1. ハートに火をつけろ by ANRI
  2. #047 「乗れる波には乗る」を..
#047 「乗れる波には乗る」を続け、創業から圧倒的なスピードで駆け抜けた学生起業らしい熱気とは【ゲスト:株式会社medimo - 中原楊さん、馬劭昂さん】
2026-04-07 37:20

#047 「乗れる波には乗る」を続け、創業から圧倒的なスピードで駆け抜けた学生起業らしい熱気とは【ゲスト:株式会社medimo - 中原楊さん、馬劭昂さん】

今回のゲストは、

「株式会社medimo」代表取締役社長で医師の中原楊さん、

代表取締役で共同創業者の馬劭昂さん。

なぜmedimoを起業したのか、おふたりの生い立ち、

今どんなことに挑戦しようとしているのかについてお聞きします。


●エピソード詳細

・現在の起業のハードル

・馬さん、中原さんの生い立ち

・知り合ったきっかけ

・医学部に進学した理由

・「起業」という選択肢をなぜ選んだか

・ブームに対するアティテュード

・学生スタートアップ時代の熱気


●ゲスト紹介

中原 楊 https://x.com/YoN20000118?s=20

medimoプロダクト責任者。採用面ではPdMやPjM、テックリードを担当。高校在学中に未踏Jr2017年採択。慶應義塾大学医学部では、システム神経科学とAI技術の医療応用について研究。株式会社MICINを経て、medimoを共同創業。

馬 劭昂 https://x.com/umaumaBCI?s=20

medimo事業責任者。採用面ではFSやCS、企画職などのBizサイドを担当。東京大学医学部在学中より株式会社Arayaや松尾研究所でのAI開発に従事したのち、medimoを共同創業。


●番組へのメッセージフォーム

https://forms.gle/HsggHGEzxZhgJBkQ8

SNSからは「#ハートに火をつけろ」で感想などお待ちしております!


●起業・資金調達の相談

https://bit.ly/4c5h8h6


●制作

PitPa Podcast

https://pitpa.jp/

See Privacy Policy at https://art19.com/privacy and California Privacy Notice at https://art19.com/privacy#do-not-sell-my-info.

感想

まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!

サマリー

今回のエピソードでは、株式会社medimoの共同創業者である中原楊さんと馬劭昂さんをゲストに迎え、学生起業家としての熱気あふれる道のりについて語られました。お二人は医師免許を持ちながらも、起業という道を選び、圧倒的なスピードで事業を成長させてきました。馬さんは論理的すぎる小学生時代から中学受験を経て社会性を獲得し、中原さんは中国での幼少期から日本への帰国、そして日本語習得というユニークな経験を経てきました。医学部進学の理由や、起業という選択肢を選んだ背景には、親の願いや自身の探求心がありました。学生時代から様々なプロジェクトやブームに乗りながら経験を積み、特にWeb3やNFTのブームに乗って試行錯誤した日々は、当時の熱気を物語っています。彼らは「乗れる波には乗る」という姿勢で、常に最先端に挑戦し続けることで、自身の成長と事業の可能性を広げてきました。このエピソードは、若き起業家たちがどのようにして情熱を燃やし、困難を乗り越えながら道を切り拓いていくのかを示唆しています。

学生起業の現状とmedimoの紹介
ハートに火をつけろ!
こんにちは。創業期のスタートアップ投資に特化したベンチャーキャピタル、ANRIの代表、佐本安里です。
この番組では、毎回様々な起業家精神を持った方をゲストに呼びし、その人を突き起こす熱について、深く掘り下げ、熱くためになる話をお届けしています。
今回のゲストは、株式会社medimo代表取締役社長で、医師の中原楊さん。代表取締役で、共同創業者の馬劭昂さんにお越しいただきました。
本日は中原さん、馬さんに、なぜmedimo起業したのか、今までの追い立ちですとか、あとは今何を考えて、どんなことを挑戦しようとしているのかなど、
分かって挑戦しつけて、結果を出している起業家ということで、深く根掘り葉掘り話を伺えればと思っています。中原さん、馬さんお願いします。
よろしくお願いします。
お二人を今回お呼びした理由は、若くて起業して、一定の成功するということの意味とかが、すごい今重要だなと思っているので、お呼びしたという背景でございます。
ありがとうございます。
なんでかというと、いろんな企業、それこそシニア企業とか、いろんなスタイルもあるんですけど、やっぱり若い人が起業するっていうのは、一個すごく僕はいいなと思っていて、
優秀で余心がない人間が短期にものすごい負荷で働いて、結果を出しに行くっていうスタイルが、スタートアップとしては一個、王道の形だと思っているんですよね。
僕も創業期の時から、僕も本当にザ・若手の時に、ラクソンの松本さんとか、ストアーズの佐藤さんとか、あとはメディアの中川さんとかとおっしゃってもらって、若者で余心がない人間がどういうルートでどういうことをやれば結果を出すかというときに、スタートアップって超コスパイというかやりやすい方法。
何も余心がない中で成功するには、スタートアップって結構便利な方法だなと思ったので、それを信じてやってきた中で、今結構若者起業難しくなっているのってあるなと思って。どうなんですか?
いや、ありますね。やっぱり明確に、自分たちも周りの企業家とか後輩企業家とかと話すときって、やっぱりちょっと上の世代と違って、3年、5年でIPを目指すみたいなシナリオがほぼなくなっていて。
当初の改革の話もあるし、小粒上場の話もあって、やっぱり上場するっていうことの自体のハードルが一気に上がったという。人生ゲームルールが変わったっていう部分もありつつも、あとやっぱり我々いわゆるZ世代ですけど、やっぱり価値観結構多様化してきてて、いろんな形があるよね。成功にもいろんな形がある。
上がるってなんだろう?っていう結構いろんな変え方が出てきてて、みんな統一して企業してこれを目指すって分かりやすいストーリーが結構最近ないなっていうのは感じる部分ではありますね。
ゲスト紹介と医学部進学の背景
10年ちょっと前だと本当に若者企業の一個の走りで、キュレーションメディアっていうフォーマットがスタートして、若者でインターン生とかバイトとか大量に仲間にしてとんでもない勢いで働くと、M&Aできてお金が入るらしいみたいなのがあって、本当にこのフォーマットで100社くらい出たんですよ。若者企業が。
もちろんそれで上手くいった人も向かいかなかった人もいるけど、それがスタートアップの世界の入り口だったって人が結構いて、その人たちが2回目3回目で何かやっていくっていうのが結構いっぱいあったんですよね。
でもこの節目がなく、それこそやっぱりマーケットが変わってきた中で、若い人の企業って何考えてるんだろう?みたいなところに、二人は象徴的というか、引き続き学生?
僕は実はまだ卒業してなくて、今医学部の5年生で、この前6年生に進級が決まりました。
決まったの?おめでとうございます。
あれ?じゃあ、今年国師?
そうですね、次は今年国師になります。
中原さんは?
僕もおかえさまで卒業は去年の3月にもしてて、今社会人1年目の終わりです。
お二人とも医学部で卒業して国種を買ってるから、肩書上は先ほどご紹介したとおり医師?
そうです。
だけど研修院には一旦ならない?
やってないです。
そうするとどうなるんですか?
ペーパードライバー。ペーパードクター。
免許は持ってる状態?
そうです。免許はあるけど何もできない。
保健診療はできない?
基本は何もできない。
そのまま重診療はできるけど、どこかの医療機関にも所属する必要性がある。
やっぱり保健とかもいる必要がある。
でも、こんなの誰も雇わないです。
確かに雇いたくないわ。
なるほど、そういう感じなんですね。
馬劭昂さんの生い立ちとユニークな小学生時代
このポートキャストを聞いている方は企業間の方が多いんですけれど、
お二人のことまだまだ知らない方もいると思う。
前段でご説明すると、
僕はお二人は若手の企業家で代表する企業家だなと思っていますし、
これからも鈴木健さんにグループにしてどんどん結果を出していくと思っているんですけれど、
小沢さん、僕のご師匠の人であり、
BOOSTの小沢さんも、
僕がやっているイベントでご紹介させてもらって、
お二人はなかなかいない。
欠物であると褒めているので、
それぐらいの方が何者なのかというのを
お二人を一旦どんな老いたちなのか聞いてみたいなと思っています。
じゃあ、私から。
いかせていただきます。
何なの?そのため方は。
老いたちですか。
僕の名前がマー・ショアンであるように、
両親が中国でして、
両親が大学院で日本に来た時に、
僕は福岡の小倉で生まれまして、
僕は地数字は中国なんですけども、
生まれ育ちは日本というような人間になっています。
マザーランゲージ的には日本?
マザーランゲージは実は中国の方が先に話せるので、
そこはテレビとか見て日本語を学んだという感じです。
お父さん、お母さんとは中国語?
混ざります。
現在は中大区間みたいな感じになっていて、
言いやすい方が日本語みたいになります。
なるほど。
ほとんど、育ちはずっと日本?
そうですね。
1歳まで福岡に行って、3歳まで中国に行って、
そこからずっと東京ですね。
東京に来たのは、お父さんお仕事の時期?
そうですね、お仕事で。
そこから小学校、中学校という風にずっと、
学習とかも東京で進めてきたんですけども、
僕、小学生の頃、多分世界一癖強い小学生。
自分で言います?
本当にそうなんです。
絶対同級生になりたくないなと思ってて。
そんなに?
とにかく論理的すぎて、誰とも話が噛み合わなくて。
小学生の頃って、かけっこが早い子とか、
野球やってる子、サッカーやってる子が幅利化するじゃないですか。
なので、結構非論理的な主張をしてきて、
なんとなくみんながそれに乗るんですよ。
僕は毎回それに論理的に反抗してて、
それ論理的におかしいよね、みたいな。
嫌な子供だね。
おい、昭和漫画課せよって言われたら、
なんで?それ論理的に説明して。
とにかく友達ができなくてですね。
どうしても自分だけが正しいはずだっていう信念がずっと育まれて、
ある日、もうどうしようもないと。
これ学校帰るにはどうしたらいいんだと思った時に、
ホームルームにある本を持って行って、
朝礼で僕は皆前に立ったんです。
今日ちょっと僕から発表がありますと。
僕持ってた本がポケット六宝全書で、
今からあなたたちを現行犯逮捕しますって言って、
もう気に入らないこの幅を聞かせてたガキ大将全員逮捕したんですよ。
現行犯逮捕です。
あなたは民放大難所大難報です。
現行犯逮捕は誰でもできます?
そう誰でもできる。
何年生の頃?
小学校5年生とかですね。
本当に嫌ですね。
結構嫌ですね。
今うちの子と同い年かと思って。
いやもう勝ったぞと。
勝ち誇ってたら何も起こらなくて、
現行犯逮捕したのにみたいな。
でもその日から僕はますます友達ができなくなっちゃったっていう。
そんな小学生でした。
すごいね。
そうなんです。
いわゆる論理立てて物を考えたい。
相手もそうしてほしいっていうのは何から生まれたんですか?
ご両親もそういうタイプ?
そんなことはないですね。
うちの母親は結構文系で感情とかエモの方の人なんで、
あんまりそれロジックロジックって感じはなかったですね。
自然と多分そうなってました。
怖いですね。
怖い話を聞いてますね。
ホラーを。
かなり歪んでます。
怖い人みたいな。
これそっからどうなっていくんですか?
そこから塾に行ってた頃は塾ではすごい友達ができたんですよ。
話が楽しいみたいな。
だから中学受験したいなって思ってこのシリーズを目指すんですね。
僕はやっぱりすごく問題児だったので、
塾行っても一回も宿題やらなかったんですよ。
国語だけはできて上のクラスとか行くんですけど、
ある日塾長にお前なんで宿題やらないんだみたいなこと言われて、
わかんない、でも楽しいからいいじゃないですかとか言ってたら、
お前6年生のフルだぞって言われて、
金返すからやめろって言われて。
金返すからやめろ?
これって愛あるんかな?
みたいな思って一人夜道帰ってたら、
これ愛ないなっていう質問について、
いやでも本当にちょっと反省したんで。
聞きながらちょっと引いてるのかな?
ここまで細かく聞くのは初めてなんで。
相当嫌なやつだな。
僕もだんだんここから距離が。
離れていってますけど。
でも奇跡的に第一望の会場という中学に向かって、
そこからはすごい話の友達もたくさん増えて、
初めてこの社会性というものを獲得したっていうのが中学生でした。
なるほど。
すごいな、でも良かったですね。
本当に良かったです。
会場がすごく良かったですね。
結構会場ってお母さんに大事に育てられてきた息子が多いんですよ。
分かります。
そうなんです。
なので結構みんな愛があって、
友達を大事にして、
無駄な共鋭心とかがあんまりない。
競争心も緩いっていうところで、
スクスクと中学生は育つことができて、
僕は今ここ社会に出れているという。
良かったですね。
今あのまま行ったら結構戻れない。
いやー、もう捕まってます。
どうさせてもらっている企業家の中でも、
クラスの久保さんとか、
あとアジトの吉金とか、
結構会場出身の企業がいますね。
そうなんですか。
言われているんですね、会場出身って。
なるほど。
中原さんはどんな感じですか?
中原楊さんの生い立ちと日本での挑戦
僕も両親中国人。
僕は生まれる前に留学で日本に来て、
日本で働いて、
帰化してから僕が生まれたんで、
一応名前最初が中原なんですけど、
下の名前は陽じゃないですか、
キフェンの。
これがヤンっていう、
親父の帰化する前の苗字だったんですよ。
じゃあ苗字苗字。
苗字苗字っていう、
生まれた時点でもうアイデンティティがないと。
決めつけられた感じで生まれたんですけど、
僕も一応最初生まれ京都で、
父は働いた会社京都だったんで京都生まれて、
ちょうど1歳くらいの時に、
父は転勤で中国に行くことになって、
僕も一生ついて行って、
日本に帰ってくるのが15歳の時でした。
なので15年間ぐらいずっと中国。
なるほど。
はい。
それまでずっと中国語?
そうです。
日本語は話せなかった?
日本語はわかんなくて、それまで。
なるほど。
両親とも家ではもちろん中国語で話すし、
家で学校もずっと建築校行ってて、
で、間なんか親の気まぐれで半年だけ日本人学校に入れられたんですけど。
本当に気まぐれだね。
半年だけやってみるみたいな。
入れられて、
で、親が教科書とかパラフル見ると、
あ、これダメだね。
これ簡単すぎるわ。
行ってまた建築校戻された。
ずっと建築校。
なので、
もうそのままやっぱずっと中国で高校大学行くんだろうなと思って、
高校受験準備してたんですけど、
中二ぐらいの時に急に親に、来年帰るよって。
え、どこに?
日本。
気まぐれですね。
急だね。
急になんか決まって。
あれも会社転勤なんで、仕方ないんですけど。
え、日本語どうするの?みたいな。
結構そんな時期は腐りましたね。
さすがに。
結構真面目な。
私も中学生ぐらいで中国行くよって言われたら腐りますね。
通じないけどみたいな。
そうなんですよ。
腐りながら、
中国行った間もちょっと日本語をやりながら、
で、日本帰ってきて、
最初は秋入試で入れるところを探してたんですよ。
向こうって秋なんで。
秋で入れるところを探して、
関西の戦慄国際だったりとか、
同社国際とか受けて、
日本語分からなすぎて全部落ちて。
分かんないもんね。
分かんなくて。
最後面接で、
飽きられて、
これ新聞の1ページあるでしょ?読んでみてみたいな。
日本語で。
読めない。
かわいそう。
というのをやっても全部落ちして、
いきなり高校浪人みたいな。
高校浪人?
入るとこないみたいな。
そこは1年くらい、
血に足つけて、
マブチとか、
個人の日本語塾とか通って、
日本語勉強して、
何とか次の年に高校に入りました。
中学時点で結構ヘビーな。
そうですね。
カオスですね。
日本語うまいんですね。
実は一番得意な教科は日本語なんですよ。
国語が得意で、
高校の時も、
国語の成績全国4位とか、
何回かそれくらい取ったことがあって、
なんか国語が得意なんですよ。
なるほど。
言葉がうまいです。
でも、
初めてオフィスさせてもらった時より、
さらに日本語も、
完全ネイティブ化していってるよね。
嬉しいです。
結構でも、
初めてオフィスさせてもらった時は、
確かに、
でもその頃もう分かんなかった。
よく意識すれば確かに、
イントネーションがみたいになったけど、
素晴らしい。
国語力。
確かに確かに。
二人の出会いと医学部進学の理由
僕、彼と出会ったのは、
大学1年生の頃で、
当時彼が大学2年だったんですけども、
確かに今よりも全然生まってましたね。
中国語のイントネーションが。
これ2人とも医学部生として会ったってこと?
そうですね。
当時も医学部生。
そうですね。
当時会った時、
僕が大学2年生で、
マー君が1年生。
僕1個した後輩で。
何で会うの?
なんかあの…
何で?
そこ止まる時点で止めてきちゃうんだけど。
サークルって言いますか。
最初は開文章でしょ?
開文章。
僕が大学入った時に、
僕は東大の医学部に入ったんですけども、
理由がやっぱり、
人間がいつか老いて死んでしまうっていう運命を
変えられないかと思って、
当時医学部に出して。
入った時に、
研究とか老化とかの勉強をすごいしたいなって思って、
先輩に1万文字ぐらいで、
僕の人間の進化とか老化に対する見解っていうのを
送ったんですよ。
LINEで。
そしたら先輩が、
多分めんどくさかって、
いい人いるよって言って、
転送したのがなかなか。
なるほど。
1万字、1万文字で転送されてきて、
重っ。
何このマニフェスト。
重いですね。
改文書を送っちゃって。
なるほど。
そしたら神楽坂で会うかって言われて、
一緒に油そば食べたんでね。
そうですか。
でもこういう人好きなんで。
変わった人って。
改文書を送ってくれる人。
改文書結構好きで、
一旦しゃべってみれば。
私も同じルーツ。
中国の人。
確かにね。
で、2人とも医学部出して。
そうです。
最初でしたね。
そっからでも起業するまで4年ぐらい、3、4年ぐらいあるとか。
そうですね。
まさか2人で起業するとかって感じ?
それは結構本当にたまたまっていうか、
ご縁だなと思ってて。
当時最初お話しして、
ちょうど僕その時1個サークルやってたんですよ。
医学部生とか医療に興味ある学生が集まって、
みんなで面白いプロジェクトやるサークルがあったんですけど、
そこの関東支部の代表やってた時期で、
結構運営が大変で、
ずっと人を探してて、
ちょうどなんか入ってきて。
重そうな人がね。
重そうな。
エネルギーの大きさを評価されて。
なるほど。
どの方向に一瞬大きくいくんだろうな、この人っていう。
2人とも医学部に入るんだけど、
医者になり、
まだマーさんの場合は研究に近い?
そうですね。
人とか人体についてすごい知りたくて、
どうしたらこの病そのものがなくなるのかとか、
どうかなくなるのかってすごい興味を持って入りました。
中原さんに関してはなぜ医学部?
そこもめちゃくちゃぶっちゃけちゃうと、
親が医者になってほしいなっていうのが結構ある。
ご両親はお医者さんじゃない?
全然全然。
でもこれも本当に中国人親あるあるなんですけど、
子どもは安定した手に職をつけてほしいみたいな。
ところで大体医者か弁護士か、国家公民かになってほしいっていう。
結構あるんですよね。
僕の両親の世代だと。
なるほどね。
世代論、国家論もあるけど世代論もあるかもしれないですね。
そうですね。
文化大革命ぐらいの時期だよね。
ちょうど父親も文化大革命の時も経験してたし。
そうすると国家が何が起きても、
手に職がある人は大丈夫だったからっていう。
高1、高2ぐらいの時に聞かれるじゃないですか。
進路とかどうするのみたいな。
当時いろいろ考えてて。
医学部もいいかもなみたいな。
適当に言ったらめちゃくちゃ喜んで。
これはもう親孝行。
としても興味はもともとあったし。
医学面白いし、医療っていうのもすごい興味あったんで。
一旦大学は医学部でもいいかなっていう。
自分でプログラムとか工学系のことも自分で勉強してたんですけど。
自分で勉強してたからこそ、
最悪自分で勉強すればいいかなって。
大学行く必然性がそこまでないかなとも思って。
逆に大学じゃないと学べないこと。
医学は一つあるなっていう。
なるほどね。
のでいったって感じですね。
この前、うちの宮崎と東大行ってて。
宮崎は建築学科から突然薬学部に移動してて。
なんでって言ったら、大学っていうのは研究とかやった方がいいんじゃないかなと思って。
それで建築から薬学部に移動できるならまあいいけどって。
それ東大いいところですよね。
そうそう。東大のいいところですね。
そういう移動ができるっていう。
確かにな。
起業という選択肢と学生時代の経験
でも二人とも企業はするっていう選択肢は人生にあったわけですか?
結構僕の場合は企業化に割と影響を受けてきていて。
僕らの世代って企業によって世界が変わることは何度もあったかなと思うんですね。
例えば小学生、高年生の頃に一気に柄形からiPhoneになった日をずっと覚えていて。
僕当時塾通ってたんですけど、みんなこの柄形見て本読んでみたいな。
何もしない人もいてっていう人それぞれだった電車の景色が一気にみんな見始めて。
確かに。
っていう衝撃とか。
あとその後やっぱりイーロンマスカルをゲット飛ばしてたりとか
マーク・ザッカーバーグがFacebookめっちゃ伸ばしてインスタ買収してみたいなところを見てきたので
割と企業化の活躍が身近にあった世代なのかなと思っています。
なのでこういう企業をして世の中を変えるっていうのはすごい楽しそうだと思うし
いつかチャレンジしてみたいなとは漠然と思ってました。
なるほど。どうなんですか?
そうですね。マーさんと似ている部分もあるんですけど
僕はもっと直接的な関わりが高校の時たまたま持たせていただいて
MITOっていう元久野市で今レアXの福島さんも採択されてた国が若手の技術者エンジニアを支援するプログラムがあるんですけど
あれのUnder18のバージョンがちょうど僕1の時に一期生が
MITOユースか。
あ、そうです。MITOジュニア。
ジュニアか。
やつあるんですけど、ちょうど僕高校1の時に一期生があって
僕が二期生として入ったんです。
なるほどね。
たまたま僕の同期がそういうの好きで応募を出して
たまたま採択されて
普通技術者じゃないですか
そういうことを小さい時からエンジニアやってましたみたいな
僕は友達というのはそんなことなくて
物も作れないみたいな
でもアイデアは良かったから採択されて
どうするの?みたいな
っていうことになって
どうしようみたいな話してたら
僕そういうの興味あったんで
じゃあなんか手伝うよみたいな
気づいたらそいつがビジネスアイデア考えて
僕がコード書くっていう
全然それまでやったことなかったんですけど
たまたま本当に機会があってやらせていただいて
メンターとしてもGNOWシティの共同創業者の関さん
関さんがPMだからね
PMとしてついてくれて
結構その時にサービス作り
プロダクト作りってこうやってやるんだとか
会社を起こすってこういうことなんだとか
いろいろ教えていただいて
楽しそうだなっていうのはその時
現体験としてはありました
そうか
medimoの事業内容と初期の試行錯誤
でもそういう時自然と企業っぽい話になって
合体してメディモになる
そうですね
当時彼と一緒にやってたサークルも
社会の課題解決を高校生と一緒にやるっていうサークル
その当時の確かテーマが発達障害だったんですね
その1年のテーマが
で高校生と一緒に実際
学習に障害がある子たちにヒアリングを通して
どんな解決策を作ったらいいかというのを
ずっとPDHで回すっていうのをサークルでやってたので
企業っぽいというかその前段っぽい動きはしていて
その1年が終わった時に
なんか実際物作って
人に使ってもらう体験したいよね
みたいな話になって
僕も彼も行動かけたので
そこでもう1人の共同創業者の野村と一緒に
彼の家でずっとガレージで物を作るっていうのを
やり始めました
当時はまだ法人なかったですね
なかったですね
なるほど
これね
まだメディボンは何の会社かって聞いてなかったなと思って
それでできたメディボン
これ今やってる事業は簡単に言うと
簡単に言うと
医療現場のあれより事務作業ですね
本当だったら医療従事者がやらなくてもいいような業務を
AIテクノロジー使って完全自動化することによって
みんながより医療従事者にしかできないことにフォーカスする
ツールだったりプロダクトを開発してる会社ですね
我々は
じゃあその法人作る前からもうこの事業やろうって決まってた?
全然違いました
欠片もなかったです
最初はもう色々物を作り始めて
楽しいみたいになって
なんとなく会社あった方がいいんじゃないか
なんとなく
オレオス法人モトコ
この辺りは非常に学生ベンチャー
一旦箱は作っていけよ
22年の4月15日
登記して会社できましたと
箱できたけど何やる?みたいな感じになって
今まで作ってきたガラクタいっぱいあったんですけど
これは売れないなーみたいな
一旦ビジコン出すか
極めて学生っぽいですね
22年の夏のKO医学部がやってるベンチャー大賞
そこに一旦出してみようみたいな
最初それこそ肩こりを治療するヘルスケア機器
これいけんじゃないか
ビッグマーケットだね
いけるみたいな
作って最後は事業所まで行ったんですよ
これ商品化してみたいみたいになったんですけど
色々調べて
これコスト10億くらいかかりますね
マーケティングとか臨床試験的なこととかも含めると
それくらいかかるってなって
もっとライトにできることを探してみるかみたいな
ちょうどその時NFTとかWeb3がすごいブームだった頃じゃないですか
一旦自分たち間で決めてたのが
ブームあったら乗ろうっていう
最先端に張るということだけは徹底してました
それはでもさ
Web3・NFTブームへの挑戦と学び
若い企業家の特権だと思ってて
僕が本当学生の頃くらいから
SEOとか仮想通貨とか最新テクノロジーっていうのは
いつも僕なんか4証言で分けて言ってるんですけど
賢いかつ暇っていう証言を取ると
大学生に勝てるやつはいない
これデイトレとか
トレーダーも常に大学生が最強になる理由はこれで
頭の回転の覚えが良くて
暇な人っていうのは大学生が常に最強で
ルール変更が1週間に1回あるような産業っていうのは
基本的には学生が最後勝てるって話で
学生の企業はそういうのがいい
ツモビリでもなるんだけど
ちょうどその時LPixelのCEOなの
河野さんの本ちょうど読んでて
その方もiModeの頃とか
モバイル初期の企業とかされてた
エピソードとか読んでて
言ってたのが基本波は乗ろうと
どうなるか分からんけど
一旦乗ってスタレて
でも繰り返し乗ってるうちに
足腰が強くなってるから
次の本ちゃんの波が来た時に
ちゃんと乗れる
結構印象残って
波来たら一旦乗るか
ウェブスリーもどうなるか正直分からなかったですけど
全然知らなかったし
一旦乗ろうみたいな
NFT作ってました
これめっちゃ覚えてますね
当時僕と彼が久々に会おうって言って
赤坂の安い焼肉屋入って
僕がサーフェス持ってて
企業アイデア10個あるみたいな
バーって話してたら
僕当時ノウハウにすごい夢中になってて
ブレインコンピューターインターフェースが好きで
興味があって基本的にやる感じ
ノウとかフローとか
そうなんです
人類のパラダイムシフトみたいなすごい興味があって
ブレインコンピューターインターフェースのインターンとかもしてたんですけど
自分たちでノウハウ系作りたいみたいな話をしてて
ノウハウとNFTって組み合わせたらめっちゃおもろそうじゃね?みたいな
めっちゃ盛り上がったよね
いける!みたいな
ノウハウ NFT
いける!
いけないわけないみたいな
食い切った
例えばアイドルの方とかのノウハウを取って
NFTアートにしたら
コアなファンだったらめっちゃ高値で買うんじゃないかと思って
これやろうって言って
次の日にはノウハウ系を3Dプリンターで作ってて
みたいな始まり方でした
素晴らしい模範的な学説だった
素晴らしい
結構頑張ったんですよ
結構頑張って
半年くらいやってて
ノウハウ系も海外のやつ取り寄せて
自分たちでフレーム作って
何台か作っておいて
毎週日曜日に展示会やってたんですよ
体験会みたいな
やっぱりみんな来てもらって
ノウハウ取って
その場でNFT作ってアート図書を渡しするっていう体験
撮影会にもじれて札能会っていうのもやってたんですけど
半年間渡って毎週日曜日絶対開催して
延べたぶん数百人くらいノウハウ取らせていただいて
多分今もオープンシーっていうNFTのプラットフォームに
たぶんうちのノウハウ持ってる
めちゃめちゃ頑張ってたら
いろんな人と繋がれて
DMMの亀山さんのノウハウもありますね
すごいな
めっちゃ頑張り通すことだけは自信あります
このテーマで半年これるのすごいです
基本的に今のテーマだと
翌朝にこれはちょっとないな
集めるか
あの時は本物の熱気はあります
狂気だったね
Web3界隈自体が本物の熱気だった
そうですね
あの時の波見てても本当に優秀な人間たちが
どんどんルール変わっていく中で
これはこういう風になるんじゃないかって言って
何かのパラタイムシフトが起こせるかもしれないっていう熱気
ああいうのがあるからスタートアップたまんないですよ
たまんなかったですね
その時ね素直にクリプト本流攻めてたら
うまくいってたかもしれないです
これはね難しいんですよね
なんか僕もだから本当に学生スタートアップだった
コインチェックって当時僕も学生だったんで
あれもほぼほぼ誰も見向きもしてない時
マウントコックスの事件とかがあって
みんながもうやばいねって言って
シューンってなったタイミングで始めてたら
突然後ろからブームが来るみたいな
この波乗りってやっぱすごい難しい
いや本当に惜しかったですね
読めないです
なんか僕が大好きなエピソードは
学生起業家で上場の走りだと
ドルコムっていうスターターの大東さんが
昔コンビニに置いてあったヤフーっていう雑誌に開いたら
アメリカではブログっていうのが流行ってるらしいって言って
その雑誌の情報元にスタートして上場したっていう
へえ
すごい
これくらいのスピードなんじゃないかなと思っていて
あんまり速すぎてもみんなが乗ってこない
そうですね
起業における波に乗ることの重要性
なんか常にこの泥タイミングの
オーナーとみたいな気分だからね
乗るのが正しいんだろうっていうのは
なんかちょうど昨日僕チューリングの山本一生さんと話したんですけど
チューリングってエンドとエンドっていうモデルの自動運転のスタイルなんですけど
あれやっぱ当時僕らがスタートした4年くらい前は
ルールベースっていうのが当たり前で
もう誰も別にエンドとエンドができるわけない
人間が一個一個ルールを書いて
マップとベースルールとセンサーを
センサーを大体4つくらいの
ベースのカメラとライダーつけて
当たり前だった世界の中で
アカデミアで数人
もしかしたらディープラーニングだけでいけるんじゃないのって
言い出したくらいのタイミングだったんですよね
それが当時共同ストーリーの青木さんと話してて
アカデミアでも青木さんケンジさんで
アカデミアでも微妙に出てきたんですよね
っていう時でこれは良いタイミングだねってスタートしたんですよね
だから常にこの新しいドリームとかブームって
早すぎてもダメだし遅すぎてもダメだし
いや本当に面白いところですね
ただあまりにもみんなが信じすぎちゃってると
そうなんですよね
並きてるんじゃないっていう
期待感だけ先行して乗っては見たが
蓋開けたらあれ
何もない
当時は一部の人だけがめっちゃ騒いでるっていうのが
すごいシグナルとして信じるきっかけになりましたよね
あとはやっぱり自分が賢いという人が騒ぎるとか
やっぱ自分よりすごいなとか
自分ぐらい認めた人が何に熱狂してるかとかは
特に若い世代の中でみたいなとかね
専門家の中でみたいな
そういうのが僕はそれこそトレンドだった
例えば核融合とかも
僕らサミュシマーと一緒に初めに投資させてもらったのが
3,4年前かとかで
気がつけば高い世紀だってブームになっちゃって
そういうのがいわゆるハイプサイクル
熱狂とこの幻滅と繰り返してるので
そういうのばっか見てる
ちなみに僕らが10年以上やって分かったのは
10年やってると2回目のブームが来るっていう
これはめちゃめちゃ面白くて
例えばエドテックブームって時に投資をしたスタートアップが
エドテックブームが終わった後に
5年ぐらいするとリスキリングブームになってくる
10年前にチャットボットブームってのがあって
チャットボットブームの時に作った会社がずっとやってると
一昨年ぐらいからLLMのブームになってきて
エージェントのブームになるっていうので
結局実はコンテに流れるテクノロジーとかは
アカデミアと同じでずっと同じものが流れてるんだけど
マーケティング用語が変わって
ブームが何回か来るっていうのを見て
逆に言うと10年
例えば僕らも今NFTとかクリプトをやってる人たちが
本気の人たちというか
マーケットも死んでて
熱狂も終わってるけどそれでもちゃんとやってきて
技術がやっとプルフォブコンセプトを超えたみたいなのが出てきてから
結構当時の話でも今から投資は面白いんじゃないかな
そんな気はしますよね
どうですか今こそNOでNFTで
やりたいですね
あれはユニットエコノミクスが成り立った
逆LTVあってないです
当時リボットするかどうか大激論したんですよ
僕と野村はさすがにこれビジネスにはならんぞと
ブームもう終わったぞと言ってたんですけど
中原は本当に熱中しちゃってたんで
いや楽しかったんですよ
俺はこれでコイン発行して愛信をするまでやめんとか言い出して
いけると思ってるよ今もいけると思ってる
本当か
いける
もう一回やりたいね楽しかった
まさにそういう風にトライングするのが企業の醍醐味だと思っていて
当然PMFとかして深掘りしていくとまた別な経営っぽいんだけど
次どんな波が来るかとか
あっちにとんでもないビッグウェーブの予感がするみたいな
見てると全然来なかったりとか
あとは全然こんなもんおもちゃだろみたいな
思ったものが世の中変えるとか
特によく言うのは自分たちがだるいなと思っている大人って人たちが
こんなものおもちゃだって言った瞬間が
本当の波が来るタイミングだっていう
いいですね
久々にスタートアップ会をやってる感じがします
確かにこの発散具合が
乗れる波は全部乗ってました
でもさ乗れる波に乗ってないとやってられないから
そうなんですよやらないと分かんないなって思ったんで
ありがとうございます
まとめと今後の展望
ということで今回は中原さんマーさんにお越しいただきました
今回は中原さんマーさんの老いたちから
メディモという会社ができて
札能界に至るまでについてお話を詳しく伺いました
次回はメディモのスタート後の今の事業の成長と
Suzukenにグループインした経緯や
これからSuzukenで挑戦したい点などについて伺えればと思っております
そして番組では皆さんの感想や質問をお待ちしております
XなどSNSではハッシュハートに火をつけろ
をつけて投稿してください
投稿はすべて読ませてもらっています
皆さんいつもありがとうございます
また案理では企業相談や資金調達の相談を受け付けています
番組概要欄にリンクがありますのでそちらからお送りください
それでは次回も楽しみに
圧倒的な未来を作るのは君だ
ハートに火をつけろ
37:20

コメント

スクロール