1. そろそろ美術の話を...
  2. #021 影を投げる 現代美術家・..

現代美術家の志村信裕さんをお迎えして、作家としての活動や作品についての話をお聞きました。

https://sorosoro-art.vercel.app/ep/021 番組の感想は、#そろそろ美術の話を でお願いいたします。

Guest Profile

  • 志村信裕(しむらのぶひろ)
  • 1982年東京都生まれ。現在は千葉県を拠点に活動。2007年武蔵野美術大学大学院映像コース修了。
  • 2016年から2018年まで文化庁新進芸術家海外研修制度により、フランス国立東洋言語文化大学(INALCO)の客員研究員としてパリに滞在。
  • 近年の展示に「生命の庭−8人の現代作家が見つけた小宇宙」(東京都庭園美術館、2020年)、「志村信裕 残照」(千葉県立美術館、2019年)。

Show Notes

  • 黄金町バザール
  • 志村信裕《赤い靴》 作品展示 | 黄金町エリアマネジメントセンター
  • 黄金町バザール2011 「まちをつくるこえ」
  • 武蔵野美術大学映像学科
  • works|lace | 志村信裕
  • 束芋
  • Doug Aitken | Espace Louis Vuitton Tokyo
  • ビル・ヴィオラ
  • 2007年 translate 
  • 2008年 pierce 
  • DOMANI・明日展 第21回|DOMANI・明日展
  • Nostalgia, Amnesia | 志村信裕
  • 「六本木クロッシング2016展」紹介映像:志村信裕Version - YouTube
  • Japanese Cattle 見島牛 | 志村信裕
  • つくりかけラボ | 体験・学び | 千葉市美術館
  • 志村信裕|影を投げる | つくりかけラボ | 千葉市美術館
  • メイド・イン・フチュウ 公開制作の20年 東京都府中市ホームページ
00:10
はい、始まりましたアートテラー・とにスのそろそろ美術の話を。この番組は、私アートテラー・とにスがアートに関わる方をゲストにお迎えしてトークを繰り広げるポッドキャスト番組です。
本日は現代美術家の下村信博さんをお迎えしてトークをしていきたいとおもいます。
改めてよろしくお願いします。
なんか不思議ですね。
だから関係性としては、もう何年前、小金町でやったのかな?
小浜の時だから、2009年かな?
そうだよね。しかも同い年で出会って、そして片屋売れっ子で。
いやいや、とにさんの方が売れてますよ。
そんなことはない。マジでそんなことはない。
虎の胃を狩る狐?
俺狐なの?
あ、僕が?
違う違う、そんなことはない。
でも今さらっと読んだけど、現代美術家って肩書きでOK。これ肩書きどう名乗ってる?自分で。
どっちでも大丈夫。
よく言うのは?自分で。
なんかアーティストってやってたんだけど、アーティストってすごい曖昧したね、日本だと。
歌手とかもアーティストだし。
だから、よりどういうことをやってるかって伝えるには、現代美術家とか現代美術作家が伝わりやすいのかな?
確かに。俺さ、これさ、前から疑問でさ、志村君に聞くことじゃないんだけど、現代美術家とか現代アーティストって名乗るじゃん。
でもさ、名乗ってる時点で生きてるわけだから、もう現代じゃん。
いちいち現代つけなくても、だってもう現代美術家じゃんって思うのけど、なんか結構皆さんやっぱり現代ってつけるよね。
なんかそれはやっぱり日本で現代美術っていうのがやっぱり、あの…
なんか絵画とかとは違うんだよな、日本画家って。
わかりづらい領域で区分けしてんのかなって。
海外に行って、私はコンテンプラリーアーティストって言うと、もう多分カッコ悪いみたいな。
なるほど。そうなんだ。
そう、じゃあ結構日本ならではの文化、現代って。
じゃあどうする?美術家にしとく?どっちでもいい?
いや、どっちでも…
そこにこだわりはあんまりない。伝われば。
そう、出会ったきっかけでって、今さらっと横浜って話が出たんですけどね。
小金町バザールという取り組みが今もやってますけども。
そこですよ、きっかけ。
僕がたぶんその1年目からツアーをやってたんですよ。
この番組にも出てくれた、天野太郎さんが立ち上げ関わってて、お前やってこいと。
で、これ今だから言える話なんだけど、その1年目のとき…
いや、小金町って今はね、すごく楽しい街になったけど、当時はすごいヤバい街だった。
本当ヤバかったらしくて、それヤバいって本当の意味のヤバいなんだよね。
で、聞いた話だと、小金町と日の出町間、その区画の間に警察官がパトロール、8人ぐらいいる時代が日本で一番パトロール密集が高い地域だったっていうとこで、
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そこをアートで浄化しようという企画だった。
で、そのプロジェクトでアートツアーやってこいって言って、そしたらそのときにもらった、俺だけが見れる地図みたいなのがあった。
これはもうお客さんには見せちゃダメ。お客さんにはここがそういう怪しい場所とは思ってほしくないからみたいな。
俺が持ってるやつには、いわゆる暴力団の事務所とかの、ここがそうとか書いてあるわけ。
そこでは騒がないようにとか、そんなんさ言われても、いやこっちはさ、今楽しくやるじゃん。
たまたまアートツアーの参加者のお客さんが、何でしょあそことか指差して、いやいや、暴力団の事は言えないけど、いや何でしょね、言えない。
スリーディングですよね。
だったしさ、会場だった一箇所がオウム神利教のサティアンだった場所だったらしくて、説明をわーっとやってたらさ、
街の住人も一緒にそこで、住人もいるんだもんね。
だったら住人方が、今日サティアンが賑やかだなーって、シーンとなって、アートツアーの人、案内頂きまで楽しそうだったのに、サティアン?え?みたいな。
やまやましいね。
建物が二重窓だったね、確か。
二重窓なんなんだろうねって言ってて、そこでサティアンの話が出て、そういうとこで、志村君は何年目に参加したんだ?
2009年。だから2008年から始まったので、2年目ですね。
場所はどこだった?会場になった場所。
えーとね、僕は外だったんだよね。
最初は?
エリアマネージメントセンターの、ここか下側の道路に赤い靴っていう作品を。
プロジェクションして。
あの作品って未だに残ってるんだっけ?
一応残っていて、バザール期間の時とかに、まだ上映、展示してる。
暗い時にね、暗くなってそこに浮かび上がるという作品。
あれでもさ、その後にさ、旅館みたいな。
竜宮美術旅館ですね。
あ、そうだそうだ。怪しげなね。
そこでね、お風呂があって、そこも言ってみれば連れ込み宿だった場所で、旅館なんだけどお風呂が1個しかなかった。
多分そのお風呂って旅館にとってすごく象徴的な場所で、誰も手をつけてなかったんだけど、僕はあえてそこを使いたいって言って、
お湯がまだ出せるからお湯を張って、そこに映像プロジェクションして、
閉館後は一晩一組限定で入れるっていうことをやったんですよ。
で、トニーさんがツアーで来てくれるときに、これは絶好の機会だと思って、トニーさん入ってくださいって言って、
06:06
本当はそれプライベートで、個人で楽しむんかなって、トニーさん入ってるときだけドアを全開にして、ツアーの人がみんな写真撮って。
裸の仕事、俺の人生唯一の裸。
僕も記録映像撮って。
残ってんの?
フランスでも見せましたよ。
しかもお風呂が白く、入浴剤を入れて、白く濁らせて、その濁らした水面に映像を投影して。
レースの映像?
レースのカーテンの模様を投影して。
だからそれが、お風呂に入ってないときには水面が普通にフラットなんだけど、
ここに人が入ると揺れるし、裸自体もレースが投影されるというような作品でしたよ。
レース、要は花柄なんで、生身の裸に花柄の像が浮かぶんで。
そうそうそうそう。
だから彷彿させるのって、入れ積みとか、過去にいた人たちの記憶を体験してもらうっていう作品だったんですよ。
あの時に聞いたのが、ダンサーさんも入ったみたいな話があったよね。
ダンサーさんが入った時は、ダンサーは自分で息とかを制御できるから、水面を止めた人がいたみたいな話をしてたよね。
だから、人によっていろんなことができるみたいな作品の、あれでも本当に不思議だった。
やっぱり一人しか入れないから、女性のお客さんたちがみんな俺の写真をバンバン撮るの。
面白かったですね。
身体張ってくれたなって。
身体張った。
そう、それ以来の仲ですよ。
でも、それがきっかけでまさかでも、どうでも残ると思ってた、自分がお互い、この業界にいるなっていう。
面白い質問ですね。
どうなんだろうな。
あれから10年ぐらい経って、あんまりそういうことを考えずにいったかな。
なんか変わったなって思うとか。
例えば、自分なんかは全然変わらないなと思ってて、すごいこう、悪い意味でね。
全く成長がなくて、あの時のまんま。
何なら大学生の時から地続きだった気がして。
なんかヤバいなと思う、本当に自分では。
自分の中でさすがに10年経って、あの時マインドは変わった?
マインドは変わったし、昔作ってたようには作れなくなったなとか。
でも、逆に昔作れないようなものも今作れるから。
だからそれは変化かな。
09:02
それはいつ?30歳の時にあったとか、そういうある年代?
大体そのぐらいかな。
それを変えようと思って、住む場所を変えたり、小浜を離れて山口に行ったり。
で、さらに発展させたいなと思って海外に行ったり。
そうだよね、点々としてるもん。だからどんどん成長してる感じがしてて。
だからやっぱりそこがね、俺の、志村君に対して気が引けちゃう。
なんで?
全然成長してないな、自分はって思うわけ。
本当?
たぶん今も、もし風呂入れって言われたら入るよ。
いやいや、もう今そんな仕事やりませんとか言えないもん。
あのまんま変わらないから、身体腫れと言われれば身体腫れようで。
それはいいね。
そうそう、そこ変わらない。
志村君の作品について聞いていきましょうということですけども。
そう、どうしようか。インスタレーション系の作品について色々と聞いていこうかなと。
そうそう、僕が志村君の作品見て結構衝撃的だったのが、最初のレースの投影するのもそうだし、
さっき話してた赤い靴もそうだし、
たぶん現代美術館かな?
戸顕美さんではリボンの作品。
リボンに投影する。
だよね。
なんかさ、今まで僕の中で映像作家ってコンテンツを作る人と思う。
映像コンテンツの作家さんだったけど、
それがプロジェクションの方法で見せる作家さんを、今でこそチームラボとか、
そんなに珍しくなくなったけど、結構早かったと思う、志村君の作品が。
それがすごく衝撃的で、最初どうしてそういうのを作ろうと思ったのか。
プロジェクションで遊んでいる美術っていう言い方が変かもしれないけど。
普通さ、映像に、今この番組プロデューサーもいるけど、
放送研究会っていう大学でいて、
たぶんね、そんなことをやった人、結構みんなクリエイティブだった。
大学生だし、ふざけててノリにやるけど、
映像を作る研究会はみんなね、映像コンテンツしか考えないから、
映像の上映の仕方を考えようなんて、
発想があんなに人数いて、あんなに面白い先輩たちもいたけど、
誰一人やってなかったから。
で、俺ですらなんかこう、いろんな芸人でネタを考える方だけど、
映像イコール、上映するコンテンツしか頭がなかった。
それが俺多分氏村君の作品見たときの、
たぶん最初衝撃だった。
そうなんだ。
同じように思った人いるのかな。どうなんだろう。
でもなんか、使い方とか、
僕の見せ方が変わってますねとかは言われていて、
それが特徴なのかなって。
でも自分の中では別にそんな変わったことしてやろうっていうわけではなくて。
ほんとね、学生時代の話になると、
僕映像学科っていうところに行っていて、むさびの。
で、それこそ、僕すごい落ちこぼれというか。
12:03
そうなの?
そう。大学3年生ぐらいまで、
ほんとたぶん、成績的には本当に落ちこぼれで。
へー。
それはさ、その時はさ、周りに対して否定面は感じるの?
それでも、なんで良さがわかんないんだ、こいつらって。
えっとね、ひけ目を感じるかな。
へー。
なんか僕、運よく現役で入れたんだけど、
なんかその映像科に入って、美大っていう場所に行くと一浪してたりとか、
あとなんかその美術部のエースみたいな人たちが集ってくる場面で、
写真部の部長クラスで。
自分はなんかそういう美術的な知識とか経験とかないまま、
ほんと興味があるっていうだけで入ったら、
そういう人たちばっかりで、
なんか毎日一本映画見る人たちとか、
アニメーションをなんか自分で描いて、
どっかコンテストに出す人ばっかりで、
どうしようって迷ってたんだよね。
ちょっとレベル、もう入った時点でレベルの差感じちゃったんだね。
そうそう。
同じ学年なのに、まあその、路人生とか知識とか経験違ったりするし、
結構そこが挫折というか、
どうしようって2年ぐらい思ってた。
その時はでも最初は映像はコンテンツのものを考えたってこと?当時は。
それで面白かったのが、
映像学科ってすごい名前自体がアバウトなんだけど、
それがいいのは入ったらいろんなことをできるんだよね。
ドラマとかそれこそドキュメンタリーの授業とか、
CGとか写真もみんな一通りやって、
3年生になってから自分の好きな、
専攻したいものをやりましょうっていうカリキュラムで、
1、2年で大体いろいろやったんだけど、
何も向いてないと思って。
マジで?
どうしようと思って。
わかる?なんかその、
好評とかあってもさ、全然いい作品作れない。
一応でも作ることは作るわけでしょ?
作る。
見よう見まねで。
そうそうそう。
そうするとそれはもう先生にも言われるし、
やっぱり周りと比べてもってこと?
僕より上手い人とかいっぱいいて、
僕よりも苦労してないのにいい作品作れる人がいっぱいいて。
でもそもそもだけど、
じゃあなんで映像作家に入ろうと思ったの?
そうしたら。
ほんとね、
美大に行きたいなって思っていて、
で、最初はね、デザインとかそっちの方が興味があって、
なんか自分の生活に身近なのかなって思ったんで、
で、最初デザイン課の試験対策、予備校に行って、
やったらその平面構成とかっていうものをやんなきゃいけなくて、
綺麗に色を塗んなきゃいけないとか、
だからそういうねテクニックの部分を求められて、
15:00
もうなんかね数日でサジ投げたんだよ。
向いてないだろ?
向いてないわって思って、
これは多分何年浪人しても浮かんないわって思って、
でも決断早くてよかったねそれはね。
あ、そうかもね。
そこで頑張れば何とかなるだろってなってたら、
だって今ここにいない。
いないいないいない。
え、じゃあそれで次はもうすぐ映像だった?
で、そしたら映像学科っていうのがあるよって教えてもらって、
映像学科の試験が面白かったのが、
絵の上手さとかじゃなくて、
なんかその、企画力っていうのかな?
なんかお題というか課題を出して、
それを映像化するなら、
あなたはどういうことを今回も作りますかっていうので、
絵と文章だったのね。
だから実際に映像を作るわけじゃないんだね。
コンテを作るみたいな感じだった。
あとプラス文章だから、
それを言語化する能力みたいなのが求められて、
これだったらできるなっていうんで、
1年間予備校に通ってそれで入ったんだけど、
でもなんかなんだろうな、
テレビが好きだって言ったりしたんだけど、
絶対映画監督になるとか、
そういう大衆を抱いて入ったわけじゃなくて、
そうなんだ。
なんかね、
自分で言うのも多いですけど、
ふんわりして。
俺も今聞いてて、
もしそれが今学生で言ったら、
こんな俺の言うことじゃないけど、
いや君人生どう考えてるの?って言うと思う。
いくら俺でも。
そんな甘くないよ人生って言っちゃいそうな感じだけど、
でも3年目に転機はあったんだ、自分の中で。
それで決定的だったのが、
なんでこんなに自分はうまくいかないのかなって思ったら、
あることに気づいたんだよ。
なになに?
みんなは写真をやるとか、
アニメを作るとか、映画作るとか、
そういう作りたいものがジャンルだったんだよ。
なるほど。
そもそも僕、ジャンルじゃなくて、
映像に興味があったんだよなって思って。
その試験のことも含めて。
映像に興味があったから、
映像を素材にすればいいんだって思って。
そういう考え方だったのか。
だから今言ってた、コンテンツを作るんじゃなくて、
映像っていう、
何だろうな。
ソフトとハードで考えたの?
でもそういうこともないか。
ハードの方。
それをどうするかって方向に興味持ったの?
そう。
そうしたら、すごい開けて、
先生に話したら、
だったらインスタレーションで見せようって話になって、
それで今のスタイルに近いプロジェクターを使った、
投影型の空間セットで見せるものを作った。
その第一号って覚えてる?
覚えてる覚えてる。
何作ったの?
それはね、誰も展示室に使わないような廊下を使って、
そこに掛け軸みたいなプロポーションの、
18:01
縦長のスクリーンを作って、
それを裏側からリアスクリーンで投影して、
廊下に入って突き当たると、
スクリーンが見えて、
それがね、抽象的なんだけど、
なんか風景みたいに見えるようにしてるんだ。
高さが結構高い。
3メートルか4メートルくらい。
その時は、
自分で言うのもあれだけど、
一番良いのが作れたと思ったんだよね。
しかも周りと比べても。
そうそう。
他にインスタレーション作ってる子もいたんだけど、
絶対自分の方が良いだろう、
これは良いぞって。
で、みんなも良いねって言ってくれて、
で、これだったら、
なんかすごく作る時も楽しかったし、
向いてるんじゃないかなと思って、
で、インスタレーションのことを調べたら、
それは、見せるんだったら美術の領域。
で、見せるのが自然だなと思って、
そっから美術館とか行き出した。
そんな感じ?
ってことは、映像家の人たちって、
基本的には映像作家って言っても、
美術系じゃなくて、
どっちかというとテレビとかマスク。
そっち側に行く人たちが多いってことか。
じゃあそこ出身の美術系ってあんまりいないんだ。
いない。
へー。
開けたね、本当に。
その発明というか。
だからそこは考え方を切り替えたのが良かったなって。
へー。
じゃあそれで行くわけじゃない?
でも映像系、
じゃあ正当な道だったら、
就職先がある。
就職試験とか。
美術館になろうと思ったら、
就職も何もないじゃない?
ないね。
どうして行くの?そしたらそこから。
卒業するじゃない?
それで先生とかにも話して、
アーティストになろうかなって思いますって言ったら、
言われたのが、
前食ってきないぞって。
いや思う思う思う思う。
冷静に。
そうだね。
ほら、日本画家とか彫刻家とかだったら、
ギャラリーでとかあるじゃない?
映像プロジェクションが、
だってギャラリーじゃないじゃない?ってなると、
どうして売っていくってなると思う?
どうだったのそこは?デビューというか。
でもなんかね、僕そこで強がってたのは、
同時代、2000年代中盤って、
割と展覧会で映像を扱う作家が増えてきていて、
例えば僕の時代だと、タバイモさんとか、
あとダグ・エーケンがオペラシティアートギャラリーで、
今、ルイ・ビトンでやってるから、
とかはやっていて、
完全にビデオインスタレーション。
21:01
当時の僕としてはもうかっこいいなぁと思って、
これ普通に美術館って古典やってるんだったら、
食べていけるでしょ?って。
すごいね、すごいすごいそれはすごい。
多分そういう時代がもっと、
来るんだ。
当たり前になるんじゃないかなって。
ビル・ビオーラ展とかもあの頃。
そうだね。
モノ美術館で、
パラデムやったりとか。
でもそれはすごいよね。
だって芸人さん、若手芸人が、
ダウンタウンさんとかの番組見て、
あの人たちが食べていってんだから、
俺もいけるぜって考えるようなもんじゃん。
普通に考えたらだよ。
実力があったから、もちろんあれなんだけど。
それで食べていけるわと思って、
その美術会デビューはいつになったんですか?
デビューは早かった。
そうだよね、絶対にそう思う。
デビューは早かったけど、
食べていけるか問題になると、
結構ややこしいね。
なんかバイトをやっぱり掛け持ちしながら、
やっていかないといけない時期とかもあったから、
ちょっとそこはなんか説明が難しいんだけど。
志村君でバイト何やってた?
僕ね、いろいろやってたよ。
多分ね、一番やってないな。
いろんな種類の。
あ、そういうこと?
本当に。
例えば普通に接客業とかやってた?
接客業もやってた。
結構向いてるよ。
俺もだから31までコンビニずっとやってたから。
あ、そうなんだ。
そうそう、だから多分小金町の日も
夜勤あったから、あの日すぐ帰って夜勤やってて。
そうなんだ。
どういう一番自分で無意識だと思うバイトは?
接客業が好きだったね。
普通にレストランとかだった?
レストランだったとか、あとカフェとか。
へー。
あと面白いのは英社技師もやってたし。
あ、そう。
そういう時、映像作家としてうずうずして
ちょっとずらしたろうとか、
プロジェクションで遊んだろうとかはない?
ないね。
流石に。
こう映した方がもっといいと思うんだけど、俺はみたいな。
ないね。
え、でもそんなにやってた?
分かんない、もっとやってしてるのかも分かんないけど。
でも自分では自覚ある?
周りのアーティストと比べたら、俺結構やってる。
いろいろやってんじゃないかな、やってる方だと思う。
へー。
知らなかった、それは。
そう。
でも、デビューっていうことを発表できる、
世に発表できるっていう定義であれば、
大学院試験の時に、まず個展やって、
で、その後グループ展とかに呼ばれて。
そうだよね、ほぼ毎年どっかで見るもんね。
ほんと?
そう、だからやっぱりそこが売れっ子だなと思って見るって言った。
そこは運が良かったのかな?
だって今のとこ、アーティスト歴何年って言うの?自分では。
15年、16年。
24:00
全く何もしない何ヶ月あったなってことないでしょ?
文化庁行ってるときはあんまりなかったかな、そのときは。
そうだね、あと帰ってきたときもあんまりなかったけど、
でも後は発表をベースに。
今手元に資料があるんですけど、2007年の
トランスレイという作品。
これは結構初期の作品なの?
それがね、卒業制作。
あ、修了制作。大学院に行って作った修了制作。
講義室の机の上が映像で満たされるインスタレーション作。
これは映像はどういう作品を?
これは日用品、カラークリップとか画鋲とか色鉛筆とかが
パラパラ振ってきて、それが埋まると巻き戻しで飛んでいくっていう。
日用品が大量に堆積していく作品なんだけど、
それをスクリーンに映すんじゃなくて、
講義室の机をスクリーンにして、
天井から机に投影して。
これだってだいぶ広かったわけじゃん。
一番大きい部屋。
え、ってことはプロジェクターいくつぐらい必要?
10台。
ほほほ。
へー。
これも聞きたかったの。
最近コロナになってから、
俺も映像編集するようになったのよ。
いろんな美術館の動画作るんだけど、
だから編集するようになったんだけどね。
自分のパソコンで編集して、それがYouTubeに上がる。
だから、見えてるものと投影されるものが分かってるじゃん。
大きさが。
でもシンボルワークを作るときはさ、
編集はパソコンとかで作ってるじゃん。
そのサイズ感全然違うじゃん。
その映像と映し出される。
それどういう感じで作ってるの?
それはもう完成された空間を想定して作ってる。
もう頭の中でこのサイズになるなと思いながら編集してる。
それはすごいよね。
その能力。
でもね、期待を裏切られるときもあるし。
意外とやってみたの?
そうそうそう。
そういうエラーもある。
でもそれも面白いなって思ってやってる。
だから最初から想定しておくんだね。
どのサイズになるかっていう。
だからパソコンで見ても面白くなくても、
これを空間に投影して、
人の体よりも大きくしたら面白くなるなっていうのをイメージして作ってる。
そっかそっか。
僕にとってのコンテンツは空間なの?
ああ、そっちがあるのか。
展示空間。
はっはっはっは。
どういう風にお客さんが出会うかとか、見てもらうかとか。
でもさ、そう考えたらちょっとまた一つ疑問というかね。
普通のアーティストって言い方ちょっと変かもしれないけど、
これまでの歴史に残るアーティストが、自分の作品が残るじゃん。
で、未来に繋がるじゃん。
27:01
でもやっぱりインスタレーションの作家さんってさ、
例えば今言ったこの講義室のやつ。
この講義室に合わせて作ってるわけだから、もうないじゃん。
この儚さみたいなのがいいなとは思うんだけど、
作家として何か残したいのはない?自分の作品に。
やっぱ残したいね。
でもやっぱインスタレーションはすごい難しい。
で、自分が死んじゃった後とかどうやって見てもらえるんだろうっていうのは。
だからシングラース君の開古展とかをさ、もしやるってなったら、
何がどうなるんだろうと思うもんね、その未来の話で。
こういうポッドキャストとか研究する人が。
だから言っといたほうがいい。
いるかもしれない。
そうだね。
そうだね、これ大事だよね。
この2008年の作品もあります。
畳3丁分に33万本のマチバリを直接刺し、マチバリの頭をスクリーンにした。
これは何て読むの?
ピアス。
あ、ピアスか。
これマチバリのとこに何を投影したの?
これはね、木を見上げた映像。
木を見上げた映像を人は見下げてみるという、ちょっと不思議。
これマチバリのさ、まず3万本刺したの?自分で。
33万本ね。
33万本?
33万本を延べ40人で10日間かけてやって。
33万本ってどんな量なの?想定できんの?
いや、びっくりする量。
そうだよね。これ買いに行ったの?
湯沢屋とかで行ったらビビるよね、33万本くらい。
最初湯沢屋に行ったらびっくりして。
そりゃそうでしょ。
計算したら70万ってなっちゃって。
おお。
それで、やばいと思って。予算50万なのに、マチバリだけで70万だと思って。
なんで、どっから来たの、この33万って。
まずは最初にサイズが決まってたの?
そう、6丁の部屋の半分を埋めたいなと思って。
3丁分。
で、ちょっと何本か買ってきて、このくらいの密度を入れたいなと思ったら、出した計算で。
湯沢屋で買ったら何十万ね。
次は豚屋さんに行って、説明して、このくらい欲しいんですって言ったら35万って言われて。
おお、だいぶ安くなった。
そう。でもそれでも…
まあ確かにね、50万のうちのね。結構するね。
で、そうしたら展覧会、なんじょうさんの事務所、なんじょうさんの事務所の方が展覧会を組織してたんだけど、
僕は知らなかったんだけど、協賛を取ろうって話だったんで。
で、広島のマチバリを作ってる会社に持ちかけたら、その協賛価格を提供。20万くらいだった。
へー、そう。
33万も提供。
それでも20万はかかるのね。
人生でマチバリを33万も買うことないし、畳1畳につきマチバリは11万も必要っていうことがわかったね、これで。
あ、そうだね。
30:00
計算するとね、全部敷き詰めるとね。すごいよ。
で、本当僕ね、計画性がなくて、設営期間10日間で、で、33万も10日間でやるスケジュールだったんだけど、
初日4人ぐらいで友達とか手伝ってもらったら、1万本いかなくて。
いかなくて、そう、すごいね。
で、結構、その展覧会の組織してる人たちが、ちょっと日合わせかけあげる。
そうだね、間に合うのとか。
何かトリビアの種かなんかやってるの、これ。
何回いくつ刺せるかみたいなやつ。
みたいな感じだよね。
でも、その時にはもう映像は出来上がってたの?
出来てない。
そうだよね、それ刺すだけでもらって間に合わないかも。
映像はね、刺してる間に近くの神社で撮る。
1日ぐらいで。
1日とか数時間ぐらい。
そっちの方が大変だな、間違い刺す方が。
スクリーンで刺す方が。
え、これは今残ってるの?この刺した畳は。
あ、もう撮っちゃってる。
うわー、そうなんだ。
もう1回やれって言われてもきついし。
でもね、もう1回やったんだよね、実は。
違うところで、戸肌の芸術展の時にね。
その時は蒸し炉を使って1枚、1畳分。
それで10万本、約10万本、もう1回。
それはどれくらい変わったの?
それはね、どのくらいだろう。
ちょっと早くなった?
いや、1ヶ月ぐらい大体制作して。
へー。
他の作品作りながら。
機能遠くなるような作業だし、
さっき言ったように、じゃあ未来のね、
学芸がこのポッドキャスト効いたら、
この作品、そっか、間違い33万本撮らなきゃいけないのか?
たぶん今、日焼け汗かいてるだろうね。
未来ですね。
このさ、今まで作った作品の、
例えば今のね、マチバリとかはなくなっちゃうしね、
攻撃室もさ、その場所に行ったら使えなくなるけども、
映像としては残し、映像というか要するに、
上映した時の映像っていうのはデータとして残してる。
じゃあ何かの形でそれを再利用することはあるの?
意外とこれここにも行けるんじゃないの?
みたいな、過去に撮った映像。
あるあるある。
あるんだ。
へー。
でもなんか、1回限りの方が、
やっぱり作品の強度は上がるかなと思って、
この間、トニーさんも来てくれた、
庭園美術館。
はいはい、東京庭園美術館で。
その時も、ダクブに木漏れ日を映したんだけど、
あれは庭園で、庭園美術館の庭園で撮ったものだから、
やっぱりあそこだけで完結かなっていう。
他で見せるっていう。
でも撮ってはあるんだね、
自分の中で。
あ、そうかそうか。
そういう映像作品の他に、
ドキュメンタリー系の作品を、
これ俺結構びっくりした。
多分国立新美術館で見たのが最初だ。
羊の作品だよね。
だから志村くん、あれ何店だっけ?
ドゥマーに足立。
そうそう。だから海外に2年ぐらい行って、
フランスだよね。
で、それで帰ってきて、
たぶん久々に志村くんの作品だと思って上に行って、
33:00
それでやっぱりこっちのインスタレーションのイメージが強いから、
あれ?どうしたの?志村くんが何があった?みたいな。
あれ何?45分?
45分かな。
あったよね。見た見た。覚えてる。
ありがとうございます。
どの何があってん?みたいな。
細かいフランス大祭時代の話は後編にお伝えするということなので、
ドキュメンタリーを作るようになったきっかけとか、
ドキュメンタリーも最近やるようになった。
2014年ぐらいから実はそういう作品を作り始めてて、
羊の作品の前は牛の作品を作って、
三島牛っていう。
東京では六本木クロッシングに出した。
そうだそうだ。出した出した。
あの時の方が多分みんなびっくりした。
そうだそうだ。三島牛先に見てるわ。
そう。
見てる見てる。
あっちの方が多分びっくりして、
でもあれは2014年から実はやっていて、
それこそさっき変化させようって言っていた中で作った作品で。
ざっくり三島牛の作品について説明してもらってもいいですか?どんな映像?
あれが僕が山口に住んでいる時に撮り始めて、
山口県の離島。
フェリーで1時間ぐらいで辿り着く三島っていう。
三島っていう人口1000人もいない島にいる生息、
まだ生きている三島牛っていう天然記念物になってる。
なんで天然記念物になってるかって言ったら、
海外の牛と配合していなくて。
もうじゃあ純国産なんだ。
国産の。
で、天然記念物になってるから、
なんかすごい特殊な農林って言ったらおかしいけど、
特殊な牛なのかなと思って市役所の人に聞いたら、
いや、ただ取り残されただけですって言って。
離島だからね。
新しいものとか他の文化のものが入ってこなかったから残されてて、
なんかそれってすごく面白いなって思って。
なんか取り残されるってすごくネガティブなことだけど、
でもなんか視点を変えたら、
結果ね、そうだよね。
ポジティブになって、
で、なんかその島自体が取り残されてる。
まだなんか昭和が残ってるような島で。
で、それを記録っていう意味と、
あとなんか映像作品として撮りたいなと思って。
で、なんかデジタルで撮るんじゃなくて、
フィルムで撮りたいなって。
あ、そうだフィルムで撮る。
ちょっとだから画質がね、
その当時見た時が衝撃的だったもんね。
今の時代でこんな画質なの?みたいな感じで。
なんかそれは映写技術をやっていた経験もあったし、
なんかその今までと違う機会というか、
カメラで撮りたいなっていうのもあって。
で、あともう一個その大事だったのは、
なんでドキュメンタリーっていうかっていうと、
時間をかけたかったんだよ。
制作に?
そう。
で、インスタレーションってなんかね、
36:02
自分の中では条件反射で作れるというか。
慣れてきちゃった?
慣れてきたりとか、
ある程度、今回はこういう場所で展示してくださいとか、
今回はこういうテーマ、
あとはその美術館の立っているロケーションの要素を取り入れてもらえたらみたいなリクエストがあって、
で、それをなんか自分なりにリサーチして、分析して、
で、じゃあこんなんどうでしょうみたいな。
プレゼンション?
そうそうそう。
そういう感じで作ってたんだけど、
なんかね、慣れてきて、
制作する速度がどんどん速くなってきて、
1ヶ月以内で作れちゃう。
こなれてきちゃったんだね。
こなれて、うん、そう。
それはさ、本人の中でもちょっとワクワクも減ってた。
なんか、その出来上がったものに対してはもちろん、
もちろんベスト出してるんだと思うけど、
なんかこのままじゃ終わっちゃうなんじゃないけど、
自分のなんかこう、なんていうの、
モチベーションがって感じだった。
それもない。
それはそれで良しとしてたけど。
なんか他にも作り方ないかなって思ったんだよね。
そうしたらインスタレーションじゃないなって思って。
で、考えたのが、
ドキュメンタリーである場所、
で、なんかそれも、
ここを撮ってくださいって誰かに言われるんじゃなくて、
自分が興味のある場所やモチーフを探して、
で、それを時間をかけて撮影して、
で、撮ったものを編集して、
で、作るっていうのが、
すごくその時、自分の作りたかったものにフィットしたんだよ。
だからミシモシも誰にも言わずに、
1年ぐらいかけて作っていて、
他の展覧会、東京都現代美術館のインスタレーションとか、
やりながらね。
その時はだから、もう六本クロッシング出すって決まったわけじゃなく、
全然。
特にだからもう誰に頼まれたわけでもなく作ったんだ、自発的に。
でもさ、あの時さ、確かに俺も初期意見受けたけど、
最初出した時はやっぱり周りの反当度だった。
だって今までの志村君のイメージじゃないじゃん、周りは。
いやそれが結構面白くて、みんな戸惑ってたんだよね。
そうね。
なんかね、感想を言いづらいみたいな。
分かる分かる。
私、ある学芸員さんは、
いや今までのプロジェクションの方がいいよって。
あ、もう言ってくる人もいたんだ。
アドバイスする人もいた。
でも本人の中では、作り上げたわけでこのミシモシ。
それはもうやっぱりこれだって感じだった。
このやり方もあったって感じだった。
ドキュメンタリーって。
僕の中では自信作だったし、
なんで今までと違うものを作ったのかっていう目線じゃなくて、
あ、こういうことも作れるんだなっていう目線で見て欲しかったんだよね。
確かに。
そう、一人の人間の中にインスタレーションだけじゃなくて、
こういうアウトプットもあるっていう。
それこそ僕、映像学科でドキュメンタリーの順位を受けてた。
そう、そうだよね。
だから、そういう受け取れ方をしてなかったのがちょっと…
39:01
いや、たぶんね、だからね、あれだと思う。
だから急に漫才やってた漫才師が急にコントやって、
いやいや、漫才師でしょ、君みたいな感じだけど、
事前に、俺コントやりますって言えばよかったんだもんね。
だからたぶん、今回こういう新作だし、
クロッシングだから言いづらいのか、メンバーいっぱいいるもんね。
だからたぶん、古典形式なのかグループ典形式で、
事前に、志村君のこんな新境地ですが、
たぶん事前にあったら、たぶんみんな構えてきたけど、
たぶんね。
なしでね。
なしでね、そうそうそう。
だからそうそう、漫才と思って見に来たのに、
あれなんか急に歌ネタ始まったぞ、みたいな感じのあれはあったけど、
まあ本人としては別にってことだもんね、そこに関しては。
これ今、いくつぐらいドキュメンタリーを結局作ってる?
2本作って、結局1本だけだと、なんだろうな、一発芸じゃないけど、
なんかちょっと変わったことしちゃった、って終わっちゃうなと思って。
で、なんか見つけてきたテーマは、すごく面白いし、可能性を感じていて、
それこそ今のこの時代、コロナの後の時代に、
僕はすごく合ってるんじゃないかなって思っていて、
生態系の話だったり産業の話だったり。
で、フランスに行った後に、その次の作品のネタというか、
モチーフを探そうっていう気持ちで行ってたんだよね。
それが、帰ってきて最初に見せた、羊の作品。
これちょっとプロデューサーから聞きたいってことなんですけど、
美術館での映像作品の楽しみ方について聞きたい。
確かにこれ、結構アートツアーの参加者のお客さんからも、
結構やっぱ映像作品入って、
なんか戸惑うとすぐ出てくるっていうパターン結構多いじゃない?
あれはどう楽しんでほしい?ってのもよくあります?
ドキュメンタリーの?
うん、ドキュメンタリーの方だよね、多分ね。
そうだよね。
でも難しいのは、テレビとかだったら、
映画とかテレビだったら、初めから見れるよね。
けど、美術館の場合、お客さんがどのタイミングから入ったかわかんなくて、
だから見方によっては本当に、
死理滅裂のところからね、挟まっちゃうんだけど、
でもなんか僕は、それを意識して、
あんまり始めと終わりが、強く結びついていないような見せ方に。
別にストーリーを追ってっていう感じではないっていうか、
日本にあえてしてるってことね。
だからもう美術館用の映像作品作ってるって感覚なんだ。
そう、これは俺が思ってたんだけど、
だってドキュメンタリー作って、
しむらくはこの両、今2つパターンがあるけど、
ドキュメンタリー系の映像作家さんもいるじゃない?
じゃあ別にね、美術館でやらなくてもいいじゃんっていうね、
今だってYouTubeでももう出せるしって思うけど、
やっぱりしむらくんの作品に関しては、
やっぱりこれはもう美術館で見てほしいのものと思う。
じゃあこれはYouTubeに上げるとかはないの?
ないね。
42:00
私、あともう1個思ったのが、
このドキュメンタリー系の映像作品って、
結構本当にプレーンに上映してるじゃん。
まあプレーンっていうのは結果だけだけど。
そうだね、インスタレーションに比べたら。
ああいう、これをインスタレーションっぽく、
なんかまた別の上映の仕方したいとかって考えたことはあんまないの。
これはもうこれで普通に見てほしいっていうのが。
そうだね。
なんかそういうテクニカルに変わった上映方法とかをして、
目立たしたいわけじゃないから。
そこは正々堂々。
その作品と空間に合った適切なサイズのスクリーンとか、
上映の仕方で見せるのが一番いいかなと思って。
これはさ、ちなみに美術館側というか、
多分ギャラリー側とかね、
芸術屋さんもそうだけど、
展覧会オファーするんじゃん、西村。
その時にこの時点でインスタレーション系でお願いとか、
ドキュメンタリー系でって来るの?
面白い質問だね。
だから僕も学芸員さんとか頼みづらくなっただろうなって。
今んとこどうなの?そのオファーの時に。
今んとこ、
グループ展、せめの2話の時は話が来て、
どっち頼まれんのかなって思いながら最初打ち合わせ行ったら、
面白かったのが、両方見せたいって言ってくれたんだよね。
あ、そうかそうか。
で、千葉県立美術館の個展の時も、
あれも自分とあと学芸員さんと一緒に出展作品を決めたんだけど、
その時も両方見せてて、
両方見せても全然おかしくないなって分かってたから、
だから両方見せれるってのが一番面白いかなって。
じゃあ今んとこは別にそんなあれって言われることもないんだね。
そうだね。でもこれからね。
逆を出した時に言って困るよね。
だから向こうはもうドキュメンタリーの志村君と思ってきたのに、
映像あれあれってなるから本人としても今後聞いてった方がいいよね。
なんかしれっと聞く。
どの作品がお好きですか?みたいな。
実はこの収録、千葉市美術館で今行っているんですけども、
千葉市美術館で今ちょうどこのタイミングで志村君の展示が行われているんですが、
その場所が作りかけラボという場所でして、
これ何ですかっていうのを、
たまたま今日は千葉市美術館の候補さんがいらっしゃるので、
ぜひまずそこを伺いたいなと思いますので、
特別ゲストでございます。
伊曽野さん、自己紹介からよろしくお願いします。
千葉市美術館の候補を担当しています伊曽野と申します。
よろしくお願いします。
千葉市美術館リニューアルが2020年しまして、
新しい空間ができたんですね。
そうですね。
作りかけラボ、何ですかこれは?
これは3ヶ月ごとに違うアーティストの方に来ていただいて、
空間そのものを変えてもらおうと。
45:03
そのテーマとしては、互換で楽しむ、
素材に触れる、コミュニケーションが始まるっていう、
この3つのテーマがあって、
それに沿ってアーティストの人たちがそれぞれで、
全然違うメディアを使って、空間自体を変える。
その土台を作っていただいた上で、
来てくださったお客さんと一緒に、
どんどんと空間が変わっていく。
アップデートしてくるんですね。
参加してもらうことで。
ゴールも特になく、
ずっと作りかけの状態が続いていくっていうことが、
コンセプトで作りかけラボっていう。
これは珍しいですね。
日本でもここだけですよね。
珍しいと思いますね。
今回は第2弾が行われているんですね。
選ばれたのが志村くん。
そうです。
これも最初から志村くんでいこうって決まってたんですか?
そうですね。
千葉のゆかりの作家さんですし。
1回目が江戸三木子さんって、
もっと違うタイプのというか、
新聞紙とか段ボールとか使って、
ちょっと身体も入っていくような感じの空間作り。
建築とか空間作り、場作りっていうことについて、
やってくださったところで。
志村さんは全然違うメディアですから、
そうやってどんどん扱うメディアが変わっていくっていうのも、
また面白いところで。
しかもこれあれなんですよね。
展覧会とは独立しているので、無料なんですよね。
そうです。
誰でも来れると。
やっぱり、本当にお年寄りからお子さんまで。
ちょっとね、こういう内容だと、
お子さんだけなのかなって思われがちなんですけど。
バックショックというと。
そうそう。
できれば全然関係なく、年齢層関係なく、
ぜひその、美術館での場作りっていうことに関わってほしい。
どうしても展覧会っていうと、
結構受動的っていうか、
いいもの見せてもらったみたいな、
受け取る方が多いじゃないですか。
だけど、今回リニューアルして、
こういう4階とか5階とか新しくなったところでは、
自分から美術館に関わってもらうっていうことを、
ぜひ体験してほしいっていうか、
自分の場所としても美術館を入れていってほしいっていう気持ちがあって、
それの最大のものが、結構作りかけられるのかなっていう。
これが沁村君、頼まれたわけじゃないですか。
率直にまずどう思います?
この作りかけラボという。
なかなか業界にいても聞いたことないコンセプトだと。
新しいなと思って、
似たようなことをしてるところってあるかなって考えて、
例えば、不中止美術館さんとか、国会制作して、
アーティストの人が一定期間やってるけど、
でも常時ワークショップを開いて、
参加者も関われるっていうのは聞いたことないなと。
そうだよね、不中止美術館の場合、
アトリエを公開してるだけだから、
別に参加者が絶対参加しなきゃいけないわけでもないもんね、
48:00
他の場合は。
そうか。
その依頼来て、
今回どういう、結局モノにを作ったんですか?
僕に頼んできてくれたので、
もちろん映像というメディアというか、
素材を扱うということは決まっていたんですけど、
それをどうやって関わってもらうかっていうことが、
すごく重要なんだろうなって思いました。
じゃあ実際どんなものなのかを、
コンセプトや狙いを教えてもらってもいいですか?
あ、磯野さんどうもありがとうございます。
今回の、影を投げるというタイトルが付いてるわけですね。
これはどういう意味とか含めて?
タイトルをどうしようかなと思って、
僕がやっていること、これまでやってきたことを、
共有するっていうことが大事だと思って、
それを言葉にしようと思って、
僕が何をやってきたんだろうと思ったら、
投影してきたなと。プロジェクションって。
投影って言葉は、影を投げるって。
そうかそうかそうか、そうね。
確かに投げてるんだね。
前から不思議だと思ってたんだよね。
光じゃない?プロジェクターから出てもらって。
でも投影しているものは影っていう。
確かにね、本当だ。
でもしっくり聞いてたんだよね、影を投げるって。
タイトルの一つの方法として、
担当の畑井さんに提案したら、
動きがいいですねって言われて、
はい、行きましょうっていう。
豪裁ですね。
自分としてはそんなに変な名前というか、
とっぴな名前をつけたわけじゃなくて、
自分のやってることを素直に、ピュアになれるつもりで、
でもそうやって面白く捉えてもらえたので、
これでいけるんだと。
その時にタイトルも決まったけど、
コンセプトというか、こういうのをやってみようっていうのは、
例えばどういうのを実際に作った?
一番考えたのは、
来場者に何をやってもらうかっていうことを一番考えました。
自分が約130平米の空間で、
何かをやりなさいって言われたら、
自分の引き出しであれば、
あの空間はうまく使えるだろうけど、
それを来場者にどうやって関わってもらうかっていうのは、
すごく仕掛けが必要だなと思って、
映像を使うんだけど、
最新のことをやらない方がいいなと思って、
新しいことを。
それこそ今の小さな子供たちって、
生まれた時からタブレットとか、
TikTokとかできちゃうもんね、今ね。
僕なんかよりもデジタルデバイスを使いこなせていて、
それを今更僕が最新の機種を与えるよりも、
逆に自分も含めて、
51:00
子供たちが絶対に触ったことがないものを使おうと思って、
思い出したのが、
ブルーノムナーリが70年代ぐらいからやっていた、
ダイレクトプロジェクションというワークショップを思い出して、
あれであれば、
来てもらった人たちに写真用の小さなスライドフィルムを利用して、
しかも今回、互換で楽しむっていうテーマもあったので、
実際にアトリエにセロファンとか、
玉ねぎの皮とか、葉っぱとか、触れるものを用意して、
それを中に挟んで、それを投影するっていう。
要は視覚で見るものなんだけど、映像とか投影されるもの。
でもその前にまず、自分で触るっていうのが、
すごく重要かなと思って、手触りっていうか。
ワークショップを、
ブルノムナリがやっていたダイレクトプロジェクションをベースにしてる。
で、見せ方も、僕が作った作品と、
みんなが作ってもらった投影されたイメージが、
バラバラになるんだよね。
はっきり分かれるようになって、
ここは僕の作品ですとか、ここはお客さんの作品ですとか。
一体化するような構成にしたいなって。
あんまりヒエラルキーじゃなくて、
どっちも刺激を受ける。
僕も作ってもらったものに刺激を受けたり、
作りに来てくれた人も、
僕の作品を見て刺激を受けるような。
でもその空間自体は、
投影するっていう原理そのもの。
身近なものを使って、
それが大きなイメージになったり、全然違うもの。
見てなかったものまで可視化されたりとかする発見とかがそこにあって、
それに共に体験できる空間を作る。
これだから来た人がやれる予定だったけど、
今ちょっと収録中はコロナの影響がありまして、
実際ここではやることができずに、
ただキットを配っている。
キットを配っているので、
もう一回リピート内観できる方は、
家で作ってもらったものを再度持ってきて、
投影するというか。
だから応援の時どうなっているかわからないので、
もしかしたらもうできるようになっているかもしれませんので、
その辺はちばし美術館のホームページを
随時チェックしていただければと思いますけども、
できないことはないということですよね。
どんな状況だとしても体験はできますので、
ぜひ体験していただきたいんですが、
実際今日体験したところを見に行きましょうか、せっかくなので。
はい、じゃあちょっと行ってみたいと思います。
ということでやってまいりました。
声響きますな。
すごい綺麗な空間映像が上映されていますけど、
何本流れている状態?
スライドを入れたら5個。
5つ流れている状態。
54:02
今子どもの声も響いていますけども、
子どもも楽しめる場所ということですね。
はい。
すごい、そっくりそのまま言っていただきまして。
そしたら。
ここで体験もできるんでしょう?
そうです。体験してもらうための場所で。
場所です。
体験してくれる、体験見れるんですか?
はい。
ということで一体どんなことをやっているのかを
ちょっと説明してもらっていいですか、まずは。
これ投影しているのがスライドプロジェクターといって、
本当は写真を投影するものなんですけど、
その写真を入れるスライドにこういうガーゼとかセロハンとか
玉ねぎの皮とか木の葉っぱとか。
例えるとだからあれかな、顕微鏡のプレパラートみたいな感じですね。
みたいな感じで挟んでいるわけですね。
それを壁に投影して大きく写しているので。
これもともとは何のために使う機械なんですか?
これは写真を見るため。
今、講義とかでレクチャーするための。
はいはいはい。
業に使われたものなんですね。
これボタンを押すと。
こうやって変わっていくという。
元祖パワーポイントみたいな。
そうですね。
じゃあここに挟まっているやつは基本的には志村君が作ったもの?
僕と美術館の人だったり、持ち帰ってもらって
家で作ってもらったものをここで今投影できるように。
これやろうと思えばやれるんですね、皆さん。
作れる。
はい、キットを持って帰ってもらって。
今日はキットを作ってきてくれた子がいる。
じゃあちょっとせっかくなので、
上映してみるかい?
持ってきて。
どんなの作ったの?どんなの作ったの?
どれ?
ちょっと待って。
どれだどれ?
これだよね?
これ?
OK。
で、もう一個がこれね。
じゃあ投影してみようか。
何君?
いくよ。
はじめ。
おいでおいで。
キットに写してくれるって。
すごい。
作ったの?
いいね。
表面がすごく綺麗。
かっこいい。
どう?
こういうことか。
だから自分で作ったやつを投影するんですね。
そうそう。
これ。
ちょっと。
葉っぱだけ。
いいですね。
もう一個ある。
じゃあ女の子が作ってきたのもあります。
ありがとう。
みのちゃんのこだわりを。
はい。
こだわったの?どれくらいかけて作ったんですか?
丸をこだわって切ったので。
57:02
おお。
いいね。
つけてみるのはいいな。
面白いね。
なんか銅版画みたいな感じね。
かっこいい。
子どもが作ったものとは思えない。
ベテランのイブシギンの感じがします。
顔みたい。
顔みたい。
顔みたいだね。
でもこういう感じで子どもたちが自分で思い思いに作ったものをここで上映していく。
そうです。
これが展覧会期間中というか、ずっとやってくるんだこれ。
どんどん増やしていくっていう。
なるほどね。
ちょっと今こういう状況なので、ここで実際にやっていただく。
きっと作るわけにはいかないですが、持ち帰っていただいて、
家で作ったものをここに来て。
そうです。
投影することができるというわけです。
一人でも多くの人に体験してほしい。
ですね。
子どもだけじゃなくても。
大人もやっていい?
大人も楽しいはずなので。
なるほど。
ぜひぜひここに来てみんなにやっていただきたいなというふうに思います。
はい。
ということで戻ってまいりました。
子どもたちすごい楽しそうでしたね。
楽しそうだね。
インタビューできたのかなっていう、そこはあれでしたけれども。
楽しそうだったのは伝わってきましたよね。
なんか遊んでましたね。
でもあえて遊び方を見つけるんだよね。
そう。
私なんか別に違和感を感じなかったもんね。
昔の機械なわけじゃないですか。
さっき説明してましたけど。
だからしかももしかしたらですけど、
作りかけラボなわけですから、
今後、志村君も美術館の方も想定もしないようなものが
生まれるかもしれないし、
遊び方が生まれるかもしれないってことですね。
そう。
これ期間中は志村君はどんな感じで携わっていくんですか?今後は。
今のところは週末に僕も滞在して、
アトリエを作ったので、
そこで新しい作品を作ったり、
実験をしようかなって。
ここで?
うん。
そうなんだ。
じゃあ話しかけてもいいんだね。
全然。
もし気になる方はぜひぜひ。
はい。
あと作品の中で1個だけ言いたかったという。
お願いします。
この前教えてもらったんだけど、
光の玉が上下する作品があって、
あれ何なのって聞いたらBB弾なんだって。
そう。
BB弾あれどうやってる?
BB弾を求めて転がしてる。
を写してるんだ。
そう。
だからあとボタンの作品とかがあったり、
やっぱり素材は身近なものを使ってるっていうのが、
輪ゴムもあったしね。
輪ゴム。
そう。
普段見慣れてるものがこんな風に見えるんだっていうのは、
ぜひやっぱりこの空間で皆さん見ていただきたいなと思います。
だから自分が作るの恥ずかしいって方は別に見るだけでもいいんですよね。
なんかね、空間にいるだけでもいいですよね。
なんか展示室ではないので、
何だろうな、
何かが行われてたり、
何かをしてる空間を作りたくて、
自分としては。
で、そこに何か身を置いて、
1:00:00
身を置くだけでもいいなと思っていて、
なかなかないじゃないですか。
美術館に来たら、
まず何かチケット買って、
で、同棲に従って展覧会を見てもらうっていうのが、
普通の美術館の楽しみ方なんだけど、
何かそれだけじゃない気がしていて、
渡井さんとも話していたんだけど、
何か美術館の機能自体を拡張できる、
何か時代なんじゃないかなっていう、
それこそ一番最初に、
現代美術作家なんですかっていうその質問もあったけど、
現代美術の一番面白いのって、
作家が生きてるっていう現存していて、
で、僕なんかね千葉に住んでいて、
何かホーム感覚で、
そうやっているし、
で、何か、
お客さんからしたら、
美術館に行ったら作家がいて、
何か作家がいて、
何かやってるっていう捉え方だけど、
僕からしたら美術館が作家に開放してる、
っていうすごいことをやってるなって。
何しでかすかわかんないじゃん。
よっぽど信頼した人でないと、
頼めないもんね、これは。
この後千葉くんは暴れる可能性なくはないもんね。
何もしないかもしれないし。
そうだね、それもあるもんね。
ギャラはもうもらってるの?
最後に現れるの?
何何回かに分けてもらって、
すごい助かりました。
でも最後までちゃんとやるわけでしょ、それでも。
4月4日までに何かを完成させてくださいっていう、
話でもないから、
作りかけてもいい。
逆に作りきったら怒られるかもしれない。
作りかけラボなのに完成ですと。
一番理想はここでやったものとか、
実験したことを、
違う展示の機会とかで完成させるというか。
だから見に来た人が、
あの空間で何やってるかわかんないけど、
作ってたものが違うところで、
また再開できるとか。
たまたま来た人が志村くんと喋って、
それがきっかけになって作品が生まれるかもしれないわけじゃん。
数年後にあれは俺なんだよって言えるわけだもんね。
あのきっかけを作った俺みたいなね。
それは面白いよね、そういう空間ができるって。
だから僕は初日来させていただいて、
今この収録が2週間後、3週間後くらいかな。
それ撮ってますけど、
また3月4月に来るとまた変わってるだろうな。
何回通っても面白い場所に来てるのが面白いね。
展覧会は何回来ても会場そんなに、
変わっていくということで、
ぜひ注目していただきたいなと思います。
はい、ということでまだまだ聞きたい話がいっぱいあったんですけれども、
それは全部後編にということにしたいと思います。
1:03:00
ということで次回は志村さんのご経歴を交えつつ、
作品についての話を続けていきたいと思います。
01:03:41

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