Startup Now🦄資金調達を実施されたばかりの企業家の人生や事業ひも解くポッドキャスト、パーソナリティーのStartPodsになりだです。
同じく、パーソナリティーのスタートアップ大好きキャピタリスト中山です。
本日は、パートナープロップ代表取締役 CEO 井上拓海さんにお越しいただきました。
パートナープロップさんは、パートナービジネスを科学し、仕組みにするパートナーリレーションシップマネジメントのパートナープロップを提供されているスタートアップでして、
2025年1月、シリーズAラウンドにて8.5億円の資金調達を発表されました。
井上さん、よろしくお願いいたします。
パートナープロップの井上です。本日はよろしくお願いいたします。
よろしくお願いいたします。
今回お招きさせていただいたのは、紹介的な側面も非常に強いんですけれども、
昨年度開催しましたStartup Now🦄の1周年の記念のイベントですね。
たくさん聞いていただいて、ご紹介なんかもしていただいているエンジェルブリッジの山口さんにご紹介をいただいたと。
すごい盛り上がってましたね、あのイベント。
ありがとうございます。
めっちゃ楽しかったです。
あれはイベントで初めてだった形なんですか?
単独イベントみたいな形では初めてかなという感じですね。
運営が素晴らしすぎて、もうベテラン勢、製造員なのかなと思ってたので。
2人でやってましたよ。
すごいですね、あれ2人で回されてたんですね、あれ。
少しチューリングさんがスペシャルゲストで、チューリングさんにもお手伝いいただいたかなというぐらいですかね。
やっぱり2人ともとんでもないですね。
はい。
本当に企業家さんの熱量を届けるためだけに本気で運営しているメディアでございますので、
そんな中でちょうどこの配信がされる、まさに1週間前という非常にフレッシュなタイミングで資金調達発表されて、
その上井上さんに来ていただいて、しかも投資課事員もめちゃめちゃ豪華というところがあって、
めちゃめちゃ僕らとしても嬉しいです。ありがとうございます。
ありがとうございます。
1週間前というのがですね、まさにパートナープロップさんのバリュー拝見しまして、
スピード市場主義というものがあるんですけれども、これを最も井上さんが体験されていらっしゃるなと感じさせるところでございました。
いやー、ポータスリリース準備が1週間前に全然終わってなくて、もうスピード市場主義で行くしかないみたいな。
追い込まれている状況で。
仕込みの数というのも素晴らしいなというような配信もよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
前編では井上さんの追い立ちや創業までのプロセスを、後編ではパートナープロップさんの事業や今後の展望についてもお伺いしますので、ぜひ併せてお聞きください。
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それでは井上さん、まずは井上さんの人生やご経歴などを中心にした自己紹介を1、2分程度お願いできますでしょうか。
私自身、学生時代は最近は結構当たり前になっては来てはおりますけど、インターンシップとして働いたりですとか、あとは途中からは自分でもできるなみたいな形で業務委託的な形でですね、
メディア運営とかマーケティング系の学生なのでスキルも何もなかったんですけども、そういった形で学生時代を過ごしていて、
新卒1年はリクルートで働かせていただいて、その時はもうパートナービジネスを主にメインにやらせていただき、最後プロマネート形で事業全体を見ていくような形を経歴して、最終的に今パートナープロピュレートを創業しているような形となっておりますね。
ありがとうございます。プラスアルファでもっと遡りたい気持ちはあってですね、ぜひ幼少期学生時代、中高とかでもいいんですけど、どんなことに熱中されていたとか、井上さんを象徴するようなエピソードとかがもしありましたらいただいてもいいですか。
幼少期ですね。すごい幼少期とかは人柄でいくと、それこそ中学校までと高校生以降の人柄が全然違うなと思っていて、今知っている人とはそんなことないだろうと思うかもしれないんですけど、小学校、幼稚園、中学は地域が同じだったので、会う人全員友達だと勝手に思うような形で、コミュニケーション能力が高い時代があったんですけども、
逆に高校生になった瞬間に別の地域に行った時に、友達の作り方ってどうやるんだろうみたいな、本当に悩んだ。僕1年生の時はもう本当にクラスの端っこにいるような形になってしまってはいたんですけど、でも高校2年生とかはもう部活とかだったりとか関係性もできてきた、そんなことはなくなってきたんですけど、
いわゆる幼少期は陽キャで高校の1年目は陰キャでみたいな、コミュニケーションってこうやってやるんだみたいな、コミュニケーションの挫折をしたようなタイミングだったのが僕1年生だったかと思います。
今、授業で言ったらリレーションシップを極める、マネジメントするところからのギャップがすごいですね。
そうなんですよ。代表が一番弱みっていうところがちょっと頑張らなくなって。
でもできてた時代とできない経験もあって、そこから研究をされながら今になっているのかなって思うと両方の気持ちがわかるっていう強みもありそうですね。
よく言ってくださったという形ですね。
大学は法政大学で経済学部ですね。
そうですね。
これはなんかどうしてここに入られたとかありますか?
単純に県民権、よくも悪くも僕は失敗してしまって、大学1年生の時はもう毎日の見歩くみたいな生活をずっと送っておりましたね。
めちゃくちゃ意外ですね。
いわゆる大学生ですね。
大学1年生はいわゆるザ大学生をされていらっしゃって、そこからでもさっきの自己紹介ではやっぱ貯金探査されたり業務委託されたりって真逆の印象があるなというふうには思ったんですけど、何かきっかけでそういうふうに変わっていったんですか?
まず僕自身大きく転換だったのが、大学1年生の冬、3月頃なんですけど、北海道の串浪という場所に免許合宿に行きまして、その時に冬の北海道の串浪なんで、もう北端ですごい寒い地域なんですけど。
すごいところに行きましたね。
その時に昔から廃棄凶っていう、廃院に穴が開くのをたくさんやってしまってたんですけども、それがかなりぽっかりと開いちゃう、廃棄凶の一番重度が高いところですね。
で、その串浪の北海道、誰も知らない土地で道端で倒れて、歩きもしなくて、気づいたら救急車で運んでいただいていて、病院に着いたら、廃棄凶なので慣れてたので、自分で廃棄凶だということはわかるんですけど、
軽いものしかしたことなかったので、重度なもので。で、お医者さんから、あなた4時間後に死にますみたいなことを。
余った空気が心臓に流れていっているんですけど、この空気が全部4時間後ぐらいに到着するらしくてですね。
で、それが到着しちゃうと心臓が割れるらしくてですね。そしたら、北海道なんで最初死ぬ気したくないって言ったら、あなた4時間後に死ぬんでって言われて、
その言葉だけで、お医者さんから死ぬって言われた言葉だけで、僕は気絶してしまいまして。
すごい衝撃ですよね。
4時間後に死んでパタン、起きたら手術台で起こされてサインだけしてくださいって言われて、手術が終わって、さらに起きたら管が3本ぐらいあるみたいな形だったというようなところ。
なんで今肺が半分ぐらいないんですけど。
その時にやっぱり、そちらっていうと小中高と何かしら部活動とか勉強だとかっていうところは、24時間365日何かしら勉強している生活が多かったんですけども、
大学1年生は結構挫折感っていうところから飛び歩く1年だったところに臨死体験的なものを感じまして、
その時にやっぱり死を間近にする人間なんかいろいろ考えるなっていうのは確かに本当だなと思っていて、
自分って世の中に何か貢献できたのかとか残せたのかとか、自分の生きてきた意味みたいなところを考え直すっていうところは、やっぱり暇なので病院が。
腕を刺さりながら考えていた時に、自分がいなくなって死んでしまったとしても、社会とか、それこそ今でいうものづくりとか、
社会に何かしら返却をもたらすみたいなところが残ってくれると、僕の生きてきた意味とかが何かしらできてくるんじゃないかっていうところが、
次元体験として今となると思って、そこから急に変わるというよりかは徐々に活動が変わっていったんじゃないかなと思っています。
最初のステップとして、じゃあまず実際に仕事をしてみよう、長期インターンを探されたみたいな形ですか?
そうですね、急にインターンっていうところではなかったんですけども、いろんな人の話を聞いている。
それこそなんかツイッターで急に、その時ビジネスの美も分からなかったので、
一旦ツイッターを開いて、スタートアップっていろんな人が話してるじゃないですか。
ツイッターでDMを送って、とりあえずカフェ行きませんみたいなことを無邪気に言うと、
やっぱり学生を応援してくださる優しい人たちが多いので、そこにお受けいただいて、
いろんな話を聞いていくうちにインターンとかを始めたというきっかけになっています。
どういう会社さんでインターンされたとか、そういう中身とかそういうのはどんな感じでしたか?
最初は本当にSEOのメディアさんの会社さんからスタートしていて、
次がリーテック関係のマクドさんテック系の会社さんとかでメディアの立ち会いをやらせていただいたりとか、
あとはAIの研修サービスの会社さんだったりとか、4,5社ぐらいやらせて、
業味卓とかも踏まえるとやらせていただいたという形にはなっています。
企業を明確認識されたのは、これはリクルート時代の話であって、
それまでは企業してやろうみたいな気概はそんなにはなかったんですか?
そうですね、結果論企業はもしかしたらあるかもぐらいだったんですけれども、
基本的には自分自身のスキルアップみたいなところがあったりとか、
もしくはリクルート入ったのも大きな企業さんの中で、
大きな事業を世の中に作っていけるといいんじゃないかっていう思いで入社していったりするので、
その時はなかったかと思います。
長期インターン先でスタートアップ経験されてたり、
ないしは実は僕も同い年、同世代かなというふうに思ってるんですけれども、
そういうたくさんインターンされたり先進的なマインドを持っている人ほど、
新卒初手からスタートアップとか、ないしあそこまでリスク取れなくてもメガベンチャーに行くとか、
そういう選択肢もあったかなと思ったんですけど、
そこでリクルートを選ばれた、先ほど大きな企業でって話もいただいたところであるんですけど、
もう一回そこの理由とか当時思われたこととかありましたら教えていただいてもいいですか。
そうですよね。
後を振り返ってみますと、やっぱり長期インターンだったりですとか、
その業務委託を踏まえていくで、
自分のできないことっていうのがどんどん明確化していったっていうところが一番大きいかなと思っております。
2つあるかなと思っていて、もう一つが当時の自分自身の考え方でいくと、
大きな会社でやる方が大きなことを実現できるんじゃないかというところの思考があったので、
この2つからまずは企業化も排出も多いリクルートっていうところに、
それ以上のことをあまり考えずめちゃめちゃに入社したっていう形ですね。
ちなみに自分ができないなって思ったことっていうのはどんなことだったんですか。
何か特定のジャンルっていうよりかは深さかなと思ってみて、
当時だとやっぱり先輩社員だとかできる人の、
それこそまともとサイバー出身でリーダークラスをやっていて、
ベンチャーに来た方とかに教わってたりはしたんですけれども、
そういう方と比較すると、やってることは同じだけどアウトプットの質が全然違うよねだったりとか、
そういったところにまず学生としては個人にスキルアップっていうのを置くことが多いかなと思うので、
個人のスキルアップとして入社したっていう形ですね。
基本的にリクルートに入社をされて、
配属された事業部がSaaSの事業部でAirPayとかAirレジを扱うような事業部だったってことで、
これビジネス規模としては非常に大きいんじゃないかってところで、
まさに思い描いてたような配属がしてもらえたっていう感じですね。
これは一番最初からもうパートナービジネスの担当としての配属だったんですか。
そうですね。最初の半年間は研修的にもちろん営業をやらせていただいてはいたんですけども、
配属としては本当にパートナービジネス立ち上げみたいなタイミングではございましたので、
初期のタイミングからジョイにさせていただいたという形でございます。
そんな中で1年間で月間売上を60倍に成長させたっていう素晴らしい実績もお持ちだと思うんですけど、これはどうされたらこうなるんでしょう?
私自身企画部門の立ち上げだったので、半年かな、結果出せずという形で、
大企業だったりするので機案を役員に対して持ち込む形にはなるんですけども、こういう戦略でいきます。
もうだいたい却下みたいな形とか、調任されても実績出ずに半年間過ごすみたいな形で上昇から進められることが多かったんですけども、
やっぱりその時にどうやったらうまくいくかを改善してた時に、私の出会いでいくと海外情報を特にリサーチを始めたタイミングなのかなと思っておりまして、
日本と比較した時に海外の当時だと非常にナレッジが固化されていて、こうやったらうまくいくんだ、しかもやり方も日本と180度ぐらい違うんですよね。
当時の日本だとパートナーさんに対して変な話飲み会営業、寝技含めてみたいなところで案件を取ってくるみたいな形だったんですけども、
海外だとパートナープログラムをきちんと整備されて、そのプログラムを売っていくことによって初めて結果が出るというすっかかくされた仕組みになっていたっていうところですね。
このナレッジを全職でも展開していったところ、それこそ最初は数件単位だったところから大体1年半ぐらいで毎月5000、6000みたいな形が月間売りの受注数ベースで出てくるようなチャンネルになっていったというところであるので、
海外のナレッジっていうのは出会いとしては大きかったかなと思います。
なるほど。今の事業内容もそこからかなり着想も得られているところもあるかなと思いますので、そのあたりも海外との近くとかは後編でもたくさん扱っていきたいなってことは思ったりもするんですけど、
ちなみにキャリアのその後でいくと、プロダクトマネジメント室で最年少のプロダクトメネジャーになったって話もあるかと思っていて、
ここではSaaSの新規事業担当ってことで、これはパートナービジネスに限らず新規事業の立ち上げってことですか?
そうですね。当時だとSaaS事業部がどんどんプロダクトを出していくっていうフェーズではあったので、
その一つのプロダクトの事業計画を作ったり、プロダクトの要求を作ったりですとか、全チャンネル含めての戦略設計実行みたいなところをやらせていただいてたというタイミングではございますね。
ここでもパートナービジネスに関連した新規事業だったってことですか?
そうですね。実際パートナーさん経由で打ってたりもしました。
じゃあかなり一貫されたところがあるんですね。
その中ですごく個人的に気になっているのは、やっぱりリクルートって結構企業化、排出企業のイメージがすごくあって、
とはいえ近年、実際にそこから企業を初手でするって方、意外と多くないんじゃないかなってちょっと思っていて、
ずっと位置づけたり、スタートアップに参画するって形も多かったりするかなって思ってるんですけど、
なんかその中で井上さんが企業に踏み込んだ理由っていうのは改めて教えていただけますか?
そうですね。前提の部分でいくと本当におっしゃる通りで、
周り見てもスタートアップの企業っていうよりかは、例えば今やってる事業の、
1Rのコンサルやりますとか、飲食店やりますとかっていう企業は確かに多いんですけども、
スタートアップ的な企業っていうのはすごい少ないのかなと思っています。
で、実際なぜ私が企業に立ったかっていうと基本2つになっていて、
1つ目がやっぱり学生時代にあった、4名4時間っていうところはあったんですけども、
やっぱり世の中に何かものとか社会の変革っていうのを残した人生に送っていきたいっていう思いは当時からあったっていうところが1つと、
あともう1つはやっぱりこのパートナービジネスを実際の現場の立ち上げから動かしていくっていうところには非常に困ったというところですね。
で、自分自身もプロマネーだったりパートナーチャンネルをやっていく上で、
あ、すごい課題感と思っているところが自分以外の企業さんにもあるんだなっていうところから、
あ、じゃあこれを組み合わせていったら世の中に貢献していったりできるんじゃないかというストーリーで企業に立ったっていう形になっています。
それこそ、会社のCEOの金田っていうのはその当時のリクルートの私の初めての上司だったりはするので、
上司なんですね。
上司を引っ張ってきてっていう形で創業していたりはします。
ありがとうございます。最後にお聞きしたいのが、ちょっと重なる部分も出ちゃうかもしれないんですけれども、
パートナープロプサーのバリューの中に、なりたいにこだわれっていうのを掲げてらっしゃるのがあって、これすごくいいなって思ったんですけど、
これ僕が個人的に率直に聞いてみたいのは、この井上さんは何になりたいかみたいなところ。
個人のビル、これ会社と当然重なってもいいかなと思うんですけど、ここ最後にお聞きしてもいいですか。
やっぱり会社とは重なってくるのが結論にはなるんですけど、
死ぬ時の体験のイメージが私はずっと引っ張られていて、
当時の死ぬ時の感覚って、例えば左側に光があってそれ以外真っ暗な状態で、
徐々に体が暗闇の方に倒れていく感覚だったんですよね。
その光の中に見てみると、すごい空っぽに見えるっていう状態で、
当時の僕としては、空っぽのままこのまま倒れていってしまったらここには何もないんだなみたいな感覚で、
これを何とか何か置いて帰りたいみたいな、ここに何かを置いていくのが自分の人生なんだみたいなところは、
自分としても感じていた。
ここに、例えば有名になるとかだと、変な話、自分が死んだら何も残らないっていう形だと思うんですけど、
事業だとかプロダクトだとか、もっと言うと社会に変革を持たせたっていうところでいくと、
何年も何年も続いていくようなところをその光の中に残していける。
そういったものを残した上で、納得感を持ってこのままパタンと倒れたい。
その光の中に何かを残して倒れていきたいっていうところが、自分のやりたいことにはなっておりますね。
エモーショナルなメッセージいただきました。ありがとうございます。
そんな井上さんがどんな事業をされているのかって非常に気になってきましたので、
そこは後編扱っていきたいというふうに思っております。
皆さんお楽しみにください。
井上さん、中山さん、そしてお聞きいただいているあなたもありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。