1. そろそろ美術の話を...
  2. #029 世界一入りづらい、独り..

泉屋博古館東京 館長 野地耕一郎さんをお迎えして、泉屋博古館やリニューアルの構想、推しの作家についてお聞きしました。

https://sorosoro-art.vercel.app/ep/029 番組の感想は、#そろそろ美術の話を でお願いいたします。

Guest Profile

  • 泉屋博古館東京 館長 野地耕一郎(のじ こういちろう)
    • 昭和33年神奈川県生まれ。成城大学卒業。美学美術史専攻。58年より山種美術館の学芸員として勤務。その後、練馬区立美術館学芸員、主任学芸員を経て、平成25年泉屋博古館学芸課長。現在泉屋博古館東京館長。

Show Notes

  • 泉屋博古館
  • クッキーの泉屋
  • 住友家 - Wikipedia
  • 住友吉左衛門 - Wikipedia
  • 住友友純(すみとも ともいと)| 住友春翠(すみともしゅんすい)
  • 山中商会 - Wikipedia
  • 芦屋釜の里 (あしやのさと)
  • 泉屋博古館分館が「泉屋博古館東京」に館名変更。展示スペースを拡大して2022年3月に再開館|美術手帖
  • 木島桜谷(このしま おうこく)
  • 竹内栖鳳(たけうち せいほう)
  • 徳大寺家 - Wikipedia
  • 桂園時代(けいえんじだい)
  • 住友家須磨別邸
  • 石井柏亭(いしい はくてい)
  • 小杉放庵(こすぎ ほうあん)
  • 木島桜谷の寒月 | 京都市京セラ美術館
  • 生誕140年記念特別展 木島櫻谷 PartⅠ近代動物画の冒険
  • 生誕140年記念特別展 木島櫻谷― PartⅠ 近代動物画の冒険
  • 山極壽一(やまぎわ じゅいち)
  • 林忠正(はやし ただまさ)
  • (渡邊省亭コラム)鳥博士高橋の鳥舌技巧!
  • 渡辺省亭画集 | 小学館
  • 特別展 小村雪岱スタイル-江戸の粋から東京モダンへ
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はい、始まりました。アートテラー・とにのそろそろ美術の話を。この番組は、私アートテラー・とにがアートに関わる方をゲストにお迎えして、トークを繰り広げるポッドキャスト番組です。
本日は、日本自身造形の深い野次広一郎さんをお迎えして、トークを繰り広げていきたいと思います。
ということで、ご出演よろしくお願いいたします。改めて自己紹介を。
はい、こんにちは。千億八個館、文館長だった野次広一郎です。だったというのは、今は千億八個館東京という名前に改名されました。
これ、いつ改名になったんですか?
4月から。
あ、もう、今収録4月ですから、変わったばっかり。
変わったばっかり。文館という名前がなくなってしまいました。
でもあれですよね、いつもちょっとあるじゃないですか、野次さんの使い訳的なやつ。
それにあって、僕はちょっと最初に千億八個館の名前を出さなかったので、ちょっと改めてそこでもよろしく。
日本全国に美術館っていくつあると思う?
美術館だけですか?博物館関係で。
なくて、美術館という名前がつくんです。
1500、2000ぐらいあると。
あのね、1050。
あ、それぐらいなんですか。
1050ってことはさ、館長が1050人ぐらいいるわけで。
その中でさ、文館長って呼ばれたの、俺一人だから。
すごい一生価値だった。
それがなくなってしまったと。
東京館長みたいな感じになるんですか?
東京館長になる。
それも新しいじゃないですか、東京館長。
東京館長。
なんか何やってるんだけど。
で、その千億八個館ってだから、これもまたなかなかね。
読みづらいよね。
だいたい泉谷八個館っていう名前で。
泉谷っていうのはさ、東京だとクッキー屋さんがあるんだよね。
泉谷の名前の、はいはい。
工事町にさ、老舗のクッキー屋さんがあってね。
で、よくね、泉谷八個館って言うとさ、
クッキー屋さんの博物館ですか?って言われる。
なるほど、なるほど。
ひどい人がさ、泉谷博士の五館って呼ぶ人がいて。
それはやめてください。
そうですね。
誰の名なんだろうな、古い泉谷。
で、泉谷っていうのはね、
隅友家の八号。
隅友家っていうのは江戸時代、元禄期に、
元禄時代だから17世紀の後半ですよね。
大阪で銅武器や銅を生成して販売する、
手尾力販売する仕事から始まった、
そういう家なんだよね。
だから大阪関西で活動していた、
03:01
その頃の八号が泉谷だったんですよ。
じゃあ音読みして、
音読みをしたんだけれども、八個って付けたわけ。
はいはいはい。
八個っていうのはどうしてかっていうと、
代々、隅友吉財門っていう名前を修名していて、
15代目の吉財門さんが、
銅の研究をし始める。
それで古代の青銅器なんかを、
系統的に集め始める。
中国の。
中国の。
青銅器っていうのは5000年前から作られてるわけだよね。
その歴史をたどれるように、
図録を作ったわけ。
15代の方が作った。
15代の方が作った。
それが八個図録っていう。
図録の名前だったんですか。
そこから八個って付けたわけ。
普通は博物館とか付けるじゃん。
あるいは異号館とかさ。
異号館、またイメージ変わってきますけどね。
でも八個館って付けたわけだよ。
制度機関のことをね。
そうするとさ、
泉八個館じゃあれだよ。
ちょっと悪くない。
なるほど、語呂がちょっと。
銅銅、音だとあれだから、
全部音読みにして千億八個館っていう。
千億八個館、
さっき文館町って名前だったっていうこと。
本館は京都にあるわけ。
これは何年くらいにできたんですか。
これは今から60年くらい前にできてる。
非常に歴史のある私立の美術館なんだよね。
その中心になるのはやっぱり制度機。
それから、
近世までの江戸時代までの絵画。
それから中国絵画。
あと工芸ですね。
文人趣味の文房具とか。
そういうものが中心になっている。
これは基本的に住友家の皆さんが集めたもの?
そうなんですね。
歴代集めてきたものもあるんだけど、
主には先ほど言った15代のね。
別名春水さん。
春水っていう画具を持った人がいて。
だいたい明治時代に活躍したってことですか。
明治時代後半から大正時代までの人なんだけれども、
その人が集めたものが中心になって。
それからその人の息子さんたちが2人いて、
その2人も美術を集める。
だからその3人のコレクションが中心になったのが、
この千億白虎コレクション。
でもやっぱりその白虎のコレクションのメインは、
やっぱり中国の名前についているぐらいですから、
やっぱり青銅器。
青銅器がどうしても世界的なレベル。
もうそんなにすごいものなんですか。
世界中の青銅器ファンとか研究者は、
京都の千億白虎館のコレクションを、
まずは研究するっていう。
大英博物館とかいろいろあるじゃないですか。
06:01
あるけれども、やっぱり京都の千億白虎館。
なんでそんなに集められたんですか。
自分が銅武器屋だから、
銅の歴史みたいなものをずっと。
だからその時ってのはあんまり高くなかった。
そんなことないと思うよ。
もうその時から集めたのは大変だけど。
大変だけど集めたっていう。
ざっくりどれくらい数は。
どうだろう、数千点。
そんなにあるんですか。
それは質だけじゃなくて量としても世界的にすごい。
それはもう少し違う。
やっぱり中国本土とか欧米にあるものはあるけれども、
質的に非常に高い。
これ当時どういうところで売ってるものなんですか。
それね、ちょっと難しい問題がそこはあるんだけども。
でも中国からほぼ出土したものを、
正規のルートをたどって使って集めたものなんですよ。
例えば世界的に活躍している小美術賞である山中翔介さんとかね。
そういうところからルートを使って集めてる。
でも60年前に美術館ができたってことは、
隅田の春水さん自体はそれを持ってて、
それは美術館とかではなく家に置いてあったの?
あのね、銅器館っていうのを作ったわけ。
展示するための。
それはもともとあったんですか。
銅器庫っていうね、お蔵を作ったわけ。
それみんな見せてたんですか。
一部の人に見せたりしてた。
一部ってのは美術関係者の方も見てたんですか。
そうですね、研究者とか。
やっぱりそれを歴史的に位置づけないといけないじゃない。
自分の判断ではなかなかできないところもあるから、
中国の正銅器に詳しい学者たちに分類をしてもらったり、
鑑定をしてもらったりっていうことです。
この正銅器って、なぜか僕も展覧会で見させてもらいましたけど、
相当な技術がありますよね。
そうですね、5000年前だからね。
紀元前、2000年くらい前の話ですよね。
でね、今の技術、それを再現しようと思ったことがあるらしくて、
あのね、完全には再現できなかった。
今の技術を持ってしても。
できない。
それぐらい超絶技巧的なことですか。
で、そのどうしてどういう風に作ったのかっていうような研究をね、
しているのが、千岡学館の京都の本館で。
それをね、自分のところがセンター的な役割を果たして、
今はね、九州に足谷の里っていう、
これね、室町時代後半に茶窯ってわかりますよね。
お茶の茶の湯の窯があるじゃない。
あれを作っていたところがあるわけ。
あれ、まあ主には銅じゃなくて鉄でできてるんだけども、
要するに鋳鉄、鋳物の技術っていうのを関連づけて、
09:06
京都研究を今しているわけ。
で、その再現をしてるんだけど、
5000年前の正銅器っていうのはだいたい2ミリ、
厚さが2ミリくらいなんですよ。
それに彫り物がしてあるわけじゃなくて、
いろんな模様が付いてるわけじゃない。
それどうしてできたのかっていうようなことをさ、
もう本当に真剣に研究してるわけ。
でもまだわかってないんですか?
完全に解明はされてないけれども、
徐々にわかりつつある。
こういう風にしたんだろうみたいな。
そういうところなんですね。
そういう研究をしてるの。
これちなみに京都ではそういう研究をされてるんですけど、
東京と京都ってどういう違いがあるのか。
東京館は2002年にできてるんですね。
20周年ということになるんだけれども。
今2021年、来年に20周年。
六本木一丁目の駅の上の方にあるんだけれども、
そこには住友家の東京の別邸があった。
当時ですか。
明治時代から大正時代にかけてね。
そこには洋館があってね。
そこにも絵画とかいろんな美術品を飾って、
王節施設みたいな。
芸品館的な。
芸品館的な施設でもあったわけですよね。
そこに何があげてたかっていうと、
西洋絵画であるとか、
近代的な絵画。
あれでしたっけ、モネーとか。
そう、モネーとかね。
日本で初めて買ったモネーって言われてるんですね。
そういうものも飾られていたかもしれない。
それを後々美術館にしましょうよということで、
2002年に開館したのが千億八個館、文館っていう名前で、
今年から東京という名前になったんですね。
そこでは、京都は西道記とか古美術が中心なんだけれども、
場所柄、それからもともと住友の東京を別定っていうのは、
西洋絵画とか近代絵画を飾っていたので、
近代美術を持っていきましょうということになって、
近代絵画とかお茶道具が中心なんです。
これ今までリニューアル工事中じゃないですか。
大きくなるんですか?
あそこは公園の一部なんですよ。
だからあんまり大きくできなくて。
ちょっと手狭いというか、
コンパクトな美術館ですよね。
ギャラリーが2つしかなかったんだけれども、
ギリギリ4つにしたの。
ちょっとだけ増えるの?
12:00
1.4倍ぐらいかな。
ギャラリーが4つをできる。
4部屋になった。
前の2部屋よりは1つ部屋が小さくなってるんですか?
そういうわけでもなくて。
それは残したまんま、さらに2部屋増えた?
残したまんま2部屋。
工夫に工夫を重ねて。
確かにロビー広かったですもんね。
あのロビーをうまく使おうと。
例えばコンサートホールにするとか。
小さいながらも都会の幻想を離れて、
美術を鑑賞しやすいような、
精神的な変換空間を作ってみましょうということで、
あのロビーを少し改変しました。
外側から見るとそんなに変わらないんだけど、
中に入るとだいぶ変わってますね。
野次さんは展覧会を試されているじゃないですか。
広くなった方がやりがいがあるんですか?
そうだと思うよ。
今まで自分の中でもう少し広がったらもっとできたのに。
1つはね、小さいとどうしても不尽まりした展示になっちゃって、
こちらのアイディアも十分に反映できないところがあるじゃない。
あれ1.4倍くらいだけれども、
やっぱりこういうテーマで、
面白い展示をやってみたいという希望があったから、
それが実現可能になりそうな気がします。
ちょっとテンション上がってる感じですかね。
テンションはもうすごく上がってますよ。
じゃあ今までの展覧会でもう少しこれできたなというのはあったんですね。
結構行くといろいろと教えてくださって、
もうやりきったぜみたいな感じだったんだけど。
途中で展示会をしたりして、
お客さんが2回来ないと全部見られないみたいなことがあるじゃない。
そうじゃなくてやっぱり1回で見られるというようなことを考えてるわけ。
もう仕込んでるんですか?
いろんなことをやってます。
オープンは何日になるんですか?
来年2022年の3月の後半になると。
あ、4月にはなんないんですね。
だからもう2022年度ではなく。
22年度になるかな一般的に。
22年の3月の後半から始まるっていう感じで、
あと1年くらいかなちょうど。
本館は今も開いてる状態ですよね。
本館はもちろん開いてる。
もし制度期見たいという方は本館に来てください。
本館は広いですよね。
本館は広いよやっぱり。
制度期だけの調整の必要もあり、特別テーマをやってる。
ちょっと僕気になってたのは、本館とその文館があったじゃないですか。
本館文館があるんだから、たまに僕は両方とも連絡が来るから、
本館の方が結構面白そうだなと思ってて、
15:00
でもなかなか今日といけないじゃないですか。
東京住んでると。
巡回してくれればいいと思うんですけど、あんまり巡回してくれないですよね。
本館は本館、文館は文館みたいな。
いや、そんなことないですよ。
巡回するのもあるんですけど。
巡回するのもあるし、僕はこれからやっぱりいいものを東京でもお見せしたいから、
巡回を企画はしています。
これからは。今までも何かはなかったですけどね。
ということで、過去どんな企画展をやっていたかという、
野次さんのオススメ展覧会があれよかったんですよ。
千八百個館で。
文館で行きますか、文館で。
千八百個館で。
千八百個館ってさ、やっぱり自分でも言いづらいよね。
まだ慣れてないですかね。
慣れてないというか。
何年目ですか、文館長が。
10年は経ってないね、まだ。
8年ぐらいかな。
でもやっぱり言いづらいです。
言いづらいよね。
じゃあ、中の人もみんな言いづらいと思ってるんですか。
言いづらいでしょ。
だって電話を受け付けるときにさ、千八百個館文館ですって。
確かに。
僕の人はさ、何それって。
自面がね、思い浮かばないよね。
確かに。
それでね、名前をとにかくちょっと変えたらどうかっていう提案をしたんです。
例えば、隅友家の美術品だから、隅友美術館とかね。
隅友記念美術館とかにしたらどうなるだろうと。
三井記念美術館さんとか三井七郷館さんみたいな感じ。
でね、もうそういった問題いろいろあったんだけれども、
結局隅友さんの名前を使うっていうことはさ、いろんな関わりがあるわけですよ。
なので、千八百館っていう名前で、京都はもう60年やってきてるから浸透してるんだけど、東京はまだまだ。
でもまあこれからの40年をちょっとそういうね、普及の時期に当てましょうと。
で、隅友さんはね、やっぱり奥ゆかしい家柄だから、あんまり隅友っていう名前をね、全面に出すっていうことをちょっと控えるんだよね。
そうなんですね。
そこがちょっと他のあれとは違う。
他のあれを何と言うことが言えないんだ。
奥ゆかしい。
それと逆に僕はね、千億八個館って一度覚えてもらうと、なんとなく語尾につく名前ではあるわけ。
それと最初は入りづらいと思うんだよね。千億八個館って何があるんだろう。八個館って何があるのかわからないのってあるじゃんね。
でも入ってみると結構いいものがあってね。
しかもね、独り占めできるんだよね。人が来ないから。
それはそれであれですよね。来てほしいですけどね。
でもね、それは逆手にとって、僕は独り占めできる美術館っていうのを逆に売りにしようかなと思ってるんですよね。
だから世界一入りづらい美術館かもしれないけれども、独り占めができる。
なるほど。かくれが系の。
18:00
かくれが的なね。
そこで何か日常からちょっと離れた非日常的な気分転換があるとか癒しであるとかね。
そういうのを見つけてもらうといいかなと思ってるんですよ。
今後もあれはあるんですか。リニューアル前はありましたけど、お茶コーナーってあるじゃないですか。
あれは実はカフェを作りました。
マジですか。それはだいぶ変わりましたね。
カフェをちょっと増設したの。これだけはちょっとこだわったの。
カフェとミュージアムショップを増設しました。
ミュージアムショップもなくはなかったけど、受付その間も一緒でしたね。
つけたしみたいな感じでしたね。
それじゃなくて、ちゃんとしたコーナーをね。この部屋ぐらいかな。
今収録している会議室ぐらいのところですか。
そんなに大きくないけど、オリジナルのグッズをちょっと置こうと。
オリジナルのグッズ開発もしているところなんですよ。
だいぶ変わりますね。
やっぱり記念品として、こう着たっていう記念になるようなグッズを。
柳とかいろいろ定番はあるかもしれないけれども、
そうじゃなくて、あそこにしかないようなものとか。
この前、真ん中に行ってますけど、戦後科学館分館で、
本館にある静銅機のコレクション展があった時に、
耳づくみたいな形の静銅機いるじゃないですか。
あれ定番。
あれのフィギュア売ってましたよね。
フィギュア。
そうそう。学芸人さんに、これとりさん買いませんよって言われたけど、
満帯だったから、結構な金額のものを与えました。
あれは銅、非常に精錬度の高い銅で作っていて、
しかもあれはね、スミトモ金属だったかな。
スミトモの企業で作ったもの。
技術を。
技術を作る。
結晶なんです。
結晶なんです。
それでも売る可能性高いんですかね。
もちろんもちろん。あれはもう定番なので、
あれ欲しいって人結構いるんですよ。
たださ、あれをどういう風に使うかだよね。
フィギュアって僕だけで楽しめるものなんだけど、
もう少しゴリア感出したいなと思うわけ。
だって持ってると幸せになるとか、そういうのもいいじゃん。
確かに確かに。
だからちょっとゴリア感をプラスあるまで、
例えば匂い袋の中に入れて持ち歩くとかさ。
なんかそういう。
なるほど。
お守り的な。
あれとかどうですか。
お米と一緒に炊くと美味しくなるみたいな鉄あるんですよ。
だからそれを炊飯器に入れると、
その精銅器のパワーでお米めっちゃ美味しくなるとか。
なるほど。
そういうこともちょっと考えてみようかな。
もし企画会議あったら僕一緒に行きますので。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
そうですね。
野次さんが今まで生活家の文化でやった展覧会の中で、
僕だけ選びますか。
今まで面白いのいっぱいありましたけど。
21:01
何が面白かった?
あれじゃないですか。
この島王国展。
これ野次さんに教えてもらった方です。
この島王国って読めない人たくさんいるよね。
木島。
そうですね。
木曜日の木の島の桜の急時に堪り。
この島王国。
この島王国。
字数だから分からない。
分からない。
僕はこれまで要するに、
どちらかというと負け組の作家を掘り上げるという。
横山大官とかそういうのじゃなくて。
じゃなくて。
美術史の流れから言うとちょっと忘れられた作家とか。
抜け落ちちゃった人とか。
そういうのばっかりやってきたんだよね。
負け組が好きなんだよ。
なるほど。
負け組ってさ、
でも本人は負けたつもりは全然ない人がいるわけだよね。
この島王国もそういう人に。
2列目なんだけどど真ん中の人がいるわけ。
そういうのが好きなの俺は。
この人はちなみにどこの作家さん?
京都の人。
京都の人なんだけれども早く亡くなっちゃったこともあってね。
しかも不良の事故で亡くなっちゃっていて。
昭和13年という時期に亡くなってるからさ、
戦争時代にその後になっちゃうでしょ。
なるほど。
そうするとさ、展覧会とか作品を見る機会が戦後までずっとないから。
空服機関と同館にされちゃったところがあって、
美術館にも作品がそんなに収まってなかったっていうこともあってね。
見る機会がないと名前って忘れられちゃうじゃない。
それでこの島王国はなぜ住友家と関係があるかっていうと、
さっきの15代の春水っていう人が大阪にいたんだけれども、
大阪の住友本邸をチャウス山っていうところに移転したの。
今大阪市立美術館があるところ。
市立美術館があるところ。
天皇陣のところですね。
あそこに住友の本邸を移したの。
それを広大な屋敷を作って広間も広大な広間ですよ。
そこに屏風を飾るっていうことを計画したわけ。
その屏風を誰に描いてもらうかっていうんで、
いろいろ展覧会を回って自分の足でね、
この人いいなと思って目をつけたのはこの島王国。
実力はもうだから、
まっすぐ。
当時から若手の中でもすごく優秀でね、
成績も優れた人だったんだけれども、
60くらいで亡くなっていて、
松茸狩りに行った帰りに遭難しちゃう。
そんな亡くなり方なのですか。
最後は電車に引かれて亡くなっちゃうっていう。
24:00
遭難した後。
後、放浪しちゃって。
多分意識がなくなっちゃったか何か怪我したかで、
ちょっと不良の事故だったんでね。
松茸は取れてたんですか?
家族の人たち大変だったでしょうね。
一緒に行ってるから。
そうかそうか。
遭難届け出したと思うよ多分。
でもその時、本邸の頼まれた時にはまだ若手なの?
でも中堅の実力派みたいなところで、
京都がある意味で代表するような実力派にはなっていたんですよ。
でも当然もっと大御所もいた?
例えば竹内政法とかね。
まだいる頃ですか?
もちろん活躍している頃だから、
でもその中でやっぱり注目されていた人ではあるんだよね。
でもそこは春水さんも偉いですね。
だってお金持ちなわけですから。
竹内政法に頼むことも全然できるのに、
そうじゃなくてこれからの。
あれ一つはやっぱり若手の育成みたいなことをちょっと考えていたように思うね。
どうしてそういうことを考えるかというとね、
実は隅友春水っていう人は奥下さんの出なの。
隅友家じゃないんですね?
御子さんに入ってるから隅友家が途絶えちゃったんで、
男子が途絶えたんで、
外から御子さんを持ってきましょうって話になって、
目をつけられたのが徳大寺高丸さんっていう名前の人。
クゲみたいな名前ですね。
クゲの中でも高位のクゲだから徳大寺っていったら。
クゲはなかなか面白いんで実は。
話をするとすっごい長くなっちゃうんだけど。
クゲとかまた別の名前で。
すっごい面白い。
京都御所ってあるじゃない。
京都御所今でも広大な敷地があるじゃん。
あの中に天皇家もちろんあるんだけど御所だからね。
その周りに130近いクゲがみんな住んでたんだよ。
そうなんですか。
ニュータウンなんですね。
クゲニュータウンみたいな。
そうするにさ、皇室とクゲっていうその空間。
お土産になってるんですねそこで。
もう保護区ですよね。
金魚区みたいな。
大変なんだけど、
その130くらいある中でも、
例えば大臣になる家っていうのは決まってるわけだよね。
さらに格式があるんですか。
格式があって節間家っていうのは知ってるでしょ。
節所間白を出せる家っていうのは5家しかないわけ。
例えば1畳とか2畳とか9畳とかね。
高塚さん。
聞いたことありますね。
で、そういう家しか節間にはならない。
節所間白にはね。
で、その下にさ、
清賀家っていうのが。
清賀、どういう字が。
清賀っていうのはね、
精神のせいにあなって書く。
ファって書く。
清賀家っていうのが9家だったかな。
27:00
あって、
それはまあ右大臣とか左大臣とかっていうのがいられるし、
9家の中でも、
例えば天皇に直接閲覧ができるというような、
そういう家柄があるわけ。
要するに節間家の補佐役みたいなことをやる家。
その中の1つが徳大寺。
その出番ですね。
隅藤さんが。
十丁台は。
徳大寺って家はですね、
その旧地の中でも重要な役職をずっと代々。
元を正すとね、
藤原北家。
から来てるんですか。
藤原府人の流れだね。
元がめちゃめちゃ古くなる。
奈良時代とかそれぐらいの。
そこからなんですか。
飛鳥白鳳時代ぐらいからずっとある。
鈴木家柄で。
もちろん9家ってみんなそうなんだけど、
その中でもだから補佐役になるような重要な役職を任された。
家の方なんですか。
お兄さんは西音寺金持っていう。
聞いたことあるでしょ。
聞いたことある名前だけは。
総理大臣を2回か3回。
経営内閣って覚えてる?
経営内閣。
日本史が。
日本史授業みたいになってる。
千葉大夫法系文学部の人たちが。
経営内閣ってどういう意味?
経営内閣って桂太郎と西音寺金持が順番でやった時代があるじゃないですか。
第一次世界大戦の神奈川会議。
あれに出たのが西音寺金持なんだけど。
その西音寺金持が実のお兄さん。
隅友修士さん。
修士は。
西音寺も結局徳田寺から出てるんだけど、西音寺県に向こうに行ってるわけだ。
ややこしいですけど。
そういうことたくさんあるわけ、9家って。
この家ちょっと土台そうだからさ、こっから取ってこいよって。
次男さんだってみんなそうなんだけど。
血がだんだん濃くなるわけだよね。
でもまあそれを去っておいて、徳田寺っていうのは後位の家だから、
兄弟が多いとそういうところにおむくされている可能性がある。
で、徳田寺高間郎さんは優秀な人材だったんだよね。
明治になってるから学習院に行ってたんだよね、東京に行って。
東京別定に、東京じゃない、どうだったかな、ちょっと忘れちゃったけども、
学習院に行ってて成績優秀で、そこに隅友家の人たちは目をつけて、
で、徳田寺高間郎さんを向こうに持ってきたわけ。
お父さんもなかなか面白い人でした、徳田寺。
金尉徳っていう名前の人なんだけど、金尉徳って君っていう字ね、皇爵の公ね。
順って書くの、純粋の順って書いてある。金尉徳って読むんだけど、
30:03
この人ね、バリバリの尊王上尉が、尊王上尉の句言なんですよ。
徹底的に反対を、徳川家とは反対をするっていう、
旧戦法の人だったんで。
その息子さんになるんですか?
その息子になる。で、その長男は徳大寺、何度か行っても、
その人は明治天皇の自住庁をやった人。
そんなに中枢にいた人なんですか?
そう。ね。
だから、それから西文字、金文字兄さんでしょ。
だから、春水っていうのはさ、一番下の弟なんだけれども、
お兄さんたちの力っていうののさ、引き上げとかいろいろあるわけ。関係が。
なるほど、はいはい。
だから、春水はさ、例えばヨーロッパに明治27年だったか8年だったかに行くんだ。
明治30年だ。明治30年に初めてヨーロッパ視察に行くんだよね。
で、それね、お兄ちゃんと一緒に行ってるわけ。
はいはいはい。
で、お兄ちゃん先に西文字、金文字さんはヨーロッパに渡って、
実はヨーロッパでね、ちょっと具合悪くなっちゃうんですよ。
はいはい。
ほんで、本当はアメリカで春水はしばらく滞在するはずだったんだけど、
お兄ちゃんの病気があるから、すぐにパリに行くわけ。
そっちに行くんですね。関連して。
で、パリで明治30年って言うと1898年ぐらいでしょ。
そうすると印象派が活動した時期から10年後ぐらい。
なるほど、はいはいはい。
そうするとさ、印象派の人たちってのはさ、その当時はまだ前衛作家、
海の者とも山の者ともわからない。10年経つとみんな巨匠なんだよね。
で、モネとか、あとルノワールとかいるじゃない。
でね、モネの作品をそこで見つけちゃうわけ。
はいはいはい。本場でですね。
本場で。これいいやんって思えちゃったんだよね。
で、2転買ってきちゃったわけ。
そっちでね、フランスで。
フランスで。で、もちろん仲介者は林忠正っていうさ、浮世絵を印象派に届けた人。
伝説の美術の人。
伝説の美術の人を介して。で、林忠正はさ、西音寺勤務所仲良しなの。
まだ繋がってそうです。
繋がってるから。で、そのまあ、つてを頼ってね、モネの作品を2転。
でもね、何転か部屋に並べて、その中から選んでるわけ。自分の目で。
へー、やっぱりこの時代から見てもいいの選んだなと思います。
あのね、ちょっと地味。
ああ、なるほど。公園の絵でしたよね。
公園の絵。
公園を描いた絵ですよね。
地味なの。あのね、跳ねない絵じゃないんだよね。
33:00
モネの絵の中でも。
モネですね。
モネの絵の中で綺麗綺麗な点描で描いたの。もちろん点描では描いてあるんだけど、
どちらかというとちょっと、なんていうのかな、おとなしい感じの。
シックな感じ。
シックな感じの絵をね、2転選んでる。
そういう趣味なんですかね。
多分そういう趣味なんだよね。あんまりこう、でしゃばらない。主張しないっていうのが自分にもあるし、
向こう、美術品にもそういうものを求める技術があったと思うんだけど、
そういうのを2転選んでる。
それをまた飾ってあったんですか。
それをね、最初は明治30年代の半ばに、
スマっていうところが神戸の郊外にあるじゃない。
で、スマにね、洋館を作ってあるわけ。
いっぱいあるんですよね。建てるよね。いろんなところに。
で、スマの別邸を洋館を作って、そこに飾るために買ってる。
そのために西洋絵画をね、買い集めたんだよね。
だからもう洋館には西洋美術、和館だったら日本美術みたいなのを積み分けてるんです。
そういうところが、もちろん、なんていうんですか、工芸品なんかはそういう洋館にも飾ってるし、
っていうようなことがあって。
だから日本にね、ほとんど最初にもたらされたモネの実作があれだと思う。
全然モネブームも起きてないわけですよね。
全然起きてない。
さらに面白いのはさ、スマの別邸、洋館をね、ある意味今でいう一般公開みたいなこともしてるんですよ。
一般人も入れてるんですか。
周りの子供たちを招いて見せたりとか。
美術品を見せるんですか、建物全体を見せるんですか。
建物全体、もちろん絵もね、見てもらったり。
それから、絵描きさんたちを呼んで、絵描きさんたちにさ、絵を見てもらうっていうようなことをしてるわけ。
それでさ、モネなんか初めて見たなっていうのがさ、いろんな絵描きが言ってるわけ。
しかも本物を見てるわけ。
本物を見てるわけ。
あれで印象派の実作っていうのをみんな知るわけだよね。
みんな天秤を始めたりするわけ。
へー。その中で有名な画家っているんですか。
あのね、何人かもちろん。
例えばね、名前忘れちゃった石井博帝とかね、それか小杉宝安とかね、そういう人たちですよ。
それから関西の洋画家たち、有名どころほとんど見てるんじゃないでしょうかね。
へー。美術館的役割をしてたったわけですね、当時。
邸宅美術館っていう言葉が正しいかどうかわからないけど、そういう性格のものだったでしょうね、施設としては。
それはあれなんですか、本人が美術館。それともお月の引きながら。
本人がそういう気持ちだった。
それが好きなんですか。
うん。要するに社会奉仕っていうのかな。
社会に還元する、自分がもたらしたもの、自分が気づいたもの。
お金儲けももちろんそうだけど、それだけじゃ社会は成り立たないから。
36:05
今で言うメセナみたいなことをし始める。
それね、やっぱり明治30年の欧米視察というのがすごく大きくて、
ノブリス・オブリージュっていうんだけれども、
高貴な人間というのは社会に還元するっていうことをヨーロッパの人たちはみんなするわけじゃない。
それを日本にもたらしたわけでね。
今タイガドラマで渋沢栄一もそういう話になってるけど、それと同じようなことをもう参考された。
規模はちょっと違うかもしれないけれども、自分でできる範囲のことをするっていうことはしてるよね。
それでちょっと話がだいぶ戻るんですけど、この島国もそういう画家に対してっていう気持ちがあるんですか。
もっと育成したいとか、実力があるからもっとこういうものが描けるんじゃないかとかね。
画業の発展のためでね、そういうことで支援をして、
屏風を描いてもらったり、作品を購入したりっていうことをしてたね。
その中でも、たとえば野口さんがお勧めする作品とかありますか、この島国で。
あのね、この島国で今まで知られているのはやっぱり寒月っていう。
寒い月と書くんですね。
これは京都市の美術館、今は京セラ美術館になってる。
京セラ美術館の名前がありましたね。
そこにある作品で、竹林があって雪が積もっている中を一匹の狐がトボトボと歩いてくる。
山の端の向こう側、竹林の向こう側に月がかかっているというような、ちょっとドラマティックな作品ですよね。
一見見ると水墨画のようなモノクロームの世界なんだけれども、
よく目を凝らしてみると様々な色彩が使われている。
非常に引き付けられる有限な世界。
そこにストーリーを感じるわけだよね。
野口さんは出会いはどこなんですか、この島国。
やっぱりそれが最初かな。
それを京都市の美術館で見たのが最初だし、
山種美術館時代にそれを借りた経験もあります。
そうなんですね。
野口さんがやった展覧会で結構大会的でしたけど、それまではあんまりなかったんですか。
あんまりなかったですよね。
もちろん京都市の美術館ではそれまでにこの島国の展覧会をやっていますけれどもね、
1970年代だったと思いますから、
それから30年ぐらい、30年以上経っているよね。
40年近く経っているわけですよ。
大々的な開講展としては、
千岡学館の本館と文館、当時の文館でやったのが、
久しぶりの開講展です。
そうですよね。だってこの生誕140年記念で、
しかもパート1、パート2に分けたんですもんね。
39:01
分けて京都と東京で公開をして、
すごい人気でしたね。
ですよね。評判はやっぱり良かったです。
初めて見る人が多かったんじゃないですかね。
あれをきっかけに覚えた人の方かな。
だから僕が覚えているのは、この島国が描いた馬の絵があったんですよね。
馬の絵の顔がやたらと馬面だったんですよ。
普通の馬よりも馬面で、
なんか馬面だなと思ってこの島国さんの本人の顔写真を見たら、
本人もまあまあ馬面な感じで、
見せたのかなとちょっと思ったんですよ。
そういうことあるよね。
絵描きさんって自分の顔に何を描いているみたいなところあるじゃないですか。
なんかおっしゃってましたよね。
この番組に出たことないですけど、鳥博士の友達がいるんですよ、僕の。
で、3人でトークショーとかもやったくらい。
やったね。
そしたら高橋くんっていう、高橋鳥博士なんだけど、
おじさんが初めて会った時に、
やっぱ鳥博士は顔が鳥に似てくるなみたいな感じで、
一発であの子でしょみたいな感じで言ってましたもんね。
やっぱり似てくるんですね。
研究をしたりさ、その道のやっぱりプロフェッショナルマルドで、
研究対象に関心のあるものにやっぱり似てくるね。
じゃあ野次さんも日本美術研究してるから、
どっかで日本美術顔になってたんですか。
僕は日本画から入ったでしょ。
はいはい。
だからちょっとフラットな顔になってます。
フラットになってますみたいな、なるもんなの。
じゃあ浮世絵研究してるなんて人はやっぱ浮世絵。
浮世絵的な感じになるね、やっぱりね。
本館の精銅器研究してる人は精銅器みたいな顔になる。
やっぱりそうなるね。掘りが深くなる。
不思議だよ。
ほんとですか。
ほんとにそう。
じゃあ顔のっぺりしてて掘り深いんだ、
だいたいなんて人はもう精銅器とか研究してたら、
数十年後はもう掘り深くなる。
掘り深くなる。
いやほんとだって。
ほんとだって。
例えばさ、分かりやすい話をするとさ、
京都大学の前の総長だった山岩十一先生っていうのがいる。
ゴリラの研究家で、ゴリラと話ができる人。
あーなんか聞いたことある。
もうすぐ形ほとんどゴリラ。
いやこれ本物の証拠だよ。
これは褒め言葉ですね。
褒め言葉、もちろん。
オリンピック発言みたいなやつじゃないですよ。
ほとんどゴリラさんで、
ほとんどゴリラさん。
でね、これ本物だと思った、僕。
それはちゃんと研究する人は。
だってゴリラのファミリーの中に行っても、
もう仲間のように接してくれるわけだよ、ゴリラさんが。
そんな人いないもん。
逆ではないんですか。
その人があったわけじゃないですけど、
例えばゴリラみたいな顔だからゴリラを研究しようとか、
鳥みたいな顔だからプリキュア。
それはない。
研究していくと変わっていくもんね。
研究して、やっぱり毎日それを手にしたり目にしたりするっていうことが、
すごくその人の体型まで変えてくる。
42:02
例えば日本美術研究してる人は、
日本美術の美意識になるわけですよ。
ってことはメイクとかするときも、
この日本美術の美意識に寄せてっちゃうからそうなる。
そう。
だって例えば専用美術をやる人ってね、
例えばデューラーを研究する人って、
デューラーみたいな顔になってくるよ。
ピカソとか研究してる人怖いですね。
顔が崩れてっちゃいますね。
そうなるかな。
そうなったら大物だよね。
抽象とか研究してる人はどうなってくるんですかね。
顔がもう、目も鼻も口もなくなってきたぞみたいな。
抽象的な姿が。
でも同時に長いじゃなくて学芸歴。
ってことは若手の学芸員さんとか入ってきてる時から見てる人が、
あれ、あいつやっぱりアルバムかな。
アルバムになるなーみたいなことあるよね。
へー。
これ、僕はどうなってくるのが正解なんでしょう。
いろんな美術を研究。
幅広く。
あーそうか。
幅広くいろんな要素が。
いろんな顔に見えてくる。
見えてくるっていう。
百面相みたいなやつだよね。
美術百面相っていう番組にしたらこれ。
番組は変えなくていいですけど。
そろそろ話を戻した方がいい。
この島王国だよね。
はい。
この島王国はね、
京都のガダンで育ってるから、
京都ガダンってね、やっぱり江戸時代の中期に丸山王朝が出てきてから、
写実っていうのがずっと連綿とあるわけ。
それが元なんですよ、ベースになっていて。
そこに近代絵画として何が必要かっていうのをみんなが探し始めるのが明治20年代くらいからなんですよね。
そこに個性主義的な内容であるとか表現であるとかっていうのを付け加えるのがさらに30年代くらいの。
そういう流れの中で早く自分の画風みたいなものとか動物をね、
今でいう花鳥、昔でいう花鳥画、今なんて言ったらいいんですか、動物画っていうのかね、花鳥画。
花鳥画ってなかなか難しい言葉なんだけれども、花や鳥。
西洋で言うと生物画とか動物画とかっていう風になると思うんだけれども、
動物にやっぱり注ぐ眼差しが他と違うよね、この島王国って。
動物のことが本当に好きなんだと思う。
だからその好きだっていう感じが絵筆に乗るよね、やっぱり。
やっぱり絵っていうのは好きなものを描いている方がいいですか。
そう、渡辺聖典もそう。
これちょっと後半に撮っておきます、渡辺聖典。
今日お持ちいただいた渡辺聖典、今ちょうど収録がこれ6月5日配信ってことはまだやってるのかな。
どっかで巡回してるんですね、今年。
45:02
渡辺聖典の画集。聖典、典じゃないですね、聖典の画集。
記念画集。
めちゃくちゃ重いんですけど、これすごい金額だと聞いたんですか。
いや、そんなでもないです。
トニーさんだったらポケットマーカーで。
6万くらい超えてますね、展覧会以上で見て。
でも豪華な画集なんですよね。
これは初めてできるんですか。
初めてでしょう。
渡辺聖典、ちょっと今ブレイクし始めてるので日本美術好きな人は知ってるかもしれないけど、初めて聞く人もいると思うんで。
聖典のせいか、繁盛のせいになんとか。
最優帝とかの帝ですね、渡辺聖典。
これもう野次さんずっと推してましたもんね。
いやもうこの人もピカイチの人だよね。
これもやっぱりさっきおっしゃってた、敗者の部類に入るんですか。
そう、敗者ですね。負け組だったんだけれども、ようやく勝ち組に。
何年かけたんですか、野次さん。
35、6年かかってるね。
本当ですか。でもそれくらい前から目をつけてて。
可愛い絵描いてるのになんでみんな知らないんだろうと思ってさ、もう30年以上かかっちゃったね、これを。
そんなにですか。そもそも簡単なプロフィール的な渡辺聖典。
話長くなるよ。
大丈夫だそうです。
これまた後にしようよ。
花鳥画っていうと、やっぱりこの人が東京ではいて、京都ではこの島王国みたいな感じになっていて、
花鳥画、つまり動物画を描くっていうことはさ、その動物に接するっていうことが基本じゃない。
見るだけじゃなくて触ったり、細部を確認したり、あるいは動きとか、
どういう性質を持ってるとかっていうのがわからないと絵にできないじゃない。
そういうことをさ、本当に日々努力して探求する人が本物の花鳥画家だと僕は思う。
そういうことをやったのがこの島王国であり、前の時代だと渡辺聖典っていうことになると思う。
じゃあこの渡辺聖典の話は積もる話がいっぱいあるということで、これは後編に。
積もるよ、もう。
後編にお届けします。
1日話しても別に。
1日話しても。さすがに僕は1日聞けないです。
はい、という、渡辺何回もありましたけど、だからそういう、でもこの人が敗者になってしまったのはわかりますか?
60歳で亡くなったからというのも。
そう、あのね、生計も60くらいで亡くなってるんですけど、やっぱり当時の寿命だとそのぐらい普通なのかもしれないけれども、
例えば、なんていうのかな、この島王国にしても渡辺聖典にしても、有力なお弟子さんを育てられなかったっていうのはあるじゃない。
そういうのもでかいんじゃないですか。
そうすると先生のためにこう、開古典をしたりっていう、なんていうかな、ことをね、考えてくれる人がいないとさ、なかなか忘れられちゃうっていう次第にね。
48:08
一匹狼的な感じだったんですか?
漏れないっていうのは、俺好きなんだよ。
いわゆる画壇に入ってないみたいな。
そう、画壇に入らない。つまりさ、漏れるっていうことは僕はね、ほんと大嫌いで。
なるほど。
漏れないのを基本にしてるんですよ。そういう画家が僕は好き。
でも漏れない画家ってことは、やっぱり探すの大変ですか、そういう画家を見つけてくるっていう。
大変ではないよ、たくさんいると思うよ。
漏れてないけど、今回渡辺聖典とかこの島国は、漏れてないけど実力があるわけですよ。
例えばさ、小村接待。今やってるでしょ。
三井記念美術館で、このオンエア中は多分やってるかもしれないですけど。
小村接待もそうだよね。漏れない。
想定をされている。
ここの世界を守りつつやっているっていうコツコツと自分の世界をさ、深めていくっていうことをやっている人ってだんだん忘れられちゃうんだよね。
作品はこんなにいいのにさ。
あれ一つはさ、展覧会っていう大きな会場で作品をいっぺんに見られるっていうタイプの作品作ってないじゃん。
小村接待にしても、聖典にしても。
個人の床の間とか机の上で楽しむタイプのものだから、
なんていうのかな、独り占めをしてもらうのが基本に前提になってるじゃないですか。
みんなにドーンと見てくれじゃないんですか。
じゃないんですよ。つまり展覧会芸術ではないから、
床の間芸術だったり、卓上芸術だったり、手のひらの芸術だったりする世界を開いたり、
それを深めた人だからさ、いっぺんに多くの人に認知されるってことがあんまりないわけだよね。
それといっても展覧会作る側としては、展覧会映えしないとかやりづらいのってあるんですか。
それを逆手に取ったのが芸大美術館の最低点だよね。
つまり一人で見られるっていう空間設定になってたでしょ、あれ。
はい、一個一個の展示ケースになる。
普通は壁があって、そこにどんどんと並ぶのも、
そこに対話ができるような空間の質はしてたでしょ。
あれが本来の楽しみ方だよね。
なるほど、そういう展示の工夫で見せていけばいい。
だからさっきの話に戻るけど、千岡古館東京もそういう空間作りをしたなと思って。
一人占め美術館。いいでしょ。
いいです、いいです。
世界一入りづらい一人占め美術館。
入りやすさはあってもいいと思いますよ。
入りやすい上に一人占め美術館はよくないですよ。
なんで入りづらくされてしまうんですかね。
でも、間もなくオープンするわけですからね。
そこのこの島王国っていうのはさ、やっぱり動物のことが好きで、
51:05
動物のことをみんな知ってるっていうところがあるんだよね。
それを絵画にするっていうことですよね。
だから手抜きしないの。
それはやっぱり群れない画家の特徴ですかね。
例えば展覧会とかあると回帰があるじゃないですか。
だから出さなきゃいけない。
だから展覧会のためには一生懸命描くけどさ、
普段の石画みたいなものとかさ、
食い口のための絵とかっていうのはさ、手を抜くじゃん。
だから芸人でいうとテレビに出る時のネタは頑張るけど、
その辺の地方のトッピングモールでのネタはちょっと手抜くみたいな。
そうですね。
それはありますよね。
センションによって変わるじゃないですか。
でも、聖帝とかさ、この島王国ってね、
普段の作品はやっぱり手抜いてないよね。
やっぱり欲しい人のために一生懸命描く。
手抜きをしないっていうところがね、特徴的。
でもやっぱりそういうふうな仕事をしてたら、
やっぱりちゃんと認められるんですね。
生前、ないかもしれないけどもしかしたら。
そう、手抜きをしないっていうことは、
でも寿命を短くするってことでもあるかもしれないよね、ある意味で。
画家人生だけじゃなくて、本当に寿命を短くするんですか。
そう、命削っちゃうところがあるよね。
でもそういうのはやっぱり伝わるわけですね、そういう部分が。
そういうのをね、再評価してあげないといけないと思う。
今後、再オープンした時に、そういうまだまだ控えてる作家はいるんですか。
あのね、内緒。
誰にも言わなくても、仕込んでるというか、可能性はあるんですか。
僕はさ、なんていうのかな、ちょっとつむじ曲がりなところがあってさ、
最初山田の美術館に行って、それから練馬区立美術館に行って、
今専門科学館にいるんだけど、15年15年なんですよね。
で、だいたい10年ぐらいいると飽きちゃう。
同じ場所で同じギャラリーで展示をして企画をするっていうことに飽きちゃう。
飽きっぽいっちゃ飽きっぽいんだけど。
だから15年山田にいて、練馬も15年。
で、今度8年目か9年目なんですけど、そのうち飽きちゃうと思うんだけど。
宣言しました。
そのうち飽きちゃうと思うんだけど。
で、飽きないように、他の美術館やこれまでやったような展覧会っていうのを一度も僕はやったことがないわけ。
で、いつもオリジナルなものを提供しようと思ってね。
そのために人が見過ごしてしまったような作家であるとか作品であるっていうことを見つけると、
それを自分なりに調査をしたり研究をしたりっていうことを続けて、
54:05
なんか形になりそうだなっていうことをネタをね、ネタ帳に仕込んで、仕込んでっていうか、
これいつか目を出させて花を咲かせてあげようと思って。
そういうのを見てみると、やっぱりそのいわゆる美術史の中から抜け落ちてしまったり、
見過ごされてしまったりっていうようなことがある人が多いよね。
でもね、すごくその中にはやっぱり成功を込めて描いたものとか作ったものっていうのがあるし、
それはやっぱり作家にとってすごく大事なものですよね。
そういうものをやっぱりね、見つけて次の世代に渡したいなと思うんだよね。
失われることなくね。それが僕すごく大事なことだと思うわけ。
で、聖帝にしてもそれからこの島王国にしてもまだまだ知られざるものがね、たくさんあるから、
そういうものを紹介したり、それからまだ眠っているような作家であるとか、
ものであるとかっていうものを紹介することで、
何か我々の生き方とか精神の充実とかね、そういうことに役立てばいいなと思うんですけどね。
じゃあ展覧会はまだ飽きない感じでやれる?
飽きることないね。
でも散歩とかはまだ飽きずにしばらくいられる?
いまんとは飽きてない。
じゃあ野次さんの最新の展覧会はリニューアルした後に何かがまた楽しみだったということですので、
ぜひぜひご期待していただきたいなと思います。
カフェもいいよ。
もちろん楽しみですね。
カフェもね、コーヒーが主流なんだけど、あんまり知られてない、いい豆と入れ方をしてくれる人を探して。
こだわりますね。
それはリニューアルオープンのその日からですか?
その日から。
でもちょっと先行的にやろうかなと思って。
本ページ見ればそのうち出てくるんです。
皆さんぜひぜひチェックしていただきたいなと思います。
ということで今日いっぱい話してきた渡辺聖典の話は後半にさらに深掘りしていこうと思いますので、前半はこの辺でということで。
残念ですね。もう少し話したかった。
いやいや、後半まで喋れますから。前半喋れなかったら後半に撮っておいていただければなと思います。
57:02
はい、ということでまだまだ話が尽きない感がありますが、この続きは次回ということでさらに野次さんのご経歴を交えつつ、美術とのついての話を続けていきたいと思います。
チャンネル登録よろしくお願いします。
57:48

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