農業からの影響
皆さんこんにちは、ぼくらのスモールビジネスの孝宏です。この番組は小さく始めて大きく稼ぎ、人生を謳歌しているスモールビジネスの経営者をお呼びして、その知られざる世界、生きざまに迫る番組です。
前回に引き続き、コマースメディア株式会社の井澤孝宏さんに来ていただいております。よろしくお願いします。
お願いします。
はい、今週にも先週に引き続き、みほさんはお休みでございますということで、今回はですね、井澤さんの過去にどんどん遡って聞いていけたらなと思ってるんですけれども、どこまで遡ろうかなというところで、結構ちっちゃい時からそういう商売とかっていうのは何か、何かしら接点があったりしたんですか?
そうですね、経営者になろうかなと思ってたのが中学校ぐらいからだったんで、実家が千葉の九十九里町って知ってます?海の方の、あの名前がついてる町があるんですよ、ちっちゃい町なんですけど。
結構2万人ぐらいかな、今わかんないけど、ちっちゃいんですよ。そこで生まれまして、祖父が農業やってて、だから個人事業主なんですよ。
で、結構ちっちゃい頃から祖父と話したりとか、農作業とか手伝ったりして、今思うと、そこがきっかけ。
たとえば何か今年の出来、出来具合で、
出来具合で家の収入決まるわけですか?
そうですよね、不作打法作打で変わる。
そうそうそうそう、でこの品種育てるかどうかでとか、ハウス投資とか。
あーそっかそっか。
ちっちゃい頃ながら、こんなに何かいい設備使って儲かるのかなって思ってた気がする。
だって野菜安いべみたいな。
そうですよね、どうやって我が家は成り立ってんだろうみたいな。
だってお野菜作ってたってことですよね。
野菜、米、果物一部みたいな。
スーパーで見せたらね、こんな値段か。
そうそうそうそう。
でも我が家はあるみたいな。
あるなーみたいな。
どうなってんだろうなっていうのは、そこまで深くは当然考えてないですけど、
なんとなく自然にそういう環境だったっていう。
なるほどなるほど。
面白いっすね。
養殻も中くらいの多分日本で言うと、ほんと中間ぐらいの農家だったんで、
そういうのも良かった。
超ちっちゃくもないし、でかくもないし。
あーなるほどなるほど。
でかいともう農業法人みたいになっちゃうから。
そうじゃなかったんで。
ちっちゃいと兼業農家みたいになっちゃう。
そうそうそう。
ちゃんと農家で食ってる?
ちゃんと農家で食ってる。
父は普通に会社員とかだったんで、あれですけど。
じいちゃんは。
はい。
じゃあもうずっと農業で飯食ってたんですね。
じいちゃん子でしたね。
すごいなー。
なるほどなるほど。
そういうのがきっかけで、ただ単純に給料をもらうという世界ではなく、
楽天での経験
自分で何かしらを稼ぎ、またそれを投資してっていうような世界観に触れてたって感じですね。
そうですね。
はいはいはい。
それでそれでそれで?
学生時代に中学、高校、大学と行って。
そのあたりでも何かその起業の卵というか種みたいなものがあったんですか?
あ、そうですね。
中学くらいから何かそういうの興味、何か普通に持ち出して、
高校とかであの図書館の先生にダイヤモンドで雑誌あるじゃないですか。
あれ読みたいから取ってって言って。
すごい。意識高い。
取ってましたね。
あの俺しか見てなかった。
いい先生ですね。取ってくれたんだ。
いい先生だったっすね。
なるほどなるほど。
じゃあそういうの読みながら。
そういえば今思い返すとそんなことがありました。
すごいな。
なかなか今でも読まないような。
今だと逆に読まない。
逆に。
ちょっとそこで失礼しますね。
なるほど。
それでまあ高校はそんな感じで。
で、大学普通に行きます。
大学も行って。
じゃあまあそこで大学で起業するとかではなくて普通にもう就職されたってことですか?
そうです。一社目は楽天でした。
やっぱ楽天で働いたのは大きかった?
大きかったです。
そもそも大学の時に当時学生団体みたいな企業サークルじゃないですけど。
ああいうのは走りの時代だったんですよね。
で、IT系のベンチャーとかもすごく立ち上がってて。
インターンとか。
そういうのもちょいちょい行ってたんですけど。
なんかちょっと自分の性に合わなかったんですよ。
なんか新規事業を作ってなんちゃらですとか。
プレゼンして。
もうちょっと仕事ってもうちょっと普通のもんじゃないかなみたいな。
そんなエキセントリックな。
すごい何かで世界を変えようとかではないみたいな。
そうそうそう。そういう要望とか願望が私はないので。
もっと普通のことじゃないっていうのがあって、普通に就職を選んだっていう感じですね。
で、楽天に入りました。
楽天での経験が多分すごく大きかったっていう話はあったと思うんですけど、
具体的に例えばどういう。
まず入った時に、入る時にすごくいい会社だなと思ったので、
私は起業したいんで数年で辞めるんですけどいいですかって言って、
いいよって言われる。
言ったんだ。
言ったんですよ。
面接の時。
面接の時。
かっこいい。
そのいる間超頑張りますって言って。
3年間でも死ぬほど頑張りますみたいな。
お前面白いじゃんみたいな。
面白いじゃんみたいな。で、入れてオッケーだったんですけど、
最初に入ったのがネットショップやってる方ご存知かもしれませんが、
ECコンサルタという協力所で、
当時は私入った時東日本大震災があった年で、
地方拠点にいっぱい行かせてもらえるタイミングだったっていう。
そうなんですね。
で、どこでもいいから地方行かせてくださいって言って地方行ったっていう。
なんで地方だったんですか。
やっぱり人が少ないんですよ。自社って。
なんでもできるし、あんまとにかく言われるのが好きな性格じゃないから。
人の目がないところに来たから。
自由にもうフルで仕事をさせてもらえる場所に行きたかったっていうので、
たまたま京都の方だった。
京都なんですね。
京都自社に行きました。
それはたまたまの。
そうですそうです。どこでもいいですって言って。
どこでもいいですって。人がいないところに。
そうそうそうそう。
じゃあまあ京都と。
はい。
じゃあなんかそこで印象的だったエピソードみたいなありますか京都で。
やっぱり当時は今ほど労働基準法みたいなのが言われてない。しかも地方だから管理もされてないので、
もう働きたい放題だったので、当時土日も含めて電気消えてる時間の方が少なかったんじゃないですかね。
そんなずっと。
オフィスが。
家にも。
そう。地方に行くとそれも友達もいないから、自然的にもう会社行く。
暇やし仕事しようみたいな。
暇やし仕事しようみたいになるから、そういう環境も良かったんですけど。
とかあとはやっぱり目標達成みたいなところがハードだったので、辞めていく人もすごく多かったんですよ。
楽天はそういう。
当時はね。今は全然違いますけど。
それがすごく私は良くて、どんどん先輩辞めていくので、どんどん担当のお店が増えるみたいな。
おっ頑張りますみたいな。
はい。どんどん下さいって感じでやってましたね。
じゃあMAXどれくらい抱えてたんですか。
MAX300店舗。
はっ。
見てました。
京都。
京都の。
300。
まあもう何店舗あるんで、あれですけど。10何人いるので。
いやいやでもすごい。それってでも異常値でしょ。
あの当時そのまあ見方にもよるんですよね。そんなサポートしないっていうのあれば300も500も全然できるんですけど、
結構私電話とかバーってしてたんで、1日コール何件とか決めたりとかしてたんで。
だいぶ件数持ってる割には稼働者だと思います。
すごいっすね。
はい。
なるほどなるほど。じゃあまあ京都で活躍しました。で、そこで次は。
次はベンチャー企業から声かかるんですよ。ただあの2年経たないぐらいで逆に声かけてもらって。
はいはい。
そこに転職をすると。
なるほど。
はい。3年ぐらい言おうと思ってたんですけど。
あっ。
結構早く。
ちょっと早く。
はい。出ることになりました。
ベンチャー企業での挑戦
それはなんかヘッドハンターみたいな。
みたいなかっこよくというとそんな感じですよね。
おー取引先のつながりから。
あーそうそうそうな感じです。
なんかそういう熱心な人がいてみたいな。
そんな感じで東京に戻ってくる。
あっなるほどなるほど。
はい。
そこでは?
そこではネットショップの立ち上げをアップバンクっていう会社。
あーはいはいはいはい。
が今YouTube当たり前じゃないですか。
うん。
YouTubeで当時物を売り出すっていうところが。
なるほどなるほど。
走りの会社でしたね。
じゃあそこでまあでも何でもやるって感じですよね。
もうネットショップをこれから作るぞってなった時にヘッドハッティングみたいな感じでされて。
はいはいはい。
そんな感じです。
じゃあもう立ち上げから。
はい。
何からえー。
何から何から。
何から何まで。
じゃあそこの経験まあまあだから楽天でやっててさらにその経験がより濃密になっていくみたいな感じなんですかね。
はい。
そんな感じです。
まあなんか方向性は同じですもんね。
企業での経験と葛藤
はい。
逆に楽天の経験はほぼ使えなかった。最初は全然だからダメダメでしたね。
えっなんでえっそうなの?
やっぱり楽天さっきの一部聞いていただいた方はあれかもしれないですけど大きい会社でやれることってほんと限られてる。
あーそっかそっか。
やっぱ成果が出るようになってるんですよね大きい会社ってだから大きくなってんだなっていうのが分かって私がやってきたことって本当にそのECの一部しかないっていうのが分かってもうだからほとんどノー経験でEC始めるみたいなもんですよ。
なるほど。
そうだから全然成果最初出なかったですねもう勉強の毎日でした。
えーなんか結構優秀だという触れ込みで入ってきた割にはみたいな感じになっちゃうんですよね。
そうそうそうまさにそんな感じ。
うわははは。
ほんとに。
あれ?あれ?
あれみたいな。
何しに来たの?みたいな感じ。
ほんとそれは大変。
でしたね。
プレッシャーに。
1年ないぐらいはそんな感じ。
はいはいはいはい。
まあでも徐々に結果出だして。
そうですねやっぱりこう覚悟を決めてもうまあ本当に全部やってたのでカタマタポートとか大きなミスもたくさんし。
ははははは。
CSVの登録ミスって仕入れ価格で上台で売るみたいな。
やばーしじゃないですか。
これね結構ねサポート先のお客さんでも結構やるんですよ。
あーそう。
すぐ止めてとか。
一旦全部売り切れにしてみたいな。
そうそうそうやるんですよ。
こうね聞いてる方でネットショップ経験者いらっしゃったらやってらっしゃる可能性も。
ひやりと今。
私もやっております。
ははははは。
大丈夫です。
大丈夫です。
やってる人大丈夫です。
なんとかなります。
しっかり謝るっていう。
はははは。
しっかり謝る。
すいませんすいません。
まあまあもういかに早く気づいて。
そうですね。
止めてリカバリしてもういかに謝るかっすね。
いかに謝るかっていうのをやってました。
大変。
なるほどなるほど。
じゃあアップバンクでどれくらい働かれてたんですか?
おそらく3年ちょいだったと思いますね。
なるほどなるほど。
はい。
楽天2年半で3年ちょいアップバンクにいてついに。
で独立。
ちょうどそのアップバンクが上場するところまで大きくなって。
で上場する1週間前にやめようっていうこと決めて。
え?
金を鳴らしてわーみたいなんじゃない?
わーっていうのをちょっとやっちゃうと多分当時27だったんですけど
正直その会社で役員をやらせていただいていて
誰からも怒られる機会とかもなくなっていくわけじゃないですか。
で27でそれってまあ怖いなって思ったんですよ。
確かに。
で徐々に企業でそのまま勤めちゃうとその地位ってどうなんみたいなのもあって
っていうお前大丈夫みたいなのが天から聞こえた気がして
自分でやろうっていうのを決めるっていう。
そう。
いやなんか一旦そんなチャンスあったら上場企業の役員になってしまおうとか思いそうですけど。
そうですね。
上場直前の決断
大体ベンチャーに行かれる方ってその上場っていうのを経験したいから行かれると思うんですけど
自分の前が全く違ったので。
いかにこう修羅を経験できるかみたいな。
もうここに修羅はないかもしれないみたいな。
別の修羅になるみたいな。
上場企業の生きする難しさみたいな。
そこは私は自分がそういうつもりはあんまないので。
やっぱ結局その新規事業というか課題を解決する人みたいな感じなのかな。
ののかもしれないですね。
なんか話聞いてるとそんな気がします。
そのなんか自分の熱量みたいなのが違うものでそれが守りに入っちゃうとかが嫌なんですよね。
言うて多分チヤホヤされちゃうわけですよね。
そうですね。
20代で上場企業の役員って。
なんか資産もそれなりに。
それなりにとか思われるじゃないですか。
なんかちょっと違うなって。
そう。
第1部のところでも上場を経験していいやって自分は判断したっていう話だったんですけど。
まさに今言ったようなところだったり他にもいろいろあったりって感じですか。
そうですね。やっぱりその上場の目的って一番は資金調達じゃないですか。
なんかただ見てるとその普通に事業やってる中でも銀行がちゃんと貸してくれてたんですよ。
はいはいはいはい。
数億とかね普通に。
いらないかないかみたいなのがその時からあって。
当時からえって思ってたみたいな。
そうですそうです。
資金調達っていう意味では。
逆にだって上場準備になんぼ金かかんねんみたいな感じですもんね。
そうそうそれも見てたので当然その役員だったので。
なんかそのお金を普通に事業に回したいなみたいなところとかが
自分だったらっていうのがやっぱり出てきていたので
それだったらやっぱり自分でやった方がいいよなと。
会社は経営者のものだと思うので。
なるほど。
そういうのが多かったですね。やっぱりすごく大変ですよ。
だからあれを超えるっていうのは素晴らしいことだと思います。
なんかもうちょっと隠れている何かがありそうですけど。
なるほど分かります。
まあいろいろと大変なのはありますね。
いろいろと大変なのはそうですよね。
でじゃあまあその上場直前でやめます。
でも引き止められたりするでしょもちろん。
ただやっぱりねあの雰囲気わかるじゃないですか多分。
やっぱそんな感じねって感じだった。
そうだと思うのでじゃあまあ応援するって言ってくれて
ご協力出してくれましたから今でもだから会社には感謝してます。
株も持ってこなかったっていうのもありますし。
なるほどなるほどSOみたいな。
SOを全部放棄してきたので。
あと半年いれば更新できたっていう感じですかね。
もうちょっとでももう辞めたんですね。
それももらっちゃうと多分守りに入っちゃう。
独立への道
そうですよね。
20代ですから。
まあ確かに。
でやっぱベンチャーで働くってそんなに給料ってもらわないので
でドンと来ちゃうと多分感覚も狂うなっていう。
感覚狂います完全にもうタワマン港区になりますね。
になっちゃうとそれは望むところではないっていう。
なるほどなんかストイックっすね全体的に。
まあ若かったっていうのがありますよね。
それができる年齢の時にやっとかないとなっていう。
4,50だったらちょっと半年以下もあるかもしれないですね。
間違いなく私もそうっすね。
確かにその時期ってありますよね。
ありますあります。
僕もだってその一番最初の会社辞めたのまだ20代でしたけど
今はちょっといろんなこと考えちゃいましたね。
そうですよね。
守るものも出てくるし。
家族とかもいろいろあるし。
じゃあ独立しましたというところで
独立した瞬間でも基本的に今までのコネクションで
仕事作っていったみたいな流れですか?
って思うじゃないですか。
えー違う?
独立というか会社辞めるのも超唐突に決めたんですよ。
実は結構まだやることはあったからやらなきゃなと思ってて
なんですけど自分の中でも今やらないとみたいのがあって
一月から何するか決まってないのに辞めちゃったんですよ。
やっぱめっちゃおもろいやん。
どうしようみたいな。
一応個人事業登録するじゃないですか。
あれだけして
んーってしてたっていう。
えー?
考えるとすごいアホだなって。
今思うとアホっすね。
全く何の準備もしてないですよ。
辞めますっていろんな人に挨拶回りとかもしてないし
急にいなくなったぞあいつみたいな。
大沢さんいないって。
そうそう。
え、じゃあどうしたの?
で、なんかそういうことを聞きつけた周りの人が
困ってるところを紹介しだしてくれたんですよ。
あー。
私は一切動いてないっていう。
なんか会社辞めたらしいじゃんみたいな。
困ってるとこあるからちょっと手伝ってあげてっていうのが
最初2社ぐらいですかねあって。
でなんか縁でフルスの楽天の別の事業で
栄養マンがいないと。
週3日ぐらい手伝ってくれってのもありましたし
もうアパレル企業さんの西野コンサルみたいなのが始まったりとかで
なんとか飯食えたみたいなのが最初ですと。
え、そんな?
はい。
急にそこ投げやりというかなんというか。
何年だあれ。
何の決め、何にも決まってない。
え、2015?4?
え、あれ何年だっけ。5とかですね。
あー。
そのぐらい?
ぐらい。
いやその1、2年後じゃないですか。
あーそこそこ。
はい。
一部とは全然違う様相を見せてますよね。
いやそうですね。
え、なんかあの現在の話となんか真逆感。
そうなんですよ。だからもうぴったりのスモール・ルビーです。
ぴったりぴったり。
はいはいはい。
いや面白いっすね。
じゃあ、え?
まあそれでまあ辞めましたでも紹介してもらいました。
まあそこで頑張っていって。
そこでまあちゃんと仕事して成果出したから
辞職の決意
いろんな紹介がまた来てっていう感じで。
結構その繰り返し。
その繰り返しなので。
意外にここまで来ちゃったみたいな感じ。
はい。なんで営業は今まで一回もしたことない。
テレアポみたいな。
一切ないです。
広告に出してみたりとか。
ないですね。
展示会に出てみたりとか。
展示会も出てないっすね。
かっこよ。
人もいなかったので。
そんなにいっぱい来てもみたいな。
来てもね。
はいはい。
じゃあ本当なんかもう仕事があるからやるみたいな感じで。
そうですね。
もう着実に大きくなってった。
もっともっとこうネットショップの売り方も
広告ももちろん使うんですけど好きじゃないんですよあんまり。
めっちゃわかる。
どっちかというとSEOとかニーズにはめるのが好きで。
それをなんか自分でも得意なのかなみたいな。
なるほど。ニーズにはめる。
はい。
そういう考え方。
なんか自分は好きなものとかあんまなくて。
はい。
みんなが欲しいと思ってるものが作りたい買ったりとか。
あー。
提供したい。
なるほどなるほど。
世界を変えたいとか一切ない。
世界は勝手に変わるだろう。
世界は勝手に変わるからまあ。
そこにみんな合わせてこういうふうになるっていうのが基本ですね。
なるほどなるほど。
えー面白いなあ。
なんかいやそのシュラを経験に行くじゃないですか。
まあでもその結果起業し。
え、そのシュラを。
でも社長になりたかったんですよね。
まあ30ぐらいでなろうと思ってたんですよ。
そしたら急に27になることになったんで。
でもなんだ。
社長になりたいのに急にやめちゃうんだとかっていうのがなんかその。
昔から思ってたタイミングが急に来た。
しかも唐突にっていうのがめっちゃおもろいっすよ。
はい。
なんかタイミングは逃さないようにってのは常に考えてます。
あーなるほど。
あとはあと考えた時にこれを自分で選択しなかったら後悔しそうだなってものは必ずやるって決めてて。
たまたまこうやめるタイミングみたいなところがあってなんかすごく自分試されてる感じがしたんですよね。
お前本当にやんのみたいな。
これどうせなんか調子乗って役員になってもなんかいい感じになんかもう港コーディさんになるんでしょみたいな。
それは違うって。
それはちょっとなんかなあって。
はいはいはいはい。
じゃあまあそういうのできるのは今だけだなと思って増えてこう手放っていう感じかな。
ECビジネスの挑戦
なるほどね。
天の声がやっぱ聞こえてくるんですね。
その時はほんと溜めされてる感じはしましたよね。
どうやんねんっていう。
全然関西人じゃないですけど。
急に関西弁と思って。
あーそっかー。
なるほどなるほど。
じゃあ一応今にきつきましたね。
そうなんです。
そっから自分ができることっていうのはやっぱ提供するしかないのでECの事件っていうところを話してた。
でそういうの会社で全部経験してるんでできることっていうのを徐々にできる人たちを増やして組織にしてたっていう感じです。
なるほど。
じゃあまあ起業して今まではね目の前のことをコツコツやってここまで来ましたみたいな感じなんですけれども。
柔らかしたエピソード何かあればいただけたら。
いろいろありますけど。
一番ヤバいやつください。
一番ヤバいちょっと危なかったやつが一個あって。
その前職で私iPhoneケースとか売ってたんですよ。
で独立して1年以内ぐらいからアイコスっていうのが出だしたんですよね。
タバコ吸ってる人は皆さん。
はいはいはい電子タバコ。
みんなケースとか売れるやんみたいな。
はいはいはい。
って思ってちょっと作ってる会社さんがあったんですよ。
速攻仕入れてEC作って売れてたんですよ。
そしたらある日急に内容証明が届いてフィリップ・モーリスから届くわけですよ。
もう胃が痛い。
でケースっていうのは別にいいんですよ。
私あのiCosケースショップっていうドメインが開いてるじゃん。
取ってiCosケースショップって言ったらダメって言って。
ホームって大事だなみたいな。
すいません。
すいませんっつって。
じゃあドメイン変えて。
もうでも閉じました。
閉じた?
はい。
再閉じて。
もうちょっともう。
そういうのもあったりとか。
はいはいはい。
はいありましたね。
なんか資金繰りでもう胃に穴が開いたみたいな。
資金繰りはそもそも資本がいるビジネスを最初はしてなかったんで。
今はすごく大事なんですけど。
最初はこの自分の身が資本になるだけのものだったんで。
なんとかそこは。
ではそろそろお時間ということで。
後編は伊沢さんのこれからについて未来の展望を聞いていけたらなというふうに思います。
番組をお聞きの皆様この番組僕らのスモールビジネスでは
Xでのハッシュタグ僕スモで感想質問をお待ちしております。
僕はひらがなスモアカタカナです。
投稿いただけたら番組で取り上げさせていただきます。
SpotifyやAppleでの番組フォロー欲しいレビューなどよろしくお願いいたします。
では本日もありがとうございました。
ありがとうございました。