それでは高橋さん、まずはご経歴などを含めた自己紹介を1分程度よろしくお願いいたします。
ロータメテアドメルの高橋桃子です。
私は明治大学を卒業後、新卒でVenture Capitalに就職をして活動した後、
今年の2024年6月に株式会社アドメルを創業して、
スマホアプリの中で音声広告、音業広告を配信する広告プラットフォームを開発しております。
ありがとうございます。
高橋さん、2001年生まれとかでしたっけ?
そうです。
すご、いいな。
いいな。
中山さん、年齢バレてますからね。
公表してますからね。
84年回でしたっけ?
違う、89ですよ。
それは良くない。
ただの数字のミスです。
89年回ですね。
というものがあるということなので、計算いただければと思うんですけれども。
はい、高橋さん。
ちなみに稲荷田は96年なので、まだ90年代で2000年代の方、若いなと僕も思っております。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
なので、キャリアでいくと正社員と言いますか、ちゃんとフルコミットされたっていう意味では、
おそらくそのVCの1年があるのかなと思いつつ、
こちら家庭となので、これまでの人生について迫っていきたいなというふうにも思っておりまして、
なかなかいろいろリサーチしようとしたんですけど、情報出てこずですね。
大学あたりからは、ちらほら出てきて深掘りもさせていただきたいなと思ってるんですけれども、
もっとその前ですね、ぜひ幼少期だとか小中高とか、
何か印象深いエピソードとか、今に繋がってるなみたいな価値観がわかるようなお話とかありましたら、
何個かぜひいただけましたら幸いです。
ありがとうございます。
私は幼少期というか元から多分好奇心が旺盛で、いろんなところで活発に活動してきたっていうところがあるんですが、
高校ぐらいからビジコンに出てみたりとか、授業の真似事をしたりとか、
当時はあまり起業するっていうこととは結びついて考えていなかったんですが、
授業を作ることに興味があって、大学に入ってからHRとか出版とかウェブマーケットとかいろんなインターンをさせてもらいました。
同じく広告とかマーケティングにはもともと興味を持っていて、
小さい頃からテレビっ子でCMもたくさん目にする機会があったし、
SNSとかメディアもあまりにも本格的にやってきたというのがありました。
私は小学生の頃からずっとアムロナミューさんが好きなんですけど、
2001年生まれというとアムロさんがデビューしたのってそれよりも前とかだったりするので、
なかなか同世代で好きっていう人っていなかったので、
なのでTwitterとかを結構やって、同世代で好きな人を探すようになったりとか、
そこの好きが転じて気づいたらアムロナミューボットみたいな、
アムロさんの情報をひたすら発信するっていうようなTwitterアカウントになったりとか、
あとは今サービス終了してしまってるんですけど、ネイバーまとめとか、
ああいったところに自分でアムロさんの記事をめっちゃ書くみたいなことをやっていました。
で、広告とかウェブマーケットっていうものに関心があって、
そのワーブに惹かれて入ったインターン先の一つで、
当時成果報酬型の広告の制作と運用ってのをやらせてもらったことがありました。
いわゆる、これはアドアフィリエイトってやつなんですけど、
広告からサイトに飛んでその上で購入をしてもらうっていうのをもって成果報酬が発生するので、
消費者の気を引くためにあの手この手を使って訴求をしていくんですね。
少しその広告に罪悪感とか疑問みたいのを持ち始めたっていうのと、
いったら小手先のテクニックで、こんなに強引に売るために作ったのかな、
どうやってその商品とかサービスが生まれたんだろうっていう、
ゼロイチの部分にそこから興味を持ち始めて、
いろんなスタートアップのこととかを知ったり調べたりするようになりました。
元々その経験があったからこそ、スタートアップとかVCでインターンをさせていただくようになったというところで、
活動する中で、ゼロイチっていう海の苦しみをたくさん輪のあたりにしたし、
すべての企業やサービス、当然社会をより良くするために生まれてきてるなと。
しかも、より良い未来を実現するために企業家と仲間たちがいて、
そこに宿る熱量がすごいかっこいいなって思い始めて、
なんかこうずっと私食べちゃってるんですけど。
大丈夫ですよ。
日本はもう終わりだとか、あんまり未来明るくないみたいな、
友達とか非間的に見る風潮とかもあるけど、
実際にはこんなに明るい未来を見てる人たちがいるんだなっていうことに気づきました。
私もこのモメンタムをもっといろんな人に届けたいし、
熱量を生んでるこの発生源であるスタートアップだったり企業、サービスをブーストさせたいと思いました。
それは今も変わらない思いなんですけど、
当時はそれをベンチャーキャピタルっていう経営資金を提供する投資家っていう形で叶えたいと思って、
VCで働かせてもらってました。
で、活動を始めたのがちょっとイレギュラーで、
新しいベンチャーキャピタルファンドの創業メンバーとして、当時大学3年生の頃にスタートをして、
2年半、後の3月まで活動させていただいてから、今のアドミルを創業しているというような、少し長くなったんですけど、経歴でございます。
ありがとうございます。中山さんが母の眼差しでニコニコしながら。
そんなに年離れてないですけどね。
すみません。ただのミスです。すみません。
でも何かあれですね、価値観で言うと、アムロ・ナミエさん好きでネイバー求めを触れていたって、
結構、何なら僕よりも上かぐらいの性質だった感じがします。
そうですね。結構特殊だったと思います。
アムロ・ナミエさんはどういうきっかけで出会ってハマり始めたんですか?
当時見ていたドラマ、本当にテレビ大好きで、今も1シーズンの18割ぐらいのドラマを見るんですけど、
見ていたドラマの主題歌をやられていて、たまたまそこで知って好きになったっていうような感じで。
それが小学生ですね。
小学校。アムロ・ナミエさんについてはもう少し後で聞きたいんですけど、その前段で、一番最初に好奇心って話をいただいたと思うんですけど、
自分結構好奇心強いなって思われたのっていつぐらいとか、それって何でだろうって思われてますか?
そうですね。小学生はあまり意識してなかったんですけど、とにかく活動量が多かったというのがありまして、
学校に通って部活もそうですし、学校以外でのアルバイトとか、あとは学生団体の活動とか、
そういったことにも時間を使っていて、とにかく暇な時間があるのが嫌だみたいなことを思っていて、
あれこれと活動をしていて、当時を振り返ると、本当に好奇心がとにかく強かったんだなと思いました。
大学生とかでそういうのってあると思うんですけど、その前から作動というか、いろんなものに興味あって、いろいろやってたって感じなんですか?
そうですね。これは私が通っていた学校がっていうところもあるんですけど、私、明治大学の付属の中高に通っていて、
あまりその大学受験っていうところにリソースを取られるっていうことが少なかったので、
その分、いろんな活動できたっていうような背景もあるんですが、そのメリットをフルで活用して、いろんなところでやってたっていう感じです。
いわゆる付属の方って逆に言えば、だらけてしまうパターンとかも全然あると思っているんですけど、
そこで前向きに行動され続けたっていうのは、やっぱり高校とかに入る前から、そういう興味関心なかかりに強かったり、
何かしらの抵抗体験があったのかとか、何か将来的な理想があったのかとか、その辺りをもう一段深く聞くとどんな感じになりそうですか?
そうですね。特別意識したタイミングはなかったんですけど、やっぱり漠然としたフロアみたいのは将来に対してあったような気がしていて、
何かできることを増やさないとみたいな気持ちがあったり、その一方で楽観的に人生って一回しかないし、いろいろやってみようみたいな気持ちもあって、
いろんな背景はあるんですけど、気づいたら多分それがアクションに出ていたかなと思います。
特段育った環境とか、例えばご両親が起業家例とかそういう話でもないんですか?
そうですね。
すごい。ありがとうございます。めちゃくちゃ気になりますね。
高校のビジコンもそれは高校側がそういう機会を用意していて、たまたま参加したって感じなんですけども、何かしら立候補してたのかとか、外部のプロジェクトだったのかとかそういうのってどんな感じですか?
高校の中で、少人数で受ける授業の中で、日本政策金融高校さんがやっているビジコンに出てみようっていうので、
出張事業で高校の方にビジネスの作り方を教えていただいたりしながら、やってみたっていうことがありまして、
それはあらかじめ用意された機会の中でっていうところだったんですけど、そこから私の中でもちょっと火がついた部分もあったり、
それこそテレビで言うとガッチリマンでとか、いろいろそういうビジネスっぽい番組も好きだったので、何かより興味を持てたっていうのがありました。
大学にそのままエスカレーターで付属で入られたということなんですけれども、先ほど大学でいろいろ経験されたこととかも聞かせいただいたんですけど、
これもう大学1年生の時からいろいろインターンとかをされ始めたって感じなんですか?
そうです。本当に1年生の頃からいろいろやらせてもらいました。
いわゆるスタートアップっぽいものに関心を抱いたのは、先ほどおっしゃっていた広告代理店の働き方をする中で出会ったところ。これはいつぐらいですか?
大学2年生になります。
なるほど。で、あとさっきの自己紹介ではなかったかもしれないですけど、企業サークルとかを明治の中で立ち上げられてらっしゃるかなと思うんですけど、
それは企業でいくとどこらへんに入るんですか?
大学3年生でスタートアップVCに興味を持ってちょっとインターンとかもさせてもらったぐらいのタイミングに明治大学の中で企業サークルを立ち上げておりまして、
私も同世代の方とかスタートアップにいる人と交流をする機会って結構あったんですけど、
そこで全然明治の人に出会わないなとか、明治って私代の中でトップ5ぐらいに入るような生徒数とか規模感であるのにこれはどういうことなんだろうみたいなのを持って、
あとは構造的にも、課題だと大学自体が資金提供するようなファンド機能を持っていたりもするんですけど、それが自分のいる明治大学ではなかったっていうのがあって、
そういったところをどうにかするのはなかなか難しいと思ったんですけど、せめてコミュニティを作ろうっていうところで、大学3年生の時にそういうサークルを作って、
今もいろいろと後輩が続けて活動しているような形です。
なんかXとかで拝見して結構豪華な講師の方とか先輩起業家さん招きしてとかやられてますよね、今も。
そうですね。
ちゃんと継承されてるんですね。めちゃくちゃインパクトを残しててすごいなと思っています。
そして先ほどのご経歴の中でやっぱり一番気になるのは、ベンチャーキャピタルの立ち上げに携わるって、学生じゃまあないし、社会人でもほぼほんの一人でしか経験することがないものだと思うんですけど、このあたりどういった経緯だったのかっていうのをもう少し詳しく教えていただいてもいいですか。
はい。私は箱舟っていう独立系のCWCで働かせていただいたんですが、そこで郷土GPをやられている栗島さんという方と、その前にインターン先でご一緒していたという経緯がありまして、
もともとその箱舟のGPをやられていた栗島さんがプロトースターという別の会社も創業した経験がありまして、このプロトースターはスタートアップ支援をしている会社になるんですが、そこで栗島さん付きっていう形で入社をさせてもらっていて、
で、そこでずっと活動を共にしている中で、私がVCやりたいとか、あとは他でVCでインターンをさせてもらったりっていうことをしていたので、栗島さんがこの後独立してアンドを作るってなったときに、どう?って声をかけていただけたっていうのがありました。
それはなんかどういう期待値で声かけてもらったって感じなんですか?
そうですね。地位は聞いてみないとわからないところはあるんですけど、ちょっとCWCについて語るっていうのもあまりよろしくないなとは思うんですけど、やっぱりファンドの中でも多様性って大事だと思っていて、
やっぱりその起業家とかスタートアップとの相性っていうのも向き不向きがあったりすると思うんですけど、私はそのサークルの立ち上げもそうですし、若手の起業家とのネットワークが強かったっていうところが当時からありまして、今起業している中でもそういう起業家の友達がいっぱいいてよかったなっていうことを実感しているんですけど、
それがファンドの中において、若手とちゃんとつながりを持てる人材っていうところで価値を発揮できたんじゃないかなと、振り返って思って。
合計でいくと、インターン生と社員ですかね、フルコミットのような形で入られた時代と合わせて2年とかでしたっけ?
そうですね。2年半となります。
どんな2年半でしたか?学びだとか、今に生きているものとかもしありましたら聞いてみたいです。
そうですね。その2年半の中には、せりすきにファンドスタートする前の期間とかも含まれていて、だからもうファンドの名前も決まってないぐらいのところからご一緒しているので、
実際にどうやってゼロからファンドレイズをしてファンドを作っていくのかみたいなところを見させていただいたっていうのはすごい貴重な経験だったと思っていますし、
当時、自分が漁をしようっていう目線があって、出していたわけではないんですけど、やっぱり今振り返って、そこで出会った投資先の方だったり、スタートアップの方々から学んだことっていうのは非常に多かったなと思っていて、本当に充実した時間だったなと思います。
すっきりGP目指されているのかななんて、いろんな露出の機会を拝見していて思っていて、私も一方的に高橋さんのことは存じ上げていましたし、そこからの企業っていうのはどんな変換点というかだったのかなっていうのは一番気になっています。
ありがとうございます。先ほどもお伝えした通り、企業とかVCをブーストさせたいみたいな気持ちは今も変わっていなくて、その当時でいうと、ずっとVCの仕事をしたいっていうことを思っていたんですが、やっぱりかっこいい企業家とかスタートアップの先輩方を見るうちに自分も事業が作りたいなっていう思いがより強くなっていって、企業をしようと決めました。
20代の時間を投資するっていうことを自分の中で考えた時にも、やっぱりもうこのタイミングで事業を作るのがベストだという結論になりまして、もう企業をするっていうのは決めたんですけど、やるなら以前うんざりした経験もある、
ある広告領域で何か新しい切り口で事業を作れないかなと思って、いろいろリサーチとかをしていく中で今の事業アイディアにたどり着いて、これに今は全力を注いでアドメロンをやっております。