早速本日のゲストをご紹介いたします。
神戸アール不動産ディレクター、ルーシーインク代表取締役小泉ひろあきさんです。
こんにちは。
小泉です。よろしくお願いします。
初めまして。
そうですね。
神戸と大阪、なんとなく都知館も全国いろんな方聞いていただけてると思うんですけど、隣やろうなみたいなイメージで。
そうですね。
領域も一緒ですし。
初めましてなんですよね。
共通の友達たくさんいるだろうなと思って始まる前に、僕はちょっと悔い気味に言ったんですけど、あんまり実はそんなにいてなくて、5人ぐらいあって。
たぶん、世代はちょっと先輩なんですけど、だいたい見てるもんも一緒なはずですし、聞きたいことがたくさんあるんで、いろいろ聞いていきたいなと思うんですけれども、まずはご紹介をお願いします。
兵庫県生まれ、関西学院大学経済学部卒。カリフォルニア大学アーバンインコーソーシャルエコロジー学部都市計画修士号。
1999年、モリビル株式会社入社。
2006年、株式会社IDUプラス取締役。
2010年、自転車10分圏内のエリアディベロップメントを指向し、神戸アール不動産、ファームスタンド、ロッコーノマド、マイクロファーマーズスクールなどの事業を運営する。
有限会社ルーシーをスタート。
一般社団法人神戸ファーマーズマーケット代表理事。
一般社団法人ハイム。
アーティストインレジデンス神戸運営理事。
最近は農村、山、町を行き来し、野菜作り、米作りも始めました。
前半と後半のギャップが。
関西なんで、関西学院大学。
英大学ですわ。
カリフォルニア大学。
カリフォルニア大学。
横文字の大学っていう視点であれなんですけど。
後半が米作り始めました。
このギャップがどういうことなんかなっていうところなんですけど。
生まれは兵庫県なんですか。
生まれたのはたまたま兵庫県っていうか宝塚。
生まれただけですか。
生まれただけ。
もうすぐ千里に。
隣の大阪のスイタ。
それでもいいところではあるかなと思うんですけど。
スイタで高校までは普通の高校生ですか。
間隔の中学から行ってるんですけど。
内場さんってことですね。
内部ですね。
なるほどなるほど。
ちなみに何やってたんですか。
クラブとか。
クラブとか。
クラブサッカー部。
本当はどうでもいいですけど、
うちの長男の間隔サッカー部先輩です。
後輩ですね。
どうでもいいですね。
大学は経済学部なんで、
広くそういうことをイメージして。
いやいやもう何のイメージもなく。
ただただサッカーやってた。
ただただサッカーやってて、
そのままサッカー部、体育会のサッカー部も入ったんで。
ガチサッカー部。
ガチサッカー部だったんで、サッカーしかやってなかったですね。
何を勉強してきた。
僕こんなことあるかもですけど。
何にも勉強しなかった。
大学はそんな感じだったじゃないですか。
で、なんでこのカリフォルニアに。
ちょっとあまりにも勉強しなさすぎて、
これほんまヤバいんちゃうかっていうのと、
こんなこと言ったらちょっとね、
そういう業界の人には怒られるかもしれないですけど、
このまま言ったら僕は銀行か保険会社、経済学部。
証券会社とか。
いわゆる金融系みたいなとこ。
先輩がだいたいそういうとこ行って、
体育会やったらそういうとこにみんな行くみたいな。
根性もあるやろうと。
だいたいその時の流れやったんで。
なんかちょっとそういうんじゃないなって。
ちょっと興味が変わり始めてたんで。
たまたまこんな勉強せんと社会に入ってええんかなとか。
いうのを大学に2回ぐらいから。
でもその時はサッカーずっとやってるんですよね。
サッカーやってるんですけど、
ちょっとやりすぎてこれはこのままほんま大丈夫かなって思い出して、
たまたまおじさんが留学経験者やったんで、
なんかちょっと相談しみたんですよ。
当時はメールとかないから、
ほんまになんか手紙書いて、
おじさんがすごい熱い手紙が届いて、
それやったら留学しようかなと思ってたんです。
終わって。
で、語学留学でもして、
ちょっとそこからステップアップしていこうかなと思ってたんですけど、
要は経済学部から、
その時に街づくりみたいな興味が芽生え始めてたんですよ。
そういうのもちょっとありつつ。
本でね、成長の限界っていう本を読んだんですよ。
たまたま。
で、これから環境問題の時代、地球が大変だってなって、
当時サッカーやってたし、
土のグラウンドで毎日やってて、
なんでこんな土のグラウンドで芝生のグラウンドできないもんかなとか、
あんまり今となっては芝生と環境問題全然関係ないですけど、
グリーンとか、
小学校が芝生になるような仕事とかできへんかなとか、
そういうことを夢見出したというか考え出して。
もともとだから、全くゼロから何か考えるっていうことは、
学生の時からベースはそういう資質の下やったってことですかね。
なんですかね。
でもその時までは全然そんなことは、
全然サッカーしかやってなかったんで、
エスカレーター式の方がこうやったから、
あんまり何しようとか問われることもなかったし、
金融系の会社にみんなスーッと行く感じだったので、
違和感を持って。
ちょっと違うなって思い始めて、
おじさんに聞き。
おじさんに聞いたら、
日本の大学で先行変えようかなと思ったんですけど、
日本の大学は変えれませんって言われて、
今は変えれますけどね。
みんなもうアメリカに行くしかないんかなみたいな感じになってきて、
アメリカに行くって大変なんですかみたいな感じで、
おじさんに言ったら、
いやいや大変やけど行きなってて。
大学にもう一回入り直そうと思ったら、
大学卒業するんやから大学院に行けとか言われて。
今ではそうですけど、
当時何の勉強もしなかったから、
大学院なんか入ってない?
英語はいけたんですか?
英語も全然喋れなかったから。
ってことは英語も全くダメ、
ソーシャルエコロジー学部、
別に特に専攻していたわけでもなく、
で、院に行った。
そうです。
でね、必死に勉強して、
いつから勉強しだしたんですか?
2回くらいから。
真ん中くらいから。
必死に勉強して英語勉強しまくって、
GREって言ってたんですよ。
いろいろ受けて、
なんとか通って、
成績もそんなに良くなかったから、
向こうで成績良くないと英学校入れないんですよ。
推薦状とか書いてもらって。
そんなんもあったりして、
なかなか8校くらい受けたんですけど、
名誉も良いところは全部落ちて、
中堅のこれから始まる学部みたいなのがあって、
学部というか学科か、
それがカリフォルニア大学、
UCIっていうところの学科やったんですけど、
それが受け入れてあげるよっていうことで、
カリフォルニアって響きだけで1回も行ったことないのに、
カリフォルニアに行くしかないかなみたいな感じで。
大学出て、そのまま院に上がって。
院に行って2年勉強して。
向こうでは何を勉強されたんですか。
一応都市計画学部なんですけど、
学部というか修士なんですけど、
日本で言う建築系の都市計画と言われるよりかは、
どちらか社会学系の、
コミュニティー軸みたいな。
コミュニティーでもなくどちらかで行政マンになるみたいな感じの、
都市計画科に就職するみたいな感じの、
どちらかで政策を書くみたいな感じの。
固い基礎的な考え方みたいなのはここで学びつつ。
とはいえここでも結構、
勉強はしないとあれだと思うんですけど、
たまたまいい友達に巡り会って、
飲み歩いてました。
そっちの友達ができた。
今のところまだ、
今のスタイル、
神戸ある不動産とか、
そういったところの様子がまだ全く見えてないんですけど、
大学院を出て、
ここから選択肢ってアメリカなのか日本なのかで、
日本を選択されてるんですけど、