じゃあ木継のところももうちょっと触れたいんですけど、
その前段でAIのラボとかも途中で使われたりとかもしたと思うんですけど、
これがなんかどういうものだったのかみたいなものも教えてもらえますか。
そうですね、まさにそのディープラーニングが出たってこととすごくひもつくんですけど、
やっぱり普通に健康センサー使って、
例えば体重系とかフィットビットと連携したりとかで、
データ集めていくこともやってましたと。
やっぱりディープラーニングで一番インパクトがでかいのって、
画像を認識できることなんですよね、そのときは。
するとやっぱ食事画像を認識したい。
すると食事記録めんどくさいじゃないですか。
写真パシッと撮っておけばめちゃくちゃ簡単に記録できて、
しかもカロリーも計算してくれてて便利だなと思って、
その食事画像の認識っていうところをまず進めていきたいなというのを考えてました。
やっぱりその成果、僕たちも痩せたりとか健康にさせるために一番大事なのは運動より実は食事なんですよ。
食事8割、運動2割ぐらいの。
8割あるんですね。
食事、何食べてるのかが一番インパクトがでかくて、
僕ら有料サービスで栄養士さんが2ヶ月帯同して一緒に食事指導とか運動も教えてくれるんですけど、
それで体質改善するみたいなことをやってたんですけど、
その時に何食べたかの写真をお客さんに送ってもらって、
それを栄養士の人が見て、これはいいですとか、
これとこれとは組み合わせ悪いのでこれとこれ食べましょうとか、量がちょっと多すぎるとかをやってたんですけど、
これ自動化したらすごい面白いなと思っていて、
フィンクのラボでは食事の画像解析から始まって、
どういう人が何を食べてどう体質が変わるのかみたいなことを研究していくようなことをしていきたいなというところで立ち上げて作ったという感じですね。
さっきの話をもう一回戻らせていただきたいですけど、
2019年の末とかに水口さんが退任されていらっしゃるんですけどね、
これは退任といいますか、引き継ぎがなぜ行われたのかとか、
どういう形でバトンタッチされたのかみたいなところもよかったら教えてもらえますか。
そうですね、これ経営方針のずれというか、
水口さんもっと投資して、よりさらに掘って、どんどんもっと大きくしたいと。
もっとスピード上げて大きくしたいと。
一方で結構取締役員とかも議論している中で、これ以上踏むと結構会社の資金繰りも倒産リスクもすごい高いと。
なので一回赤字を削ろうっていうのと、この2波に2個議論が対立して、
2個議論した結果、水口さんもそれだったら俺はもう降りると。
というので、取締役会でも赤字を削る方針でってなって、
そこにおいて水口さん降りたんでバトンタッチが起こったみたいなそんな感じですね。
そういう結構多分おそらく水口さんのキャラクターしっかり影響力ってすごく大きかった気もしますけれども、
そこで代表にバトンタッチする中での重荷じゃないですけど、
あとまさに多分コロナのタイミングと被ったりもするのかなと思っていて、
その辺り大変じゃなかったですか?っていうところとか。
そうですね。無欠のめちゃくちゃ大変でしたってところで、
重荷もすごいですし、そもそも170億円集めてるんで、
やっぱ株主から変わった時に僕挨拶周りにするんですけど、結構厳しい言葉もいっぱいかけられましたし、
さらにこの赤字もすごい多かったんで、その赤字をどう削ってどう黒点させるのかみたいなところで、
結構いろんな強い意思決定が必要な場面が多くて、
なんかもともと僕CTOだったんですけど、いきなりCEOになってすごい意思決定しなあかんねんなみたいなほど、
なんですかね、そんなにCEO経験もないのにいきなりめちゃくちゃ厳しいCEOの仕事しなあかんなみたいなすごい大変だったですね。
全然違った感じですか?
そうですね、やっぱCTOの時ってもちろん事業成長のことも考えるんですけど、
どっちかというとこう技術でこういうアプリ作ったらこんだけ伸びるんじゃないかみたいなことをずっと考えたりとか、
エンジニアを束ねてエンジニアの効率を上げてアウトプットを出していくかとか、
あとは事業再度とすり合わせてこの納期で作っていこうみたいなのをマネジメントしていくっていうのが主なロールではあるので、
やっぱりその会社全体の方針どうしていくのかとか、じゃあ赤字削る時にどっから削っていくのかとか、
今月のじゃあ注力ポイント何なのかみたいなところで全部CEOが決めていかないといけないので、
そういうのはすごい最初こんなことしてたんやっていう感じでした。
そこからじゃあバトンタッチされて何年くらい経営されたんですか?
3年半から4年くらいありました。
いかがでしたか?振り返ってみると。
そうですね、振り返ると次やったらもっとうまくやれるというか、
それをやった結果において最初からもしその経験を持ってCTOやってたらもっとCTOとしてよりグロスさせれたなっていう感覚もありますし、
やっぱりCEOとしての意思決定もっと早くいろんなことを決められたなと思っていて、
やっぱり決めるって勇気がいるんで、その時にやっぱこれでやってんのかなって悩む時期とかもあるんですよね。
でもやっぱり何か意思決定してアクションを起こさないと進まないんですよ、物事って。
寝てたら何か勝手にうまくいくことはないので、
その時においてはやっぱりその時は弱かったなとは思いますけどね。
そしてジェニックさん退任をされて、今のまさにグロスバースさんでのチャレンジというところにステージが変わっていくと思うんですけど、
再起業というかまさに三角みたいな感じなのかなとお見受けしてるんですけど、このあたりも教えていただけますか?
そうですね、やっぱり僕としてはAIをもっと使っていきたいし、
AIをもっと推進するようなことをしたいなと思ったんですよね。
グロスバースはやっぱりデータをたくさん持っているというところが一個の僕の興味ポイントで、
やっぱりAIを作るってデータがあった方が絶対有利なんですよ。
その時にグロスバースはそもそも大企業を結構お客さん持ってまして、
そこでデータもたくさん持ってたので、そこにAIを搭載すればお客さんにもっと成果を返せるし、
結局日本でディープライン協会でもやってますけど、大企業がもっとAIを使いこなせないと、
日本全体の価値が上がらないんですよね。
これから少子高齢化になって人手不足という中で、やっぱりAIで事業がうまくいったというユースケースをいっぱい日本が生み出していかないといけないと。
でも結局大企業は何をやったらいいのか悩んだりでやったりとか、
各々が進めているのであまりうまくいかないという時に、僕たちはそこの1個の柱になれるんじゃないかなということを思ってグロスバースに参画したといったところですかね。
確かに大企業のビッグデータを持っている会社かつAIに強みがあると、
当時そこまで選択肢なかったのかなって気はしつつ、とはいえ一社だけではなかったんじゃないかなと思ったりするんですけど、そのあたりとかってどうですか?
それでいうと、やはりグロスバースって親会社ミダスキャピタルっていうファンドがあるんですけど、
グループにはジェンダーさんとかバイセルさんとかいらっしゃって、ミダスキャピタルの代表の吉村さんが僕のサークルの先輩でして、
その時に一緒にやろうよとか、このグロスバース面白いでしょみたいな話とか、
ミダスキャピタルのやってることもすごく僕も共感していたので、すごく面白いことしてるな吉村さんはと思ってたので、
あまりそこはいろんな人と一緒にやろうって言われたんですけど、結構吉村さん一択で参画させてもらったという感じですね。
一番最初入られたタイミングはポジションでいくとどういう入り方をされたんでしょうか?
最初から台取りで入ってまして、って形ですね。
それはすごい馬的な気はしますけど、どういう背景だったんですか?
元々のグロスバースはAIそんなに人材が少なかったんですよね。そもそもAIのチームもまだなかったりし、
AI案件が1、2個ぐらい走ってて、良いモデルができつつあるみたいなところだったんですよ。
なので結構AI進めていかないと、単なるそのマーケティングのサーズをやってるだけだと、結構競合も
セールスフォースさんとかトレジャーデータさんとかカルテとかビーダスさんとか強いんで、全然浮上できないよねみたいな話もしていて、
だからAIに振っていこうみたいなところが会社としてもあったんで、代表がAI分かった方がいいよねみたいなところで代表台取りで入ったみたいな感じですね。
あとそのミダスキャピタルさんの話もさっきありましたけど、ミダスさんと前身の会社さんでいくとスプリームシステムだと思うんですけど、
ここの変わり方とかどういう転換だったのかみたいなところ。
ミダスキャピタルがスプリームシステムをM&Sしましたと。それが今のグロスバースになってますというところで、経営株主がミダスキャピタルです。
結構うちの経営陣ミダスキャピタルのリファラルで紹介してもらって、今の共同代表の渡辺もミダスのリファラルですし、あとC4の諸富もミダスのリファラルですし、
結構幹部系はだいたいミダスと一緒に採用したりとかして採用できているような感じになってます。
経営体制が挿進されるタイミングで社名も結構熟慮を重ねた中で変更されたところがあると思うんですけど、
ここはどういう思いでグロスバースさんに定めたのかみたいなところもよかったら教えてください。
これは僕と代表の渡辺と一緒に決めていったんですけど、まずは各々の思いというか、この会社をどうしていきたいかとか、
どういう存在でありたいかみたいなのをすごく言語化したりとかいっぱい書き出して、
これいいねとかいうのを二人でやりましたと。
そのときに、もう一人の渡辺はトップセールスをずっと張っていたものなんですけども、
セールスホースのときはお客さんに、分業体制がすごいんでどんどん打っていく役割だと。
打っていた結果、そのお客さんがうまくいったのかうまくいってないのかあまり自分には見えないし、
できれば自分が打ったお客さんは絶対成功してほしいというので、
そのお客さんが自分と関わることによって成長していることが自分が嬉しいというのが結構彼の突き詰めていくと、本体にあったりしてましたと。
僕も結局AI作るって、先の日本でユースケースを増やしていくには、
やっぱりAI使って成功したという成功体験をいろんな企業さんに提供することで、
やっぱりAIちゃんと使ったらうまくいくんだみたいなことができていくと思ってたんですよね。
すると、一個のキーワードとしてグロースっていうのは入れたいなというので、
グロースがまず一個入りましたと。
グロースなんちゃらにしようみたいな。
いろんなグロースなんちゃら選手権みたいなのをいっぱいやったんですけど、
その中でバースってユニバースとか広がりとかそういう意味を持つんですよ。
メタバースとかもあると思いますけど。
こうやって無限に成長させるとはすごい良いよねという思いから、
グロースバースになったみたいな。
そんなような決め方をしていったということです。
一層社名にAI入れちゃうとかはなかったんですか?
AIは一個の手段だなとは思ってまして、
AIに次漁師コンピューターが来るかもしれないし、
いろんなのがまた出てくるんですよね。
AIは広義なんで付けてもいいなと思ったんですけど、
それは安易すぎるっていうのが二人の見解で、
もうちょっとAIっていきなり言うのよりも、
でもお客さんが成長することが僕らの求めということで、
別にAI使わなくても成長するならそれはそれでよしとしようというので、
グロースバースに。
だからAI入れなかったっていう話ですね。
ありがとうございます。
M&A戦略が明確に打ち出され始めた時期でいくといつぐらいになるんですか?
でもM&Aは基本MIDASキャピタルの必勝パターンではあるんで、
やっぱり未成長の時からM&Aしていこうと。
一方で既存事業がしっかり立ち上がってたりとか、
組織が脆弱な時にM&Aすると大変なことになるんですよね。
僕たちもAMスターを買って、
AMスターにAIを搭載させたりやったりとか、
チーム作りっていうのをこの21年からやってきましたと。
そういう時にやっぱり24年ぐらい、去年ぐらいにやっととと買ってきて、
その買ってきた会社をグロースさせるようなところも手がけれるよねっていうような体制になってきたので、
去年からM&Aを始めていったって感じなんですけど、
戦略自体は最初からもうAIとかでロールアップしていこうと、
SaaSをどんどんロールアップしていこうみたいのは決めていたので。
21年からAMスターさんの中でAIをどんどん実装していったっていうのは、
3年間で結構軌道に乗ってたような感じですか?
僕が来てからAIめっちゃ作りまくったんで、
マーケティングのAIユースケースをたくさん作って、
なので今って多分AMスターってCDPとかマーケティングオートメーションって最初売ってたんですけど、
AMスターってマーケティングをAIでサポートするツールだよねみたいな認識にどんどん変わってきてるんじゃないかなとは思います。
顧客体験としては具体的にどう変わっていったりもしたんですか?
そうですね、簡単に言うとCDPとマーケティングオートメーション入れましょうっていう営業って、
じゃあ結局これっていくらROI出るんですかって言われるときに答えにくいんですよ。
だってデータ基盤作りましょう、分析しましょう。
分析した結果どんなことが出るかわからない。
その中で売っていくのって、みんなやろうと思うからやるんですけど、
実際ROI値上げにくいし売りにくいっていうのが結構ありましたと。
一方でAIでやっていくと、AIって何かしらのユースケースに紐付いてソリューションになるんですよ。
例えばマーケティングにおいては、カタログを送るっていうマーケティングのアクションがあるんですけど、
例えばお客さんで言うと月10万通くらいカタログを送ってますと、
それを人が選んで10万人を送っているんですよね。
僕らのAI使うとその10万人をAIが選んでくるんですよ。
すると何が起こるかというと20%くらい売上が変わるんですよね。
それは売上が変わるんですね。
売上が変わります。
あからさまにこの10万人の選び方がAIと人じゃ違うんで。
AIの方が圧倒的にいいんですね。