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2025-03-27 58:40

リノベの時間 vol.65:神戸R不動産ディレクター/Lusie Inc.代表取締役 小泉寛明

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ゲストは、 神戸R不動産ディレクター/Lusie Inc.代表取締役 小泉寛明さん です。 

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神戸R不動産ディレクター/Lusie Inc.代表取締役 小泉寛明さん 兵庫県生まれ。関西学院大学経済学部卒。カリフォルニア大学アーバイン校ソーシャルエコロジー学部都市計画修士号。 1999年森ビル株式会社入社。2006年株式会社アイディーユープラス取締役。2010年「自転車10分圏内のエリアディベロプメント」を志向し、 神戸R不動産、FARMSTAND、ROKKONOMAD、マイクロファーマーズスクールなどの事業を運営する有限会社Lusie(ルーシー)をスタート。 一般社団法人KOBE FARMERS MARKET代表理事。 一般社団法人HAAYMM(アーティストインレジデンス神戸運営)理事。 最近は農村、山、街を行き来し、野菜づくり、米づくりもはじめました。 

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是非最後までご視聴ください!

サマリー

神戸R不動産のディレクター、小泉寛明氏は、自身のキャリアや経験を語り、都市計画やリノベーションの重要性についての視点を提供します。また、関西学院大学やカリフォルニア大学での学びを通じて得た知識が現在のビジネスにどのように生かされているかを探ります。小泉氏は、森ビルでの経験やリーマンショックを経て起業までの道のりについて語ります。不動産業界における自身の成長や地域活性化のためのビジョンをしっかりと持ち、アール不動産の立ち上げに至る背景を明かします。小泉氏は、学生時代の経験やアドバイスを通じて、リノベーションとエリア開発の重要性について説きます。また、地域のビジネス展開や新しい場所での挑戦についても触れます。神戸のファーマーズマーケットの立ち上げと、地域の農産物と都市のニーズを結びつける取り組みについて議論し、農業教育プログラムを通じて新しい農家を育成し、地域経済の活性化を目指しています。小泉氏は、地域の魅力と農業との関係についても語り、特に米や味噌の製造を通じて地域活性化を目指す彼のビジョンが紹介されます。

神戸R不動産との出会い
はい、えー、こんばんも。リノベの時間をやっていきたいなというふうに思っております。
今日は、えーっと、僕たちは大阪でやってるんですけれども、お隣、神戸の方から来ていただいてですね、
こんだけ近いのに、僕初めましてなので、聞きたいことがたくさんあるので、今日は神戸R不動産のことをたくさん聞きたいと思います。
というところで、タイトルコール行きたいと思います。
リノベの時間!
この番組は、スタイリッシュなキッチンや洗面のウェブ販売といえば、ミラタップと建築の目学生向け就活総合サービス、コンケリの提供でお送りします。
はい、えー、こんばんは。大阪ミラタップでリノベーションをやってます。美想空間鯛島です。
こんばんは。アシスタントの三浦です。
よろしくお願いします。
お願いいたします。
今日は、僕認めてはないんですが、もしかしたら今年花粉症に犯されたかも。ただ認めてはないので、病院に行くことになるんですけど。
皆さん花粉は?
全くないですね。全くないです。
僕もそう思ってたんですけどね。
ないんですよ。
これ多分ね、認めた瞬間にそうなるよね、きっと。
そうらしいですよ。でも認めるとむっちゃひどくなるって。
もう目も今日はシュパシュパしてるし。
若干ね、ゲストさんもシュパシュパしてらっしゃるんで。
いろいろ聞きたいことたくさんあります。初めましてなんで。やっていきましょう。
この番組は全国のリノベーションと街づくりで活躍する多彩なクリエイターや事業家をゲストにお招きし、トークセッションをお送りします。
小泉の経歴と学び
早速本日のゲストをご紹介いたします。
神戸アール不動産ディレクター、ルーシーインク代表取締役小泉ひろあきさんです。
こんにちは。
小泉です。よろしくお願いします。
初めまして。
そうですね。
神戸と大阪、なんとなく都知館も全国いろんな方聞いていただけてると思うんですけど、隣やろうなみたいなイメージで。
そうですね。
領域も一緒ですし。
初めましてなんですよね。
共通の友達たくさんいるだろうなと思って始まる前に、僕はちょっと悔い気味に言ったんですけど、あんまり実はそんなにいてなくて、5人ぐらいあって。
たぶん、世代はちょっと先輩なんですけど、だいたい見てるもんも一緒なはずですし、聞きたいことがたくさんあるんで、いろいろ聞いていきたいなと思うんですけれども、まずはご紹介をお願いします。
兵庫県生まれ、関西学院大学経済学部卒。カリフォルニア大学アーバンインコーソーシャルエコロジー学部都市計画修士号。
1999年、モリビル株式会社入社。
2006年、株式会社IDUプラス取締役。
2010年、自転車10分圏内のエリアディベロップメントを指向し、神戸アール不動産、ファームスタンド、ロッコーノマド、マイクロファーマーズスクールなどの事業を運営する。
有限会社ルーシーをスタート。
一般社団法人神戸ファーマーズマーケット代表理事。
一般社団法人ハイム。
アーティストインレジデンス神戸運営理事。
最近は農村、山、町を行き来し、野菜作り、米作りも始めました。
前半と後半のギャップが。
関西なんで、関西学院大学。
英大学ですわ。
カリフォルニア大学。
カリフォルニア大学。
横文字の大学っていう視点であれなんですけど。
後半が米作り始めました。
このギャップがどういうことなんかなっていうところなんですけど。
生まれは兵庫県なんですか。
生まれたのはたまたま兵庫県っていうか宝塚。
生まれただけですか。
生まれただけ。
もうすぐ千里に。
隣の大阪のスイタ。
それでもいいところではあるかなと思うんですけど。
スイタで高校までは普通の高校生ですか。
間隔の中学から行ってるんですけど。
内場さんってことですね。
内部ですね。
なるほどなるほど。
ちなみに何やってたんですか。
クラブとか。
クラブとか。
クラブサッカー部。
本当はどうでもいいですけど、
うちの長男の間隔サッカー部先輩です。
後輩ですね。
どうでもいいですね。
大学は経済学部なんで、
広くそういうことをイメージして。
いやいやもう何のイメージもなく。
ただただサッカーやってた。
ただただサッカーやってて、
そのままサッカー部、体育会のサッカー部も入ったんで。
ガチサッカー部。
ガチサッカー部だったんで、サッカーしかやってなかったですね。
何を勉強してきた。
僕こんなことあるかもですけど。
何にも勉強しなかった。
大学はそんな感じだったじゃないですか。
で、なんでこのカリフォルニアに。
ちょっとあまりにも勉強しなさすぎて、
これほんまヤバいんちゃうかっていうのと、
こんなこと言ったらちょっとね、
そういう業界の人には怒られるかもしれないですけど、
このまま言ったら僕は銀行か保険会社、経済学部。
証券会社とか。
いわゆる金融系みたいなとこ。
先輩がだいたいそういうとこ行って、
体育会やったらそういうとこにみんな行くみたいな。
根性もあるやろうと。
だいたいその時の流れやったんで。
なんかちょっとそういうんじゃないなって。
ちょっと興味が変わり始めてたんで。
たまたまこんな勉強せんと社会に入ってええんかなとか。
いうのを大学に2回ぐらいから。
でもその時はサッカーずっとやってるんですよね。
サッカーやってるんですけど、
ちょっとやりすぎてこれはこのままほんま大丈夫かなって思い出して、
たまたまおじさんが留学経験者やったんで、
なんかちょっと相談しみたんですよ。
当時はメールとかないから、
ほんまになんか手紙書いて、
おじさんがすごい熱い手紙が届いて、
それやったら留学しようかなと思ってたんです。
終わって。
で、語学留学でもして、
ちょっとそこからステップアップしていこうかなと思ってたんですけど、
要は経済学部から、
その時に街づくりみたいな興味が芽生え始めてたんですよ。
そういうのもちょっとありつつ。
本でね、成長の限界っていう本を読んだんですよ。
たまたま。
で、これから環境問題の時代、地球が大変だってなって、
当時サッカーやってたし、
土のグラウンドで毎日やってて、
なんでこんな土のグラウンドで芝生のグラウンドできないもんかなとか、
あんまり今となっては芝生と環境問題全然関係ないですけど、
グリーンとか、
小学校が芝生になるような仕事とかできへんかなとか、
そういうことを夢見出したというか考え出して。
もともとだから、全くゼロから何か考えるっていうことは、
学生の時からベースはそういう資質の下やったってことですかね。
なんですかね。
でもその時までは全然そんなことは、
全然サッカーしかやってなかったんで、
エスカレーター式の方がこうやったから、
あんまり何しようとか問われることもなかったし、
金融系の会社にみんなスーッと行く感じだったので、
違和感を持って。
ちょっと違うなって思い始めて、
おじさんに聞き。
おじさんに聞いたら、
日本の大学で先行変えようかなと思ったんですけど、
日本の大学は変えれませんって言われて、
今は変えれますけどね。
みんなもうアメリカに行くしかないんかなみたいな感じになってきて、
アメリカに行くって大変なんですかみたいな感じで、
おじさんに言ったら、
いやいや大変やけど行きなってて。
大学にもう一回入り直そうと思ったら、
大学卒業するんやから大学院に行けとか言われて。
今ではそうですけど、
当時何の勉強もしなかったから、
大学院なんか入ってない?
英語はいけたんですか?
英語も全然喋れなかったから。
ってことは英語も全くダメ、
ソーシャルエコロジー学部、
別に特に専攻していたわけでもなく、
で、院に行った。
そうです。
でね、必死に勉強して、
いつから勉強しだしたんですか?
2回くらいから。
真ん中くらいから。
必死に勉強して英語勉強しまくって、
GREって言ってたんですよ。
いろいろ受けて、
なんとか通って、
成績もそんなに良くなかったから、
向こうで成績良くないと英学校入れないんですよ。
推薦状とか書いてもらって。
そんなんもあったりして、
なかなか8校くらい受けたんですけど、
名誉も良いところは全部落ちて、
中堅のこれから始まる学部みたいなのがあって、
学部というか学科か、
それがカリフォルニア大学、
UCIっていうところの学科やったんですけど、
それが受け入れてあげるよっていうことで、
カリフォルニアって響きだけで1回も行ったことないのに、
カリフォルニアに行くしかないかなみたいな感じで。
大学出て、そのまま院に上がって。
院に行って2年勉強して。
向こうでは何を勉強されたんですか。
一応都市計画学部なんですけど、
学部というか修士なんですけど、
日本で言う建築系の都市計画と言われるよりかは、
どちらか社会学系の、
コミュニティー軸みたいな。
コミュニティーでもなくどちらかで行政マンになるみたいな感じの、
都市計画科に就職するみたいな感じの、
どちらかで政策を書くみたいな感じの。
固い基礎的な考え方みたいなのはここで学びつつ。
とはいえここでも結構、
勉強はしないとあれだと思うんですけど、
たまたまいい友達に巡り会って、
飲み歩いてました。
そっちの友達ができた。
今のところまだ、
今のスタイル、
神戸ある不動産とか、
そういったところの様子がまだ全く見えてないんですけど、
大学院を出て、
ここから選択肢ってアメリカなのか日本なのかで、
日本を選択されてるんですけど、
都市計画の視点
ここは何かあったんですか。
一応就職するときにいろいろ悩んで、
向こうで就職しようかなとかも考えたんですけど、
当時森ビルが六本木ヒルズの開発の、
4年前ぐらいだったかな、
巡行する、
すごい六六計画とかいう名前で、
1枚だけすごいコンセプチュアルなホームページ、
ポンって載せてたんですよ。
なんじゃこれはと思って、
文化都心を作るみたいな感じになってて、
それに引かれてしまって、
グッと来て、
応募したら、面接おいでって言われて、
経歴で言うと、
勉強してるかしてないか、
飲み歩いてたかサッカーしてたかはちょっとさておいて、
関西で優秀とされている関西学院大学で、
カルフォルニア大学の院を出て、
ばっちゅわちぃですよね。
イメージで言うと。
その間、結構鬱になりそうなぐらい勉強したり、
そういうちょっと、
うーっていう時期はありましたけどね、
大変な時期はありましたけどね。
森ビルにそのまま入社して、
東京で就職。
7年ぐらいですか。
いやいや、
森ビルでの経験
もう森ビルは3年ぐらいかな、
3年半ぐらいか。
すっと辞めたんですか。
そうですね。
森ビルはどうやったんですか。
いや、森ビルはもうめっちゃ忙しくて、
当時六本木ヒルズの開発の、
いろいろ英語が喋れたから、
外国のコンサルタントいっぱい雇ってるんですよ。
世界的な建築家をね。
なるほど。
それのコーディネーターとして、
ジョン・ジャーディーさんという、
テレンス・コンランさんとか、
コンペダ・センフォークスとか、
設計事務所がいっぱいいて、
そこのコーディネーターとしてやってたんで、
いきなり入った瞬間に、
世界的な建築家からメールが来て、
何それをコーディネートするみたいな感じで。
でもみんな忙しいから、
前に進まないんですよね。
ぐっちゃぐちゃなんですよ。
当時、中小企業みたいな、中企業みたいな感じだったんで。
忙しかって、
上司もちゃんと見てくれないぐらい忙しいですよ。
だからもう自分でこれ進めないと、
えらいことになるなっていうか進まへんなっていう、
なんかどっか変に割り切って、
入社1年目か2年目なのに、
なんかもうこれは俺が決めなあかんなみたいな。
ちょっと責任感がなんか変にあったんかな。
それでスイッチ入ってもうアホみたいに働いてた。
だから今でいうかなりブラックな状態で働いておりますよね。
で、そのいわゆる都市、
本間の六本木ビルズの開発みたいなのを、
そこで目の当たりにし、
で、
まだ出てこないんですよね。
その後、
森ビルを辞めたタイミング、
ちょっといくつかきっかけがあるんですけど、
当時付き合ってた方が、
アメリカに戻るみたいな話とか、
面白い。
もうひとつのきっかけは911があって、
911でワールドトランスセンターがわーって崩れたのが非常にショックで、
資本主義対何か違うものの戦いみたいな、
戦いじゃないけど、
そういう戦争が始まったみたいな。
目に見えないものの力同士の戦いの、
あれが当てにされちゃったみたいなんですよね。
とかいろいろあって、
辞めて、
もう一回アメリカに戻った。
アメリカに戻った。
その時ちょっと日本にアメリカを行き来してて、
たまたま隣に座ってたのが、
原田マハさんって小説家がいるんですけど、
知ってます?
知ってます。
原田マハさんが、
本名は違うんですけど、
原田さんが森美術館の、
いわゆるオープニングのディレクターでいたんです。
席横だったんですね。
仕事の時の席が。
飛行機の往復の席が。
じゃなくて。
森美術館時代にね。
彼女も辞めて、
僕も辞めて、
彼女はいろいろフリーランスで動いてたんですよ。
僕はロサンゼルスで行き来してて、
なんかおもろいやつおるよーって言って、
吉田という東京アルフォーさんをスタートしたメンバーと、
林厚美さんという、
2人と、
ちょっとご飯行かへんみたいな感じで誘ってくださって、原田さんが。
それで、そこで、
夜な夜な2人と遊んでたんですよ。
そっから結構、
若い時、26とか7とか。
全然それは知らなかった。
そっからなんですか?
そっからなんですよ。
仕事後ってことですか?
そうです。
遊び友達というのもあるんですけど。
彼らは違う会社で働いてて、
スペースデザインという会社で働いてて。
リクルーと江戸井さん。
リクルーと江戸井さんの会社で働いてて、
その時になんかおもろいやつおるなーみたいな感じで。
その時は特に何かビジネスをやるとかそんなんじゃなくて、
単純におもろい3人が、
3人というか他の人たちがいてて、
たまに会ってたっていう感じですよね。
本当に2006年のIDUプラスは関係ないんですか?
これはもう普通に、
僕は1回アメリカに行ったんですけど、
ちょっと1回結婚したんです。
アメリカでね。
だけど結婚生活がそんなにうまくいかず。
アメリカの方ですか?
日本とアメリカのハーフ。
ちょっと別れて、
仕事もフリーランスになりたいなっていうのがあって。
その時は何してたんですか?
その時は森ビルがちょっと仕事くれてたんですよ。
外注的な感じで。
なるほど、ディレクション的な。
他に日本のクライアントがちょこちょこいて、
日米のコーディネーターみたいな感じで。
フリーランスの走りみたいなことをやっていた。
ただ2年経って、
そういうこともプライベートのこともあったり、
仕事もうまくいかず、
もうちょっとこれはやばいっていう感じになって、
1回日本に戻ってきた。
クライアントの一社やったのがIDUという会社で。
何をやってる会社ですか?
IDUというのはもう会社なくなっちゃったんですけど、
当時リーマンショックの前ぐらいかな。
結構不動産ベンチャーで、関西では有名な会社やったんですけど、
不動産オークションっていうのをやってて、
それに、もともとは開発もやってたんですけど、
要は開発と不動産オークションみたいな。
仕組みを作ってやっている感じ。
当時、アーバンコーポレーションってあったのは知ってます?
IDUって結構比較された会社で。
不動産オークションって何かあったかもなぐらいフワフワな感じですけど、
そこで初めて、ちょっと不動産の領域と、
過去の環境大丈夫、町づくり、もやもや大学生と、
林さん、吉田さんの出会いでガチャッとこうなって、
KBRになるってことですか?
そこでは結構働いてた。8年くらい。
通産すると。
小会社のマドコ会社のホテル会社の社長とかさせてもらったりとか、
あくまでも雇われ社員で、小会社の取締役をしたりとかさせてもらってて、
逆に言うとビジネスのことをめっちゃ教えてもらったし、
そういういろんなプロジェクトをやらせてもらったんで、
そこで勉強してて、
吉林さんとかは全然別でアール不動産立ち上げて応援してたというか、
それはもう進んで見ていった。
どこで神戸アール不動産になるんですか?
まだ始まらないんじゃないですか。
アール不動産スタートしたのは2011年なんですけど、
2010年ぐらいからスタート、10年から準備してて、
実は2009年にリーマンショックがあって、
リーマンショックと起業
会社がかなりリーマンショックで傾いたんですよね。
結果的に僕らは退職して神戸に住んでたんで、
神戸で起業しようかなと思ってやり始めたのがそのきっかけなんですけど。
一番最初は何の事業で独立をされたんですか?
一番最初は不動産をやろうとは思ってたんですけど、
ただちっちゃいカフェと雑貨屋さんもやってました。
それは奥さんがやってたんですけど。
雑貨屋とカフェをやっている宅建業者みたいな感じですか?
それは軽く遊びで始めたみたいな感じだったんですけど、
それは結構やけどしてですね。
なるほど、商売の難しさをまず。
これやばいな、これさっきいきなり背負ったな、みたいな感じにはなっちゃったんですけど。
が一番最初。
そこにエリア、自転車10分圏内のエリアディベロップメント、
エリアをスモール定義してエリアを、で、
チャリンコで10分という定義をされた。
起点になったのは出張が多すぎて、ロサンゼルスと出張したりとか、
大阪の会社とか、九州行ったり東京行ったりについて、
もう腰が痛いなとか思って、
これは人間的な生活じゃないと思って、
全部が無駄に思えてきたんですよね。
その前にリーマンショックも大きくて、
911もそうですし、リーマンショックもそうですし、
仕事してたらのめり込んで、ガーッとやっちゃうんですけど、
なんかこれ、ほんま資本主義に踊らされてるんじゃないかなっていう感覚になってて、
バーンとそういうことが起きると、自分もバーンと。
リセットして考え直して。
だからもう資本主義に、逆に言うと巻き込まれないように、
近所だけでことを語る。
移動経費もかからない。腰も痛くならない。
移動しなくてもいい仕事で、
自分が住んでた神戸市の中央区の北の町、北のエリアっていうのは、
山手の古い家があるところですね。
たまたま僕らが住んでた家が古い外国人マンションで、
当時、水道個別費込みで15万ぐらいだったんですよ。
140平米とか。
140平米やったら、どっちになるんですか。
いい値段ですよね。
リーズナブルやなっていう感覚で、
え?こんな値段で借りれるの?みたいな、
3LDKの140平米外国人マンション。
もう神戸から外国人いなくなって、
ガラ空きやったんですよ。北の町の外国人マンション。
ほとんど空いてるとは言いませんけど。
空きが多くて。
オーナーさんもインド人とか東京の人やから、
コミュニケーションが多分日本の不動産流通に通じてないんですよ。
これはチャンスちゃうかなと思って、
そこを、僕英語もできるから、
オーナーさんとコミュニケーションしてたら、
やれるんちゃうかなと思って、そこの仲介から始めた。
一番最初のアール不動産的要素のスタートはその流れで、
やっとアール不動産が見えましたね。
そうなんですよ。
神戸ポートランド化計画
そこから始まってるってことなんですね。
そこがいいなっていうのと、
当時、出会った本でね、
スペクテイターの
ホルタナという雑誌の
ポートランド号みたいなのがあって、
当時2009年ぐらいの号がすごいいい号があるんですけど、
それにポートランドなんか完全にオルタナティブカルチャーで
突っ走ってて、サンフランシスコなり、
ニューヨークからみんな移住してきて、独自の路線で。
あんな感じでええやんみたいな。
それがいいなと思って、
そういうコラムを、神戸ポートランド化計画というコラムをね、
一番初めに書いて、
2011年ぐらいに書いて、
それでスタートして、
それに反論してくださった東京に住んでた人が、
ポンポンポンって結構移住してきはったり。
それが、
どこでアール不動産に?
それがアール不動産の始めのスタートの時のコラムがそれなんで、
アール不動産がやるとそれになって、
やっとアール不動産が見えましたね。
たぶん、今アール不動産が出てくるまで、
サッカー少年だった大学生から、
いろんな、
アメリカと日本の往復で、
9.11でリマンショックを経て、
なんかターニングターニングでいろいろあったんだなと思って、
学生へのアドバイス
このイノベロ時間のスポンサーさんで、
キャリナミュレーションっていう、コンキャリさんっていう、
学生就活サイトを運営している会社さんがあって、
建築学生さんとかがこのラジオを聞いてくれてるんですけど、
学生さんに、
こんなことやっとったらよかったなみたいなのを聞きたいなと思ってて、
そういうコーナーがあるんですよね。
学生のうちにこれやっとけということで、
先ほども申し上げたように、
コンキャリさんの利用されている学生さんに向けて、
ちょっと学生業界の大先輩からアドバイスをいただこうっていう感じのコーナーなんですけど、
ほとんど喋っちゃいましたね。
でも学生の時にこれやっとけばよかったっていうのは、
まだ出てなかったかなとか思うので。
でも喋っちゃって、
学生の時にそのままいかんでよかったなって。
考えてね。
そこでちょっと無理やりでもかなりゴリゴリゴリって書いたんで、
それは正しかったなっていうのがあるし、
それですぐね、
僕の場合幸いそんなにトラブルもなくうまくいきましたけど、
トラブルっても全然20代だったら大丈夫かなって。
学生ってトラブレルなんですよね。
ダメージを負って失敗しても学生なんですよね。
それはデカいですよね。
チャレンジしよう的な感じですかね。
小泉さんの場合はおじさんっていう、
すごいアドバイスを。
手紙のメンターが。
やっぱりそういう経験されている大人の方に、
ちょっと助言があったりとか、
もう一人ね、今思い出しましたけど、
当時近所の水田に住んでいる豊中市に、
マッキントッシュのパソコンを使って、
インターネットを使っているおじさんがいて、
当時、大学3年の時にインターネットまだなかったんですよ。
まあそうですよね。
あれで、
Macを使ってやっている人がいて、
その人にいろいろ教えてもらって、
アメリカでもインターネット始まっているから、
大学の先生とかにメールしてみとか言って、
ガンガンメール出たんですよ、それで。
向こうの人はちゃんと返事くれるんですよ。
まだネットが始まったばっかりで。
まあ今ではね、
そんなんちゃいますけど、
やっぱり新しいなんかに興味持ってね。
知らない。
領域のチャレンジみたいな。
やっぱりあれですよね、
果敢に攻めるではないですけど。
知らない人に直アポを取るっていうのは、
去年も都市と巡回というイベントをね、
共通させてもらったんですけど、
大取田さんに直アポしたら返事くれて、
お!って思ったじゃないですか。
大取田さんに直アポしたら返事くれて、
なるほどね。
突撃です。
突撃っていうところで、
どんどん未来に繋がるっていうことなのかなとは。
建築学部に行ってようが、
僕、法律学部出身なんです。
今建築やってますし、
全くそうですよね、それも関係ないかもですね。
全く関係ないですね。
やってみろみたいな感じですかね。
ということでね、学説の皆さん、
今しかできないことをどんどん果敢に
攻めてやっていってもらいたいなと思うんですけども、
じゃあちょっと後半の方に戻させていただいて。
今その話を聞きながら、
学生の周りにいるおじさんとかに聞いたらいいなと思いながら、
おじさんだよね。
おじさんだよね。
おじさんだよね。
学生の周りに。
さっきおじさんっておっしゃってた、
おじさんって何歳くらいですか?
まさにここですよね。
聞きに来てもらってもそうですよね。
おじさんが青年の未来を変える可能性もありますからね。
でも、
そういうのもあるだろうね。
おじさんはすごく真面目に答えてくれたので、
それはそうじゃなくて、
もっとこういけみたいな。
なるほどね。
メンターは大事かもしれないですね。
後半の話になるので、
やっと前半でアール不動産は始まりましたので、
アール不動産の事業は何やってるんですか?
っていうところは、
言わずがなとも的な感じかなと思うので、
いいかなとは思うんですけど、
いわゆるメディア事業をしつつ、
いろんな事業だったり、
やってらっしゃるじゃないですか。
僕はその1つ事業で、
六甲の窓。
六甲さんの、もともとは保養地下なんですか?
そうですね。朝日加生の保養所をやったところを。
結構大きい建物を本気出して改装したら、
多分むちゃくちゃお金かかってしまって、
財産合わないだろうな、
ちょうどいい塩梅にイノベーションして、
やりすぎず、
自社で運営をされているとか、
結構事業展開されてるじゃないですか。
ここの一番最初の、
アール不動産経由の物件で、
自社でやろうか、
その辺ってどんな感じで、どんどん展開していく感じになったんですかね。
一応ね、今運営しているの、
何個やろうな、5個ぐらいかな。
箱でいうと5個ぐらい、畑でいうともうちょっとあるんですけど。
農業ですよね。
いろいろ背景はあるんですけど、
一番最初は北の窓っていうところをやってて、
自社のオフィスが入ってて、
ファームスタンドっていうスーパーっていうか、
グロッサリーショップが入っているところが初めてなんですけど、
全部、我々、
不動産仲介でメディアを運営しつつ、
ちゃんと場があって、
っていうのを必ずセットにして、
エリアデベロップメントって呼んでるんで、
中核になる場所が、
やっぱり重要やなと思ってるんですよ。
だから、北のっていうエリアで、
外国人マンション空いててやり始めようってあったので、
もともとシェアオフィスやってたりとか、
シェアハウスやってたりとかしてたんですよね。
今でもシェアオフィスが拡大して、
ちょっと野菜のこともやり始めてたんで、
その後ファーマーズマーケットっていうのを始めて、
ファーマーズマーケットからリアルショップっていうのに
つながっていったんですけど、
リアルに商売をそこでしてないと、
強い人間関係とか、
信頼みたいなのが得られないかなというのもあったりして、
そういうことでやりながら、
仲介もさせてもらって、
仲介以外の、例えば
デザインの仕事とか、
そういうのもさせてもらったりしながら、
なんでもやるんですけど、基本。
もちろん僕は地域の防災委員長でもあるし、
落ち着きの担当でもあるし、
みたいな感じのことを。
家も同じエリアの中に? 家もそのエリアにやって、
今そういうやり方で、六甲さんも
そういう考えでやってますし、
の村部でもやってるし、
そういう重点エリアが
5カ所くらいあるんですよ。
大体。
そのエリアを重点的に何個かやっていっている。
それが神戸の界隈みたいな。
全部神戸なんですか? 基本神戸ですね。
神戸Rの範囲内でやるみたいな。
それの一番最初のきっかけとかで、
たまたま物件預かってくれへんとか、
なんかおもろい物件の情報が来たとか、
六甲の窓みたいな、
そのエリアを定義してみたいな。
エリア的には北野っていうところと、
六甲さんと、
今平野っていうね、
前この番組に出てた西村くんの
あの辺、彼らと一緒にやってるんですよね。
神戸R不動産の事業内容
あと大御町っていう農村のと、
あと阪急六甲と
大地公園のあたり。
最近あんまりやれてないんですけど。
担当者がつくような感じなんですか?
生徒も社長自身が結構飛び込んでやってる?
だいたいはじめは僕が行きますけど、
主要なメンバーがだいたい飛び込んでいって、
何かをビジネスそこでやろうと。
リアルに。
西村くんはそこでやっとったら、
バイソンはああいうふうになっちゃったみたいな。
要は突っ込んでいって、
自分でその場所でやり始めてっていうのを
大事にしていって、
お前らも生徒。
メンバーに。
農園をやってたりとか。
それってスタッフのメンバーが、
会社のリソースお金を使って、
信用を使って、
新規の事業をやっているみたいな感じですか?
そうですね。
完全に新規の事業を独自の会社のお金でやる
っていうケースももちろんありますけど、
市が結構応援してくれたりとかするので、
そういうプロジェクトをやっています。
最初の突撃のところは、
小泉さんが割とグイッと入りつつ、
横におって、
だんだん入れ替わっていってみたいな。
そうですね。
だから行政とくっついたり離れたりしながら
やってるんですけど、
お互い問題意識が同じところだったら
行くし、
僕らはやっぱり物件が
いっぱい空いてるところ、
問題エリアみたいなところに
燃えるというかですね。
はじめそんな簡単にいかないじゃないですか。
でも5年やってたり、7,8年やってたり、
5年はかかりますね。ちょっと火がつく気がする。
5年くらいしつこくやってると、
ポコポコって人が人を集めるんで、
いい人間が入りだしたら、
だんだん集まっていくんですよ。
5年やって、
行くときと、5年やって、
のときって、
ひと軸で変わるってことですかね。
そうやと思います。
いろんな要素があるじゃないですか。
家賃が上がりすぎるとか、
コミュニティがベタになってきたなとか、
そういうのもあるし、
いろんな要素であると思いますけど、
神戸は全域なんとなくそんなに
おかしな状態にはなってないかなと思います。
僕ら以外でそういう活動してる人たちも、
最近すごく増えてきたので、
永田の辺とかね、出てますよね。
もちろん塩屋とか、
塩屋とかはじめ僕らアールフォードさんが
結構やってましたけど、
人気になりすぎて文献ないみたいな状態ですし。
地域コミュニティとビジネス
大阪でやってるんですけど、
海が見えて塩屋のほうで、
スマのほうでとかっていうお客さんっていらっしゃいますもんね。
人気のエリアになったんですよね。
当時はそんなに。
釣りめっちゃ行くんで、あの辺洋を通るんですけど、
お客沿いの海側のマンションとか、
日本はめちゃくちゃ安かったじゃないですか。
今すごいことになってますよね。
あの辺のね、その辺の人らと
やっぱり連携しながらね、
誰かいるところは僕らもあんまり
シャシャリ出ていかず、
物件情報だけ良かったら仲介だけやらせてください。
ファーマーズマーケットの立ち上げ
ということで協力するんでっていう感じで。
まんべんなく面白そうなエリアには
顔を出してるっていう感じです。
大学生サッカー少年だった
小泉さんがアメリカと往復に行き、
いろいろ吸収し、
経て不動産事業になって、
腰痛いし、じゃあちっちゃく行こうかって、
スモールエリアを定義しだした。
畑要素はどこから出てくるんですか?
畑は全然今日話できなかったんですけど、
ファーマーズマーケットっていうのを
たまたまちょっと10年前から始めたんですよね。
それのきっかけはどんなアレですか?
それは市の仕事だったんですけど。
マーケットを作れみたいなミッションですか?
そうじゃなくてどっちかで農村部が疲弊してるから、
農産物のブランディングみたいな仕事に関わったんですけど、
それに関わってた中で、
やっぱりマーケットが必要なんじゃないかなっていうのが答えとして。
三直系の出口が必要だみたいな感じですかね。
そうですね。
農村の人はアンケートを取ったんですけどね。
アンケートを取って、
町の人と田舎の人、両方取ったら、
町の人は神戸産の野菜欲しいですか?
高くても買えますか?
高くても買うからどんどん持ってきてみたいなことを言うんですよ。
農村の人に、
農村の農産物持っていかないんですか?って聞いたら、
いっぱい作ってるし、取りに来たらええやんって。
30分の距離なのに、
わたが行かないっていうね。
農村に行ったらいいのにとか、逆に持ってきたらいいのに。
行かないっていう。
流通がある程度できてるっていうのと、
都会側からの人からしたらエンターテイメントがなさすぎて、
それがこの10年でかなり改良をしたとは思います。
山側と都会側の間が上手いことジョインできてなかったやつを、
ソフトでジョインさせていって、農業に触れていった。
マーケットをやり始めて、
これ話せば長くなるんだけど。
ちょっと聞きたいですね。
ファーマーズマーケットは10年前に始めて、
東原地っていう公園でレベルを始めたんですけど、
ポートランドのファーマーズマーケットに
いろいろ教えてもらいに行ったタイミングがあって、
成功の秘訣は2つあって、
1つは毎週開催すること。
2つ目は気の下でやること。
毎週は大変ですね。
毎週やったらビジネスになるよって言われて、
ファーマーズマーケットは年間150回やってて、
出店料売上げで5000万とか8000万とか、
スタッフが10何人いて、
みたいな感じだったんで、
僕も住んでたから、
そんな難しくないだろうなって感覚があったんで、
住んでたっていうのは、
ロサンゼルスに住んでたんで、よくそういうのに行ってたんで、
やり始めたんですけど、
始めは神戸市にもかなり協力して、
今も協力いただいてるんですけど、
やりながらやってて、
1年目、2年目、3年目は苦労しましたけど、
おかげさまで毎週ずっとやってるんですよ。
土曜日の朝に。
大体9時から12時くらいまで。
今は場所をどんどん移っていってますけどね。
ざっくり仕組みで言うと、
場所を提供するから農家さん持ってきて売りな、
神戸さんの野菜解体師とカイノイデーナのマッチングを
リアルな場でやっているんだよね。
どっちかというと、農家が来て、そのまま売って、
我々出店料収入をもらうっていうだけの話です。
それで運営するっていう。
それ単体で、会社の中での一つの事業として。
農業教育プログラムの導入
法人としては、一般社団法人神戸ファーマーズマーケットっていう
団体があるんですけど、
別団体になってるってことですね。
別団体であるんですけど、そこの代表も
させていただいてて、実際
動いてるスタッフはうちの会社のスタッフですけど。
だからそれ単体ではそんな大きな収入には
まだポートランドのようなことには
なってないんですけど、
一人食っていく分ぐらい。
それで農業っていうものに触れて、
そこからどんどん農業の方に
今度はまっていくという。
3年後くらいにファームスタンドっていうお店を
毎週買えるじゃなくて、
毎日買える場所を作らなあかんなっていうので、
毎日買える場所を作って、我々の
定番を週4回回って
米野菜を集める機能を
持って、今ちっちゃいスーパーマーケットをやってるんですね。
そのメンバーが運営してるってことですよね。
そうです。だから我々のスタッフは
不動産営業もするし、野菜の収穫も行く。
キッチンにも入るみたいな。
僕、何名かお会いしたことあるんですけど、
両方やってるみたいな。
会ったメンバーいると思うんですけど、
彼女はキッチンにたまに入ってますよ。
すごいなあ。
この領域結構色々
米野さん企画っていう部署で
何するんですかみたいな話なんですけど、
結構、特にR不動産系の会社さんは
兼業多いんですよ。
普段設計やってます。
イベントもやってますみたいな。
農業と不動産ってなかなかですね。
すごい。
前提で入ってくるってことですよね。
そうですね。
不動産営業をするスタッフは
不動産営業としての仕事をしますけどね。
1割、2割くらいはそういう仕事をした方が
頭も変えちゃうみたいな。
確かにそうですね。
そういう感じですけどね。
で、それが仕組み化されて
農家さんから集まった野菜が
今はファーマーズマーケットとファームスタンドは
基本販売の世界なんで
農産物の販売っていうのをやってる。
カフェもあるんですけど
そういうことをやってるんですけど
やっぱりその生産者が
ファーマーズマーケットで面白い人がいっぱいいたんですよ。
今もいるんですけど
農家さんってやっぱり素晴らしいなって思ってて
ファーマーズマーケットスタートしたのも
新規就農者の人たちばかり
今のこれからの農家さんっていう感じの人を
ちゃんと売り場作れたらなって
買い取れたらなっていうので
ビジュアルもそうだし
ただ収納しようと思うと
かなりハードル高いですよね。
高いっていうことがいろいろ分かってきて
兵庫県行ったりして泣かされて帰ってくる人がいたり
なんでこんなにハードル高いんだろうっていうのがあって
それだとちょっと学校やってみようと
自分らで農業スクール
社会人で
ちょっとこれ私農業向いてるかどうか
試してみたいみたいな人が
1年間真剣に通ってもらって
24回通ってもらって自分で
60平米70平米10mの海5本くらい
それを春野菜と夏野菜と
いちいち作ってもらうっていうのを
スクールとしてやってて
授業になってお金もらって
18万もらって
15人受け入れてるんですね
おもしろい
その卒業生えぐいでしょうね
60人卒業生がいて
うち3分の1ぐらい農村で
活動しはるんですよ
それやってた神戸市が制度作ってくださって
ネクストファーマー制度っていうね
ちょっと収納のハードルを下げるミニ農家みたいな制度なんですけど
そういう制度を作ってくださった
ミニ農家でやっていこうっていう人が
増えてる感じです
60人の卒業生のうち20人が
今そういう感じでやってて
それを家買ってくれた人もいるし
ビジネスマネターズもされているし
そのエリアのおもしろい人が
どんどんどんどん集まってきている
本気で収納した人も4人いて
その人たちも経済的にはまだ苦労してはるから
次はそういう
インフラを作れたらなっていうのは
今考えてるところではあるんですけどね
リノベーションと経済圏の考え方
自分のところで運営している
卒業生さんが収納して
その野菜集めて
自分のところのお店で売ったり
マーケットしたりとか
それが回ってるんですね
そういうイメージはあったんですか?
そこまでイメージしなかったですけど
だんだん融合してきた感じで
さらに今今年
去年チャレンジしたのはファームハウスで
自分たちでも畑とかやっててね
農村の家って使いにくいし
距離が遠すぎる
家の前に畑欲しい小さくていいから
そういうのがあんまりないので
家も小さくていいやんっていうのもあるじゃないですか
だからタイニーハウスを農村部に
ポンと建てて
新築で住めますよっていうのを
自分らで土地を買って
利益する?貸す事業ですか?
再販で
どうなりました?
売れて今3つぐらいやりましたね
小民家の売買もあるんですけど
小民家でちょっと大きいやつを建築して
庭を広くして
そこで畑できるようにして
小民家のレイアウトが現代と合わない部分
畑になるべく近い所にキッチン持ってくるような
レイアウトにしたり
提案したりして売りましたね
それをガンガンやっていきたいなっていうのは
今あるところで
ちょっと話それるようなんですけど
僕らもリノベーション屋さんで家を
加工して再販して
仕入れて加工して再販もするし
中古物件探すところからお手伝いさせてもらう
あくまでもリノベーションって
手法かなと思ってて
たまたまリノベーションっていう手法を選んで
事業をやっている
家って住むだけじゃなくてよくねみたいな
なんで畑とか
僕らは1階がお店とか工房だったり
ガレージアウスみたいなのも含めてですけど
なんかもっと家を豊かに使っていいよね
その延長線の庭先に畑って
今まで見てなかったよね
畑ができると
僕もちっちゃな畑やってますけど
大体作物の
作るペースとか
分かってくると
こうやって作ってこういう風に加工して
こういう風に保存してっていうルーティンが
学べたら
野菜は買わんでもええような状態になってくるので
食費は
全然おいしいし
栄養価値も高いし
食費はなるべく払わんでいい
太鼓パネルつけたり
ある程度エネルギーも自給できるような
リノベ台になってきますし
家のリノベ台だけかかりますけど
リモートワークで仕事をして
夫婦の一人が稼げば
十分やっていけるんちゃう
できるだけコストを
おさえる
資本主義から脱却している経済圏を
イメージして貼るんですかね
面白い
実際にやりつつ
今取り掛かっているものとしては
野菜だけじゃなくて
神戸の地域活性化
米をやらないと話がならない
農村部で活動していると
米をやっていると信頼度がグッとアップする
ちゃんと米をやって
守ってるわみたいな
なんちゃって感があるんですか
今年から米を
やれるように準備をしている
元スタッフがね
事業でやろうとして
去年からずっと研修していて
元スタッフがね
たまたま農業に興味があって
ずっと研修していたんですけど
一緒にやりませんかみたいな話になったので
すごいタイミングで
同じことを考えていたので
一緒にやろうかと
結構ガッツリ機械も買ってやるような感じです
僕宮崎で
収納とか移住収納とか
いろんなやつを見ながら
畑の形が難しいから機械が難しいよねとか
言ってるだけだったので
とりあえず畑作ろうと思って
大阪法基地が取得して
それを耕す作業からやったんですけど
農家さんはすげえなと
こっからかみたいな大変ですよね
お米作るってなったら
なおさらですけど
農業法人作ってやるってなったら
僕もなんとなくイメージがあるんですけど
その辺は詳しく聞かせてほしいですね
まだ設立もしてないので
一応プランとしては農業法人的なものを
作って
うちの会社で米を作って
味噌を作って
名前もかっこ仮なんですけど
米と味噌っていうね
そもそもそれで育ってきたのに
全然違うものを食べてるよねっていうのを
ベースにして
そういうのがきっちり啓蒙しながら
ある不動産のお客さんにも
味噌を買ってもらって
農村にも遊びに来てもらったりとか
神戸っていうエリアで海と山の側面があって
異人間的な北の間の地域で
そういう文化の匂いがするところもあり
都会もあり
サイズ感的にも確かに
思ってた神戸と違う神戸で
見たがる感じですね
もともとポテンシャルのあるいいエリアなんですけど
ちょっともったいない部分もあったり
最近なんとなと思ったりするんですけど面白いですね
3分の1が山で3分の1が都会で3分の1が農村なんですよ
神戸の地域
ほとんどが港町のイメージしかないですけど
僕らは港町なんか全然いらないみたいな感じ
逆に言うとね
観光とかいいやんって
ずっと言ってる感じで
そっちのイメージがかぶさってきた方が
圧倒的に町としては面白いかなと思って
農業と都会が30分くらいで
本気の農業ができるエリアになるじゃないですか
それもいいですよね都会だし
なるほど
農業をやりだしだしたんで
ちょっといろいろね
この後飲みに行きながら教えてもらいたいなと
いうふうに思います
未来の農業ビジョン
番組へのリクエスト質問感想など皆様からのメールも
お待ちしております
リノベーションタイム
リノベーションタイム
スマホアプリ
リノベの時間
お気軽に感想DMなどお待ちしております
アーカイブは
YouTube StandFM Podcastでは
Listen Spotify Amazon Musicにて配信しております
これまでのゲストの方々のアーカイブも残してますので
お待ちしております
この後のゲストは
動画についてもお話ししております
また次回
お会いしましょう
また次回
お会いしましょう
また次回
お会いしましょう
農業で最終どこに向かっていってるんですか?
農業では今これ始まるとこなんで
まだ何も見えてないです
米と味噌を作りながら
普通にだから米と味噌と野菜をちゃんと作れる
自給農ができる家を
家を売るっていうことも含めてやれたらなと思います
また未来が聞きたいなというところで終わりたいと思います
ありがとうございました
58:40

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