お父さんの病気が見つかって、治療すれば大丈夫だというふうに。
実はそうではなかった。お母さんとワイトしようかとか、心配しなくていいよと。
授業料免除と、あと奨学金をもらって、トータルで多分学生時代に1000万円以上支援してもらったと。
人生をかけて、お贈りをした。パーソナライズ。
顧客体験を最適化する丸2年間、ずっとPOCで100回以上ABテスト。
声で届ける起業家の物語、スタートアップNOW、MCのお稲荷です。
本日のゲストは、株式会社InsightX代表取締役CEO 中沢弘樹さんです。
InsightXさんは、CX、顧客体験を変革するAIプラットフォームを提供されているスタートアップでして、
2025年の12月、シリーズAラウンドのファーストクローズにて、6億円の資金調達を実施されたばかりとなります。
そして本日の配信は、InsightXさんの提供でお送りします。
中沢さん、本日はよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
中沢さん及びInsightXさんがこれまで歩んできた道のり、物語をぜひ紐解いていきたいなと思うんですけれども、
その前にですね、ぜひInsightXさんが今何をされているか、事業のご紹介のところを1、2分ぐらいでご紹介をお願いできますでしょうか。
株式会社InsightX代表の中沢と申します。
弊社はですね、B2C企業、特に大企業様向けに、CX、顧客体験の変革AIプラットフォーム、InsightXというものを提供しています。
特にECのパーソナライズを軸としているんですけれども、
イメージとしては、NetflixさんとかAmazonさんとか、そういった世界のトップクラスの企業様がやっているような、
一人一人の興味関心に寄り添った顧客体験、それをですね、あらゆるB2C企業様が提供できるようにする、そういったAIプラットフォームというものを提供しております。
ありがとうございます。
CXとか、またECの効率化みたいな文脈だと、ちょっとドライだったり難しそうなイメージとかで、ちょっと湧きやすいかなって思うんですけど、
これは逆にその購買者側の体験でいくと、なんかどんな視点になるんですか。
例えばアプリとか、ウェブのEC、そういったことを使っているお客様目線でいくと、
一人一人の、特にリアルタイムの行動データを解析をしてですね、一人一人の興味関心、それをかなり詳細まで取りましてですね、
それに合わせたトップ画面であったりとか、商品詳細ページ、かたまたメール、アプリプッシュ、そういった他の面でもですね、パーソナライズを推進していく、そういったことを行っています。
ありがとうございます。ちょっとイメージが湧いてきたかなというところもありますので、なぜ今これをやっているのかというところに紐づくというところで、
中澤さんの生い立ちだとか、幼少期どんなふうに過ごされていたのかなとか、そのあたりはちょっと前半のほう聞いていきたいなと思うんですけど、
中澤さんは幼少期どんなふうなお生まれだとか、環境とかどんな感じでしたか。
ありがとうございます。私はですね、1994年の2月にですね、新潟県南岩の町という、かなり田舎というか。
そうですね、お米のイメージ。
お米と日本酒のイメージしか、実際そういうところなんですけれども、そこで生まれまして、小学生1年生のタイミングで、
親の転勤の影響でですね、兵庫県愛用市という、またこれもそこまで田舎ではないんですけれども、
そういった関西の方に引っ越しをしまして、そこで幼少期を過ごしたという感じです。
ご家庭環境とか、そのあたりとかどんな感じでしたか。
兄弟でいくと、兄が3つ上でおりまして、よく喧嘩をしていたというか、
男兄弟あるあるだとは思うんですけれども、昔から喧嘩をして、場合によっては特組合みたいなのを、
こちらから仕掛けて全滅するみたいなことではあったんですけれども、そういった関係で、今ではすごい仲良くしているというか、
そういったお兄ちゃんがいますし、あとはお父さんは大学でやったりとか、研究所でですね、物理学者として働いてまして、
家にはたくさん難しい本とか、理系の本とか、そういったものがたくさんあって、よくそういったところを読んでましたし、
家に英語の論文とかが散らばっていて、それ見てすげえかっけえなみたいなのは昔から思って、
それによって好奇心旺盛な幼少期だったんじゃないかなと思っています。
それは好奇心が旺盛につながるのは、お父さんとのやりとりなのか、そういうのを見て、
実際に中澤さんも多分相当難しくて分からないと思うんですけど、頑張って読もうとしていたのかとか、そのあたりでいくとどんな感じですか。
そうですね。理系の本を最初から読んでいたとかでは全くなく、クイズ大会じゃないですけど、
家族全員でクイズ番組を見て、みんなで勝負するみたいなところをやったりしてたので、
自然とそれで、じゃあお兄ちゃんに勝とうとか、お父さんに勝とう、お母さんに勝とうみたいな、そういったことをやってたので、自然といろいろやってました。
学校でのキャラクターとか、どういう感じだったっていうのはご記憶ありますか。
そうですね、めちゃめちゃ恥ずかしがり屋で、授業参観とかで、手を挙げるだけで、前に立つだけで泣いちゃうぐらい、超あがり症で、
結構ですね。
そうなんですよ。今では考えられないんですけど、もうずっと泣いてる、超シャイで、人前に立つとか全然できない人でした。
じゃあ中学校とかに上がっていくと、例えば部活だとか、どんな風に過ごされてたっていうと、どんな感じですか。
そうですね、中学1年生から高校の3年生まで、短距離で部活はやってましたね。
短距離って言うと、本当に運動神経いい、ハイレベルな方たちが選ぶ種目な感じしますけど、どんな感じだったんですか。
僕のメインの種目は走り幅跳びで、サブで100mっていうところをやってまして、もう中1からずっとその2つをやってましたね。
結構やりこんでたもんなんですか。
やりこんでましたね。中学とかはもうほぼ毎日アサレンをやっていて、山に往復するみたいなのを放課後にやるみたいな、そういったことをやって、かなり陸上付けというか、ほぼ毎日走り回ってましたね。
その後、じゃあ多分中学校終わるぐらいで、結構かなり大きな人生の転機とかもあったんじゃないかなと思うんですけど、その後にも教えてもらえますか。
そうですね、もともと小学校6年生とか中学生入る前ぐらいに、お父さんの病気が見つかって、胃がんだったんですけど、そこのタイミングで家族会議みたいなのがあり、
大丈夫だからと。治療すれば大丈夫だというふうに言われまして、そこから大丈夫なのかと。心配しなくて勉強しなさいと。やるべきことやりなさいと言われ、そこから3年間糖尿しているのを横目で見たりとか。
あとは、いい前提記するとか、そういったこともあって、大変そうだとは思ってたんですけど、中学卒業する10日前とかに亡くなって、
そこでやっぱり亡くなる当日まで、信じられなかったというか、大丈夫だと信じていたので、お父さんが大丈夫っていうのであればそうなんだろうと、子供心に思ってたんですけど、実はそうではなかったというのがありまして、
そこでやっぱり自分がその憧れというか、お父さんに憧れて物理学者になりたい、教授になりたい、研究者になりたいというふうに夢として思ってたんですけれども、追うべき背中というか、そこがいきなり亡くなって、結構やっぱり喪失感というか、ぽっかり穴が開いたというか、
そんなことが中学3年生の時にありましたね。
今思い返してもグッとくるぐらいやっぱり衝撃的な。
そうですね、毎回こうなります。
ぽっかり開いた穴っていうのは、ある意味じゃあ塞ぎ切って穴かったりもするんですかね。
正直今でも穴はあるというか、ずっと永遠に埋まらない穴な気がしてます。
じゃあ春休みがあり、開けたらもう高校生活が始まるわけじゃないですか。
それはいって切り替えられたというか、それはできたんですか。
そうするしかなかったみたいな感じで、もともとお父さんの病状があっていうので、実家の方に帰ろうと。
しょっちゅう9年間兵庫にいたんですけど、それは研究所とか大学のポストがそこにあったからっていうのではあったんですけれども、
さすがにもう最後だから新潟実家の方に戻ろうというので、
引っ越し自体は高校のタイミングで、高校に入学するタイミングで引っ越すっていうのは決まっていたんですけど、
それ叶わずっていう感じでした。
なので高校の受験とかも、亡くなった数日後とかにやったりとか。
そのタイミングからなんですね。それが終わり切ってからとかじゃなかったんですね。
じゃなかったですね。っていうのがあり、引っ越しもあり、卒業式、入学式とかもあり、
なので1ヶ月の間にそのすべてがバタバタと進んでいくっていうところだったので、
なんかもう切り替えられたというか、むしろ環境が変わったからこそ、
強制的にアジャストしていくみたいな感じだったんじゃないかなと思ってます。
環境はすごく変わっているつもり、いわゆる生活は大黒柱であるお父さんがいなくなっちゃうという、
やっぱ大変だったんじゃないかなって思ったりするんですけど、そのあたりはどうしてたんですか。
そうですね。正直大変だったっていうところで、
お母さんは兵庫の時はパートで働いてまして、ある種専業主婦というか、
落とさなくなって、それだとやっぱり大学生になる兄と高校生になる自分、
その2人を養っていくのは難しいというところで、10年ぶりにフルタイムで働き出して、
新潟の工場で働き出して家計を支えてくれていました。
あとその時、自分も分からないなりにというか、大変そうっていうのはお母さん見て思ったんで、
バイトしようかとか、そういったことを言ったんですけれども、
大丈夫だからと。お父さんとしては、ひろきが勉強することが一番やってほしいことだからというので、
心配しなくていいよというふうに言ってくれたんで、じゃあ頑張ろうと。
そこから勉強にフォーカスというか、そういった形で高校生活をスタートしてました。
そういうようなバックグラウンドもあって、結構勉強はかなり熱いれながら。
そうですね。
高校生活でいくとどんな過ごし方だったんですか。
勉強ざんまいみたいな感じで、もともとやっぱりお父さんの背中を追いかけていて、
物理の研究者になりたいと。なので、東大に入れたらいいなと。
お父さんもともと博士で東大に出たりとかしてたので、そういった意味でも憧れはあったんですけれども、
正直自分の実力がどこにあるかわからない。どれだけ遠いのかっていうのはわかってなかったんですけれども、
高校に入学した最初の模試で、あなたは東大合格クラスですみたいな。
目指せるんだというふうになり、本当に頑張ったら目指せるんだというところは信じられたので、
そこから勉強ざんまいというか。新潟ってそんな新学校ないんですけど、
たまたま実家の近くにかなり勉強熱心な高校がありまして、そこに入学したので、環境としてはすごい勉強がやりやすかったというのはありますね。
いわゆるたくさん予備校に通ってとかいう生活ではない?
ないですね。そもそもたぶん新潟に予備校そもそもないっていう感じ。
うちのところ国際情報高校っていう高校なんですけど、新潟県の南宇和沼市にあり、
たぶん塾まで電車で40分50分くらいかかるようなところだったんで、塾通ったことないですね。
確かにあったとしても少なくとも東大バンバン遅れるようなところではなかったかもしれないですし、
当然経済的な環境もあったと思うんですけど、ひたすら独学と先生に教わってみたいな?
もう本当に先生が手厚かったので、かなりいい環境だったなっていうのは思ってます。
大学受験はどうだったんですか?
無事に現役で東京大学の理科一類に合格したって感じですね。
念願のですよね。
そうですね。やっと開放されたじゃないですけど、本当にやっとスタートラインに立てたんだというか、そういった気持ちでしたね。
大学で念願入って、その後はまた物理学をどんどん探求していったっていう感じなのか、どんな感じの大学生活だったんですか?
最初の学期は意気揚々と物理学者になるぞと、そういった気持ちで、
かなりいろんな授業とか、物理系の授業とかもとってやってたんですけど、最初の学期でその夢はついえた。
どうしたんですか?
周りにすごすぎる人がうじゃうじゃいるっていうので、日本のトップレベルの世界を知ったというのがありましたね。
同期とかに物理オリンピックというメダルを取ったことがあります。
そういった方がいて、アカデミアの道、もともとその大変っていうのは肌で思っていた。
お父さんの感じから思ってはいたんですけども、実際にそのクラスの人たちがうようよいて、
そこに自分が頭の一本で戦えるかっていうと、そうではないなと思った。
自分はそこで耐性できるほどの実力は持ってないんだなっていうところは最初の学期で気づいたので、
物理学者になるという夢はそこで破れました。
もうじゃあ20年ぐらいですよね。ずっと生まれてから物理学者になるぞで構えてて、
それがついでて、本当に入れたことは入れたわけですし、けど夢は違うかもってなったら行く先分からなくなりませんか?
そうですね。結構迷って、いろいろやっぱ数ヶ月試行錯誤というかどうしたらいいんだろうみたいなことは考えていて、
そこで転機になったのがというか、今に結構つながってくるんですけれども、
自分って人生通して何をやりたいのかとか、どう過ごしたいのかみたいなところをいろいろ考えたときに、
人生をかけてお送りをしたいなと思ったんですね。
急にですか?どうしてその辺りが出てくるんですか?
それで言うと、高校入学するときとか、本当にメンタル的にしんどかったときに家族であったりとか、
親戚、友人、いろんな方に精神的に支えていただきましたし、
あとは経済的にも、高校のときから授業料免除と小学金をもらって、
大学の入学後もずっともらって、授業料免除もあり、
トータルで多分学生時代に1000万円以上支援してもらったということがあったんですね。
だからこそ、高校もちゃんと勉強できたし、大学も入れたし、
その後、留学、大学院とかも行くんですけれども、そういった自由なことができるようになったと。
なので、僕ってたくさんの人に支えてもらっていて、たくさんの恩を受けて、
だからこそ今があるというか、自由がある。
ただ、それって一歩道が違えばというか、そういった実力が仮にあったとしても、
運が悪いというか、そこから漏れてしまったら、
多分自分は今そうやって人生を歩めてないって考えたときに、
自分はそれじゃあただ単純に受けるだけ、恩を受けるだけではなくて、
それをじゃあ他の人に、次世代に、どんどんどんどん恩返しをしていきたい。
そういったふうに思ったので、人生をかけて恩送りをしたい、恩返しをしたいというふうに思って、
今人生の自分の個人のミッションとして、ペイントフォワードっていうのを掲げてるんですけれども、
今まで受けた恩を圧倒的に社会に還元したいなというふうに思って今行動してるんですけど、
なのでそのときにいろいろ考えた結果、何かじゃあ自分の人生かけてやるとすると、
ゼロから自分でビジネスを立ち上げて、それをもとにこのゼロから100、1000作って、
それによって周りの人とやったり、社会全体、次世代に対して幸福を届けられる、
そういった人になりたいなというふうに思って、そこから企業というか、
自分でビジネスを作り上げるっていうところに夢がシフトしたっていう、そんな感じになってます。
物理学者じゃなくて、ビジネスのフィールドでそこでそれだけ恩を返せるような影響力があるような存在ってなると、
企業だっていう感じになったんですか?
そうですね。
というのがあったのが大学1年生ぐらいの冬学期。
冬ぐらいですね。
そう思ってどういう感じで動いていくんですか?
そこで何が必要かみたいなところを考えたときに、
何かやっぱ物を作るっていうのができるようになるのは必要なスキルかなというふうに思って、
IT、そのときまだスタートアップっていうよりベンチャーとかITベンチャーみたいな、
そういったところが少しずつ流行っていたというか、ちらほら聞くみたいな感じだったので、
ITだと、なんとその情報技術によって物を作っていく、
そこっていうのがやっぱそのビジネス、何かゼロから作り上げるっていう観点では必要かなと思ったので、
ITを学ぼうというところで、1年生の冬学期から、
その当時はもうITベンチャーの本当にインターンとして、
何も分からないけれども、ここで働きたいっすっていうふうに、
本当に小さな会社さんのところで2人目3人目みたいな感じでインターンをさせてもらって、
そこからプログラミングとかコーディングっていうのを少しずつ学んでいった、そんな感じですね。
プログラミングはずっとそれで極めていくというか、やり続けていったものなんですか?
結構そこは興味があった部分というか、やりたい部分だったので、
そこから数年はですね、大学院まで情報系で行ったんですけど、
それまではかなりコーディングというか、そこは趣味も含めてですけれども、やってましたね。
学問以外のところだと、海外の留学とかも1年ぐらい挟まれてると思うんですけど、
これはどういうきっかけで行ったのかとか、どんな体験があったんですか?
またお父さんの話になるんですけど、自分が小さい頃、たぶん6歳とか、
たぶんそれぐらいの時に海外、イタリアかどっかに研究のポストがあるみたいな、
それでオファーはされたらしいんですけど、
ただ子どもが小さい、そういったところで断念したっていうのを後々聞きまして、
なので、そこを叶えたいじゃないですけど、やっぱそこは自分が代わりにやりたい。
できなかったことを自分が代わりにやりたいなというふうに思って、
どんどん海外に行きたいというか、留学したいという思いが強くなり、海外留学行こうというふうになりました。
イタリアに行ったんですか?ではない?
全然関係ないです。それはオーストラリアに行ったんですけど。
どんな感じでしたか?
めちゃめちゃ楽しかったですね。もう99%オーストラリア人みたいな寮に入りまして、
ずっとその人たちと話しまくってた感じですね。
いいですね。シアも広がるし、語学的な意味でも語尾もするしみたいな。
そうですね。
その傍らなんですかね。授業の立ち上げにチャレンジしたみたいな話が。
そうですね。留学をしている途中でというか、真ん中の時に、
これ自分欲しいプロダクト、サービスだから、これやりたいなというふうな思ったきっかけがありまして、
そこから自分でコーディングしてやろうと。
それはもう留学の途中で思ったので、それで作ってましたね。
ちなみに何だったんですか?
サービスとしては、オンラインでグローバルにチューターと学生というか学びたい人、
そのマッチングサービスっていうのを考えていて、東大に入るまでめちゃめちゃ勉強してました。
英語も含めて勉強してました。
ただ留学に行った時に感じたのが、全然話せないし、聞けないし、何も理解できない。
あれだけ頑張ってやったことが、全然通用しない。
生きた英語では全くなかったなって思ったので、すごいそれはもったいないなと。
なので、英語を学ぶではなく、英語で何かを学ぶとか、
例えば英語で数学をやりますとか、そういったことがあれば、よりコミュニケーションとしてのツール。
それを一人一人がちゃんと学べるというか、身につけられるかなというふうに思ったので、
ちょうどその留学しているっていうのもあったので、
例えばオーストラリア人が先生になって、日本でそういった英語をちゃんと使えるようになりたい、
そういった方とマッチングをして、そこでオンラインで話せるような環境を作れたらいいなというふうに思って、
グローバルなチューター、学生のマッチングサービスというのを考えていました。
それは事業自体はどうなっていったんですか?
半年弱ぐらいかな。留学から帰ってきてからも作ってはいたんですけれども、
それで満を持してリリースをしました。
ただ全くうまくいかないという感じでして、
どうやってチューターであったりとか学生を探してくるのか、
そういうマッチングのプラットフォームって両者が大量にいないと回っていかない。
最初の火をつけるところがすごい重要だけれども、
そこに関して自分は全然考えられていなかったというか、
その時留学してた時に周りにたくさん人がいたので、
そういった人たちに登録してもらえればいけるんじゃないかみたいな、
そういったビジネス観点なく突き進んだ結果、
結局誰にも使われないサービスになってしまうということがあり、
リリースはしたものの何も動かない、そういったものになっていました。
企業を志して満を持して周りを巻き込みながらリリースして無風だったわけですよね。
結構グッとくる気がしますし、その後とかではどうなっていくんですか?
そうですね。やっぱりしんどかったですし、
巻き込んだ友人とかもその後喧嘩別れみたいになって、
連絡とか取ってないんですけど、
でもやっぱりすごい申し訳なさというか、
ここはすごいあったので、自分が巻き込んだ以上、
そこに対してしっかり責任を果たせなかった、
そういったのは本当に申し訳ないなと思って、
結構その後ずんと沈むというか、
数ヶ月はしんどいなというか、ずっと思ってましたね。
じゃあもうその後もう一回他のプロダクト作ろうとか、
じゃあもう学生企業代とか、新卒就活せずに企業しちゃおうみたいなマインドには一旦ならなかったんですかね?
そうですね。そこは全くならずに、
ちゃんと足りないところは明確にわかったので、そこを埋めにいこうと。
なので大学4年生とかだったんですけれども、
妊娠は決まっていたと。
ただ足りないのは技術力とかそういったところではなく、
ちゃんとそのビジネスを理解するというか、
そこの土台を作るっていうことだなと思ったので、
理系の院に決まってはいるもののビジネス系の観点を学ぶために、
そういった文系就活というか、
全く違う業界、ビジネスを学ぶための就職先を探したりとか、
あとはインターンもエンジニア一辺倒だったんですけれども、
ビジネス系のインターンに大学部4年生ぐらいからスタートして、
もうそっちに舵を切っていったっていう、そんな経緯です。
そういう背景もあって、結局新卒がコンサルに入っていると思うんですけど、そんな感じですか?
そうですね。就活の軸としては、ビジネスを学べるかつ、
それを高いレベルで、いろんな業界も見れるっていうところが、
僕としては重視しているポイントだったので、
そういった軸でコンサルと、あとは投資銀行、
MAとか資金上達とか、そういったところで、
財務側からいくのか、戦略側からいくのか、みたいなところで、
最後まで迷ってたんですけれども、結果、ご縁があった。
ベイヤーのカンパニーという会社に新卒で入りました。
そこから多分2年間ぐらいですかね、いらっしゃったと思うんですけど、
その2年間はどんな感じだったんですか?
猛烈に働いたというか、個人的にはすごい楽しい2年間だったなと思っていて、
僕自身、働くことが来るじゃないというか、
それが興味のあるところだったら、全然楽しめる、そういった人だったので、
10プロジェクトぐらいは2年間でやりましたし、
特に短期のデューデリジェンス、DDと呼ばれるプロジェクトチームに半年以上いて、
そうですね。
事業領域とか決まってたんですか?
ざっくりは決まっていたんですけど、このアイデアっていう感じではなかったんですね。
それは何かっていうと、顧客体験、顧客起点経営みたいな、
そういったトピックで軸としては考えていて、
それは何でかっていうと、
ベインってNPS、ネットプロモーター、マスコア、システム、
そういったところを開発した会社なので、
かなり顧客起点経営とか、
そういったところに軸足を置いたプロジェクトっていうのが多かったんですね。
NPSってよくアンケートとかで、
あなたはこのサービスを友人・家族に勧めますか?0から10みたいな。
それをベースに本当に思想として、
お客様、エンドユーザー、そういった相対している顧客が幸せになることこそが、
その企業が中長期的に反映する。
それを本当に愚直にやっていく会社なので、
それってやっぱり思想的にめちゃめちゃいいなと。
そういった企業が増えると、
社会全体、やっぱり幸せが増えて一歩進んでいく。
そういったふうに思えたので、
自分としてはその軸でビジネスをやりたいとか、
そういった企業が増えるような支援をしたい。
そういうふうに思って、事業領域を絞っていった。
2021年の1月末とかにプロジェクトを終えて辞めると。
そこから半年くらいはフルコミットというか、
フルタイムで事業アイデアを考え続けるという選択をしています。
途中で今共同創業であり、共同経営にも大切に変わりましたけど、
佐々木さんとも会われてるんですよね。
そうですね。
彼が新卒で1年目、メインに入った直後くらいの時に知り合ってはいるんですけれども、
別のスタートアップに彼は一度入って、
単純に僕がスタートアップってどんなもんかみたいなところを聞きたかったので、
キャッチアップをしたところ、一緒にやろうというふうになった。
それに2021年12月に彼がジョインしてくれたという感じです。
最初のプロダクトはやっと出して、
レビューに関係するプロダクトだったと思うんですけど、
これが簡単な概要と結果、それってどうなったのかみたいなところを教えてもらえますか。
レビューバンクというレビューによるECに対してレビューによるマーケティングを支援する、
そういったSaaSを作りました。
会社のECに対してお客様が書いたレビューを簡単に埋め込める、
さくらレビューとかあったりとかして、
本当にいいものが埋もれちゃうとか、そういったこともあったので、
思想としてはやっぱり顧客記念とかNPSとか、
ベインから色濃く受けてるんですけれども、
やっぱりそのいいものがしっかり反映する、
そういった世の中を作っていきたいと考えて、
このレビューを第三者の立場として担保して、
それによっていいもの、いい企業が反映できるような、
そういった仕組みを提供しようとやってました。
今の授業と違うと思うんで、これは途中で変えてるんじゃないかなと思うんですけど、
何がダメだったというか振り返るとどうなんですか?
そうですね、結構浅いペインを解く、
そういったサービスだったので、
なかなかビジネスとして耐性はしないなというふうに思ったのが、
やっててすごい感じたことがピボットした理由になってまして、
2021年7月からこれでいこうっていうので作り始めてはいるんですけれども、
大体1年ぐらいで閉じてるんですね。
会社立ち上げる前から5社、10社ぐらいでPOCという形でやるなら、
確かに良さそうだねというふうに言ってくれた企業様がいたので、
そういった企業様向けに、じゃあこれやるんで待っててくださいっていうので、
あの勢いを作り始めたんですけれども、
実際にものとしてできましたと企業様に提供したところですね。
そのプロダクトがあることによって、
じゃあエンドユーザーさんの体験が変わったかとか、
じゃあ売上が上がったかとか、
そういったところを見たときに全く使われないプロダクト、
全く効果がないプロダクトに処理機になっていて、
なのでお客様として欲しいというところは声としてはいただいたんですけれども、
蓋を開ければ効果として出なかったというところがあったので、
これだとなかなか厳しいと。
やっぱりデータとかログデータとかを見て、
それってサービスとしてはECサイトに埋め込める、
ウィジェットみたいな、よくポップアップとかあると思うんですけど、
あれって全然開かれないですし、そもそも見られない。
影響を与えられる前に問題はあるというか、
全然使われなかったというのがあるので、
このやり方だとなかなか厳しいと。
誰も幸せにならない、そういったプロダクトになっているなというふうに思ったので、
これはそのピボットをしようというふうになったのが、
2022年の年明けくらい、
会社作ってから半年、9ヶ月くらいのタイミングかなと思います。
その反省を生かして、たぶん次の事業領域探しながらプロダクト化もしていくと思うんですけれども、
そのときに気をつけていたこととか、
どんな感じに立ち上げたというのは、どんな意気込みになりますか?
いかに深いペインを見つけて、それをちゃんとプロダクトで解けるか、
そこがやっぱり重要だというふうに思っていて、
それがないと結局、一時的に売上が上がったとしても、
すぐにマチャンされるとか、
今日が出てきてリプレイされるっていうのはやっぱりあるので、
いかに深いペインを見つけられて、かつそれをちゃんと解けるか、
そこにかなりこだわりというか、
そこをやらないといけないよねというところがありましたと。
なのでピヨッとするというふうになったんですけれども、
そこから何次やるのかというところは、かなり時間を費やしてというか、
考えて領域を決めていったっていうのが、
2022年の3月から5月、6月ぐらいまで、3ヶ月ぐらいがっつり考えてましたね。
深いインサイトというか、それを探しに行く旅というところと、
最終的に今のインサイトXの領域を見つけたというのはどんな感じだったんですか?
10年後を考えた時に、その時にはあって、
今ないものって何だろうっていうのをかなり考えていました。
それはあるベイン時代の先輩、今VCやられている先輩に、
そういう観点で考えるといいんじゃないっていうふうに言われたので、
そこから逆算思考というか、そういったことで、
次は何が来るんだろう、この大きな波って何だろうっていうのを考えてたんですけど、
そこで上がったのが、パーソナライズっていうのが一つ大きな軸として出てきました。
もともと大きな今までの流れとして、
マスに向けた広告であったりマーケから、
どんどんそれがセグメンテーションとか、さらにマイクロセグメンテーション、
パーソナライズみたいなことも言われてはいたんですけれども、
真に一人一人に合わせたものが提供されているか、
顧客体験としてなされているかというと全くそうではないと。
ただその波が確実に最終的には本当に一人一人になるはず、
それが逆にマスに戻るっていうのは絶対ないはずだろうと考えていたので、
そこでパーソナライズっていうのは一つ大きな鍵になるかなと思ってましたし、
ちょうどその時ですね、もう一個のイネーブラーというか、
変極点として捉えたのが、今でこそよく言われる生成AIみたいなところ、
そこの大きな波が来ているっていうのを捉えたっていうのはありましたね。
結構早めに。
早かったですね。2022年なので、まだ誰も日本では生成AIって言ってない、
GPTっていうの、今だったらもう考えられないんですけど、
あの時は全然注目されてない、精度もまだまだ低かったっていうのもあるので、
ただそこでそのコンテンツを生成するというか、情報を生成するみたいなところが、
かなり低コストで誰でも作れる、大量に作れるってなると、
よりそのデリバリーの部分、その大量にじゃあ数百万とかコンテンツがあふれたときに、
でもそれが適切な人に届かないと、結局いわゆるゴミデータというか、
もう本当に意味のないものが世の中にあふれてしまうけれども、
ただそこのデリバリーの部分をしっかりできるのであれば、
本当に真のパーソナライズ、これが達成されるんじゃないかなというふうに思いまして、
そのためにじゃあ足りないパーツっていうのを我々が作ろうというふうに思って、
その領域にベッドし始めた。
そのPOCを改めてやるとき、パーソナライズなんですっていうのが、
もうそれすぐ確かにそれだよねってなって握れたのかとか、
他にも何かそういううまくご一緒できた理由とかがあったりだとか、
この辺りも教えてもらえますか。
まさにその我々の考えている世界、パーソナライズっていうところを課題感として守っている、
キヨさんとバチッとはまったっていうところが最初のスタートポイントでして、
正直我々その時プロダクト持ってなかったんですね。
資金調達もそうなんですけど、プロダクトなく紙芝居で資金調達、
シードファイナンスもやりましたし、あとはそのPOCやるってなったときも、
一社目のキヨさんは紙芝居でこういうのやります、こういう世界を作りたいです。
だからご一緒させてください、まだプロダクトないけどみたいな、
そういった感じで営業もさせてもらっていて、その世界観というか、
その課題感として全然一人一人に合わせて最適なもの、
もっとうまくできる方法あるのに、でもできてないみたいなところを
キヨさんとしては抱えていらっしゃったので、そこがバチッとはまったのが最初のPOCになってます。
結果的にPOCは結構うまくいったものなんですか?
ぶっちゃけ大変だったっていうのはありますね。
そのPOCに至るまでの、例えば半年とかは、全然洗練されてないというか、
その半年ってシードファイナンスをしてからの半年になるんですけれども、
その間ずっとヒアリングというか、もう100人くらいかな、
ヒアリングさせてもらって、こういうのやりたいんですけどどうですかみたいなね、
どんどんどんどんブラッシュアップをして、ターゲットセグメントであったり、
プロダクトの増っていうのをかなり洗練させていって、
最終的にはそれで一社企業様からPOC受注というふうになりました。
なのでそこまで大変だったっていうのもありますし、
そこから先、実際にPOC始まりましたってなってからも、
実際にそのものを作るまで3ヶ月、4ヶ月くらいかかって、
5月くらいに、2023年5月くらいにリリースしたんですけども、
最初は全然やっぱり効果が出ない。
ちょっとまた嫌な思い出が。
そうですね。むしろ顧客体験を既存するみたいなネガティブな影響を与えてしまっていたみたいなところがあり、
これだとダメですねみたいなところ。
かなり厳密に我々ABテストをやって、効果検証とかもしてたんで、
結構その差分がわかるんですけど、
そこで最初のリリースしてから数ヶ月、半年くらいは、
これ効果出たかなと思ったら実は違うとかっていうのが結構あり、
試行錯誤して、たぶんその2023年〇〇、リリースしてから半年くらいは全然効果が出せないというか、
明確に自信を持ってこうですって言えるものまでなってなかったですね。
最初は意外とそうやってスムーズに立ち上がらなかったと思うんですけども、
直近だとかなり急激に成長してきているようなところは見受けられていて、
その中、ブレイクスルーのポイントはどういうところにあったんですか?
そうですね、これみたいな明確なポイントというよりは、
愚直に泥臭く積み上げてきたっていうのが、その結果を生み出しているのかなというふうに思ってまして、
POC、2023年1月から開始したんですけど、そこから丸2年間ずっとPOCでプロダクトを高めるっていうことをやってきたんですね。
最初は1社、また半年後に1社、そこから数社っていう感じで、
この2年間で計10社ぐらいPOCっていうのをやってたんですけれども、
そこで100回以上ABテストというか、繰り返し繰り返しやってましたし、
1回あたりのABテストって本当に3ヶ月がかかる。
なので並行していろんなクライアントさんでこのページはこれ、このページはこれみたいな感じで、
並行してトータルで100以上の試作っていうのでやってたんですけれども、
その積み上げかなり大変だったんで、正直途中のタイミングで全然売り上げも立ってないですし、
この方向性でいいのかみたいなところはやっぱりその不安になることとかたくさんあり、結構つらかったタイミングではあったかなと思うんですけれども、
今思い返すと、やっぱりあの2年しっかりプロダクトであったりエンドユーザーさん、クライアントさんに向き合って、
愚直に泥臭くみんなでチーム一丸となって走ったからこそ今の花開いたというか、
やっとそれでもスタートラインかなと思ってるんですけれども、そこにまずはたどり着けたかなと思ってます。
2年間すごく大きな不安を抱え続けたということだと思うんですけど、
そこで折れずに泥臭くやり続けられたっていうのは、やっぱそれしかないからって感じじゃないですか。
なんでそこは耐え抜けられたんですか。
そうですね、やっぱ自分の中で人生の軸として1本強いものがあったっていうのはあるかなと思ってまして、
やっぱ冒頭にお伝えしたような、自分の人生かけてペイイットフォアの次世代にお送りをしたいというところから今の会社がスタートしているので、
それを考えると今大変だけれども、でもやっぱ自分がやりたいと思ってやっていることだし、
これを乗り越えたらその先大きな未来が待ち構えているんじゃないかなというふうに思えたので走っていけたっていうのは一つ大きな要素かなと思ってますし、
あともう一つはやっぱチームですね、やっぱり今のメンバー全員本当に優秀でめちゃめちゃ強い人で本当にいいやつみたいな本当にすごい人たちが集まってやっていると。
正直そのメンバーが全力でやって無理だったら、これもう世の中一般としてもう無理だろうと思えるぐらいそれだけやっぱ取り組んでやっていたので、
なので頑張り続けられて、それだからこそもうやりきれるところまでやろうと。チームでやっぱいろんなディスカッションにもやっぱなるんですけれども、このままでいいのかみたいな、この方向性でいいのかみたいなところがあったんですけれども、
でもやっぱり毎回結論としては我々がこの領域で世界で一番詳しいと、これでできないのであればそこにはないと、それぐらい言い切れるぐらいみんなかなり没頭してというか努力さっく走っていったので、
だからこそやっぱチームに支えられて走っていけたんじゃないかなと思ってます。
事業の現在地みたいなところでいくと、結果的にはじゃあ今はどういうお客さんに使ってもらっていて、例えばこういう効果が出てますみたいなそういう話とかもあったらいただけますか?
はい、今はですね、メインはファッション系の企業様に使っていただいておりまして、特にもEC、自社のECを持たれている大企業様向けにサービスを提供しているんですけども、
分かりやすい企業様でいくと、オンワード様とか、あとはパル様、アーバンリサーチ様、あとはルミネ様。
めっちゃ好かれてる、すごいですね。そういうお客さんが初期に入ってるんですね。
そうですね、はい。なのでそういった企業様に使っていただいたりしているんですけれども、我々がやっているパーソナライズであったり、CXの変革っていうのはファッションだけではなくて、やっぱりいろんな業界、ポテンシャルあるかなというふうに思っているので、
B2C、エンドユーザーさんが大量にいる、かつ商材、商品であったりサービスが大量にある、やっぱりここのマッチングが重要になってくる。なので両者が多ければ多いほど、このパーソナライズっていうのは相性がいいと思っているので、
B2Cに対して今後は入っていきたいなというのを思っています。
ブランドさんとかはどういう期待値で導入していて、使い続けてくれる理由っていうのはどんなところにあるんですか?
エンドユーザーさんが大量にいて、特にファッションだとそれぞれの好みがあって、出したい商品、出したい商材がたくさんあると。
ただそこが上手く出せていない、お客様を理解できていない、そこが把握できていないからこそ、新着これですとか、ランキング現在はこれですみたいな、すごいふわっとした、抽象的な、全員に対してささ、理想かもみたいな、そういった内容での即急打ち出しになっているっていうのが現状ですけど、
やっぱり理想でいくと、店舗のアナロジーでいくと、やっぱり一人一人の寄り添って、店員さんが来て何を手に取っているかとか、話している内容からどういったことが好きで、今じゃあそういうのを探している、トップ探しているとか、ボトムス探しているとか、そういったところをヒアリングであったり深掘りしていって、
じゃああなたにはこれが似合いますよね、なのでこれとこれどうですか、そういったかなり密な提案というか、寄り添った提案というのがなされると思うんですけど、それはオンラインではやっぱり現状難しい、それまでは難しかったと、なので我々としてはそこがECでもオンラインでもそれが実現できるように世界を作っていきますというところで、
ビジョンであったり、実際のプロダクトに対して、これなら確かに一人一人に最適な体験というのが提供できそうだよねというところを感じていただいておりまして、実際その入った後というか、我々の特徴の一つでもあるんですけれども、
最初の入り口としてはパーソナライズ、顧客体験を最適化するというところ自体に興味を持っていただいているお客様が多いんですけれども、我々はかなり深く入り込んで改善施策というかいろんな提案をさせて、かつ実装も含めてやっているというのが特徴ですし、
そこをかなりお客様からは感謝されているということをやっています。