1. Startup Now-スタートアップ起業家の物語
  2. 上場→連続起業。"美しい"太陽..
上場→連続起業。"美しい"太陽光パネルで子どもたちの未来を守る起業家の物語/株式会社モノクローム 代表取締役 梅田優祐さん / ALPHA General Partner 田中正人さん
2026-06-19 1:29:41

上場→連続起業。"美しい"太陽光パネルで子どもたちの未来を守る起業家の物語/株式会社モノクローム 代表取締役 梅田優祐さん / ALPHA General Partner 田中正人さん

spotify apple_podcasts youtube

【Sponsored by ALPHA】
ゲスト▶︎株式会社モノクローム 代表取締役 梅田優祐さん

建築一体型太陽光パネルでエネルギーの民主化に挑み、2026年4月にシリーズBラウンドで総額17億円の資金調達を発表し注目を集めています。アメリカで生まれ、日米を行き来した幼少期。高校時代に出会ったユーザベース共同創業者の稲垣氏との奇跡的な出会いや、理不尽なスパルタ部活で培った勝つための執念など、彼の原点には泥臭い青春の熱狂がありました。

ユーザベースを退任後、自邸の建設時に直面した太陽光パネルの「景観公害」や「不合理なUI/UX」への絶望と怒りが、彼を再び修羅場へと突き動かします。完成された巨大市場の常識を、美しいデザインとソフトウェアの力で覆す、壮大な再挑戦の物語に迫ります。

今回のラウンドでリード投資を務め、梅田さんのビジョンに伴走し続ける投資家、ALPHA General Partnerの田中正人さんとともに、梅田さん、モノクロームさんの物語を伺いました📚

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
💼 株式会社モノクロームでは現在、採用を積極募集中です「未来に残したい景色をつくる。」に共感する方は、ぜひ採用ページをご覧ください👇
https://www.monochrome.so/press/recruit
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

▼ タイムスタンプ(Highlights)
オープニング
投資家が語る「17億調達」屋根×太陽光の裏側
連続起業の原点:自邸建設で味わった絶望と不合理
幼少期の記憶と、名簿順が生んだ盟友との出会い
泥臭い原体験:謎ルールだらけのスパルタ部活
最初の挫折と絆:奴隷のように働いたコンサル時代
起業の決意:ジーパン姿の友人に見た「圧倒的自由」
創業期の修羅場:天才CTOと解散の危機を越えて
ヒットの法則:偽物の情熱では心折れてしまう
ユーザベース退任の真相:自分の限界と喪失感
畑違いのハード開発:消滅した国内産業をゼロから
投資家が惚れた狂気:子どもたちへ美しい地球を
次なる壮大なビジョン:AI時代に「人間力」を育む
エンディング:目の前の「欲しい」を突き詰めろ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
▼ 出演者リンク
・株式会社モノクローム
-HP
https://www.monochrome.so/
-採用情報
https://www.monochrome.so/press/recruit
-資金調達プレスリリース
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000035.000113840.html

・株式会社ALPHA
-HP
https://alphavc.jp/
-田中さんX
https://x.com/masato611

▼ Startup Now おいなり
X|https://x.com/oinariiisan
Startup Now 公式X|https://x.com/StartupNow_jp
特設サイト|https://jobtales.co.jp/StartupNow

📺 チャンネル登録はこちらhttps://www.youtube.com/@StartupNow_Podcast?sub_confirmation=1

🎙️ 出演・タイアップ・コラボのご相談、感想はこちらから 👇https://forms.gle/SJCoaGLM2Etktyx26
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

感想

まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!

サマリー

本エピソードでは、建築一体型太陽光パネルを開発する株式会社モノクロームの代表取締役、梅田優祐氏と、同社へのリード投資を行ったALPHA General Partnerの田中正人氏をゲストに迎え、梅田氏の起業家としての軌跡と、モノクローム社の挑戦について深掘りします。 梅田氏は、幼少期のアメリカと日本を行き来する経験や、高校時代に出会ったユーザベース共同創業者の稲垣氏との友情、そしてスパルタ部活での経験が、後の人生の原点となったと語ります。ユーザベース退任後、自身の住宅建設時に太陽光パネルの景観問題や使い勝手の悪さに直面し、その不合理さへの怒りがモノクローム創業のきっかけとなりました。同社は、「美しい太陽光パネル」「エネルギーの分散化と制御」「使いやすいUI/UX」という3つの課題解決を目指しています。 田中氏は、梅田氏のビジョンと、美しい景観を残したいという強い思いに共感し、投資を決断した経緯を語ります。梅田氏は、自身の欲しいものを追求し、仲間と共に困難を乗り越えてきた経験から、本物の情熱と、困難な状況でも諦めない強い意志の重要性を強調します。また、AI時代における「人間力」の育成を目指し、学校法人「秋葉山国際学園」の開校も進めており、持続可能な社会と次世代育成への熱意を示しています。

00:00
ディーマンショックが起こって、まだプロダクトを ローンチできていない会社を畳んだ方がいいんじゃないか。
僕はやっぱり辞めたくなかったんですよね。
全てが中途半端で来ちゃった人生だったな。
作ってるものが出せれば、絶対喜ぶと。
夜中に作りかけのスピーダーを触ってた時に、 すげえ勇気もあったんですよ。
アナリストやってる時には、 泣いて喜ぶ製品を絶対作ってるなと。
起業自体はもう一回やろうとは 全然思ってなかったですね。大変だし。
太陽光パネルって世の中にありふれてるので、 完成された業界なのかなと思ったんですけど、
使命感とかですか?
本当に欲しいのに世の中にいない。 誰も作っていない。作ろう!みたいな感じ。
美しい経過を残すと、本当にすごい尊くて、 自分の子供、孫の世代に残してあげたいなと。
子供たちは不幸せになっちゃう世界っていうのは、 この美しい自然がなくなっちゃう世界。
我々が当たり前のように享受していた この地球からの恵みがなくなっちゃう世界だよね。
オープニングと投資家からの紹介
声で届ける企業家の物語。 スタートアップナウ。MCの大稲荷です。
本日のゲストはモノクローム代表の 梅田雄介さんです。
モノクロームさんは建築一体型太陽光パネルを 開発提供されていらっしゃるスタートアップでございまして、
この度、2026年の4月にシリーズBラウンドにて 総額17億円の資金調達を発表されたばかりとなります。
梅田さん、本日はよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
本日の配信は、今回のラウンドでリード投資を されていらっしゃいますアルファさんの提供でお送りさせていただきます。
そして、GPでもいらっしゃいまして、 担当投資家でもいらっしゃる田中さんにもお越しいただいております。
田中さん、お願いします。
よろしくお願いします。
そうしましたら、後ほど梅田さんに自己紹介も していただくんですけど、
よかったら先に言って、アルファさんだったり 田中さんの自己紹介。
そして、よかったら一言、梅田さんの 多古紹介的な感じのものもいただけたら嬉しいなと思います。
よろしくお願いします。
改めまして、アルファの田中です。
昨年、1号ファンド200億円の資金をお預かりしまして、
主にシリーズA、B近辺の企業様の ご支援をさせていただいております。
梅田さんと出会ったのは、 もう2年半ほど前ですかね。
最初に私が屋根掛ける太陽光で、 新しいビジネスをいろいろ探索していたときに
見つけた会社さんで、アポを取るまで、 実は梅田さんの会社って知らなかったんですよ。
アポを取って行ったら、 梅田さんが出てくれてびっくりしてですね。
もともと作品はやられた?
いや、初めてでして、そこからいろいろ 展示館に行かせていただいたり、
モデルルーム見させていただいたり。
本当に素晴らしい考えで、ご授業を 作られていらっしゃるなというところで、
チャンスがあればですね、 投資させてもらいたいなというところで、
今回はたぶんお話をいろいろさせていただいて、 ご縁をいただいたという経緯でございます。
そもそも屋根掛ける太陽光に注目するというのが、 すごいレアですよね。
そうです。
どうしてその領域に注目を 最初からしていただいていたんですか?
エネルギー持久率の問題とか、
サイエネ比率を国が50%弱まで 高めるとなったときに、
いろいろ考えていくと、地熱とか まだ原子力とか若干無理があって、
そうなると太陽光は一丁目一番地。
ただ太陽光は土地がほとんどない。
いかに供奨地の立地をうまく太陽光で使えるかみたいなところに、
5年10年になっていくんじゃないかなと思ったときに、
家の屋根は全然利用が進んでいない。
ここはもう国としても絶対やるべき領域なんじゃないかな というふうに思って、
いろいろ調べていったというのが経緯ですね。
うれしいです。ありがとうございます。
調整力の話とかもいろいろ出てきたので、
家側でもエネルギーのマネジメントしていくというのは 絶対求められるんじゃないかなと思って、
その辺りお話したのを今でも覚えてるんですけど、
三宅さんも同じような発想で利用されてらっしゃったので、
本当に将来絶対必要になる会社になるんじゃないかな というふうに確信をそのときは覚えてます。
ありがとうございます。そこを裏付けするような話もまた後半の方で たくさん深掘りさせていただきたいなと思うんですけれども、
モノクローム社の事業概要と創業のきっかけ
今田中さんからもいただきましたけど、
よろしければこのタイミングで一旦モノクロームさんが 何されてらっしゃるのかというのを
梅田さんの言葉でも簡単にいただけますか。
はい。モノクロームは太陽光パネル×屋根屋さん みたいなところで授業をやってるんですけども、
もともとは僕自身が自分の家で太陽光パネルを導入しようと思ったのが 一番のきっかけで、
そのときに初めて1ユーザーとして太陽光パネルを 導入するという経験をしたんですけども、
太陽光パネルって世の中にありふれてるので、 そんなに完成された業界なのかなと思ったんですけど、
いざユーザーとして導入しようとすると たくさんのペインがあって、
そのときは私もユーザーベースも辞めていて、 ちょっとゆっくりしてたんですよね。
ゆっくりしてたんですけど、そのペインと言いますか、 不合理と言いますか、
そういうのを体験する中で、何とか解決したいなと。
少なくとも自分の家は理想的な太陽光パネルを 入れたいなという思いがふつふつとこみ上げてきて、
このモノクロームという会社を始めたんですけども、 大きく3つ解決したい課題がありまして、
1つは太陽光パネルというと、大体皆さんがイメージする 太陽光パネルの形があるかと思うんですね。
でもあれが一番効率がいいので、 安く大量に作れるんですけども、
一方で今問題になっているメガソーラーが 里山の美しい景観を崩してしまったりですとか、
特にヨーロッパの方では歴史的建造物の屋根に乗せてしまって、 建築の景観を崩して、デザインの衣装を崩してしまうという、
景観崩壊という言葉が最近出てきているんですけども、
私自身も自分の家は建築家とこだわり抜いて作っている中で、 屋根に太陽光パネルを乗せたくないというのはやっぱりあったんですよね。
建築家は一生懸命隠す、見えないように隠していく、 本末転倒のことに知恵を絞らなければいけないというところがあって、
もっと美しい太陽光パネルというものがあればいいのになという、 この衣装の美しさという部分がまず一つ目解決したかったところですね。
二つ目は太陽光パネルというのは唯一エネルギーを分散化させるというか、 エネルギーを民主化させる技術だという有意性がある一方で、
時給調整が難しい、太陽が昇っているときにしかエネルギーを作らないというところがあるので、
ベース電源というのはなかなか使えないというところがあって、
それがさっき田中さんからも言いましたけど、 時給調整の市場が出てきたりとか蓄電池が出てきたりですとか、
いろんな形で昼間作ったエネルギーを平準化させていくということが進んでいたので、
私自身もある程度そういう技術というのはソフトウェアでの制御も含めて十分なものができているのかなと思ったんですけど、
いざユーザーとして使うとまだまだそこはできることがあるじゃないかということを感じたというのが二つ目なので、
太陽光の一番の欠点では時給の調整がうまくできないというところを解決するというのが二つ目ですね。
三つ目が太陽光パネルというイメージをうちの妻だったりとか、
友人たちと話してもなんかちょっと怪しかったりとか、あとよくわからない、なんか複雑だというイメージがあって、
それはすごいもったいないなと思ったんですよね。
携帯でどれだけ発電しているかとかそういう見るアプリもあるんですけど、
そのアプリ一つ取ってももう二度と見たくなくなるようないつの時代のアプリだよっていうようなぐらい
UXも悪かったりしちゃうのが僕が導入した時の体験で、
なんかもっと太陽光パネルっていうのをワクワクするものというか、
この太陽とともに生活するという素敵なライフスタイルであるということを、
もっともっと印象を変えていかなきゃいけないなと、
価値観をそういう部分に変えていかなきゃいけないなという思いもあったので、
この太陽光パネルを入れる、太陽とともに生活するというライフスタイル、
それはかっこいいぞと、クールだぞというような価値観のパラダイムシフトじゃないですけども、
そういうこともチャレンジしていきたいなという、
この三つに大きく今課題解決を目指してやっているのがこのモノクロムと、
すごい長くなりましたが会社でございます。
連続起業家・梅田優祐氏の原点:幼少期と学生時代
ありがとうございます。
この話を聞いていると、そこにかける情熱もそうですけれども、
やっぱり技術だったりデザインに対する思い、
この話を聞いている意味では、本当に技術者の方なのかなと、
そういうバックグラウンドなのかと勝手に想像するんですけれども、
おっしゃっていただいた通り一つ前がユーザーベース、
そういう風に掲揚されていらっしゃって、
今どうしてそういう価値観にたどり着いてきたのかとか、
野村さんの根底に何があるんだろうというところを、
ちょっと今日紐解けるような会にしたいなと思っておりますので、
よかったらすごくすごく遡ることになると思うんですけど、
お生まれのところからどんな感じなのか教えていただきたいですね。
結構ご両親だったり、日本じゃなかったとか、
諸々あると思うんですけど、
その辺りから少しずつ教えてもらえますか。
はい、わかりました。
生まれはアメリカなんですけど、また記憶はありませんと。
でも1歳、2歳、1歳ぐらいの時にまた日本に戻ってきているので、
うちの父親が電装というトヨタ系の部品会社に勤めていて、
デトロイトに事務所を立ち上げるという時に手を挙げて、
そこでうちの袋と一緒に行って、そこで生まれたというのが1ヶ月なんですけど、
また記憶はないですね。
記憶はなくて、その後また電装が本社がある近くの
愛知県岡崎市というところに戻ってきて、
5歳の時にまたデトロイトに行くということになったので、
デトロイトに行って、小学校39歳ぐらいまでいたのかな。
その後また愛知県に戻ってきて、高校生までは愛知県岡崎にいて、
その岡崎で高校1年生の時に稲垣、ユーザーベースの共同創業したのが、
稲垣と出会ったのは高校の時ですね。
高校1年生の時にいろんな中国から集まるじゃないですか、高校というの。
稲垣の意図、梅田の意図で、たまたま名簿順が隣同士だったというだけのきっかけで、
そんなに友達のグループも違うし、いつも違うんですよね。
だから毎日一緒にいるわけじゃないんですけども、
名簿順は隣だったんで、この2人だけは友達で、グループは違うんだけども、
なんとなくお互い仲が良かったっていう感じで、
我々の稲垣と僕が行ってたこの岡崎北高校っていうのは、
中途半端な進学校っていう感じなので、進学する人もいれば、
しない人もいるみたいな感じだったんですけど、
僕自身もとにかく愛知県に行きたいなと、
それだけで関東の大学を受けてみようって言った時に、
ちょっと一人で行くの寂しいなって思って、
僕の周りみんな大学あんまり行かなかったんですよね。
行かなかったので、大学行きそうな稲垣に声をかけて、
一緒に関東の大学を受けないかって。
彼は愛知県の大学に行ける予定だったんですけど、
彼を寂しかったら誘って、それで一緒に関東に出てきたっていうのが、
彼と出会った最初のきっかけですね。
僕は横浜国立大学で、彼は埼玉大学で、
関東ってめちゃめちゃ遠いんですけど、
最初お互い友達いなかったんで、横浜と埼玉を行き来しながら、
お互い寂しさを慰め合ってたというか、
そんな生活を最初一緒にしてましたね。
幼少期の経験とアイデンティティ形成
ありがとうございます。
ぜひ長木さんとのエピソードももっと聞きたいんですけれども、
少しだけ戻らせていただいて、
それこそ、最初生まれがアメリカで、4歳帰ってきて、
小学校3年生まで日本にいらっしゃって、
それでまた戻ってとか、そういう生活をされていらっしゃると、
結構周りからの期待からしたら、
帰国しようとか来たぞみたいな見れ方だったり、
結構そもそも日米で行き来してると、
アイデンティティの形成にも結構影響あるんじゃないかなと思ったりもするんですけど、
当時振り返ってみると、
皆さんどんなキャラクターだったのかとか、
実際どんな変化があったとか、
そういうのって覚えていらっしゃいます?
あんまりですね、
よく言われるじゃないですか、
アメリカから日本に戻ってきて、
カルチャーショックがあってとか、
そこでアイデンティティクライシスがあってとか、
全くなくて、
アメリカはアメリカで楽しかったし、
日本は日本で楽しかったしっていう形なので、
両方とも楽しかったんですよね。
だからそこに対して、
なんかその時のコンプレックスだったり、
その時の現体験が何か今、
僕自身の
人格形成みたいなのに、
なんかあんまり、もしくは繋がってるのかもしれないですけど、
自己認識があんまりないですね。
例えばアメリカから、
すごい自由だったんですね、アメリカに。
で、日本に帰ってきた時に、
日本のほんと田舎の小学校だったんで、
パンツも
ブリーフって決まってたんです。
すごい決まりました。
徹底してますね。
もうそれぐらい青い
短パンの着て、
決められた
これ短い短パン履いて、
でなんかチャージもあってみたいな感じで、
でみんな黄色帽子かぶって、
それがもうすごいかっこいいと思ったんですよね。
なんかもうみんな
同じ服装を着て、
なんかその軍隊みたいな、
軍隊の一人になれたみたいな感じで、
それかっこいいと思えちゃったんですよね。
かっこいいと思えたので、
それになんかバックバックして学校に行ったのをすごい
よく覚えてますし、
なんか学校行ったら、
英語喋ってみたいな感じの
よく言われてたりするんですけど、
なんかそれも
嫌だったのかな、当時。
なんかもうそんな記憶すらないですね。
ないですね。
あとはじゃあいわゆる
青春の熱狂:スパルタ部活と仲間との絆
幼少期なんかどんな遊びに熱中してたかとか、
なんかスポーツやってたのかとか、
そういう角度とかだとどうです?
日本に帰ってきて、
あとすごく楽しかったのが、
当時はソフトボールで、
そのうち野球になるんですけども、
それですね。
アメリカではサッカーやってたんですけど、
珍しいですね。両方やるんですね。
アメリカではそうで、
日本ではなかったんですね、サッカーが地域に。
なかったので、
唯一あった地域のソフトボールチームに入る
っていうだけだったんですけど、
それにもすごいハマっちゃったんですね。
でなんかアメリカにいたときは、
楽しかったんですけど、
楽しむで終わってた感じなんですけど、
日本のすごくいいのは、
勝つために、
一生懸命練習すると。
日暮なことも含めて、
ある意味スパルタなところも含めてやると。
今じゃ考えられないんですけど、
練習中水も飲んじゃいけなかったんですね。
口は濡らしてもいいけど、
水は飲んじゃいけないって謎のルールがあったりとかして、
時代を感じますね。
それに対して、
自分たちも、
それに酔って、
俺らは限界までやってると。
限界まで頑張ってると。
それを頑張っている仲間たちで、
一緒に励まし合いながらやってると。
大変そうなやつがいたら、
こっそりでいいか水飲め!みたいな形で
助け合ったりとかして、
仲間が
一つの目的に対して、
次元が違うレベルで、
一生懸命練習して、
勝つという目的に対して、
一直線に頑張っている
みたいな体験って
アメリカでは絶対なかったんですよね。
古き良き
部活みたいなものですね。
それが僕はすごい楽しくて、
それですごいハマってしまって、
一生懸命試合をして、
最後、小学校の時は
岡崎市の大会の準優勝というところで
負けちゃったんですね。
でもみんなで悔しくて、
泣いてみたいなことがあって、
そういう涙を流すことは
経験がなかったので、
THE青春みたいなことに
アメリカではなかった体験で、
逆にそれがすごい
自分の中では
すごい
ハマりましたし、
今でもいい体験としては残っていますね。
その勝つという目標をみんなで達成する
そういうところが
野球がすごい好きだったというよりは、
そのプロセスが
野球がすごい好きだったなという感じがあって、
僕のこういう関係って
狭く深いみたいな感じなんですけど、
その時の仲間は
今でも愛知県に帰ったら
集まったりして、
一緒に山登ったりとか、
一緒の友なんですよね。
そういう経験を通している仲間というのは。
今振り返ると、
それもすごい財産になっているなというのがありますよね。
コンサル時代と起業への道
不思議に思ったのが、
やはりなじめないとか、
違和感を感じるというのが
一般的な企画修助の
例で聞くんですけど、
梅田さんが
すぐ適応されたとか、
新天地、新環境を
良いものに思えたというのは
すごい特殊能力なんじゃないかな
と思ったんですけど、
そのあたりご自身でどういうふうに
本当に自己認識がないので、
全然わからないんですけど、
小学校を卒業する分で
残っている先生からの言葉は
梅田君の
1たす1が2にならないような発想は
先生羨ましかったよ、みたいなのがあるので、
自分を押し殺していたわけではないですよね。
多分自分は自分で
意見を言っていたし、
学校の中での
立ち位置だったりとか、
そういうのも完全に染まろう
みたいな形に合わせにいったわけでもなかったのが
多分心地よかったところがあって。
第一件というのは
岡崎っていうのは
比較的閉鎖的な地域の
寄港地帯で僕一人しかいなかったりとか
するんですけども、
それでも
僕を受け入れた環境があったっていう
そこを恵まれていたんじゃないかな
と思うんですけどね。
こればっかりしては
よくわからないですね。
よくわからないですね。
キャリアの話あると思うんですけど、
いろんな環境で
ああいうパフォーマンスを出されているというところの
原点というか
それを今感じましたね。
無理やり繋げるとそういうことが
あるのかもしれない。
すごい不思議な感覚。
あるのかもしれないですけど、とはいえそこが
例えば高校まで
愛知県にいますけど
心地よかったんですよ。
心地よかったですし、自分らしくもいられたし
すごくよかったんですけど
とはいえ常に
その環境に対して
物足りそうだと感じていた。
自分もいて。
その小さな一歩は
当時の僕にとっては愛知県から出て
関東、東京の近くに行く
というのが小さな一歩だったんじゃないかな
というふうには思いますね。
実際に出てみてどうでしたか?
出てみてめちゃめちゃ楽しかったですね。
都会に出たというのが
というもう
田舎の高校生が感じる
ことがすべて
なんですけども
大学生までも含めて
コンプレックスもずっとあって
そのコンプレックスがあったのは
あんだけ熱中していた野球を
高校に入った時に
1ヶ月ぐらいやめちゃったんですよね。
1ヶ月だったのか2週間だったのか
今は覚えてないんですけども
やめてしまったというところがあって
それが高校野球になった時に
一段レベルが上がるというところで
それにもかかわらず土日も
練習付けだし
めちゃめちゃ走るし
試合では全然走らない
みたいな不合理さ
何のために俺は走ってるんだっけ
みたいな形の
何のために練習してるんだっけ
というのがプツーンと切れちゃった
時があって
高校生になっても遊びたいと
何やりたいわけじゃないですよ
遊びたいみたいな欲求も出てきて
逃げるように野球部をやめた
っていうのがあって
いざ辞めてみると
すごい楽しい世界待ってると思うじゃないですか
そうすると意外にもやることない
ということに気づいて
部活に行ってない友達と
コンビニに帰りに行って
コンビニの前で
寝ないこうでない話をして
お腹空いたから帰るか
みたいなことを繰り返す感じだったんですよね
そういう生活をしている中で
何か熱中できるものが欲しいなと
やっぱり小学校の時
すげえあれ楽しかったなと
なんかああいう感じ
味わいたいなってずっとあって
それで
ありがちなバンドをちょっとやってみたりとか
いろんなことに
手を出してみるんですけど
どれも長続きしないと
いう形で
ずっと熱中できるものがないかな
みたいなことを探し続けて
大学東京行ったらなんかあるんじゃないかと
いうのを思って
横浜の大学だったので
愛知県にはなかった海が近くにあると
岡崎にはなかったですね
じゃあ体育会サーフィン部に入って
そうすればまた面白いものがあるんじゃないか
というのを体育会サーフィン部に
浮ついた心で入ったら
それもそれで全然自分には合わなかったというか
浮ついた心で入ったのに体育館だったんで
めっちゃ厳しかったですね
これじゃないみたいな感じで
それもすぐ続かなかったりとかして
ずっと見つけられなかったっていう
感じが
片方でやっぱりありましたね
大学自体は結局
そのまま何も見つけられずですか
見つけられずでしたね
一通りいろいろやってみたり
したんですけど
見つけられずっていう感じで
就職活動をしちゃったっていう
感じなんですけど
見つけられないので
いろんな世界見ようとか
いろいろ体験しようってことだけは思ってて
それで海外にバックパックで
一人で旅をして
行ったりしたんですけど
それ自体楽しかったですね
なんでそれは楽しいのかなっていうことを
就職活動の時の
自己分析みたいなので
振り返ってみると
結局自由を
感じてるといいますか
行き先も自分で
決めるし
今日何すかも自分で決めてると
全ての自由をコントロール機能が自分にあるという状態で
旅してるという
自由っていうもの自体が
自分にとって楽しいものだったんじゃないかな
っていうところが
あって
何やりたいか決まらなかったんですけど
自由っていうものを追い求めて
就職活動しようみたいなところが
ひとつキーワードになってきましたね
その時に
何かの雑誌だったか何かのインタビューだったか覚えてないんですけど
元マッキン勢の波東亮さん
という方がいらっしゃって
その方が
プロフェッショナル
後に出る本なんですけど
プロフェッショナル言論という本で
プロフェッショナル体育は自由だという
フレーズがどこか目に止まって
よく意味は分かってなかったんですけど
プロフェッショナルになるということは
自由を手に入れるということだというところで
会計士とか
医者とか弁護士とかそういう道なのかな
っていう思いがあったんですけど
そういうのにも特にしっかり勉強してたわけでもないので
なれそうだったものが
戦略コンサルタントというのが
本で見てきて
戦略コンサルティングという職業を
新卒で受けられるところを受けてみようというので
最初のCDIというところに入っていったという
そんな流れですね
当然しっかり自己分析はされてらっしゃいますけど
意外とよくいる大学生な感じもして
全然よくいる
小学校中学校も含めて
何か
自分がすごく
勉強が引い出ているとかスポーツが引い出ているとか
何か例えばクラスのリーダーシップを取るとか
引い出ているとかって感じたことは一回もないので
それは本当に大学の時も
ずっとそういう感じだったかなと思いますね
就職実際されてコンサル入られてからはどうでしたか?
コンサル入っても
自由は全くなかったということが
わかったっていう
CDIという会社で
ちょうどこの前
40周年のアルム内が
あったんですけども
本当に
その時の
濃い3年間を過ごしていた人たちとは
久しぶりに会った人たちとも
すぐに昔に戻ったような形で
話せる
そんな仲なんですけども
奴隷のように働いてたっていう
本当そんな感じで
毎週だいたいですね
水曜日は帰って木曜日は徹夜して金曜日
仕上げるみたいな
そういう
サイクルの生活をしてて
一回シュレッダーにプリントを入れている時だったかと思うんですけども
地震だと思ったんですね
地震だと思ったら
ジムフラフラしてただけだったみたいな感じぐらい
今じゃあまり考えられないんですけど
そういうのがあって
人生の中で唯一会社に行きたくないと思った
っていうタイミングも
CDIの時ぐらい
全然
必死についていっているという感じでしたね
必死について
いって
何か自分自身が価値を出しているという感じも
あまり思わなかったですし
その時に同じ
年代の仲間たちが
みんな一緒に徹夜しているので
野球みたいな感じで一緒で慰め合うんですよね
お前今日も徹夜か
その友達
同年代のCDIの方も
一緒の友になっています
そうなんです
一緒の友になっている
それは大きな財産だなと
人生を豊かにしてくれている
公正要素だなとすごい思いますね
確かに小学校の時も
ユーザベース創業の決意と初期の苦難
社会人になってからも
結構コミュニティを大切にされるというか
割と見切っていっちゃう方もいるのかな
それが悪いことだとは思わないですけど
やっぱりそれは同じ体験を
共にして深いところで
特にこれはですね
年を取っていくとより実感しますね
私は45歳になりましたけども
結局自分自身の人生を
豊かにしてくれる要素は
何なのかというとですね
そっと考えずに
付き合える仲間がどれだけいるか
というのは本当に重要な
ところで
ユーザーベースで特に創業時の仲間たちとも
本当にそういう
形で今でも付き合いが
ずっとあるんですよね
それも僕自身の人生を豊かにしてくれている要素だな
というのは思うので
年を取れば取るほど実感する
ことなんじゃないかなと思いますし
おそらく今モノクロームで
今悪戦苦闘
七天抜刀を一緒にしている仲間たちとも
20年後30年後そういう
関係に慣れているんじゃないかなというのは
一つのモチベーションの
そうですね
ありがとうございます
まさに今ユーザーベースさんの話も出ましたけども
そのコンサルを経て小規権会社に
入ってその後ユーザーベース
そうですね
ぜひユーザーベースさんを
なぜ起業したのかというところ
当時抱えていらっしゃった課題だったりだとか
実際デイワンどうだったのとか
どこまで構想しててとか
その後リーマンショックとか
いろいろあると思うんですけど
その後どう乗り越えたのかも含めて教えてもらえますか
まずCDIから
UBSに転職したんですよね
この時も
結局ハードな職種から
ハードな職種なので
その時は別に逃げたいというよりは
より
もう少しCDIのない
グローバルというところだったりとか
資本市場の世界だったりとか
これは好奇心ですね
CDIのプロジェクトにも関わることがあったんですけども
よりそういう世界を知りたいなという好奇心があって
たまたま
受け入れてくれるところがあったので
UBSに行こうと
UBSに行ったという形なんですけども
CDIの当時から
若手がやっていることはほとんど
情報を集めるという
作業で
集めて整理すると
分析までできればいいよねというぐらいの
形でほとんどの時間が
集めて整理する
というところで取られていて
あまり考えるとか分析するって
一番おかしなところに
特に若手は全然時間を使えて
ないと
すごい問題意識があったんですね
それはもっと効率化できないかなという
思いはCDIの時からずっとあって
ただそれっていうのは
CDIという非常にニッチな
コンサルティングファームという世界だから
起こっていることなのかなということを
思っていたんですけども
UBSというグローバルファームに行った後も
全く同じような構造が
あって
毎回同じようなことをしているから
これなんかデータベースを
作ることができれば
効率化されるし
僕だけじゃなく仲間たちも
働き方変わるし
とにかく早く帰りたかったんですよね
とにかく早く帰りたくて
なんとか早く帰れないかなというのに
効率化するということだよね
そういう時は起業しようとか
全然考えていなかったんですね
まずUBSの社内に
提案をして少しでも
早く帰れたらなみたいなところが
最初のモチベーションのきっかけだったりしますね
これグッド起業となったのは
グッド起業になったのは
半分は
UBSから逃げたかったという
気持ちはあったなというふうに振り返ると思いますし
半分は
今構想しているこのデータベースを
作ることができれば
これはUBSの我々だけではなくて
ゴールドマンだったり
マッキンゼイだったりとか
業界にいる友達たちも絶対助かるんじゃないかな
というこれを作ることによる
ワクワク感と
今この二つが入り混じっていた感じで
UBSの時も
ついてくる必死みたいな
また帰れないと
どの日も待たないという生活をして
いて
みんな優秀なんですよね
すごいみんな優秀の中で
給料めちゃめちゃいいと
そこでなんとか自分で給料いいから頑張ろう
みたいなことで納得している
みたいなところがあったんですけど
なんかその世界から
やっぱり逃げるというか
その気持ちは
半分あったんじゃないかなと思って
それが投資して
この今考えている構想というものを
外で作ったらいいんじゃないか
というのがあったのと
最後一番背中を押してくれたのが
大学の
友人が
起業したんですね
僕の周りで初めての
起業した友人で
その当時というのはまだまだ
起業があったのはほんと少なくて
こういうメディアもなかったので
短くはなかったんですよね
そのエビスに
彼がマンションの一室を借りて
ほんとこういう感じですよ
マンションを借りていて
そのオフィスに遊びに行ったんですよ
起業祝いというので
そのドアを開けて
僕は会社終わりのネクタイを締めて
ヘロヘロになりながら行って
彼はジーパン姿でTシャツ1枚で
すっごい楽しそうなんですね
とてつもない自由がそこにあって
彼の授業が何をやっているかよく分かっていなかったんですけど
彼の生き方
そのものが
対比がすごく
その時に
僕の心の中には大きく残って
初めて短いなったんですね
自分の足で立つ
という生き方をしている人がいて
それが最後の後押しになって
よし俺もやろうと
ということでUBSを辞めるという話をして
いったので
今ほんとにこのエコシステムが
できてきてますけど
この身近な人がやっている
しかも彼はですね
大学では全くの落ちこもりだったわけですよね
俺でもできるんじゃないか
みたいな思わせてくれるタイプだったんですよね
いい勘違いですね
そういうものって電波して
いってその電波の
一番最初の波に
受け取ることができた
というのがUBSを最初起業しようと思った
ところですかね
結構いい形で
起業に入られて
当然ユーザーの解像度も高かったでしょうし
順調にいきそうな気配はありますけど
実際立ち上げどうでしたか
ユーザベース創業期の修羅場とリーマンショック
立ち上げはですね
手探りも手探りみたいな
形で
あって
なんですけど
まだUBSにいるときに
GMオベンチャーパートナーズの
村本さんにメールを送ったんですね
なんで村本さんに
メールを送ったのか分からないですけど
多分ホームページが何かに出てたと思うので
こういう事業をこういう風にやっていきたいという
構想しかないのと
資料しかなくてですね
それをメール送って一回
プレゼンをさせてもらったんですよね
その時に村本さんが
社内で
その時は普通に話をしたんですけど
社内向けに送ったメールを
意図的か何か分からないですけど
僕と稲垣にも送ってきてて
今日会った
梅田さんと稲垣さんという人結構良かったから
これから引き続き
連絡取ってきましょう
みたいなポジティブな事が書いてあって
それ気をすごい良くしちゃって
良くしちゃって
これ良いんじゃないのみたいな
UBSに行った時ですね
っていうような形がまずあったんですね
ただ最初僕やろうと思ってたんですけど
やっぱ一人じゃできないと
これは心細いし
エンジニアではないしと
このデータベースを作ろうってなった時に
唯一僕の周りで
エンジニアの世界に行ってたのが
高校の時の同級生の稲垣だったので
すごく優秀なエンジニアが周りにいて
別の人を選んだというよりも
唯一の選択肢が稲垣だったんですね
その稲垣に
相談しに行ったら
面白そうだねと
僕ができるのかできないのか
それすら分からなかったら
稲垣に話をしたらできると思うよという
話があってじゃあやろうよという
話だったんですね
ただ稲垣も起業したことがないし
大企業に勤めてるしっていうのがあったので
最後なかなか
踏ん切りができなくて
お互い
稲垣お前が起業するんだったら俺はすると
稲垣お前がするんだったら俺もするみたいな感じで
お互い踏ん切れずに
お互いお見合いしてるみたいな感じだったんですよね
これが年末だったんですけど
正月1月1日に
これこのまままた年明けたらいかんなと
いうことを思って
稲垣来てくれなかったらやらなきゃ予定だったんですけど
かまかける形でお前がいなくて
俺一人でやると
自分の中である覚悟を決めるみたいなことも
半分あって
決めますということを
言ったら稲垣が
1月1日にじゃあ俺もやると
いうことを言ってくれて
そこで初めて
最初の仲間が見つかったという形でしたし
その時にやっぱり学んだのは
結局仲間が集まるか集まらないかというのは
自分の覚悟次第なんだなと思って
そこで一旦覚悟を決めて
態度を立ててやると決めたら
そこから仲間が集まってきてくれたんですよね
あったので
結局自分仲間が
最初なかなか集まらなかったんですけど
そこは自分次第だったんだなということも
思って
それで1月1日にやめると決めて
4月1日に会社を始めたという形ですね
初めてチームができた状態で
事業はどんな感じに立ち上がったのかとか
事業はですね
やっぱり1年目2年目って
本当もう20年近い前の話なんですけど
やっぱり鮮明に覚えてて
うまくいってない時って
鮮明に覚えてるんですよね
プランでは半年で
リリースするという感じです
最初の起業した時は
みんなでIKEAに行って
オフィスの家具を選んだりとか
起業するという
行為に浮かれてるんですね
みんなで
ご飯を作って
寝袋寝てみたいなことが楽しくて
起業するというよりも
その自由を手に入れた
みたいなことに関して
楽しいみたいな形で
最初進めていったんですけど
だんだんだんだん
時間が過ぎていくと
なかなかできないじゃんという問題に
直面をしていくんですよね
やはり稲垣自身は
データベースのエンジニアだったので
アプリケーション側の開発っていうのは
勉強すればできるじゃないかと
三木谷さんの楽天の創業物語とか
読んでも自分でプログラム勉強したって書いてるから
できるんじゃないの?みたいな感じなんですけど
我々三木谷さんに慣れなくて
できねえぞという問題に
途中でなってこれやばいんじゃないかと
今からエンジニア探そうという形になっていき
初代CTOの竹内さんという
東高大学生だったんですけど
彼に出会えたのが
最初のブレイクスルーでしたね
彼が本当になんていうんですかね
大変な人で
じゃあ明日10時から
ミーティングねというかいうと
平気で夕方5時くらいに来て
こんにちはという感じの
天才ですね一瞬回って
今だからこそ天才と言えるけど
当時は
ただの社会不適合者という形で
ただ腕はいいと
いかに竹内さんに
行動を書いてもらうかやる気にさせるか
というのが最初の僕の仕事だったんですよね
でもあまりにもアンコントローラブル
なので途中に
竹内さんに
毎日僕の席の隣に座って
今日何の行動を書いたか
全部報告してくれと
管理型のマネジメントをしていく
ということをやっていったら
ある時竹内さんから
お別れの
メールが来て
梅田さんに
長木さんにはついてきませんとさようなら
みたいな感じで
そうなんですよ
でも僕たちとしては彼しかないんです選択肢が
彼しかいないので死活問題で
これやばいとなって
竹内さんごめんごめんごめん
みたいな形で戻ってきてもらって
その後
しょうがないかも自由にするしかないと
自由にしたんですよね
その後ユーザベースのカルチャーの原点になる
ところでもあるんですけども
自由にしたら
マイクラーズアンコントローラブルなんですけど
当時僕が全部使用書書いてたんですね
エクセレントにこういう機能作りたいと
基本的にその使用書通り作るっていう形だったんですけど
自由にした途端
竹内さんが使用書を無視して
僕が書いた
この動きですね
こうやって動いてくださいっていうこと以上に
いいものを作っちゃいました
作ってきたんですよね
これいいねみたいな感じにその時になって
自由にするって
こういうアプサイドがあるんだと
いうところを感じ
その時はしょうがなく自由にしたんですけども
自由にするっていうことは
それぞれのメンバーが持つこの才能
っていうものを
最大限発揮し
もしかしたらダウンサイドの管理コストは
かかるかもしれないけど
一人の能力をマクシマルさせると
そっちにベッドするべきじゃないかというところで
ユーザベースの最初の場に自由主義でいこう
というか自由な会社にしていこう
っていうところのカルチャー作りっていうのは
竹内さんとの吸ったもんだから
始まっていったっていうところが
ありまして
結局竹内さんがそういう形で戻ってきて
くれたんですけど
当初半年だった開発予定が
1年間
かかり本当にお金が尽きるタイミング
だったんですよね
そうだその時に
10月にリーマンショックが
起こったんですよね
リーマンショックが起こってまだプロダクトの
オンチできてないタイミングで
当時の社外役員の方が
すごく経験のあるビジネスの世界では
非常に経験のある方々で我々も
心細かったので
そういう方々に入ってもらおうというので
その方々に一回呼ばれて
我々のことを心配するからこそ
心配するからこそ
ここで会社を立たない方がいいんじゃないか
というアドバイスをもらったんですね
それが心配してる
心配してるということが伝わらなかったら
反発だけだったんですけど
より頭痛ときたのは
本当に我々の将来を心配してるなと
その方曰く
未来がある若者であると
ここでもう一回また
借金を重ねて会社を
維持していくというのは
やはりドラマにハマっているように見えてしまうと
それは客観的に見てリーマンショックが起こっていて
お客さん側が
バシャットがなくなってきている
業界全体が一気に沈んでいく中で
その業界のために
金融業界のためのシステムを作ろうとしているのは
あまりにもタイミングが悪すぎる
というので
一回ここは畳んで就職して
もう一回チャンスが来るから
というような話をしてくれたんですよね
その我々のことを思ってくれてるからこそ
僕 井永木二郎さんもずしんと来て
その後
掃除品川にオフィスがあったので
品川のオフィスに
戻る途中に
メンバーも残っているわけですね
なんかちょっと
メンバーになんて言うかな
みたいなことを思っていた時に
ルノアールに入って
僕はやっぱりやめたくなかったんですよね
僕は結構
高校で辞めたら絶対に後悔するな
というのがあって
高校の時にも
中途半端に焼き止めて逃げちゃったりとか
全てが中途半端に
来ちゃった人生だったなという
コンプレックスがあって
ここで辞めたら
また同じような
追い目じゃないけど
感じるなというのもやっぱり心の中には
ちょっとあったかなと思っていますし
あとやっぱり
作っているものが絶対出せれば
絶対喜ぶと
これは夜中に
作りかけのスピーダーを触っていた時に
すげえ勇気もらったんですよ
これも
この場面も鮮明に覚えているんですけど
まだ作りかけのスピーダーを触っていて
少なくとも僕が
UBSの
アナリストをやっている時には
泣いて喜ぶ製品を
絶対作っているなと
出せるとこまで絶対頑張ろうと
少なくてもというのもあったし
あともう一つは
トワイ2-3長木が
辞めるとここでね
言ったら
それは僕のすごい大きなことで
一緒に始めた仲間なので
そうだったら
やっぱり困っちゃうなと
それでルノワール入ったんですよね
ルノワール入ったら誰もその選択肢じゃなかったんです
辞めると
新井野さんも
どうしたら
ローンチできるかということしか考えないし
稲垣自身も
データベースの構成をこうやって変えたらいいんじゃないかみたいな感じで
リリースを早められるんじゃないかみたいな感じで
いかにリリースを始めるかの
会話しかしていなくて
ちょっとでも2人を疑ったら自分が恥ずかしくなるみたいな
そういう感じが
ルノワールであって
ああいう場面で
問われるなっていうのは
すごいその時感じたんですよね
その時に
ここでもう一回踏ん張ろうと
できる限りの
お金をまた
そこで苦面して
少なくともローンチまで行って
それでダメだったら解散しようと
いうような形で
つなげ続けていって
ローンチできたのが
その次の年の
4月なんですね
その次の4月にローンチしたのも
もう本当にお金がなくなるという
タイミングだったので
何か売れるものがなければ
まずいけないという形で
理想としているものは10だとすると
いろんなコンテンツスピード
コンテンツとか機能とか
どんどん削っていって
本当こんなので売れるの?みたいな
自分自身でも自信を失ってしまうような
プロダクトで最初スタートして
行ったんですよね
最初は食っていかなきゃいけないので
食うためには
まず初期費用を取ろうと
というので資金繰りのために
初期費用というものがまず生まれまして
初期費用10万円と
1ヶ月の固定5万円という形で
やって
まず5社取れば
何とか資金繰りがいけるよね
というので最初の5社を探していこう
というところなんですけど結局
自分たちの親戚だったりとか
家族の父だったりとか
昔働いてお世話になった人たちに
頭を下げに行くという感じで
頭を下げに行った人たちに
恩返ししたいという人間あるじゃないですか
にもかかわらず
お世話になっていることを
さらに利用して
あなたたちは買ってくれないと我々潰れちゃうんです
みたいな同情を利用したいよ
手法を編み出して
でも絶対に
いずないだろうなって思って
いながらも無理やり
最初買ってもらって
必ず機能を追加していきますから
コンテンツを追加していきますからというので
買っていってもらったというのが最初でしたね
そこで一緒に
買っていってもらって
最初の資金調達も
リリースした後に
GMOさんだったり
村松さん
たちにしていただいた
という形になってます
理由も考えると
よくあの状態で
出資してくれたなという風に思いますね
村松さんが
紹介してくれた
ある証券会社のアナリストに
一緒に営業しましょう
一緒によくやるじゃないですか
ボルクスが言われたらこんなの絶対売れないみたいな
終わったと思って
出資も終わったし
お客さんも終わったしみたいな感じだったんですけど
二もかかり出資してくれたっていう今でも謎な
ところがあるんですけども
最初のお客さん少しずつついてきた
というタイミングで資金調達も
できたことで
なんとか最初の一番苦しいところの
資金が回り始めて
いったという形なんですけども
10月その年の
7月に出して
10月半年くらいはですねやっぱり
道場を利用して
無理やり売ってるみたいな感じ
本当に製品を
評価してくれてるっていう感じではなかったんですけども
その年の
10月にカーライルさんがですね
契約してくれたんですけど
カーライルは
本当に機能だけを
機能とコンテンツだけを見て契約してくれた
初めてそういう感覚を得て
本当に買ってくれたみたいな感じなんですね
6ヶ月の間に
開発機能を
増やしたりですとかコンテンツを増やして
いって
プロダクト力が確実に上がっていったんです
上がっていって
あるところで多分
スレッシュホルドみたいなのがあって
そこを超えたところでカーライルさんが買ってくれて
その後はいろいろ苦労がありましたけども
バッと売れてった
っていう形だったので
やっぱり2009年の
10月ですかね
10月からちょっと
営業してても感覚が変わって
いったなっていう
フェーズでしたね
本当にユーザーベースさんは
プロダクト開発のセンスと情熱の源泉
近年10年とか振り返って
成功した会社のうちの一つだなと
言える状態だと思うんですけど
とはいえ今回モノクロームさんの話も
たくさん聞きたいと
ほとんどユーザーベースは
ひやひやと
ワクワクする自分と両方いるんですけど
結果的に14年とかですか
結構長らく
そうですね13年間
まずCEOをやりまして
最後は
非常勤の役員という形だったので
それを見れると14年ぐらいですかね
1個だけ聞きたいことあるんですけど
今回出資させていただく際に
梅田さんの
知り合いの方何人かに
いろいろお話聞いたんですけど
梅田さんのプロダクト作りのセンス
が素晴らしいと
いう話をいろんな人に聞いたんですね
声です
僕ももう何千人で
起業かってきて
あんなに大きなプロダクト事業を
最初から
当てれてるって感覚があって
今回モノクロームも
ユーザー別自体も何個もプロダクト
当てられてきて
ホームラーニスの高さみたいなのって
どういうところにあるんですかね
もしくは
どういうことを大事にして
作られているのかな
まずマーケティングは一切やらないと
プレマーケティングですね
自分が欲しいと思うもの
喉から手が出るほど欲しいと思うもの
を作るという
シンプルな軸でまた作る
というところですね
惑わされない
本当にシンプルになってます
いろんな意見を入れていくと
あれも欲しいこれも欲しいという形になって
ぼやけていってしまうので
プロダクトを最初にローンチするときは
一点突破
ニッチを一点突破という鉄則があるので
そのためには
まずこれだけあればいいという
よく言われるセンターピーみたいなものですよね
というところは
自分の中であると
すごくシンプルになるので
まずそこが一つと
とはいえそれは結構外れたりするんです
世の中からすると
早く出して
出しながら改善していく
やりながら改善していく
この改善のスピードも
すごい大切だなと思います
今思うと
例えばニュースピックスも
なぜか最初iPadオンリーのサービス
それはそうなんですよね
よく考えるとiPadって
持ってる人も少ないし
普及しないじゃないですか
なんか僕の感覚で
新聞を代替するものなので
紙の新聞の感覚
あの体験を表現したいというのは
iPadにこだわりすぎちゃったんですよ
案の定iPad出したら
iPad持ってませんみたいな
これは広がらないみたいな
スマホに一気に
すぐにシフトしてやってたんですけど
やっぱり自分の中で考えてると
そういう外すって絶対あるので
そのときに
すぐお客さんに当て
お客さんに当てたときに
本物の仮説検証にやっぱり
なるんですよね
事前にこのパワーポイントの上だったり
だけとか頭の中でコースを話して
どうって聞いてもそれは本当の仮説検証にならなくて
聞いてるほうが本気じゃないので
本気の相手から
フィードバックをもらわないといけなくて
そのためにはまずはもう売ってると
本当に懐痛めてお金を払ってくれるか
払ってくれないかっていう行為
そのもので
仮説検証するっていうのが
最短であるので
そこは常に心がけてる
ところで
あるかなと思いますね
センスというよりも
軸をシンプルにして
早く出して
当たり前のことをやっていく形なんですけど
もう一つそれをやっていくためには
結局
最初はすぐには立ち上がらないので
モチベーションが
ちゃんと続くかと
心折れちゃうんですね
やっていくうちに
結局心が折れてしまうと当然失敗してしまうんですけど
心が折れない
強いモチベーションでそれはできてるか
っていうところがやっぱ最後
そこが一番難しいところで
これはよく社内でも偽物の情熱と
本物の情熱があるというところがあって
これやったらいいなやってみよう
で始めるぐらいだと
その仮説検証フェーズで磨いていくフェーズで
心折れちゃうんですよね
そこがニュースピックスの前にも
僕一個新プロダクト出して
それはそうだったんですよ
そこであったので始めるときには
必ずこれは本物の情熱やっているか
偽物の情熱やっているか
っていうところは一つの理想末志として
ちゃんと見なきゃいけないなと思っている
要素かなとは思いますね
めちゃくちゃ参考になります
なのでモノクロームも
まだまだ
ではあるんですけども
最初いろいろぼやけちゃってたんですけど
今は美しい太横パネル
分かりやすい
今までないところから一転突破で
入っていき
そこからエネルギーの制御システム
っていうところに付加価値が広げていく
っていうところも
プロテストとしては基本的に同じプロセスを
辿っているかなと
ありがとうございます
ユーザベース退任の真相と新たな挑戦への序章
いろんな企業間参考になったんじゃないかなと
慣れっちとしてここだけも切り出して
外に出していきたい情報だなと
まさに多分ユーザベスさんでの日々は
本物の情熱で
13年間14年間
駆け抜けたと思うんですけど
一応退任をされていらっしゃって
そこまでの理由だとか
ないしはその時の思いって実際どうだったのかとか
そこだけちょっとお伺いしたいと思う
モノクロームさんの話もお伺いしたいです
そうですね
今振り返っても
13年退任するまでの間に
迷いって
ほんとなかったんですよ
やりたいことは込み上げていく感じなので
あれやりたいこれやりたい
みたいな感じなので
何か
いろいろ当然日々問題はありますよ
ありますけども
何か事業を経営している上で迷いがあまりあるわけではなくて
常に
ある意味自信を持って経営できてた
っていう形だったんですけども
13年目の
退任する前ぐらいは
その
込み上げるものが
自分の中で分かるじゃないですか
過去ずっとの自分と比べていくと
非常に弱まってしまっている
っていうところがあって
それまでは僕が
僕自身がやっぱり起点となってこれやりたい
みたいな感じで温度を取って
メンバーがいやそれは難しいんじゃないの
リスクあるんじゃないのみたいな形でけんけん学部の議論をしてたんですけど
いつの間にか気づいたら
メンバーからこれやりたいあれやりたいで
僕自身はいいねしか言ってないみたいな
感じになって
承認だけをしている人みたいな形になって
いってしまっているのが
まずやはり僕自身の
起業家事業家としての
喜びみたいな
モチベーションの厳選みたいな
ところが繋がなくなって
しまっているというところが
ありましたし
あとはやっぱりその一つのきっかけは
米国事業でアメリカの会社を買収して
そこの会社を
うまく単案できなかったと
結果を残せなかったと
売却しなきゃいけなかったと
間違いなく一つのきっかけになっていて
あれだけ何をやっても
結果が出ないという
体験は初めてだったところが
あって
一方で自分自身の
実力の限界というか
ここが自分の限界なんだな
ということにチャレンジしきれた
というところもありましたし
あの時は本当に複雑な心境で
一方でここの
チャレンジをさせてもらった
これだけ
みんなから反対もあってやらせてもらったにも関わらず
そういう結果を出せず
損も会社に与えてしまっているわけですね
というところに対して
責任もすごく感じた
ところもあって
いろんな要素の
感情が複雑に絡み合ったんですよね
絡み合っていて
その時に
これはやっぱり結局最後は
今思うと
ちょっと逃げるようなやっぱり感覚もあって
それで稲垣に
代表を下ろさせてもらえないか
ということを相談を
まず稲垣にした
という感じでしたかね
やっぱりそこは
自分の中で納得させた一番の
方法としては非常に無責任なんですけど
やっぱりこれまでは込み上げて
やりたいことに
あふれる人が
Cをやってたとやっぱりそれがあるべきで
今はそうなっていないというところがあるので
これは僕自身の喜びともそうですし
会社にとってもよくないことであろうと
いうようなことを稲垣と
相談をして
退任させてもらったというのは
その時の感じですかね
ただとはいえ
上場企業でもあったので
クォーツの
海外事業の
責任を取って
辞めますみたいなプレスリは
なってはいるんですけど
そんな綺麗なものでもなかったかな
とは思いますね
因果的にそれがあったから退任させて
そうですね
もちろん
一人は一つのきっかけでありましたし
僕自身の限界を感じた
自分自身の限界を感じたところでもあるんですけど
ただ一方で
申し訳ないという気持ちと
半分
清しさ
みたいなのもやっぱりあって
あったなという時もその時の心境を覚えていて
やっぱりそこは
やりきったからの感はあったんですよね
その時にやっぱり
今までやっぱり結果
全て結果であるというところが
一番自分の中の
プライオリティになったんですけども
それだけでもないんだなと
ちゃんと人生本当に努力しきったのか
やりきったのかみたいな
プロセスを
通ることで
こういう
満足感みたいなものが得られるんだな
というのも同時に感じた
タイミングでもありましたね
それで決断をして
本当にやりきったと思うんですよ
でなったら
下手したらそのまま上がっちゃう人も全然いると思うんです
周り見渡しても
ただ結果的に退任されてから
モノクロームさん創業するまで
1年くらいで結構短くなったんですか
そうですね
そうだったかもしれないですね
その時何を決めよう
何を次やろうって特に決めてなくて
初めて時間も
できたので
家族と
過ごすっていう旅行行ったりとか
子供を学校に送りに行ったりとか
昼まで独立みたりとか
みたいな生活をしてただけですね
別にお尻決めてたわけでもなく
決めてないんですけど
家族が時間もできたので
家族と一緒に生活をする家を
建てようと
いうことをやっていて
その中でこの太陽光パネルというものを
初めて導入する
体験をして
さっきの話じゃないですけど
そこで何とか解決できないかな
ってなってたっていうところがあったので
企業自体はもう一回やろうとは
全然思ってなかったですね
大変だし
ユーザーベースの時もそうですし
企業が先には来てなかったっていうところが
常にあったので
やっぱり
太陽光パネルというものの
可能性もったいないみたいな
ものに直面したのが
また火をつけてくれた
一つのきっかけだったなと思います
一言でいくと動機は
何なんですか?使命感とかですか?
ワクワクですか?
これがあったらいいなっていう
そんなところです
本当にそんなところなので
何かビジネスモデルを考えたり市場規模を
考えたりとかそういうのは一切考えない
ですね
ただ欲しいなと思うものはない
っていう非常に主観的です
逆にそういうものじゃないと
僕はパワーが出てこないところが
あるので
本当に欲しいのに
世の中にない
誰も作ってない
作ろうみたいな感じ
の非常にシンプルなもの
ですね
よく
畑違いのハード開発とブレイクスルー
最初の趣旨いただくときとかも
市場規模とか将来の戦略とか
ビジョンとかっていうような
つむけたりするんですけど
そこはあんまり考えてなくて
まずは一歩目の自分が欲しいものを
作ろうっていうところが
最初のフォーカスの90%以上
あるかなとは思いますね
これが事業領域が
同じくソフトウェアとかだったら
それでも多分実装できると思うんですけど
全く畑が違うと思っていて
それはどう乗り越えていったんですか
これもユーザーベースを
作ったときの
稲垣さんニーノさん竹内さんっていう仲間じゃないですけど
本当に仲間で
仲間が集まってくれた
っていうところで
太陽光っていうのは全然別で
特に日本っていうのは太陽光業界
一回消滅しちゃってるんですよね
もう中国メーカーが
一気に
追い上げてきて抜かし
日本メーカーはほとんど撤退をし
ほとんど例えばパナソニックさんとか
やっていても中国メーカーのOEMだったりする
っていうので技術者がそこで
いなくなっちゃってるんですよね
そこが一つ産業が途切れてしまっているところが
あったので技術者を見つけられるかっていうのは
非常に大きな課題だったんですよ
その時に
色々探している中で石川さんという
今我々の太陽光技術の
責任者をやってくれている方がいるんですけど
彼の
昔の記事を
発見して彼が
昔太陽光のセルを
開発する会社を立ち上げたんですね
スタートアップで
確かジャフコさんのところから出資を受けて
それ潰れちゃったんですよ
中国メーカーの価格要素に負けて潰れちゃって
その記事を
記事検索している時に見つけて
彼が今
インドネシアにいて
インドネシアの太陽光のモジュールメーカーの
役員をやられているというところを
フェイスブックだったりそういう情報で見つけて
彼にコンタクトして
彼と出会えたのが最初の
これ作れるんじゃないかというところの
最初のブレイクスルーだったかなと思いますね
石川さんが
梅田さんとやりたいってなったのはどうしてですか
やはり石川さんは
すごくもう
歓励ぐらいなんですけども
やはり彼自身も
ずっと技術者であって
太陽光の
太陽光パネルというものをやってきて
一回それを畳んでるんですよね
負けて
やっぱりそこに対する
最後の
挑戦じゃないですけども
もう一回やってみようと
まさか日本からまた太陽光パネルの
スタートアップが出てくると思ってなかった
っていうところは彼が言ってたことなので
もう一回それを船に乗ってみよう
っていうところはやっぱり彼が
起業経験があるっていうのはすごく大きかったんじゃないかなと思いますね
技術者であってなかなか日本では珍しい
タイプの方と出会えた
っていうのは本当に最初の
ブレイクスルーだったかなと思います
たくさんブレイクスルーがある気もしてて石川さんがいたから
じゃあ今ここまで来ましたはないと思うんですけど
他にはどんなブレイクスルーしてきてるんですか
結局これはもう
どんな領域であろうが
ブレイクスルーはやっぱり人なんですよね
ニュースピックスの時も
初めて見たけども
人がお金を課金してくれないと
やっぱり課金してくれないのは
寄せ集めのコンテンツじゃダメだと
やっぱり課金したくなるような
スマホ特価のコンテンツ作らなきゃいけない
そのためにはコンテンツプロに来てもらわなきゃいけない
佐々木さんに来てもらおうみたいな形で
佐々木さんが来てくれたらブレイクスルーだったんですよね
やっぱりあの時も
今ピボットって競合やってますけど
やっぱりだったのと同じで
全ては人に紐づくなっていうのは
それは領域に限らず
必ず同じなところがあるので
全てやっぱり人ですね
例えばもう一つの
やっぱり最初は
屋根も作らなきゃいけないんですね
屋根って建築の中で最も重要な部分で
最も
規制も厳しかったりですとか
ハウスメーカーさんにとってみると
最も
基準が難しいところでは
あったりするんですよ
屋根メーカーにもならなければいけないという
ところがあって
基準が難しいので
既存の屋根メーカーさんにOEMでお願いしようと思って
俺はこういうものを作りたいんです
っていう構想だけ話して
OEMで作ってもらうっていうのが最初のスタート
だったんですけど出てきたものが
値段が高すぎると
こんなの絶対売れないっていうことと
美しくなかったんですね
これって結局そこら辺にある太陽光と
そこら辺にある屋根をカチッとやっただけじゃないみたいな
形でこれじゃちょっとダメだから
もう一回やり直しましょうと
具体的にどういうところに問題があるか
ひも解きたいので一緒に製造プロセス見させてください
って言ったらやっぱりそこは難しいです
みたいな形で結局その屋根メーカーさんも
太陽光パネルメーカーさんに
文字の部分を丸投げしてたんですね
自分たちがコントロールしてるのが見えてなかった
というところがあって
これはOEMで
お願いしてるんで絶対理想のものは作れないなと
やっぱりその素材だったりとか
部材、部品
全て自分たちが選んでいって
自分たちが設計してゼロから作らなきゃいけないな
っていうようなところに
切り替えていったところが
ありますね
それも
伊志川さんもそうですし
屋根というところでいきますと
今一緒にパートナーをやらせてもらった
金目さんという栃木にある屋根メーカーさんが
ありまして全く我々が
屋根を素人のところを
手取り足取り屋根について
教えていただいて今山形工場で
独立して
自分たちのラインを作っているんですけど
金目さんがいなければ立ち上げられなかった
というので
金目の鈴木さんという担当者がいるんですよね
技術のトップの方が
その方が
いてくれたから
作れたというところが
あったりしますので
そこにたどり着けるかたどり着けないか
というのが最後あるんですけど
それは数うちは必ずたどり着く
これは行動量ですね
数うちは必ずたどり着くところが
あるので
理想のものじゃなかった
ときというものに
そこもやりながらのところなんですけど
OEMでやって全然だめだと
なってもう一回ゼロ化やろうと
いうことに逆に慣れたのは良かった
今思うと良かったなと思います
ユーザーベースさんで
さっきの話をいただきました
モノクロームにおける共同代表の失敗と採用戦略
逆に今どっちかというと
今生かしている話をたくさんいただいたと思うんですけど
逆に明確に変えたこととか
えーっとですね
本当にですね
事業を作るというものに
宝手しかないなというのが
二回目やっていてもすごく感じているところでして
例えばユーザーベースのときは
共同代表という形で
二井野さん井永樹とですね
お互いの弱み強みを補いながら
できたというのは
間違いなく一つの
良かった成功になったんですよね
それに倣って
じゃあモノクロームも共同代表でやろうと思ってやったんです
それ失敗したんですね
これは本当に宝手しかなくて
表面上の共同代表という形を取っても
本当にダメなところが
あるので
モノクロームはモノクロームで
またゼロから
モノクロームという
新しい会社を作っているという感覚
ではあります
なので
ユーザーベースのときのことが
そのままコピーしているというのは
一つ
あの
あるのはですね
採用の部分でして
ユーザーベースの
ときに
このゼロから立ち上げて
1を作っていくフェーズ
あそこにスタートアップの宝が埋まっているんですよね
あの時間空間
あそこの時間空間を
一緒にできたかどうかというのは
どこのMBAを行くかよりも
本当に貴重なもので
ほとんどの人は出会いたくても出会えない
あの空間時間を一緒に共有できている
場は
本当に強くて
その後のユーザーベースになっていった
メンバーがやっぱり多くは
最初の1年2年を一緒に過ごして
最初の30人くらいまでですね
過ごしているので
この最初の30人までは
ゴールデンタイムだなと思ったので
このモノクロームを最初の30人までは
意識的に
あの
将来の経営人材
僕が仮に山で遭難して
死のうが誰でも経営を引き継げる
ぐらいのそういうポテンシャルな人材に
この01のフェーズを
見てもらおうと
一緒に走ろうと
いうところはあって
それはすごく良かったかなと思いますね
あと今その
事業領域の変遷とプロダクトマーケットフィットへの道
まさに今回のラウンドがシリーズBだと思うんですけど
そういう意味ではシリーズAでBMFとかも
終えてきて徐々に勝ち筋とか
見えてきたタイミングかなと思うんですけれども
明確に創業時
Aの時のタイミングと
今変わってきていることとか
これから買いに行こうとしている領域とか
その辺りも教えてもらえますか
そうですねもう全然変わっていまして
最初やっぱり作りたかったのは
全ての家が
エネルギーを作るところから
エネルギーを使うところ
それは例えば照明だったりですとかカーテンだったり
ですとか
全て一つのプラットフォームの上で
シームレスに繋がっているというところで
エネルギーマネジメントシステムと
いわゆるスマートフォームという領域が
融合している世界観だったんですよね
いざ始めてみると
特にスマートフォームの領域というのは
非常に難易度が高く
自分の家に欲しいというだけで
始めちゃっているので
いざこれを家の中で施工するとなると
非常に施工コストがかかるし
建物ごとに全然配線が違ったりとかして
毎回労働集約型になってしまうというので
これいろんな人が言われていたんですけど
やってみて自分たちで
これは難しいなということに
やっぱりやってみないと本当に納得できない
というところがあったので
よりやってみてエネルギーというところに
集中していこうというので
まず事業領域が絞られたというところは
そのプロセスの中で
生まれてきたところかなというふうに
思いますね
プロダクトマーケットフィットというところで
行くと
これはまだまだだなと思っていまして
目をつぶって寝ていても勝手に売れていく
という感覚のところまでまだ行っていない
そこに行くためには
やっぱりまだ一番弱いのは
価格がまだ高いと
このプロダクトを買える層というのが
一定層に限られて
しまっていて
本当にマス層に
届いていないというところがあるので
この価格を下げにいくというところは
本当にチャレンジをして
実現していかないと
本当の意味での目をつぶっていても
勝手に伸びていくというところまでまだ行かないな
というふうに思っていますね
機能性能は上がってきているのに価格は下げにいくということですね
そうですね
機能性能を含めて
そこはしっかり発電効率だったりですとか
耐久性だったりですとか
上げていく一方で価格は下げに
いくというところですね
やっぱり入れない理由がないよね
というところまで行かないと
本当の意味で入れない理由がないよねって思って
初めて3人に1人は買ってくれるみたいな
世界だなというところがあるので
ターゲット顧客と今後の展開
まだそこまでは行けていないな
というふうに思っているので
まだまだのフェーズですね
今のお客さんでいくと
結構大手の会社さんだったり
あとノットホテルさんとか
ホームページ拝見したりもしましたけど
具体的にどんな感じなのかとか
逆にこれからどういった企業さんに提供していきたいのか
どうですか
今はまず市場が立ち上がったのは
アトリエ系建築家と言われる
熊健吾さんだったりですとか
建物の衣装にこだわられる
ユニークな建物
オーダーメイドのオートクチュールの建物を建てられる方々ですね
設計される方々
そこから市場が立ち上がって
その方々というのは
環境にいい建築を作りたいけど太横パネルを入れたくない
というわかりやすいニーズがありましたし
建物単価も高いので
一定お金を払えるというところがあったので
我々のプロダクトが一番早く
フィットしやすかったところですね
そこから市場が立ち上がっていった
という形になっています
これからはこの製品を
富裕層のためだけのものではなくて
誰もが手が届くもの
当たり前のものにしていくというのが
我々のチャレンジになっているので
そうなると
地場の公務店の方々だったりとか
ハウスメーカーの皆さんだったりとか
そういう方々の標準品として
使っていただけるものにしていくというのが
一つのチャレンジですね
二つ目が
今年は白馬村でやったんですけども
白馬村の公共施設の屋根を
ルーフワンに吹き替えていくという形で
村の屋根を
街の発電所にしていくという取り組みで
そこで生まれたエネルギーを
村で必要としている人たちに
供給していくという形の
プロジェクトになっているんですね
そういう大型の街全体を
巻き込んだプロジェクトというのも
これから
今後のあるべき
エネルギーの姿かなと思っているので
そこも力を入れていきたいところ
だなと思っています
白馬村は今結構有名なアイディアだと思っているんですけど
白馬村みたいな
村とか地域が
今後増えるのかとか
逆に予算はどこから来ているのかとか
その構造はどうなっているんですか
やはりこの村とか
地域のエネルギーの持久率を
上げていきたいと
例えば今回のイランのような情勢があると
一気に電気が上がっていっちゃって
不安定になったりするんですよね
地域全体の電力コストを
下げるということもそうですし
安定化させるということは
これは普遍的なニーズだなと思うので
それは白馬村に限らず
今後取り組んでいかなければいけないことですし
そのためにはエネルギー持久率を上げると
エネルギー持久率を上げる
一番効果的な方が
対応までであるというところが
あるので
そこが間違いなく一つかなと思いますね
そこの資金というのは
結局白馬村の方々は
電気で払っているので
その電気で相殺させるということです
基本的には追加コストがないような形でできるようにしていく
というところが
先ほどの入らない理由がないというところになってくるかなと思います
ただ現実今は
補助金にそこが依存しているところがあるんですね
補助金を国が一部出すから
対応コパネルになさいと
そうすることで電気代が安く
にもなりますし
自立可能になりますよと
我々のチャレンジとしては
そこの補助金に頼らなくても
ちゃんと経済性が成り立つような形にしていく
というのは今後
目指していかなければいけないところだなと思います
田中さんの目線もぜひ聞きたいなと思っていて
投資家がモノクローム社に惹かれた理由
今回このタイミングで
ご収集されて
今梅田さんがお話しされていない部分で評価された部分だったり
逆にお話しされたけど
やっぱり特にここが評価ポイントというか
共感した部分だったとかでもいいんですけど
ちょっとまだ漏れている部分とかあったら
ぜひお願いします
モノクロームさん評価させていただいたポイント
二つ大きかった
一つは美しい経過を残すという
梅田さん
モノクロームさんのビジョン
これって本当に
すごい尊くて
大事なこと
私がアルファで
一つ成し遂げたいことが
自分の子供
孫の世代に
残してあげたいなと
個人的に大変恐縮なんですけど
オーストラリアに
出張に行ったときに隣に座ったオーストラリア人に
日本大好きなんだよ
っていう話しかけられたことがあって
なぜって聞くと
ソニーがあってキャノンがあってトヨタがあって
日本すごいじゃんって言ってくれたんですね
それを聞いたときに
何十年も前の
人たちのレガシー
遺産で僕らって
ごリスペクトされてるんだなと思ったのと同時に
自分たちが
何も残せてないなっていう
すごい
複雑な気持ちになったんですね
私は
そこまでプロダクトを作ったり起業したりする能力がないので
ベンチャーキャピタリーという仕事を通じて
大倉さんみたいな
とお支援しながら
そういった本当に
日本を代表するような
今後の企業を
お支援していきたいなと思って始めてたので
そういう観点で
皆さん
モノクロームその可能性がある会社なんじゃないかな
と思ったのが一つですね
あともう一つは
現場に行って
本当にプロダクトが美しいんですよ
皆さんすごいこだわりを持って
働かれてらっしゃる
すごい狂気も感じたし
それについていきたいなと
ご一緒させていただきたいなと
いうふうに思った
のがやっぱり大きかったですね
初めてプロダクトを見たときの
感想じゃないですけど
何を感じたのかとか
美しいということはおっしゃってましたけど
どんなことを受け取ったりされました
私もですね
自分で家作りをさせてもらって
太陽光を載せて風を感じていたんですね
一方で建築家の本とかもたくさん読んで
って思ったので
本当に
ちょっと離れると
太陽パネル見えないんですよ
美しいですね
それがいかに難しいかも
なんとなくわかったので
すごい努力をされて
ここまで作られているんだな
というふうに思ったのと
上田さんがめちゃくちゃ生き生きと
パネルとか
ものづくりに対して
熱く語られるんですね
それもやっぱすごいな
と思って
それが印象的でしたね
いい表情されてますね
AI時代における人間力と教育への挑戦
2回目の
今回企業で
さっきの質問じゃないですけど
モチベーションの厳選みたいなところも
やっぱり年をとっているので
ちょっと変わっているなというのを感じて
さっきの田中さんの話じゃないですけど
これ偽善とかで
本当なく
うちも子ども4人がいて
結局
子どもたち何残すかみたいな
感じがモチベーションになるんですよね
厳選に
そうなってた時に
最近の僕のモチベーションは
自動運転だったりとか
AIとかも
素晴らしい絶対必要なものなんですけど
これ別にない世界でも幸せだったと
それはそれでも得意な人たちに任せて
いいんだけども
子どもたちは不幸せになっちゃう世界っていうのは
やっぱりこの美しい自然がなくなっちゃう世界
だったりとか
我々が当たり前のように享受していた
この地球からの恵みが
なくなっちゃう世界だよね
っていうところが明らかに不幸せになっちゃうので
やっぱりそこは
一つ
次の取り組む
要素としては
やっぱモチベーションになるんだなっていうのは
2回目だからこそ
感じるところでもあるかな
あるなっていうのは実感しています
今いらっしゃる
チームメンバーの方々も
どこかで一周経験されてきて
そういう思いでジョインされたりが多かったりするんですか?
多いですね
自然好き
海なり山好き
もしくは動物好き
この2つが
モノクロンメンバーの大きな共通点かもしれないですね
横須賀に
本社があるんですけども
横須賀の本社が集まる前は先週も
みんなで朝山走って
最高ですね
山走って汗かいて
そこから仕事みたいな
爽やかじゃないですか
そういうのが
好きなメンバー
西アザブで夜まで飲んでみたいな
のとはちょっと違う感じのカルチャーが
あるかもしれないなと思いますね
梅田さんご自身も自然が大好きで
山に登ったりとか
そうですね
大好きでハマってますね
相当な偏愛っぷりっていうのを聞いてるんですけど
よくご存知
最近です
ハマってきたのは最近ではありますけど
ちょうど
先月だったかな
ヨーロッパの
フランスから
スイスまでスキーターを
担いで登って
重走やってきたんですけども
すっごい美しいんですけども
圧倒的な速さで
氷がなくなっているってことも同時に実感する
感じなんですよね
それを感じられたのもすごいいい旅だったな
って思いますし
ツエルマットっていう町は
住民が立ち上がって
美しい今まで凶充している自然が
なくなっちゃうから
これなんとか変えなきゃいけない
町にガソリン車が入るのをやめさせる
というのも住民が立ち上がって始めてたり
実感する場所だからこそ
住民が立ち上がって動いている
っていうことも感じられたのも
すごいいい旅だったなと
旅でしたね私にとっては
日本はそこまでの危機感ないじゃないですか
どうしたらいいんですか
やっぱり実感できないです
氷河がないんで
今一番最初に影響できたのは氷河なんですね
僕もずっと葉山に15年前から住んでますけど
当時はワカメが
干す
ワカメを春になると取れて
干しているのが
一つ風物詩だったんですけども
その景色がなくなってきているんですね
それがなんでなくなっているか
その温暖化の影響で生態系が変わってきて
ユニが増えて
ワカメを食べてしまうという問題が
あったりするんですけども
気づかないでよく目を凝らすと
景色が変わってきたりするんですよね
当たり前に見つけたワカメの干している景色がなくなっているとか
そういうのもあるので
やっぱりそこの
人間なかなか危機意識が目の前に来ないと
変わらないというところはあるので
やっぱりモノクロームもそこに頼っちゃいけないな
と思ってるんですよね
そこの環境意識だったりですとか
この未来に
残していきたい景色
地球を作っていこうという
話だけでは絶対にやっぱりダメで
そうじゃなく
それを抜きにしてもかっこいいし
それを抜きにしても経済効率性が合うし
それを抜きにしても品質が合うし
というような形で
プロダクトを作っていかなきゃいけないなというのは
自分たちの今しめとしても
日々感じているところであります
今まさに早山の話も少し出ましたけど
そしてお子さんの話も出ましたけれども
どうやらそれにモノクロームさんとしても
また別の形なのか
違うアプローチも取られている学校
かなと思うんですけど
これも少し教えてもらえますか
来年の8月にですね
秋葉山国際学園という
学校を開校する
レークを進めているんですけども
これも同じように
自分の現体験で
自分たちの子供が同じDNA
同じ環境で育っているのもバラバラだと
個性が全然バラバラであって
やはりその分
いろんな教育の選択肢が
地域にあるということは地域を豊かにすることだよね
というようなところが
あったところから
学校を作りたいなという思いが
少しずつ昔から
これをあって
ようやくタイミングが来て始めようという形になって
来ているんですけども
当然全ての校舎には
モノクロームのシステムをガチュッと
入れて持続可能な
学校の形というものを
作っていくということもそうですし
何よりこの学校を
作りたいなと思った
今の時代背景とも関係するところでいくと
AIによって
子供たちの
育つ環境だったり
これからの生き方みたいな
根底から変わっちゃうんじゃないかな
というところもあるんですよね
欲も悪くも全てを滑らかにしちゃうというか
全てにアクセスできるし
あらゆる今まで苦労しないと
手に入れられなかった知識というものも
簡単に手に入ってしまうという
世界になっていく
世の中を滑らかにしてしまうからこそ
人間が成長する
ハードシングだったり
チャレンジだったり
そういう体験が
ほとんどせず
育っていってしまうなという
危機意識もあったりするんですよね
これからますます
AIが
より知識を
コミュニティ化していく中で
問われるのは人間力であるみたいな感じで
よく家庭の中では
三つのGを大切にしようと言ったりしているんですけど
まず一つが
ジェネラスで寛容な心を持つと
二つ目はグッドネスで
良い悪い
倫理性みたいなところですね
の判断が
ちゃんとできるようになろうと
三つ目がグリッドで
やりにくい力を持とうと
この三つさえあればどんな時代
AI時代だろうが
よく生きてくるよね
っていうようなところがあって
この三つの力っていうのは
体験からしか
機上の学習から
AIから学べないところがあるので
この学校の特徴っていうのは
いろんな体験をできるようにして
森があるんですね
森の中で動物を飼ったりですとか
これからの時代って
AIで悪いことをなめるようになっちゃうから
みんなが困難を
お金で買いに行くみたいな
体験をするためにですね
そうではなくて
当たり前にいろんな体験
いろんなチャレンジができる
学校を作っていこうっていうのが
今回の秋葉山国際学園っていうもので
これもちょっとさっきの話じゃないですけども
これからの時代
AIだってテクノロジーが進化することによって
よくはなるんだけども
なくても不幸せにならないというのが
もしあったとした場合に
なくて不幸せになっちゃうのは自然環境もそうだし
そういう体験
今まで当たり前のように体験できてきたことが
体験できなくなってしまう
っていうことが学校の中で
起こってきてしまう
可能性があるのであれば
この新しい学校では
そういうものを作っていこう
というような取り組みの一環になっています
僕も下調べをしているタイミングで
モノクローム社が求める人材と今後の展望
モノクロさんの授業とか
一人見に行って
国際学園のものを見て
ブルースリリースとかも拝見して
思わず妻にも言っちゃって
僕も子供いるんですけど
何歳ですか?
上の子が小学1年生なんで
間に合わないですね
次の子は次女がいて
次女は2歳半とかなんで
まずサマースクールから
2年後ぐらいのサマースクールから
参加いただけますので
ぜひ
セットで引っ越してこなきゃいけないですけどね
葉山の地区に
大好きなエリアなんで
問題ないかなと思って
それぐらい
やっぱり何でしょうね
モノクロームさんの授業の魅力も
あれどもやっぱそういう社会と
接続しているところって結局僕スタートアップが
いかにいろんな人に
興味を持ってもらったりとか採用もしっかりですけど
接点の多さとか深さかなと思っていて
そういう意味ではそういう領域で
それをやってる梅田さんって何やってるんだろう
っていうのでモノクロームだ
このパネル作ってるんだみたいな
なると本当にビジネスにも
つながってくるというか
いいなと思ってもはや感想なんですけど
そういうふうに思ったりもしていて
素敵だなと思っていますと
多分ここまで聞かれた方も
梅田さんおよびモノクロームさん本当にいいなって
思ってると思ってるんですけど
そういう意味では今は一人が入ってきてほしい
フェーズとかだったりもするのかなと思うんですけど
今だと例えばどういう
人に来てほしいなのかこういう環境があるのかなとか
その辺りっていうのはどうでしょう
今積極的に
募集してるのは
これが広げていくフェーズなので
まずセールスですね
これは
プロダクトを売るだけじゃなくて
太陽とともに生活するライフスタイルを提案できるというか
それは素敵な
豊かな生活なんだよ
というところまでの
啓蒙活動じゃないですけど
その役割
になってくる
このセールス方と
あと電気工事士
電気の
エンジニアは今
本当に不足してまして
その方は
そこはなかなかスタートアップの世界に
いないので
なかなかリーチが難しいなと
思います
それ以外にこれもユーザーベースからの
一つの鉄則なんですけど
採用は絶対評価で
いいと思った人は枠がなくても絶対
採用するというところが
あるので
枠に関係なく
いいなとモノクロームが
合うなというところがある人は
積極的に採用していきたいなと思います
ありがとうございます
最後の最後でまた梅田さんから
メッセージとか届けてほしいなと
ビジョンとか語りながらと思っているんですけど
その手前にぜひ田中さんからも
時間差し掛かっておりまして
最後に改めてエールじゃないですけど
今感じていることを改めて梅田さんに
ぶつけてもらえませんか
今まで
梅田さんについて
不思議に思っていたことがいろいろ
線と線が繋がった感じがして
めちゃくちゃ
楽しい
一番大事
やっぱり情熱、仲間
この辺が梅田さんの
人生の大きな
大事なポイントなんだろうなと思ったし
一緒に働く人は
すごい幸せなんじゃないかなと思って
世の中に必要なこと
素敵な仲間
チャレンジできる
すごい環境だなと
僕が
20代だったら今
梅田さんの下で働きたいなと
いう風に思ったので
関心持った方はぜひ
ご連絡いただきたいなと思いました
採用が殺菌の問題だとは思いますけど
採用に限らず
全ステークホルダーが
幸せになってそうですよね
田中さんも幸せそうだなって僕に言える
それはこれからです
これで
投資いただいた資金を
紙屑にしてしまったら
全く幸せじゃないので
幸せかどうか
手伝えばちゃんと結果と
セットになりますので
梅田さんはしぴしと締めていただいて
最後に1時間半ぐらい
聞いてるんじゃないかなと思うんですけど
そんな方へのメッセージとか
改めて展望とかでもいいんですけど
思いをよかったら見つけてもらえませんか
こういうの毎回困っちゃうところが
あるんですよね
それがやっぱり
僕自身があんまり
10年後20年後の大きなビジョンを掲げて
ビジネスをやるというよりは
やっぱりまず
力が出るのは目の前のお客さんが
どうしたら買ってくれるかな
みたいなところの問題を解くというか
そういうところだな
っていう風には
思うので
結局その先に
いつの間にか高いところまで来てる
っていう感じがユーザーベースの時も
そうだったんですよね
最初ユーザーベースの時も
いろんなベンチャーキャピタルの方々が
エンディングメッセージ
市場規模小さくないですかと
戦略コンサルと投資銀行だけだったら市場規模小さくないですか
って毎回言われて
そうですよね
小さいですよね
この人たち満足してくれなかったら次はないんで
っていう形でやってたら
一人のお客さんが満足したら
隣の座ってる人が見えて
この機能コンテンツがあれば
この人たちも
満足してくれるかもしれない
というのでだんだん広がって
事業会社の計画の方々だったり
広がって使っていっていただいた
っていう感じでは
あったので
何かこれがあったらいいな
っていうところから私
モノクロームだったりとかユーザーベースも始まってるんですけど
そうなったらあんまり
深く考えすぎず
あんまりベンチャーキャピタルの方々から
詰められても
へこまず
まず始めてみるってことは
僕すごい大切だなっていう風に
思いますので
最後のエールとして
示させていただけたらなと思います
ありがとうございます
モノクロームさんウメダさん気になるよって方は
一通り引き続きのリンクを概要欄だったり
諸々に組みますので
ぜひクリックしていただいてウォッチしていただいたり
実際にコンタクトしていただけると
良いのではないかなと思っております
そしてぜひそういう形じゃなくても
多分今回刺さるフレーズ
いっぱいあるんじゃないかなと思うので
そういうところもSNSでシェアしていただけたりしたら
とても嬉しいですし
お願いできればなと思います
ここまで聞いてくださった方々もウメダさんも
田中さんもありがとうございました
ありがとうございました
終了です
ありがとうございます
ピッタシじゃないですか
本当は1時間で
時間大丈夫ですか
1時間
すいません
ユーザベースの
学びしているところは
うまく編集してください
なるべく出したいです
めちゃくちゃ勉強になりました
01:29:41

コメント

スクロール