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2022-02-24 15:26

EngadgetやTechcrunchが終わると聞いて

古巣のメディアがクローズすることについて。思い出など
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身の回りに起こったことだったり、個人的な最近のトピックスとかですね、話しております。
今週はなんといってもですね、フルスのメディアであるENGAJETが終了が決まったということで、その話をしたいなと思います。
ENGAJETと共にですね、兄弟メディアだったTechCrunchも同時に日本版の撤退が決まっております。
発表の内容を見る限りですけど、5月末に終了するというようなアナウンスが出ております。
私がENGAJETに入ったのは2013年の8月です。
お誘いを受けている中で、なかなかヤバい状況にあるというような話がありまして、根本的な手小入れが必要ということで呼ばれました。
最初はPVを盛り返さなきゃいけないということで、しかも早急に盛り返さなきゃいけないということが分かり、
翌月3倍にPVしなきゃいけないということで、一気にアクセルを踏む必要が出てきた。
ただ、タイミング的にはPVを倍増しやすいタイミングではあったので、アクセルを踏み続けていたらワンチャンあるぞという感じでやりました。
まず、書いてくれる、執筆者の開拓の部分を一気に進めるということをやりました。
それとあと、数字になっている記事がどんなものかというのを分析して、その傾向値の高いのが得意な人をどんどん増やしていくというようなことをやりまして、
それと同時に、円画Zは海外にも拠点があるメディアで、それを基に記事が書けたりというのは利点ではあるんですけど、
やっぱり海外ソースをそのまま書いても、日本のユーザーとのマッチする部分がない記事もあるので、
だったら行っちゃおうということもあって、その入社証日にもPVを一気に上げなきゃいけないという指令が下ったので、
2週間後に始まるドイツのイベントに参加することを決め、航空券を取りというような作業もバタバタで進めていって、
PVを最初のうちはPV工場と、あとメディアとしていろんな人に書いてもらいたいと思っている媒体であり、
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国内外含めいろんなところに取材している媒体ですよという印象を付ける必要があったので、行った先では必ず質問しとか、
そういう地道なメディアとして名前を覚えてもらって活動をどんどんするというようなことをやっていました。
それと並行して当時の編集長を中心に動いていたものづくりのムーブメントにちゃんと関わるメディアでありたいということもあったので、
その部分については、最初は全然そのものづくりというものがあるんだというところから僕は入ったので、
ものづくりのイベントのイベントレポートを書くための取材として入ったんですね。
そうしたら、普段自分が触れているようなものだったり、全然触れていないようなものも含めてなんですけど、
うぞむぞも含めてハードウェアを現実的に作っちゃおうとか作れるという人たちが世の中にはこんなにいるんだと。
そういう人たちがいろんなものを作れるような環境が整いつつあるんだというような状況が分かって、
これはおもろいと思って、その後もものづくりのイベントはいろんな形で継続していくことになりました。
実際にはものづくりのイベントでは企業さんと組んでですね、
実際にプロトタイプまで作ってしまおうみたいなイベントをやって、企業さん側で発表会をやったりとかそういうところまで進みましたね。
あとはその中から生まれたプロダクトが実際にクラファンとかやって資金を集めて製品化するような流れもできたりとか、
面白いものづくりの波に乗っかれたかなと思います。
そうしたファンミーティングのすごく大きな流れではないけど熱量の強いコミュニティ向けのイベントみたいなことと同時にですね、
大規模のイベントについてもいろいろやるようになりました。
その中で言うとちょうどGadgetがあった場所が3331というですね、
もともと学校だった場所がオフィスだったりした関係もあって、
文化祭的なことがGadgetの文化祭というかそういったIoT系のお祭りみたいなことができたら面白いよねっていう発想から、
大規模イベントを何回かやりましたけどやりました。
トークイベントあり、実際体験できるようなものがあり、新製品がそこに集まるみたいなこともありましたね。
ロボットのペッパーが国内で最初に一般公開されたのもそこのGadgetのイベントだったし、
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VRゴーグルを体験するために長蛇の列ができたりとか、VRゴーグルとその乗る機械ですね、乗り込むタイプの機械を合わせて、
それを体験する人がですね、会場の外まで溢れて注意を受けたりとか、そんなこともありました。
そういったイベントのディレクションをやったり、トークショーとかもあったので、トークショーの出演交渉をやったりとか、
実際自分も出るという企画もあったので、モバイル絡みはほぼほぼ僕がやっていたので、
モバイル絡みのイベントの仕掛けもやったり、実際に出る人もやるというような裏方と表を並行してやるっていうのがすごく
エンガジェットでは当たり前のようにやることだったなと思っています。
記事も書く人と実際編集している人は別だったりしますけど、全然気にせず書く人もやるし、編集者的なことも全部やるみたいな形で動くことになりました。
その大規模なイベントも含めて何回もやっていく中で、
じゃあ次は新しいメディアができること、メディアがユーザーに届けられることは何があるだろうということで、
テキストやってイベントもやって、じゃあ動画じゃねえかっていう話で動画も始めました。
もちろんその頃には今のように動画を中心としたメディアを自分がやってるなんて全然そうもつもついてないですけど、
メディアとして動画をやっているところがほぼなかった状況で、なので手探りで始めたというのが正直なところで、
実際、記事のライターさんたちを集めるのと同様に動画もチーム化する必要があると思ったので、
動画のクリエイターさんたち、大体最終的に20人ぐらい集めて、
同時にどういう動画をやるかっていうことも必要だったので、そのためにはまず自分が当たり前なようにできてなきゃいけないと思ったので、
映像を作るってことをどんどん自分で撮って自分で喋って自分で編集して自分で出す、全部やるっていうのをやるようになりました。
とはいえ映像自体は、僕は美術の大学で映像もやってたので作ることはできると思ってたんですけど、
メディアとしてどういうものを出すかとかは本当に手探りの中で、これは違うのか、こうやるとうまくいくぞっていうような企画としての、
揉み込むような作業っていうのもやりつつ、映像の技術的なところでも失敗を繰り返しながら、いろいろ文句を言われながらどんどん上達していくというか、
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上達してるのかわからないですけど、やってたというのがこの時期でした。
予算の関係もあって、一旦動画シムをばらさなきゃいけないってなった時は、とはいえ本数を会社にコミットしてた関係もあって減らしたくないということで、
じゃあ1ヶ月に自分がどれだけの本数の動画を出せるのかっていうのをやってみようということで、2ヶ月くらいずっと動画を出し続けると、
だいたい23本だったかな、最高で23本で平均20本くらいで結構限界が来るというか、それ以上いくらやろうとしてもなかなか大変なんだなっていうのがわかったっていうのはこの時期でしたね。
実際動画は事業化してタイアップもできたし、結構いい流れはできたなと思ってます。
この以外のメディアの面白い取り組みって意味だと、新編集長を迎えるために、
普段は発表会とかに参加する側のメディアが広報さん達、宣伝担当さん達を呼んで就任会見をやってやろうということで、
それを企画してちょっとやりました。たまたま隣にいたスタートアップの会社さんが広い会社を持ってたのでそこを借りて、
100人強の人が集まる大規模な就任会見が開けて、これは面白い取り組みができたなと思ってます。
それ以外にも会社的にいろんな提案が通りやすい会社ではあったので、
炊飯器買ってもらって、フリーライスということでご飯だけを炊くんで、あとは好きにみんな食べていいよっていうのをやってみたりとか、
あとは媒体もオウンドメディアみたいなものをメディア企業が自分たちで立ち上げようということで、
オウンドメディアみたいなものを立ち上げ、そのオウンドメディアのライターさん達は記事も書いてみたい、文章もうまくなりたいという広報さん達をライターさん達としてやって、
文章を書くギャラはあげることはお金がないのでできないですけど、その代わりに、
ちゃんと原稿は編集者である自分がちゃんと見ますっていうような形のことを企画としてやってたりとか、いろいろやらせてもらいました。
結局2018年の5月末までいたんですけど、
5年くらいか、5年は経ってたんだね、5年くらいで経ってたんだ。
本当にいろいろやらせてもらって、いろいろ成長もさせてもらって、
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チャレンジこそメディアであるというのをすごく学ばせてもらった場所かなと思います。
記事もたくさんヒットと言えるような記事を書かせてもらったし、もちろんたくさん失敗もしたりとか、
別に失敗とは思ってないですけどたくさん炎上もしましたし、
とにかく忙しく動いてたというのがこの時期でした。
忙しすぎてフランスで飛行機の乗り換えの時に飛行機を乗り過ごしてしまってですね。
しかもスペインから日本に帰国するパリの空港で乗り換えの時に、
4時間か5時間くらい乗り換えの飛行機が来るまであったんですけど、
どこも出ずにですね、日本帰国してすぐにあるイベントとかの準備があって、
出演交渉だったりとかそういうのを含めてパリの空港の乗り換えの搭乗口のところでずっとやってたんですけど、
空港の職員の人にここのゲートでいいんだよねって確認したらここだと。
ただしまだ早すぎるぞみたいな言われながらOKって言いながらそこで仕事してて、
徐々に日本に行く便の人が集まってきて、もうそろそろだなと思いながらもうちょっとってメール書いたりとか作業してたんですよ。
ふと顔を上げたら全員いなくなっていて、あれ?と思ったら飛行機飛んでっちゃったってことがあるって。
空港の職員に同じようにですね、飛行機が飛んでっちゃったんだけどっていうのを伝えたらですね、空港の職員フランスおそらくフランス人なんだと思いますけど、
2人の男性が若い兄ちゃん2人が大爆笑して肩ボンボン叩かれながらOK大丈夫だ大丈夫だみたいな。
ネクストネクストみたいな手続きを手を回してくれて1個次だったかな2個次だったか忘れたけど飛行機に乗せてもらって何とか帰らせてもらったということもありました。
ほぼ会社に行くというよりは会社に住んでいるような状況で情熱を持って取り組めた期間かなと思っております。
ということもあってね結構思い出もあるメディアが今回クローズするって話があって正直かなりびっくりはしてるんですけど。
今いるスタッフも含めてショックはそっちの方が当然大きいだろうし悔しさもあるだろうしね。
何とかそれをケアできるようなことができたらなというふうに今ちょっと動いてたりとかする食でございますはい今日はですね映画ジェットが終わるということでそのことにびっくりしたって話をちょっと思い出とともに話してみました。
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はいサウンズバイモノリスありがとうございました。
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