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2025-01-28 21:58

#62-前編 震災をきっかけに日本に帰化。2.7億円調達「通訳アプリ」に懸ける想い/株式会社Oyraa 代表取締役社⻑ コチュ・オヤさん

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ゲスト:株式会社Oyraa 代表取締役社長 コチュ・オヤさん

Oyraaさんは、言葉の壁を解消する通訳アプリOyraaを提供されているスタートアップ🌏 2024年6月、プレシリーズAラウンドにて総額2.7億円の資金調達を発表されました。


▼トピック_前編

・「なぜ?」を追求する好奇心旺盛な少女時代

・中学1年生の時、National Geographic誌のシリコンバレー特集をきっかけに半導体の世界に魅了される

・トルコの大学で電子通信工学を専攻、サマーインターンで初来日し滋賀県のオムロンで半導体を学ぶ

・日本人の思いやりと温かさに感銘を受け、「日本人が好き」から「日本が好き」へと発展

・東京大学大学院に進学し、バイオナノエレクトロニクスの研究に従事

・東日本大震災時、多くの留学生が帰国する中で日本に残る決意をし、後に帰化を決意

・BCGへコンサルタントとして就職

・在日外国人の言語の壁による困難に直面し、通訳サービスの課題を発見

・既存の通訳サービスの高額な料金体系と即時性の欠如に課題を感じ、創業を決意

・スイスでの起業を経て、日本で再びOyraaを立ち上げコミット


▼ご出演者様/企業様の各種リンク

-HP

https://www.oyraa.com/pages/home/ja

-資金調達プレスリリース

https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000007.000120080.html

-コチュさんX

https://x.com/oya_koc

-OyraaさんX

https://x.com/oyraa_JP


▼スポンサー

デザインでビジネスを前進させるなら「オプサー」

-サービスサイト

https://opusr.jp/business

-株式会社ヒューリズム(オプサー提供元)

https://heurithm.co.jp/

-代表取締役CEO多湖 大師さん

https://x.com/taishiiii

-取締役COO 諸石 真吾さん

https://x.com/moroish1


▼パーソナリティ

-中山悠里(独立系VCアニマルスピリッツDirector)

https://x.com/yurinakay

-稲荷田和也 (JobTales株式会社 代表取締役 / StartPodsプロデューサー)

https://x.com/oinariiisan


▼企画制作

『StartPods』スタートアップ専門ポッドキャスト企画制作(運営:JobTales株式会社)

https://jobtales.co.jp/StartPods


▼パーソナリティからご案内📣

資金調達の発表を控えているスタートアップ企業は、ぜひ出演のご相談をください。1~2ヶ月前を目処にご連絡いただくことで、発表に合わせた配信も可能です。


また、#StartupNow をつけて感想をいただけたり、Spotify、Apple Podcastなどから★5評価をしていただけましたら幸いです。


▼問い合わせフォーム(Startup Nowへのお便り)

https://forms.gle/vJbT4RMSea5HK6Ec7

サマリー

株式会社Oyraaの代表取締役であるコチュ・オヤさんは、日本でのインターンシップを通じて日本文化や人々の親切さに感銘を受け、スタートアップを創業した背景を語ります。また、彼の半導体への興味や、その成長の過程にも触れています。さらに、コチュ・オヤさんは日本への帰化のきっかけや、震災を通じて感じた思いについてもお話しします。加えて、彼が立ち上げた通訳アプリの背景やその開発の動機についても詳しく紹介されています。

コチュ・オヤの紹介
Startup Now🦄資金調達を実施されたばかりの企業家の人生や事業を紐解くポッドキャスト、パーソナリティーのスタートポッツ稲荷田です。
同じくパーソナリティーのスタートアップ大好きキャピタリスト中山です。
本日は株式会社Oyraa代表取締役のコチュ・オヤさんにお越しいただきました。
Oyraaさんは、言葉の壁を解消する通訳アプリOyraaを提供されているスタートアップでして、
2024年6月プレシリーズAラウンドにて総額2.7億円の資金調達を発表されました。
コチュさん、よろしくお願いいたします。
よろしくお願いいたします。
今回コチュさんをお呼びしたのは私でして、私とコチュさんはですね、BCGポストコンサルティンググループ時代の同僚というところで、
結構長い付き合いなんですけれども、スタートアップ界隈のBCGアラム内としても、そして本当に大事な大事な友人としても仲良くさせてもらっているところでして、
スタートアップの関連のイベントなんかがあると、私すぐコチュさん、一緒に行こうよって言ってお誘いして、一緒に出かけたりしているというような、そんなところで、
今日は本当にそんな大事な友人をスタートアップNOWにお招きできて、本当に嬉しいなっていうふうに思っております。
本当に私も同じく、ゆりさんから声がかかってきた時に非常に嬉しかったんですし、ゆりさんが聞くんだったらもちろん何でもやりますよっていう、
たぶん言葉も送ったと思うんですので、非常に嬉しかったです。
ありがとうございます。
すごい温かさが伝わってきて嬉しい気持ちと、僕も一回でいいからBCGアラム内とか行ってみたかったなと、憧れの気持ちが割れてきました。
サンサンアラム内があるじゃないですか。
いやー確かにサンサンもすごくいい会社ではありました。
ただ自分はこのサルには入れないタイプだったなというふうに思うので、すごいなという気持ちです。
というところで前編ではこっちさんおいたちであったりだとか、創業までのプロセスを。
そして後編ではオイラーさんの事業や展望なんかもお伺いしますので、ぜひ合わせてお聞きください。
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半導体への興味
それではこっちさん、まずはこっちさんの人生だったりご経歴を中心にした自己紹介を1、2分程度お願いできますでしょうか。
はい、私はトルコ出身で、よくハーフですかっていう質問をよく受けるんですけど、もう純トルコ人で。
子供の頃からずっと、実は外学院を卒業するまでには本当にもうロリ系の人で、スッチとか好きな子供だったんですし、そういったロリ系の道を歩んできて、
子供の頃から半導体が好きだったので、また理由を後で捨てたらと思うんですけど、半導体に非常に興味があったので、大学も実は電子通信工学を選びましたし、
その後も半導体領域で経験を積んで、その分野で働きたかったので、トルコは半導体領域はあんまり発達している国ではないので、
どこかで研修したり勉強したりとかするっていうことがずっと自分の中にあって、そこでやっと大学2年生の時に日本に初めて来たきっかけは、サマーインターンシップ、オムロンっていう会社で、
オムロンで、しかも東京とかじゃなくて滋賀県の神賀市のみな口っていうところに半導体の工場があったので、そこに来てサマーインターンシップ2ヶ月だけだったんですけど、したのはやっぱり自分の人生を大きく変えた1つのターニングポイント、1つの大事な経験だったんですし、
そこからもっともっと半導体領域で勉強したいなっていうふうに思ったので、オムロンで2回、2年連続でサマーインターンシップをやった後に東京大学院の方に入学して、そこでアルツァイマー病の検出センサー、ハードウェアのところの研究を、要はバイオナノエレクトロニクスっていうところですね、半導体と組み合わせてやってきたっていうことですね。
そこから、はい、ボストンコンサルティンググループに入社して、そこはみんなびっくりしてたところなんですけど、え、なんか半導体の杉にBCG入るの?みたいな。私の先生もかなりがっかり感が少しあったんですけど。
はい、BCGに入社して、そこでも貴重な経験を3年間ぐらいして、本当にもうビジネスのBもわからない、本当にもう理系、工学だけ勉強してきた人間だったので、多分BCGの中でもいろんな方に迷惑を最初はかけたと思うんですけれども、BCGで3年働いたって感じですね、その後はもう創業してます。
聞きたいことが山盛りなんですけれども、先ほどねおっしゃってた半導体どうしてっていうのを聞きたいんですけど、ちなみに半導体に興味を持ち出したっていうのはご記憶の限りだと何歳ぐらいの話ですか?
実はすごくクリアーに覚えてるのが、中学校1年生ぐらいだったかな。私のパパがナショナルジェアグラフィック、この雑誌の方ですね、がすごく好きで、それをずっとサブスクリプションで買ってたんですね。
私当時、もう全くアニマルも動物も植物も関係なく、全然別に興味なかったので、ナショナルジェアグラフィックとか全然読んでなかったんですけど、あるときシリコンバレー特集みたいな、シリコンバレーっていうのがもう表面に書いてあったもので特集が出て30ページぐらいあったんですけど、シリコンバレーって何なの?みたいな。
そもそもシリコンって何か、バレーってシリコンバレーって何かってわかんなかったので、これ植物とちょっと関係なさそうなものだからと思って、ちょっと開いてみたら、まさかその有名なシリコンバレーの歴史から説明されていて、なんでシリコンバレーっていう名前になってるのかとか、そもそもそこにたくさん半導体の工場があった時期があったからシリコンバレーっていう名前になって、その後はもちろんIT企業っていう展開なんですけど、
そういったところからわかったのが衝撃的だったんです。私の中ではずっと子供の頃から思ってたのが、冷蔵庫って何で動いているのかとか、どうして洗濯機ってボタンを押すことで、機体通り回って止まって洗剤が入って水が暖かくなってみたいな。
どうやってこれができているのかっていうのが、実は子供の頃からすごい謎だな、でもマジカルだなと思って、ママにもパパにもたくさん質問してたっていうのが、なんか文句言われてるんですよ、いろんなことを聞かれて。でも彼らも金融の世界、金融の人たちだから半導体しかないし、的な返事が来ないみたいな、インターネットもないしみたいな時代なので。
そこでそのナショナルジオグラフィックで、こういう電子物っていうんですかね、エレクトロニックが半導体技術のおかげで動いているっていうことがわかって、そこはすごく自分の中で半導体に興味を持ち始めた頃だったんですね。
何かはもちろんわからないけど、でも半導体技術すごい。で、私もう最先端の技術を作りたいっていうのがファスネーションがあって、そう思ってきたので、本当に半導体のことを何かすら知らずに半導体を電子通信工学も選びましたし、その領域にジャンプしたのが好奇心ですね、どっちかっていうと。
それはきっかけです。
ありがとうございます。冷蔵庫洗濯機どうしてあるんだろうとかって言われてみればそうなんですけど、いや僕は幼い時それ思えなかったなって思っていて。
徳内さんは今その好奇心って言葉で最後まとめていただきましたけど、どこからその好奇心が育まれていったのかってところはすごく気になるんですけど、ご記憶とかありますか幼少期。
何でしょうね、まああるゆることを聞いてたっていうのが母親から聞くんですけど、例えば、私イスタンブール育ちなんですけど、イスタンブールだとアジア側とヨーロッパ側が実はあって、同じ街に。
で、船で移動する、10分ぐらいフェリーとかに乗ったらヨーロッパ側からアジア側、アジア側からヨーロッパ側に移動できるんですけど、例えばあの船に乗ったらフェリーが動くと水の上に白いバブルみたいなの出てくるんじゃないですか。
で、例えばそれも、いやママママなんであの水になんか白いバブルが出てくるんですかみたいな、なんか説明できないことばっかり聞いてたっていうのはよく聞くんですね。その時、イメージネーションで魚が洗濯してるからみたいな。
かわいい。
子供への返信。そういった好奇心は生まれつきであったかもしれないですね。これなぜ、これなぜ、これなぜ。
わからないことはどうやっていつもその疑問を解消していたんですか。
どうでしょう。その時インターネットとかもないので、多分もう両親が、ママとパパが言ってることを信じただけじゃないですかね。魚が洗濯してるとか。あらゆること。どうでしょう。ゆりさんはなんかそんな言葉とかいただくことってあるんですか。
どうですかね。私の場合は結構父が物知りだったっていうこともあって、わからないことはいつも父に聞いていたなっていう記憶です。もしかしたらこっそり調べていたかもしれないです。
私の父大学の先生だったので、もしかしたら周りの人に聞いてなのか。何を聞いても父はいつも答えてくれるなっていうふうに私は思ってました。
本当に大学の先生とかですと知識も豊富ですし、あと多分そういったロジカルに子供にわかりやすく説明するっていう能力も当然高かったと思うので、ゆりさんラッキーだったんですね。
いやいや、とんでもないとんでもない。
日本でのインターンシップの体験
ちょっと好奇心の源泉のその片鱗をお伺いすることができまして、日本に来られてタマインターンで2ヶ月間来られていましたと、ある記事ではなんかもう日本に恋をしたみたいなぐらいの表現で書かれていらっしゃって、感動的な体験たくさんされたみたいな話もあって、そこももう少しだけいただいてもいいですか。
ありがとうございます。本当に日本に来たきっかけは外国人だとだいたい漫画に興味があったりアニメに興味があったり日本文化に興味があって日本に来られる方が多いんですけど、私の場合本当に半導体のタマインターンシップだけが興味があって日本に来たっていうことで、しかも先ほど申し上げたように滋賀県の美奈口っていう本当にそこ出身方々がなんか怒ってほしくないんですけれども、
田舎ですね。最初来た時にイスタンブール、あんから生まれイスタンブール育ちなので、シティガールっていうのはシティから来た人間としてはびっくりはしたんですけど、ただそこからの体験が本当に感動だらけで、まずびっくりしたのは日本人自体なんですね。
日本人すごく思いやりがある方が多いんですし、コミュニケーション、もちろん関西だったから、関西でちょっと小さい町だったからだと思うんですけど、全然スーパーに行っても隣におばあちゃんが来て、なんか私が探してることを見て、そこで日本語で説明し始めるとか、
何か人間、親切かつ思いやりがあって、本当にエンジェルなような方々が多い体験をしたんですね。オムロンの方々もすごくて、実はすごいみんな親切で、半導体のもう半すらわからない私に丁寧に半導体のことを1から100まで教えたり、
しかもそれを日本語じゃなくて英語で頑張って、英語でテキストをみんな用意して、自動翻訳のね、その時たぶんYahooとかの翻訳機能を使ってやってて、あと電子辞書を覚えてます、また。私も持ってました、電子辞書。
ありましたね。そういうのを使って、英語で頑張って説明していただいたの。しかも2ヶ月ですよ、1日2日ではなくて。そこで本当にでもテキカルなことだけではなくて、インターンシップが終わった後に一緒にご飯に連れて行ったり、週末も京都に連れて行ったり、大阪に連れて行ってもらったり、
日本の文化、忍者ハウスだって私は初めて、オムロンでの同僚たちと一緒に行って体験したことだったんですね。なので、そういった温かいピュアで寄り添ってくださる、そういったこと、皆さんもちろん感謝してるんですし、そこで私がびっくりしたのが、そもそもこういう人間が世の中にいるんだっていう衝撃的な体験だったんですね。
そこで日本人が好きになって、そこからもう日本が好きになるようになって、日本の文化に興味があって、日本に興味が生まれてきてっていう、こういった流れですね。最初は好きになったのは、日本の前には日本人なんです。
カルチャーじゃなくて人だったんですね。嬉しいですね。
東京に来たらだいぶ違うなって思いました。
確かにそれもあるかもしれないですね。だいぶいい時間になってきてしまいまして、聞きたいことを頑張って厳選して聞くんですけど、東大の大学院に行かれた、1年後ぐらいだと思うんですけど、そこで東日本大震災があったと。
そこでやっぱり留学生の方々って結構変えられる方も多かった。中でコンチャさんはなぜかそこで日本への帰還を決めるっていうようなエピソードも拝見しまして、これはどうしたものかってすごく驚いたんですけども、もう少しこの後に教えていただけますか。
ありがとうございます。ちょっとショートで話しますと、その時まで外国人、私も大学院生の時だったんですけど、ともど違う外国人の方々が多かったっていうことで、
もちろんもうみんな日本大好き大好きって言って、すごいハッピーに暮らしていた時に震災が起こって、1週間も経ってなかったんですけど、もうほとんどみんないなくなって、みんな自分の国に帰ったっていうのがあるんです。
もちろんそれはみんなの自由ですし、それに関して何かないんですけど、ただ思ったのが、まず日本人がこんな状況を逃げるところがない。みんなニュースで東北の様子とかを見たり、そこで苦しんでいる方々を見て、こんないい人たちってなんでこんな苦しまないといけないんだと思って、逆に私が逃げれる場所があるんですけど、
全く逃げたくないと思って、そもそも私トルコ帰ってないんですし、そこでなんて言うんですかね、私は本格的にこの国の人になりたいと感じたので、感じていたことを意識したことだったので、
なので、キカを、遺伝子を変えることは今更できないんですけど、日本人に遺伝子的になれないんですけど、国籍だったり、自分の今後の人生だったり、そういったことを変えて、one of the Japanese peopleになりたかったっていう。
めっちゃ嬉しいですね。
できすぎてほっこりして終わっちゃいそうなんですけど。
逆に私を受け入れてくれた日本に私は感謝した。
いやいやいや、受け入れますよね。
来てほしいですよ。こんな素晴らしい人材で、そして人も良くてみたいな。ありがとうございます。
起業の経緯
なんか今のエピソードからだけでも、その優しさとかそういう愛情深さっていうのは当然ですけど、やっぱり起業家としての強さみたいなね、逃げない姿勢みたいなものも感じますよね。
そのあたりもすごく気になっていたのは、実は日本で起業される前、一回他の方と創業を一緒にされるタイミングで、これはその方が日本で起業されることに抵抗とかも少しあって、スイスで起業されたみたいなエピソードもあって、
ただそこでのビジネス自体はすぐには立ち上がらずに撤退して、ただ諦めずにこっちさんは日本で戻ってこられてまた起業されたみたいなエピソードもあられて。
これ同じ事業でやろうとしたんですかね。そうですよね。だからそれでもう一回立ち上げられたのすごいなって思うんですけど、このあたりはどんな思いだったんでしょうか。
そもそも私がかなりフリコミットで、何があってもこの事業を立ち上げるし、成功させるっていう気持ちでBCGを退職してますし、そんなことだったんですけど、創業者のもう一人目が東京からすべてがもう日本語だからできないしということで、
じゃあスイスだったら国際的な国なのでそこでやりましょうっていう提案された時には、私はかなり柔軟性がある志向なので、
じゃあそこでやりましょうって言って行ったんですけど、やっぱり本人のコミット力が私より強くなくて、途中でいくつか問題があった時に諦めることが多かったので、
ちょっと私が就職してっていう話をされたら、じゃあわかったって言って、お互いアグリーをして、私日本に戻ってきて、同じ事業をゼロから日本で立ち上げたっていうことですね。
なぜなら同じことをやりたかったんですし、コミットが強かった。
ありがとうございます。一応他のメディアでもたくさん言われていると思うんですが、創業の経緯のところだけぜひいただければと思っておりまして、
これはBCG時代に結構外国の方で日本に住まわれている方々が困られているところに立ち会ってというところからのエピソードだと思うんですけど、そのあたりもう一段深くいただいてもいいですか。
ありがとうございます。本当おっしゃる通りBCGにいた時に、日本に滞在して大体10年ぐらい経って、私も日本語能力試験1級を取った後にBCGに入社しているので、ある程度このぐらいのレベルの日本語ができていた時期だったんですね。
その時に日本に住んでいて、日本語が話せない友達から毎日連絡が来たり、日常生活で困ったり、病院とか不動産とか薬所だったりいろんなところで、
おやちょっとここ10分だけ話してくれませんかみたいなことで電話をたくさん受けた頃に、最初は良かったんですけどその後電話の数が増えたり、電話する友達の数も増えてたりとかしたので、ちょっとプロの通訳者が使えるサービスを紹介してあげようと思っていたんですね。
その時にいろいろ調べてわかったことが、もちろん通訳業界が新しくもないし通訳会社がたくさんありますし通訳者もたくさんいるけど、サービスを使うとすると2つのことが困難であって、1つ目がまず1時間とか10分とか5分とかでサービスを使うことができなかった。半日の予約は必要ということがもうほとんどの通訳会社から言われることだったんですね。
そうなると、半日の料金を払って使うとすると、いきなり5万円、6万円以上に上がってくるということがわかったんですね。
そうなると、やっぱり個人は使えるかもしれないけど、個人が困った時に少しだけでもいいから使えるものになっていない高額なサービスということと、あともう1つ、やっぱりこういった問い合わせとか見積書を発行してもらったり発注したりする手間が必要ですし、即時に使えるということはできなかったんですね。
予約してもう最短で明日からっていうことだったので、即時性もない非常に高いサービスっていうことがわかったのがきっかけで、じゃあこれは逆に個人が使いやすいものにしようとすると、まず電話で私に電話する感覚で私ではなくてプロ通訳者に電話をかける体験をさせたいっていうのが1つ目。
2つ目がもう1分単位でお願いできる。電話の時間が10分だったら10分しか払わなくてOKっていうあのことと、あと即時に手配とか不要で、今すぐ困っているのであれば今すぐ通訳書を呼び出せるものが体験として必要だっていうことをわかったので、おいらを設計して企画して起業しました。
なめらかな紹介すぎて。多分何百回も説明したんでしょうね。
そうですね。ありがとうございます。一旦ここまでというところでさせていただきまして、後編ではそんなこっちさんが展開されていらっしゃる事業深掘りしながら今後の展望なんかも掲げてまいりたいというふうに思っております。こっちさん、中山さん、そしてお聞きいただいているあなたもありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
21:58

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