大吉原展
2024年4月11日、そろそろ過去になりますが、今日は会社の仕事をお休みして、有休休暇をとって、一日いろいろと見てきまして、
最初に東京芸術大学大学美術館で開催されている、大吉原展というのを見てきました。
もう美術館が開いてすぐぐらいの時間、朝一番ぐらいに見に行ったんですけど、結構人がいてにぎわってるというか、混んでてね。
展示されている作品の点数も多かったんで、ザーッと見て回ったんですけど、2時間弱ぐらい見て回るだけでもかかったんで、
もっとじっくり見たりとか、イヤホンガイド的なものを聞きながら見ると、もっと時間かかるんじゃないかなと。
また週末とかで人がもっと増えてると、もっと見るのに時間かかるんじゃないかなみたいなぐらいの展示だったんですけど、ザーッと見て回っても2時間弱ぐらいで。
大吉原展という、吉原を描いた美術とか、吉原の当時の風習とか、季節の年中行事とか、
あるいは吉原を中心に花開いたカルチャーのことについての展示であったりとか、そういったものの展覧会なんですけど。
当初、一番最初、広報の部分で、宣伝の部分で、ポップな色使いっていうだけじゃなくて、吉原という場所が女性たちの、いわば売春によって、それを土台にして作られた経済都市だと。
女性たちは劣悪な環境で、売春させられていたということが、しっかりあるじゃないかと。そういう負の側面があるにも関わらず、それを結構、広報の部分ではバッサリオミットしていて、省いていて。
それで、そのポップな江戸のカルチャーが花開いた場所としてだけ押し出すような宣伝はいかがなものかということで、結構批判を浴びてまして。
そこらへんもどうなのかなと思ってたんですが、僕自身も、あの最初の打ち出し方っていうのは、結構まずいところがあるなと思いながら見てたんですけど。
実際の展示を見ると、当初の宣伝に比べると、負の側面を全くオミットしている、省いているみたいなこともなくて。
例えば、劣悪な環境で働かされていたから、当時の優女たちが吉原に何度も火付けをした、放火をしたみたいな。
そうやって、自分たちの置かれている環境のひどさっていうものを訴えたみたいな。
そういう風な事件について言及されていたり。
あと、川辺行済の作品とかも展示されていて、川辺行済は苦害としての苦しい状況、苦しい環境としての、女性にとってつらい環境としての吉原というのも描いたんだよみたいな。
そういう風な紹介も一部あったりして。
特に川辺行済の絵の中で、男たちだけ宴会で浮かれてて、優女たちはみんなそれを冷ややかに見ているというか。
なんとなくその場を受け流して見ていて、男たちだけワーワー盛り上がっているみたいな絵があって。
それは最近、朝ドラの虎に翼で、結婚式のシーンで女性たちだけがスンとしているという、そういう表現のシーンだったんですけど、それとか思い出したりしましたね。
まあとはいえね、じゃあ婦の側面、ばっちりちゃんと丁寧に説明してるかというと、そういうわけでもないかなというか、比重は少ないかなというふうに思いましたね。
その吉原という場所に、じゃあ優女の女性たちはどのようにして集められてきたのか。
そこにはどのような背景があるのかっていうところには、そんなに紹介とか説明っていうのは省いてないかなという感じがしました。
逆に言うと、ステートメントで、一番最初に飾られているステートメントとかを見て、もうそういうふうな女性がひどい目にあったことを前提にした都市である。
それに対して、女性の売春であったりとか、女性の差別、別視っていうものについて擁護するような立場の展示ではない。
ただし、そういうふうな中で生まれた美術やカルチャーで、それは現代の社会にもつながっているようなカルチャーが生まれたのは一個の事実としてあるので、
そこの部分はちゃんと美術史の中で扱うべきものとしては扱わなければいけない。
そういうバランス感覚は念頭に置いた上で見てくださいねみたいな、そういうふうなステートメントの感じではあったので、
そこで展示の中で詳しく説明するっていうよりは、そこはもう折り込み済みで見てねみたいな、それぐらいのバランスの展示ではあったかなというふうに思います。
当初のポップで押し出して完全に負の側面を省いているみたいなバランスでは全然なくて、もうちょっと温等なバランスだったような感じはしますかね。
めちゃめちゃポップなノリっていうよりは、ちゃんと吉原の成立の歴史であったりとか、成立してどのようにまた衰退していったかの歴史であったり、
それからどういう風な風習があったのかとか、年中行事でこういうのがあったとか、場所はこういう風なところにあって、こういう風な区画で分かれていてみたいな説明であったりとか、
ファッションであったりとか、それこそ蔦谷十三郎とかね、そこら辺の吉原を中心としていろんなカルチャーが生まれていったんだよみたいな話とか、
そういう風な説明を結構丁寧にやっているところがあったので、それは結構僕は落語が好きなんですけど、落語の中に吉原っていうのは結構出てくるんですが、
そういったものについてあまり知識がなく見てるんで、なんとなくで見てたので、
なるほど、この落語の中でたまに耳にする知名っていうのは、この吉原もここら辺のことを言ってるんだみたいな、そういう風な意味ですごく単純に落語を聞く解像度というか、
そこはめちゃめちゃ上がったかなというふうに思いますね、その展示を見て。
なるほど、こことここはそれぐらいの距離感なのねとか、こういう行事があるのねっていうのはすごい知識としては勉強になったかなというので、
すごい見ごたえはあって、興味深い展示だったんで、ちょっとこの時間あるときに行けてよかったなというふうに思いました。
落語カフェでの落語
で、2時間弱ぐらい、午前中に大吉原展見た後に、その後、神保町に移動しまして、落語カフェというね、神保町のとあるビルの一角にある落語会をよくやっている会場があるんですけど、
その落語カフェで平日の昼間から落語を見まして、三座と若手という会で、柳屋三座師匠が自分よりも後輩の若手の落語家さんとかをゲストに呼んでやる落語会で、
平日の昼によくやってる会で、やってるのはしてたんですけど、僕も会社員で基本的には仕事をしてるんで、全然行けてなかったんですが、
ちょうど今日は夜にもともと行く落語会の予定があって、それに梯子で行けるような落語会ないかなと思って調べてたら、三座と若手あるじゃんと思って。
ちょっと滑り込みで予約できたんですけど、やっぱり三座師匠人気なのもあって、平日でも50人ぐらい、ほぼ満員に近い。
たぶん落語カフェ4、50人ぐらい入ると思うんですけど、結構人がいっぱい入ってて、すごい盛り上がってましたね。
今日は、ゲストは松福亭理工師匠と桂吉望師匠。理工師匠は東京で活動している神方落語家なんです。
東京で活躍してるんですけど、松福亭鶴子師匠に入門してるので、東京に在住なんだけども、落語は関西弁で喋る神方落語。
桂吉望師匠は大阪の方で、関西の方で活躍している神方落語家ということで、活動しているフィールドは違うんだけども、
エリアは違うんだけれども、同じ神方落語みたいな感じで、理工師匠と吉望師匠が呼ばれていて。
理工師匠は竹野水仙という、ほのぼのした楽しい語り口で、とても面白くて。
その後、吉望師匠。吉望師匠は名前は知ってるし、人気もある師匠なんですけど、やっぱり関西の師匠なんで、なかなか見ることができなかったんで、
今日落語カフェで見れてよかったなと思いましたね。すごいスピーディなドライブ感のある語り口で、キレのある語り口で、
すごいバカバカしい話をしてまして。最後、三座師匠が出てきて、たっぷりメカウマですね。
メカウマは特に、細かい説明は省きますけど、大人様が町の町人の娘を見染めるシーンがあって、
その娘のおつるちゃんに報告を送るように、使いの者を長屋に派遣するんですね。
その長屋の連中を巻き込んで、おつるという娘を報告に出したいのだが、みたいな感じで、
大屋さんのところに行ったり、おつるの兄のところに行ったりみたいな、そういうふうなシーンがあるんですけど、
そこがものすごいドタバタで、メカウマをやるときはそこを省かれたりとか、やらないかったりするんですけど、
その前段の部分から、ものすごくドタバタコメディみたいな感じで、すごい面白くて、見応えのある楽しいメカウマでしたね。
面白かったですね。
で、もうそれで、その散々と分かっても結局、途中の間休憩入れて2時間弱ぐらいやってたのかな、の回で。
それからまた移動しまして、今度は人形町水天宮あたりの方に東京メトロに乗って移動しまして、
ギコテン落語の夕べ7
ちょっと喫茶店で時間潰してから、夜はギコテン落語の夕べ7という感じの回で。
ギコテン落語っていうのは、古典落語の世界観を踏襲した上で新しく作った新作落語。
だから現代を舞台にした落語じゃなくて、古典落語のハッサン、クマさんとかがいるような世界観をベースにした新作落語っていう回で。
今回はギコテン落語の夕べVol.7 夏の鴨江戸話2ということで、
夏の鴨さんという落語作家さんがいて、その人が作った話をこの話やってくださいということで、4人の落語家さんにお願いするという。
そういう回だったんですね。
今回第2弾だったんですけど、今回登場したメンバーが竜邸小道師匠、
それから立川断正師匠、三聖邸夢丸師匠、
そしてラストが入船邸仙達師匠。
落語知ってる人はびっくりするというか、ものすごいメンバーなんですよ。
ちょっとした新作落語の回みたいな、そういうノリで召集されるようなメンバーじゃなくて、
ものすごい若手と中堅もベテランもものすごい実力者かつすごい個性が豊かなメンバーが揃ってて、
すごい激アツの回なんですね、メンツが。
しかもそれがこの回のために、夏の鴨さんの新しいネタを覚えて披露するっていうものすごいイベントで。
これはちょっと見なきゃいけないなと思って、ちょっと見てきたんですよ。
夏の鴨さん自体すごい話がいろんな話作ってて、
どれも独特な夏の鴨さんワールドみたいなのがある話が多いんですけど、
だから最初は初めて聞く話とかは、その話の展開がどうなっていくんだろうっていう、
その話のストーリー自体に惹かれていくんですけど、
見ていくうちにやっぱり落語っていうのは演者の個性を見る芸能だなっていうのをつくづく感じさせられるというか、
その夏の鴨さんの話をどのように表現するかとか、
どういうふうに自分の落語として表現するかっていうところに、
ものすごい演者の個性の素晴らしさ、面白さ、豊かさっていうのが出てて、
落語家さんそれぞれの力量と技術とキャラクターとっていうものが存分に発揮されていて、
ものすごく充実した回だったなというふうに思いましたね。
まず前座が辰次郎さんという。辰次郎さんは前座なんで、普通に古典の手紙も必須。
やった後、劉邦小道師匠が江戸落女房。
これ江戸落女房はすごい良かったっすね。
小道師匠自体がやっぱりその、
落語というのは基本的に男性中心の社会だった、
今よりもより男性中心的な社会だった時代が舞台なのもあり、
また長らく男性中心の芸能だったわけですよ。
落語家の男女比から言っても。
その中でやっぱり女性が出てくる話を増やしたい。
また女性が中心の話、女性が登場する話の比率を増やしたいということで、
古典落語を女性の主人公に置き換えたりとか、
ちょっと改作して、何が女性が活躍できる話を増やすっていうところに、
今かなり積極的に取り組んでいるのが劉邦小道師匠で。
そういう意味で江戸落女房っていうネタは、
いろんなものを見ると、どんどん妄想とか想像が広がっていっちゃって、
生活にちょっと支障が出るレベルで、
妄想が広がっちゃうおかみさんがいて、
そのおかみさんの妄想をどうにかして解消させるために、
妄想が広がったらそれを絵に描けばいいんじゃないかと。
そしたらいつも外で妄想が広がると、
外でずっとそのことばっかり考えて、全然家に帰ってこないっていうのが続いてたんで、
でもこれを絵に描こうと思ったら家に帰ってくるんでしょうということで、
その奥さんに自分が妄想が広がってきたらそれを絵に描くように進めて、
奥さんがいろんな絵を描き始めるみたいな話なんですけど。
なんかそれがすごいくだらないことを考えてるんじゃないとか、
ベラベラベラベラ長くしゃべるんじゃないつって叱ったり、
断章師匠と立川断章師匠の新作落語
口を閉じるさせるようなことをするのではなくて、
絵に描いて表現すればいいんじゃないかみたいな提案があるっていうのは、
古典落語を舞台にしながらもやっぱり新作落語の完成だなというか、
現代の完成だなというふうにも思うし、
その妄想が広がっていくのをウキウキと語る様っていうのが
すごい小道師匠に似合っていてとても良かったですね。
ラストの落ちの着地もものすごく良くて爽やかで、
小道師匠の江戸落女房とても良くて、
その次の立川断章師匠の目掛け幽霊っていうネタがあって、
これがね、断章師匠の表現力の高さ、演技力の高さとか、
そういったものにちょっともう度肝を抜かれるというか、
長屋に引っ越してきた先に幽霊がいて、
その幽霊がもう、何で自分が幽霊になってここに残っているのかも、
自分の名前もどうやって死んだかも何も覚えてない幽霊だっていうので、
どうにかして引っ越してきたばかりの部屋だから幽霊にいられても困るから、
他の部屋行ってくれみたいな、そういう話なんですけど。
それからね、どんどん話が展開していって、
最後すごいしみじみとした要因で終わるという、
そこに至るまでの断章師匠の表現力の高さ、
ある夫婦喧嘩をするくだりがあって、
とある夫婦が夫婦喧嘩をするくだりがあって、
そこの迫力とか、そんなに怖くしなくていいじゃんっていうぐらい、
めちゃめちゃお互いキレてる夫婦喧嘩とかをやるのが、
ちゃんと笑いへの緩急の緊張と緩和の緊張にちゃんとつながってたりとかして、
いや、あれは断章師匠じゃないとあそこまで怖い感じの夫婦喧嘩やれないよなとか。
次次ネタとかをポンポンポンポン放り込んでいくのが、
よく落語家さんが古典落語のネタに次次ネタを放り込んでいくっていうのをやるんですけど、
その感じが新作落語、擬古典落語という新作なんだけども、
そこに次次ネタをどんどん放り込むことによって、
まるで古典落語に次次ネタを放り込んでいるような感触が出る。
それによって、逆算的に擬古典落語が古典っぽく見えるみたいな。
そういう入り組んだ作りというか、入り組んだ工夫がされていて、
むしろ次次ネタを付け足すことによって、
むしろその元のネタは古典っぽく見えるみたいなところがあって、すごい面白かったですね。
夢丸師匠のメタな落語と鳥野仙達師匠の梅かがむ犬
いや、断章師匠の目掛けよりはものすごい良かったです。
それから夢丸師匠の名責務という、今回の4つのネタの中ではものすごいメタな落語で、
落語の登場人物が自分が落語の登場人物だっていうことに気づいてみたいな話なんですよ。
ものすごいメタ構造の話で、すごい話としてもやるの大変そうで、
夢丸師匠自体も今まで自分がやった話の中で一番難しい話だって言ってたんですけど、
結構大変そうなんですけど、夢丸師匠っていうのがそもそも、
メタな複雑な話とかっていうよりは、もっと単純なシンプルなコミカルな話とかを、
ものすごいエネルギーとパッションとテンションを乗せることによって、
独自のグルーヴを生み出して、ものすごい爆笑の話に仕上げていくみたいな、
そういうのが得意な人なので、一見メタな構造の話とはミスマッチなのかなと思いきや、
こうやっていくと、メタ構造に混乱している主人公の感情がどんどん乗ってったりとかして、
すごいコミカル、ホラーコメディーみたいな、
ちょっとシュールなホラーコメディーみたいな話として、
その名責無というネタのポテンシャルをまた上げているような感じもあって、
とても楽しく見れましたね。
そして鳥野仙達師匠、入船亭仙達師匠の梅かがむ犬というネタなんですけど、
新作落語とか創作落語ってイメージとして話を組み立てていかなきゃいけないので、
あんまり無駄な時間というより余白みたいな、あんまり意味が生じてない時間みたいなのって、
そんなに新作落語だと潰して、なるべくそのシーンごとにちゃんと意味を入れていくようなイメージがあるんですけど、
今回の梅かがむ犬は元々の台本がそうなのか、
仙達師匠のアレンジでそれぐらいそんな感じになっているのかわかんないですけど、
例えば花歌を歌いながらゆっくり煙草を吸う時間とか、
あと梅の花をゆっくり見上げる時間とか、
そういう余白的な時間というのがきっちり落語の中に織り込まれていて、
それがものすごく古典落語でしか存在しない時間というか、
すごい余白的なシーンの入れ方が新作落語っぽくない入り方してて、
すごいそれが見てていいなというふうに思いましたね。
あるお茶屋を舞台して看板娘と犬が出てくるお話で、
すごい可愛らしいお話でありつつ、おかしい部分がちゃんとありつつ、
構造的にちょっとね、ちゃんとコント的に面白い部分もありつつ、
それでちょっと最後は切ない要因で終わるみたいなものすごいいい話を、
すごい一流の入船艇船達師匠という落語がめちゃめちゃ上手い師匠、
もうすごいバカみたいな言い方になりますけど、
マジで落語がめちゃくちゃ上手い師匠なんですけど、
入船艇船達師匠というのはもうびっくりするんですけど、
この人がやることによって、ものすごく要因のある話として楽しく聞けて、
すごい充実感のある落語会でした。
なんでね、今日はマジで休んでよかった会社。
会社マジで休んでよかったUQ休暇取って。
やっぱり休むもんっすね、仕事っていうのは。
明日1日また仕事行かなきゃいけないっていうのが本当に信じられないんですが、
今日は1日楽しくやったんで、明日は我慢して仕事しようかなというふうに思います。
明日乗り越えれば土日があるんで、また会社休みがあるんで、
また渋谷落語とかも行こうかなと思ってるんで、
引き続き落語はまた見に行きたいなというふうに思ってます。
今日は長々バーッと喋っちゃったんですが、
そんな感じで僕が今日は1日楽しかったんだなっていうことだけ伝わってればいいです。
楽しい1日でした今日は。
いろいろ見てね。
やっぱり1日休みがあるとこれぐらいいろんなもの見れるんだなって改めて思いましたね。
それぐらい楽しい1日でした今日は。
ということで明日からはお仕事また頑張ります。
今日のところはおやすみなさい。