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始まりました、アートテラー・とにのそろそろ美術の話を。
この番組は、アートテラー・とに私がですね、
アートに関わる方をゲストにお迎えして、
トークを繰り広げるポッドキャスト番組です。
本日は大田記念美術館、
定石学芸衣渡辺昭さんをお迎えして、
浮世絵について話していきたいと思います。
ということで、改めまして渡辺昭さんです。
お久しぶりです。
お久しぶりです。
以上、いやなんかもう少し言ってくださいよ、なんか。
そんなにしかも今台本に書いてあったから、
お久しぶりですって言ったけど、
先月も会ってますしね。
そうですね、よく会ってます。
僕、いろんな学芸さんとお仕事させていただいてるけど、
たぶん一番お仕事してる人ですもんね、渡辺さんが。
こんなにやるのかっていうぐらい、
しょっちゅう仕事してますね。
嫌なんですか。
嫌々感がすごいです。
ということで改めまして、
二人でこうやって喋るのは珍しいじゃないですか。
いつもお客さんがいますからね、今回は。
差し出ということですけども、
改めて自己紹介をよろしくお願いいたします。
原宿にありますですね、浮世絵専門の美術館で、
大田記念美術館っていう美術館がありまして、
そこで学芸員というのをやってます。
学芸員というのをみんな知ってると思います。
学芸員はさすがに。
でも今、さらっと出ましたけど、
僕はもう何度も言ってますけど、
大田記念美術館って改めてどんな美術館なんですか?
あのですね、ここら辺でも結構少ないんですけど、
浮世絵の専門の美術館でして、
書像がですね、14000点。
コレクションがですね、
後代大田製造っていう実業家さんが
集めたコレクションっていうのが12000点ありまして、
そこから、
昭和55年に開館したんですけれど、
原宿の場所で開館したんですけれども、
そこからまた書像品がだんだん増えまして、
今14000点。
毎月ですね、いろんなテーマを変えて、
展覧会を企画して、
浮世絵を普及させようということで、
頑張ってます。
今年開館何年目になるんですか?
えっと、
1980年開館で40周年を今年迎えました。
そうですよね。開館40周年ってやってましたもんね。
そうなんです。その担当でした。
今それをさらっと出るのかなと思ったら、
計算し直してるからね。
さっきチラッと出ましたけど、12000点って、
それは結構世界的に見ても多い方なんですか?数としては。
そうですね。数で言っても、
例えばですね、ボストン美術館も数万点という規模の
があったりとか、
例えば日本ではですね、長野の松本にある
日本宇系博物館っていうのがあるんですけど、
そこはなんか10万点くらいあるという。
世界的にもすごく
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数としても多いコレクションですし、
あとはすごくバランスがいいという
評価があって、
時代もいろんな時代を幅広く持ってるし、
絵師も割と偏りがなかったり、
版画も持ってて肉筆画もいっぱい持ってたりとか、
そういう風に、
すごく偏りがないコレクションと言われてます。
改めてなんですけど、
ここだけで見ると私立美術館ですか?
そうですね。私立の私立美術館なんですけれども、
美術館にもいろいろありまして、
公立美術館、公立でもね、
国立美術館とか国立博物館もあれば、
東京都のね、
都立もあり、区立もあり、
その中で私立という国なんですけれども、
東京で言えば、
例えば井出光美術館さんですとか、
山谷美術館さんですとか、
禰豆美術館さんですとか、
いろいろ私立の美術館っていうのも、
サントリー美術館さんなんかは企業ですよね。
いろんな美術館ありますけど。
いわゆる企業美術館とは違うんですか?
公益財団法人という使いなんですけれども、
もともとは、
コレクターの方は東宝生命というのが今はない、
保険会社の会長さんをやってた方なんですよね。
その方が生きてらっしゃる時に、
美術館でできたんですか?
古代太田製造さんが亡くなった後に、
美術館できたんです。
というのも、太田製造さんという方が、
生前はあんまりコレクションを、
人に見せなかったという、
コレクターの方には結構あることなんですけど、
全貌はあんまり知られてないというのは、
結構ありますね。
特に太田製造さんはすごいものを持っていると言われてたんですけど、
生前には少し展覧会をちょこっとやるぐらいで、
あんまり親父に触れなかったので、
亡くなった後に、
遺族の方とか研究者の方が、
全貌を知って、ものすごいクオリティで驚いたという。
すごいコレクションだぞと。
こんなにすごかったんだということで。
それで美術館を作った方がいいってなったってことなんですね。
そうですね。遺族の方とかいろんな方の努力があってだと思うんですけど、
数年後に美術館ができる。
大竹念美術館って原宿にあるじゃないですか。
海外のお客さんって多いんですか?
かなり多くて、
ラスト十数%来てて、
住人に一人は外国の方?
そうですね。日によっては、展示によっては、
半分とか行くときがあるみたいで、
時期にもよるんですけど、
イースターの時期とか、イースター休暇の時期とか、
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外国人の方が増える時期があるんですよ。
半分ぐらい外国の方が来てると、
受付の方の間隔で言うと、
ほぼ100%外国人みたいな。
9割方外国人みたいな感覚になるらしいです。
大竹念美術館受付あるあるなんですね。
外国人の方の方が、
印象深い方ですかね。
外国の方向けに、
キャプションを英語にするとか、
そういう工夫はしてるんですか?
常に事務の職員の1人、2人と、
英語ができる人を入れてまして、
外国の方が見て、
分かりにくい作品とかには、
キャプションを英語に訳すっていうのを、
昔からやってます。
コロナがあったわけじゃないですか。
外国のお客さんって減っちゃうんですか?
ほぼゼロになりました。
いつ戻るかってことですよね。
どのような仕事をされてるんですか?
学芸員というのが、
先の展覧会の準備をしている人。
一番大事な仕事としてはですね。
美術館は毎月毎月、
別の展覧会をやっていかなきゃいけないので、
常に出し物を出し続けていく。
その準備をする人が必要で、
うちは3人の学芸員で、
合わせてるんですけど、
年間に8,9本くらい展覧会やってて。
多いですよね。普通に考えたら。
大体の美術館って4,5本でも多いぐらい。
3本のところとかもあると思いますし。
なんで8本も8,9本になっちゃうんですか?
浮世絵っていうのがすごく光に弱い。
保存が難しいというのがありまして、
ずっと展示してしまうと、
色が合わせてしまうっていうのがあるんですよね。
なので、うちは1ヶ月に1回必ず
その作品を取り替える。
例えば2ヶ月続きの展覧会があっても、
2ヶ月通しで出る作品は1点もないっていうルールでやってるんですよ。
全特解すると。
でもそれで言ったら1年間で、
例えば1月の展覧会に出したやつを、
7月の展覧会に出すとかっていうのもできないってことですか?
そういうこととしては、
1回出したものはかなり寝かせるっていうのがありまして、
ローテーションを厳しく管理してまして、
特に名品になるとも数年出さないっていうことはあります。
それも考えてスケジュール考えつつ、
企画も考えなきゃいけないってことですよね。
出せるものも決まってくるわけですよね。
だから去年出しちゃったらちょっと出さないでおこうかとか、
あと江戸時代の浮世絵の時代によってもね、
違うんですけど、
絵の具が古い時代ほど弱いんですよ。
だから結構植物性の顔料とかを使ってたり、
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染料とかを使ってたりっていうのがあるので、
例えば青なんかはすごく弱いんですよね。
なので、
そういうのは特に気をつけるとか、
ただ明治時代の作品になると、
西洋の化学性の顔料とかを使ってたりするので、
その時代になると、
割と1年ぐらい空ければいいかなとか、
強めなんですね。
他にやる仕事ってあるんですか?
展覧会を企画する以外に。
一応、
まず収蔵品を大事に管理していくっていうのが、
もう一つ大事な仕事ですよね。
作品をさっきの展覧会で、
すぐに出さないとかっていうのも一つのことなんですけど、
その作品を、
コレクターさんが集めたものをずっと大事にして、
次世代に伝えていくっていうのが大事な仕事の一つですよね。
あとはそういうのの研究、
収蔵品を日々いろいろ調査したりとか、
論文を書いたりとか、
そういう研究職っていう爪もあります。
論文ってどれぐらい書いてるんですか?
論文は、
大体の展覧会のカタログを作ると、
大体その関東に論文を書くんですよ。
書いてありますよね、いろんな文章。
あれが論文に当たるんですか?
そうですね、あれも論文に当たるので、
あれ書いたり、あと器用っていう論文集みたいのも出してるので、
それにちょこちょこ書いたり。
1、2本っていう感じですかね。
岡田さんはテレビとか新聞とかの
オファー多くないですか?
やたら渡辺さんをテレビ越しに見るなって。
しょっちゅう出てますよ。
多いですよね。
浮世絵って人気あるんで、
テレビ向けなんでしょうかね。
すごく取材したいって話が多くて。
浮世絵を取り上げるってなると、
だいたい大滝の美術館にオファーが来てるんですね。
そうですね、何個かあるうちの1つだと思うんですけど。
これ学科技術の3人いらっしゃるじゃないですか。
誰が出るっていうのは順番制とか決め方はあるんですか?
その時の雰囲気でっていうか。
ノリみたいな感じ。
どうしても俺これ出ないとかはないんですか?
そういうわがままなことは言わないんですけど、
なんとなく出るみたいな感じで、
ひたの上司の方から言ってもらったりとか。
そういう感じなんですね。
いろんな仕事があるわけですよね。
大滝年美術館といえばそうなんですけど、
Twitterが最近すごくないですか?フォロワー。
Twitterもかなり前からやってまして、
すごく力を入れてるんですけど、
最初の頃はすごい様子見で、
なんとなくやってたんですけど、
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だんだんだんだん1万を超え2万を超えてどんどん増えてきて、
最近はですね、
上司がすごいんですよ。
Twitterのまめにずっとやってて、
かなりこんなにバズってるアカウントあんまないんじゃないかっていう。
美術館のアカウントとしては?
美術館としてもですし、
3万というリツイートとかが来るのを結構頻繁に最近やってます。
フォロワーが13.7万人現時点で、
収録の時点でってことですけど、
これ一気に増えた感じなんですか?
ずっと地道にっていう感じで、
ちょっとずつちょっとずつ増えてきて、
ある時期まではどんどん右肩上がりで増えてたんですけど、
10万人とか11万人とか超えたあたりから増えにくくなってきたんですけど、
さらに今年になって上司がコロナの時期に、
例えばお家で浮世絵っていうステイ候補に合わせて、
美術館行けない人も浮世絵を家で楽しめるっていう企画をTwitterでやったりとか、
いろいろ仕掛けをしまして、
結構今年になってからかなり増えました。
これは気になった方は是非フォローしていただきたいなと思うんですけど、
僕は知ってるけど改めて聞きたいなと思うんですけど、
どんだけ美術館のTwitterのアイコンが謎のキャラすぎるじゃないですか。
これは僕はちょっと知ってますけど、改めて教えてもらっていいですか。
Twitterのアイコンがトラ小石っていう。
トラの小石は子供の子に。
トラに子供の子に石って書くんですけど、
あれが幕末の宇多川義一っていう浮世絵師さんの作品に出てくるキャラクターなんですね。
もともと全く知られてなかったんですけど、
うちにその書像があって、浮世絵動物園っていう企画をやった時に、
これは渡辺さんが僕最初に出会った時の展覧会です。
最初に出会った時の仕事です。
そこでこれいいねって話になって、
とにかく石に手足が入って、トラの尻尾が入っているだけなんですけど、
すごい可愛いんですよ。
気持ち悪くて可愛いんですよ。
個人の見解です。
僕はもう痛く気に入って、
館内で作るポスターとかにもトラ小石をいっぱい散りばめてもらって、
全然メインの作品ではなかったんですよね。
当時としては。
その時期に、ちょっとしてからかな、
Twitterをやることになったんで、
最初にTwitterのアカウントの立ち上げを僕がやったので、
その時にアイコンを何にしようかなと思った時に、
トラ小石にしたんですよ。
そこがまず変ですよね。
普通は美術館の外観写真とかロゴとか、
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なんなら浮世絵だから北斎とかある中で、
これを選んだと。
1万4千点作品ある中。
1万4千点の中でもトラ小石しかない。
誰がわかんねんって話ですよ。
にしてたわけですよね。
好きすぎて。
好きすぎて。
それで後にいろいろやっていくうちに、
トラ小石部長っていう役職。
部員いないでしょ。
部員いないんですけど役職にも就いたんですけど、
ずっとだんだんフォロワーが増えてくるわけですよ。
そうするとやっぱりね、
1万人、2万人超えてってなってくると、
ちゃんとした公式アカウントだし、
これトラ小石の話じゃまずいんじゃないの?
っていう空気が出てくるわけですよ。
みんななんだこれと思ってますよね。
その当時はね。
でも、一回ちょっと変えられちゃうんじゃないか、
みたいな実況ちょっとあったんですけど。
さすがにこれはと。
トラ小石部長をもってしてでも守りきれなくなる日が。
でもその時期にミュージアムウィークっていう、
毎年あるやつで。
これはGoogleでしたっけ?
全世界の美術館が参加して、
Twitterでやってて、
ハッシュタグMWですね。
ミュージアムウィークで、
月から日曜日までに毎日テーマが違うんですよね。
美術館の秘密を教えてくださいとか。
世界中の館がつぼやくっていうキャンペーンですよね。
そのキャンペーンの中で、
うちの美術館がツイートした中でも、
トラ小石部が2000リツイートとかだったかな。
結構いいリツイートが来たりして、
世界中の美術館がつぼやいた中で、
うちの美術館がかなり上位にランクしたんですよ。
1週間のリツイートランキングみたいなのが最後に出るんですけど、
そこで1位の大英博物館とか、
ルーブル美術館とか、
そうそうたる世界の美術館が、
ランキングに並んでいる中で、
3位だか4位だか、
5本の指の中にトラ小石のアイコンが並んだんですよ。
すごいことですよね。世界が認めた。
世界が認めた。
その辺りからトラ小石、
いいよね、このまま行こうかみたいな。
一番最初に渡辺さんとお会いした時に、
すごいトラ小石をしてて、
その時まだ面識もなかったから、
変な人だなと思ってたんですけど、
グッズをずっと作りたい、作りたいって言ってて、
一番作りたいのは何だったんですか?
一番作りたいのはぬいぐるみなんですよ。
トラ小石のですね。
トラ小石ぬいぐるみはずっと作りたくて、
まだ実現してない?
まだ実現してないんですけど、
そろそろちょっと、
英商っていうぬいぐるみのいい会社があるんで、
メールしようかなと。
いろいろちょっと最近。
なるほど、はいはいはい。
というのも、
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まず最初にグッズになったのが、
シールだったんですよ。
はいはいはい。
それは館内で発注して、
気軽に1ロット100枚とかで注文できるので、
これだったらいいよっていう嬉しさが出たので、
それすぐ売れちゃって、
その後に、
かなり別の人がマスキングテープを
作ってもいいんじゃないってことを言ってて、
広茂のかわいい猫とかと一緒にマスキングテープを。
それは今でも売ってるんですけど、
そんな感じで2つグッズになってて、
そしたら最近、
ソフビの会社がトラ小石作りたいって言って、
監修してくれませんかって来たんですよ。
それは大滝伸美さんのグッズとして作るんじゃなくて、
市販されるんですか、トラ小石。
それで、
でもモデルみたいなのが来たんですけど、
あんまりかわいくないように見えたんですよ、
その時は。
はいはいはい、部長としては。
監修だと色々手直しとかやり取り大変そうかなって、
これもう今使えない話になってきてるかもしれないんですけど、
それで監修断っちゃったんですよ。
そしたら最近、
そのソフビが千葉市美とか、
新美とかで扱ってるっていうことが分かって、
え、それ知らなかった。売ってるんですかもう。
なんか売ってるみたいで。
しかも新美にも千葉市美さんも結構おっきいコレクション持ってるけど、
トラ小石持っての絵はないですもんね。
そうなんですよ。
千葉市美も。
なのに。
なのに、なんか。
手を離れてっちゃった。
僕はそのトラ小石をずっと、
仕事の机の本棚に置いて、
毎日過ごしてたんですよ。
断った後も。
試協品的なやつ。
試協品を本棚に置いてずっと、
毎日目が合うんですよ。
目ないですけどね。
ずっと仕事してたら、
ある日、トラ小石がゴミ箱に落ちてたんですよ。
どんな話?
トラ小石自殺したと思って。
見捨てられたから。
そこら辺からすごい愛着湧いちゃって、
だんだん可愛く見えてきて、
祖父美が。
一回手放したのに。
最近、新美術館で売ってるって話聞いてから、
監修断らなきゃよかったって、
すごい後悔してるんですよ。
でも渡辺さん的には、
もっといい形はあると思うんですよね。
口が2つに分かれてるように見えるので、
そこを1個にしてほしいって言えばよかったと思って。
意外と楽なあれでしたね。
めんどくさいって言うから、
もっとここの形はこうでとか、
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いいのかと思ったら、
口だけだったんです。
でも渡辺さんの理想は、
祖父美じゃなくて、
もふもふとした。
もふもふとしたぬいぐるみを、
SM、Lくらいの3種類。
枕サイズと、
30センチくらいの、
いい感じのサイズと、
ちっちゃいやつっていう。
3種類出したいんですよ。
これだから新美とか千葉新美って、
どれくらい売れてるかですよね。
そうそう。
これはだから、
本家本元の渡辺さんが作って、
部長、工人みたいなのどっかに入れて、
売り出して、
元祖はこっちだ感を出したら、
いいですよね。
今度こそ監修したいなって思ってます。
そんなトラコイジをぜひぜひみなさん。
出る予定はあるんですか?
しばらく。
元の絵といえば。
ちょっとしばらくないかな。
そういうのはホームページで、
チェックしていただけたらと思います。
改めて浮世絵について、
聞きたいですよね。
そもそも浮世絵って何ですか?
浮世絵っていうのは、
言葉の意味としては、
浮世の絵って書くんですけど、
ぶっちゃけると、
その時の流行を描いてる絵っていう意味合いなんで、
江戸時代の当時の流行を描いて、
それが浮世絵っていう。
浮世っていうのは当時の、
当世風でしたっけ?
はい、当世とか、
今の世の中みたいな意味がするので。
ちょっと言い訳すると、
トレンディーみたいな。
トレンディー的な。
ドラマ的な。
トレンディーな絵。
制作技法とか、
時代とかその辺も改めて。
そうですね。
浮世絵もですね、
17世紀、
1600年代の後半ぐらいから、
明治時代から続いて、
大正時代にちょっと盛り返した、
すごく長い歴史があるんですけど、
ざっくり言うと、
技法的には、
最初は白黒だったんですよ。
今だから僕らがパッと思い浮かべるのは、
国際とか、
広島だから色綺麗ですけど、
もともとは白黒。
まず版画がすごく多い。
肉質画って言うんですけど、
筆で、
元からカラーで、
浮世絵師の人が一人で仕上げた、
っていうタイプの絵もあるんですけど、
皆さんが結構知ってるような、
国際とか広島の有名な絵っていうのは、
大部分版画という、
木版画の技法で作られてます。
これもだから、
広島とか国際が全部やってるわけじゃないってことですね。
そうなんです。
分業してるってことですよね。
はい。
浮世絵師さんっていうのは、
下絵を描く人なんですよね。
なので、
モノクロの筆で、
墨一色で下絵を描いて、
それを、
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それを堀石さんに渡して、
堀石さんが、
版下絵を堀石さんに浮世絵師が渡して、
版木を作って、
すり石さんが、
3つの立場から、
分業でやっていくものなんですけれども。
画材とか、
だから印刷とか、
そういうことですよね。
そうですね。
最初はモノクロだったんですけど、
モノクロだと味気ないので、
最初の頃に、
筆で色をつける。
墨で輪郭線をすって、
そこに筆で色をつけるってのが始まるんです。
塗り絵のような感じですね。
塗り絵のような感じ。
モノクロがたくさんできてきて、
それぞれの職人さんが筆で色をつけてた。
そうですね。
最初は。
モノによっては丁寧に塗ってて、
綺麗なものとかも初期の受け入れにあるんですけど、
やっぱり一枚一枚色を塗るっていうことは、
量産するの大変ですし、
すごい手間がかかるので、
その次の時代には、
1700年代の中盤くらいになるんですけど、
2、3色くらい、
すりで色を重ねられるようになるんですよ。
カラー印刷の仕組みみたいな、
赤の半と青の半と黄色の半を足して、
みたいなことですか?
そうですね。
2、3色、多色ずりっていって、
色を重ねられるようになったので、
少しカラフルな時代になったんですよ。
ただその頃は、
例えば年賀状とかで、
カラーでする人とかいるじゃないですか。
あれだと結構色がちょっとずつずれてたりするじゃないですか。
プリントごっことかでやると。
プリントごっことかだと。
そういう現象が結構その頃の受け入れだとあるんですよ。
だからちゃんと合わせてるつもりだけど、
擦った時にずれちゃう。
ずれちゃってて、
赤とか緑の色がよく使われるんですけど、
その2つの色がちょっとずれちゃってるっていうのは結構あります。
ミスっぷりみたいなことなんです。
3色まで。
それはどうやって精度が上がっていったんですか、最終的に。
それがですね、
明和時代っていう、明和2年っていう年に。
千何年くらいなんですかね。
1765年になるんですけど、
鈴木春信っていう経営者さんが中心になって、
二色経という完全多色ずりの技法が生まれるんですよ。
これはもう今まで3色、2色だったのに何色くらいになるんですか。
理論的にはいくらでもっていう。
何十色でも重ねられます。
その秘密っていうか、
なんでずれなくなったかっていうのが、
剣刀っていって、
扇に鍵形の引っ掛ける部分みたいなのをつけるっていう技術が生まれて。
右下とか左下とかどっかに。
そうですね。
2箇所くらいに鍵みたいにつけて、
そこに紙を合わせる。
鍵ってことは要するにL字にしてるってことですね。
L字と直線の2箇所。
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そこに紙をカチャッと。
カチャッとこう。
装着すればずれない。
はい、それでずれないっていうシステムができまして、
今剣刀、剣刀違いとかね、
そういう言葉があります。
剣刀をつけるとか。
剣刀をつけるとか。
一応剣刀って言われてるんですけど。
でもそうして色んなカラフルになってって、
例えばどういうジャンルがあるわけですか?
カラフルになって、
最初は一番人気ジャンルとしては役者絵と美人画っていうのがあるんですよ。
役者絵っていうのは歌舞伎が大人気だったので、
お芝居の毎月の上演とか、
あと役者さんのブロマイド的なのを出すっていうのがまず一個あって、
あとは美人画っていうのは、
その時の人気の優女さんとか、
街のかわいい子とか、
芸者さんとかそういうのを題材にして、
それも人気。
そういうのをどういう人が買うの?
需要はどこなんですか?
層としては。
値段としてはすごく安かったと言われてまして、
例えば16問以下でなるべく売りなさいとか、
それは誰が言うんですか?
幕府が言うんですけど、
おふれみたいなのが出て、
16問以下で売りなさいとか、
あとは幕末の頃の記録だと、
1枚20問で大判1枚つって、
今でB4番くらいの大きさなんですけど、
それを売ってたっていう記録があったりとか、
16問とか20問って、
今の金額はだいたいいくらくらいになるんですか?
当時お蕎麦いっぱいが16問だった時代とかがあったりして、
今でいう数百円っていう感覚なんですよね。
雑誌ぐらいの感覚ですかね、買えるとして。
ジャンプ買ってる感じ?
ジャンプとか、
雑誌、コミック感覚で、
中にはもちろん高級品っていうのもあったみたいで、
何千円とか、
ちょっと上の金額で売ってたらしいっていう絵もあるんですけど、
いろいろだったと思うんですけど、
一般的なやつはそのくらいの数百円感覚で買える。
それはどういうところで買ったりとか売ったりとかっていうのをしてたんですか?
絵造師屋さんっていうのがあって、
本屋さんみたいなのがあるんですよね。
江戸時代に出版社が、
今で出版社って半元って言うんですけど、
今でも出版業界で半元って言葉を使うらしいんですけど、
それがものすごい数あって、
そういうのを調べてる人の本だと、
1000件以上カウントされてるんですよね。
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それは江戸時代通じてなんで、
ただ同じ時代にもかなり何百件ってある。
たぶんあったと思うんですけど。
その中でも一番売れっ子の出版社とか、
有名な出版社って例えばどういうのが?
有名な出版社としては、
鶴屋っていうんですよね。
鶴屋経文っていう。
あと西村栄八っていうのとか。
いわゆる社長ってことですか、その出版社。
社長の名前ですね。
あとは皆さんも聞いたことある、
TSUTAYA JUZABUROっていうね。
レンタルビデオのTSUTAYAの語源になった人。
そこら辺は今でいう小学館とか、
衆営社とか公団社とか、
そういう感じですよね。
結構その大手の反元同士で、
誰を起用するとか。
TSUTAYAが社楽出したら、
西村栄八は豊国を使って対抗するとか。
そういう戦争になるわけです。
ライバル社同士の。
こっちはこういうの出したら、
こっちはぶつけるみたいな。
鳥山明先生はここが。
そうそう。ジャンプは鳥山明先生で。
ジャンプだけみたいな。
ことがあったわけですよ、当時。
大体それで一回社楽が作るとしたら、
何枚ぐらい作るんですか。
ものによるんですけど、
例えば風学36系とか、
やっぱ数千枚っていうか、
刷られたっていう風に。
一段一絵というか。
じゃないかっていう風な予想もあるし。
あとは、
ひっかりとした記録が残っているものとしては、
国吉の絵で8000枚刷ったっていう絵とか。
8000枚。
それが何十枚かセットのものなんで、
全部で40万8000枚だかな。
ぐらい売れてるってことですね。
そういう記録が残ってたりとか。
膨大な数。安いとはいえとですね。
そこで気を付けるっていうか、
そこでよりすごいのが、
それ全部手摺りで、
職人さんが彫って刷ってるってことですよね。
今の印刷機で結構40万枚って、
結構な数だと思うんですけど、
それを手でやってるっていうのがやっぱすごいですよね。
でも今の出版だったら、
人気があったら初版が2番目、3番目みたいになるわけじゃないですか。
浮世絵もやっぱり人気があると、
追加で刷られることもあるってことですよね。
そうですね。
例えば、広瀬家の東海道53釣りとか、
多分長く刷られたんじゃないかって考えられていて。
何パンも重ねられたってことですか。
増刷増刷みたいな。
だんだんそうすると、
藩木っていうのは、
刷れば刷るほど削られていくんで。
木ですからね。
擦りが悪くなってくるんですよ。
ものすごい粗い擦りまであるっていうか、
あったりとか。
33:00
やっぱり出版とかもそうですけど、
初版の方が価値は高いってことです。
そういうの浮世絵では書擦りって言うんですけど、
そういうの結構、
単に擦りが綺麗とか、
彫りが綺麗とか、
そういうのもあるんですけど、
明確に書擦りだって言えるやつもある。
明確にっていうか、
明確にすごい速い擦りだって言えるのもあって。
例えば、かんばらっていうやつあるじゃないですか。
宇鷹広茂の東海道五十三次のかんばらを描いた絵。
東海道五十三次の中でもすごく有名な絵で、
雪の中で、
雪が積もってる中で旅人が歩いてるみたいな絵なんですけど、
それが、
ぼかしの描け方が上と下、
2種類あったりするわけですよ。
で、
上から、
上から?
わかんない。
上に雲みたいなものってことですか?
ぼかしって。
その向きによって書擦りって分かったりとか。
でも、やっぱり出版、今の本のように、
どっか裏とか見たら書版とか書擦りとか書いてあるわけではないんですか?
そうなんですよ。
だから、今だったら、
版画する人とかって、
ナンバーつけるじゃないですか。
今の作家だったら。
いわゆるエディションみたいな。
エディションみたいな。
何分のいくつみたいな。
それはないんで、
擦りの状態とか彫りの状態とか、
あと色がどうだとか、
そういうので判断しなきゃいけない。
限りなく書擦りに近いとか、
そういう大体の予想はつくんですけど。
それは大滝似美術館さんが持ってるコレクションの中にも書擦りのものが結構あるんですか?
そうですね。
早い擦りっていうか、すごくいい擦りっていうのは、
いろんなジャンルでありますね。
例えばね、名刺絵の百景とか、
有名な広杉の作品あるんですよ。
それなんか結構ね、うちのは割といい。
まあなんかいろいろあるんですけど。
あるんですね。やっぱりそういうものが。
今回ちょっといろいろ他に聞きたいなと思うんですけれども、
浮世絵と作家性というテーマでちょっと聞けたらなと思うんですけど、
浮世絵ってやっぱりたくさん売れるものを描くんですか?という。
人気があるものをやっぱり描く。
そうですね。かなり今の漫画の価値観に似てると思うんで、
阪本さんの社長さんが結構プロデューサー的な人が
勤めてるって場合が多いっていうか、
千田谷ヒューザブローさんなんかも、
たぶんすごいアイデアマンで、
いろいろアイデア出したの、いろんな斬新な売れるアイデアっていうのを
常に考えた人なんじゃないかっていう風に言われてまして、
なんで、阪本さんが売れるものも出したいし、
あとは絵師の方でも好みがあるので、
そこら辺をうまく協力して、
いい形を探ってたんだと思うんですけど。
浮世絵の歴史が長い、300何年あるとして、
一番のヒット作は何になるんですか?
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一番のヒット作はやっぱり、
富学三十六計とか東海道五十三次っていうのはやっぱりすごく、
絵の歴史の中でも数も出たものなんだろうなと思います。
あとはやっぱり時代によってだんだん出版数が増えていったみたいにして、
やっぱり幕末の方がいっぱい出たみたいなので、
さっきの国吉の八千枚っていう記録とか、
あとは国貞っていう人が東海道と役者さんを
売れ線の東海道に役者さんを描くっていう、
売れ線対売れ線を掛け合わせるみたいな作品を出すんですけど、
それも一枚あたり3千枚、4千枚平均で、
一番売れたのは7千枚で、
それが140枚くらいのセットなんですよ。
全部合わせるから。
今知られてるのが140枚くらい出てるんですけど、
単純計算でもやっぱり40万枚以上出てる。
なるほど。
でもやっぱり東海道が人気になると、
他の人も東海道を描いたりとかそういうこともあるんですよ。
ビン状みたいな。
もうね、ビン状ビン状の世界です。
さっきも豊国の斜楽の話もしましたけど、
斜楽がバーンってスタイラーが売り出したら、
もう役者が描いたわけですよね、斜楽が。
西村絵が豊国で対抗作を出すし、
同じ役者絵で勝負するんです。
そうですそうです。
あとは宇多摩呂が出たら、
長文座英史っていう。
宇多摩呂が結構大人っぽいっていうか、
すごい色気のある女性を描くと、
長文座英史っていう人は、
ちょっと清楚な女性。
美人画でも別の。
美人画でも、そう。
いろんな好みの人がいるじゃないですか。
ちょっと僕は色気ある、色気ムンムンな人が好きだけど。
急に何の話?
僕じゃないですよ、僕じゃないですよ。
当時の人が。
江戸の人今なりきったんですね。
これは急に渡辺さんが急にぶっこんできたから。
僕は西村の方がいいよとか、
いろんな人いるわけですよ。
趣味も全然違うし。
そういうニーズに合わせて、
考えて出すのかなとか。
なるほどなるほど。
でもやっぱり当然だけど、
漫画とかもそうですけど、
市に残ってない、売れなかった浮世絵もたくさんあるかもしれないですね。
もうめちゃくちゃありますよ。
本当に浮世絵展で紹介される絵っていうのは、
特にもうちょっと2,30年前とか、
ちょっと前の時代だと、
宇多摩郎とか、
シャラクとか、
広重国際とか、
六大浮世絵師っていうのがあって、
あと清永と春野とか。
そういう時代、
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古めの時代の方が、
やっぱり名品っていう時代が長く続いていたので、
江戸でも初期とか中期ぐらいだと思う。
そうですね。
割と最近になって、
国吉とかが人気出てきたりとか、
あと、
いわゆる名品的な時代のものと、
正反対の、
例えば、
スゴロクっていうのは、
スゴロクって、
浮世絵師がゲーム版を描いてたりとか、
例えば、
図鑑みたいなのもあるんですよ。
虫の図鑑とか魚の図鑑みたいなの。
一枚で、
そこの一枚に、
いろんな虫描いて、
そういうのを子供向けに売ったりとか。
だから、いろんな用途が増えてくるんです。
ジャンルとしても子供向けのものが。
当時としては、
今でいう雑誌とか、
教科書とか、
いろんなものを兼ねているものが浮世絵なので、
そういう、
今でいうギャグ漫画的な
ギガっていうものもたくさん出てて、
例えば国吉なんかは、
すっごくくだらない、
ダジャレ満載の、
なんかいろいろ、
狸が、
なんかいろいろ悪ふざけするとか、
大体80時期って言って、
狸のなんか、
狸の、
卵ですとね。
それがいろいろ、
それで餅つきしてる絵とか、
いろいろくだらないのがある。
そういう、
いろんなもの、
実用的な図鑑から、
くだらないもの周り、
いろんなものがあるんだけど、
なんで、
なんの話でしたっけ?
自分で知り始めて知らんがな、
いろんなジャンルが、
僕らがイメージする、
風景画とか美人画とか、
役者だけじゃなくて、
本当にいろいろとある、
出版である以上。
僕もあれありましたよね、
広瀬が描いた、
宴会芸のやり方みたいな。
当時の人たちが、
忘年会が近づくと、
サラリーマン的なのが、
それ見て覚えたんでしょうね、
とかいうのもありますもんね。
イメージしながら酒を飲むとかね、
そういうくだらない絵があるんですけど。
さあ、ということで、
そろそろあれですけど、
渡辺さん、展覧会いろいろと担当されていると、
思いますけど、
今準備中の展覧会というか、
今準備中なので、
江戸の土木っていう展覧会を、
準備しています。
どれが展覧会なんですか?
江戸時代って、
江戸の街って、
ものすごい土木の、
高度な技術で作られた街なんですよ。
街自体が。
まずその家康が、
あのー、
1590年に、
江戸に初めて入るんですけど、
まずもう、あのー、
まずダム作ったりとか。
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で、どこに作ったんですか?
ダムっていうのが、例えば、
九段坂ってあるじゃないですか。
九段下駅降りて、
降りるとすぐその、
目の前にある坂。
あそこちょっと上がると、
その武道館に入る、
あのー、
絶やす門っていうのがあって、
そのちょっと手前に、
ダムがあるんですよ。
これ今も残ってるんですか?
今も完全に残ってます。
あと千鳥、あそこはね、
牛川淵って言うんですけど、
あと千鳥川淵って、
桜で有名なとこじゃないですか。
あのボートで行けるとこですね。
江戸の掘りの中でも、
両方ダムなんですよ。
そうなんですか。
当然人造でってことなのか。
なんでダムが必要になるかっていうと、
その家康が江戸に来たときに、
いろんな家臣団を連れてきて、
江戸の町とか、
職人とか、
こういうこう、
土方とかいろんな人連れてきて、
その江戸の工事をするわけじゃないですか。
で、まずそういう人たちのための
飲み水がないわけですよ。
まずインフラを作んなきゃいけない。
インフラを作んなきゃいけないんで、
ダム作ったりとか、
あと尾長川っていう川がありますよね。
江東区にありますよね。
あれは、
昔は江東区は、
尾長川から下は、
ほぼ海だったそうなんですよ。
湿地だったりとか、
小島があったりとか、
当然人が住める場所ではなかったらしいんですけど、
その海際に、
尾長川っていう雲河を作るんですね。
そこで、
行徳っていうところで
潮が取れたので、
潮も必要なんですよ。
なんとか沿田って駅名になってますよね、
行徳は。
そこから、
新川っていうのと尾長川っていう
2本雲河を通して、
行徳から
一直線に潮が運べるようにしたんです。
で、なんか、
でも、
まず疑問としては、
新川の下がすぐ海だったらしいんですよ。
海通せばいいじゃん、
って思うんですけど、
海岸際は、
波とかが高くて、
通るの大変なので、
その際に雲が起こるって、
よくあることらしいです。
今で言うと、高速走らせるみたいな感じですよね。
流通のためのっていう。
っていうのが、
いっぱいあるとですね。
あれと浮上がどう関係してくるんですか?
そもそも。
なので、
ただ問題としては、
浮上が描かれたのは、
広茂とかが描いたのは幕末なんですよ。
その家康の話とかは、
初期の話なんで、
まだ浮上がなかった頃。
だいぶ時間、
リアルタイムじゃないんですけど、
でも、
尾長川って実はこうなんだよ、
っていうのを説明するときに、
やっぱり今地図で見るとか、
っていうよりかは、
浮上に尾長川はちゃんと描かれてる。
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それはもう幕末の状態のものだけど、
それ見ると、
イメージ湧きやすいじゃないですか。
今の尾長川の写真見るよりかは。
近いんで。
100年、200年の開きはあるとはいえ、
今のものよりはとですね。
だから、
浮上を使って、江戸初期とか、
あとはね、
例えば江戸初期だけじゃなくて、
例えばですね、
今、結構再開発すごい盛んじゃないですか。
東京リニューアルがね。
今もね。
で、そういうこう、
トララモンヒルザとか、
ヒビアとか、渋谷ストリームだとか、
いろいろできてるんですけど、
よく考えてみると、
江戸時代にも、
例えばね、
明暦の大火っていう、
すごいでっかい火事があった後に、
吉原っていう、
ゆうか君が、
移転したりとか。
それをきっかけに。
人形町の近くにあったのが、
浅草の方に。
北側ぐらいですかね、
イメージとしては。
そういうのも結構、
吉原とかってすごい、
区画が区切られてて、
周りに堀があって、
その中に大陥落害があるんだよ。
いってみると、
今のそういう、
六本木ヒルとか、
そういう区画で、
再開発するじゃないですか。
そういうのと一緒だよなって思って、
テーマパークとか。
幕府が考える都市計画というか、
実現したってことなんですね。
そうですね。
それが、
お芝居町っていうのもあって、
それも人形町の方に2つあったりとか、
今の歌舞伎山の近く、
小吹町ってとこに1個あったりするんですけど、
それも、
人形町の方が焼けちゃったので、
幕末になるんですけど、
やっぱり浅草の北に移転するんですよ。
3つ、今までは2個と1個で
分かれてたのを、
全部3つで一色単にして、
猿若町っていう町作るんですけど、
そういうのも
再開発だよなと思って、
なんでちょっと、
江戸初期の話から、
広茂の時代に近い、
時代の話まで、
いろいろと取り混ぜて、
土木っていうテーマで、
言わせた感じになりましたが。
トニーさんと、
10年くらい前から、
ツアーやってるんですよね。
浮世絵を持って江戸の町、
いわゆるまだ東京の町に行って、
どんな場所になってるのかなってのを
見比べる。
それもね、
だんだんこう、
最初そんなに
人形町の方が
人形町の方が
人形町の方が
一番こう、
最初そんなにお仕事でやってたんですけど、
僕が思いついて、
やりましょうって言ったけど、
渡辺さん的には、
なんでこんなことやってんだろうって思ってたんですよね。
楽しかったんですけど、
楽しいなーぐらいでやってたんですけど、
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最初は。
だんだんやってるうちに、
江戸の地理面白いなって思うようになって、
それが外堀編っていうのを
やったあたりだったんですけど、
神田のあたりを行きましたね。
そこからなんか急にちょっとハマってきちゃって、
で、
うちの美術館でもですね、
定期的にちょっと江戸地理のものの
展覧会を担当するようになって、
大江戸クルージング
っていうのをやったりとか、
江戸の水辺を
テーマにするとか、
江戸のデコボコって展覧会。
江戸のデコボコは去年やったんですけど、
これはやっぱり
江戸地理やってて、
最近やっぱ現代でも
マニアックな
地理ファンっていうのが増えてきてて、
すり鉢学会的な。
やっぱこのぶらたもり様様
だと思うんですけど、
ぶらたもりのおかげでそういう層の
ものすごい
のが広がってて、
で、その中でいろいろすり鉢学会さん
ですとか、
教会教会さん。
教会船の教会。
例えば居酒屋とかいろんなところを
ライブって建物の中に居酒屋があるとか
いろいろ面白いのがあるらしいんですよ。
そういうのがあったりとか。
安教の方とか。
いろんな階段の
登る階段の
マニアの方とか、いろんなマニアがいるんですよ。
それで江戸のデコボコ
やった時にすり鉢学会さんと
コラボさせていただいて、
また東京人さんって
マニアックな特集を
やってる雑誌のとも
コラボさせてもらって、
そこも
いろんな分野の
すり鉢学会の方に
見永さんとかと
一緒に講演したりとか
ご記録してもらったんですけど、
デコボコ展覧会の時に
いろんな分野のマニアの方に
全員招待状を出したんですよ。
ほとんど来てくれて。
普段は浮世絵伝に来ないような
というかいらっしゃる。
そもそも招待もしないわけじゃないですか。
その回はそういう
マニアが集まって
今、日本中の
マニアが
全員ここにいますみたいな
すごい熱い
内覧会っていうか
内覧会はそうかもしれないですけど
オープンしてからもそういう方多かったんですか?
いらっしゃるお客さん
そうですね、やっぱなんかすごい
地形に本当に興味がある
方とかっていっぱい来て
その時は
浮世絵で
高低差を表現しなきゃいけないんで
地形図で
と一緒に
作品を展示したりして
その
高低差と一緒に浮世絵を
展示するとどういう
良いことがあるかっていうと
例えばさっきの話に出た
九段坂あるじゃないですか
あれって
昔から角度全然変わらないわけですよ
坂とか地形っていうのは
建物は全部変わっちゃうんだけど
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お寺とかたまに残りますけど
地形っていうのは
変わらない場合がほとんどあるんですよ
サッカーをわざわざちょっと
角度を緩くしたり
するわけないから
だから九段坂を登ってる絵があって
で
九段坂の写真も展示するわけですよ
そうするとやっぱり
ここきついよねっていう
感覚はみんな知ってるわけですよ
だからその
絵が近くなるっていうか
少しシンパシーを感じやすくなるんですね
時代に対して
その道を歩いてる感じっていうのを
共感できるっていうので
なんか
マニアックに掘り下げたんだけど
逆に普段普通の
江戸地理の展覧会よりは
これはきっと近くなってるっていうのが
すごい個人的には良かった
今回のこれからやる江戸の土木展も
土木好きだけじゃなくて
時代ファンがいっても
楽しめる展覧会
そうですね
土木好きの人には受け
ちょっと親しんでほしいし
受け好きの人には
土木の世界をちょっとマニアックに
知ってほしいのがあります
はい
江戸の土木展は期間は
2020年10月10日から11月8日まで
ということで
先ほども言ってましたけど
展覧会1ヶ月ぐらいしかできないんですね
なのでチェックしていただいて
忘れないように
間に合うように
それだけ準備しても1ヶ月なんですもんね
それがちょっと受けの大変なところですよね
はい
ぜひぜひチェックしていただきたいと思います
はい
ということであっという間のお時間になりました
ということで次回はいよいよ
渡辺さんって何者なのか
今まで何をしてきたんだろう
みたいな感じですけどね
それから渡辺さんのパーソナリティについて
お聞きしていきたいと思います
ということで
お時間いただきましてどうもありがとうございました