本日は、株式会社Sally代表取締役 平石英太郎さんにお越しいただきました。
Sallyさんは、累計プレイ数100万回突破、体験型エンターテインメントマーダーミステリーアプリWoozを提供されているスタートアップでして、
2024年7月、プレシリーズAラウンドにて資金調達を実施されました。
累計調達額は、2.4億円となります。
平石さん、よろしくお願いいたします。
よろしくお願いいたします。
今回、平石さんをお招きさせていただいたのは、私成田になりまして、
とあるベンチャーキャピタルさんのイベントの運営を今手伝っておるんですけれども、
そこにもかれこれ1年ぐらいやっておりまして、そこでSNSを動かすところとかもやってるんですけれども、
平石さんがご登壇された回ですね、
過去一なんじゃないかってぐらいSNSが盛り上がりまして、
平石さんが登壇されるっていうのもたくさんとかもしていただいて、
しかもすごいいろんな方が拡散されていて、どういった方々がされてるんだろうって見てたら、
いかにもユーザーさんの皆さんが応援リポストみたいなことをされてらっしゃって、
このムーブメントは見たことがないなっていうのは、僕は感動体験をしまして、
こんだけ巻き込み力があって好かれてらっしゃる平石さん、
お話聞いてみたら絶対に面白いんじゃないかなって思って、
お招きさせていただいたという次第になっております。
ありがとうございます。
中場、私の方からも出たいです感をちょっと出してしまったところがあったんですけれども、
本当に出たかったので嬉しいです。ありがとうございます。
めちゃめちゃ嬉しいです。
前編では平石さんのおいたちや創業までのプロセスを、
後編ではサリーさんの経営や事業についても迫ってまいりますので、
ぜひ合わせてお聞きください。
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諸石さんとはスタートアップナウのイベントで出会いました。
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それでは平井さん、まずはご経歴などを含めた自己紹介を
1、2分程度お願いできますでしょうか。
はい、株式会社サリーの平井聖太郎と申します。
私たちは日本中を体験型へのため、
まだミスの渦に巻き込むことを目標に活動しているスタートアップです。
まだミスということについて皆さんご存知でしょうか。
まだミスは一言で言うと、自分が参加者になれるミステリーです。
ミステリーといえば、例えば何か事件が起きて、
探偵が華麗に解決するという様子を楽しむことができるエンターテイメントですが、
そこのミステリーに自分が登場人物として参加できる。
それがまだミスの面白さです。
だいたい5人くらいで遊ぶんですが、
それぞれのプレイヤーには設定が配られまして、
例えばあなたは犯人です。村長を殺してしまいました。
明日の朝まで逃げ切ることがあなたのミッションですとか、
いろいろ秘密だったりあなたが達成しなきゃいけないミッションを配られるんですが、
それを達成するためにみんなで頑張っていくというのを楽しむエンターテイメントです。
めちゃくちゃ面白いのでぜひやっていただきたいです。
私たちはそれを簡単に遊べるアプリを作ったりとか、
簡単に作れるものを作ったりとか、そんなことをやっています。
経歴としては、私は1998年に生まれて、2017年に東京大学に入学して、
いくつかのスタートアップでインターンさせていただきながら、
大学は辞めてしまって、このマダミスの授業に専念しているというような感じです。
よろしくお願いいたします。
お願いいたします。
マダミスめちゃめちゃ気になっているんですけれども、
しかもこれ多分市場規模とかもとんでもなくあって、
今かなり世界で生きているというものだとは思いつつ、
ちょっとこれは後半の中山さんパートにお預けしたいなというふうには。
お楽しみに。
お願いします。
思っておりまして、まずは平井さんについて迫っていきたいなというふうに思っております。
いろいろ知らせていただくとですね、
多分過去の情報で唯一出ていたのが高校生時代、
文化祭とかそういったイベントごとに熱中されていたみたいなところを拝見したんですけれども、
その以前の幼少期だとか小中とか、
どんなことをされたのかみたいな、
どんな子だったのかみたいなところも気になったりはするんですけれども、
お記憶ある限りでどんな感じだったかとか教えていただけますか。
そうですね。
私、ものすごく転校が多い人生を歩んできまして、
もともと京都で生まれた後、すぐ大阪に引っ越して、
その後ロシアのモスクワに引っ越しまして、
ロシアの幼稚園に行ってから京都の保育園に行って、
またロシアに戻ってから神奈川県に来て、
神奈川県にも何回か引っ越して、
オーストリアに行って、また戻ってきてみたいな感じですね。
小学校の時点でめちゃくちゃ転校をしてきたっていうところがあるんですけれども、
そこで毎回その普通とされるルールがめちゃめちゃ変わるっていうのを
何回も経験できたっていうのは、
ちょっと今の私の人格に影響してるのかなというふうに考えてます。
高校生の時に先生に言われたのが、
平石くんは自分で土俵を別で作って、
そこで勝つっていうのは得意だよねみたいなのを言ってもらったことがあるんですけど、
そういう形で、みんなが頑張ろうとしているところの外で、
別の方法で頑張るっていうのが、
そういう人生の中で身についてきたなというふうに思っていて、
普通じゃない方法をやるっていう。
先ほど東京大学に入ったっていうのも言ったんですけれども、
東京大学も実は入試を受けずに入ったっていうところがありまして、
どういうことですかそれは。
筆記試験をガーッと解いて受かるっていうのが東京大学の入り方だと思うんですけれども、
ちょうど私の高校を卒業する時に推薦入試が始まりまして、
そこの要件がいろいろあった。
論文を書いたりとか、熱意がある志願書を書けば、
そういう人を求めてますみたいなところがあって、
私はその時、どうすれば人を笑わすことができるのかっていう論文を一生懸命書いてたんですけれども、
それでこうすれば笑わせられますみたいな論文を書いて、
東大の教授5人が面接官でいらっしゃったんですけど、
5人とも笑わせて入学するっていう、
異論モネア形式の入学っていう。
ちなみにどんな方法だったんですか。
秘密です。
論文の発表自体をすごくネタとして構成するというか、
ちゃんと笑わせられるようにポスターセッションをするっていうのをやったりしましたね。
そういった形で入試の勉強も頑張ってたんですけど、
そういうのとは別で、謎の方法で何かに入るっていうのが、
すごくこれまでいろいろやってきたかなというふうに思ってます。
勉強も頑張られたって話もありますけど、
であれば正面で行くこともできたかもしれないですけども、
その方法を知ってしまったので、もう自分はこれだっていう感じになったってことですか。
っていうことにしておきたいですね。
正面で行けたのかっていうのはちょっと心理ではあるかなと思います。
わかりました。ありがとうございます。
ちなみにその論文はどうしてそういったテーマ設定でやられたんですか。
他にもいろんなテーマとかあったかもしれないですけども。
そうですね。もともとやっぱりどうすれば相手を喜ばせられるかというか、
あなたは何をされたら気持ちいいの?みたいなことを考えるのがすごく好きなタイプではあって、
そうですね。何が原体化になったんだ。
例えば小学生の頃、いろんな学校で私が担当してたのが、
月1ぐらいの学級会で手品を披露しますみたいな人をやってたんですけれども。
いろんな学校でするやつなんですね。
ほぼ大道芸人みたいな感じ。
その時にやっぱりマジックの種ってすごく四角トリックだったりとか、
こっちから見ると全然すごくないことを見せると、相手がめっちゃすごいみたいな思ってくれるんですね。
その時にやっぱり相手から見たらこういうところが気持ちよくて、
面白いんだっていうのをすごく面白かったなっていう記憶があって、
笑いはすごくそれに近くて、
例えばチンパンジーとかも物が消える手品を見てめちゃめちゃ驚くチンパンジーとか、
よく映像で流れてくるかなと思うんですけど、
何かがあった時に何かの反応を返すって文化的なものじゃなくて結構本能的なものだなと思うんですよね。
人を笑わせるっていうことも結構反射、例えば室外犬反射とかとも近いなと思って、
膝の下を叩くと膝が頭が足がワーンなっちゃうみたいなのがあると思うんですけど、
それと同じで何かの刺激を与えたら何かの反応を返すっていうのが人間の本能としてあるなと思っていて、
であればここの何かの刺激って論理的に生み出せるはずと思ったんですよね。
そこのどうすれば人間が笑っちゃうかみたいなことをいろんな観点から確かめて実験したりとかしていたっていうような感じでした。
それが大学入試前ってことですよね。
普通だったらシンプルに手品が得意な人で手品好きでアイデンティティで終わると思うんですけど、
それが何かこれは本能的なものなんじゃないかっていう仮説さえも成り立たないんじゃないかなって普通の高校生とかだと、
なんでそこをもう一段深くロジカルにというか哲学的にというかそういうふうに考えられたんですか。
どうなんですかね。いろいろでもそういったことをこれまでやってきたからっていうのもあるかもしれなくて、
例えば作曲とかもやってたんですけど、どういう音の運びになると気持ちいいのか。
聴いててめちゃくちゃ気持ちいい曲あるな。
私の世代だと米津玄師さんが8から米津玄師に変わった頃なんですけど、
その頃に米津玄師さんの曲がやっぱり聴いててめちゃくちゃ気持ちいいなと思ってTSUTAYAでめっちゃ借りてたんですけど、
その時に当時米津玄師さんインタビューで言ってたのが、
自分が気持ちいいと思う方に次の音を配置してますみたいなことをインタビューで答えられてて、
なんか僭越ながらちょっとそれ私の考え方と近いなみたいな感じで思って、
どうしたら次が気持ちいいのかみたいなのを考え続けて、
それの連続で何かコンテンツができるんだって思うとすごく面白い。
だからそのアトミックな形で何されたら気持ちいいのかっていうのをどんどん突き詰めていけば、
面白いものってできるねと思ってたっていう感じですね。
大学ではもうその研究をされてらっしゃったんですか?何をされたんですか?
大学では全然違うことをやってまして、大学入った後はオーケストラをやりたいなと思ってて、
やっぱりその音楽にすごく興味があったので、いろいろこうチェロとかをやろうと思って体験したりしてたんですが、
結局そっちのサークルに入る選択ができなくて、なぜかビジネス系のサークルに誘われて入っちゃったっていうのがありまして、
当時その転機になったのは東大の解像度を上げるっていう本を書かれている馬田先生っていらっしゃるじゃないですか。
馬田先生が大学1年生向けにボードゲームを通して企業を学ぶっていう授業をされてて、
それでどんなやつだったのかっていうと、企業の過程をボードゲームにしようっていう作る側の授業だったんですね。
作る方なんですね。
人生ゲームっていうところの結婚のマスで第三者割り当て同士っていうマスを作るみたいな。
株を離しすぎると議決権が危ないぞみたいなのをゲームバランスに組み込むみたいな授業だって異様に面白かったんですけど、
その時にスタートアップとは何かみたいなものをかなり知って、
その授業で渋谷のハイブ渋谷に行ってみようみたいな課題があって、
それでハイブにいらっしゃるいろんな企業家の方に話を大学1年生が聞いてみたいなことをやってたんですけれども、
その時からこっちの世界ってやっぱり少人数のチームで結構面白いことを仕事としてやってる人たちなんだろうなっていうイメージが、
ハイブの柿とかもあってすごくつきまして、ちょっと興味が出てしまったっていう感じでした。
そういう興味もあって、いろんな会社さんでインターンされたりっていうところも始まっていくんですか?
そうですね。ボートゲームの授業で2年生の先輩とペアで作ることになったんですけど、
その先輩がラボベースっていうサービスを運営する、当時ポルっていう会社だったんですけど、働かれてて、
そこに誘っていただき、そこが大学の先輩のカモさんが社長されている会社なんですけど、
当時ワンルームの一室みたいなところで運営されている段階で、
当時からトヨタ予注しましたみたいなのがあって、
この規模の部屋でトヨタ向けにサービス提供してるのマジでやべえなみたいな感じだったんですけど、
それが連続してて、すごくそこでも短いなってしまったというか、
ちょっと上の先輩がMacに向かっていろいろやっているのがすごく大きな金額を生んだりとか、
でかい価値を作ってるっていうことにすごく実感を持って驚いてしまって、
で、多分彼は卒業したのかわからない。
あの社長が卒業されてるかわからないんですけれども、
ちょっとその後を追ってしまってるようなところかな。
いいですね。で、他の会社さんでもインターンもされて、その後の起業ですか?
そうです。2018年に会社を作らせていただきまして、
当時はオープンネットワークラボっていうアクセラレーターに採択いただいたというのがすごくきっかけだったんですけれども、
そこでプランもそこまでない、ふわふわな大学2年生が持っていったプランで採択します、出資もしますみたいな感じで、
ちょっとあれよあれよと会社もできちゃったし、外部株主もいるし、みたいな感じで来ているというところです。
インターン先の関係とかラボベースさんとかまさにB2Bでられてらっしゃっててもあるので、最初はひろしさんも最初から今の事業じゃなかったんですよね?
そうなんですよね。はい。
どんな感じだったんですか?
最初はB2BのいわゆるSaaSっぽいモデルを試行していて、
当時は本当にいろいろとやってましたね。ピボットを重ねれるというかほぼトラベリングをしてたんですけど、
軸足も動かしちゃうというか。いろいろやってましたね。一番長く取り組んでたのは旅館向けのSaaSを作ってまして、
旅館?へー。
はい。当時の現体験としてはいろいろお金がなくなった時にホテルで働いたりとかを日雇いでしてたんですけれども、
当時そこまで給料が高くない中で、労働環境がかなり厳しくて、母体もそこまで儲かってなさそうな状態が続いてたんですね。
これってやっぱり人材配置の方法を改善すればよくなるよねというふうに思ってて、そこはやっぱりテクノロジーの出番かなというところで、
旅館向けのSaaSを作ろうとしてて。全然うまくいかなかったので、これはいけないと思って、箱根の旅館に住み込みで働かせてくださいというふうに言いに行って、
大学もほぼ辞めちゃってるんですけど当時で。箱根の某ホテルに温かく住み込みで迎えていただいて、
日中旅館業務で夜ソフトウェア作って、朝定時に営業してまた働くみたいな謎の生活を何十日も何十日もやって、
頑張ってMVPの開発に励んだみたいな時期もありましたが、それも全然あんまりうまくお客さんがゲットできなかったなというところになりました。
かなりいい企業のされ方してそうですけど、それでもまあ難しかったというところ。
そのタイミングで本当にここの事業領域なんだっけみたいなモヤモヤがいろいろあられる中で、2020年にMADAMISとの運命的な出会いを果たすという感じなんですか?
もうまさに、完全にそうですね。やっぱり当時MADAMISを事業にしようと思ったきっかけは、強烈に楽しかったっていうところが多くあって、
何て言うんですかね、何回か遊んで、知らない人と遊んでも信じられないくらい笑えたりとか、泣いちゃうこともあったりとか、すごく感情を揺さぶられる経験を連続してすることができて、
最も自分のためだって感じられる事業テーマがやっぱりMADAMISだったなというふうに振り返って思うんですけれども、
そういうようやく自分たちとフィットするテーマがMADAMISとして見つかってきたなっていうのが2020年の夏ぐらいだったかなと思います。
ピボットの報告をするたびに、オンラボさんとか既存投資家の反応はどんな感じなんですか?
どうなんですかね、かなり好意的に受け止めていただいたというか、多分元々来学2年生が考えてくるビジネスプランに期待してなかったんだろうなとは今振り返って思うんですけれども、