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2023-10-07 53:51

#092 もう一度、世界を「みる」試み。さいたま国際芸術祭2023について(プロデューサー 芹沢高志)

アートディレクター・プロデューサーの芹沢高志さんをゲストに、芸術祭を取り巻く環境と「さいたま国際芸術祭2023」についてお聞きしました。

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Guest Profile 芹沢高志(せりざわ たかし)

  • 1951年東京生まれ。神戸大学理学部数学科、横浜国立大学工学部建築学科を卒業後、(株)リジオナル・プランニング・チームで生態学的土地利用計画の研究に従事。その後、東京・四谷の禅寺東長寺の新伽藍建設計画に参加したことから、1989年にP3オルタナティブ・ミュージアム東京(現 P3 art and environment)を開設。1999年までは東長寺境内地下の講堂を拠点に、その後は場所を特定せずに、さまざまなアート、環境関係のプロジェクトを国際的に展開している。

Show Notes

芹沢さんについて

日本各地の芸術祭の話題

ホワイトキューブの誕生

国際芸術祭について

さいたま国際芸術祭について

サマリー

芹沢高志さんはゲストとして迎えられ、アートプロジェクトや芸術祭の進化について話しました。さらに、埼玉国際芸術祭2023について詳しく紹介されました。埼玉国際芸術祭では、地域の風景と作品が出会い、地域に対する親しみを感じることができます。また、埼玉国際芸術祭は横浜トリエナルとは異なるアプローチを取っており、世界的に注目される現代アートを展示しています。芸術祭は63日間で、仕込みがいろいろと行われます。また、スケーパーの募集やモノスケーパーの研究所も設けられる予定です。芸術祭の見方が変わる重要なイベントであり、さまざまな面白い出来事が期待されます。さらに、プロデューサーの芹沢高志さんは、『さいたま国際芸術祭』が2018年から2年おきに開催されていることや、芸術祭のコンセプト、活動内容、注目のプログラムについて詳しく解説しています。

アートプロジェクトの進化
アートテラー・とにのそろそろ美術の話を、この番組は私、アートテラー・とにがアートに関わる方をゲストにお迎えして、トークを繰り広げるポッドキャスト番組です。
本日は、アートディレクター・プロデューサーの芹沢高志さんをゲストにトークをしていきたいと思います。
はい、ということでよろしくお願いいたします。
どうもよろしくお願いします。
初めましてということで。
そうですね。
僕は存じていたんですけども。
いえいえ、とんでもないです。
まさか出ていただけるとはということで。
まず改めて自己紹介を。
そう。
自己紹介っていうのが一番難しくて、自分でもね。
いろんなことやってきたけど、今現在はこうやって、特に現代アート関係のいろんなフェスティバルっていうのがありますよね。
それのディレクターとかプロデューサーやることが多いです。
だからアートプロジェクトって、最近の言い方だけど、アートプロジェクトを作っていく立場をここ20年ぐらいかな、やってきているという感じです。
ここ20年、でもいわゆる芸術祭とかってだいたいここ10年、20年ぐらい。
だからその立ち上げぐらいというか、流行り始めたよりもちょっと前からやっているみたいなことですね。
そうだね、まさかこんな風になるとは全く思っていなくて。
最初僕は北海道の帯広っていうところで、帯広の競馬場を使って、今で思えばフェスティバルなんでしょうね。
自分の気持ちとしては競馬場を使った展覧会なんですよ。
そうやってみたんですけど、ちょうどその頃横浜トリエンナーレが出たり、H5つまりのアートトリエンナーレとか、いろんなものがそうやって地域を巻き込んで、というのが始まった頃ですから。
そこからこういうのっていうのは隙門がね、ちょっとやっていく感じかなって思ってたんですけど、
だんだん時代が変わっていって、この20年間、どっかで話しますけど、最近だと増えすぎてて、もう飽和状態になっているんじゃないの?という意見まで出るほど、すごいことになってきて。
なんか一節だと本当に1000個ぐらいやってるかもみたいな話とか出てますよね。
そうかもしれませんよ。
これまで3年に1回とかだったのが、毎年もう今年どの芸術祭行きましょう?みたいな話を結構みんながするぐらいで。
実はこの番組3年間続いてるんですけど、芸術祭の話は実は今回初めて。
そうなんですか?
意外と楽芸員さんとかアーティストさん多いんですけど、今回芸術祭のテーマっていうのは意外と初めてなので、いろいろとお話を伺えたらなと思っているんですが、
ちょうど今日から、この配信の10月7日から始まる埼玉国際芸術祭2023。
こちらを芹澤さんがプロデューサーされているということで、もう始まったわけですね。
そうですね。
収録は始まってないので、今一番忙しいときに収録していただいてますけれども。
どんな芸術祭なんですか?
始まりは2016年に埼玉トリエンナーレっていう名前で始まったんですよね。
そのときに最初にディレクターになって中身を作ってたりなんかしてて、だんだんそれ一回やると抜けられなくなって。
もう考えたら10年ぐらいになるわけですよね、3回目で。
埼玉トリエンナーレが1回目で、次は埼玉国際芸術祭という名前になって。
ただ、ちょうどコロナとぶつかっちゃって、延期もするんですけど、あれ日本中そんな感じでしたよね。
やれるのかやれないのかとか、そんなところでいろいろ苦労してて。
一応とにかく形としては開放すると作っちゃってますからね。
それをやってて、それが2回目になって。
で、3回目。今回は2回目もある映画監督、東山昌司っていう映画監督をディレクターにして進んでたんですけど、
そういうふうにアーティストっていうか、どこまでアーティストって呼ぶか別として、
そういう方たち、何かものを作ってる人間たちにディレクターをやっていくっていうのがいいなと思って。
一般的には学芸員さんだったりとか、研究科だけの人とか、キュレーターさんが多いのか。
それをどこかで話していきますけど、学芸の方とか、美術館ってすごい重要な機能じゃないですか。
ただ真っ白系の部屋で、作品もずっとコレクションしたやつは劣化しないように管理しなきゃならないとか、
いろんな厳しい条件を持ってるわけですよね。
ジョクニオホワイトキューブって言ってますけど、真っ白系の部屋って、
あれは1927年くらいかな、ニューヨークの近代美術館ができるときに発明した方法なわけですよ。
当時ってことですね。もう100年近く経ってるわけです。
客観的に考えると、ものすごい発明、今までよくわからないデコレクティブの客間とか金持ちのところに作品を置いて飾ってたのが、
世界のどこ行っても同じ条件で作品が見られるという思想のもとに、
裏には近代建築的な考え方、台所は食事を作る場所なんだって、居眠りする場所じゃないって、
オフィスっていうのも仕事するためのところで、そんな物食ったり寝ちゃダメっていう考えで、
機能と空間は一体になっているべきだっていう考え方ね。
正しいっていうよりすごい、それはそうだっていうことだけど、
当然そう考えてくると、その芸術のための空間っていうのも当然考えなきゃいけない。
そうすると、それなんだっていうと、ニューヨークのある美術館で見た作品と、
同じ作品を例えばタイペイのギャラリーで見たのと、それを買ってきて自分のお家で見たのと、
見る場所によって作品の中身っていうか印象が変わっていっちゃったらおかしいだろうっていう、
これも正論だなと。
それはもう世界中のどこで見ようが、
芸術作品というのは純正な価値を持っているはずなんだから、
どの場所でも同じように受け取るべきだっていう。
要するに余計な味付けをしなくていいってことですね。
地域開発と芸術祭
それで極端な話、真っ白系の部屋を、
それもキューブっていうぐらいで直角の壁の真っ白系の部屋の中に展示するっていう方法が、
画期的な方法だけど、それが主力になって世界中にそれが広がっていく。
もちろんそれは素晴らしいことなんだけど、
だからこれはアーティストにとってみたら、
ある意味実験室みたいなもんですよね。
僕らの日常で言うと真っ白系の部屋にね、
自分家にそんな真っ白系の部屋あるかとか、
そこにずっといたらさ、ちょっと気が狂ってくるとか、
そんな感じしますよね。
だからね、アーティストによっては理想的に他のことを考えないでも、
そこで実験というかこういうことをやったらどうなんだろうというのをやってみる。
そして照明から温度からないからってものすごく芸術のための空間だから、
ちゃんとそれが用意されていて、
さらに学芸員さんをはじめ、
専門のスタッフがそれを実現するためにものすごく尽力してくれる。
理想的な環境って理想的な環境なんだけど、
ある意味、宇宙空間の実験室で、
何か科学実験をしているようなもので、
何かできるんだけど、それが本当に、
我々、みんなの人生にとって、
どれくらいの力を持つのかというのは、
やっぱり作っている方にもだんだん不安になって、試してみたくなっちゃう。
とか、もっと感激する人たちもいたけど、
60年代くらいからかな、1960年代くらいから、
だんだんホワイトキューブから飛び出して、
外で何かやり始めるという練習が、
だんだん出てくるんですよ。
ある人は、人も行かないような、
すごい渓谷とか砂漠とか、
そんなところで何かやるとか、
いろんなタイプが生まれ始めたし、
日本だったら山の手線で何かやってみたとか、
そういうところも出てくる。
だから、アメリカは特に極端だから、
砂漠の中で何かやるとかね。
それから、ヨーロッパの連中も、
もう少し大人しく、
例えば、緑の中で、
そこへひっそりと反響と一体になるような作品を展開していくとか、
一連のランドアートという言い方ですけど、
そういったものが出てきたり、
あるいは、行為、アクションね。
今ではパフォーマンスという言い方になってくるでしょうけど、
自分の行為自体が一つのアート作品なんだって言い出す人たち。
そうなってくると、ダンサーとか演劇とか、
どんどん近づいてきちゃうわけですね。
そんなことが20世紀の後半ぐらいからは、
いろんなところで生まれ始めていて、
それもアーティスト個人の活動として、
すごい注目を浴びるような発表というのはあるわけだけど、
それをある種まとめて、
一つの傾向が生まれているというふうにやるためには、
ホワイトキューブだけでは対応がつかなくなってくる。
どうしても地域とか場所とか、
そういったところに展開する、
芸術祭という言い方も分かるような分からない言い方ですけど、
そうやっていろんなものを集めて、
形はもういっぱいあるわけで、
一番古いベネチェビビエナーレみたいだと、
やっぱりそれはホワイトキューブの連合体みたいなところで行くんですけど、
だんだんそれでもね、
ドキュメンターとかああいうのが始まっていって、
もうちょっとオリンピック的なフェスティバルじゃなくて、
ある考え方を示すためにやっていこうとしていく国際芸術祭ができたり、
あるいはミュースターなんか、
10年に一度だったかな、彫刻のプロジェクトで、
いろんな作品を発表して、
一応そのまま置いておくわけですよ。
市民があんなの邪魔だって言うと、
撤去するし、
撤去されちゃうこともある。
でもだんだん街の中にそうやってその彫刻が残っていくっていうのを、
続けているようなところもあるし、
いろんな過去が生まれてできたわけですね。
日本だとそういうふうに2000年代になってから、
厳しいかとすれば、
やっぱり日本でもね、
ああいうベネチアなんかも国際的に注目が浴びるわけですよね。
それがやっぱりアジアで、
アジアの他の国で中国とか韓国がどんどん始めちゃってて、
なんかやばいんじゃないなっていうのがあって、
それで一回目の横浜トリエンナーレっていうやつは、
国策って言うとちょっと言い過ぎだけど、
当時のみんなとして、
日本はアジアの名手だって思ってる。
トップ走ってるぐらいの気持ちでいたわけです。
そこがフランジュとかシャンハイに負けてなるものかっていうのはやっぱりあると思うんですよ。
日本ベネチアってないから、
どっか町が手を挙げてって言って、横浜が手を挙げて、
横浜トリエンナーレっていうのが始まってる。
そこから日本型っていうか、
日本では国策的にできたものと、
それからベチコン、つまりアートトリエンナーレっていうのは、
基本的には地域開発の文脈の中に美術を入れたら、
どんどんそれが思ってもいない方向に向かっていって、
むしろ、この言葉はあんまり好きでもないですけど、
町おこしとか地域おこし的な文脈とか、
今でいうと観光とかそういったところとも結びついて、
一期つまりだけじゃなくて、生徒口の方に移っていったり、
そういう日本型の、いわゆるベネチアトリエンナーレというのが生まれていく。
ちょっと言い方悪いけど、インスタ女子が行くようなイメージですよね。
おしゃれな感じのみたいな。
だから俺としては言いにくい。
でもね、ちょっと真面目な話、
別にインスタ映えしていくことが全然悪いとは全く思ってないんだけど、
どっちかというと、ここまで情報が氾濫していると、
行く前から知っているわけだよね。
それで一回生徒口とか、奥様よりのカボチャとか有名なのがあるじゃん。
直しまいつけ、そのカボチャを手に乗っけているかのように写真を撮るみたいな感じですね、上司の皆さんが。
生活いいんじゃないですけどね。
すげえなと思って、そこにいらっしゃって、
それでポーズつけて写真を撮ると。
一応それで完結するというか、
その確認のために来ているみたいな感じがして、
インスタ上いっぱいこういうふうに出ている、
あの場所に私もこういうふうに行って、
ちゃんとこのカボチャあるよということを確認していくように横で見てて、
カボチャと遭遇する、
自分のかけがえのない体験とかなんかっていうよりは、
それが目的になっちゃっている。
ご主人集めるのがメインになっちゃうみたいな感じですね。
本当は参拝するのがメインなはずなのにみたいな、
ちょっとそういう確かに傾向はあるかもしれない。
出てきちゃって。
本当に悪いってことじゃなくて、
今までにないような地域を歩いていって、
横浜トリエナルとの比較
その風景を発見することと、
それからそこの中での作品と出会っていくという。
作品を見に行くというのが一つのモチベーションで行くんだけど、
意外とそこの風景だったり、
人とか食い物とかなんかと出会っていって、
地域に対する親しみを感じていくってこと。
これは非常に日本的なやり方だけど、
今までに全然なかったようなことを聞い開いたなというふうには思ってるんですけどね。
でも埼玉国際芸術祭はそっちよりではないってことですね。
埼玉の最初にディレクターをやれって言われた時に、
やっぱり悩むっちゃう。
どっちにするかみたいな。
いわゆる横浜トリエナルとかがやってる側に行くか、観光的な方に行くか。
横浜トリエナルなんかだと非常に明快だけど、
あれは世界水準というか、
今現在の世界中で注目すべき現代アートというものの
一つのショーケースというか、
今こんななんだよっていうのを見せるっていうのが非常に強いと思うんですよね。
非常に都市型のコンビニエンスとまでは言わないけど、
そこに行けば、世界中で今起こっている一番ビビッドな最先端アートに触れられる。
これは便利ですよって言われたからすごいなって。
モーターショーとかオモチャショーのアート版みたいな国際アート版みたいな。
一方は風景の歩行、もう一方は国際アート
それは一方にあるでしょ。
もう一方は風景を歩いているものということになると、
土地というかその風景自体が非常に特殊な地域的な特性というか、
そういうのを持っているところで大成功していくわけです。
されたまで国際芸術サービスを開いていくといって、
一体どっち側に振ったらいいのかという話は最初から出てくる話です。
でもよく考えていくと、別に第三の道というのがあったって。
見たことは限らないということですね。
いいんじゃないのって。
横浜と同じようなことをやろうとしても、たかだか30、40分かければ
埼玉から東京に行こうの中心部にやってこられて、
そこでは鳥居のありじゃなくても、国際的に活躍しているアーティストの作品も
結構簡単に見られる。
展覧会もやってるし、ギャラリーもあるしみたいなことですよ。
たくさんある。
その一方で、山の中に行くとか海があるかといったときに、
そこからいろいろ埼玉のことを調べていくと、それはそれですごく面白かったんだけど、
でもそうは言っても、今現在の埼玉に住んでる人とか生まれた人に、
僕もあんまり知能でないから、埼玉ってどんなとこだって15人ぐらい聞いたんだよ。
そしたらね、1人を除いて、全員即座に何にもない。
飛んで埼玉の世界だから。
あんまりみんなが何にもないって言うから、逆に興味持っちゃって、
一体何にもないとこってどんなとこなんだろうと思って行ってみたら、
何にもないどころか土地の利用の仕方から見たら、
ありとあらゆる土地の利用がされている。
畑もあれば、森林もあれば、ああいう都市的な環境もあるし、
圧倒的な住宅地が広がっているとか、
何でもあるくせに、何で人は何にもないって感じちゃうんだろう。
それが一番動機かな。
なんでっていう。
それでいろんな人と話していくと、
そもそも埼玉市って、だいたい縄文期から人がずっと住み続けている、
生活の現場ってちょっと飛躍した言い方だけど、
東京に出勤して帰って、
言葉としてはすごくベッドダウンっていうのも嫌な言い方でもあるけど、
基本的にはベッドのための空間っていうことが広がってしまっていると。
そう考えていくと、生活の現場って忙しいじゃん。
だから、例えば出勤で駅にバス乗らなきゃとか言ってて、
そのバスでものすごいゴミだらけになって、やばいなと思っても、
今時間ないから、週末にでも片付けるかなと。
まとめてみたいな。
とか自分家の前のところに見たことないような花が咲いてて、
なんか綺麗だなと思うけど、別にじっくり見てる時間もなくて、
過ぎ去っちゃう日々とかね。
そういうことを考えていくと、
日常とか生活っていうのがあるのはものすごく素晴らしい。
それは埼玉だけの話じゃなくて、圧倒的に日本全体の我々の問題なんだって、
その現場なんだって。
決してオシャレな横浜でもなければ、
行くのが大変な山の中でもない。
ここはなぜかというと、なかなかみんなどうやっていいのかよくわからない生活の現場である。
でも生活はやっぱり一番重要、めっちゃ重要なんで。
そうするとね、そのこととホワイトキューブの中でものすごく実験室の中でやってる話で、
なかなか生活の現場に後って降りてこないもんだから、
ちょっとハイブローな、
まあいいんだけど、
行くのに決心がいるというかね。
一般的な話だね。
敷居が高いと思われがち。
特に現代アートっていうとより敷居が高い。
なんでこんなになっちゃったかと思うけど、
なかなかそういう敷居の高さっていうのは、
みんなアート関係者はそれを超えたいっていうふうに思ってきてるんだけど、
なかなか見せていく中身と敷居を低くする話は結構難しい話ですけど、
そのバランスっていうのが結構難しくて、
いわゆるアート関係の方達っていうと、
ちょっと言い過ぎるかもしれないけど、
やっぱりベネチアのBNRとか、
そういうものがフェスティバルの中でも頂点のほうにあって、
だからよく最初のオビヒロの頃から言われたし、
次の横浜トリエナーレにも関与したんだけど、
散々ベネチアだったらこうじゃないのっていうふうに言われてて、
2回目の横浜トリエナーレに行くと、
大人の学芸界というふうに言われるような風潮とか、
いろんな美術作品が陳列されているものじゃないような場合には、
なかなか地方の文化祭、特に学芸会という言われ方をして、
本当の意味でのハイブローな芸術祭じゃないよねっていう考え方というか、
どうしてもない、そういう教育もあると思うんだけど、
みんな割とそういうふうに考えている部分が多いもので、
もうちょっと生活というか、半分冗談で、
別にサンダル化系で横浜のところで芸術祭をやっていて、
行ってみたらそこでものすごい世界レベルの作品があったって別にいいじゃないかと、
それを地域文化祭と言われるようなものはたまらないから、
もうそうやって開いちゃってて、
でも中身に関しては、こんなこと初めて出会ったみたいな、
出会いができるような作品が現在していったらいいんじゃないのっていう言い方で、
第三の道みたいなものをできれば生活都市の中でやっていく芸術祭を考えてみようと。
それで共に作る、参加するみたいな話が出てきて、
普通市民参加とかいうと、すごい形物の芸術の愛に燃えている場合は、
よくわからない市民のあるものが入ってきて、どうなの?みたいなね。
それももちろん今もあるし、一概に間違ってもいないけど、
市民の参加とアートユニットの盛り上がり
でもそうは言っても、そこでやるんだったら本当にもっと気軽に参加っていうのもまたね、
厳密な難しい話があるけど、
でもなんかアーティスト一人がもう、ちょっと前までのアーティスト像ってさ、
半分気が狂ってるみたいな。
なんかわかんないけど、一人アトリエにこもって、
身の毛を振り乱して、普通の人間にはあんまり理解できないようなことをやってるっていうイメージってあるけど、
もう最近の考え方っていうのは、自分の何かやろうとしていることがたった一人なんかでできないっていうのが、
だんだん認識として出てくる。もちろん一人でおかけになったのもいっぱいあるけど、
でもそこからアートプロジェクトって言い方が出てきてるから、
そうすると、市民っていう呼び方をするかどうかわかんないけど、
いろんな人間が助け合わないと作品ができあがらない。
そういう形ができ始めてるわけだから、
埼玉に関してはそういうものをどんどん発展させていくっていう意味で、
市民の方にも物を作る段階に参加してもらうとか、
そういう芸術祭があれば、世界的に活躍してるアーティストも、
そうじゃなかったら出会うこともないような人もやってくるわけだから、
そこでの交流もできるじゃないかみたいな格好で、
その考え方は3回ずっと続いてきたと思うんですよね。
ちなみに今回は目というディレクターが就任したってことなんですけど、
これはまず芹澤さんが決めるんですか?
そうじゃなくて一応公募して、
やってみたらとか言うけど、
やっぱり目も応募してくれて、
それを複数の人間の審査会みたいなもんで、
選ばせていただくっていう格好でなるんですけど、
目はね1回目の埼玉トリエンナーレで、
ドギモグク用の作品を見ました。
ネタバレ禁止だったんですよね、当時は。
銀色の池みたいなのを作るみたいなやつですよね。
そうそう、もうあんなの、
割とお年に召した女性が、
なんか抽象されてるから、
どうしたんですかって言ったら、
靴脱いで水に入った方がいいんですかとか、
そういうことをしちゃったりとか、
基本的にそういう、
突然と沼というか池というか、
ありえない場所に広がっていっちゃう、
状況を作り上げる、
そういうのが得意なアーティストたち、
もう少し深く後で言いますけど、
目の考え方って、
だいたい自分たちのアートユニットの名前、
目って付けるぐらいだから、
顔の目ですよね。
我々がどうしても視覚というか、
目で見えるものがすごく、
最近も特に加速してるけど、
優先されていくじゃないですか。
でも本来の人間の体験というのは、
別に視覚だけの話じゃないし、
あまりに視覚を重視しすぎるもので、
そういう意味でプロッと騙されてしまうとか、
いろんな見ることに対してのものすごく一つの、
本当のところはもっと世界って不確実で、
いろんなことがこういうふうに起こってんじゃないの、
そういうものを、
見方をものすごく固定しちゃってるから、
だんだん世界自体が、
つまんないという言い方は悪いけど、
いろんな問題が起こっちゃうんじゃないの、
もっと自由にこの世界を享受していこう、
っていうような考えがあるんじゃないかなと思うんです。
目の3人。
目は一応代表的に3人のアーティストがやってますけど、
よくは、こうやって付き合ってても、
一体目は全員で何人かが、
代表は3人だけど、チームもいろいろ。
もちろんその3人が引っ張ってるわけだけど、
何かのプロジェクトをやるってことになると、
目立ったら手伝うぞっていうような、
それがバーッと集まってきて、
どこかで会ったやつだと思いながらも、
そういうグループというか、
最近増えてるけど、アートユニットというか、
コレクティブって言い方のディレクターなわけで、
その人たちがディレクションしていくっていう意味で、
全然今までの芸術祭というものとは、
根底から変えていきたいという意欲が、
ものすごく彼らにはあると思うんですよね。
今回のテーマが渡したっていう。
どういうことですか?みたいな。
一見なんか、
分かりやすいようで分かりづらいですよね。
ただこれは試験というか、
自分たちの考えにもなっちゃうけど、
やっぱり今は世界中で見て、
分断というか、何かと何かを分けていくっていうことが、
すごく大から小までものすごく大きな問題があると思うんですよ。
それでよく考えると、
今は私という、つまり僕という、
私と私たちの間の分断というのが、
結構さ、本当に深刻な問題なんじゃないかなと。
私たちはこういうふうにしますとか、
いろんな、例えば国の決定とか、
大きな決定っていうのは日々生まれている。
今度は私がそれを見ていると、
何かちょっと違うんじゃないの?
本当は私のみんな集まりの考えが、
私たちじゃないかと漠然と考えているけど、
どうも私たちって言って何かやっていることと、
私が考えていることとちょっと違うんじゃないの?
みんなちょっと変だなって思って、
イライラしたり、いろんな事件も、
僕が若い頃から考えると、
本当にジジイ的な言い方だけど、
どうなっちゃうの?みたいな感じになっている時に、
スケーパーとは?
よく考えると、それが私たちなんだとか、
偉そうに言う人いるけど、
みんな私はちょっと違和感はちゃんと感じているのに、
私たちになると、何か変でこりなことになっちゃう。
もう一回ちょっと立ち止まって、
私から今私たちってのは何なのかっていうのを、
いろいろ見た方がいいよっていうのが、
目の考えだと思うね。
そういう意味で、私が、
私たちっていうのは、
環境から何か全部含めての今の状況を、
改めてちゃんと見直す、
見直すための装置を、
この都議会自治体で作ろうとして、
壮大なんですね。
壮大でしょうね。
全てもお金が足りない。
お金が足りない。
お金足りないよ。
何組くらいが参加する?
総任でいくらだったかな。
だいぶの参加さんは。
やっぱりここにまた目の考えがあって、
要するにさ、
芸術っていうとどうしたって、
絵とか彫刻って考えちゃうじゃん。
そうすると、
それは3ヶ月で変わらない。
そこに設置したらもうそのまんま。
みたいな感じですよね。
それもなんか怪しいんじゃないのっていう。
そこからも今疑ってかかるんですか?
そこまでです。
そうすると、
実際にアニアカラッチョっていうイギリス人の作品なんかは、
日々、
これネタバレでもなんでもないと思うけど、
どんどん朽ちていく。
作品を作る。
生きた花の作品なわけだね。
ってことは初日は、
きれいになってからだんだん朽ちていっちゃう。
そのことも含めて、
もう一回その絵とは何かとかさ、
そういうことまで考え直せるし、
そこから始まって、
さらに極三に行っていれば、
40組ぐらい出ますけども、
そこの中にパフォーマンスとか、
ダンスとか演劇とか、
さらに映画。
今度ちょうど、
この前ベネジアで銀時取った浜口くんとか、
ハッピーアワーという作品出したりとか、
そういう、
もともと今度のメイン会場っていうのが、
劇場だったとこなんですよね。
市民会館大宮っていう。
だからもちろん、
いわゆる美術作品というのも、
中には写真なんかも含めて、
配置されるんだけど、
でも基本的に大ホールって言われてるとこで、
ほぼ日々日替わりで、
なるほど。
いろんな出し物が開かれていくし、
さらに極端に言うと、
練習風景から見せちゃっていいんじゃないの?
っていうような、
そういう意味でも、
日常とか生活に引き寄せちゃう。
そんなこと。
これ、
思うほど大変ですよ。
ちょっとうんざりしてるじゃないですか。
毎日違うってことですよ。
よくでも、
最近の芸術祭は、
僕は瀬戸内とかも好きなんですけど、
瀬戸内の期間中は混むから、
どうせ設置されてるから、
終わってから行きゃいいや、
みたいな感じもあるじゃないですか。
これはもう、
設置中に行かないと日々変わってるし。
だから、
ちょっと大げさだけど、
一期一会。
これじゃあパスポートみたいな感じ?
うん。
だからそのためにパスポート。
ちょっと割高に見えるかもしれないけど、
こんなの、
2、3回通わずはそのまま。
そう、
ワンデイチケットは一般2000円ですけど、
フリーパス5000円っていうのはもうだから、
3日行ったらもう。
ちょっと行ったら思うけど、
そんなもんなんだよね。
確かに。
だから65日間、
毎日違うってことですね。
そう、
メイン会場って言われてるとか、
どうしてもメンテナンスとかそういうのもあるから、
月曜だったかな。
その、
お休みの日も入れるけど、
ただまあ、
なんていうか、
ほぼ開いてる時には、
何かが全て起こってる。
その何かが今、
セリザさんもまだわかってない?
いや、わかんないよ。
だって教えてくれないんだよ。
セリザさんにもされてる。
じゃあもうみんな、
まだわかんない?
わかんない。
はあ。
今回しかも、
ちょっと気になったのが、
風景になる人、
スケーパーを募集します。
何ですか?
これがまた、
何ですか?スケーパー。
いかにも名らしいけど、
まあ、
それはそうだよね。
その、
彼らの先生にも当たるんだけど、
河松忠志っていうアーティストが、
うまいこと言ってて、
ずいぶん昔の話だけど、
話してたら、
その、
オープンカフェってあるじゃん。
ストリート通りに、
キャノピーコーヒー出して、
お茶飲んでる。
確かに注文して、
お茶飲んでる時に、
こうやって見てると、
街をこう、
道をこう、
行かってる、
その、
いろんな人たちが、
まあ、
一つの風景、
なわけだよね。
行かってる人が。
うん、行かってる。
それをまあ、
その風景を見ながら、
まあ、
お茶して、
で、
まあ、
飲み終わったから、
芸術祭の目的
じゃあ、
自分も歩こうかな、
つってこう、
立ち上がると、
今度は、
その他の人間にとって、
自分が、
まあ、
風景になっちゃうわけね。
なるほど。
だから、
そういう意味では、
このオープンカフェって、
あんまり曖昧な、
空間で、
見てんのか、
見られてんのかが、
こう、
なんちゃって、
その、
ごちゃごちゃになってる。
境界線がないわけね。
うん。
そこで考えると、
まあ、
街の中に、
例えばね、
意識的になんか、
その、
変なことやってる奴が、
うんうんうん。
出てくる。
はいはいはい。
で、
それ見てて、
あれちょっとなんか、
変だなって、
こう見てるけど、
それが、
まあ、
普通の人なのか、
普通に変な人なのか、
そう。
スケーパーとして、
なんかやってんのか、
つまり、
自分の風景になろうと思って、
やってる人たちも、
まあ、
含まれてるとするとね、
だんだん、
みんな怪異心というか、
ああいうか、
いわゆる、
だからバラエティ番組で、
仕込みの人がいる、
みたいなことなんですね。
はい。
しかもね、
徹底してるから、
ディレクターである名、
もう、
あの、
何人かの、
近藤龍平なんかも含めて、
はい。
その、
自分の、
自分の、
自分の、
自分の、
その、
自分たちのスケーパーを、
今、
作ってるわけですよと。
こういうことしてくれっていう。
そうそう。
はいはいはい。
でも、
それは、
何やるかっていうのは、
すら知らないから、
他のメンバーの知らないってこと?
知らない。
ああ、
はいはいはい。
だから、
ディレクターですら、
その、
初めて、
なんであんなことがあるの?
って言うと、
実は、
まあ、
スケーパーだったかもしれないし、
そうじゃないかもしれない。
これはネタバレはするんですか?
えーとね、
極端に言うと、
埼玉市中に、
なんか変なことあったら、
もしかすると、
芸術祭なのかもしれないという、
ような感じで。
そうですね。
はあ。
しかもね、
だんだんやってくる最中に、
彼らの考え方を、
進化させていくっていうか、
人だけじゃなくて、
モノスケーパーっていうのがあったって、
いいじゃないかっていう。
そうか。
スケーパーの存在と研究
だから、
なんでここにこんなものがあるの?
っていうような類ね。
あ、だから、
65日間、
本当に仕込みがいろいろとある。
そうそうそうそう。
だから、
そう考えてると、
もう猜疑心の塊になるわけで。
本当にこの最強線は大宮に止まるのだろうかとか、
考え始めちゃうかもしれないですよね。
その会場の前に、
なんか年銭カラスが詰まってて、
あれも仕込まれてるのかどうか。
ああ、確かに。
そんな、
思い出せば、
ここにやってくると、
なんか本当に、
もう終わらないっていうか。
でも、どれぐらいの数の人がやるってのは、
なんとなくわかってるんですか?
それも言わない。
言われてない?
今、募集してたり、
募集して、
テイクアウトしてる人もいるし。
もう募集は終わった?
うんうん。
じゃあ今、練習中なんですね、
スケーパーたぶん募集。
練習するのかね。
それはね、
プロデューサーにも教えてくれないから。
そのスケーパーが本当に来るとも限んないですね、
当日。
そうですよね。
そうすると、
見せかけて来ない、
ブッチされちゃうかもしれない。
かもしれない。
かもしれないけど、
それを調べようかと。
すごいことやりますね。
そう。
しかも、
スケーパーを研究する研究所っていうのもできてるからね。
できるんですか?
このためにってことですか?
そうそうそう。
だからね、
もうなんだか、
まあその、
面白そうなんですけど、
これマジで思うのは、
普通こういうことやりますって言ったら、
これが呼び水になって、
みなさん来てください。
スケーパー見に来てください。
それも教えないわけじゃないですか。
何のためにやるんですか?
っていうあれだけど、
気づけないわけですもんね。
これはやっぱり、
この芸術祭を考えてる人間たちの、
使命って言うとちょっと大げさだけど、
確かにそういうのは一体何のために?
って言われたら、
もう不毛な。
そうそうそうそう。
面白そうなんですけどね、もちろん。
だけど、
世界は確実に何か、
まあ面白くっていうか、
もう予定調和的に何も起こらないようなものっていうのは、
まあやっぱり、
今求められていくじゃないですか、
まあ安心して、
その芸術祭に行ったら、
いい作品が並んでたね、
つっておしまいっていう、
そういう世界は、
目はぶっ壊しちゃいたいんじゃない、
だからできることだったら、
芸術祭が終わっても、
この日曜の中に、
そういう思ってもいなかったこととか、
びっくりすることとか、
何か変だなっていうものがいっぱいこう、
実はあるんだ、
っていう風に見ていく。
その、
まあ、
目の変化っていうか、
その見方の変化っていうのが、
本当は大事なんだってことを、
まあ目は、
実践的に、
みんなに伝えていきたいっていうのは、
すごくあるんじゃないかなと思います。
いや、
スケーパー探したいですね、
でもそう考えると。
いや、
ぜひね、
谷さんが探して、
自分でやってもいいけど。
スケーパーに、
スケーパーですねって変わって聞いたら、
スケーパーって答えてくれるんですか?
答えてくれない?
答えたいじゃないの。
そうなんですね。
いや、
面白い話だけど、
されたものの話じゃないけど、
あの、
昔、
『さいたま国際芸術祭』の概要
ベップという町にかかったことがあって、
そこで、
それはダンサーが作ったあれなんだけど、
ダンサーを探せっていうプロジェクトがあって、
それで、
観客の方が大きな風船持って、
で、
その、
この町にダンサーが何人も仕込まれて、
それで変なことやってる奴がいたらそこに行って、
あなたダンサーですねって言うと、
そこで得点がもらえるみたいなね。
面白いですね。
ダンサーを探せって。
ここはね、
ベップ2とかが余った、
本当このスケーパーだらけというか、
よくわかんない。
本当のベップ市民もいるわけですよね、
当然ですから。
そんなアートなんかどうでもいい、
知ったこっちゃねえっていう酔っ払いのおっちゃんとかね、
そういうのが、
マジハイカイって言ってたわけですけど、
歩いてるわけですね。
ことごとくあんたダンサーでしょって言うと、
なんだよ。
そりゃそうですよね。
やたらと聞かれるなって人もいたでしょうからね。
なんかね、
気になってその、
説明してるその場所の、
こっち行って覗き込み、
こっち行って覗き込み、
こうやってるおっちゃんがいるの。
見るからね、怪しい動きをしてる人。
まずはあいつがそのダンサーじゃないかと思ったけど、
全然違う、
普通の人ですからね。
そう考えていくと、
我々の普通の人って言ってるものに実は、
なんか本当は結構面白ええなって感じになる。
普通に生きてたら気にしないけど、
そういうちょっとスケーパーいるかもみたいな視点が入るだけで。
なんかそういう意味で、
なんかこの、
ちょっと大げさかもしれないけど、
人生とか社会も、
まあ捨てたもんじゃないっていうか。
確かに。
うん。
しかもスケーパーも含めてですけど、
会場やプログラムについて
会場のキャパ、
その範囲をどの辺までが。
それもね。
分かってない。
梅町、まず梅崎のメイン会場があるとして、
他にも会場がいくつか。
そう。
あのいろんな、
今回の場合には市民プロジェクトって、
他のプロジェクトもあるし、
まあそれがいろんなとこに散らばってるわけですよね。
その間の中にスケーパーはいるんですけども、
そこが飛び出てる可能性もある。
飛び出てる可能性すらある。
そこをもう探すの大変ですね。
うん。
だからまあ。
一応地区としては大宮、
えーと、
埼玉新都心駅を中心にどうですか。
大宮駅を中心に。
まあ大宮駅、
まあ2つの駅をね、
中心にこういう、
まあ面的にはそう言ってるけど、
そのスケーパーって概念は、
まあはっきり言っては最強戦の中で、
最強戦の中で、
国境の中で変な奴がいるかもしれないわけだよね。
ああ、そうかそうか。
だからそういう意味では、
まあもちろん埼玉市のやる芸術祭だから、
その、
ディレクターも埼玉市の中でに、
特にまあそういうメイン会場があるような、
新都心とか大宮とかまあ村輪とか、
そういったところでに、
いえいえ、集中するとは思うけど、
その、
まあ多分埼玉市に全域広がっていくし、
さらに言ってみれば、
大体埼玉市ってもう、
その壁で囲われてるわけじゃないから、
その、
そこにやってくる、
その、
どういうところにスケーパーが潜んでるかっていうのは、
わかりません。
だから、
まあもちろんチケット買って皆さん見ていただきたいですけど、
だから埼玉市民の方なんか、
普段の生活してる中で出会ってるかもしんない、
そう。
なるわけですね、この期間中は。
まあ本当にね、
面白そうな。
疑心暗鬼論。
疑心暗鬼論。
そうですね。
住人の間でもなんか疑心暗鬼論。
すごいなと思うよ。
実はオタクの奥さんがみたいな、
スケーパーなんじゃないかみたいな、
あのゴミの捨て方は怪しいわね、
みたいなことをなんか言いながら。
面白いよね。
すごいっすね。
はい。
ちょっとぜひぜひ皆さん注目していただきたいんですが、
さあということでちょっとそろそろお時間がやってきてしまいましたので、
改めて告知をお願いいたします。
はい。
えーとね、
やるのは今日から、
12月10日までですよね。
10日ね。
はい。
結局そこの中で月曜日とか、
そこらではウェブサイトでチェックしてほしいんですけど、
メイン会場って言われてる市民会館おみや、
まあ昔の市民会館おみやに関しては、
月曜日はお休みにさせていただきますけども、
会期中ずっとそうやって、
そのメイン会場以外のところも、
市中でいろんなことが展開していくと。
そういう全65日間の芸術祭ということになります。
しかもこれは会期が進めば進むこと、
また新しいこと思いついて、
またいろんなことやるかもしれない。
もうやってほしくないけどね。
プロデューサー的にはね。
ですけども何が起こるかわからないわけですからね。
もうアーティストですからね、ディレクターがね。
だから他のも率先して、
いろんなことが本当に終わるまで、
たぶんプロデューサーとしてはその心配で。
とにかくつつがなく61を終えたい。
本当それだけでございますよ。
盛り上がってほしいつつということですね。
ぜひ皆さん足を運んでいただきたいと思います。
ぜひいらっしゃってください。
次回はセリザーさんのご経歴をまとめつつ、
美術についての話を続けていきたいと思います。
53:51

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