初めての音声配信
おはようございます。いっせいです。
このチャンネルは、何のつてもスキルもないまま、三重県から上京してきた僕が、
うよ曲折あり、40日間で収益下率73.7%を誇るSNS運用代行スクールリワークスを経営する中で得た、
個人で稼ぐための食いっパグれないビジネススキルを発信しています。
このラジオを聞いてくださる皆さんが、人生の選択肢が増えるきっかけになればと思って、
主要で配信していますので、ぜひ最後まで聞いてください。
よろしくお願いいたします。いっせいと申します。
今日は初めての音声配信の投稿ということで、ちょっと緊張しているんですけども、
自己紹介だったりとか、あとは、そもそも音声メディアを始めた理由だったりとか、
今後何を発信していきたいかというところをお話しできればなと思っております。
ちょっと冒頭でもお話しあった通り、結構腹もまんじょうな人生を送ってきていて、
本当に三重県から上京してきた僕なんですけども、
本当に何のあてもなく東京に上京してきて、スキルも本当になくて、
友達のコネとかもなくて、ツッテとかもなくてという形で、
とりあえず努力し続けて、3年間、2023年の2月に三重県から上京してきて、
2025年の5月なので、大体1年半くらいかなというところで、
ある程度SNSというところで実績も得て、会社を経営していてというところではあるので、
当時の上京してきたタイミングからは想像できなかったところまで、
努力だったりとか、本当に運もあったりとか、あとは人脈というところもあったりで、
今があると思っています。
じゃあ、どうやって努力してきたのかだったりとか、
どういう形でスキルをつけてきたのかとか、
あとは三重県にいる時の僕はどういう人間だったのかというところを、
今日はちょっと深掘っていければなと思っているので、
本当に何もない、本当にポンコツだった僕だったんですけども、
ある程度今は会社を経営しているという状態ではあるので、
社長としては一応成り立っているという形ではあるから、
そこら辺どういう形で進めてきたのかというところをお話しできればなと思っております。
じゃあまず自己紹介からお話をしていくんですけども、
過去と現在と未来という形でお話をしていきます。
じゃあまず過去のところなんですけども、
僕、生まれ育ったのが三重県で、大学1年生から愛知県に上京して、
社会人2年目ぐらいまで愛知県にいました。
その後、さっき言ったように東京に上京してきて、今2年半目ぐらいになります。
なのでいろんなところで活動していたりだったりとか、
あとはどういう人間だったのかというところを深掘ってお話しできればなと思うんですけども、
まず最初三重県のところからお話をしていきます。
三重県の1世は本当にめちゃくちゃポンコツな人間でした。
同級生からもお前が一人暮らししたら家事になるって言われるぐらい本当に何もできない人間で、
スポーツしかやっていない人間だったんですね。
勉強も何もできないし、機械音痴だし、
人に聞くことすら、人に聞かないと何もできないし、
ただ人に聞くことがちょっと臆病になっちゃったりだったりとかっていう人間でした。
スポーツしかしていない人間だったので、どういうスポーツをしていたかというと、
主に2つに注力していて、1つ目が空手、極真空手を習っていました。
もう1つがハンドボールをしていました。
結構長いことやっていて、そこでもある程度実績っていうところを出したので、
そこのちょっとお話をしていこうかなと思うんですけども、
僕空手では小学校1年生から大体大学3年生ぐらいまでやっていたので、
13年間とかそれぐらいやっていて結構長いスパンやっていました。
それもそうだったんですけど、めちゃくちゃ最初弱くて、
弟が2人いるんですけども、弟の方が全然強くて、
いつも試合に出たら弟とかはトロフィーとか賞状を持って帰っているのに、
僕だけ本当に何もないみたいな状態で、本当に弱い人間だったんですけども、
私空手っていうものがめちゃくちゃ嫌いで、
親にめちゃくちゃしごかれながら毎日やらされてたっていう形だったんですけども、
そんな大嫌いな空手だったんですけど、
毎日毎日親にしごかれながら、月曜日から日曜日まで本当に週7日ですね、
4時間くらい稽古させられて、めちゃくちゃボコボコにされながら歯を食いしばって、
とりあえず頑張ってたっていうのが小学校から高校ぐらいまでっていう一生です。
結局弱かったんですけども、高校2年生ぐらいの時に全国大会に出場して、
3位になれただったりとか、あとは大会とか出ると優勝とか準優勝とか、
それぐらいのレベルにはなっていたので、結構大嫌いではあったんですけども、
強い人間にはなれたかなと思っていて、
そのおかげで今のお仕事の基準値だったりとか、
辛い時も乗り越える忍耐力だったりとかも鍛えられたイメージがあります。
結構本当に大嫌いだったんですけども、
そのおかげで本当に苦労美とかを取ったおかげで、
今に生きているなっていう実感がすごくあります。
あともう一個ハンドボールをやっていたので、そっちもちょっと紹介しようとするんですけども、
ハンドボールは中学校1年生から大学4年生まで習っていました。
これも10年弱ぐらい習っていたので、
それは僕は個人的に大好きでハンドボールをやっていて、
体とは真逆で、部活動が本当に楽しみで楽しみで仕方がない学生時代だったんですけども、
ハンドボールも本当に僕は体が小さかったので、なかなかレギュラーになれなかったんですね。
特に中学校の時とかは身長が147センチとかしかなくて、
今は178センチくらいあるんですけども、今では考えられないほど小さくて、
30センチくらい中学校の期間で伸びたんですけど、
っていうくらいめちゃくちゃ小さくて、
小学校とかの体育祭とかだったら、ピラミッド組み立て運動みたいなのがあると思うんですけども、
その運動会のピラミッドで一番上に乗るくらい、小さくて体重も軽くて弱い人間だったんですね。
中学校とか高校で筋トレとか周りに仕分かれながらやっていって、
そっちでも国体選手だったりとか、三重県で選抜として選ばれたりだったりとか、
あとは東海大会って言って、県大会で2位とか3位とかになって、
地方大会っていうところに出場できたりだったりとか、目標だった地方大会に出場できたりだったりとかしたっていうのがハンドボールの時代です。
結構弱い人間だったんですけども、本当にキャプテンとして任せてもらったりだったりとか、
あとは結構いろんな実績を出してきたっていうのがハンドボールです。
空手とハンドボールって言ってるけど、空手も忙しそうだったし、
ハンドボールも結構忙しそうだしみたいな形でどういう形で生活をしていたのかという形なんですけども、完全に両立をしていました。
中学校とか高校くらいの生活を思い返してほしいんですけども、
大体授業が8時半からとか始まって、夕方の16時くらいとか17時くらいに終わるじゃないですか。
それ以外の間に大体空手とハンドボールをやっていたので、結構ハードなスケジュールで、
ハンドボールは普通に部活としてやっていたので、放課後という形で5時に学校が終わるとすると、
大体8時くらいまで部活をやって、その後すぐ空手に行って道場に行くんですね。
8時から大体11時とか12時くらいまで空手でやって、急いで宿題とかをやって、寝て、
5時半くらいに起きてハンドボールのアサレンに行くみたいな。
6時から8時くらいまでハンドボールのアサレンをやって、また毎日が始まるみたいなのを毎日平日をやっていたという形ですね。
学校がない日とかだったら、朝早く練習時代とか部活があったので、
6時くらいに起きて、7時から19時くらいまでハンドボールをやって、その後空手を道場に行ってボコボコにされるみたいな毎日の日々で、
本当に結構きつい毎日を過ごしていました。
さっきも言った通り、本当にその基準値のおかげで今があるなと思っているんですけども、
ただ当初はめちゃくちゃきついなと思っていたのが事実で、本当にそういう毎日の日々を過ごしていると、
僕は何のために生きているんだろうなと思うくらいの大変な日々だったんですけども、
当時の自分には逆に感謝したいなと思っていて、それがあるからこそ、今会社としてやりたいことを努力させてもらっているという状況ではあるので、
愛知県での成長
SNS運用代行という会社をやっているんですけども、やりたくないことじゃなくて、やりたいことを努力させてもらっているという形だから、いくらでも努力できるなというのがあります。
そのおかげで今は15時間とか16時間、20時間の働いても平気ではあるから、その基準値のおかげで結構頑張れているというところがあるのが、
小学校から大学にも入っちゃったんですけども、主に三重県でスポーツという形で頑張っていた時代でした。
次にですね、お待たせしました。愛知県編なんですけども、愛知県では一人暮らしを始めてやって、大学生から社会人1年半目くらいまでリフォームの営業と現場監督というお仕事をしていました。
大学では本当にハンドボールとアルバイトをしていた日々だったので、ハンドボールはお話ししたので一旦置いておいて、アルバイトでは結構いろんなたくさんのアルバイトを経験していました。
一つのバイトに絞るのがもったいないなと思っていたのと、今後の自分に役立つようなアルバイトをしたいなと思っていたので、本当に点々と継続力がないとか忍耐力がないわけではなくて、いろんな経験をしたい。
せっかくだからアルバイトだから、いろいろなところを買い摘みたいな感じでいろんな経験をしていました。
スキヤの牛丼だったりとか、GUだったりとか、お餅屋さんとか、居酒屋とか、親子丼屋さんとか、唐揚げ屋さんとか、体育の家庭教師とかいろいろやらせてもらっていて、
多分大学時代のアルバイトの方だったら負けないんじゃないかなぐらいの日々を過ごしていて、部活動でハンドボールのキャプテンをしながらのアルバイトという形だったので結構大変ではあったんですけど、
たださっきも言ったように三重圏の僕で培われた忍耐力とか努力の基準値というところがあったので、ある程度そこも乗り越えて頑張れたというところがありました。
その後大学を卒業して社会人になるんですけども、社会人の方では僕リフォームの営業と現場監督をしていて、大学のスポーツ健康科学部というところに入っていたんですけども、そことは全く関係のない建築家になったので、全く資格とかも活かせない状態でリフォームの営業とかを始めたというのがきっかけでした。
じゃあなんでそのリフォームの会社を就職したかというと、親がリフォームの自営業をしていて、将来的にはいつか継ぐんだろうなっていう意味で修業とかも兼ねてリフォームの営業とか現場監督に就職したんですけども、そこでもいろんな経験を積ませてもらって、
僕めちゃくちゃ他人と負けず嫌いなので、同期には絶対に負けたくないだったりとか、同じ営業所の中では絶対1位になるみたいな感じで結構自分に厳しく頑張っていたのがあって、それも空手とかハンドボールと同じぐらいの基準値で頑張っていたので、朝の6時に起きて夜の12時ぐらいまで一人でオフィス事務所に戻っていて、パソコンをカタカタしてみたいな毎日日々だったので、
営業の経験と成績
周りからは結構驚かれながらやってて、本当にその時は自信がなかったんですけど、こんな感じで今すごいでしょみたいな感じで喋ってるんですけど、当時自信がなくて、同期の中でも確か2,30人ぐらいいたんですけど、その中で一番多分スキルとしてないだろうなみたいな人間だったんです。
その時は自分で思ったんですね。だからなるべく同期には負けたくないっていうか、同期には追いつかなくちゃみたいな感じで最初は努力してたんですけども、そうすると1年後とかには同期の中でトップの1位の営業の成績だったりとかになって、社長とか会長からは君は圧倒的歴代1位って言われたりしたりだったりとかをしたんですね。
その理由が僕は効率よくとか賢く動けるタイプではないので、どっちかというと本当に努力でカバーしてきたみたいな、数でカバーしてきて、とりあえず周りよりも動いて、とりあえず同期に負けたくないっていう気持ちから営業の数を1件でも増やしてみたいな感じで営業はやっていて。
あと、同期の1位になってから今度は営業所内で負けたくないとか、全国で負けたくないみたいなモチベーションになっていって、最終的には1年半目、会社を辞めるタイミングでは全国に営業マンが500人くらいいるんですけども、その中でトップ3みたいな感じになっていて、
圧倒的に1年半しか実務がないわけなんで、めちゃくちゃ若手と言えば若手なんですけども、その中ではすごいよなみたいな形で言われていたのが社会人っていう一生だったんですけども、
結構本当に腹ん番上に空手とかハンドボールとか、あとはアルバイトもそうだし、あとは社会人のリフォームの営業と現場監督みたいなところもそうだったので、本当にいろんな経験をさせてもらってて、努力は結構してきたなっていう自負があります。
リフォームの営業もそうだったんですけども、どっちかというとリフォームの現場監督の方も結構きつくて、同時に営業をして現場監督っていう形で、自分でお仕事を取ったらその現場も見なくちゃいけない。
最後の工事が終わるところまで自分が責任を持ってするっていうのが前職の仕事だったんですね。
どういうイメージかというと、例えばお客さんがトイレのリフォームの工事をしたいですってなったときに、僕が商談して金額がこれぐらいですって見積もりもお伝えして、
実際に契約ってなってから工事の日程だったりとか職人さんはどの人にするかだったりとか、あとはトイレの種類はどれにするか、色どれにするかだったりとか、
もっと細かく言うとトイレットペーパーは買えるか買えないかとか、もし買えるのであればトイレットペーパーを外したタイミングで壁紙が破れちゃったりするかもしれないから、その壁紙のことだったりとか、
あとはその終わってから当日の工事の日でも僕が現場に足を運んで工事が終わることまで見届けたりだったりとか、
時には職人さんのお仕事を手伝ったりだったりとか、トイレを運んだりだったりとかをして工事が終わってから、
終わってからもアフターサポートみたいな形で全てを一貫して管理するリフォームの営業と現場監督だったんですけども、結構それも大変で、
やっぱり営業だけだったらいいんですけども、現場監督っていうところは結構厳しくて、リフォームってぶっちゃけ運みたいなところがあるんですよ。
一応視察は行くんですよね、工事が始まる前だったりとか、お客さんと商談する前に、
あなたのトイレだとこのAのパターンが取り替えることができますよだったりとか、Bのパターンは取り替えることができないので、どんだけ金額が高くても難しいですよみたいなお話はするんですけど、
もちろんプロとしていろんなところは見させてもらうんですけど、結構難しくて現場監督っていうところが、
トイレを取り替えるタイミングで、めちゃくちゃ古いトイレだったら水漏れとかをしていて床が抜けていることだったりとか、
あとはめちゃくちゃ古い配管とか給水みたいなところで接合ができないみたいな、新しいトイレを取り替えたいけど接合ができないだったりとか、
トイレを取り替えることができませんでしたみたいなことがあったりとかっていうのは結構頻繁に起こることで本当に難しくて、
あとトイレだったらいいんですけども、お風呂とかキッチンとか、あとはシンプルにお家を壊したりだったりとか、
壁紙を貼り替えたりだったりとか、外壁を塗ったりだったりとか、あとは洗面台を取り替えたりだったりとか、すべて壁を作ったりとか、すべてリフォームを一貫してやっていたので、
結構覚えることも多くて難しかったっていうのがイメージで、営業というよりかはどっちかというとマルチタスクをどうやって行うかだったりとか、
スケジュール感をどうすると自分が楽に動けるかとか回るかみたいなところを結構スキルとしては身につけられたっていうところがあります。
営業ももちろん身につけられたんですけども、人と人との職人さんもいろいろいるんで、
よく想像してほしいんですけども、職人さんって結構坊主で頭にタオル巻きながらみたいなイメージの方が多いと思うんですけども、
結構昔ながらの方が多いので、ぶっちゃけ言うと気難しい方もいらっしゃるっていうところがあったので、そういう方たちとどううまく付き合っていくかだったりとかっていうところも結構大変だったなっていうイメージがあります。
そこでも身につけたコミュニケーション力だったりとかスケジュールだったりとかマルチタスクだったりとか営業力とかいろいろ学ばせてもらって、本当にその会社に入ってよかったなと思ったんですけども、
上京の決断
ただ1年半目で辞めるタイミングが来ます。
何で辞めるかというと、リフォームのプロになりたくないなって思っちゃったんですね。
確かに最初はリフォームの親が自営業をしているから、それを継ぐためとかのためにリフォームの建築の仕事を学んで修行して最終的には継ぐと思っていたんですけど、
職人さんだったりとかを目の当たりにして、僕がやりたいことというか、たぶんずっとこの先リフォームの営業とか現場監督とか職人さんっていうところでやっていくのがあんまり想像できなくて、ちょっと自分には合わないなと思っちゃったんですね。
当時23歳とかだったんで、例えば60歳くらいまで働くとして、あと40年くらいこの仕事をするのか、あと自分の生きてきた3倍この仕事をするのか2倍かするのかってなったときに、あんまりちょっと気が乗らなくて、人生ってちょっとつまらないなみたいな感じになっちゃって、
そう思ったときに、このまま父親の自営業のところを継ぐっていうところもいいんだけど、ただ今継いだところで1プレイヤーにしかなれないなと思っちゃって、ちょっと他のところも経験してみようっていうところで、
SNSだったりとか他にもいろいろと当時副業とかフリーランスっていうところを調べ出して、そうなった結果SNSっていうところに僕は行き着いたんですね。
インスタですね、もっと明確に言うと。インスタっていうところに行き着いたんですけど、ただ言ったようにお仕事が結構忙しすぎて、朝6時に起きて夜12時まで事務所にいてっていう形だったので、もちろんインスタで言うと撮影してとか動画編集、ショート動画のスマホで編集してとかっていうイメージがあると思うので、
その間にやることは結構難しかったっていうのがあって、難しいなと思ったんで、仕事をもうちょっと時間を早めようというか、仕事自体のやっている時間を少なくしようと思ったんですね。
だけどやっぱりありがたいことに会社では期待されている存在ではあったので、もっと一斉この仕事頼むわだったりとか、もっとこの仕事もとか、もっとこの案件もやっていってほしいみたいな感じで、いい意味でありがたいことに期待されていたので、仕事がちょっと成りやまないという形になって、思い切ってもう辞めるっていう決断をしたんですね、何のあてもなく。
で、何のあてもなくで本当に辞めて、ここからどうしようかなと思った時に、一旦東京に上京してみようっていう思考になっちゃって、っていうのもやっぱり三重県とか愛知県でお仕事をしていたとしても、どっちかというと東京の方が、当時の僕からしたら東京の方がなんかいろいろお仕事につながりそうだなーっていうふわっとしたイメージがあって、ぼんやりしたイメージがあったんですね。
だから東京に上京しようと思って、本当にそれぐらいの理由です。
特に東京に誰か友達がいたからだったりとか、知り合いの東京の社長さんがいたからっていうわけでもなくて、ふわっとしたイメージで東京に上京してきました。
もちろんお仕事辞める時は何のあてもなく東京に上京しますっていう退職の理由だったので、社長だったりとかその時の店長とか同僚からは、やめときなよみたいな。
めちゃくちゃ今の一世が、例えば前職では優秀な部類ではあったので、いくら一世が優秀だったとしても、絶対に個人では生きていけないだったりとか、会社のブランドがあるからこそ一世が成り立っているみたいな話があったんですけども、もちろんそれも重々承知だったんですけど、ただこのまま一生過ごしていく方が嫌だなって思っちゃったんですね、当時は。
例えば30歳とかで結婚とかして、子供とかが生まれてってなった時に、もっと身動きが取れなくなるなって思ったんですね。
23歳の僕だからこそ、奥さんとか子供というところがいないから、それを反対する、身近に反対する人もいなかったりだったりとか、あとはその責任というところが自分一人みたいな感じだったので、最悪アルバイトすればいいやと思っていたので、そこは結構反対だったりとかもあったんですけど、
今は動くしかないというところで、無理やり自分を奮い立たせながら東京に上京したのが当時の心境という形です。
もちろん会社のところもそうだったんですけども、親にもめちゃくちゃ反対されて、もう今1年半で会社を辞めたから、3年はせめていてほしいだったりとか、石の上にも3年だったりとか、
もうちょっとスキルというか会社で働いて、もうちょっと安定してから個人でやってもいいんじゃないだったりとか、実際にそのお仕事で完全にボーナスとかは部合制だったので、ある程度お給料も本当に高くて1000万円くらいいただいてたんですね。
社会人1年目とか2年目で1000万円をいただく会社なんて本当に多分ないと思うので、もうなんかめちゃくちゃいい会社だったなっては思っているんですけども、ただ今動かないというところで、そこで親にも説得して本当に泣きながら上京してきたという形です。
僕今動かないと本当に無理だから、じゃないと絶対に将来後悔するって言って、泣きながら東京に上京してきました。
新たな出発
もちろんありがたいことに反対してくれてることはあるんですけども、嬉しいんですけど、何が一番怖いって、一番怖かったのは多分僕で、だって何のスキルもなくて何の宛もなくて誰も友達いなくて、とりあえず東京に上京してくるっていうことだったので、何をすればいいか分からないし、
本当に東京に上京してきたタイミングでは、これからの自分が不安すぎて泣いてる日もあったんですけど、っていうぐらい本当に何の宛もなく上京してきたっていうのが、2年半前の僕です。
本当に上京してきて、2月16日ですね。2023年2月16日にめちゃくちゃ覚えてるんですけど、東京に上京してきて、内見とかも本当はしたかったんですけども、いろいろとポンコツだったので手違いみたいなところもあって、内見できずオンライン内見でそのお家に決めて、収入がなかったので一番安い家賃がいいなと思って、
東京では結構ありえないぐらいの6万円とかで1軒6畳っていうところに住んでいました。
で、もしかしたら知ってるかもしれないですけども、そこから僕100日後にかっこいい部屋を作る人っていうのを発信し始めます。
2023年の2月16日に上京してきて、その次の日、2月17日に100日後にかっこいい部屋を作る人の1日目っていうところをインスタの方で発信し始めていて、探してもらえれば多分出てくるかな。
ちょっと名前が違うのでもしかしたら出てこないかもしれないんですけど、100日後にかっこいい部屋を作る人っていうところで発信をし始めて、そこから100日後にかっこいい部屋の1日目が始まって、連続で100連当することになるんですけども最終的に。
とりあえず何か投稿しようと思って、逆に投稿しなかったりだったりとか、あとは何か考えてしまう、悩んでしまうっていうの自分が怖かったんですよね。
何もしていないっていう事実が怖くて、とりあえず投稿を作ろう、とりあえずインスタに自分の投稿のせよみたいな形で、正解か不正解か分からんけど、とりあえず努力をし続けて100日後にかっこいい部屋を作る人の53投稿目とかで1万再生ぐらい、1万フォロワーぐらいいって、他のTikTok、YouTube Shortsというところとかでも2万人とか5万人っていうところで合計10万人のフォロワー数っていうところになりました。
これが3ヶ月とか半年ぐらいだったかなっていうスパンでいったので、本当に運よくもあるんですけども、結構努力しながらショート動画を作って試行錯誤を自分的にしながらやってきたっていうのがあります。
100日後にかっこいい部屋を作る人で、もしかしたらご存知の方もいると思うんですけど、何で100日後にかっこいい部屋を作る、お投稿し始めたのかみたいなところをちょっと話しちゃってると、結構本当に時間かかるんで、そこはちょっと割愛させてもらうんですけども、
その毎日投稿してきたスキルとか知見を活かして、SNS運用代行というところでマネタイズしたりだったりとか、PR案件とかアフィリエイトとかコンテンツ販売とか広告収益というところで、本当にマネタイズできる手段は全てやってきたっていうのが、
ここ2023年の2月に上京してきて、大体1年間くらい通して全てのマネタイズをやってきたっていう形ですね。
大体月20万円とかは稼げれるようになって、本当に毎日投稿していたので、1つの投稿も毎日DIYしたりだったりとか、編集もめちゃくちゃ時間かけてやってたから、本当に毎日10時間くらいかけて投稿を作ってて、っていうのを100日間連続でやってたので、本当にハゲそうなレベルだったんですけども、数字も見ながらとか、次の投稿どうしようかなというところで、いろいろ試行錯誤をしながらやっていました。
その後、いろいろと自分で工夫しながらだったりとか、いろんな講座に入りながらだったりとか、スクールに入って自己投資をしてっていうところで、トントンとマネタイズの額も上がっていって、200万円だったりとか月1300万円っていうところも稼げるようになったっていうのがあります。
それが2023年の2月に上京してから1年後とか1年半後くらいに月1300万の月賞があったっていうのがあって、それが当時の上京してきたタイミングからすると本当に想像がつかない一世の姿だったので、
本当に周りに助けられながらだったりとか環境が良かったっていうところもあったんですけども、またちょっとここら辺も今後の投稿で深掘りしていきたいなと思ってるんですけども、そういう経験もさせてもらいました。
そこからSNSでインフルエンサーになろうよっていう講座だったりとか、あとは中上級者向けの方たちに向けてインフルエンサーフォロワー数1万人になったからそこからのビジネスのスキルだったりとか、あとはマネタイズの仕方だったりとかをアドバイスさせてもらう講座を2つ掛け持ちしながら運営していました。
リワークスの設立と目的
両方とも本当にすごい実績を出されている方がありがたいことに多くて、SNS未経験で半年で月2千万円稼ぎましたみたいな感じの方だったりとか、1投稿目から300万再生のショート動画作りましただったりとか、7投稿でフォロワー数1万人いきましたとか、15投稿ぐらいでフォロワー数7万人いきましたみたいな感じで、本当にすごい実績を出されている方がめちゃくちゃ多くて本当にありがたいなと思いました。
っていうのがここ1年前とかそれぐらいだったんですけども、ただ副業をインスタ発信して稼いでいこうよみたいなこともやっていて、実際に稼げる人もいるし、本当に爆発的に稼げるっていうのがあるんですけど、
ただこの講座、初級インフルエンサーになろうよっていうところとインフルエンサーになってからのマルタイズっていうこの2つの講座を完全に最近中止して取りやめました。
っていうのもさっき言った実績の方々は10人中1人とか2人の実績なんですね。だから外側から見ると結構あの講座やっぱり伊勢さんが教えてるだけあってすごいなーだったりとかめちゃくちゃ実績出てるなっていうふうに見えるんですけども、
これ僕だけの講座じゃなくて多分全部の講座です。いろんなところの講座があるんですけど、すごい実績を出した方だけを紹介してすごいいかにもすごい講座みんなこんなすごい実績出してますよみたいな雰囲気が出ちゃうんですけど、
ただ実際蓋を開けてみたら10人中2人とか3人とかしかその成果が出ていないみたいなことはザラにあるし、ただ10人中2人とか3人出てる方でも結構すごい方なんですよ。
何なら1人も実績が出ていませんみたいなところも講座もあるので、そう考えるとだいぶいい講座っていうのは自負していたんですけども、ただ残りの7人8人っていうところは結局同じ教え方をしていても挫折しちゃったりだったりとか本業が忙しいとかそういうところを言い訳に結構もう副業っていう道を諦めちゃうっていう人が多かったので、これはなんか僕が求めている講座ではないなと思ったんですよ。
確かにインフルエンサーっていうところは本当に月1000万稼げるとか月1ヶ月とかでフォロワー数が何十万人ってなるっていう世界ではあるんですけど、ただそうなれる人がいるはいるけど少ないっていうのが思っていろいろ試行錯誤した結果、SNS運用代行っていう講座で再現性がある副業のスクールコミュニティを作りました。
これがリワークスっていうさっき一番最初の冒頭でもお伝えした73.7%、現状73.7%の方が副業として成り立っているスクールを運営しているんですけども、これが2025年の2月とかにローンチというか始めることになって、今5月で3ヶ月とかで講座生産とかスクール生産が70名くらいいるのかなっていうふうに思っています。
というところで結構人気のスクールになってきていて、その中の約70%の方が副業として成り立っている。
40日間で副業として成り立っているっていう講座なので結構魅力的というか本当に僕の理想のスクールが立ち上がったっていうのが今の現状です。
今後なんですけどもこのスクールは結構広めていきたいなと思っています。
というのもやっぱり再現性あるっていうところが一番大事かなと思っていてスクールとして。
10人中1人2人が実績を出すのってそんなに僕的には魅力的には感じなくて、10人中10人が副業として成り立つっていうのが目標にしているので、
みんなが副業として成り立つっていうところを目標にしています。
実際にその70%副業として成り立っている人とかは本業があって子育てをしながらリワークスっていうSNS運用代行コースに入ってもらって、
40日間で月10万円稼がれてる方だったりとか、他にも子育てのママさんで案件を5件獲得している、
40日間で5件獲得している方だったりとかがいて、そういう方が結構いるんですね。
っていうのが現実ではあるので、すごい人だけを紹介するのではなくて、みんなが安定的に再現性高く稼ぎるっていうスクールを作りたいと思って、
今このリワークスに結構力を注いでいるのが今の僕です。
なので本当に高達生さんとかスクール生さんからはみんなに感謝してもらってて本当にありがたいだったりとか、
本当に人生の選択肢が増えたって言ってもらっていることが多いので本当にありがたいなっていう限りです。
そこからは未来のお話になっちゃうんですけども、未来のお話としてはこのスクールを本当に広げていきたいって心の底から思っているので、
どっちかというと副業したい人って月1000万円稼ぎたいとか、フォロワーする10万人目指したいっていうところが目標じゃないと思うんですよ。
どっちかというと副業したいという目的とか、そもそも思ったタイミングはもうちょっと裕福な暮らしできればなだったりとか、
音声メディアの活用
もうちょっと在宅ワークができればなみたいなイメージで始められている方が多くて、
1000万というよりかは月15万、20万、30万、できれば50万とかぐらいを稼ぎたいなと思っている方が多いなっていうのが分かっているので、
そこをなるべく再現性高くしているっていうのがこのスクールです。
だから月1000万を目指すっていうことは難しいんですけども、
50万とか30万とか20万っていうところをいかにたくさんの人がいけるかっていうところを目標にやっている講座ではあるので、
この講座を今広めたいっていうので完全に全突破しながらリソースを割いているっていうのが今の現状の僕です。
なので将来的には言ったら副業が怪しいとかSNS教育サービスそもそも全部が怪しいみたいな感じのイメージがちょっとドヨーンとしたイメージがあると思うんですけども、
そういうサービスを僕らのリワークスっていうところで唐突して、怪しい音を唐突してこの講座をいいように広げていければなと思っております。
っていうのが結構熱い思いで話させてもらったんですけども、過去と現在と未来っていうところのお話でした。
で、これなんで音声を始めたかっていうところなんですけども、僕喋るのが結構苦手だったんですね、もともと。
で、めちゃくちゃ苦手だったんですけども、結構最近いろんな人と喋るだったりとか、あとは今後も社長として喋る機会が多いと思うので、
この音声を通していろんな人とコミュニケーションを取りたいなと思ったりだったりとか、喋ることがどんどん好きになっていったっていうところがあるので、
そこを通して音声メディアでも、YouTubeとかInstagramとかTikTokやってるんですけど、他の媒体でもちょっと発信したいなと思って、
僕の価値観みたいなところももっともっと伝えていきたいなと思って、今音声メディアを発信しているっていうのがあります。
このYouTubeとかInstagramだったら、実はこう思ってました、みたいな表面的なことしか言いづらいところではあるので、
この表面上の裏側ではこう思ってましたよっていうところを伝えるのが音声メディアだったりとかになるのかなと思うので、
その価値観だったりとか、今こう動いてますというか、昔はこう思ってましたみたいなところを、実はみたいなところをざっくばらにお話ししていきたいなと思っているのが、
この音声メディアではあるので、結構楽しみに聞いてもらえればなと思っております。
今後音声で発信したいこととしては、本当に冒頭でもお伝えしたんですけども、どっちかというとSNS運用のスキルに関しても大事なんですけども、
このSNS運用とか動画編集とかデザインとかっていうもので、どっちかというとハードスキルみたいな感じで言われるものです。
ソフトスキルっていうものもあって、ソフトスキルっていうのは報告だったりとかクライアントお客さんとの話し方だったりとかコミュニケーション力みたいなところで、
人間力みたいな感じですね、どっちかというと。特化したデザインとか動画編集とかではなくて、そもそもの基盤となる人間力みたいなところをこの放送ではお伝えしていきたいなと思っていて、
どっちかというとハードスキルも大事なんですけども、このハードスキルってどっちかというと手段なんですよね。
人生の選択肢を広げる
ソフトスキルがあってからのこそのお仕事が取れるだったりとか、今後の人生が左右されるみたいなところではあるかなと思うので、
このソフトスキルを身につけると本当に個人で稼ぐだったりとか、本業でも活かせる食いっぱくれないビジネススキルだと思っているので、
ここを身につけて今後SNS運用代行はもう僕が運営していて言うのもあれなんですけども、あくまで手段だと思っているので、
そこからデザインにするのか、動画編集にするのか、他にも副業をするのか、物販にするのか、そもそも副業をしないのかという選択肢を広げていってもらえればなと思っているので、
このラジオのチャンネルとしては人生の選択肢が増えるというところをもっと多くに配信していこうかなと思っております。
その人生の選択肢を増やすためにはそもそものソフトスキルだったりとか、自分でのビジネス力みたいなところがないと選択をすることができないということだと思うので、
自分がビジネススキルがあって強いと10個中10個から選べるんですけども、そもそも自分に力がないと10個の中の自分のスキル的に3個からしか選べないみたいなところがあるかなと思うので、
なのでこのチャンネルを聞いてもらっている皆さんにも僕のソフトスキルがアップして、いろいろとうまいことを言ってというところを実感してもらいたいなと思っているので、
ここをお届けしたいなと思っております。
なので結構長くなっちゃったんですけども、まとめると皆さんの人生の選択肢が増えるきっかけになればと思ってこのラジオを今後発信していくので、
僕の経験談を元に誰かどこかから拾ってきた情報なしに発信していきたいなと思っているので、ぜひこれからもよろしくお願いします。
でも正直今後の発信、いっぱいしゃべりたいことはあるんですけども、コメントとかで教えてもらった方が皆さんこれを聞きたいんだなというのがわかった上で発信することができるので、
ぜひこのコメントをどういうことを知りたいかだったりとかを教えてもらえると大変助かります。
というわけで45分くらいになるのかな、この放送は。結構長かったんですけども、皆さん最後まで聞いてもらってありがとうございました。
またですね、今後は結構今回は真面目なお話になっちゃったんですけども、雑談だったりとか、今日の予定だったりとか、
普段の僕の日常みたいなところもお話しできればなと思っているので、気軽に聞いてもらえればなと思っております。
というわけで最後まで聞いてもらってありがとうございました。
バイバーイ。