東京への移住の決断
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はい、ということで今回のテーマはですね、東京に来てからちょうど3年というテーマでお話をさせてください。
本来だったら火曜日はですね、歌詞解説シリーズということで歌詞をね、解説するんですが、
ちょうど2025年11月18日ってことで、これは2つの誕生、2つのものが重なっているんですね。
1つはうちの父親の誕生日ということで、あんまし僕のね、この人生編歴のテーマにあんまし出てこない父親。
まあ結構良い人ですよ、父親と。
あとは僕がちょうどこの日3年前のこの日に、2022年の11月18日に東京に引っ越してきたという、この2つが重なっている日が今日です。
はい、ということで3年間ということで、まあ早いのか遅いのか、楽しかったのか辛かったのか、地獄なのか何なんでしょうね。
人生のすべてを濃く体験したなってのだけは間違いない、この3年間、東京に来てからの3年間。
この前放送の前にゆかさんのボイシーで泣きそうになってました。
ああそう、ちょうど母親とね、うちの母と朝ちょっとね、このライブ前にLINEして、じゃあこのテーマに僕自身で触れるかって思って、
うちの母視点ですね、まあまだ僕は放送聞いてないんですけど、サブチャンネルですね、STEPというボイシーのサブチャンネルが僕あるんですけど、
サブチャンネルの方では母親がこの3年間というものに対して多分触れているそうなので、ぜひ僕の放送と合わせてサブチャンネルですね、
STEPという僕の講座名のチャンネルになってるんですけど、合わせてサブチャン聞いてほしいんですけど、
僕視点でこの3年というものを振り返るつつ、まあその3年前の心境ってものをちょっと思い出しながら今日は話そうかなというふうに思います。
さっきもお伝えした通り、この3年間というものは僕の人生一番と呼ばれるものを取っていくとしたら、ほぼ全ての人生一番がこの東京に来てからに僕は集約されると思ってます。
今人生26年間、もう来月12月29日で26歳になるんですけど、この約26年間というものを通して僕の強烈な印象に残っている何かの一番とかすくめて、
嬉しい、楽しい、辛いとか嫌だとか良かったとか楽しかった、最高やったとか全てがトップを取ると全部東京に来るんだろうなと思ってます。
人生で一番考えさせられたり成長したのはもしかしたら部長だった時かもしれない。部長の部員が全員辞めようと思った時かもしれないけど、それ以外は基本的に東京来てからが強いと思います。
本当に何だろうな。皆さんが想像しているよりもだいぶ僕は変だというか、辛いとか嫌だとか大変だったりとか本当にどうしようもないような経験っていうのは何度でもしてきたと思う。
調子に乗っていた頃もあるし、その分楽しかったと思えることも東京来てからはあるし。
っていうのを踏まえて3年間ってものを通して、人間そのものが大きく変わって、何だろうね、全て変わったのかな、人間として人として大きく成長できたのかなとは客観的に見ると思いますね。
主観的じゃなく客観的に見ても、この東京っていうこの街に出てきて生きたからこそすごく自分の人生単位で変わったことは多いんじゃないかなと思ってます。
人間関係とかも大きくここの東京に来る前と来てからもそうだし、来てからその後でも大きく変わったし、やってることも関わってるものも成そうと思ってることも持ってるものも大きく変動して、周りと比較したらもう本当にね比較は意味ないと思ってるからしないけど、
当時は一緒の場所にいたような人も大きくなっていたりとか、そういうものは全然多く体験してきてる方なのではないかなと思います。
3年間というものを振り返った上で、僕は今のこの自分の選択に後悔をしてるのかと。東京に来たこと、そしてもともといろんなところに僕は携わっていたわけですよ。
3年前っていうのは。東京に来た時は本当にいろんなクライアントワーカーみたいな近いような感じでもあったし、いろんな立ち上げだったりとかそういうものに多く携わっていたタイミングだったので、そこのところにずっと属していてる選択肢もきっとあったでしょうし。
そうじゃなく自分一人でステップっていう行動をやったりとか、店やったりとか、新しいところに加盟したりとか、新しい事業を始めてみたりとか、何個失敗してきたんでしょうね。
分かんなくはないんですけど、あんまし皆さんの前で言ってないけど、正直失敗したなっていう事業は結構あるんですね。僕は百発百中に見えるかもしれないですけど、全然ノット百発百中で、いろんなことをやって、いろんなものをやめたりして、今があるんですよ。
すごいお金をかけたけど、全くうまくいかなくて撤退したものだってあります、正直。僕はそういうのを美男にする気もないからさ、あんまそういうのも離さないけど。
アカウントだって、前16、7個持ってたわけですよ。もともとね。ほぼほぼ全部今やってないじゃないですか、とかね。そういうのを踏まえてなんですけど、いろんな変動というかいろんな変化とかがあった上での、今この瞬間をやってるなっていう風に思います。
じゃあ後悔はしてるかと言われたら、後悔はしてないですね、正直素直に。今の選択をして後悔はあるかと言われたら、後悔は何一つないです。
僕にとってはお金が得れて、そういうところに属してワイワイやるっていうものが、鼻から向いてないですし、今みたいに自分の最良犬はあるが、大変全部自分で考えて一個一個つまずきながら、
ハッと思ったりとか、嫌だな、もうどうしようもないなとかっていう風に思ったりとか、ぶつかり合いながら進んでいるこの毎日。正直言って、楽さだったら1年前とか2年前の方が僕楽なんじゃないかなって思うんですよ。人生を生きていく上では。
それは素直に感じる。2年前とかの方が多分僕生きる上では楽だったんですよね、すごく。知名度もすごい注目されてた時だったし、今みたいに信念とかってよりかは情報商材ようなことを全然やってるに近かったし、
そんなに将来のこととか考える必要もなかったから、楽しんでただけだし、お金の使い方とかも良くなかったと思うし。
だから今の方が正直すごく考えるし、すごく辛いことは多いし、大変なことは多いけど、でも今で良かったなって思えるんですよね。
これは何でだろうなっていうふうに思うと、これは皆さん向けのメッセージになるかは知らないですけど、僕はよくこのボーイシリアム言ったことある通り、結局自分で選んだ道だから自分が後は正解にするしかないなって思ってるんですよね。
未来への投資
本当に正しくない選択をしてる機会なんていくらでもある。普通の人だったら、確実に正解不正解って分かってる道をわざと不正解とか遠回り、近道遠回りってやったらわざと遠回りとかを選んできた人間なので、
でも普通だったら近道とか選ぶじゃないですか、正解とか近道を。でもそこを選ばないで今日まで生きてきたっていう自負だけはある。
簡単にすぐ行けるっていう道とか、このまま行ったらこうなれそうみたいな安定的な、この業界にとっては安定的なルートあったんですよ、僕の中ではね、人生の中で幾度となく。
その安定的なルートを捨てて、今を選んでいる自分がいるっていうのは、普通の人からしたら、は?ってなるかもしれないし、何でそんなにわざわざ意味のないことをするんだって。
何度も言われてきましたよ。店舗やってゼロからフランチャイズでゼロからやるみたいなもんだったので、何でそんなことするの?意味なくね?みたいな。
正直大変だし、今でも大変ですよ。今でもすげー問題起こるし、今が一番大変かも。いろんな出来事が起こってるから今。今が一番大変なんですけど。
でも、それも経験としてすごく良い投資だったなって思ってるんですね。
何だろうね、経験投資って言ってないのかな?それこそが自己投資だ。本当の自己投資ってのは経験投資だと思うんですよね。
自分の体験したことがないことを学べることに対してお金が使えるっていう。そういう面では一回も後悔はしないかなって思いますし。
これらも全部東京に来る前の自分からしたら想像もできなかった。25歳の時の自分が何故かこんなことやってるなんて、20歳だろうがどんな時の人生マップを書いてもそんなことは書けなかったなっていう未来を今自分は歩んでるなっていうふうに思います。
そんな話をさておいてですね。せっかくなので3年前ってものをちょっと振り返っていこうかなというふうに思います。
うちの母視点の放送が残ってるので、細かいことは母側の方の放送を聞いていただくのがいいのかなって思うんですけど。
僕は東京に出るっていうのを決めたのが3年前の10月5日ぐらいなんですよ。
インスタで見て1年ぐらいの時にお誘いいただいて、東京来いよって言われて東京行きますって言って行くことに決めたんですね。
そこから物件決めて東京に引っ越してきたのが11月18日なんですよ。
引っ越すってことを本格的に決めて指導して、引っ越すまで2ヶ月はかかってないんですね。
もうちょっと前から引っ越すかもみたいなことはあったかもしれないけど、具体的に動いたのが1ヶ月半ぐらいなんですよ。
内見という内見は知らなかったですね。
とりあえず渋谷の近くの物件で家賃こんぐらいで3つ探してくれって言って出てきたものを3つ内見して一番良かったところを選んだんで。
そんな感じで選んだから、すごく懐かしい話ですけど1個前の家ですね。
っていうような暮らし方をしました。
東京生活のスタート
親は反対したのかというと、反対はなかったですね。
なかったと思う、確か。
いいじゃん、今しか経験できないことだからって言って送り出してくれたなって思いますね。
これも経済合理性で考えたら東京来なかった方が全然お金が貯まってたんですよ、間違いなく。
ほぼずるいんでしたからね、暮らし方は。
っていうところから、しかも僕は大学時代も一人暮らしとかしなかったんで、本当の自立みたいな感じだったなって思いますね、この3年前の引っ越しが。
できるだけ自立はしようと思って実家に行った時もあんまし迷惑かけないというか、基本的に自立的に生きようと思っていたので、
なんか親にご飯を作ってもらうとか、そういうのは基本的にしなかったです。
食材買ってもらうとかありがたいことしてもらってたけど、親の分作るとか、基本的に自分のご飯は自分で作る、自分で買って自分で食べるとか、
別に親が家にいるから自分も家にいるとかではなくて、全然家にはいるがずっと仕事してるみたいな、がんむしみたいな、
一人暮らしの生活を疑似体験してるぐらいな状況だった。そこに家という殻があるぐらいの感じではあったけど、
まあでも真の自立ではなかった。それを本当の意味で自立したっていうのが、たぶんこの3年前の引っ越しだったんだろうなっていうふうに思います。
引っ越しのエピソード
で、まあその3年前に引っ越しますよって言った時に、まあそんなんなんで、僕はその引っ越すというものに対する知識、もう何もかもなかったんですね。
うん。なんで僕は引っ越し業者っていうのを使わなかったんですよ、簡単に言うと。引っ越し業者なしで僕は引っ越せちゃったんですね。
引っ越せてないんですけど、引っ越しは引っ越せてはいないんだけど引っ越そうとしたんですね。うん。
そしたらあの、知識なさすぎ問題なんですけど、まあそれでアホかみたいになって、で、その当日、あのうちの母は確かね、修学旅行行ってたっけ?違うか。
なんか行ってた、なんかいなかった気がするんだよね。そう、確か修学旅行でいなかった気がするんだけど。
で、そのいないとかなんかなんたらかんたらの時で、あの僕を東京まで送ることができないってなった時に、うちのそれこそね、今日誕生日の父親があの車を、あの学校休んでくれて、
うちの、僕の荷物とか入れて東京まで連れてきてくれて、今の家に荷物を入れたりしてくれたんですよね。
うん。で、そのこのちょうど3年前なんで、あのうちのその元家の近くにアンネカフェっていうね、あのカフェがあって、それがあの有名なドラマのサイレントっていうドラマですね。
メグロレンド川口春菜のやっている、そのカフェがあの2人が出会っている斜めの坂のカフェがあるんですけど、それが家の近くなんですよ。もともと住んでた。
で、その時にその撮影をしていたっていうのが3年前強烈に記憶に残ってるんですよね。
なんか、でもその時サイレントとか、ドラマとかテレビも一切見なかったので、ドラマ知らなくて、なんか何あれなんか撮影やってんだけどみたいな。
これが東京かーとかってうちの父と言いながら、アンネカフェを通って、なんか異常な異常な限界体制の撮影をしてたんですよ。
なんかなんだこれみたいな。で、なんか奥の席に2人座ってんじゃん。女優とか俳優ってこんな普通にいるんだねすごいねーとか言ってすれ違ったらまさかのそのドラマやったみたいなのがちょうど3年前なんですけど。
3年間の成長と未来
で、こっち来たっていう日がちょうど3年前。で、あの時の僕はなんだろうね。夢見てた。いい意味でも悪い意味でも東京に夢を見ていたなっていう気はします。
すごくキラキラして見えたし、なんか自分の中で東京って経験したこともなかった。もちろん経験したこともないし、ログに来たこともなかったんですよね。
素直に言うと。別にその群馬にいて軍隊とかにいた頃とかもそうやし、自分の地元に住んでた頃って全然東京に来ることって言うてなかったんですよそんな。
数え切られるほどの少なさではないけど、墨田水族館とかみたいな浅草行くっていうのと、千葉ロッテマリンズが好きだったら幕張メッセとか行くついでみたいなとか、東京ドーム公演とか東京ドームの野球の試合行くとか。
それぐらいでしかまともに行かなかったんですよね、東京に。だからすごく新鮮だったんですよね。渋谷とか新宿とか行くことはなかったんですよ、素直に言うと。
でも毎週末、当時はオフ会とか、今みたいにオンラインサロンとか講座とかがめちゃくちゃあったわけじゃなかったので、発信者同士で勝手に主催して交流会しようぜとかオフ会しようぜとか結構あったんですよ、昔3年前は。
そういうのに毎週出てたから、それでちょっとずつ東京来るようになってたっていうぐらいで、それ以外まともに東京来たことなくて、毎週来ていたあれをゼロにできてずっと東京にいれるじゃんみたいな。終電とか気にしなくていいんだみたいなとかやってましたね。
ああそうだ、聖地巡礼だ、あったあったそうだ、君の名のあれやったよね、仙台街とかのやつやったわ、そんくらいか。新宿あれだ、君の名だよね、確か君の名の聖地の都庁前とかでやったわ、それぐらいか。
そうそうそう、みたいな感じでした。すごく夢を描いて、めっちゃここ来たらすごく楽しいんじゃないかな、人生すごく変化するんじゃないかなとかっていう思いで、3年前この東京に上京するっていう選択を選んだんだなっていうふうに思います。
まあまあまあ、そんなのが僕の3年前ですよ。だから何だろうね、じゃあ3年前の俺何してたっていうと、7日間で5万フォロワーは伸びたと。で、アフィリエイトとかPR案件とかをやるようになったと。で、運用代行も4つぐらい自分一人で受け負いましたと。
で、さらにサブアカン含めてインスタ攻略とお金赤と本当のサブアカウントの4つを持ってました。を作って、それも全部一人でやってました。ブログ書いてました。ブレインっていうプラットフォームの教材書いてました。YouTube編集してました。とにもかくにも死ぬほどやっていた気ではあります。体力だけはあったですからね。
クオリティとかは育てておいてね。ウェブライターは確かもう辞めてたかな。この頃には。
っていう感じで、まあ今みたいにこうなんか口座持ってとかそんなことは想像しなかった。ちょうどあと幼馴染のアカウントが2万人とか超える頃だったかな。みたいな。そういう状態から3年で、まあうよ曲折あったし、本当にいいルーとかは知らへんけど、まあ今こうして、今自分はまあなんとか生きてるわけですよ。
だからまあ人生はなんとかなるもんやなとは、なんとかなってないけどなんとかなるもんやなと思ってます。
この僕のこの人生に平穏みたいなものは多分来るか知らないし、今後の将来がすごく大きく安心安全とか安定みたいなものが訪れるかもわからない。素直にそれはもう知らないですね。
わからないけど、まあこれからっていうところを最後にちょっとまとめると、僕にとってのこれからはもう何だろうね。ひたすら。
インスタ運用しても4年だし、ボイシーもなんだかんだもうすぐ始めて3年ぐらいになるし、東京来てからも3年だし。
でも、まだまだ人間的魅力っていうところでは、まだ足りてない部分ってすごく多いのかなと思うし、
今度は自分がこう受け入れなければいけないものっていうのは、ある意味こうインスタ運用のこの世界においての考えの違いとかっていうものを、
ある意味違った意味での需要っていうものもしていかなければいけないと思ってるし、やり方とかね。
そういうものとか含めてもっと自分自身、人間的な部分とか、もっと経験値ってところで本当の意味で成長していくっていう必要が僕はあるのかなというふうに今は素直に思っています。
そういう面で言うと僕はまだまだ足りてないなって思う部分は多々あるんですよ。素直に。
ほとんどの人が僕よりも人生経験長いしね。
ってなってくると、まあやっぱ細々としたところで未熟だなって自分のことを素直に思うタイミングもあるし、
なんか足りてねえなとか、実力もそうだし、もっとさ、いろいろ経営能力とか、フリーランスとしてのなんかいい意味での稼ぐ力とかがあったらもっと楽にやれてることはあるんだろうなっていうのはすごく思う。
けど、まあ何度も言ったように、もともとそういうタイプじゃないし、そういう才能を持っているわけでもないんですね。
本来だったら本当に皆さんと同じか皆さん以下ぐらいなんだろうな、
伸びるべくして伸びる才能があったとか、
上手くいくべくして上手くいくような力があったりとか、
そういうことを昔からそういう性格をしていた才能があったとか、本当にそういうわけではないんですよ。
発信始めたからこうこうなれたとか、もともとはこんな平凡だったけどこうだったとかの、
とは言ってもお前なんだかんだ能力あるやんっていう人よりは間違いなくない人間なんですね。
絵に描いたような普通の人です。
まあそこでとは言ってもお前国立行ってるじゃないかって言われたらそうですけど、
逆に言ったらその程度ですよ。
別になんかどっかの進学校超行ってるとか、スーパーエリートコースとかで行ってたわけでもないし、
とは言っても別にお金稼がなきゃっていう反骨精神根性が死ぬほどあるタイプでもないんですよね。
いわゆるそのちっちゃい頃からそういう劣悪だったみたいなものもないので。
そうっていうこんな状況下の人間で、だからこそ、だからこそこういうボイシーとかで、
これからも伝えられることあるんかなとは思ってます。
本当に普通だからこそ、普通だからこそ違和感に気づけるんですよね。
なんか稼げればOKみたいなそのやり方の違和感とか、
普通だからこそ違った合理性にもちゃんと見抜けることができてると思ってるんですよ。
変にずれてないから。
自分がずれてないっていうのは主観的なものになってしまうので、
客観的にずれてない俺だとは言い切れないけど、
なんか違和感が見えるのは素直にあるんですね。
これ変だなとか、この環境ってどういうことなんだろう、
これっておかしくないみたいに感じることってすぐに気づけるんですね。
そういうものの感性はこれからも大事にしながら、
東京での3年間の振り返り
本当にいつも言ってるけど本当に普通の人なんで、
僕は普通の人らしく、凡人らしくコツコツと地道に地道にこれからまた、
今度は所詮3年なんで、この4年5年と。
インスタもそうやし、インスタがいつも続くか分かんないけど、
この4年5年とボーイシーってプラットフォームで音声とか、
形が変わるとね、ライブとか、どんな形、どんな風になれと、
続けていきたいなと思っていますし、
コツコツコツコツやれることを積み上げて伝えることを伝え続けて、
一生懸命これからも僕なりなやり方、
やっていきたいなと思っています。
本当に汚くなってしまったんですけど、
これからも末永くというか、見続けてください。
良ければ、嫌じゃなければ、見続けてほしいなと思っています。
それなりに僕自身も頑張って成長するので、面白くできるよう頑張りますので、
他の人みたいにめちゃくちゃ集客するとか、いいくらい稼げるとか、
そういうことは言えないですし、言わないですし、
本当にただただ自分にとっていいなって思うものを素直に、
特に隠すことなく見続けるということだけを、
これからもやっていきたいなと思っていますので、
これもある意味一つの通過点として、
東京3年記念日と言っても何もないですけど、
普通に過ごしますけど、仕事してね。
ここから今度は4年と通過点として、
こんな時もあったねと言えるような人生に少しでもできるように、
一生懸命やれることはやりきりたいなと思っていますので、
引き続きご協力というか、
皆様は僕のボイシーをこれとか、
この音声配信やライブをこれからも見てほしいです。
聞き続けてほしいです。
よく言うとおり、ボイシーも2年以上やって、
多くの人が聞くのやめたと思いますし、
多くの人が聞くのやめちゃったりとか、
そもそもインスタをやめちゃったりとかしたと思います。
仕方がないことだとも思っているんですよ。
夢見る世界に夢を見て、
そこに折れていくなんて腐るほどあるわけで、
これがインスタグラムが特別なことではないと思っているんですね。
多くの子供たちが将来大谷翔平を夢見て野球をやるけど、
ほとんどの人が慣れないということに気づいてやめていくし、
辛いことに気づいてそこから逃げていくっていうのは普通の世界。
その絞り取られた単純なる一番強い世界がプロ野球だし、
その上のメジャーリーグになっているのと一緒で、
インスタグラムってそうなんですよ。
だから全員が全員100%生き残れるとも思わないし、
そもそも全員がうまくいくなんて僕は鼻から思っていない。
でもこういうのを聞き続けるとか、
その場所で戦い続けている人のとことを掛けから応援するとか、
今インスタやってなくたってね、
それはきっとできるんじゃないかなと思うんですよ。
どんな状況にあれど、
僕の発信は決してインスタだけに生きるものじゃないと思っているから、
皆さんの人生のどこかに生きるものかなと思うので、
インスタを辞めるという選択をしても、
違う道に行くという選択をしても、
それでもこの場所はいつでもあるんで、
いつか戻ってこれるような場所になれるよう、
これからも僕は折れることなく、
淡々と毎日お届けしていきたいなと思っていますので、
引き続きよろしくお願いします。
改めて、ボイシーは3年とかそういうわけではないですけど、
東京来てから3年ということで、
記念のお話をさせていただきました。