海外から戻ってくるタイミングで、不動産分野とインフラ分野が合併されて、不動産の新規事業の開発というところが最後に携わっていた仕事でして、三菱商事の方で新規のプロジェクトとして、水の修理とか電気の修理とかをサブ作り直すというような、イギリスの会社を日本に持ってくるような仕事を最後にしてまして、
そこからこの不動産分野ってすごい面白いなと思って、パンと起業して辞めて、2019年にアモリ創業して、今5年経ったというのがざっくり私のバックグラウンドです。
最初はインフラ系の事業から始まって、気づけば不動産と合併してサブスクの事業もやられてということだったと思うんですけれども、そこで不動産に目覚めた、面白いと思ったというお話をいただきましたけれども、どんなところに面白みを感じたのか教えていただけますか。
仕事をするなら生活に直結するというか、欠かせないものをやりたいという思いは、入社から変わってなくて、それが商社の時はインフラであり水電気だったんですよね。
それが重環境のインフラである不動産に変わったというので、ただこの公共の水道とか電気の市場と不動産と比較するとかなり民間で市場規模が大きいのにも関わらず、本当にいろんな業者といろんな会社業態があって、
カオスに見えるんですよね。すごくカオスに見える反面チャンスはあるし、個人でもし起業して創業するならばやれる余地があるのは、こっちの不動産市場の方が面白いと思っていて、
当時辞める前に結構いろんなビジネスをアメリカでも中国でもいろんなスタートアップを会社のお金を使って分析したりとか、こうやってたんですけども、ここいっぱいやりがいがあるなと思って、自然の流れで不動産に向けたという感じですね。
カオス里、今言っていただいたような課題感とかもいろいろ感じられたのかなと思うんですけれども、特に心が動かされたというか、これはやるべきだと思ったような捉まえた課題感だったり、思いというところがありましたら教えてください。
今は一貫して変わらないんですけども、僕の興味としては、今ある不動産というかアセット、中古の物件だとか、中古に限らず二角形で放置されているものでもいいんですけども、
そういった不動産、資産って今後50年、100年、200年ってどのようにして手入れしていかなきゃいけないし、管理していかなきゃいけないし、ここがすごく大きな社会課題だと思ったんですよね。
私も海外が長かったんで、アメリカのスタートアップとかでも働いたときに、アメリカの市場と比較しても、日本の中古市場ってまだまだ活性化できてないし、結構新築が施行されるような市場だったんですよね。
壊して建て直すっていう。ここが経済的にも環境的にもコストが超えられたかないんじゃないかっていう思いはあって、この中古のアセットをどうやって活用するかっていうところを主軸にビジネスを作っていきたいなっていうので起業したケースですね。
やはりこの辺りは解決、ソリューション立てるってなると、商社の中でやることっていうのは難しかったんでしょうか。
そうですね。やっぱり考え方としては、商社でやる面白さっていうのはやっぱり大きなインパクトを出すし、もう事業計画の作り方から、例えばインフラプロジェクトだって100億以下もやんないよとか、そういう次元の話なんですよね。
大きな既存プレイヤーを動かしてビジネスを作るっていうのは、もちろん商社の醍醐味で面白くて、僕も楽しくて気づけば目を開けても人生終わっちゃうみたいな、それぐらい楽しいんですけども、やっぱりゼロから今の山井やってることとかって、まず本当ゼロベースの思考で、もうちょっと妄想に近い形であるべき姿って何なんだろうとか、どういうことをやったら世の中少し良くなるんだろうとか、純粋にもうそのちょっと1回収益とか後で考えれば良くて、
社会としてあるべき姿からその事業を作るっていうことができるのはやっぱり企業の醍醐味というか企業の方だなと思ってまして、それがやりたくても無理くり、無謀にも一回無職になるっていう、リセットしてみるっていう選択を5年前にしました。
主導者から辞めるってかなりの勇気で、それこそ一時的に無職っていうのはすごいエピソードだと思うんですけれども、そのあるべき姿から逆算すると、やっぱりその大義名分とかミッションっていうのは非常に大事っていうのは、これは何かいつぐらいから芽生えている価値観だとか、こういったきっかけで創業に立ってますみたいなエピソードがあれば教えてください。
そうですね、多分これはもう振り返ればわからないですけど、大学生ぐらいの時にも青草くん思ってたことだし、入社する前からも思ってたことですけども、やっぱり一番自分の自分自身の幸せ感として本当にこれ社会的に意義があるなとか、これって絶対やったら意味あるよね、面白いよねっていうことを本当に100%いろんな無駄なことを考えずに全力で自分の時間を使えてるっていう生活ができてる、それができてることが多分一番自分自身輝けるし、
幸せ感を感じるし、そういう時間の使い方をしたいっていう思いはずっとあって、でもそれをいろんな枠組みの中で、サーリーマン自体も、とはいえサーリーマンの枠組みだけどそれを実現するためにもがいてたし、もがいてたっていう方が多分正しくて、やっぱり辞めてしまうともがくものもなくて、
自分は泳ぐみたいな、自分で何にも苦しめられるものはないんだけども、自分でやっていかなきゃいけないみたいな状況ができたときに、ようやく本当にそういう自分の目指したいこと、やりたいことを100%打ち込めるっていう時間ができたのかなと思うんですけどね。
今は100%自分に使えてますか?
そうですね。けどこれも面白くて、やればやるほど、今回も資金調達をしているっていうのは一つの資本主義の枠組みの中でいくわけで、その大義を追うっていうこととビジネスを成り立たせるっていうところのシビアな厳しさというかプレッシャー、それが求められることだし、
創業メンバーとかはどのタイミングからご一緒されたんですか?
そうですね。創業メンバー3人いるんですけども、一人が広瀬って言って、やむを得た木堀先生って歌ってる人間ですけども、彼との出会いは会社辞めてから企業準備の時に出会いまして、
で、不動産のプロダクトを作っていくっていうので、不動産大屋さんとかオーナーさんに会いまくってた時があったんですよ。
100人くらいあって、軽く100人は絶対会ってると思いますけども。
で結構、お屋さんって皆さんもあんまり馴染みないかもしれないですけども、結構お金持ってる人とか変わった人が多くて、
なんか僕もどんどんこのお金持ちのお屋さんのために何か事業やるって全然違えなと思って、心がつかない時に、
その時に三菱庄司の先輩で、その不動産超マニアで、もう不動産で大成功した先輩がいるっていうので紹介あって、それが広瀬であったんですよね。
岡山のドトールじゃない、エクセシオールで短パンでお昼に会いましたけども、
で彼ももう会社員を辞めようとしていて、会社員の収入を不動産の収入が超えていて、不動産の収入が会社員の収入を超えていて、
それで意気投合してやろうっていう、一緒に何かやろうっていうのが始まったのが金曜前。
でそれとちょうど同じタイミングぐらいで、もうこれエンジニア探してもこれ話してたら多分1時間ぐらい、2時間ぐらい話せるんですけど、
皆さん金曜目指してる人とか本当それで初期メンバーで苦労してる方多いと思いますが、
もういろいろあって、もう自分でエンジニアになったるかみたいな、迷った時もあって1日で諦めみたいな感じで、
Ruby入門って言って分厚い本買ってそのまま次の日で、
本から入ったんですね。
絶対無理だっていうのが分かるっていうので、やったんですよ。
たまたまそのタイミングで大学からの知り合いのジャーミン・ホールってエンジニア、
彼も本当に天才ソフトエンジニアですけども、
彼とたまたまタイミングがあって一緒にやれるって3人バシッて揃って、
もうその時にもう3人揃った瞬間に費用しようって言って登記したって感じですね。
今も創業メンバーがあまりにも強そうな感じもありまして、
そして今も事業も順調なところを見受けすると、
ハードシングス本当にあったのかなって気もしてきてるんですけど、
ぜひ1つだけあの象徴的なハードシングスエピソードがあればぜひ教えてください。
えっと、起業してからハードシングスないです。
っていうかハードシングス思わんも持ってないですね。
もう起業前ですね、どっちかというと。
そうなんですね。
やっぱり前職をやって辞めるっていうのは僕の中ですごく大変です。
すごいストレス。
初めて、これポッドキャストに話しかわかんないけど、
初めてストレスを感じたんですよね。
初めてストレスを感じた。
ちゃんと体感しました。
いやーストレスってあるなーみたいな、
結構いろいろそんな人にいろいろ言われるし、
なんかもうこうみんなに頑張ってとか、
みんなもう応援するって言って辞めたかったのに、
いろんな人との挑戦も大変だったし、
前職辞めるの本当に大変で、
それですげー疲弊してた中で、
今度起業準備ってもっと大変で、
大変というかもうどうにも進まなくて、
そこの最初の起業前で何もないない状態で一人、
しかも一人っていうのがみんなつらいと思うし、
僕もつらかったし、
やっぱりエンジニア探しの時にも、
何度も結構ボロかすに言われることもあったし、
そこが一番つらかったかなって思いますね。
振り返ると。
レジスターさんでもボロボロになるタイミングがあったんですね。
すごく意外でしたが、
前編はここまでとさせていただきまして、
後半ではそんな藤沢さんが展開される授業について
詳しく伺いたいと思います。
まずは前編ありがとうございました。
ありがとうございました。