1. エンジニアトーク「ROLE MODEL」
  2. #01 リクルートを選択すること..
2020-07-10 20:43

#01 リクルートを選択することでキャリアの幅を広げたエンジニアのストーリー


新卒時に大企業のリクルートを選択することによって、
その後のキャリアの幅を広げたエンジニアのストーリーを紹介します。

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全社員の前に立ちまして、俺はこれから2年で全てを学んで辞めていくぜって言ったんですね。
で、完全に馬鹿しらけちゃいまして、彼は大丈夫なのかというのが、あっちこっちから上司の元に相談が寄せられまして、
結構いろいろとその後大変なことになったというのが、入社早々起きてしまった事件の一つですね。
そう話すのは、今回のストーリーの主人公、通称ユズタソさんです。
彼は今、パイコンJPにてベストトークアワード優秀賞を受賞するなど、エンジニア界隈で多方面から評価されています。
こんにちは、森麻里乃です。ベンチャーキャピタルKVPでアシスタントを担当しています。
ロールモデルは、エンジニアのキャリアストーリーを紹介し、
エンジニアとしてのキャリアプラン形成に役立つ情報を伝えるポッドキャストです。
今回は、新卒時に大企業のリクルートを選択することによって、その後のキャリアの幅を広げたエンジニアのストーリーを紹介します。
ベンチャー企業でたくさんコードを書くことによって、エンジニアリングを学ぶイメージを持たれる方も多いと思われます。
ですが、それとは反対の大企業で、彼は一体何を学んだのでしょうか。
ユズタスと申します。もともとリクルートグループで仕事をしていたのですが、
そこから独立して、現在はフリーとして様々な企業様のお手伝いをさせていただいております。
各企業のデータの活用ですね。そもそもデータを活用する前に、データが使える状態になっていないよといったところで、
データの整理だとか、データを使えるようにするというところの支援というのを中心にやっています。
すごいやりがいがありますね。
そんなユズタスさん、そもそもなぜエンジニアになろうとしたのでしょうか。
大学生が事業を手伝いすると、事業を企画して運営していくという特別事業、出張事業だったのですけれども、
そこでですね、スカイプを使った遠隔事業ということで、小学校の生徒たちとバングラディッシュという国の農村部の子どもたちとスカイプでつないで、
子どもたち同士が自分たちの住んでいる場所から動かずに、でもすごい遠く離れたところにいる、
同い年の子どもたちと一緒にしゃべりをするという国際交流の事業を企画したことがありました。
どんなものを食べているんですかという話だけなんですけど、それだけでもすごい楽しそうにしていると。
すごい遠くの人たちが一瞬でつながれて、画面の向こう側で交流できているということ自体にすごい感動をしました。
こうしてITの魅力に気づいていったユズタスさん。その勢いで自ら会社を立ち上げましたが。
若干黒歴史なのであまり深掘りたくない気持ちもあるんですけど、
だいぶ調子によっていた時期で、いろいろ会社を作ってうまくいくんちゃうんと思って、やったらうまくいきませんでしたというだけですね。
未熟さをでもいろいろ痛感しましたね。
そこからどうして大手であるリクルートに入社することになったのでしょうか。
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リクルートグループがITにどんどん投資をしていくよと、新サービスをどんどん作っていくよという旨が広くアナウンスされまして、そこで興味を持ちましたと。
学生時代にいろいろ活動していく中で、リクルート出身者の経営者の方々にお世話になった場面が何度かあったんですね。
その時にリクルートっていうのはこういう会社だよというのをいろいろと聞いていて、自分の中ではなんとなく、そんなに遠い大企業というよりは割と先輩方が通ってきた道みたいなイメージがありまして、自分にとっては近い印象を持っていました。
アルバイトから始めました。
その時はですね、いわゆる新規事業をやる部署で、当時はまだまだモバイルアプリ、スマホアプリっていうのがそんなにシェアが高くなかったので、リクルートの各仕様事業でやるというよりは結構モバイルアプリに強い人たちが集まって、その新規事業の部署のところでいろいろネットサービスっぽいものを作っていたという感じですね。
そこで、もともとグリーで事業部長をやっていた方がメンターになってくださって、その方のもとでそういった新規事業開発の手伝いをしていきました。
本当にその方もインターネット大好きな方で、もう四六時中インターネットのことを考えている。
自分で手を動かして作る、役職じゃないのについつい休日に自分で手を動かしてサービス作っちゃうみたいな、そういった方で話していてすごい楽しかったし、
なんだろうな、こういった人と一緒に新しいサービス作っていけたら楽しいだろうなと思って、なっついているうちにずるずると気づいたら入社してしまっていたという形になります。
こうして、思わぬ形でリクルートに入社することになりました。
自信を持って入社したゆずたそさんでしたが。
もともとが営業の会社だったので、入った後に新人の目標みたいなことを言わされるんですよ。
その中で私は前社員の前に立ちまして、俺はこれから2年ですべてを学んで辞めていくぜって言ったんですね。
完全にバカしらけちゃいまして、みんな何を言っているんだあいつはと。
ということでですね、その場は終わったんですけど、後から彼は大丈夫なのかというのがあちこちから上司の元に相談が寄せられまして、結構いろいろと大変なことになったというのが入社早々起きてしまった事件の一つですね。
強い意気込みを持って入社しましたが、当然最初からうまくいくわけがありません。
思ったより新規事業をやれないのかいっていうのと、めちゃくちゃレガシーな環境じゃないかと。
ベンダーにいろいろと依存していたりだとか、結構不満が多かったんですね。
正直入って思ったのが思ったよりイケてないなと。何なんだこれはと思ったのが正直最初の気持ちでした。
最初にやった大きなプロジェクトの案件としては、比較的大きな昔からある採用系のサイトですね。
というのの開発を担当しました。
スマホアプリを開発するのが遅れていたので、非常にそこで大きな不利な状況だったというのを塗り返すというか、
手を打つべく高速でいろんな開発を進めていったという形になります。
かなりいろいろ開発を進めていって、自分としては割と品質にもこだわったつもりだったんですけど、
結構大きめのシステムエラーを起こしてしまったことがあります。
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何かというとですね、アプリのバージョンですね。
アプリを使っている人ってアプリのバージョンアップデートとかをしてくれっていう時があると思います。
古いバージョンからしか見られてない処理っていうのを間違って消しちゃったんですよ。
テストの時は最新バージョンでしかテストしてなかったので別に問題なかったと。
ところがリリースしちゃうと、古いバージョンのユーザーのアプリからはそのバージョンからしか呼んでない処理を呼ぼうとして、
でもそれはもう消されちゃってるんで呼べないということでエラーになってアプリが落ちてしまうということが起きましたと。
なのでアップデートしていないユーザーがアプリを使えなくなるっていうことが起きちゃいました。
そういった結構致命的なエラーだったので、かなり血の気が引いたことを覚えていますね。
家に帰ってからベッドの上で、ああーって言いながら転がったりとかしてましたね。
プライドを持って入社した直後の致命的なミス。ゆずたそさんは周りに責められる覚悟をしていましたが。
すごい良い現場があったのが、そこで別に特定の誰かを非難するというわけではなく、
まず障害対応ということできちんと今の問題がどんなことが起きているのかと。
で、じゃあその古いバージョンを使っているユーザーって何人くらいいるのかと。
どれだけその影響があるのかと。
またそういったユーザーに対してアップデートをお願いするためにコミュニケーションできないかとか、
あるいはそういうユーザー向けに消しちゃった処理をもう一回戻して再度リリースできないかとか。
いろいろとその後の対応にまず話が行きましたね。
何か言われるのかなってビクビクしてましたけど、全然そんなことなくて。
むしろ気づいて担当した本人ということで、そういった改善を推進するようにかなり精算的な会話を進めていただけたと思っております。
その後、他のメンバーの支えもあって順調にアプリ開発を進めていきます。
それが社内で評価され、さらに本格的に開発を進めていくことになります。
もともとアプリチームはその時も結構ある種おまけ的な存在だったんですけど、
かなりアプリの改善余地があることが見えて、本格的にモバイルアプリの開発チームというのを立ち上げていこうと。
それもアプリ専門部隊というよりはきちんとアプリだけじゃなくて、
アプリと関連する裏側の処理、ウェブサイトのチームとより近い場所でやることにしようということで、
結構本格的なチームの立ち上げを行いました。
その立ち上げのサブリーダー的な感じで、自分も担当させていただいたという形になります。
チーム自体は動き始めたんですけど、あまりそこに対して自分が貢献できなかった。
むしろ結構足引っ張っちゃったかなと正直思っています。
一言で言うなら、そんなにメンバーの気持ちを考えていなかったというのは多分正しくて、
会社としてこういう方針でやっていくんでしょうと。
プロダクト、サービスとしてはアプリの強化が必要だよねと。
開発手法として今回スクラムというのを使うんだから、こうやってスクラム開発やっていけばいいんだよねという、
目指したい方向ばかりが頭の中にあって、そこに行くまでの道筋というのを丁寧に描けなかった。
なのでメンバーからすると、ただうるさいことを言うだけの人みたいになっちゃったのが正直なところかなと思っております。
多分自分も感情的だったのかもしれませんね。
あまり客観的に状況を見れていなかったというのが正直なところかもしれません。
多くの失敗を経て迎えた3年目。
今度はまた違うチームに配属され、そこで初めてリーダーを任せられます。
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ちょうどその時に伸び始めていたビジネスが一つあって、そこのチームの立て直しですね、というのを担当することになりました。
大企業での新しい事業ということで、正直当たるか外れるか分からない。
当たっても大企業として求めるような水準の規模になるか分からないということで、あまりコストを下げませんでしたということもあり、
これまた外部のベンダーさんに開発自体をまるっとお願いしていたんですが、
結果的にあまりうまくマネジメントできずに、システムの障害が多発していたと。
そういった中でのチームの立直しをすると、これは明確にリーダーとして今度こそやってこいということでサインしていただきました。
果たしてその結果はどうだったのでしょうか。
結果的にはうまくいきました。障害もどんどん減っていきましたし、チームとしても。
メンバーの人たちからも、最初はこんなところに配属されてたまったものじゃないと思っていたメンバーが、
3ヶ月後にはこんな風に状況って改善するんですねという風に個別に言ってもらえたりもして、
すごいやりがいがあったし役に立っていた実感もあったし、
かつそれが大企業における新しいサービスがうまく回っていくという意味で将来的には意味のある投資になったのかなと。
自分が未熟だったにも関わらず結構メンバーがしっかり向き合ってくれたと。
障害対応ってごまかしが完全に効かない世界って、今ユーザーが困って問い合わせ来ちゃってるんですね。
すぐに対応しなきゃいけない。自分のプライドとか感情とかでワーワー言い争っている暇ないんですよね。
問題がいかに解決するかということにみんなの思考がフォーカスされるので、いろんな会話ができたかなと思っております。
その中で実際にメンバーにとって心理的に負担になるようなコミュニケーションでしている余裕なくて、
僕自身もそんなに強く何かを押し付けるというよりは、
この状況の中でメンバーにどういうふうに動いてもらえるのかというのは全力で考えないと。
うだうだ言い争いしている暇ないので、ひたすらそういうふうにどっちがいい悪いとか、どっちが正しい間違ってるんじゃなくて、
問題を解決して前に進むためにはどうしたらいいんだろうってなると、自然と言葉遣いも丁寧にあるというか、
そこでお互い喧嘩している暇ないので、喧嘩を起こさせない。一切起こさせるようなコミュニケーションをしないというのは、
フランスに変わってきたのかなと思っております。
カチンと来た場合もきっとあったと思うんですけど、でも一旦飲み込んでくれたというか、
そういった中でじゃあどうしようかというふうに向き合ってくれた。
あとからこっそりとこういう言い方が良かったんじゃないってチラッと言ってくれるみたいな、
そういったメンバーの方々にされてもらったというのがあるかなと思っております。
少しずつ自分も変わっていったのかなというふうに思っております。
周りのメンバーの支えもあり、見事チームの立て直しに成功します。
この経験が自分にとって大きかったと、ゆずたそさんは言います。
立て直し劇とかって結構フィクションみたいな、正直体験だったので、
自分もその最初の実感がなくて、とにかくカオスな状況からあるべき姿に戻していけているのかなと、
まず安心感を覚えましたと。そういった場面に携わることができたんだという、
不思議な実感が浮いてきて徐々に嬉しくなっていったと。
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その後、ゆずたそさんは自身の担当領域を広げていきます。
当時まさにAIブームですね。データをいかに活用していくかといったところに軸足を置けないかと、
そちらの方に自分の担当領域というのを変えていきました。
やっていくこと自体はシンプルで、それまでエクセルでバラバラに
人依存で見ていたものをきちんとシステムにしましょうと。
きちんとシステムを入れることによって、そこから機械学習だとか、
さまざまな施策につなげやすくなったという、まず一手を打ったという案件になります。
その成果を、Pythonと呼ばれるプログラミング言語の国内で一番大きなカンファレンスがあって、
そこで登壇することができました。その施策についてアウトプットしました。
そうすると、結構どこの企業の方々も、結構にぎわいな課題を抱えていらっしゃって、
すごい共感をしたと。なおかつここまでしっかり進めている事例って、
こんな細かくアウトプットしている事例ってあまりないよねってことで、
すごい評価をいただけて、結構さまざまな方々から、
うちも手伝ってくれませんかとか、こういうのアドバイスしてくれませんかという質問をいただけるようになったという形になります。
社内だけでなく、社外でも実力を認められ始めます。
そのあと1年くらいはめちゃくちゃ楽しかったですね。成果を認めてもらえたということもあって、
じゃあもっとこういう取り組みもしてみようということで、
自分自身もこういう風にやったらいいんじゃないかってアイデアがいっぱい出てきましたし、
それに対して可能性あるんじゃないかという風に、ちゃんと信頼してもらえて、投資をしてもらえたということで、
途中であった立て直しの話を1個やったことで大きく変わって、
そこまで学んだいろんな開発だとかチームだとか、ビジネスに関するいろんなことっていうのを、
ようやくアウトプットできたのかなという気持ちではいます。
やってることはそんな変わらないんですけど、多分見え方が変わってきたというか、
ようやく実感が出てきたというのがこの時期なのかなという風に思っています。
こうして、いよいよリクルートでの最後の1年が始まりました。
結構いろんな社内のデータ活用に関する相談というのがきれいになってきました。
その一環で、新しい新規事業をやっていこうとシステムの設計や開発を進めていったんですけれども、
結構自分の中ではそこが1つの転機だったかなと思っていて、
ここにアサインされたメンバーがみんな、いわゆるA2プレイヤーが集結したプロジェクトだったんですね。
3つ4つかな、下の新人のメンバーとかもいたんですよね。
結構新人が年々レベルが高くなってきていて、かなり優秀なメンバーが揃ってきましたよと。
ソフトウェアエンジニアだったら誰もがいつかやりたいと思っているような、
結構有名なOSSのバッチアップだとか、仕事もついでにやっちゃうようなそういったメンバーが揃っていて、
一緒に仕事していて、正直ビビりました。
スタンダードが高いというのもそうですし、自分が技術を使って価値を出していくことに対して、
すごい徹底したスタンスがあるんですよね、皆さん。
やっていくうちに、だんだんとこれはもっとデカい舞台でというか、
それこそ最初に僕が学生時代やっていたような、スカイプで何かを変えるとか、
ITを使ってもっともっといろんな人の生活とか考え方を変えていくんだといったような、
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そういったチャンスを自分で作っていって、そこにこいつらを巻き込んでいきたいなみたいな。
こいつらと一緒にいろんなことをやっていきたいなと。
データっていう分野に足突っ込んでからって、そんなに新しいチャレンジができるというよりは、
結構それまでの延長上でしか動けてなかったなと正直思います。
だんだんとパターンが見えてきたっていうのは正直あって、
自分は心から正直楽しめなくなっていった。
そういったときに優秀な後輩たちが頑張っているのを見て、
俺このままでいいんだっけなって思ったっていうのが悔しかったし、
このメンバーだったらもう絶対うまくいくだろうみたいなのも思ったって感じですね。
そうなったときに自分が真っ先に思いついたのが、外の会社のことだったんですね。
データ活用っていうところで外部でアウトプットをして、
いろいろと相談の声を受けたりいただくようになりました。
副業を始めていろんな会社さんの手伝いをしていたんですね。
それが自分にとっては面白くて、
扱うビジネスだとかフェーズだとか会社の規模とかが全然違うっていう中で、
やってること自体はそんなに変わらなくても、
そこでの考え方とかって結構全然違うなとか、
いろんなメンバーがいるなとか、
そういった日本中のいろんな会社様に自分がサポートできているっていうのはすごい楽しかったりとか、
すごい充実感を感じたりとか、感じる機会がだんだん増えていってですね、
リクルートを辞めたという形になります。
リクルートを離れ、フリーランスで活動していく決断をします。
寄せ書きのやつとか、いろいろ書いてもらったりとか、ワイワイやったりしましたね。
いろいろしましたね。
大体会社辞めるときって、そのメンバーで集まって、
オフィスの一角に集まって、写真撮ったりしてありがとうございましたってやるんですけど、
私のとき結構、かなりいろいろあちこちで暴れたからではあるんですけど、
いろんな方が集まってくれて、結果的に働いていたその室務室でも入りきらないということで、
もっと大きなイベントスペースの方に移ったんですよ。
そのイベントスペースで写真撮るのが今回初めてだったんで、
レイアウトが僕ら下手くそで、みんなが並んで写真撮る前に、
イベントスペースの椅子を片付けるのを忘れていて、
仕事写真の前に椅子がたくさん並んでいたと、
人が結構ほとんど小さくポツンと写っていたという形で、
すごい残念な仕事写真になっちゃいましたね。
ただ、最後はうまくしまわなかったというか、
でもそういうのも新しい場所でやろうとしたから失敗しましたみたいな、
ある意味では、チャレンジゆえの失敗というか、
何ですかね、しんまらないのも含めて失敗とかも含めて、
自分らしい終わり方となったと正直思っています。
2年で辞める宣言をして、結果5年も在籍したリクルートでの生活。
今、ゆずたそさんが思うことは?
50年60年続いている大企業でも、最初はすごいレガシーで、
こんな環境でやっていけるのかなと思っていたんですけど、
5年6年経つとメンバーたちがどんどん頑張っていったということで、
IT企業なのにそんな恥ずかしくないような会社に変わっていったのかなというのはすごい感じています。
それこそ最初はスマートフォンアプリという開発がおまけだったのが、
いつの間にどんどんメインの開発になっていったりだとか、
それまでエクセルでデータを管理していたのが、
きちんとしたデータウェアハウスのシステムにデータを入れるようになったりだとか、
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あとそれまで新人も全然行動を掛けていなかったのが、
最後のプロジェクトでは新人でもガンガンOSSにパッちゃっているようなそういったメンバーが集まってきて、
そういったメンバーがメインで設計をリードしていくというチームになっていったりだとか、
着実にITを活用していく企業にふさわしい土台というのがどんどんできていっているのかなというふうに思っています。
5年6年って長いっちゃ長いんですけど、
その期間でそういった変化の現場にいられたっていうのはすごい幸運だったなと思っています。
そういうことを感じることができたっていうのはすごいかけがえのない経験だったなというふうに思っています。
もしリクルートに入社していなかったら、今の自分は確実にないとゆずたそさんは言います。
当時ですね、確かにキャリアをどうするかを一瞬悩んだときに紙でいろいろ書き出してたんですけど、
全部ダメだったら最後、静岡で畑をやるみたいな。
で、なぜ静岡かというと実家は静岡だからです。
そういったことって割と手元の選択肢から選んじゃう癖って正直あったかなと思っていて、
結構今回の話も全部そうで、
たまたまそういったチャンスが転がってきたから何とか深みましたっていうのが多かったなと思っています。
逆に言うと、ないチャンスを取りに行く力って当時の自分にはなかったかなと思っています。
なので、いろんなところで活動できるチャンスがなかったらきっと自分の実家がこうだからとか、
そういった選択肢を選んじゃうんだろうなっていう気も正直しています。
そういった意味だといいチャンスを与えていただいたなというふうに思っています。
実績のある会社で働かせてもらっているからこそ得られたものっていっぱいあったのかなというふうに思っています。
最後に、柚田祖さんの今後のビジョンについて聞いてみました。
その場その場でしっかりとチャンスを掴んでいきたいなというふうに思っていまして、
生活だとか仕事の仕方が変わっていくという中で、
ビジネス自体の変化が求められていると思っていますし、
その中でも一人一人のメンバーの振る舞い方とかも変わっていくだろうなと思っています。
今私がやっているのはデータを整備するっていうサポート、
エンジニアリングを通してその働き方を良くしていくところ、
サポートの延長上にそういった新しいビジネスとか価値だとか、
新しい世界みたいなものができていったらすごい素敵だなと思っていますし、
そういったものに対して少しでも役に立てていったら嬉しいなというふうに思いながら、
最近の案件を日々頑張っているという形になります。
これからの柚田祖さんのさらなる活躍に注目ですね。
この番組はPodcast Production、ひとばのオリジナルコンテンツです。
番組の感想・リクエストはhttps://pitpa.jpまでよろしくお願いします。
それではまた次回お会いしましょう。
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