Startup Now🦄、資金調達を実施されたばかりの企業家の人生や事業に基づくポッドキャスト、パーソナリティーのスタートポッツ稲荷田です。
同じくパーソナリティーのスタートアップ大好き、元キャピタリスト中山です。
本日は、株式会社Mined代表取締役前田智大さんにお越しいただきました。
Minedさんは、ジャンプ見にくくプログラミング、チャンプロを提供されているスタートアップでして、
2025年4月6,000万円の資金調達を実施、税系調達金額が2.1億円となることを発表されました。
前田さん、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今回前田さんをお招きさせていただいたのは、リード投資家でもあられました、
ジェネシアアベンチャーズさんのPRパートナーのリーさんから、
今一押しの企業家ですというところでご推薦をいただきまして、ご視聴いただく運びになりました。
リーさんも前田さんもありがとうございます。
ありがとうございます。こちらこそ。
それでは前田さんのいたちや創業までのプロセスを、
後編では前田さんの事業や今後の展望もお伺いいたしますので、ぜひ併せてお聞きください。
この番組はユニーリサーチの提供でお送りします。
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では前田さん、まずは前田さんの人生やご経歴などを中心とした自己紹介を1、2分程度お願いできますでしょうか。
はい、では私のバックグラウンドで主な経歴の部分でいきますと、
成田中、成田高でいて、大学はMITの電子工学部とMITメディアラブの修士というゴリゴリエリートをやってきて、
社会人経験なしで修士終わってから日本で帰ってきて、今のマインドを創業したという形になっております。
細かいところはご質問していただければと思うんですけれども、
もともとずっと研究者をやろうと思って、高校生だからずっと研究してたんですけれども、
大学時代、修士時代と大学院時代と入った研究室の教授がスタートアップばっかりやっててですね、
そっちの方が面白いのかなみたいなところがあったりとか、
あとは大学時代結構軍事系の研究応用の研究していて、
わりと10年後に実際に使えるかどうかみたいな可能性を探るみたいな、
それぐらいの時間間の研究してたので、
スタートアップとしてはいきなり転用できる技術っていうのがなかったりして、
フラットに考えたときに、自分が興味のある領域っていうところと、
あとは自分がやらないと変化が起こりそうにないなみたいな、
そういう領域っていうところを見て、いろんな体験もしてきたので、
教育の領域でスタートアップをしているというふうにざっくりとやってきております。
ありがとうございます。今の自己紹介だけ聞くと、
僕はちょっと身振りしてしまうぐらい怖いなっていうぐらいの感覚で、
エリート街道すぎるなっていうのが正直なところではあったんですけども、
前田さんもあえてそういった言葉をさっき使っていただいたなと思っていて、
意外と多分世間一般の方々がエリート街道の方を想像するときとはまたちょっと違うというか、
ユニークなご経歴とか意思決定たくさんされてきている方なんじゃないかなと、
お説明をしておりまして。
結構経歴だけ言うと噛まれること多いんですけど、
常にいい意味でも馴染んでたし、馴染んでなかったみたいなところもあって、
もともと家庭的にも割と父親が高卒で、母親も短大っていうところで、
そんなに教育意識が高いというか、リテラシーは高くなく、
ただ両親はいいふうに育ってほしいなというか、
4年生の大学には行ってほしいなっていう思いで、
結構苦問式とか小っちゃい時から通ってたとかっていうのがあったので、
内部に学ぶことがいいっていうような家庭だけれども、
あんまり知識は両親ともなかったので、
そんなにこうめちゃくちゃ厳しいとかエリート教育とかっていうのはない中で、
運よく色いい先生に出会えたりしていけるのかなと思いながら、
中高も大学も通ってたみたいなところがあるので、
パッて生きてキラキラしてるっていうよりは、
こんなんできたんや、あんたみたいな感じで育ってきたっていうので、
今ちょうど子供が生まれて母親帰りに来てるんですけど、
ちょうど話してた時に、
小5の時にゴールデンウィーク塾休んで家族で旅行行ってて、
後から考えると中学受験で小5で旅行行くんで休みますって、
あんまりないパターンやなっていうのは言ってて、
やる気はみんなあったけどやり方わかんないながらいろいろやってきたみたいなところが、
教育の過程としてのバックグラウンドとしてありました。
今おっしゃっていただいたところ、
4年生の大学に行ってほしいとか勉強やってほしいとか、
訪問式に通わせてもらえたっていう話は、
多分これここぐらいの話までだったら、
割と多くの家庭でもある話かなと思っていて、
そこから成田中高、そしてMITに行くっていうのはだいぶ飛躍があるなって気がしていて、
思い返してみるとどうしてそこまで行けたのかみたいな話っていうのは、
他のポイントとかがあったら教えていただいてもいいですか?
そうですね、ざっくりと言うと、
一番大きな要素は本当に運で、
適切なタイミングで適切な先生に出会って、
適切な目標を設定されてたんだなっていうところはあったので、
中学受験も始めたのは小4の夏ですし、
そもそも両親が中学受験のこと知らずに、
小4の夏に苦悶の先生から受験するんですかって聞かれて、
あ、そんなあるんですねみたいなのが始まったと。
とりあえず私も両親も何かわかんないよみたいな、
とりあえず言っとけみたいな形で行ったので、
あんまり熱は高くなかったっていう中で、
ただ結構ゲーム感覚で成績伸ばしていくのが好きな性格だったっていうところと、
もともと性格がちょっと頑固なので、
わかんないところがあったら、
わかんないまま置いておくのが悔しくてやるっていうのはあって、
ちょっとわかんないから置いとこうとか、
置いてやろうとかっていうのがあんまなかったんで、
結構他の子たちと比べて、
目の前の子とちゃんと消化するっていうのはあったかなっていうので、
エピソードとして覚えているのは、
私も弟もやっぱそこが悔しがりなので、
苦悶式通ってた時に迎えに行くとだいたい2人泣いてるんですよ。
他に苦悶式泣いてる子なんかいないんで、
で、2人ともわかんないから泣いてるとか、
なんか2桁かけ2桁の掛け算で、
わかってるはずなのに問題がどんだけあっても合わないみたいな、泣いてるみたいなのがあって、
両親もそこまで泣いてるんだったら、
ちょっとやめたほうがいいんじゃないって言ったけど、
2人ともやめてって言ったみたいなのがあるんで、
運良く先生に出会えたっていうところと、
性格的にはごまかさずに納得できるところまで、
考えないとちょっと気持ち悪いなみたいな、
そういう性格だったところが、
うまく組み合わさって、
ごまかさずにずっとやってきたっていうのはあると思います。
中山さんのお子さんは結構中学受験とかも考えてるんですか?
私がですね、中学受験したんですよね。
で、自分の体験から、
ちょっとなんかそういう詰め込み型じゃないですけど、
っていう教育はどうなのかなみたいなのもあって、
自分は結構自分の過去やってきた教育方法のアンチテーゼみたいなので、
娘に教育を考えているタイプでして、
どっちかっていうと前田さんが書いてくださっていた、
理想とする教育みたいなのに、
私はどっちかっていうとかなり近いので、
今日はすごい楽しみにはいっています。
前田さんのところどうですか?
僕、我が家はまだ小学生にも入ってないのでですけれども、
ただ僕自身も中学受験したことなかったりするので、
そもそもわからないなっていうのはありつつ、
今ちょっと習い事とかさせてみたけど、
興味持たなかったらすぐ辞めさせたりとかは、
結構そういうのは繰り返したいなって思ってるところなんで、
前田さんの話めちゃめちゃ楽しみだなって思って。
ただ先ほどおっしゃっていただいたのが、
適切なタイミングで先生に会ったりだとか、
目標設定があったって話もいただきましたけれども、
これ多分お一人っていうよりかは、
繰り返しいろんな節目でそういった方々に
出会われたのかなって思ってて、
ちょっとこのポイントで話も聞いていきたいなって思ったんですけど、
例えばどんな先生に出会われて、
どんな風な影響を受けたとか、
そんな話っていうのも少しいただいてもいいですか?
そうですね。振り返って他にこういう道もあって、
こういう道行ってたら挫折してたなみたいなのもありまして、
例えば塾時代とかだったら入った塾が、
塾のグループ全体でも一番ゆるいぐらいの校舎だったんですよね。
それもあって通うのが楽しかったっていうのがあって、
隣のもう一個近い校舎とかだったらスパルタ過ぎて、
挫折してたなみたいなのもありますし、
当時担当だった先生から話聞いたところとしては、
例えば私が名田を受けるのがかなり難しいだろうって
さっきおっしゃってたのは、生物の先生がすごく雑談もたくさんされていて、
それが面白かったって話があって、
一方で書籍で論理だったものを読んでいくっていうのは、
そこは結構お答え内容が多いんじゃないかなっていう、
場合によっては難しいだけで興味持てないんじゃないかなとか思ったりはするんですけど、
そこでグッと興味持てたっていうのはどうしてなんでしょう?
半分中二病みたいなんで、これかっこいいみたいなので、
半分理解しているかしてないかわからない状態でカッコつけて読んでたっていうのは正直なところ。
ありながらも読むうちにやっぱ内容わからなくてもいろんな本読んでいくと、
これってあの子って言ってたんだなみたいなのが後からわかるっていうのもあったので、
とりあえずカッコつけながら雑食でどんどん読んでいって、
後から知識がついてきたみたいな、そういった学び方をしてましたね。
今、高校までお伺いしまして、大学でいけば、
これはですね、MITマサチューセッツ工科大学の工学部電子工学科に進学をされ、
ただあれですね、そもそも東大も同時に受かった上でMITに進学されたと。
はい。
これはなかなかすごいアレンジだなと思ったりするんですけど、
目指されたきっかけとか、実際にどんな勉強の末で合格できたのかみたいなところ、
全く僕わからないんですけど、このあたり少し教えてもらえますか。
そうですね、もともと海外行く気なかったんですけれども、
主な要因が2つありまして、1つは東大が、確かあの、東進ですかね、塾が、
同日模試って言って、同じその東大の試験日に、
高2がこう同じ問題で受けるみたいな試験があって、
それが、友達受けてたんで一緒に行くかって言って一緒に行って受けてみると、
李さんは行きたくなくて離任志望だったので、普通に語学伝そのとき取れて、
じゃああと1年やることないなみたいなね、暇だなみたいななってたときに、
高校の先輩、1校への先輩でハーバード行った方がいらっしゃって、
全然話したことなかった、1回しか話したことないんですけど、
その人が確か僕を訪問みたいなテレビ取材で来てて、
それで取材で、私は元々そこに行く予定なかったんですけど、
行く予定だった友達が行けなくて、行けないってなって横に私がいたんで、
代わりに行ってこいよーみたいなんで、
じゃあ俺全然あの人のこと知らんけど行くかーみたいなんで、
行ってみるとその先輩がこう、えたらら、半々で行けるよーみたいなこと言ってて、
当時アホだったんでそれまで言って、
じゃあ行きますって言って、その日に受けること決めたみたいな、
そういうのなんで、もう完全に退位した理由は、
暇だったのとノリだったのと。
楽しそうだったんで、ずっと海外行きたいなと思ってたんで、
大学院で行こうかなって思ってたんですけど、
学部からも行けるんだったら、落ちたら最悪東大出しなんていうので、
こう目指したところがありました。
FTネットのレベルがえぐいですね。
そうですね、これ言うと嫌われるかもしれない。
素晴らしいことに、それでも実際にMITに受けられ、
受かっていったところだと思うんですけど、
これ実際に進学されてからはどうだった?
これは周りの環境もそうですし、何されてたからとかでもいいですし、
印象深いエピソードとかあったらいくつか教えてもらえますか?
そうですね、これが私の教育領域目指した、やろうと思った現体験の部分でもあるんですけど、
驚いたことは、
もちろん上には上がMITに集まってくるんで、
すごく人はいっぱいいましたけれども、
全体を取ると思ったより学力低いなみたいな、
微分できずに入ってくる子たちも結構いるんですよね。
アメリカは高校を微分しない、微分積分しないんで。
なんで、言われてるほどみんな賢くないぞっていうところが一つですね。
特になんだかんだで日本のゴリゴリの受験勉強をやった身からすると、
全然学力みんなないなっていうところとか。
アメリカ人ってすごい発言するんですけど、
なんも考えてないぞ、こいつらみたいな。
そういうのが結構多くて、逆にびっくりしたみたいなところはある。
一方で、でも日本と違って好きなものはめっちゃ好きっていうので、
突き詰める子が特にMITは多かったんで、
やっぱ大学でちゃんとカリキュラムがあるところで学んでいくと、
すごいみんな賢くなっているなっていうのはあったので、
そういう思ったよりも受験で真面目にいっぱい教科やりまくることって意味あるのかなであったりとか、
逆に器用に点数いっぱいいってるよりも好きなものをちゃんと追いかけてるほうが、
結局ふくりがきく学習になって、4年たったらすごい力つくよなみたいなのがあるんで。
日本とかだったらApple、Googleで働いてるってすごいと思うんですけど、
1年生の学力で見たときに、この人でもいけるんだみたいな、そういった感じなんで、
そこは一つ真面目に勉強しているっていうところと、
真面目に興味を追い求めるっていうのは全然違う質の学びがあるんだなっていうところは感じましたね。
私自身はでも普通に楽しかったです。
学問もしっかりやられつつも、ブレイクダンスをされたりとか。
そうですね、ブレイクダンスやって、研究が一番主にやってたので、授業もサボりまくってですね。
一回サボりすぎて単位取れないってなって、そのクラスをキャンセルして次の学期に取り直すみたいなのがあったんですけど、
基本でも結構授業は1年生のとき、2年生のときは真面目に取っていって、
3年生ぐらいからも研究のほうが面白いし、授業は最悪、
教科書を見ればわかるので、授業はサボりながらその時間を研究に充てるみたいな生活を稽古してましたね。
ありがとうございます。時間的に最後の質問になってしまいそうなんですけれども、
実際に今の教育の領域で起業された理由の原体験になるようなところを聞きたいなと思ってまして、
それこそ大学院の時代では工学とでコンピューターサイエンスで国際学会で最優秀賞を取ったりだとか、
そのマサヨシさんの教育財団に参画されたりだとかっていうところで、
多分教育って分野じゃなくてもいくらでも授業をやれそうな分野とか才能をお持ちだったんじゃないかなと思っていて、
それでもやっぱりこの領域に欠けた理由とかその辺りっていうのを改めて教えていただけますか?
そうですね。やっぱり一つは、私自身、さっきも話したんですけれども、
やっぱり日本で器用にいろいろこなす教育と、アメリカでちゃんと一点突破で夢中になる教育みたいなのをやった時に、
やっぱり校舎の方が結果出るんだな、結果というか社会に対する価値創造につながるんだなっていうのはすごい思って、
私自身も個人的にはNADAの中ではそんなに頭いい方ではなく、
ただただその生物をみんなよりも10倍勉強して気合で押し切ったみたいなところがあったりとか、
海外に出たのもある程度不器用で、器用に国内の受験でまとまるっていうのができなかったので、海外も行くっていう決断したっていうのはあったので、
そういう普通にNADAの平均と比べた私はあんまり頭が良くないなっていうのはずっと思っていて、
自分よりもいいポテンシャルある人たちがちゃんと海外で学んだりしたらもっとすごくなるんだろうなっていうのは感じたのがあったので、
そこをちゃんと日本の教育っていうところを変えていかないと国として良くならないなっていう真っ黒な視点の部分があったっていうところと、
もう一つはやっぱりミクロな部分で楽しそうに学ぶって幸せにつながるよなっていうところは思ったので、
国とかそういう話じゃなくて、個人レベルでも器用に何か言われたことやってずっと何かの準備し続けるみたいなそういうのじゃなくて、
ちゃんと一つ自分の生きがいみたいな興味があって、それが自分も得意で、それが社会の役に立ってみたいなところがちゃんと見つかるようなものって作んないと、
結局社会がよく豊かになって、ずっと準備とか自分のやりたいことじゃないことをやるみたいになると思うので、
そういうところを変えていきたいなっていうのは強い思いとしてはあって、この領域を選んでます。