はい、アートテラー・とにのそろそろ美術の話を。この番組は、私アートテラー・とにがアートに関わる方をゲストにお迎えして、トークを繰り広げるポッドキャスト番組です。
今回は前回に引き続き、泉屋博古館学芸員山本堯さんをゲストにトークを続けていきたいと思います。
はい、ということで後半もよろしくお願いします。 山本さんとだから、もうだいぶ付き合いも長いといいますか、何度もお世話になっているんですけれども、
意外と聞いていなかったことがあります。いつから美術に興味を持っていましたかという。 この話に触れますか。
これちょっと若干複雑な問題がありまして、大体美術館で学芸員をやっている人とかって、子供の時から美術が好きで、美術館に通っていて有名だったんです、みたいなのが多いと思うんですけど、
僕ね、全然そういうタイプじゃなくて。 全然いいですよ。そういう方もこの番組にいらっしゃるような。
なんなら子供の時、美術館に行くのは嫌いだったっていうタイプの子供だったんですよ。 子供の時、僕すごい走るのが好きだったらしくて、飛行機の中とかでも走ろうとして、子供だったので。
美術館に行ったら走って怒られるんで、遊べないしね。なんで多分あんまり好きじゃなかったっていうのがあるんですけど。
あと美術というか、図画工作の授業とかですかね、ああいうのとかでも、僕は今もそうなんですけど、結構水墨画とか結構好きなんですよ。
子供の時から水墨画が結構好きだなっていうのがあって。 渋くないですかね。
小学校で水墨で、ああいうモノトーンな絵を描きたいと思ってたんですけど。 描く側ってことですね。見に行くのは好きじゃなかったけど、描くのは好きだった。
そういうことを言うと、結構やっぱり図画工作とか小学校とかだと、子供はカラフルな絵が好きなはずであるという。
クレヨンとか使って遊んだりとかもね。
色をたくさん使いなさいとかって言われたりして、いやでも僕はそういうのは描きたいんじゃないんだろうなとか思いながら。
そういう美術に対する、なんて言うんでしょう。
学校教育も合わなかったし、美術館っていうのも合わなかったし。
あと、そういうものばっかりじゃないんですけど、美術というと、どちらかというとお料理欲とか、お上品なとかですね。
そういうものを良いと思いなさいという、ちょっとそういう圧力があったりするじゃないですか。
子供の心の中にそういうのにすごい反発する心があって。
そうなんですよ。だからちょっとそういう変わった子供だったんですけど。
でも、中国文化とか中国の歴史に対する興味ってかなり早くからあって。
もちろん子供の時から?
子供の時からあったんですよ。
こういうきっかけで好きになるの?
そうですね。結構自分の家に父親が集めた歴史小説とかあったりするんで。
お好きだったんですか?
そうそうですね。そういうのを読んだりって一つ入り口としてあったと思います。
そういうきっかけもあって。なので、いわゆる美術館、美術っていうのに親しむっていうタイプではなかったんですけれども。
博物館の展示とかはやっぱり行ったりしてて。
博物館では走んないんですか?
そんなにたぶん走ってなかったと思います。
ただ興味があるから?
そうだと思います。
僕が子供の時に四大文明展というのをやってたんですよね。NHKの何十周年か。
それで中国文明展とか行って、すごい展示品を見て興奮したのを覚えてますね。
小学生?
小学校5、6年やったと思うんですけど。
越後光線の剣っていうのがあるんですよ。
急に変なスイッチが入ったのがわかったけど。
全然サビ内でお馴染みの越後光線の剣があるんですよ。
それとか見て、これが越後光線の剣かみたいな。
お父さんもその時は知ってたんですか?
そうですね。書法でその記者を持っているんだ。
読んでて、そういうのにやっぱりすごく興味引かれた。
でも四大文明展のことはインダス文明とかエジプト文明とか他の文明もあるのに、中国がやっぱり一番好き。
なんか一番好きでしたね。
そういう興味がもともとあったんですけど。
普通に考えたら三国志が好きだったかなとかあるじゃないですか。そういうわけでもなく。
いや、でも三国志も好きでした。三国志の本も読んでましたし。
お父様が中国文明が好きなんですか?
ちょっと思うのは山本隆さんの隆がすごいムズい人じゃないですか。
他の人が使わない。魚王みたいな。
魚王です、はい、まさに。
これは聖道記を研究するべく生まれてきた字と、俺は勝手に思い込んでたんですけど。
いや、そうです。この名前の話を中国の人にするとめっちゃ起きるんですよ。
やっぱりそうなんですね。これどういう意味なんですか、字として。
これは字としては背が高い人っていう意味があるらしいんですけど。
お父さんはそんな意味を込めたんですか?息子に背が高くなる。
魚というのは一般には中国の古い時代の皇帝の名前としてよく知られていて。
魚王様の名前だと。
魚春という理想の王様とされているのがいるんですけど、一応そこから取ったらしくて。
じゃあお父さんのところは春なんですか?
じゃないんですよ。
でもお父さんがそこから取っているから、やっぱり中国の造形がある方なんですか?
造形があるわけではないんですけど、なぜそれを選んだのかはちょっとよくわかりませんが。
だからそのある程度は歴史には興味のある人っていう。
でもなんか擦り込まれてるでしょうね。魚王から来てるんだよって。
たぶん子供の時に由来何って言った時に、ルーツが中国のってなると、ちょっと確かに中国について親しみは持ったのかもしれないですね。
でもそんな大それた名前だと逆に中国の方はあんまりつけないのかな?
いやいやでもこの字自体は名前に入っている人はいますよ。
まあわからないですけど。
中国文化とか中国歴史に興味はあるけど、それ自体は多分その美術に対する興味とはまたちょっと違うのかなと思うんですけど。
でもその時は好きで、例えば中国の文明展とか見るとかあるけど、他にもなんかどうやってその中国欲を満たしたんですか?
テレビとかあんまり中国に取り上げることもないし。
もっぱら本読んでましたよね。
そのカンス、カンベンションみたいな。
そうですね。
中国には実際行ったのは、もう子供の時には行ってたりするんですか?
いやいやもうだからそれは本当にもう陰性になってからなので。
憧れをずっと持ってみたいな。
まあまあそうですね。
その少年は中学になるとどういうフェーズになる?
中学になるとですか?
あんまり中学と小学校でそんなに変わってなくて。
それこそ中学の図書館とかに行って、カン文あるじゃないですか。
ああいう図書とか借りて読んでたりしましたね。
孫子の兵法書みたいなのあるじゃないですか。
ああいうのとか借りて読んだりしてました。
ずっと好きなんですね、そこから。
途中で飽きちゃうとかもなくて。
例えば西洋がかっこよく見えるなとかもなく?
いやありますよ。
大学生とかになると僕はジャクソンポロックとか好きだったので、展覧会見に行ったりとかしてましたね。
別に中国一遍とってわけじゃなくて、でも中国の文化がすごい好きって小学校、中学校でもその本読む。
この時点では将来の夢の中に中国文化に関する仕事をやりたいなあはあったんですか?
ありましたね、それ自体は。
その時に具体的に博物館で働くっていうところまでイメージしてたわけではないんですけど、
特に大学行く時とかはそういう中国史専攻みたいなのに行きたいなってぼんやり考えてはいました。
大学は実際中国史?
いや、これもまたちょっと複雑ですね。
一般的には東洋史研究室になったりするんですけど、
中国の歴史を研究する上で歴史学というのともう一つ考古学というのがあるよというのを途中で気づきまして、
それを比べた時になぜか僕は考古学の方が面白そうだなって思っちゃったんですよ。
それで大学では考古学研究室に進学することになりましたね。
今ふんふんでうなずいてあれだったけど、どっちも習ってないからあれだったけど。
具体的にはどう勉強の大きな違いって何ですか?歴史学と考古学?
使う材料が違うんです。歴史学って基本的に文字に書かれていることを研究するんですけど、
考古学っていうのは物なんですよね。物自体を研究するのが考古学の手法なんですよ。
経典とか歴史の文献から考えるか、実際そこにあるものから考えるか。
出土品とかになりますね。
じゃあ考古を選んだと。
それも中国考古なの?日本の考古物とかも選ぶ?
基本的に考古学っていうのは建前上どこの地域をやっても同じ共通の方法っていうのがあるので、
まずはそれを勉強しなさいということになるわけですね。
ベースを覚えて。
僕が進学した大学は大陸の考古学をやる人もいたけれども、日本の考古学をやる人もたくさんいたので、
そういう人たちと一緒に勉強をすることになりました。
考古学の勉強でも合ってたなと思いますか?
いやでもね、進学してから気づいたんですけど、多分ね、僕が思い描いたところとはだいぶ違ったんですよ。
どういうのを思い描いてたんですか?
僕が興味があったのは中国のことが知りたかったわけなんですけど、
考古学で勉強することは必ずしも中国のことをやるわけじゃないんですよね。当たり前なんですよ。
このものの数分でわかりました、僕ですら。
でも入ってみて気づいて。
でも全然つまらなかったわけではなくて、
考古学のものの考え方というのは学んでいくと面白かったんですし、
それを方法を使って中国の歴史をどう展示するかというのを考えるというのも面白いことなので。
でも確かに前半で正道記の話をいっぱいしてくれたじゃないですか。
あれはだって考古学やってなかったらものに興味なかったかもしれないですね。
そうかもしれないですね。
だから言ったらザ・考古学だもんね、美術館でやってることは。
そうですね。ただでも正道記の一つ面白いところではあるんですけど、
正道記っていろんな角度から研究できるもので、
僕がやってるように考古学のやり方、あるいは美術史的な見方もできるし、
ちょっとしゃべりましたけど、実は文字が書いてたりするんですよ。
名文が書かれてる。
なので正道記ってのは実は考古学と歴史学のちょうどおいしいとこ取りができるんです。
なるほど。
それはまさに僕の興味関心にぴったり合ってたんですよ、実は。
確かに確かに。
でも大学に入って考古学やりました。
この時点では正道記は結構自分の中でもうターゲットというかいるんですか?
やりたいなみたいな正道記、あれ研究したいなのはあった?
実は僕は卒論は正道記じゃないんですよ。
何だと?
正道記で書いたんです、中国の。
正道記?
正道記で書いたんですよ。
実は正道記を本当にちゃんと研究し始めるのは、
それこそ博士課程に進んでからなんですよね。
知ってはいたけど、そこまで正道記の方が興味があった?
そうですね。
でもよくよく考えたら、絶対に正道記の方が興味があったんですけど。
当時から?
いろいろテーマを選ぶ上で、卒論では正道記をテーマに選んだんですよね。
ちょっと回り道をしてるんですけど。
ちなみにその時点でもう千億八個館は訪れてるんですか?
千億八個館は行ってますね。
やっぱ正道記のっていう。
その時は感動してた。
ファースト、千億八個館はどんな印象だったんですか?
学生の時ですか?
そうですね。
正道記館っていう建物が恐ろしく見えましたよね。
こんな正道記だけをずらずら並べてる空間なんなんやってすごい思いましたね。
まさかそこを自分がリニューアル担当するとは。
何年も経ってっていう。
子供の時美術館嫌いだったら、大人だったら美術館学院やってるっていう。
人生とは皮肉なもんですよ。
皮肉ではない、いい話なんだけど。
委員の時には正道記も研究しようって。
そうですね。
特に博士生活定に進んで、留学するんですけど、
その時とかに正道記やろうって決めて、そこから正道記研究するっていう。
でもその前半でちょっと気になったことがあって、
後半で聞こうと思うんですけど、
正道記を研究してるのは多分自分だけですって人は。
学院ではね。
大学ではいるんですか?正道記研究されてる。
正道記のもうだけの人って誰ですか?
一応そうですね、中国正道記を研究する人はいます。
僕の先輩にも何人かいらっしゃるし、
学議員としてやってる人はあまりいないんですけど。
全体で見ると多いほうなんですか?少ないんですか?
めっちゃ少ないです。
片手で数えられるぐらいしか多くないです。
日本では。