ということで、泉屋博古館、一応知っている程で進めていこうと思うんですが、
その時にもたぶんチラッと出てると思うんですけど、京都間があるってことなんですよね。
あるというか京都間が本館。
最初にできたのが京都間で、美術館としては1970年にオープンしているんです。
東京がもともとは文館って言ってたんですけど、2002年にオープンということで、一応本家からやってまいりましたという。
やっぱりそういう感覚は終わりなんですか、京都のお方は。
いやいやいや、そういうわけじゃないですけど。
ちょうど年にリニューアルもされたということで、リニューアルについてもぜひぜひ教えていただきたいんですが、
結構1年半ですか、工事されて。
そうですね、だから去年1年間ずっとお休みしてて、改修工事をずっと進めてきたんですけど、
今年の4月の末にリニューアル以上できまして、今は新しくなった博古館として展覧会もやってますね。
そのリニューアルの一番のポイントというか、ここがリニューアル頑張ったよというところでいうとどこですか。
そうですね、いろいろあるんですけど、とにかく先ほどお話ししたように建物が結構古かったんで、
いろいろ設備的なところも古くなっているところがあって、改修したというのもあるんですけど、
展示ケースとかが今回かなり新しくなって、そこの点は特に学芸の人たちが力を入れてやってたところで、
すごく美術品が見やすくなったと思いますので、そこは非常に良かったなと思ってますね。
僕も京都で京都館の佐根方さんという山本さんの上司に当たった方とのトークショーを京都新聞さん式でやらせていただいた時とかも、
去年も美術展覧フェスというイベントをやらせてもらった時は、同僚の竹嶋さんとのトークショーをさせてもらって、
その時もリニューアルが今頑張ってますよというトークだったんですけど、
結構びっくりしたのは、展示ケースはもちろん大変だなと思うけど、
展示室の壁の色のグレーをどのグレーにするかで、本当に悩んでましたよね。
見る側からしたらグレーじゃん、ぐらいに思うけど、もうなんかこの色じゃない、この色じゃない、あれもやっぱりすごいこだわりで。
そうですね。壁のクロスもそうですし、展示ケースがないのにもクロスを貼っているので、
床面というか底面とか。
あれとかも本当にいろいろサンプルを取り寄せて、どの子さんにするかみたいな、あれこれやってましたからね。
あれを最終的には何で選ぶんですか、そういう時って。
やっぱり僕は完全に自分の感覚で、なんかしっくりくるなとかので一応決めてますけどね。
それは結構最終的には京都館の皆さんと一致して、これだって。
そうですね。細かいところではちょっといろいろ違うところはあるのかもしれないですけど、
大まかに言うと、多分同じ方向を向いてたんじゃないかとは思います。
それこそさらっと言った1970年にできてというと、それがもう前回の万博で、
今回のリニューアルは今回の万博。
結構それも合わせた部分は。
そうですね。やっぱり万博との関連性というのはすごく深くて、
回収をするならこのタイミングしかないということで満を持して回収いたしました。
多分回収終わったら4月の20何日からですよね、リニューアルオープンってどうですか。
もう実際3ヶ月ぐらい経ちますけれども。
本当に多くのお客さんに来てもらっていて、
結構我々館の人間としても久々の展覧会で慣れない中で、
回収前よりすごく人が来てくださるので、ちょっとびっくりしながら、
でも展覧会やってる間ってこんな感じだったなみたいな感覚を取り戻してきたというところですかね。
お世辞にもアクセスがいいわけではないですもんね。
サラッと行けるって観光客が入ってくるってわけじゃなくて、
多分もう目指してくる人たち。
八甲川に行くって心に決めた人たちが集う場所なので。
でもそれでやっぱり今順調というかリニューアルして、
みんな待ってたなってのもあるんでしょうね。
そうかもしれないですね。
そんな中ですよ、山本さんの一番得意分野といいますか、
制度サミットの人だって言ってるから。
なるほどな。
これからはしゃべっていくとして、
リニューアルの一つ大きな柱が制度機関リニューアル。
これはどういうリニューアルのこだわりとかも。
そうですね。
千岡八甲館基本的に展示室が2つありまして、
制度機関と企画展、実質ってのは分かれてるんですね。
最初にできたのが制度機関。
それが1970年にできた。
もともとそっちから。
そこからスタートしてるんで、
館の中でも一番最古産のというか古い建物に。
1970年に千岡八甲館オープンしますという時には、
その時は名前も制度機関だったんですか。
それは千岡八甲館だったんですけど。
メインとしては制度機を見せるのは結構スタートから。
そうです。だからもうまさに制度機を展示するためにできたという。
世にも珍しいという。
なので1970年にできた建物なんですけども、
建築的にはすごく優れてるという評価を受けてて、
建物自体を建て替えるわけじゃないので、
その建物の良さを生かしつつ、
展示にどう反映していくかというところが一番意識にはあって、
展示ケースとかもですね、
全部新しくならなかったんですけど、
既存のケースとかを併存しつつなんですけども、
展示環境を良くして、
ライティングとかもかなり来れるようになったので、
今までスポットライトとかも入れられなかったんですけど、
制度機って立体なので、
光の当て方によって全然見え方が変わるので、
そのあたりもかなりこだわることができて、
本当に展示環境としては本当に良くなったんじゃないかなと思います。
これも制度機の質が良いのは当然として、
その見せ方がさらにパワーアップしたということですね。
見せ方をパワーアップしつつ、
建物の中に入っていただいたことがある方はわかると思うんですけど、
すごく変わった構造の建物。
天井がちょっと斜めになって、
4フロアが大きくあって、
それがスキップフロア。
ちょっとずつ階段が上がっていって、最後に戻っていくみたいな、
不思議な建物ですよね。
建物自体の魅力を感じられるようなことを意識して、
ケースの配置だったりとか、
そういうこともアレンジしてきましたね。
それもぜひ見ていただきたいんですが、
制度機の、これまでも制度機、制度機って、
僕が制度機さんって呼ばれましたよって言ってるけど、
制度機って何なの?っていうのを、
今までこの番組では放棄してましたね。
ちゃんとやらなきゃなって。
言ったらだって、千億過去館の1970年のオープンは、
制度機を見せるための美術館だったって言うぐらい、
この館にとっても大事なものなんです。
そういうことです。
ぜひみんなにもわかっていただきたい。
今日はぜひ教えて。
そもそも制度機、制度の器ですから、
制度の器なんていっぱいあるじゃないですか。
何を持ってまず制度機と言うかですよね。
何でも言われてないですもんね。
今回この番組で言うというか。
千億八個館が所蔵していて、
一応僕が専門にしているのは中国の制度機なんですけど、
そもそも制度機とはっていう話なんですが、
制度っていうのは銅と鈴の合金のことなんですよ。
英語ではブロンズと言います。
例えば上野にあるロダンの考える人、
これもブロンズなんで、
成分としては同じ、金属と同じなんですけど、
この制度っていうのが実は人類が最初に使った金属と言われているんですよ。
鉄とかでもなく。
たぶんみなさん世界史の授業とかで習ったと思うんですけど、
石器時代があって、制度機時代があって、鉄器時代。
その制度機なんですけど。
鉄器時代よりも前。
前ということです。
なので非常に歴史が古いんですね。
制度は銅と鈴の合金なんですけど、
合金にすることによって融解温度が下がるんですよ。
銅単体だと1000℃以上温度を上げないと溶けないんですけど、
そこに鈴が入ることで850℃ぐらい溶けるようになるんですね。
だから1000℃作んなきゃいけないって言ったら結構大変だけど、
もう少し楽になるの?
楽になるし、鋳造っていう技法にすごく向いているんです。
要するに金属を溶かして型の中に流し込む。
そうすると型自体はすごく複雑な造形とかできるので、
金属でいろんな形を作れるっていう便利さがあるわけですよ。
ちなみに型は今だと石膏とかのイメージがありますけど、
この時代だと。
当時は何?
一応中国では一番最初は石の鋳型を使うんですけど、
石を掘っていくってことですか?
そうです。一番古い段階で。
基本的に発光管で鋳造されている精銅機は土の鋳型を使って、
粘土的に固めるってことですか?
そうですね。
なのでその精銅機の造形って実質陶芸の造形なんですよ。
土で物を作って、そこで陶芸だったらそこで完成だけど、
そこに金属をいこんでいくってことですか?
そういうことです。
そういう特性があるんで、実は中国だけじゃなくて、
いろんな世界中、精銅機文化っていうのがありまして、
西洋にもちろんあるし、ギリシャ、ローマとかもあるんですけど、
中国の精銅機文化、精銅機の一番変わっているところは何かっていうと、
普通金属って武器とか工具とか、役に立つ道具を作るのが普通なんですけど、
中国では儀式に使うお祭りのための器が異常に発達するっていうのが、
一番変わっているところなんですよね。
武器もあるんです。
武器もありますね。
中国では武器も当然使っているけれども、
それっていうのは海外の人は使わないので、
精銅、今考えると金とかよりは安い素材だけど、
工具としては貴重なんです。
わざわざ役に立たないものに高いものを払って素材で作るっていうのは、
普通に考えたらちょっとおかしいな。
ちょっとおかしいですね。
最初は中国でも武器とか工具が出てくるんですけど、
異常に祭りの器を作ろうとするっていう、
僕が専門にしていて、八甲官がコレクションしている、
お祭りのための精銅機なんですよ。
だから精銅機の剣とか精銅機の斧とか、
そういうことはコレクションではまだ別なんですね。
時代でいうと何世紀から何世紀?
だいたい説明するときよく言うんですけど、
今からだいたい3000年ぐらい前ですね。
日本でいうと縄文終わりかけぐらいですかね。
日本には当然ないわ。
日本には精銅機時代がない?
純粋な精銅機時代はないって言われてます。
いわゆる銅鐸とか銅矛とか出てくるじゃないですか。
あれは精銅機?
あれは精銅機です。
だけど中国と日本だと時代はもう全然遅れてる?
そうですね。だから弥生時代の精銅機なんかは、
中国でいうと漢の時代なので、
もう全然後なんだ。
今言っている殷周時代よりはだいぶ後になりますね。
殷周、新漢。
そうですね。
漢の前の前の前みたいな。
そういうことになります。
殷の時代もやってたし、周の時代もやってたわけなんですよ。
それと同じようなことが、
逆に中国から流出しちゃったものもあって、
それが日本に入っていたってことですね。
ちなみにコレクションとしては、
何点ぐらいあることになるんですか?
青銅器でだいたい200点弱ぐらいあります。
これは世界的に見ても、数としても、
結構あるんですね。
これでも僕が何度も教えてもらっているからですけど、
この後の形の話とかも聞きたいなと思うんですけど、
薄さがすごいって言ってますよね。
そうなんですよね。
印集青銅器はだいたい2ミリぐらいの薄さで鋳造しているのが結構あって、
これは結構とんでもない技術ですよね。
とんでもないですよね。
どうやって作るのか。
まず外側がわかるんですよ。
だから外側を作って、型を作って、
その中が全部銅を埋めちゃえば変な話ですよ。
そのまま外で作りたい形ができるじゃないですか。
2ミリってことは、その2ミリ分少ないものを作らなければいけない。
そういうことです。
なので外型と内型というのを両方作らなければいけないんですよ。
内型が器の中空部分になるパーツなんですけど、
それを組み合わせて、
外型と内型の隙間が2ミリになるように調整しないといけないんですよ。
これちょっと動いてくっついちゃったりしたら、
入らなくなる。
穴が開いちゃうんですよ。
そうならないように厳密に調整して、
その2ミリ、1、2ミリぐらいの厚さで鋳造するんですよ。
だから別に全部埋めるとは言わないけど、中に空洞を作りたかったら、
外側は変な形、でも内側はサーモボトルみたいな円筒みたいなことでもいいわけじゃないですか。
別に理屈上はね。
それをどうしても薄くしたい。
そうですね、いろいろ理由が考えられるんですけど、
中国の精銅器の一つの特徴が、
オブジじゃなくて、一応ちゃんとお祭りの時に実用するための器なんで、
それこそ茶道具とかと一緒なんですけど、
お茶碗とかって手取りがすごく重たかったり、
すごい使いにくいじゃないですか。
だから精銅器とかも実際に本当に使うので、
ちゃんと使いやすいように作られてるっていう。
そのためにあまり重いと使いにくいんで。
それはでも山尾さんの特権というか、学園さんの特権だけど、
持ち運びできるわけじゃないですか。
軽いんですか。
軽いです。
見る、見てるよりもっていうか。
見た目だとすごい重そうに見えるんですけど、
実際持つと意外と軽かったりするんです。
ある展覧会の時にやってましたけど、
あれを今の技術で実現しようと思ってもできなかったみたいな。
そうですね。
同じ作り方でやろうと思っても今はできないんですよ。
そんなにすごいテクノロジーなんて。
だから今、鋳造の技術で作品作られる作家さんとかいらっしゃいますけど、
お話ししてても3ミリはめちゃめちゃ薄いって言われるんで。
そうなんですね。
それを下側の2ミリとか1ミリとかで鋳造してくるんで、中国製の器は。
ミトマの1ミリ的な。
2ミリなんてその世界の3ミリと2ミリは相当の差があるんですね。
そうですね。
はえー。
すごい。
ってことは強度は結構あるんですか?
そうですね。
それでも結構壊れちゃって発掘されるものもあるんですか?
いや、意外と丈夫ですよ。
丈夫なの?
僕自身もお墓からちょうど精銅器が出土しているところを見たことあるんですけど、
ちゃんと残ってます。
壊れてしまう場合ももちろんあるんですけど、
そんな壊れやすくて全然残らないってことはないですね。
だからやっぱり薄いけど強度はちゃんとあってしっかり作られている。
そうですね。
これでも今皆さん精銅器好きな人は、
精銅器の話してなんとなくこういう形かなと思うかもしれないですけど、
何も知らないで自面だけ見ると、
もう少し普通の形、円筒形とか思うけど、
本当に変な形ばっかりじゃないですか?
不思議な形。
これだから儀式用だから?
そうですね。
特に中国精銅器の中だと、
動物の姿をした器なんかも結構あって、
千岡八甲館で一番有名なコユというね、
虎が人間を抱っこしているみたいな器があったりだとか、
あるいはシキョウソン、
シキョウというのはフクロウとかミミズクのことなんですけど、
フクロウ、ミミズク型の器があったりだとか、
結構動物がよく出てきます。
それはおそらく祖先の神様に捧げる特別な器だからということだと思うんですよね。
要するに精銅器というのは一般の人たちが日常生活で使うものではなくて、
王公貴族しか使えないもので、
それがお祭りに特化した道具だという、
そこが関係しているんだと思いますけどね。
これこそ自分で精銅器サミットのMCを2回やっちゃってるから、
弊害って言ったらひどいんですけど、
コユって言われても漢字思い浮かんじゃうし、
シキョウソンって言われても思い浮かぶけど、
多分一般の人はコユって言われても字面とかも出てこないと思うぐらい、
見たことない字が多いですもんね。
コは虎でしたけど、
ユがね、ハンドソープみたいな字って僕はいつも言ってるんですけど。
皆さんぜひ調べてください。
ハンドソープみたいな形状をした字ってことですね。
ユはどういう意味なんですか?
ユは一応お酒に関わる器、
酒器の一種だって言われてるんですよね。
飲酒精銅器なんか酒器ものすごい種類があって、
ユって言ってるのはだいたい釣り手がついてて、
蓋のついてる器を一応ユと呼んでるんですけど、
いっぱい精銅器これから店内で見に行ったりとかして、
あれは漢字ばっかりじゃないですか。
全部漢字ばっかりで何だかよくわからないと思うけど、
ルールはあるんですよね、ネーミングの。
ユっていう形のものだよっていうことなんですね。
そうですね、器種が一つ名前の中に必ず入ってるっていう。
日本で皿とか壺とかあるような感じで、
ユというものがまずある。
しかもソンというものがある。
そうです、ソンっていう種類の酒器っていうことなんですよね。
だいたい何種類ぐらい代表的なの、
どれぐらい覚えたらいいですか先生。
よくあるの?
一回それで聞かれてパッと答えられなかったんですけど、
たぶん40,50くらい結構ありますね。
割とありますね、種類が。
三国志好きな人は釈は知ってるみたいな。
結構マンガとかアニメにも釈が出てくるんで、
三本足のやつ。
そう、三本足で不思議な口の形した器があるんですよ。
釈っていう風に言ってて、
それもお酒の器なんですけど、
釈は話し出すとちょっと長くなっちゃう。
いいですよ、全然いい。
たぶんこの番組だけで釈を好きなだけ喋っていい番組は。
あれを今釈と呼んでるんですけど、
実はあれ本当に釈かどうかわからないんですよ。
読み方が。
本当に釈と呼んでいいかどうかわからないんですよ。
結構だから、
神道器の種類は謎のやつが結構多いんですよ。
だから今更ですけど、
固有とか至強尊、釈とかって、
例えば美術品の題名は、
題名を書いてくれたりするわけじゃないですか、作家が。
だから固有なんて、
どっかに作者がこれ固有ですって書いてたわけでもないし、
いわゆる箱書き的なものもないわけじゃないですか。
とはいえ日本にも制動器を持っている美術館があるからってことで、
制動器サミットが行われたという。
ちなみにどうでしたか。
制動器サミットからもう今2週間3週間経ちますけど、
今回関西制動器サミットを改めてやってみた。
そうですね。あれは現実だったんだろうかっていう。
あまりにもいろんなイベントがあったというのもありますけど。
だから打ち合わせも2日前の最終打ち合わせも台湾から帰ってきたばかりで、
僕たちは空港からリモートで参加するっていう。
で、関西制動器サミットが終わった翌日は東京で、
その日の夜にはもう東京に行っていってましたね。
僕が帰るのと一緒くらいのタイミングで東京に戻って行って、
翌日イベントをやっていって、
その生活がいまだにまだ続いている。
その収録の日までまだお忙しいのが続いているということなんですけれども。
というのもなんと今東京で開催中の展覧会があるということで。
京都館のこともやってるけど、東京からの展覧会もそうですもんね。
そうですね。
まさにこの千億八個館東京で7月27日まで開催中なんですけれども、
人再生のナラティブ、物語と書いてナラティブと読ませますけれども。
これ何か誰が書いてましたけど、コナンの映画のシステムと書かれてる。
十字路と書いてクロスロードと読ませます。
物語と書いてナラティブ。
コナンシステムをちょっと採用させていただいてます。
サブタイトルが中国古代神話とデザインということなんですけれども、
千億八個館が所蔵している制動器とか、あとは鏡ですね。
制動鏡、鏡をメインに展示してまして、
中国制動器とか鏡とかすごく複雑なデザインがあるんですけど、
あれが一体どういう意図で表されているのかというのは、
なかなかそこを突っ込んで解説する展示も珍しいかなと思って、
タカンさんの所蔵品なんかもちょっと交えながらですね、
中国古代のデザインに表されている世界観というのを探究するという、
そういうちょっと挑戦的な展覧会になっております。
これは山本さんしかできない展覧会だなと思いました。
僕は一緒にいろんなイベントをやってきたので、
当然違いもわかってくるし、いかにも注目するようになったけど、
一般の人にとっては制動器は制動器、制動鏡は制動鏡と思うけど、
この展覧会の面白いところは模様に注目していくと、
やっぱり全然違うよっていう、
当たり前のことって当たり前のことなんだけど、
今までそこって誰もそんなに言ってくれなかったし、
その物語の見せ方がすごく面白いなと。
ありがとうございます。
なんとなく遠目に見ているとですね、
なんかすごそうだなで終わってしまうんですけど、
中国古代のデザインの面白いところというのは、
本当に寄りで見ていって、こんな細かいところに着目すると、
実はそこにすごい深い意味があったりとかですね、
そこに着目していくとですね、
デザインを謎解きしていくような、
そういう面白さというのがあると思うんですよね。
そこの面白さを伝えられたらなと思って企画した展示です。
展覧会でいろんなストーリーが紹介されていると思うんですけど、
ぜひ会場に来てみていただければ、
それが一番にこうしたことないんですけど、
せっかくなのでこの番組で、
1個、2個選ぶのは大変だと思いますけど、
まずこの作品を見て、
このストーリーをちょっと知って欲しいというと、どれですか?
そうですね、今その展示している中で、
たぶん一番人気であるのが四季押尊という、
これはだって何がすごいって、
青銅器サミットで盛り上げていくのかと思ったら、
京都にいないっていう。
関西で全員集めときだから、
アイドルは東京に来ちゃったんですよね。
四季押尊はなかなか忙しい子なんで、
東京でちょっと出張してきたんですけど、
さっき出てきたミミズクの形をしたやつ。
見た目がかわいらしいということで有名なんですけど、
実はフクロウとかミミズクって、
中国古代では演技の悪い鳥と考えられていたらしいんですね。
それは特に中国の古典文献の中には、
そういうふうに書かれているんですよ。
けれども陰の時代、
今から3000年くらい前ですけど、
どうも中国の古典文献が、
だいたい戦国寛大くらいでできるので、
ちょっとそれより1000年くらい前の話なんですけど、
陰の時代というのは。
その時にはそこまで悪い意味というのがなくて、
おそらく四季押尊の形をした器だったりというのを、
お墓の中に服装してですね、
お墓に葬られている人に、
邪霊が悪さをしないように見張るような、
そういう意味合いがどうもあったらしくてですね。
そういう意味で、
文献だけから見えてこないような、
古代中国の人たちの服装感というか耳づく感が、
ちょっと垣間見える、
そういうちょっと面白い器になっています。
あと四季押尊がすごいかわいいのは、
首がちゃんと外れている。
首がちゃんと回るように作られているんですよ。
これは多分ね、
耳づくの生体と関係していると思っていて、
180度動きますもんね首が。
270度くらい行くらしいです。
真後ろくらいまで行く。
多分そういうのを観察していて、
わざわざ首のところが蓋になるように、
そうするとくるくる回るようになるんで、
じゃないかなと個人的な推測ですけど。
でも外れるってことは、
ぴったしに合うように作られているってことですね。
首の部分と顔の部分が。
なおかつ、だから今日もお話ししましたけど、
オブジじゃなくて、
あくまで器として作っているっていうことですよね。
損というのは首器の一種だと言われていますけど。
しかもこの四季押尊のポーチまで作りましたね。
フェリシモさんとコラボさせていただきまして、
念願の四季押尊ポーチが完成。
そこがすごいですよね。
四季押尊のぬいぐるみを作るのではなくて、
やっぱりあくまで精度計入れ物だから、
ちゃんと中に物がかぽった頭を外して、
中に入れれる。
そこが面白いところで、
整竜記のおもしろさでもあるんですけど、
もっと見たときは完全に異世界の わけわからない奴らかと思うときは
実はその要素が日本文化にも受け継がれている というのが面白いところで
確かに
そこを着目してもらえたらなと思ってますね
七夕伝説もだから日本に関わる あれですもんね 中国古来
そうですね 中国の漢代の時期から だいたいそういう原型となった物語が出てくるんですけれども
中国で七夕の物語は 日本とちょっと違うところもあったりして
その時にキーパーソンになるのが 西王母という仙女がいるんですよね
西王母自体は多分日本美術が好きな方もおなじみというか
川に出て丸山家が描いていたりとか 西の王様の母とかが描いていたり
あれはそれこそ絵画の中だと 大体美しい女性の姿で描かれるのが普通なんですけど
七夕とは関係ないですよね 一般的に思うと
けれども中国の七夕バージョンだと 織姫が実は西王母の孫娘だったという設定があったりとか
実はその西王母自身が七夕チックなことを してたりするんですよ物語の中で
ということは彦星チックな人もいるんですよね
そう それが観の舞台という校庭なんですけど
観の舞台のところに7月7日に西王母が会いに行くという物語が実はあったりして
微妙にちょっと重なっているんですよね
それもやっぱり7月7日なのかな
7月7日ですね その時にお土産を持っていくんですけど
桃も7個持っていくらしいんですよ
7という数字が多分重要だった
よく西王母は桃と書かれるけど そこから来てるんですか
そうですね 西王母が桃を持つというのはもうちょっと後の時代の発想らしいんですが
そういう西王母と七夕の関わりがあって
なおかつ西王母というのは海岸の中だと大体不老長寿の桃をくれるということで
結晶の画題として書かれることが普通なんですけど
古代中国だと西王母ってどういう姿をしているかというと すごい怖い姿をしているんですよ
美人ではないんですね
髪ボサボサだけどでもなぜか髪飾りをつけていて
ひょうのしっぽがあって歯は虎の形をしている
それが7月7日に会いに来るんですか
その1回我慢しなきゃ桃持ってくるんですよ
しかも不老長寿を授けてくれる存在でもあるけど
同時に人の死とか病をつかさどる存在でもあったらしくて
まさにこの展覧会のタイトルになっている
死と再生をつかさどる存在だったらしいんですよね
でも今回の展覧会では美人の方の掛け軸とか展示されていましたけど
その怖い方のビジュアルというのはあるんですか
怖い方のビジュアル
なんかやっぱりビジュアルになっている時点で
大体もう普通の女性の姿で書かれることが多いので
そのものは出てないんですけど
やっぱり寛大の画像石というリリーフがあるんですけど
やっぱりそこに描かれている聖おぼっていうのは
今絵画で見る姿とはだいぶ違っていて
ちょっとやっぱりマガマガしさがあるというか
でもなんかそうやって怖いキャラクターが長いこと愛されていってないけど
ずっと語り継がれると可愛くなってくるのかもしれない
貞子なんてリング1しかやってない時にはもう恐怖の象徴だったのか
なんか最近ちょっと可愛いキャラ発揮会になってきたりとかして
長い歴史が経つと
なんかそんな感じでもしかしたら聖おぼも
いつからかなんか可愛くなってきたのかもしれないですね
特に前漢時代終わりの後漢時代とかになると
なんかすごく聖おぼ人気が高まったらしくて
聖おぼの姿を実は鏡の文様にいっぱい描くようになるんですよ
聖おぼの姿を描いている鏡は神獣鏡ってよく呼ばれるんですけど
神の獣とか
聖おぼみたいな神様と
あとその創造上の獣を文様として表す鏡なんですけど
それのバリエーションの一つが三角縁神獣鏡って言ってるやつで
日本の古墳からよく出土することで有名なんですけど
そこにも一応聖おぼ的なものが描かれていることがありますね
じゃあ知らず知らず日本にも古来にもいるんだ
そうですね
だから多分当時の日本の人たちもその絵自体というか
その文様自体を見ていると思います
いつの間にかなんか忘れ去られたキャラクターになってますよね
一般的じゃないですか今多分聖おぼっていう
でも長い歴史で見ていくと
結構やっぱり日本にも馴染みのあるキャラクターが
そういうのがこの展覧会では分かっていくってことですよね
今回でもあれですよねイベントまだ他にもさらにやっていくって言いますよね
そうですね
実はこの収録日の翌日に私のスライドトークがございまして
プラス19日ですね
7月19日にももう一回スライドトークやりますので
なんでそんなにやるんですか
ちょっと張り切りすぎちゃった
張り切りそういう問題
だいたい学芸員がスライドトークやるって
だいたいマストで2回ぐらいやるんですけど
それ以外のイベントをちょっとはしゃいじゃって
これいいアイデアを思いついたっていって
いろいろ詰め込んだ結果