1. そろそろ美術の話を...
  2. #056 美術を教えること・楽し..

岡田美術館館長 小林 忠さんをゲストに美術に係るきっかけや美術を教えることについてお聞きしました。

https://sorosoro-art.vercel.app/ep/056 番組の感想は、#そろそろ美術の話を でお願いいたします。

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Guest Profile

小林 忠(こばやし・ただし)

  • 1941年、東京都生まれ。68年、東京大学大学院修士課程修了。東京国立博物館絵画室員、名古屋大学文学部助教授、東京国立博物館情報調査研究室長、学習院大学文学部教授・同名誉教授、千葉市美術館館長、国際浮世絵学会会長、「國華」主幹などを歴任。2013年から、岡田美術館館長。
  • 「浮世絵ギャラリー 北斎の美人」「浮世絵ギャラリー 歌麿の美人」「教えてコバチュウ先生! 浮世絵超入門」「教えてコバチュウ先生! 琳派超入門」「光琳、富士を描く! 幻の名作『富士三壺図屏風』のすべて」(いずれも小学館)などの著書がある。

Show Notes

演劇の話題

学生時代の美術講義の話題

卒業後の話題

千葉市美術館の話題

教鞭をとった大学での話題

美リーグの話題

00:00
アートテラートニーのそろそろ美術の話を!この番組は私アートテラートニーがアートに関わる方をゲストにお迎えしてトークを繰り広げるポッドキャスト番組です。
今回は前回に引き続き岡田美術館館長の小林忠さんをゲストに投稿していきたいと思います。
前半あっという間でしたが後半もよろしくお願いします。
毎回ゲストに聞いているのですが、いつから美術に興味を持っていましたか?
私はむしろ文学青年、演劇青年だったんですね。高校大学と演劇部に入っていまして、演劇というのは一種の総合芸術ですよね。
舞台も作らなければならないし、衣装も考えなければならないし、高校時代は演劇や映画を見ることが主だったけれども、
大学に入るとお兄さんたちが大人ですから展覧会を見に行って、あるいはギャラリーに行こうと。
大学の授業ではなくて、クラブ活動で見せてもらって導いていただいた。
大学は美術士とかではなかったんですね?
最初はフランス文学部で、フランス演劇にも専攻しようかなと思って。
当時は演じてたってことですよね?
演じてましたよ。名優ですよ。迷うかもしれない。
ちょっとやります。セイクスピアを一つ。
誰に憧れてたんですか?映画俳優とかですか?舞台俳優とか。
その頃は例えば進撃の俳優座とか、あるいは学生演劇がすごく流行ってたんですね。
私の大学入学したの1960年で、60年安保の。
毎回デモに誘われたりして、かなわんなーって。
加藤時子さんなんかが、演劇研究会の高校の後輩でしたよ。演技指導しましたよ。
そうなんですか。
そういう文学青年から演劇青年になって、
その美術に総合的に接触していくようなことになって、
王道を転ぐ自分たちで作るような学生演劇ですから。
03:00
そして美術青年の目が開かれた。
でもフランス文学って言ったら、そのまま西洋美術の方に行っちゃいそうな気がするんですけど、
何として日本美術?
西洋美術の講義が、東大は駒場から本郷でありまして、
駒場に本郷の専門学科の先生方が生徒を拾いに来るんですね。
デモンストレーションのような講義をしてください。
その時出したのが吉川一次という当時の西洋美術の経緯の方で、
本来は中世の教会美術みたいな地味な研究をなさっていたんですけど、
ちょうど単行本で「近代美術の恩人たち」という本を出す、
トラクロアから印象派まで、わかりやすいんですよ、すごく。
難しいことはおっしゃらないで、スライドを写しては、いい絵だね。
1分くらい経ったら「はい、次」とか見るだけで。
解説じゃないです。
これでいいんだ。
ランス文も使わないで、日本語で丁寧な。
当時吉川先生はテレビなんかで「マダムキラー」と言われたような、
すごくいい声で顔もいいし、説明もわかりやすくて、
それですっかり「やっぱりこの先生ついてくる」と。
それでBC学科に進学したんですね。
でも演劇やってたのも流れにありそうじゃないですか。
やっぱりその人の工技の上手さみたいなのもあったってことですよね。
間の取り方の良さとか。
それで専門へ行ったら、その先生が、
「サンサバン教会堂」っていう中世の教会堂の建築から引きが、
汚いスライドで薄ギターな。
なんですか、薄ギターなスライドって。
版書はほとんどフランス語で。
全然面白くなかったんですか。
面白くない。
出張できた時は面白かったけど。
日本美術史は山根雄三という我々の恩師の方、
もちろん日本語ですから、全然わかりやすくて。
しかも室町から桃山にかけてのご専門だったのが、
その時に限って江戸時代の絵画史をやってくれたんですね。
私も東京の下町育ちだから、
三味線だとか、踊りだとか、
寄生駅とか、歌舞伎を見るとか、
そういうあれだったから、
やっぱり印象派でもやろうと思ったんだけど、
先生にくっついて日本の美術をやった方がいいかなっていう感じでした。
そういうのを感じたんですか、最初は。
でもそこからもずっと日本美術って言ってたんですか。
そうですね。
前半でも鈴木春信っていう話を聞いたんですけど、
その日本美術の中でも浮世絵に特化してくるんですか。
これはですね、浮世絵っていうのが今みたいに認知されてなくてですね、
06:05
一般の人は浮世絵っていうと旬画。
エッチな方が浮世絵のイメージがある。
江戸時代っていうものに対する評価も低かった。
今と全然違うんですね。
私が鈴木春信の可憐で優雅な世界に惹かれて、
物語性が強いんですね。
そういうことで惹かれて、
鈴木春信をやってみようと。
ほとんど学術的なことを検討してないような分野だったもんだから、
研究室の仲間は「なんでお前そんなことやるんだ」っていうようなやり方だし、
親からは、特に母親は「東大まで行って旬画浮世絵なの?」っていう。
もうそうじゃないんだよ。
じゃあ今みたいに浮世絵って今しょっちゅうやってるじゃないですか。
やってます。やってました。
やってたけど、あんまり一般的に。
一般人は浮世絵=旬画っていう。
それはどこら辺から変わったんですか?今みたいな健全な浮世絵の。
それはもう一つあるんです。
1964年東京オリンピック。
その時に浮世絵の名品が国際的な協力の中で集めてきたんですね。
海外からも来たってことですね。
浮世絵っていうのは不幸なことに、ある程度明治以降ほとんど古い良質な浮世絵は外に出ちゃった。
今でも海外の主力の美術館、大変名品ぞろいなんですね。
それが、目から霧が晴れたっていうような、すごい鮮やかな版画が来たんです。
それが私の4年の時の特別展。
「ああ、綺麗なんだなあ」と印象派の画家たちがこうしたように、もう違法人みたいな日本人として、明治は遠くなりにけりよりも江戸はもう遠くなりにけり。
それで、私は発見のように、鈴木春信という画家の生涯と絵画の特徴を文化したんですね。
ところが先生方は浮世絵なんて、もう目の端にも入ってないような人たちで、だから珍しいわけですよ。
すごく評価してくださって。
で、もうすぐ専門誌に卒論論文として出しなさいと。
09:07
で、掲載していただいたり、国家社でアルバイトさせてくれたり。
その論文が人生変えたんじゃないですか。
変えたんですよね。春画じゃありませんよ。
綺麗な、本当に美しい。
歌舞伎俳優のあれは、もう初期だけで歌舞伎役者とか、優女の絵も少ないです。
ほとんど一般の市民生活とか、家庭の、良き家庭の親子とか兄弟とか。
それからクラシックな和歌とか題材の見立て、音安、そういうことを丁寧にほぐしたわけですよね。
だから先生方にとっては全く新しい世界ができたんですね。
先生を勉強になったんですね。
社員を褒めてくださって。
やっぱりその頃の主流が、接種とか算数、日本美術イコール、そういう感じですか。
水木なら天平上岸、奈良から平安にかけて、あるいは絵巻物だったら平安鎌倉、室町時代はそれこそ接種、摂村、水木が。
それが面白い。
聞いたのに、桃山時代もちょっと扱い低いって言ってました。
桃山時代はその頃から良くなってきました。
冷えらる期的には江戸の上に桃山があって、さらに上は木戸、町、古典や鎌倉。
その江戸の中でもさらに浮世絵って言ったら、さらに下ぐらいですか。
さらに下ですね。
だからある意味では裏道を行ったわけですよね。
本流はやっぱり取り出が高いですよね。
これはでも若い研究者には励みになりますよね。
今は逆に裏道を行ったら浮世絵は主流というかある程度になったので、
今から何か頑張りたいという人は新しいものを見つけてきた方がいいんですね。
だから今の若い研究者は女性を含めて大変多いんですけど、
もう春信田、宇多摩の田北斎はやられ尽くしちゃってるっていうので、
マイナーな作家の論文、研究発表が多いんですね。
で、我々がちょっとやりすぎちゃったのかな。
たしかに。畑はもうないですよね。
だからもっと大きな存在にまともにぶつかっていくといいのになってますね。
逆にですか。
そういうちょっと老人のくりごとになりますが、いずれ。
また戻る。
12:00
昔中国絵画誌をやってたアメリカ人大学院生に、
「あなたの博士論文、何点くらい作品があるんですか?」って言って、
「全部で12点です。」って。
12点しかない作家をやるの?
たしかに。
そうです。フェルメールより少ないわけですもんね。
すごくニッキなところに行っちゃう。
隙間研究ですよね。
でも隙間研究で行ったところでもう隙間しかないから、
だって12点しかない作家はもう広がりはないですもんね。
その人が面白いとはいえってことですけど。
私が学生の頃は、助手の方がギリシャ美術の専門家で、
「小林さん何をやるの?小林君何を卒論にするの?」迷ってるんです。
大きな存在、歴史的に意味のある大きな存在に対当たりしていきなさい。
そのニッチはダメだ。
それは今でもすごくありがたいアドバイスだったなと思いますね。
たしかに。
そしてちょっとここから話が行って、大学卒業されて、
そしたらそのまま国立博物館になりました。
大学院は昭和になっちゃって恐縮ですけど、
昭和43年の3月で辞めて、
その前の年の9月から研究員として、
博物館の絵画室に入れていただいたんですね。
週に2日は博物館、週に2日は国家社、週に2日は大学。
忙しいですね。3足のわらじ。
正式に取ってくださったのが昭和44年の6月っていう。
ちょっと半ばの時期ですね。6月。
そうですね。あの頃、国家公務員の総定員法というのがあってですね。
どういう法ですか?
枠を決めようという。
あ、総定員。
それを推すと各審が争ってですね、なかなか決めないんですよ。
議員定数が決まんないみたいな。
3月までに決めてもらうと、私の奨学金返さないで済んだんですよ。
恨みが出る。
6月までになっちゃったから、返しましたけど、誠実に。
まあ、よかった。
私は16年生まれなもんですから、まだ20代の後半で博物館にご縁ができて、
絵画室っていうのは万で数えるコレクションがあるんですよね。
それプラス教養班が。
本当に幸せな。
嫌だったら、くらい入っちゃえばいいわけです。
なるほど、なるほど。
誰もいない。絵を見てればいい。
研究だって言って。
研究ですからね。調査研究学院の基本ですからね。
と言いながら、重い曇り空みたいな上司たちから逃げてですね、
15:03
カラーの中に入って、その弱虫を見出したんですよ、マス目書き。
そこに弱虫の作品があったんですか。
借り物、帰宅品って言うんですけど、
お所蔵家のお家からお借りする。
ところが、後にプライスさんのコレクションに入るマス目書きは、
戦前からお借りしてたんですね。
帰宅品の台帳っていうのがあって、
そこで個人のお名前があって、箱の中にちゃんと収まってた。
ところが、一回も学べてないんですよ。
え、じゃあその先輩たちは気づいてなかった?
気づいて…
そんな下品な絵は…
私が面白いくらい入って、一人で大きな屏風の蓋を開けて出してみたら、
もう、下駄魂しいじゃないですか。
これはすごいと思って並べたいと。
江戸時代の展示は私に任されてましたけど、
江戸時代の絵画室長は平安物画の専門家なんですよ。
あ、相入れなさそうですね。
バカもんって言うか。
そんなものを陶器に並べるなんて。
こんなものをね、この光栄な、高貴な国立博物館のギャラリーに並べるなんて、
お前は何を考えてるんだって。
あ、そんなんだった。
それでしょうがないから、ミューズアムっていう、当時は月刊誌だったんですけど、
ここにジャクチュウの変わった絵があるって言って、紹介したんですね。
全部ジャクチュウなんですけど、書名も意味もないから。
そしたら、京都の一流の業者さんがすぐ飛んできて、
所蔵課の許可をもらって、譲ってもらって、持ち帰っちゃった。
そしてプライスさんが、ジャクチュウジャクチュウと言ってきたんで、
すぐ行っちゃった。
購入された。
それが前半の時に言った、最初のジャクチュウ展には展示されたんですか?
その時はその後ですね。
それで、この展覧会の準備は何かで、あるいはつい先輩に教えてもらったりして、
ジャクチュウに目覚めてきて、
その開かずの両部箱に、ジャクチュウって書いてあるから、それで開けたんですね。
ってことは、その作品は東博でその後展示されることはあったんですか?
ない。
一度もない?
惜しいことをしましたね、東博は。
その他に、その方は戦前のコレクターで、5点くらい預かってたんじゃないですかね。
そういうものとして入ってきちゃったんです。
両部箱ってすごく大きい6極一層だと。だから邪魔だったんでしょうね。
場所もおとるし。
18:01
裏の奥の方にあって、あれも開けてなかったんじゃないかな。
そういうものが眠ってる可能性があるんですか?
すごい。国立博物館の裏の中はすごいですよ。やっぱり。
ありますか。
結構じゃあ本当に小林さんはずっと裏の中入ってた感じだった?
でも雑用、ぺいぺいだから、いろんな雑用があるわけですよね。
でも会社、銀行なんかお勤めでわかると思うんだけど、ぺいぺいの時は一番楽しいんですよね。
実務ができて、私2度目大学出てからもう一度資料館アーカイブを作るから帰ってこいっていう先生がいて、
2度目はもう会議会議ですよね。
若い時は実際の実務をやらせてくれるわけですよ。
だから特に学芸員はぺいぺいがいいですね。
会議とかあんまり好きじゃないんですか?
いやーつまんない。
いやでもそれこそ館長職長いじゃないですか。
岡田美術館の館長の前は千葉市美術館の館長ですね。
今でも館長になりますよってなった時はさすがに嬉しいもんなんですか?
いやー、あのー、これもですね、辻信先輩なんですよ。
私、千葉市美術館の設立の準備室のDもしてたんですね。
で、館長候補の方が引いて、館長になる人がいなくなっちゃった。
ちょうど辻さんが京都にある日文研の退職なさるって言うんで、
「じゃあ辻さん、研究畑、大学とか研究所だけだと、美術館って一度やってみたいものなんですよね」
「美術師やってるものに」
「おお、いいね」で初代館長になっていただいて、
辻さんが多摩美大の学長に転出されるので、
「お前が推薦したんだから、お前もが責任取れ」って言って、
で、2代目の館長って言うんだけど、
「大学許してくれるかな」ってそんな。
その頃はもう学長院大学の教授をしてる頃ですね。
そうなんです。それで文学部長に聞きに行ったら、
「非常勤だろ、どうぞいいんですよ」って。
みんな非常勤で講師に外の大学に出てる。
あんただって出てるんじゃないかって。
「届けなくていいんですか?」って。
「もう、そんなもん必要ないですよ」って。
そんなノリだってですか。
やりやすい大学。この人も学生の卒業生。
いい大学だったんですね。
結構な非常勤でも館長だから、結構な給料なんですよ。
21:01
大学を教えに行くよりずっとすごい。
いいのかな、こんなんで届けなくて。
館長の仕事は何をしてたんですか、その時って。
それで私立美術館、千葉市の美術館だから、千葉市からお目つけが来るんですよ。
副館長っていうのは。
副館長は別に美術系の人じゃないんですね。
役所の方。
役所の人が、館長じゃなくて、外回りでしょげてくるわけですよ。
一応役人だから、事務的に処理は上手いわけです。
私は学芸員の相談に乗ってあげればいい。
その時の千葉市美術館で、改革したこととかはあるんですか。
江戸美術をもっと力入れていこうよとか。
その頃は8人ぐらい学芸員がいて、一騎当選の人たちで。
私、よく冗談まじりに丸投げの名人なんだけど、経営の方は役人さんに任せる。
展示の方は学芸員さんに任せる。
丸投げって言うと、ちょっと言葉がよくないけど、任せる。
それで肝心なところだけはチェックしたり、こうした方がいいんじゃないのってアドバイスをする。
江戸東京博物館の長いこと館長なさった竹内誠先生という歴史家。
私は大変尊敬してた方で亡くなられてしまったんですけど、
先生、館長ってのはどういうことに気をつければいいんですか。
それは、上の役所に迷惑をかけないことだと。
今で言えば、私たちの美術館になったら、本社、会社経営を見てくれる。
そこだけ目を光らせていればいい。
竹内先生は何をなさったんですか。
一度だけポスターを、この文字はやめろと言ったぐらいで、あとは任せとけばいいんだよ。
逆にそのポスター気になりますけどね。よほどのことだったのかなみたいな。
よほどまずいなって。
思いがけないこともあるんですよね、公立美術館は。
一般の市民がいて、例えば朝鮮の当時期の展覧会をやったことがあるんですよね。朝鮮半島。
朝鮮が植民地だった時って学芸が書いてあったんですよ。
それは私も気づかなかったんだけど、市民から植民地ではないっていうクレームが。
その手のこと、政治的とか差別だとか関わるようなことは気をつけないといけない。
そこだけ気をつけておけば。
あとは丸投げというか、お任せして能力を発揮してもらう。
そこは大事ですよね。
24:01
時々、展覧会やってほしいなとか、田中一村千葉に縁があったんだよなとか、
ちょっとつぶやくとやってくれるような優秀な人たちがいた。
それで田中一村千葉やったり、ジャクチュウもやりましたね。
ジャクチュウ、アナザーワールドでしたっけ。
アナザーワールドも、あれも、小白も。
小白ショック。
あの優秀な学園員が両方やってくれる。
たまにつぶやくんですね。
でも今、丸投げのって話ありましたけど、学習院大学で教えてるとこが先だったわけじゃないですか。
教えるのはさすがに丸投げじゃないですよね。やっぱりそこはちゃんと教えてますよね。
どうかね。
美術史を教えるってどういう感じのことをするの?僕はそっちで学んでないので。
1年間にいくつか講義を持つわけですね。
1年生には日本美術史の解説とか、2年生以上のあれには毎年テーマを決めて講義をする。
学生のゼミ、大学院生のゼミ、それぞれの研究を発表してもらうのにアドバイスする。
そういう、大体楽しい、興味を引いてもらえる。
例えば、1年生の講義って私一番好きだったんですね。
なぜかというと、全く教わってないんですよ、高校まで。日本美術史っていうのは。
だから、屋上のスライドを映してやると、前の方の勘のいい学生が「わー綺麗」「素敵」とか言ってくれるわけですよ。
そうするとアドバンテージあるわけですよ。全く知らないんだよ。
彫刻も開発、工芸も。
相当アドバンテージありますから大丈夫ですから。
そのくせ、尾形功林とか名前は知ってるんですよね。
どういう素晴らしいアーティストだったかっていうあれはない。
ゴフとか、モネとかは教わってても。だから、1年生は楽しいですよね。
だから、知識が高まってくるわけですよね、学生さんも。
専門に来る学生さんは、自分の好きな美術家や流派やジャンルを見つけて、それを発表して、仲間にも聞いてもらう教師が多少コメントする。
私は丸投げの名人だけど、育てる名人でもあるんじゃないかなと思うんですよ。
研究者としては大したことないんだけど。
学習院、あるいはその前の名古屋大学で教えて、学芸になったり館長になったり、教授になったり、人いっぱいいるんですよね。
27:02
なぜ私が学生さんを育てられたのかというと、あんまり詰まらなかったんですよ。悪いところを叩いたり。
それぞれの学生さんの個性や感性が別々ですよね。その良さをどうぞ自由に広げなさいと。
行き過ぎたらこうすればいいわけで、ほとんどみんな素直な学生さんだから、いい方向へ行くわけですよね。
そうすると褒めてやると。褒められると嬉しいですよね。叱られるように。
そうするとみんな自信持っていく。
ある時、私が本当に驚いたのは、学習院は下の学校もあるので、高校大学と馬術部だった男の学生がいるんですよ。
性格はすごくいい子で、だけど、ここはちょっと頭の方が軽い子だったんですよ。
分からないと、何を選んでいいか、卒業論文にあって、今は選ばなきゃ。
君は馬術部で高校大学ってよくやったね。大変なんだよね。
大変なんですよ。朝から6時頃から学校へ行って、餌あげて、体拭いて、忙して。
それをずっとやった忍耐力も大変なもんだよ。
馬のことはよくわかっただろう。馬屋図業部っていうのがあるから、それをやっておらん。
馬屋図業部って数点あるんですね。室町時代から、青山時代、江戸初期に。
いわゆる馬屋を書いてる。
要するに馬は戦時の兵器のようなもので、それのガレージですよね。
今で言うと外車が並んでるじゃないけど、そのイメージなんでしょうね。
彼が6局1層だから、12頭馬がいるわけですよ。クランの中に。馬屋の中に。
馬屋だからきれいにして、大事な馬ですから。
そうすると、先生、この中に病気をしている馬もいるって。
へー、わかるんですね。馬は健気ですね。
それから栗毛だとか、足毛とか。
競馬でよく見る。
そういうのも的確でしょ。
それで、私が読んでもとっても面白いと思ったんだって。
Uをあげちゃったんですよ。
そしたらね、もう私はね、本当に嬉しいと思った。
まさか卒論にUをもらえると思わなかった。
それで君、就職決まった?
はい。
柳瀬に決まりましたって。会社専門の。
販売店?
販売会社。
30:00
そこに?
よかったね。馬が見渡ってたね。
へー。
そういうふうな学生指導って。
でも大事です。見抜くじゃないけども。
でも、無理にやらせたわけじゃないんですよね。
彼はそういう馬屋病が存在するっていうことは知らなかった。
でも見たら、面白い。
面白いですね。
私中学進の馬屋に行ってた人だから。
でもやっぱり、柳瀬に行ったとおり、例えば馬でわからないことがあったら、学生に聞いたりするんですか?たまには。
いやいや、もう卒業してから。
卒業しての続いてるのは、美術館とか大学に専門家として勤めた人だけですよね。
でも、ものめ何人くらい?
冷たいもんですよ。
生徒というものは、こちらは同様にかわいがってるつもりなんで。
卒業式泣いたはずなのに、みたいな。
ものめ何人くらい教えたなって思う?
当然100人は聞かないですもんね。500人くらいは言ってますか?
大体、哲学館の定員が100人くらいなんですけど、90人から100人。
その半分が美術で、そこから西洋と東洋、日本に分かれる。
だから、1年30人くらいだとすると。
30人と考えたら900人、結構いきましたね。
でも最初の頃は少なかったから、500~600人でしょうかね。
多いですね。
今聞いてたら、連絡取ってあげてほしいですよね。
名古屋大学では定員が一学年4人なんですよ。
そうなんですか?
大学院修士課程は2人で、博士課程は1人っていう国立大学は少ない。
でも私立はね、月謝で賄ってるもんだから、大変です。
僕、前に教えてもらったんですけど、しかも野球チームを作ってたんですよね、その学習院代表。
生徒たちと一緒に。
あのね、我がゼミのモットーは、よく遊び、よく学びなんです。
学びが先じゃないですね。遊びのが先なんですね。
どっちだったか。
よく学び、よく遊び。いいですね。
大変ですよ。
野球チームはどういう感じでやってたんですか?
野球チームはね、私が作った「美リーグ」っていうのがあるんですよ。
美しい。
Aリーグじゃね、ちょっとおこらましいから、美リーグ。
で、美術を専門としている学生さんの大学と、美術館、8チーム。
東大学習院、芸大、それから、伊手光美術館。
33:02
サントリーと後藤美術館で一緒になる。
連合チーム。
そっから美術賞が、古中巨さん。
あと、とにかく8チームで、リーグ戦をやって、優勝すると、銀色に輝いているカップがもらえる。
それを目指してみたら?
目指す。
これをちゃんとしたアーティストに作ってもらった。材料費だけで。
ところが学生には弱くて、学生はもうほとんど女性なんですよ。
専攻する、美術を専攻する。
で、一度も取れなかった。
でも、本気には小林さんが?
そうですよ。呼びかけて。
呼びかけたのに、勝てなかった。
それで、目白に学生たちがよく集まる居酒屋に、海賊っていうのがあって、だからパイレーツっていう。
ユニフォーム作った?
ユニフォーム作った。
学習員パイレーツ。
私は常に4番。
監督じゃないともう出るんですね?
セカンド。
セカンド。
球が来ないとこ。
いいじゃなく、楽なとこ。
4番の座は譲らない。
私がもう敗戦後の宴会をもすわけだから。
大変なんですよ。
一回も勝てなかった。勝った時はあるんですか?さすがに。
勝った。
どこに勝ったんですか?
芸大に。
芸大に古田さんって今、美術館の。
古田涼さん。
涼さん。
あいつがですね、悔しくてね。
大抵ね、飲むのが目的のアマチュアがあるじゃないですか。
色を変えじゃないけど。
色を変えで、ビールとかわきものぐらい。
したら古田が怒っちゃってね。
学習員ごとくに負けたって言って帰って行っちゃった。
芸大チーム、この野郎。
我々のよく学び、よく遊びのチームにね。
芸大強そうですもんね。
芸大が強いですよ。
大体工芸とか。
担勤する人とかもいる。
担勤だとか。
貯金だとか。
彫刻家だとか。
古田なんてね、軟弱なやつだけじゃないんですよ。
研究タイプじゃなくてもいるわけですもんね。
我々も哲学家だったから、美術よりも哲学専攻のやつの方が上手いんですよね。
ピッチャーは哲学。
確かに、めちゃくちゃ頭脳戦になりそうですよね。
なんかね、ホームスチールかなんかで決勝点を取ったんですよね。
ああ、悟りやすかったです。
頭いいですね。
頭ああ、違って。
それが悔しかった。
36:01
ああ、古田さん、もう怒っちゃって怒っちゃって。
お前ね、変えることないだろうが。
いや、面白くない。
そんな、学習にご当地に。
Bリーグはいつまで、どれくらい届いたんですか?
それはね、高段車チームがあって、出版社の美術関係の。
その編集長が定年で辞めちゃったんですよ。
それが理由。
大宮からタクシーで乗り合いで行く荒川の河川敷に、出版社組合のグランドがあったんですよ。
そこでやったんですか?
そこは取れなくなっちゃった。
そんな理由で。
解散。
今も探せば出てくるんですか?当時のユニフォームは。どっかにあるか。
私はもう忘れちゃったけど。
残ってる人もいるかもしれない。
ちなみに小林さんは、撃ったら撃つ時はどうなんですか?結構撃ってた方ですか?
どうでしょうかね。
決勝点決めたら。
とにかくジャイアンツファンですからね。
今、この研究室だって言ってるのに、僕が見てるところには野球グッズしかないぐらい。熱狂的巨人ファン。
小学校の頃は川上哲晴、背番号16、先頭の下足札取り合いだったんですか。
16番が欲しいですね。
その次が、長島の3番と大野1番。
そういう時代からだから、4番は譲れないわけですよ。
打とうが打つ前に。
他だと球が来ちゃうから、アマチュアはほとんどデフトや3塁の方ですよね。
2塁の方は来ないです。
一度ね、デミスと親善試合やった時に、いきなり黒田っていうバカがね、すごい球でね、セカンドに打ってくるわけですよ。
で、パッとやったら足がすっちゃって、すぐ体重。
結果どっちもバカだったみたいな話になってますけど。
いやー大変なんですよ、黒田さん。ごめんなさい。
一番強かったのは芸大チームだったんですか、その時。
いや、あのー、球尾も強かったですね。
球尾チームもある。でもやっぱり美大が強いんですね。体を動かしてると。
サントリー、後藤連合軍のピッチャーがね、当時後藤美術館にいらした竹内純蔵さんって工芸の専門家で後に芸大の教授になるんだけど、
これのピッチャーの時なんかね、ひゅー、ようやくスキャッチャーに届くっていう。
スローモーション。
39:00
打ちにくい打ち役。
逆にすごいです。
晩年の金田翔一さん。
確かに。
そういう伺わらないことばかり喋ってます。
いやいやいや、もう最後、あれさ、巨人の話で全然いいですよ。
でも、もう本当に巨人好きだから、多分その後藤美術館の館長室にも色々ありましたもんね。
そうですね。はい。
もうずっとですか。
松井さんの、秀木さんの、あれと、佐田春さんの色紙と、大さんに頂いた染め入りの帽子とか、大変ですよ。
家で見るテレビはほとんど巨人の試合を録画して。
じゃあ今寂しくなりましたね。昔はもう中継いっぱいあったけど、今少なくなりましたもんね。
でもね、CSにニッテレジータスってのがあるんですよ。
それに入っている?
それの野球番組は必ず見られるというのを、家内が優しくですね、登録してくれたわけですよ。
やっぱり巨人負けるとその日はもう機嫌悪いとかですか?
いやいや、そんなことないですね。
そっちのパターンではないです。
いいとこだけ録画を見る。
必ずいいとこがあるんですね。
それこそ、巨人の原監督もアート大好きですもんね。コレクターさんです。
そうなんですよ。ゲンダーアート集めてらっしゃるって伺ったことあるので。
今まで来たことはあるんですか?巨人の選手が岡田美術館に。
いや、ないですね。
来たらでも案内したいですか?やっぱり。
したいです。
大選手は九州国立博物館の理事やってらっしゃるんですね。刀を寄贈したり。
びっくりしました。旧博いって書蔵と大定る書蔵って書いてあったから。
嘘でしょと思って学芸員さんに聞いたら、この前寄贈されたんですって言ってたよ。
美術省の方も知り合いで、私も紹介されて大さんにソフトバンクの試合で、工場まで入れていただきましたよ。
坂本駿とか寄ってくるじゃないですか。わーと思ったら向こう行っちゃう。
本当にお気持ちすぎる。
人生最大の幸運が来るかなと思ったら、街に。やっぱり大さんがやっぱり眩しいんでしょうね。
大さんがいなかったら。
隣に大さんが立ってました。
ちょっとその辺大さん邪魔でしたね。坂本さんに会いたかったですよね。
そういうことは言えませんけど。
大さんが見た時に、やっぱり刀がお好きで集めてらっしゃるってことですもんね。
どなたかにそうですか、もらったんじゃないかな、言いたいことが。
一本足でやったのかな。
練習しましたよね、足を吊るしておいて。
ありますよね。
刀でこう。
なんか見たことあるよ、懐かしの映像みたいなやつね。
やっぱりそういうの試したのかなとか。
42:01
そうだったんですかね。
お客さんがものをいただくんだから、よっぽど名刀なんだろうな。
重要美術品とかになってた気がしましたね。
でも、できれば岡田に欲しかったですね、そしたら。
私ね、百姓長人の出たから、刀怖くて。
刀怖い。
岡田美術館には刀剣の作はないんですかね。
ないです。
ただね、合戦図表部があるんですよ。
そうすると、首はないわ、手が切れてるわ、足が切れてるわ。
昔の戦は怖いですよね。
刀振り回すんですからね。
じゃあ、ああいうのは結構うわーっとなっちゃうんですね、見ると。
ちょうど一個前の展覧会は侍展ってやってましたもんね。
あの時はちょっと、しし吹きとか全くないですよね。
そうですね、そういう絵だと、そういうとこ見なきゃいいんで。
刀剣の今、刀剣女子と言われる女性が刀剣に興味を持たれたって、本当に時代が変わったなって。
昔、博物館の刀剣の展示室って、ほとんどおじさんが。
10年くらい前までそうですよね。
たかくね。
ずいぶん時代は変わりますね。
ちょっとで会ったじゃないですか、博物館で。
三日月宗近っていう、それこそ刀剣女子が一番好きなキャラクターなんです。
1時間待ちしてるんですよ。
ギャルたちが会話してるから、どんな会話してるんだろうと思って、聞き耳立てたら、
三日月宗近って三日月の打ち掛けっていう、傷がついてるんですよね。
それを、三日月宗近の語源なんだけど、それを見てて、その女子たちが「かわいい」って言ってました。
ついに刀剣を「かわいい」っていう時代が来たのかと思って。
すごいですね。
恐ろしい時代が来た。
革命ですね。
もうキャーって、みたいな感じになってたんで。
だから引いてくんですよね、旅行のバッグを。
私も徳川美術館、たまに行った時に、徳川美術館、侍展示があるじゃないですか。
刀剣を見に来てるんですね。
全国からいらっしゃるって言ってましたね。
そうなんですね。
それこそでも岡田美術館さんも、ちょっと前に「名古屋恋」っていう、明治のイケメンキャラ化するやつで、横山大官と北春宗の。
あれなんかも結構女子が来てたらしいですよ、キャーキャーって。
そうですか。
だからちょっと時代変わってくるのかも。
時代が変わってきたんですね。
ですよね。
話を聞くと、だってもともと、今日の話で言うと浮世絵が春画だって思われてた時代から考えると、大変化ですね。
大変化。
いろんなものが変わってくるんだなっていう。
美術はそういう点で面白いですね。
時代の好み、個人の好み、いろんな要素の中で今までひかげもんだったものが浮き上がってきたり。
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だから感傷はお好きなようになさればいいんですよね。
そういう点では、トニーさんが優しく導いてくださるので、どうぞ今後ともご活躍を。
こちらこそでございます。
前半にも言いましたけど、岡田美術館さんでは今、『花鳥風月』『名画で見る日本の四季』という展覧会が、今年前期、春夏編、後期、秋冬編開催されてますので、ぜひ足を運んでいただきたいなというふうに思います。
ありがとうございました。
今日はありがとうございました。
よろしくお願いします。
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