大学卒業のときに、建築業っていろいろ悩むと思うんですが、
今聞いてる学生さんたちに、当時の、
これコンキャリさんのコーナーのところになるかもですけど、
当時、なんでそう至って起業に至ったのか。
一回ちょっと、働いてみてとかあったりするじゃないですか。
それもなく起業したのかとか、
あとは事業のところの話をお伺いしていきたいなと思うんですけど、
いきなりなんですけど、
京都府生まれとなってるんですけど、
京都って意外と大きくて、どこですか?
京都市の北区神窯神社のほんとすぐそばに育ってまして。
ほんまに京都市内の人ってことなんですね。
今、構えてる事務所とかも京都下行区?
下行区ですね。
梅小路って呼ばれるエリアですけど、
そこで10年前ぐらいから。
阪急電車のあの、
阪急電車でね、
すいません。
むせるのは全然自由なんですけど、
豚バナだけはちょっと控えてもらってよろしいですかね。
気になるんで。
こらえたらちょっとごめんなさい。
こらえる前にちょっと外れてもらって。
すいません。
ブヒブヒやってもらったら。
電車のあれなかったですか、鉄道の。
鉄道博物館が梅小路駅。
もともと貨物の駅だったので、
そのスペース利用してJRさん。
やってるやつありますよね。
そこあります。
あの辺のエリアで生まれが。
生まれはもう帰宅なので、
本当に神が物。
あ、生まれは帰宅か。
帰宅と。
で、法律学部に行ったっていうことなんで、
当時は多分別に今の事業をイメージして、
高校生活を過ごしていたってわけじゃないですよね。
事業をすることはすごい想定は実は、
中学生ぐらいから自分で仕事したいなと思って。
起業はしたいなだけど今の。
不動産は興味はあるというか、
すごい神が物ってとこ出身なんですけど、
家が釈屋というか古いマンションにずっと住んでて、
そんな裕福な家庭じゃなかったので、
自分の部屋もないみたいな状態で暮らしてたんですけど。
何人兄弟ですか?
2人兄弟なんですけど、
全然自分の部屋なくみんな家族雑魚ねみたいな状態で。
週末日曜日に入っている織込チラシの不動産の家の情報、
めっちゃ面白いなと思って。
好きな人多いですね。
小学校の時からまどりはずっと見てた記憶はあり、
趣味として飽きないなというか、
ずっと感じていたぐらいでしたね。
建築側とかっていうよりも、まどりから始まったみたいな。
大学生時代もお金もなかった、苦学生してたんで、
ずっと不動産情報見てたっていうか、
その時も実家から通ってたんで、
一人暮らししたいなと思いながら、
ひたすら京都市中の物件に漁るみたいな。
住むわけでもないのに、
はできてたんで、たぶん好きなんだろうなみたいな。
起業の頭はあったけど、
別に不動産で起業するまでは決めてはなかったが、
好きなんだろうなみたいな感じだったんですか?
そうですね。高校の時がすごい理系の学校というか、
クラスだったので、
物理、数学大好き人間で国語ができない人間なんですよ。
でも担任の先生に、
理工学部行こうかなと思ってたんですけど、
これちょっと経営経済法律やりたいってなって、
分転して、
国語が必要のない法学部が京都産業大学だったんで、
共産党に行ったという状態ですね。
なるほど。
学生宅建とかそっちの方に興味を持って、
それで独立していくっていうような感じになるってことですかね。
そうですね。大学1年生の時に法学部だったんで、
登竜門として宅建、民房とかね、
すごく必修なものを取っていったら取れる資格だということで、
これはやってみようということで、
2年生の時に宅建受けて、
受かって、これ何かと思って、
学生時代過ごし、就活もしたんですよ。
不動産の仕事で、
普通就職するとか働くってなったら、
イメージするのって、いわゆる大手の不動産仲介みたいな、
営業職ですよね、エージェント職なのか、
ゼネコンとか開発系ですよね、
デベロッパーに行ってエリアを開発するとか、
阪急阪神不動産とかエリア開発するよ、
みたいな宅建業とか、いろいろあると思うんですけど、
それはどんなイメージでおったんですか。
全く不動産に就職するイメージ全くなくて、
不動産で仕事はしたいんだけど、
何かっていうと、大学1年生の時に授業で、
今よく見る人口減少グラフ、日本のあるじゃないですか、
あれを見た時に、
大学何?
1年生だから、
何年前ですか?
18年前、17年前。
2000何年ですか?
2007、8年?
ってことは、日本の人口は2008年から2009年までピークなんですね。
ピークの時に、これから減少していくんじゃないのか、
っていうグラフを見たってことですかね。
そうなんで、完全に注意行為定義ありますけど、
減ることは、4000万人減るっていうのは、
自分の人生、日本に生きているのなら、
減るってことは分かった。
で、不動産業で何か仕事したい時に、
今までこの戦後、
8000万人から1億2千万人まで上がったっていうゲームのルールと、
4000万人減る、しかも建物余るっていうルールって、
全然違うルールでゲームが行われるんだなってことが分かり、
それは面白いなって思って。
これね、今日僕ここ朝来る前に、
不動産系の、
そういうところでちょっとしゃべる機会があって、
話をさせてもらったんですけど、
人口がピークを迎えるまでに出来上がったビジネスモデルで、
今不動産業界って、
いまだにまだそれを進んでいってて、
本当に一部の人だけが、
いやそれっておかしくない、
今って下っていってるゲームをやってるのに、みたいなので、
でも多分、不動産業をやってる人の、
肌感ですよ、
多分8割ぐらいが、
まだこのビジネスモデルやってるんですよね。
で、こうなっていくところのゲームが違うっていうことに、
大学生の時に気づいたってことですかね。
1年間気づいた。
18、19で気づいた。
なるほど。
今までの仲介の事業者さん入って仲介するとか、
デベロッパーさん入って開発するっていうのとは、
数年は続く、まだ賞味期にはあるんだろうけども、
自分が定年するまで同じモデルじゃないだろうなと思った時に、
じゃあ自分で何かちっちゃいところからコツコツ始めたら、
変化度は大きいので、
減るとは言っても、
もちろん需要は下がると言っても、
変化度の意味では、
自分が活躍できる環境っていうのはそこにはあるかなっていうのは、
イメージできたっていう感じで、
その時まだ何やるかも決まってなくて、
不動産かどうかも分かってなくて、
その時考えてたのは中古か、
ちょっとインターネットやっぱり興味あったんで、
不動産はまだ3番目ぐらい。
2008年って言うと、
リノベーションっていう言葉ができてるんですよね。
1998年ぐらいにオゲアとこの言葉が日本で、
今の日本の定義になっていきつつあるで、
2008年9年にこのリノベーション協議会が立ち上がってるので、
ちょうどこれからやっていうタイミングで、
中古かどうかみたいなのを考えてあったってことですよね。
そうですそうです。
これでどうなるんですか。
で、就活したんですよ。
3回生で、一緒に日会のことやからリクルートスーツ着て回ろうと。
2社、ちょっと会社名は挙げないんですけど、2社。
何系ですか。
ディベロッパー。
さっき僕が言ってた感じのやつですね。
大阪一社、京都一社、しかもゴリゴリ営業。
その時に出会ったのが2月。
2月、1月だった、その辺りですね。
仕事を一緒にやろうよみたいな感じの出会い方なのか、
ゲスいう話ですけど、男女の出会い方なのか、業務のあれ。
完全にビジネスでしたね。
実は2人じゃなくてもう1人挟んでるんですけど、もう1人ちょっと抜けることになってて、
完全に最初は3人でやるみたいな話だったんですけど、その1人男性のことです。
その時のビジネスモデルはどんなあれだったんですか。
最初はサブリースですね、本当に使われなくなった建物を、
オーナーさん全部借り受けるし、家賃もずっと払うし、うちでちょっとリペアして、
最初はもうお金も経験も全くないので、
リノベーもしない状態、建物借りてリノベしない状態で、コンセプトだけで入居者集めるってことをしたんですよ。
それは、ちなみに当時を振り返ってもらって、
地区何年くらいの建物で、程度がどれくらいでどんなやつだったんですか。
地区90年くらいの京町や百平米、部屋もそんなに分かれてなくて、
2階が2間大きめのがあって、普通に人まで女子がシェアして、
人まで男性シェアハウスメンバーがシェアしてみたいな、
合計5人で住むところで、下の1階がどれくらいだろう、
50平米ほどちょっと広い空間があるんで、毎日のように勉強会とかイベントとかして、
年間3,4千人来るみたいなソーシャルシェアハウスって言ってたんですけど、
とりあえず人が交流して勉強するみたいなシェアハウスしてたら、
それは何の勉強をしてたんですか。
結構いろいろあって、あの時からデザインシンキングの勉強とか、
国連機体校とかがいたので、結構真面目に大学の延長線上みたいな、
課外事業みたいなのがいっぱいあった状態で、
そこに来たイベントに来た子たちが、
いや、そういうシェアハウス住みたいという問い合わせというか、
オファーがあったから、実はそれぞれ2件、3件、4件、5件ぐらいまで京都市内で増やす。
借りるお金がそんなにないんで、そのまま使えみたいな話で。
そうですね。最低限メンテナンスとかしますけど、
それもみたいなDIY的な感じで。
そうですね。本当に古いものをちょっとリペア、リペアぐらいですね。
リペアして直して、その共同体型のシェアハウスして。
コンセプトを立てて企画して集客して、
で、その人たちが使うものを作ったみたいな。それが一番最初の01ですか。
01です。だから不動産でもなく建築でもなく、
本当に見たてのコミュニティだけで勝負してたっていうのが多分1年目から2年目。
確かに。
めちゃくちゃ人が来たんですよ。その時やっぱりツイッターも面白かったし、
ちょっとイベントの告知ツイッターでした。
2011年?
2011年。なるほど。
一番面白かった時期だったと思います。ソーシャルSNSが。
そうですね。SNSがちょうどだから、
ツイッターで後ろは追っかけて、フェイスブックがその辺がワイとこうなってきたぐらいのタイミングですね。
本当に面白い学生と社会人がちゃんと連絡、興味をシェアし合うみたいなところだったので、
やっぱりあの時に始められたっていうのがすごい面白かったですし。
いわゆるソーシャルの仮想空間のところと、リアルでそこでジョインされて、
それがビジネスになっていってたのが一番ゼロイチなんですね。
そうですね。だから5人の入居者募集に問い合わせ30人ぐらいあって、ちょっと一人ひとり面接して、
ちゃんと入ってもらう。
上から目線の。
本当に入ってもらうっていう。学生の街ならではなんですけど。
学生が多かったですか?
そうですね。学生多いですね。今となってはその入居者ってもう企業、たぶんもう上々手前の企業の社長をしてたり、
中途の方でコメディアンしてたり、変な奴らがすごい多かった。パワーが溢れてた。
何年前ですか?12、3年前?
14年前。
2011年だったら13年前。ってことは大学生としては20歳としたらもう33。
そうそう。
でもオーナーもそもそも学生みたいなもんですよね。
そもそも22ですからね。みんな大体19から22の間で過ごしてますし、
5件くらいだったら王女隊でもう30名くらいのコミュニティになってるんで。
そうなったらちょっと家賃収入もあって収益として、よしじゃあこの軍資金でみたいな感じになっていったってことですか?
基本そうですね。1件目借りたやつを皆さんから預かったお金をほぼ自分たちはお金使わずに貯めて、
次の2件目、3件目、4件目、5件目ってやっていって、本当に次の次のみたいな感じでしていきましたね。
役割で言うと結果結婚することになったってこれ結果論なんですね?
そうですね。
すごい変な話いつかやったかな。
すっげえ僕そこだけ聞きたいっす。
2012年?3年かな。
割と早いですね。
2012年に事業展開のことを喋ってて、じゃあ5年後どうするか10年後どうするか、ぶっちゃけ50年後どうするかみたいな話したときに、
こやつと京都代表の草壁とこれは50年後も仕事一緒にしてるやろうなっていうイメージがついたんですよ。
合意したというか50年後を合意したというか、これしてるよねっていう。
じゃあお互いそれぞれ違うパートナーに時間とか子育てに時間割くよりも、これは一緒にこれは24時間ずっとこう話す。
すげえな、みんなさん今までで一番目輝いてるよ。
話し続ける方が我々は遠くまで行けそうだなって話になって。
今グッときた。我々は遠くまで行けそうだなって。
一番最初の共同体なので、これは遠くに行けるなと思って、じゃあ親に紹介というか挨拶行こう。
それってちょっと恋愛の話じゃないですか、でも仕事のパートナーの話じゃないですか、恋愛感情はちょっとはあったんですか?
いや多分、今までの前まで言った彼女の質感とは全然違ってて。
だってね、今日アンケート書いていただいてるんですけど、影響を受けた人物、1位から5位くらいまで書いてくださいっていう中に1位奥さんやったんですね。
間違いなく。
そういうことですね。
それは間違いなくです。
すごいな。
相方すごくて、大学時代に東京ギフトショーでグランプリ取るプロダクト作るような、ちょっと天才派だと言いますか。
僕は凡人すぎるのでちょっとわかんないんですけど、これはすごい奴やなと思いながら。
どこにも就職したことないんで。
2人ともね。
相方は大学時代からコンサルの人の手伝いしたりとか仕事はしてたんで。
奥さんは何学部なんですか。
経済文化コンテンツを何かちゃんとマーケティングするみたいな勉強してたんですけど。
会社の今の役割と企業当時の役割は違うと思うんですけど、当初の役割で言うとどういう役割だったんですか。
当初僕が法律会計得意なのと体動かすことは基本やってた感じですし、あっちがウェブ作れるからウェブと広報とかやってた感じですね。
企画とかいわゆる外に発信する系が奥さん?
ソブとそっち、ハード、バックヤード僕みたいな。営業も僕って感じだったんですけど。
14年あって大体変わってきてて、あっちがリサーチャーなんでひたすら何か始めてこれやろうってなったらリサーチめちゃくちゃかけるんですよ。
で僕はそのリサーチもらって次マーケティングしてコンセプト打ち立てて。
時代とともにやり方は変わってきたけど、創業当初はハードとソフトだったみたいな。
だから今はキャッチボールします。順番がどんどん変わってきて。
喧嘩めっちゃしません?
いやそりゃしますよね。喧嘩というかやっぱり言い合いというか。
いや違うわ。まったくリノベの話になる。ちょっとその話は一旦置いときましょうか。
最初のゴトをわーっと作って、それはその後どうなっていくんですか。
次にね、京都市の行政の事業、京都版トキャソ事業という漫画家専門のシェアハウス、専用のシェアハウスの事業を間接的に委託を受けて、
それも漫画家専用のシェアハウスも5軒ぐらいあっていて、一番多い時で2013年かな、京都市内で1軒や12棟、
合計60室ぐらい運営していたっていう流れがありました。
原則はシェアハウスを運営するのが一番最初ですね。
お金ないので、サブリース、とりあえずコンパクトにサブリース。
借りて高く貸す企画で最適収益を上げるみたいな感じですね。
そこから2013年に借りてたほとんど町屋だったんですよ、古い。
それも良かったんかもしれない。
でも最初町屋がいっぱい余ってたから、町屋でそういう若手のクリエイティブなコミュニティ作っていこうっていう流れでやってたんですけど、
2013年から町屋が、オーナーさんが宿にしたいみたいなことがいっぱい出てきて、
インバウンドをやってきたんですね。
じゃあそんな町屋もこのシェアハウスのコミュニティの持続性はないなってことに、
2013年に切りをつけて、違うところ探そうっていう風な形で考えていたところ、
高校時代の後輩が中央卸売市場の城外にボロいビルで全然使われてないビルがあるって言って、
うちの後輩のお父さんが持たれてるビルがあるってことで見に行ったら、
ここはクリエイティブな匂いがするぞと、廃墟戸外だったんですけど、町内全部廃墟みたいな。
じゃあここ一軒ビルやってみようってことで、大きいビルを借りる延べ600平米ぐらいのビルを、
それまでコロコロ集めていったお金をぶち込んでビルに延べしたっていうのが、
実はそれの1個前なんですよ。
2014年から10年間、今年の春で10年間終わったんですけど、
定釈が。
かんぶつ屋か、のりわかめの会社さんが営業されてたところの社員料と倉庫と店舗が複合になったやつを借り受けて。
それの事業。
定釈の最後ってどうやって終わったんですか。
きれいに返しました。
ただ処理者さんが。
続けるみたいな選択肢はお互いに取れなかった。
続けてっていうオーナーさんが言われたんですけど、
僕らはもう次のフェーズ、もう10年前の企画やったんで、
違う野菜の卸しの社員料と倉庫があって、
それを2019年にカガンホテルっていうそのホテルとして、
この辺からが直近やっていくような話になっていくかなと思うんですけど、
ちょっとその直近の話に行く前に、
今大学の学生の時から起業するっていうところまでの話をお伺いしてたので、
その流れでちょっとこのね、
コンキャリさんの学生さんに向けての話に行けたらなと思うんですけど、
じゃあここでね、コーナーに移りたいと思います。
学生のうちにこれやっとけー。
どうなるってことですね。
いや、どうぞ。
あの、この音なくなったと思ってたけど、
まだあったんやと思って。
ありますよ。
はい、すみません突然始まったんですけど、
このコーナーは建築土木の就活サービスコンキャリーを利用されている建築土木学生さんに向けて、
業界の大先輩からアドバイスをいただこうというコーナーとなってます。
ちなみにコンキャリー、トンカンカフェはご存知でしたですか。
あの、はいちょっと調べて予習してきました。
すごい仕組みで、学生、建築学生からしたらめちゃくちゃいい仕組みなんですけど、
これ、僕ら、後でちょっと話になると思うんですけど、
僕らの大阪港の本拠地の方でもやっていただいてて、
僕らの方もめっちゃメリットあるんですよ。
学生さんとなんかやるってなった時に、
じゃあどうやって集めようっていう話じゃないですか、学生は。
建築が大好きで建築学部に行っている建築学生が、
ワンクリックで集まるみたいな仕組みなんで、
我々も得だし、学生さんも得っていう、
すごい座組のお話で、その子たちに向けた先輩のお話ですね。
さっきもね、ちょこちょこ大学生の時の話が出てきたんですけど、
大木沢さんが思う、学生のうちにこれやっとってよかったなぁ、
もしくはそれをやって、その時はやってなかったけど、
あの時学生に戻れるなら、これやっとったらよかったなぁ、
みたいな、そんな話がお伺いしたいなと思ってるんですけど。
なるほど、やっといてよかったなっていうのは、
今、血となり肉となっているなと思うのは、
本を読む量は、ベタですけど、めちゃくちゃ多かった学生だったなと思います。
どれぐらい読んでたんですか。
どれぐらいでしょうね、
でも年間、薄いものから分厚いものまで100話読んでた感じしてまして、
バイトを選ぶのも、本を読みたいがためにブックオフにアルバイトに行って、
4年間僕はブックオフでバイトしてたんですけど、
ハードオフじゃなくてブックオフですね。
ブックオフですね。
本いるんですよね。
面白いのはあれ、どんなお客さんがどんな本の束を読んでるかって買い取りするんで、
確かに。
わかるんですよ。
面白いかもですね。
樹々つなぎでわかるんですよ。この一連で。
なるほど。
京都なんで美術家さんもいれば、大学の先生もいれば経営者さんもいらっしゃる、結構依存のブックオフだったんで、
すごいそれは勝手となったから、もうなんでもいいので。
本かつその人も見れたみたいな。
それはすごい良かったですね。
確かに本大事ですよね。うちもね、やってますもんね。
みんなの図書館三角って、
あの座組って、人の心の中がすごい会話見えるようで、なんか色気あるんですよね、その本のあれってね。
本は読んどけ。
なるほど。なんか、やっとったらよかったなとかあります?
やっとったらよかった。ほんと9学生だったんですよ。9学生で、自分で学費稼いでたんで、
飲み会一回も行ったことなくて、3,000円が払えなかったんですけど。
なんかあれですね、今のビジネススタイルがなんとなく、
なんとなくフライワンとワークなく自分と向き合ってビジネスを作るみたいな、
なんかその辺の原点はその辺にあったんかもですね。
なるほど。ある意味貧乏症と言いますか、あれなんですけど。
まあでも、全部学費払い終わったときに、インドとニューヨークに行ったんですけど、
もっと旅したかったなっていうか、もっと見るもん見たかったなっていうのはすごい。
場所も、好きな場所みたいなのを送ってもらうんですけど。
めっちゃ悩みましたけどね。
聞いたことない。
聞いたことない地域でしたよね。どこみたいな。
どこ気になります?
分かったの多分最後のニューヨークだけで。
ロンドンもね。
どこだったっけ。
3人のところですか。
あ、これ道順さんか。
あったあった。えっとですね、場所がですよ。
バラナシ。
バラナシはインドのガンディス川がある。
オマハ。
オマハ。
ロンドン。
ライブツイヒ。
ライブツイヒ。
はい。
ニューヨーク。
はい。
言いにくいし場所分かれない。
そうだね。
いっぱい行ったらよかったってことですね。もっと行ったらよかったみたいな。
そうですね。だいたいインドとニューヨーク以外は社会人になってですけど、やっぱそれ分かってる。
なんかやっぱ日本ってすごいステレオタイプを多く含んだ、やっぱ我々教育を受けてきてるし、
なんか当たり前なことが全然当たり前じゃないことって多いので、なんかその枠というか、自分の外すにあったらやっぱり海外多く見た方が。
学生の時に。
そうそう。だからインド。
結構多いですよ。ゲストの方で、やっとけーって三浦が叫んだ後は、だいたい海外もっと行っといてよかったって多いですよね。
やっぱその時にしかね、長い休みとかね、時間自由に使うのもね、難しいですしね。
それはありますね。
インド行った時に、なんかその、10歳の男の子が普通に商売してることを思うと、いや俺この子より多分教育受けてるし頑張れるやろうと思うわけじゃないですか。この子生きてるなと思った時に。
インド行ったことないですね。
ぜひ。ぜひ。
インドは水は大丈夫ですかね。
余裕で腹は下すので。
ですよね。僕それだけで終わるやろうなと思って、なかなかあっちにね、タイより向こうになかなか行けないんですよね。
確かに。一日中ね、おトイレこもりっぱなしみたいなね。
日本でも結構厳しいんだよね。
はい。ということでね、いい助言ですよね。学生の皆さんぜひね、いろんなね、本読んで、時間とお金さえあればね。
僕もう一個聞いていいですか。01といきなり学生即起業、それから学生、たぶん就職されてないのでわかんないと思うんですけど、僕も似たような口なんですよね。
大学の時じゃないと大手企業で働けないとかってあるじゃないですか、新卒の時に一括採用で、それに関して僕もよく質問を受けるんですよね。なんかそれって今しか大手って就職できないからっていうのをよく聞かれるんですけど。
ちなみにそれに関してはどう思われますか。
それはたまたま僕の場合運が良く、今やった方がいいって思うことを見つけたから、これは今がベストだっていうのをわかったので、やめますって言ってやめてきたんですけど、もしそうじゃない場合は。
なかったら就職してもええやんかってことですね。
絶対そうです絶対そうです絶対そうです。
選択肢が、今ですね今どうなのかで、そうだわ良いこと聞いたそうやわ。
確かに。だから今やりたいことがあるんだったら別にもうすぐやったらいいし、明確にないんやったら一旦働いてみたらっちゃ話ですね。
だから就活はした方がいいし、何も見つからなかったら就職したらいいし、そこから考えたらいいと思うので、就職最初からしないという状況は選択肢として乏しい感じがするので。
僕ちょっと一回り世代が上な50万円じゃないですか、たぶん学生さんからすると相当お父さんですよね。僕の一番上の長男が今年の新卒同年なので、もう僕が言うとお父さん、子供なんですよね。
そうですか。
おじ、だいぶおじさまですよね。ただね、長女子の間なんで。
まだ話題までのほうね。
多分めちゃくちゃ良いこと聞いた、そういうことだ。
なるほど。
なるほどね。
そういう選択肢もあるということでね、そんな感じで皆さん頑張っていただきたいなと思うんですけども。
コンキャリが先ほども言ってたみたいにコンキャリが手掛ける建築土木学生向けのコミュニティカフェトンカンが全国各地に展開中ということで、大阪でも本町にある1号店に続いて2号店のプロジェクトが進んでおります。
今ちなみに福岡、名古屋、仙台がオープンして、次は東京と大阪の2つですね。
いろんな各地でこれからも盛り盛りと進めていくということで。
地方が動きます。
建築土木学生の皆さん就活の際にはぜひコンキャリトンカンカフェぜひぜひチェックしていただければなと思います。
だんだん僕コンキャリの人みたいになってきましたね。
なんかね。
めちゃくちゃ詳しくなってきたからね。
なんかいろいろ。
そうそう一緒にプロジェクトやってるんでね。いろいろあれなんですけど。
いろいろね。ということで後半の方に戻りたいですね。
ちょうどなんで新しい事業にオープンするが2019年に全てを今後こっちに移っていくというカガンホテルですかね。
これは1階1、5階のビルをリノベーションした物件みたいな感じなんですかね。
そうですね。
もともと建物との出会いはどんな感じですか。
建物と出会いは前段で話していた観物屋のビルの企画してるときに散歩してたら同じ町内にすごく大きい、
ノベ1300平米くらいあるんですけど、建物あるなーっていうのを認識していてて、その程度だったんですけど。
事業次の一手何かって考えるときに、前段でやってたその企画がシェアハウス13室と下に木工鉄工ができるスペース、
木工のプレナーとか置いてできるクリエイター向けのスペース作ってたんですけど、そこにファインアートの絵を描く子とか彫刻やる子が使いたいですって来て、
そのときに大きい作品作りたいんです。ただその大きい作品って結構2メーターかける3メーターくらいの絵なので、このビルからは出ない、出口問題が発生してて。
じゃあちょっと貸せへんなーみたいな話があって、じゃあ裏のボロい建物をリノベーションすると、そういうファインアートの作家向けのアトリエ付き住居できるんじゃないかというところで、
周りが市場なので朝から結構3時くらいからうるさいんですよ、市場のおっちゃんたち。朝10時くらいに仕事終わられてシーンってするんですけど、そこからはもう静かなんですけど。
じゃあ制作音に関与なんで、木工とか鉄工とかできたところから、じゃあファインアートの作家にとっても多分その環境って、
ノットを出せて大きいものを出し入れできる住居付きの倉庫があれば、それは必要とされそうだなと思って企画スタートして。
花岩ホテルと言っているけど、ベースとしたらアーティストとクリエイターさんとかが使う創作の場所でもあり、住処でもあるみたいな、そんな施設ですかね。
6フロア中2フロアは作家にもお渡ししてて、10名作家が住めるシェアハウスと言いますか、寮と、住んでる作家のアトリエスペースになってまして、そこは大分かじなんですけど、
家賃4万9千円で募集出してて、その借り先行させてもらって、ある程度その実力のある作家さんに入ってもらうという形を取ることで、
ブランディング的な要素も。
そうですね、やっぱりファインアートやってる子たちもいろいろと、何て言うんですかね、種類というか。
ちょっと今やっぱり僕嘘つけなくなった。ファインアートを叱咤してる俺を許してなくなった。今4回目ぐらいで1回ぐらいはええかなと思ったけど、
ファインアートって何ですか。
どうですかね、現代美術ってまあすごいその工技のアートと競技のアート、今言ってるのは競技の狭いアートなんですね。
これ喋ると全然2,3時間喋る。
サクサクっとまとめると。
基本なんて言うんですかね、美術の歴史に紐付けて、その価値をアウトプットしている作家はおそらく競技のアート、ファインアートに属する。
ザクっと言うと、100年前にカメラが普及して、カメラ普及して画家たちが、じゃあ俺らいらんやんってなったんですけど、
じゃあ画家にできることあるはずやってことで、ピカソあたりがキュビスムって言って概念をこうなんていうかな、概念を自分で考えて。
難しい話で、すごく狭い領域のアートっていう認識でいいんですか。
作家たちはその意味のリレーをしてて、先代でピカソがやったことを誰かがバトンを継いでこうやって言ってるんですよ。
だから今誰がバトンを継ぎの若手アーティストはそれをゲットしに行くっていうか、バトンをもらうっていうのを若手作家たちがみんな頑張ってて、コレクターたちはこの子いいバトン持ってそうやなみたいな感じで。
なるほど。 樹々つなぎで、美術史の価値のリレーをしてると思ってる。それが競技のアート。
競技って、狭い競技ですね。それをファインアートって言うんですか。
現代アート、ファインアート、そうですね、いろんなジャンルがある。
そんな話は、たぶん深層。
そうそう。
範囲に。
ほったんがあかん。
ということで、結構そのうちの若手作家たちもちゃんと、いわゆるギャラリーがちゃんとついていって、コレクターがしっかりついていって、作家活動していく。
または美術館に所蔵されていくみたいな作家たちが主に入ってきてて。
その作家の拠点に遊びに行けるホテルということで、15室のホテルをしております。
なるほどなるほど。そういうビジネスモデルなんですね。
そうですね。だから作家からはお金はそんなもらってなくて、その建物の売りの米費用とかは宿泊代から預かって返済したり、オーナーさんにガチ払ってたりして。
なるほどなるほど。
確かにそれは新しい。これチチレメソスキー持って、借り受ける数字の話はしにくいですか?どれくらいでとか。それまた後で聞かせてもらうとして。
30年定期借家で借りて。
30年の定借で借りて、資金調達は銀行からの借り入れで。
そうですね。内側の内装とかは借り入れと社債発行でやってて、外側の栄光寺はオーナーさん側で。
オーナーさんが栄光寺も出してくれてるんですか。
全体接班してますね。中と外で。
はいはいはい。ほいで、アーティストが活動しやすい環境を金銭的にも作ってあげて、それを興味持って泊まりに来る人のここでマネタイズをしていて。
そうですね。
オーナー良し、運営側良し、芸術家、ファインアートやってる人も良し、利用者も良しみたいなビジネスモデルですね。
そうですね。
なるほど、でもそれそこまで歌った方がビジネスモデルって面白いんですね。
そうですね。
なるほど。
そんな見え方してないだろうね。
インスタ見てくる子はすごいわかってくれてて、チェックインの時にアクリルケースに入れた作家の作品の中から一つアート作品選んでもらうんですよ。
それを選んでもらったスタッフが部屋まで持ってて、部屋にフックが壁に掛かってるんで、そこに作品を掛けてあげて初めてを選ぶ体験をしてもらおうということで。
それで結構皆さん、確かに初めて、急にホテルに入ってチェックインの時に人生の初めてを味わうので。
やっぱりこれ取材させてください。
ぜひ来てください。
僕も。
嬉しいですね。
なるほどね。
ぜひ泊まってほしいです。
泊まりたいです、泊まりたいです。
京都って、僕は表記は西宮なんですけど、帰っちゃうじゃないですか。
確かに。
泊まんないじゃないですか。でも泊まりたいですね。
ぜひ。
なるほど。そういうビジネスモデルなんですね。
そうですね。年間今、集計見たら3200人ぐらいが泊まってくれてるんで、そういうホテルになってます。
3200人ってことは1日10人ぐらい。
10名ほど、12弱。
泊まる方はアイドル育てるみたいな感じで。
そんなことはない。普通にホテル宿取ろうって思った時に、面白いホテルあるって言って、ちょっとリッチ悪いけど行ってみた。
ですよね。リッチがそんなにいいわけじゃないですよね。
東山とかに比べると。
そうそう。そうですよね。
街中でもないし、ちょっとアクセス悪いんですよ。京都駅から近いですよ。
日本人、外国の方比率で言うとどんなもんですか。
最初イメージしてたのは、外国8、日本2ってイメージしてたんですけど、オープンすぐ2ヶ月後にコロナだったんで。
日本に振り切ったんで、日本8、海外の方2。
今か。
です。
京都でありながら。
だから街中はすごい高くなって、ちょっとコモディティ化したホテルがいっぱい溢れてるんで、
じゃあちょっとリーズナブルで、変なというかちょっと特色のあるホテル行ってみようみたいな日本の方が多く来てくださってて。
面白いですね。
そうですね、なかなかいい。お客さんがアート好きな、めちゃくちゃ好きというよりもちょっとライトに体験してみたいぐらいの好きさで来てくれるので。
僕、これちょっとお会いする前にも話してたんですけど、僕芸術が全くわからない人なんですよ。
分からないって言ってる理由が、デザインはそれに商業価値があって意味があって、考え抜いてそれを出すじゃないですか。
なんでこれは商業的に分かりやすいんですけど、芸術がお金に監禁される仕組みっていうところが、いまいち見えないものが多いな、なんでもやもやするな、ちょっと僕は敬遠しているっていうところがあるんですよ。
ただ、この話はめちゃくちゃ芸術を生まれたいとしてるなと思って、俺も出ると全然違うし、これすごいビジネスモデルだと思うんですけどね。
ありがとうございます。僕に1時間もらったら多分、美術めっちゃ好きにならせられる自信が、とりあえずホームページ買いましょうって、1個作品買いましょうって言えるぐらい。
でも僕ね、絵描くんですよ。芸術が理解できないっていうのが、芸術をビジネス化するときに、いろんなミスマッチが起こっちゃってるなーのところは、僕にはまだブラックボックスなんですよ。
だから、絵も描くし、僕自分でコテンもするんですよね。ただ、それは全然個人の活動であって、例えば僕がやってたカフェに、僕が描いた絵を貼ってたんですよね。それを売ってたんですよ。
で、10年やって2枚売れたの。みたいな。でも、だからそんなもんよねみたいな話で、なんで芸術ってそうじゃないの?みたいなのがあるんですけど、これはすごいですね。
そう、ここ多分5年10年ぐらいの京都の若手作家が、すごいいい作家がいっぱい出てて、でも教育のスタイルが変わってて、京都芸術大学をはじめとする芸大が卒展で作品を売らし始めたんですよ。
いいですね。
最初は教育と商業というか、売るお金っていうのはアンタッチャブルだったんですけど、売るようになってから先生の目の色も変わるし、卒展で2、300万売れる作家が出てきたら、その後輩たちの目の色も変わって、本気で学びながら。
絶対そうするべきですよね。
だから、本当に毎年4、5人ぐらいは京都の大学生で、この子らすごいなと思う子たち出てきてるんで、その環境がここ5年で整ったので、我々も存在できてるというか。
これね、もちろん記事とかいろんなあれ見たんですけど、それは伝わってこなかった。
それは背景の問題なんで。
たぶん切り取り方が、どっちかって言ったら建築、ビジネス軸で切り取るとめちゃくちゃ面白い。
今撮ってるメディアさんはたぶん全部、利用者さん目線でなんとなく切り取ってるので、僕今度ちょっとこのゴリゴリビジネス目線で。
もちろんリノベーションの施設なんで、リノベ軸でもありつつ、ビジネス目線でひも解きにいきたいんですけど。
加官ホテルが2019年にオープンして、2020年にコロナがやってきて、コロナ開けて今ちょうどいい感じに仕様を乗ってきて、次、同じエリアでこれをやりだすんですかね。
そうですね。加官ホテルの目の前、徒歩100歩くらいのところに、去年廃業されたかまぼこ工場がたぶん80年くらいされていた老舗さんがあって、そこの工場を今回企画させてもらう運びになっています。
そのスキームで言うと借り受けて。
そうですね、銀行の借り受け関係だったんで、これを購入させてもらって、融資もつけてもらうという状態で、うちの子会社で買わせてもらうという状態です。
それを、もともと食品化工場だったので。
どれくらいの大きさの建物ですか、築年数とか。
築でいくとたぶん65年くらいで。
構造は。
RC3階建てに上に鉄骨で増築だったんですけど、縦壺225平米の4層で750平米延べ床というものでした。
もともと食品化工場だったので、それを用途変更せずにそのまま食品化工場として、一社が使うのじゃなくてマイクロなもの、一番小さいのに16平米から大きいのに60平米くらいの食品化工場として、
こっちでAB工事までしてあげて貸し出すと、本当に機材とちょっとした配線するだけで食品化工業がスタートできるみたいな状態でテナントを募集しております。
これをテナント募集は申し出してるんですか。
今プライムテナントっていう、まだ前段のゆうずきが聞いているテナントさんの話をしているんですけど、
ちょっと待ってください。一番最初に声掛けしてるところをプライムテナント。
優先テナントさんからプライムテナント。
この言い方かっこいいね。僕普通に多分使ってると思います。最初にほらあのパーマ屋さん声掛けたよみたいな言い方。
初めの方にプライムテナントでしょ。
いいですね。
言われる方もいいのでね。聞いてるテナントもいいんですけどプライムテナント。
12月中旬から一般募集でも窓割りも確定したので、賃料も確定したので一般募集。
建築工事に関してはどっかの会社さんと建築やってるメンバーと組んでみたいな感じなんですか。
そうですね。今回木村松本設計事務所さんの方に設計依頼しまして、公務員は今設計事務所がお付き合いあるところにお願いするという状態なんですけど。
なるほど。そこの建築の方には興味ないというかあんまりそっちには行かなかったんですか。
そうですね。前段で言った人口減っていく中で多分一番コアになってくるのが建築ではなくおそらくその企画開発、ソフトのところのプロになるっていうのを考えていたので、建築は手放そう。
何なら仲介とかも手放してひたすらやる修行としてプロになろうというのが捨てたというか。
多分これから出来上がっていくものの話なので、今話を深く掘ったとしても変化も出ていくでしょうし、これからなんで5年後にまた話を聞かせていただければななんですけど、
これ今日聞いてて面白かったのが、大学生の時に企業を考えて、全くお金ない状態でそのまま活かすっていうミラクル、企画で人を集めて、まずここで一個、これって多分今日長屋ぐらいのやつをまずそれをした。
それが5個になって、その資金でこの加賀アンホテルの前身になるところに全部ぶち込んだ。そこはサブリース事業でやった。それをやった経験を生かして次この加賀アンホテルっていう、これもサブリースですね。
なんでオーナーさんから借りて高く、また話をするっていうビジネスモデルですよね。で次のビジネスモデルはある意味物件を購入してになるので、本丸っちゃ本丸ですよね。自分のところで買うっていうこのちょっとずつ、ちょっとずつだから何年ですか。
14年? 14年でこう一個一個積み上げていった。これって学生さんから見るとなんかすごく見えるんじゃないのかなと思ったんですよ。この変化がちょっとずつグラデーション。今日全部聞いたと思うんですけど。
正直八幡からねスタートしてますし、本当にこれも全くないところからなんで、このスタイルって再現性あるというか若手がやるにはやりよいというか。 ですよね。多分ね今このリノベーションの領域ってすごい輝かしい先輩たちがいっぱい面白いことやってるんですよ。
あれを学生さんが見ると、俺もあれやりたいってなるんですよ。でもあれをやるには、今日のこの話をやってきているからこそあれができて、多分ブルサノーシャさんもオープンバーさんも元々は一個の建物を絶対やってるんですよ。
そうですね。 なんでそれができてるっていうところがあるんで、今日はこれ学生さんに絶賛聞いてもらいたいですし、ゼロイチでビジネスをやろうとしている空き家を活用してほにゃほにゃやりたいねって言ってる人も、多分今日の話はめっちゃリアリティーあったし、いいんじゃないのかなと思います。