はい、アートテラー・とにのそろそろ美術の話を、この番組は私、アートテラー・とにが、アートに関わる方をゲストにお迎えして、トークを繰り広げるポッドキャスト番組です。
今回は前回に引き続き、写真家の青山裕企さんをゲストにトークをしていきたいと思います。
ということで、前半ありがとうございました。
はい。
どうでした?前半やってみて。
あっという間でしたね。
そうなんですか。
大丈夫ですよ。なんか結構、なんかいろいろ喋っちゃった気がします。
大丈夫そうです。
ちょっと反省モード。
いや、やっちゃったなぁみたいな感じ。大丈夫、大丈夫。
なんか楽しくなっちゃうと。
いや、そうなんです。
なんか余計なことも喋っちゃってますけどね。
いいんです。この番組はそういう番組でございます。
ということで、前半で入りきらなかった話がありますということで、
青山さんの代表シリーズの一つ、少女雷散と。
ちょっとちらっとね、前半ではその話題だけ出たんですけど、どういうものなのかというのをちょっとまた改めて教えていただきたいなと。
もうすごくテーマはシンプルで、一人の女の子をずっと撮ってるっていうだけの作品なんですけど、
ただその一人の女の子、もちろんタイトルから少女、少女を撮っている。
はいはい。概念的な話ですね。
ただその子の具体的な情報はないんですね。調べても出てこない。
年齢も名前も。
モデルが誰かもわからないしっていう。
という作品で、これは2018年から、もう本当に明確にそういうテーマで少女雷散で撮り始めたので、
最初、私の名前を出さずに発表してたんですよね。
主にインスタグラムで、その少女雷散のアカウントを作って、一人の少女の写真をすごい勢いで出してたんです。
もう手でずっと1日何十枚も更新してたんですよ。ゼロフォロワーが。
それで、だんだん膨らんでいって、10枚。
これって、まずその少女雷散っていうコンセプトがあって、それに見合う少女を見つけてきたのか、少女を見つけてから少女雷散ってコンセプト。これどっちなんですか。
もう後者ですね。
あ、そうなんですか。
もうやっぱりね、結構私の作品って、ソラリーマンもスプレーワールドも、なんかコンセプチュアルなんですよ。
だけど、結果的なんですよ、全部。なんか箱を作ってそこに入れていくんじゃなくて、結果的に箱になったっていう感じでテーマは。
だから、ソラリーマンもスプレーワールドも最初からなんかスーツと制服で記号的なんて考えてなかったんですよ。
いや、そうでした。前半で聞いてまさにそうでしたもんね。ただ飛んだところからスタートしてましたもん。
だからこれもう、あの少女と出会って、1回撮らせてもらった時に、この子すっごいと思って。
その少女は、もちろん通常が明かさないからあれですけど、最初はどう出会うんですか。
出会い方がメールもらったんですね。
少女の方。
はい、それはまあまああるんですよ。撮られたいってことで。募集してる時もあるし。
ただまあ、メールいただいた時に、なんかちょっと気になったんですよね。
そのメールの時点でってことですね。
ただそれはなんか写真、まあ写真も添付されてたんですけど、写真で気になったっていうよりは、なんか動機が、なんか普通ね、写真集とか作品出たいとか、
たとえアイドル、なんか芸能活動したいとか、それが悪いわけじゃないんだけど、なんか大切なお友達に自分の輝いてる姿を見せたいみたいなことが書いてあって、
なんかいい理由だなーみたいな。結構、モデルもアシスタントも人間関係も全部人間性で考えてるので、
なんかこの人撮ってみたい。
例えば写真見てめっちゃ可愛いけど、なんかメールのレスが遅いとかは絶対もう撮らないんですよ。
あー。
この人なんか、なんか人。
撮りたいなと思ってなんかがあったんです。
で、あって撮ったら、もう本当その撮ったのはね、本当30分の満たないぐらいだったんですけど、
すごい見てる、来るんですよ。
その子が。
はい。
写真撮ってる青山さん。
はい。
すごい見てて。
普通こっちが見るんですね、撮るときって。
もちろんカメラ目線だから見られてるんだけど、でも、普通なんかモデルとカメラマンが対峙してるときって、
間にカメラがあって、ファインダーを覗くんですよね。
だからモデルがレンズを見てるんですけど、明らかにレンズの向こうの私を見てる感じがすごくあって。
なんかちょっと言わんそうだ。だからドラマとか見せても、カメラ目線だけどカメラ目線だなっていうのと、ホラー映画みたいなので、
なんかあの女の人と目合ってるなみたいな。
そう。
幽霊の女の人、そんな感じってことですか。
それってでも、なんだろう、本当に物理的な話で言うと、ただ黒目の目玉だけですよね。
だからすごい、見てるっていうのは、私の解釈だとすごい撮られたいという切実さを感じたんですよね。
それは怖いというよりはちょっと喜びというか嬉しい。
すごい、こんな人いるんだみたいな。
だからなんかもちろん、若くて可愛らしい女の子ではありますけど、この子撮らなきゃと思って。
で、その30分未満の撮影で思ったんですよね。
で、その撮影が終わった後に、後日連絡をいただいた時に、すごい短い文章だったんですけど、
同じことを書いてあって、すごい撮られたいって思った。
もう撮られるのは青山さんしかいないと思って。
お互い思ってたんですか。
そんなメールもらったら、撮るしかないじゃないですか。
だからもう、この時点で少女来産ってテーマなかったけど、この子で何か作ることになるなと思って。
で、一回じっくり1日かけて撮ってる間にもう全部決まりましたね。
これ少女を撮ろうとしてるんだなと思ったし。で、少女来産ってタイトルもほぼ出ましたね。
このシリーズは今何年目になるんですか。
でも撮影っていうか、もう出始めてから今でも8年ですけど、撮影自体は3年半ぐらい。
いや、これだから、まだ撮ってはいるってことですか。
撮ってないんです。撮り終わったとは言ってないんですけど、しばらく撮ってないんですよ。
これだから、今のご時世だから、いろいろと言葉選びのあれだけど、少女はいつか少女じゃなくなるじゃないですか。
そうなんです。
だから終わりというか、なんかあるじゃないですか。これは少女の概念というかはどう捉えてるんですか。
難しいところで、この少女がどうっていう以前に、僕自身は少女性っていうのは年齢とか関係ないと思ってて。
僕はもともとこれは全然被写体関係なく、すごく愛嬌のあるおばあちゃんが大好きなんですよ。
こういう女性、女性を見るときに、この人、おばあちゃんになったらどんな感じかなっていうので、女性を見るようにしていて。
だからどんな美人でも、この人いじわる婆さんになりそうだなと思ったらめっちゃ冷めるんですね。
なるほど。
何が言いたいかというと、少女性っていうのは愛嬌とか愛想とかであったり、年齢がむしろ高まるほどに出てくるものでもあるんだけど、
っていった意味で言ってたら、明らかに側派少女っていうものに対しては、年齢を重ねるごとに少女らしさが損なわれてはいくんですよ。
だからこの作品を、例えばリアルに10年撮ってしまうと、少女感にあふれてるのが1,2年だとして、
残りの7,8年がだいぶ薄まってきたものになってしまうので、そのトータル10年で見たときに、非少女的なビジュアルの写真が増えてしまうって。
割合?
でもそれで外見だけで捉えてしまうのはしょうがないんですけど、そう見えてしまうので、割合上、それぐらいの期間であるべきかなと思うし、
これ最初から決めてたんですけど、もうその少女が撮られたくないというか、もういいかもと思ったら終わり。
撮られたくないって言われたくじゃないんですけど、ちょっとふっと予定が合わなくなって、撮らなくなってってことなので、
もちろんまた急にファって乗っても面白いと思うんですけど、現状そういうことなんだけど、情報がないので、
で、今ちょうどここ数日前から急にまたインスタで少女ライさんを爆更新してるんですけど、
それは何があったんですか?
それはなんとなくなんですけど、ただそこで出会う人がいるわけですよ。それでまたフォロワーだからもう結構何百とか増えるんで、
そんな人にとっては初日なんですよ。
そうですね、初めて。
なので、少女ライさんは生き続けるんですね。
そうか、新しい新規の人がいればってことだと。
特定のアイドルだと、この18の頃があったんだね、でも今は28だけどね、でも18の頃の写真も見ていいなっていうことじゃないんです。
なるほど、なるほど。
だからやっぱ少女ライさんっていう作品は、ずっと生き続けていた方がいい、求められているのが、そういう感じの作品にしてるんですよね。
でもこのご時世って特定犯みたいなのもいて、とかは出てこないんですか?この少女を何とか見つけて。
全然出てこないです。
本当ですか。
全くバレてない。
へぇー。
でも一つには、その少女が誰にも言ってないっていうのがあるんですよ。
その子自身も。
でも言っても、親にさすがにさらっと言ってるかわかんないけど、さっき言ってた親友の女の子がいて、その子にしか言ってないんですよね。
その子も口が固いんですね。
そうなんですよね。
でもだからファンみたいな写真集買った人が特定しようはしてない。だからみんな別にそこは求めてない。
求めては、検索したりはするでしょうけど、でも特定はしようがないですよね。調べようがない。
でもあれですよ、青山由紀でグーグルとかで検索すると、サジェストで青山由紀少女ライさん誰とか。
なるほど、なるほど。
そういうのはありますけど、まあ出ないと思いますよね。
でもこの少女ライさん、さらっと言ってるんですけど写真集が1300ページ。
そんなに、そんなに何枚撮った?何枚ある?
何枚、だから実はですね、まだ更新しきってないんですよね。
だから今もう爆で上げてるって言ってるじゃないですか。
もう上げてるトータルでも1万超えてて。
何枚持ってる?
まだ言えないですけど。
いや全然どうだろうな。でも撮ってる枚数で言ったら、でもさっき言ったようにその前半そのトニーさん撮る時もそんなに連写もしないですよね。
だからもうそれだけどすごい撮ってるんですよ。っていう作品は量、物量が命なのでこの作品は。
だからすごい撮ってる。でさっき言ったようにめっちゃ見てくるんですけど、別にそんなにコロコロ表情変わる子じゃないですよね。
けたけた笑ったりする。なんかずっとこっちを見ているみたいな。
でそれを撮っているみたいな感じなんだけど、でもいざ見直すと全部違う子一人でするから、この子すごいって感じなんですけど。
だからね僕もう全然有りますよね。何かね、10万枚以上は全然あると思うんですよね。
でもそれこそそんなもう青島さんから見たら逸材の女の子だったら、要するにユーザーは探さないかもしれないですけど、同業者から言われないですか。
このモデル俺もちょっと使いたいよみたいな。
めちゃくちゃ言いましたよ。
そうですよね。
あのーのスタイルとか、紹介してとか。
それはもう全部オープン。
いやこのやつわかんないですよね。
同業から言わないですよね。
でもやっぱり見る人というかその撮る側からするとやっぱ逸材なんですよね。
逸材だと思いますけどね。やっぱり。
まあそれはもうぶっちゃけだからもう私の力っていうよりもその子がすごい。でもことを全力で紹介したいって感じ。すごいですよね。
これはだからもう本当に今までいろんな人に会ってきたと思うけど、そんなにいないですか?その特質を。
いないですね。だからよく言われるのが、じゃあ少女由来さん2はあるんですかとか、他の子絶対ないですよ。
絶対ない。
でもそれは優劣でその子がトップで他の人は下って意味じゃなくて、この少女由来さんの作品はこの子です。
なるほど。
っていう作品なんですよ。
だから前半にも話しましたけど、やっぱ狂気って大事で。作品って。写真ってそうなんですよ。
絵画とか他の美術って当たり前なその狂気があるのは。だってずっと描いてたりとか。
もう普通に普通の人間からしたら異常なんですよ。やっぱり。
ゼロから作ってるわけです。
さらに今からしたら異常なわけです。ほとんどずっと制作してると思ってる。
で、写真って小手先でできるのが弱さでもあるんですけど、やっぱ作品、私はやっぱその、写真はやっぱ美術の中の一ジャンルとして当然やっているので、
別に狂っててすごいと思ってるわけじゃなくて、当たり前だと思ってるんですけど。
それがってこと。
だからこんだけ一人の人を撮って、なんでこんな撮ってんすかとか、サラリーマンなんで20人撮って、1000人以上撮ってとか、いや別に当たり前なんです。
別にそれで、俺こんな撮ってるってことじゃなくて、当たり前なんですけど。
それがってこと。だから画家が毎日絵描いてるように。
当たり前ですよね。
っていうことなの。
そうそう。
それはまあでも、写真のフットワークの軽さの良さもあると思うから、私はこっち側というか。
でもそれが確かに、例えばコンセプトの人もいるじゃないですか、作家として。
だから例えば最初にもう少女を撮る。
俺は1300、1万枚少女を撮り続けるんだっていうコンセプトで作る人もいるじゃないですか。
いると思いますね。
でもそれは多分前半で言ったように、楽しくないんでしょうね。
その作業でしちゃった場合は、コンセプトで作っちゃうから、多分青山さんの言う楽しい、だって1万枚撮ってるのは楽しいんですもんね。
楽しい楽しい。
だからそこの違いなの。コンセプトで作るか、コンセプトは後でできるかの差がそこな気がしました、今。
これって、まあ本当に他の美術部もそうだと思いますけど、飽きたら終わりだと思うんですよね。
で、飽きないっていうのは、才能かなとは思う。
それ未だに飽きない。
飽きないですね。
それは商業写真的なのもあるじゃないですか。オファーいただいて、グラビア写真。
それはぶっちゃけ今までたくさんやってきた中では、あれはちょっと飽きたなっていうものはあったりするんですか。
でもやっぱ全部楽しいものなんですか。
人であれば。本当に人でないと飽きました。だからブツ撮りとかはやらなくなりました、もう。
あんま上手くないし、センスもないし、なんか高まらないし。
だから他の人が、そういうのが得意な人がやったほうが多分いいと思うんで。
人が飽きようがないっていうのはちょっとまあ、ずるいですけど勝ちしかないというか。
だってみんな違いますからね。
でも過去いっぱい撮った中で、途中でこいつ撮りたくないなって思う人はいらない。
でもね、性格が。だからさっきの芸能人とか、最近いないですけど、やっぱ一昔前は嫌なタレントもいたわけですよ。
やっぱいるわけですね。
でも分かるんですよ。もう今ならね。嫌なタレントってその人が嫌なんじゃなくて、やっぱ周りが悪くしてるんですよね。甘やかしてるとか。
マネージャーがピリピリしてるだけだ、実は。だから全然その子は、その子っていうと女の子になっちゃうけど、悪くないんだけどっていうのもあるんですけど。
でも、環境を操作してるってことまで読むから、そういう人がもし現れても、なんかかわいそうだなーとか思って。
今はだから別に、青山さんがテンション下がったことはないんですね。多分楽しくやれるって。
あんまないですけど、全然すごい撮りづらい人でも歓迎ですけどね。
なんか、全然緊張はすると思うんですけど、新しいんで。
人であれば。
そう。だから結構、やっぱお仕事的にはスクールバルコンプレッソー少女らさんのイメージが強くて、やっぱ若い女の子のお仕事がすっごい増えちゃったんですけど、これはね、ちょっと不本意なところはあって。
でもやっぱ普通の男性なので、別に女性と日々、いろんなかわいい女の子が日頃から入れ替わりたちから出てきて、時に水着になり、時に笑顔で。
それは楽しいっちゃ楽しいですけど、でもはっきり言っちゃうと、前提としてそれよりおじさんを飛ばしてるのはダントツで面白いと思って撮ってる人間なので。
だから正直なところ、さっきのおばあちゃんとかおじいちゃんでもいいし、外国人でもいいし、ほんといろんな人を撮りたいんですよね。
それこそ、街中であの人撮りたいなとか、会った時に、こんなこと言ったら今のご時世、たくさんアシスタントの方がいるんだから、アシスタントにちょっと行ってきて。
声かけてって。
声かけて。
で、一応なんかあれなんですよね。全くの他人、他者でパッと見て撮りたいと思うことはないんですよ。
さっきのサラリーマン見て撮りたいというよりも、飛んでったらどうだろうって思うんですよ。
なるほどなるほど。
だからその世界を、日常ちょっとずらすみたいなのがテーマで一つだって。
だから制服の女の子なんだけど、顔が隠れてたらどうだろうとか、サラリーマンが浮いてたらどうだろうみたいな見方はするんだけど、
そうすれば記号的に見てるんで、その具体的なこのおじさん、何とか佐藤さん、46歳、営業職とかってのは、やっぱり一回話せば撮りたくなります。
そういうことなんですね。
だから一回会えば撮れます。
そうかそうか、そういうことなんですね。
だからゼロベースはね、なかなか湧いてこないですね。
ちょっとそれを踏まえてなんですけど、この番組ではですね、皆さんのアートとのつながりみたいなところから、いつから美術とか写真に興味を持ってたんですか。
全然そういう畑の人間ではなくて、家庭環境的に、普通のサラリーマンと専業主婦で、もともと一人っ子でだったんですよね。
だから全然その美術には触れてなくて、写真も前話したように、大学に入って自転車で旅をしてる時に急に始めてるので、それまではほぼ興味はなかった。
その自転車で旅しようと思ったのはなんでだ。
それはもう典型的な、当時よく自分探しですね。
大学入って、心理学の専攻だったんですけど、こんなんで人の心わかるんかなって急に概論を受けて絶望し、結構絶望して大学を失踪し、引きこもり、もう何もできなくなっちゃったんですけど。
本は好きだったんで、書店に行った時に自転車旅行を始めようという本をたまたま見つけて。
そんな本があったんですか。
これだと思って。で、自転車買って、旅用の。
その一発目の自転車旅行はもう最初から全国一周。
そうですそうです。
ではまずちょっと近場からやってみようにはなんない。
じゃないです。だから普段そういう練習もしてない。
お住まいはどちらになるんですか。
実家は名古屋で、大学は茨城県の筑波市っていうのがあったので。
筑波からスタートして。
実家に帰って名古屋から船で、北海道の戸間古前まで行って、そっから北海道まず徳山に一周して。
縦断ですね。そっから朝日沖縄まで。
何日かかったんですか。
4ヶ月ぐらいですかね。短い方だと思うんですけど。
その目的は最終目的。
目的はね、自分探しなんですけど。
大学…
結果見つかったからいいですけど、見つかんないパターンもあるわけじゃないですか。
写真が見つかった旅なのがあるんで、人生を決定づけた旅なんだけど、
何か見つかったらいいなとは思ってたかもしれないけど、
てかね、もうそれしかなかったんですよね。
要するにもう大学も休んじゃって、復活できる見込みもなく、
もうやることがないし、やめるにもやめても何するかだし、
打ち込めるものもないし、自転車だみたいな。
で、その時が何年になるんですか。
1998ですね。
僕高2とかだと思うんですけど、
ちょうどピッチとか出始めた頃ぐらいですよね、携帯が出始めたから。
まだミクシーとかないから、発信とかできない時代ですね、確かに。
BHSのフリップがついてるタイプ。
その時代に、それで行ったんですか、全国に。
マップとかもない。
マップね、一応ね、ツーリングマップってのあるんですけど、
今だとね、スマホでっていうかね、そういうのはないんで、地図で見ながらですけど、
初日がトモコマイの港に昼前に着いて、やっぱり全然旅も慣れてないわけで、
札幌のユーザーホステルを予約してたんですよね。
トモコマイから。
70キロか80キロあって、実はね、その日に台風が接近してて。
北海道って珍しいですよね。
接近というよりも、トモコマイに着いた時に台風が秋田ぐらいにいたんですよ。
で、台風ってそこまで北上すると早いんですよね。
60キロとか80キロとか出てて、自転車が15キロとかね。
もう本当は大雨大風だったんですね。
これ本当は今でも後悔はしてるんですけど、札幌のユーザーホステルをキャンセルして、
トモコマイで一泊すればよかったんですよね。
そうですね、普通に考えたらそうですよね。
翌日はもう晴れだったんで。
通過してくれる当たり前ですけど。
だけどなんかね、もう視野が狭い。
そうめんみたいな。
狭すぎて。
要するにもう札幌のユーザーに今日つかないと俺は死ぬぐらいの感じだよ。
死ぬところで台風に突っ込んでった。
本当にやばくて、看板とかも本当に飛んでるような、本当に。
で、それからBHSも持って、結構ちゃんと装備をして、
自転車の横とか後ろにガーパックつけて、リュックも背負って、
で、夜8時ぐらいに何とか着いた時に、
着いたんですか。
でも荷物が全部水没して、
そりゃそうっすよ。
電化製品が全部ダメになって、
地図とかも全部ずぶ濡れで、
でもユースのタコ部屋で大泣き、
呼吸して、もう帰るっつって。
帰ろうと思ったんですけど、初日にして。
でも翌日、昼ぐらいに、
進むかって思って。
すごい、なんか、水曜堂でしょより水曜堂でしょ。
そうかもしれない。
感じですよね、北海道で。
それで帰ってったら写真と出会ってないけど。
それでじゃあ、行くかと思って。
行きました。だから全部買い直して。
はい。
えー。
水没したやつも全部おじゃん。
おじゃん。
その時はカメラ持っててなかった。
その時は。
最初にちょっとちらっと持ってはいた。
そのいわゆるコンパクトフィルムカメラを持ってましたけど、
それもダメになって。
でもまだカメラに目覚めてないので、
まあ普通の。
その時は別に今写真、
なんかこの旅で写真撮ってこうっていう感じでもなかった?
だから今でいう別にみんなスマホで旅先撮ればいいじゃんぐらいのノリですよね。
全然もう何にも、
その美術的なとこは本当に縁がなかったです。
でもその関西弁の人とはいつ出会うんです?
その北海道自転車旅してる時に、
でも一週間ぐらい経ってから急にまあ、
北海道ってライダーハウスっていうその回宿泊施設がいろんなとこにありまして、
本当になんか布団すらないような掘ったて小屋みたいなとことか、
いろんなとこあって無料で泊まれたりするんですよ。
そこ泊まるとね、
僕は自転車でシャリダーって言われるんです。
シャリダー。
バイカーとか。
バイカーもいるから。
車の人たちもいたりする。
で、なんか飲んだりするんですよ。
そこでね、仲良くなって、
仲良くなったら一方的に絡まれて、
なんかいくつか感じで。
それがきっかけでカメラに目覚めたってことなんですね。
で、撮るようになっていったわけじゃないですか。
で、そこからそれを、
専門職になろうってなっていくまではどう繋がってる?
やっぱり前半で話した、
自分が飛ぶようになり、
友達を飛ばせるようになり、
そのあたりからやっぱり写真そのものにすごく興味を持ち始めて、
で、もともとその本が好きってことにあいまって、
写真集とか、
専門書店もそうだし、
ビリッジバンカードとかもそうだし、
写真集とかを見漁り買い漁るようになりまして、
そこからビジネスというよりも写真ですね。
写真に興味が。
写真、本当に興味、
超興味持って。
その時は写真、
写真もだから別に2種類ってわけじゃないですけど、
写真も職業写真じゃないの写真家さんもいれば、
いわゆる美術館で、
芸術写真撮る人、
最初はどっちだった?
これはですね、
商業で写真撮って食べてこうみたいなイメージは全くなくて、
で、2000年前後だと、
まず、
三浦美香さんとか、
ヒロミックスさんとか、
長島ゆれさんとかが、
機内兵庫を同時授業したような、
あと、さないまさふみさんとか、
私の好きな野口理香さんとか、
結構そういう若手写真家たちが、
もう、
うっぱっと出てきて、
で、雑誌もスタジオボイスとか、
今のペンブルーサーとか、
写真家がバンバン特集されてて、
キラッキラしてた時代なんですよね。
もう、流行ってたんですよ。
そこに憧れを。
もう超憧れて、
もうスタジオボイスに乗りてみたいなとか、
だから完全にやっぱ写真家ですね。
だけど、写真家になれるとかは思ってなかったですけど、
でも写真で食べていきたい、
でも食べれるわけないよなって感じで、
写真に超ハマってたんだけど、
写真の勉強もしてたし、
写真誌も見漁ってたし、
写真店とかも、
茨城から東京行って見るようになってたけど、
それはそれ。
で、何で政権立ててこうとは思ってたんですけどね。
そこがちょっと絵画とか彫刻と違うなと思うのが、
例えば画家になりたいって言ったら、
美大に行って学んで、みたいなやつ。
写真の場合って、なりたいなと思った時に、
どうするのか。
ですよね。
正規ルートがよく、
今は多分写真家の、
あるじゃないですか、芸大とか。
当時は別に誰かに学ぼうとかもなかった。
多分今もまあまあそうなんですけど、
雑誌社とか新聞社とかに就職して、
カメラマンとして働くか、
スタジオに就職する。
ただそれは多分、ずっとじゃないですよね。
腰掛けというか、
数年で技術を取得して独立する。
あとは誰かの師匠につく弟子。
みたいな感じなんですよ。
やっぱり未だにそういうのはちょっと。
そういうのはあるっちゃあるけど、
やっぱりSNSもしっかり優先。
出方が広くなってて、
そんなことしなくても別に、
出れる。
出れるっていうのは、
何を思って世に出たかによるんですけど、
さっきね、雑誌社も減りましたしね。
あと当時は写真キャノンの写真申請機とか。
ショーですね、応募ショー。
いわゆる記名弊社はまだありますけど、
当時は2000年代ですね。
ゼロ年代は、キャノン写真申請機、
リクルートのひとつぼてん、
エプソンのカラーイメージコンテストっていうのが、
3大写真コンペティションだったんですね。
M1、R1、キングコンペティションみたいな。
まずそこに行けばだから。
もう年間3つここに行くぞって感じで、
2007年に、
2005年に1回ちょっと申請機出して落ちて、
2006年にソラリーマンとスクールバーコンペティションが生まれたので、
2007年、1年かけて全コンペ出して、
全落ちしたら辞めると思って出したんですよ。
もう逆に言うと、これで浮かんなかったら、
俺才能ないよね、辞めます。
だからもう排水の陣で移動する。
もうそれを全然言いふらして、
俺もう辞める。
その時はどういう、学生はもう終わってて。
終わってます。
その時何をしながら。
フリーランスフォトグラファーという名刺を、
いろんな人に配って歩く人です。
で、それでもう大会にかけたんですね。
それで、キャノンの写真親戚っていうのに優秀賞を受賞することができたので、
今があります。
その時はどっちで受かったんですか。
スクールバーコンペティションです。
当時はまだそのタイトルじゃなくて、
アンダーカバーというタイトルだったんですけど、
ソラリーマンは東京ワンダーワールっていう東京都が主催してたやつとかで、
入選したりはしてたんですけど、
なんかそうですね、スクールバーコンペティションの方で。
これだから今M-1の例えだったんですけど、
M-1出たら優勝したらその後番組出れるじゃないですか。
この場合その写真展で賞を取ったら、
次何かオファー来るんですか。
2007年当時は、
僕はその優秀賞っていうのはM-1でいうとファイナリストなんですね。
そこで最終戦こうやってグランプリ決める。
6人選ばれてプレゼンして、
その審査員は荒垣、森山大都。
大御所が並ぶ中でプレゼンをしてやって。
だけど優秀賞まで残ると、
仕事が降ってくることはないけど、
やっぱ写真協会に名はそこそこ知られるので、
それとさっきの雑誌で紹介されたりとか、
展示のオファーっていうかな、そういうのもあったりして。
で、私はその南城不明さんという、当時森美術館のところで。
今前橋のほうでやってる。
選んでいただいたのが僕は今でも誇りなんですよ。
その後南城さんから声かかったりは?
声もしてます。
スペインで展示させてもらったりとか。
なので僕は南城不明さん選んでいただいたことが、
その辺りはもう現代アート全部にバリバリ興味があったので、
もう美術手帳、アート意図とかをあんなに開くほど読み解ける。
今でも事務所にアート意図が全部揃ってます。
そこから写真家としてやっていけるなっていう感じですか。
もうその頃はゴリゴリの写真、俺は写真家でやっていく。
しかも2005年に独立したときは、スクールワールドコンプレックスソラリマー以前なので、
俺は人を飛ばせてやっていくと。
でもそれはずっと未だに続いてるわけですよね。
一応そうですね。それだけではあれですけど、今も飛ばせてはいるんですけど。
さっさにちょっと今、当時の自分、今の自分、当時の自分に言うとしたら、
それは無謀かもねっていう。もうちょっと考えよかった。
まあ結果良かった。
結果オーライでございます。
でもそういう感じなんだから、本当でもM-1近いですね。
ファイナリー優勝した人よりも、ファイナリスト、オードリーさんとかそうですよね。
出方としては。
ほぼ同期なんで、オードリー2008なんですけど。
同期の気持ち。
ほぼ同期。年も同じなんで。
ほぼ同じ戦線を戦ってきたと思ってます。
今そういうのもないんで。
だから今の方がしんどい。
やっぱり情報も少なくて分かりやすかったってことだと思うんですよね。
今だからそういう候補点も一つもないですもんね。
そうですね。
だからでも要するにやっぱ写真というものが、当時の方がまだなんだろう、日本の中で現代アートの一ジャンルとしてまだ存在感があったっていうかな。
今やっぱり写真新世紀も途中から動画ありにして、今グラフゲートって名前変えたんですけど、動画もコミって感じになったし、
一粒もまあいろいろ買ってバブアウトアワード。
あれもほぼリクルートさんがね、主催するやつですね。
だからまあやっぱりアートの中のフォトグラフィーもあってもいいよねぐらいの感じですよね。
だから純粋写真のコンペはちょっと出てきてるんですよね。
夜明け前ってやつとか、少し出てきてるんですけど。
またもう揺り戻しになるかな。
そうですね。でも当時のとこまでは戻らないと思いますけど。
なるほど。その写真のっていうことなんですけども、これをちょっと聞きたいなってことなんですけど。
写真の出方として、写真として売るもあるんですけど、写真集とかもあるんですけど。
青山さんはその写真集を100冊以上出版されてる。
そうですね。
これやっぱ写真集にこだわる理由とかってあるんですか。
ありますね。前半に、私ギャラリーをやるのが夢だったって言ってました。
もう一つの夢が写真集を作ることだったんですよね。
やっぱ写真家になろうって決めたときに、写真展をやるというか、自分でギャラリーを持つ。
好きなときに好きな写真を好きなだけ展示できる。
写真集も好きなときに好きなテーマで好きなだけ本を作れるみたいな。
でもね、最初の頃はそこはなくて、まず一冊出したい。
もちろんだったんですけど、写真集を書店に、自分の写真集っていうのがありました。
その一冊目はどうなったんですか。
それはオファーが。
これはですね、明確に今日の話もありました。
2007年に写真新籍優秀賞10賞の流れがあって、2008年にソラリーマンとスクールヴァールのそれぞれの個展をやったんです。
結構計画的に。
ソラリーマンの方は東京ワンダーサイトって当時の、あそこで賞をいただいたきっかけでそこで個展をやったんです。
で、スクールヴァールはそれに合わせて同時にやるようにやったんです。
で、いろんな出版社とかにDMを送って、それを見てか見てないかわかんないですけど、それぞれオファーが来たんですね。
ソラリーマン出しませんかと、スクールヴァール出しませんかと、ありがたいことに。
それが2008、で2009にソラリーマン、2010にスクールヴァールを出すということになります。
そこからのペースで言って100冊でどんなペースになるんですか。
これは、もちろん途中で自分の出版社を立ち上げるので、その方も込みではあるんですけど、
簡単に言えば、1冊目ソラリーマン、実質2冊目のスクールヴァールコンペックスが売れたからですね。
ほぼそれがなかったらこんなに出せない。
逆に言えば、そこの売れたという実績でここまで何とか出し続けられるぐらい、
これって多分ビジネスショーズだとありえないですよね。
例えば2010年にビジネスショーを書いて、ちょっとスマッシュヒットを出しました作家、もう埋もれてると思うんですよね。
でも写真ってやっぱないんですよね。そんなに売れる本が。
だから未だにまだ記憶には残っていただけるので、その余韻で出せてるところがあります。ぶっちゃけ。
これ未だに、デジタル写真集とかもあるじゃないですか。やっぱ本という印刷物へのこだわりみたいなものは。
めちゃくちゃありますね。デジタル写真集も同時に出たりとか、いろいろありますけど、
デジタル写真集は写真集じゃないと思ったんですけど。
やっぱいい印刷物。
やっぱね。
僕が写真にまだ疎いから、せっかくなのにちょっと教えていただきたいんですけど、写真にハマってたかんな時期にいろんな写真集を読んだ。
その時にこれはって思った、ベスト写真集、他の人が作った写真集の中で憧れたものとかはあるんですか。
なんか、もちろん今回の野口梨花さんの写真集とか、当時のさなやまさふみさんのたくさん買いましたし、ありますけど、
本当の序盤、まだそこまでどっぷり写真及び現代的に浸かる前に、ビリーマンとかで最中に本当に写真に興味を持ち始めた写真集とか見てみようの時に、
一発に衝撃を受けたのが、津月京一さんの写真、東京スタイルと、あとチン・イホンキコっていう、宮崎の三名線にちなんていう施設にあるモア・イーゾーが表紙の本と、東京スタイルっていう、その当時の東京に一人暮らししてる雑誌として。
その2冊が超大盤で、分厚くてハードカバーで、もう当時の貧乏学生かしら、1万5円みたいな。どっちも買ったんその場で。
もう、ジャケ買い的なことですよね。
もう金ないけど買って。
はぁー。
もうそれ、それですね。でもそれも凶器ですよね。
まあ撮ってるものが、そこにやっぱ引かれた。
津月さんの、津月さん元の編集者で、だからまあ写真家でもありながら、いろんな写真家を発掘したりもしますけど、その衝撃、今思い出しました。
俺とは初めて話す話ですけど、最初の写真集の衝撃はそこかも。こんな分厚くて、こんな重くて、こんな高いものが売れるんかというか、でもすごいし、こんな金のない俺が買ってたみたいな。
そりゃ、ちょうど来たら1300ページになるわって。
ようやく肩は並べてるかはともかく、そういうことなんです。頭がそういうことなんです。
で、1300の出したんですけど、ちょっと近くに1800を出したいので。
これは少女雷さん。
はい、少女雷さんですね。
で、次1800ページ。
1800。そこまでいける印刷機とか、印刷所とかにちゃんと詰めて、一応作れることは。
それが1300ページにプラス500なんですけど。
もう1から1からです。編集し直します。
はあ。
いや、凶器ですね。
凶器ですね。
未だに。
これはやっぱ青山さんから凶器がなくなったら、もう青山さんじゃなくなる感じですか。
まあ、もう悪いですよ。別に一人。
でも、これって青山さんだけで一人でやってるわけじゃなくて、他の方も当然印刷に関わるじゃないですか。
あ、もちろん。
いや、さすがに1800はやりすぎですよって、潔める人はいないんですか。
いないんですよね。なんかその印刷所の人もノリノリで、できますよみたいな。
このご時世。
なんか前までは、2年前までは1600って言われてたんですけど、なんか最近話したらその方と、1800までいけますよみたいな。
技術革新みたいな。
はあ。
もちろん紙とのね、その紙やっぱ薄くなるんで、薄くなるとやっぱちょっとね、うまく製本できないとか、いろいろ。
でもその辺がうまく、ちゃんとしたクオリティでいけるように、やっぱ年々進化していくんで。
はあ。
結果的に2000とかなってるかもしれないですね。
この1800ページに関してはちょっとあれかもしれないですけど、その写真集を作るときに、当然考えるのは1ページ目2ページ目これにしていこうって選ばないですか。
あれってどうやって選んでるものなんですか。
難しいですよね。めっちゃくちゃ難しくて、たぶんこれは絶対的なルールはないんですけど。
はあいまさんはどうしてますか、それ。
でも最初の頃は、やっぱ撮った写真を全部ではなくて、写真集に入れてもいいかなと思うのを、
例えば100ページの写真集を作るとしたら、2、300枚ぐらいをその写真集のサイズ、ないしはそれ以上のサイズにプリントした、全部プリントをして、
それを床とかに並べて入れ替えたりして、なんか作っていくっていうのを最初の頃は愚直にやってました。
もう今は、今もやったほうがいいのかもしれないですけど。
でも1800ページはもう無理ですよね。
さすがにちょっともう、脳内ではすごいやってるんですけど、1800ページでもう頭から組めます、今なら。
できるもんなんですか。
僕は、はい。1ページ目から組めます、全部。
それはどうやっていくんですかね、例えば、序盤にインパクトあるものをやって、だから要するに、
何か希少献血みたいな話で言うとどういうことになるんですか。お笑いで言ったら尻上がりで多分面白くしていけばいいなってあるけど。
たぶん小説とかでも、全然並べて話す話じゃないんですけど、村上春樹さんとかも、書いてたら自動なんかどんどん話が進んでいくみたいな。
気持ちはちょっとあって、並べていくとどんどん並んでいくみたいな。
でもそれも別にどんな小説かもそうですけど、何度も書き直すわけですよね。
だから並べてって、最初の頃、100ページぐらい並べた時に、最初のちょっと文字を弱めばいいのかなとか、
こことここなんか同じことが2回繰り返されてるなみたいな感じで変わっていくんですよね。
っていう意味での1からで、でもこうやって多分ね、1回じゃなくていいんだけど、とっかかりがないとさすがにむずすぎるんですよ。
1800ページを、例えばじゃあ500から900ページ分やろう、その合間の400ページやろうというのは無理なんで。
もうやっぱり続きでやらないと。
1800ページはちょっと言い過ぎですけど、例えば100ページの写真集作るとした時に、自分のベスト、
言うでつけづらいかもしれないけど、これがベストだった写真は何ページ目に持ってくるのが青山さん的な、
お笑いで言ったらお家だから100ページ目に持ってきたい。もしくは1ページ目でドンとかましたりとかあると思うんですけど、写真集だと理想はどう?
写真集の講座で今講師もしてるので、生徒に言うのはもう一発目というか序盤というか表紙っていうのは絶対見ないんで、
いいものを出しとかないと、表紙ですねとは言うんですけど、これでもまさに私が商業二冊のスクールガルコンプレックスで、
私はこれを表紙にしたいっていう案がありまして、編集者がこれ絶対表紙にした方がいいですよって案がありまして、
この2案どっちに表紙にするかで大揉めに揉めたんです。その揉め方は非常にシンプルで、私だけが、私はこの写真が絶対スクールガル、
私がずっと手性に欠けて育ってきたスクールガルコンプレックスという作品の一冊目の表紙はこれである。
もう十分作者として。
でも編集者の方は、いやこれがいいです。
別にこっちは売れそう、商業的な理由。
で、他の出版社内のいろんな編集者とかいろんな人が聞いても、私以外全員その表紙がいい。
本を売るプロが言うにはそっち。
でも私だけ5年って言って、やるんです。
編集者の方が選んだ表紙になり、そっちじゃなかったらこんなに絶対売れてなかった。
もうその経験があるので、さっき言ってたのは、アドバイスは、やっぱりまず開いても、手に取ってもらわないと始まらない。
開いてもらわないと始まらないので、なんですけど、それでも自分で作ってる本なの、話なので。
本当のアドバイスは、今自分で組んでるって言いましたけど、やっぱり外部の編集者を入れた方がいいですね。
なるほど、本当のことを言うと。
そういう人に決めてもらうのが。
でもそれが売れるとか関係なくて、自分の作品ですってなったら、あなたからもう序盤に持ってきた。
序盤だと思いますね。映画ではないんですよ。
小説でもなくて、オチとか、気象転結みたいなストーリー性のある本であればあれですけど、ではなくて、やっぱり最初の方に見せたいもの、
伝えたいこととかを、まず基本を持っていかないと、本当に届かないんですよ。本当に読まれないんですよ、写真集を。
私は最初から写真どっぷりハマって、写真集を買い漁って読みふけてましたけど、そんな人は滅多にいない。
それは未だにってことですか。
最後にちょっと質問になってしまったんですけど、これもいろんな人に聞いてる質問で、美術以外で好きなものはありますか。
美術と写真以外で。
あります。
でも、ありますって今即答できたのにはちょっとだけわけがあって、もともとないんですよ。
写真だけ。
もう全身写真人間みたいな。
だから朝早起きして、朝の光を浴びながら、いい光だなって。
朝モーニングでね、コーヒーを飲みながら窓の外の光を見て、あそこの影とか、あそこに人立たせたらとか思っちゃってるぐらいなんですよね。
で、趣味がなかったです。無趣味人間が写真を趣味にして、それを仕事にもしてしまって、その延長線上で作品も作っている人間なんですよ。
ただ、今もともと美術以外に好きだったのがクイズなんですけど、アメリカ踊るトリッククイズが復活したんですよ、今年。
復活するらしいんですよね。
これがですね、私もともと超クイズ大好き人間で、これはもう小学校低学年の頃から、毎年アメリカ踊るトリッククイズを見憧れ、18になったら出るぞ、18になる前に終わったんですよ。
じゃあ、あれってなんか1ヶ月だか2ヶ月ぐらい、空けれる方みたいな。
空けれる仕事に就いてます。
え、じゃあ出るかもしれない。
出ます。ちょうどこの配信の頃に予選があります。
え、もう応募してるんですか。
じゃあしてるんですか、エントリー。
しております。
出るかもしれない。
その時は、もし出るとしたら、当然持って行くんですか、カメラは。
行きますが。
クイズをメインにした。
はい、もちろん。ただクイズオタクは、そういう場では流行らないので、写真家が泥臭くいくという感じで。
ただ本当に小学生の頃から、学校断ウルトラクイズみたいなのを企画し、教室の後ろの掲示板に第1問張り紙を敷き、公園でばらまきクイズをしていた少年だったので、
っていうのを思い出して、ちょうど今クイズですね。
でもクイズって今も流行ってるじゃないですか、クイズノックしか入る。
クイズってのはそうして流行り続けてるんですよね。
いや、大谷さんこれね、笑ってましたけど、実は僕もなんですよ。
ウルトラクイズはさすがに出ないですけど、僕高校生クイズもちゃんと3年間全部セーブキュージョン行きましたし。
ガチじゃない。
この番組でも言いましたけど、僕アタック25出てますから。
本当ですか。ガチ勢じゃないですか。
なんで出ないですか、ウルトラクイズ。
1ヶ月開けれないですよ。
それは通ってから考えましょう。
出ましょうよ、じゃあ。
シュウレンさんと一緒に行きます?
行きましょうよ。
いいっすよ。
だって今回アフリカ行くんすよ。
そうそう。
アメリカ横断なのにヨーロッパ、アフリカ、ニューヨーク、アメリカ絶対横断してないんですよ。
今までに過去ないスケール。
行くしかないじゃないですか。
確かにXで書いてるなと思ったら、ここまでのノリと思ってなかった。
ここのガチなんです。
本当はすごいガチなんですけど。
僕は知ってるんですよ。ウルトラクイズってそういうクイズマニアは嫌いなんですよ。
はいはいはいはい。
クイズオタクは、要はクイケンとか大っ嫌いだから、クイズ研究とか。
僕はそういうふうに、ただの写真好きなんですよ。
でも当時もクイズも、僕もだから見てましたから。
永戸さんとか。
永戸永戸のね、ウルトラマンの決戦ね。
こんなのわかる人。
これだけでポッドキャストできますよ。
そうそうそうそう。
懐かしいなと思って見てましたけど。
本当に好きなんですね。
じゃあ早押しの練習とかしてるんですか。
早押し機も持ってました。
これからもしてくるんですか。
ちょっと練習しなきゃと思ってますけど。
そうそう、だって〇×とかも。
そうですね。
ただ難しいところは、もともとウルトラクイズは知力・体力と機能なんですけど、今回推理力が足されてるので。
あ、そうなんですか。
もうこれは裏返せば、もう頭賢いんですよ。ノリでいけばいいです。
ノリでいって。
だからそうなんですね、高校生クイズもそうだったのに、途中からなんか、もう快晴高校と長高校とかが、頭がいい人しか出れないクイズ番組になって。
でもそういうクイズもね、その歴史、もうクイズの足場となっちゃったけど。
そのガチ東大男もそうでしたけど、やっぱ超頭いい奴も、貴族の戯れを見るのがいい時代もあったんですよね。
カルト級とかみたいな。
でも多分高校生クイズとか昔はもう少し本当に運だけでも上がれてましたもんね。
そういう人が残っちゃってるのかな。なんか主婦が最後の6人までいるみたいな。
そうそうそうそう。
主婦がなんかバハマまで来たみたいなのがいいわけですよ。
あ、じゃあもしかしたら青山さんが出てるかもしれないし。
俺はもう通る気でいるんで、もうあのスケジュール空けてあるんで。
ちょっと今もうアシスタントが今、ちょっと呆れてる感じの小息みたいなものが今漏れて聞こえて。
手帳にもう書いてあるんで。
あ、そうかそうか。
UQって全部売る時のスケジュールが全部空けてあるんで。
せっかく新しいギャラリーをされるとか、UVだとか言ったのに1ヶ月開くかもしれないですよ。
そうです。
写真よりもかつてのものがあった。
かつてでも、なんとか。
でも長生きしているもんだなと思いますので。
そうですね。
まさか復活すると思ってない。
まあでもそれぐらい狂気で写真もやってるっていうことでどうでしょうか。
どうでしょう。上手くまとまったのかわからないですけど、まあまとまったということにしまして、
あっという間のお時間でございます。改めまして新しくできるギャラリーも含めて告知よろしくお願い致します。
9月19日にワセダにハローアゲンギャラリーというギャラリーがオープンしますので、
そちらで小キャラアトシも私の個展をやりますんでね。
ちょうどね、放送配信予定日あたりだと思いますんで。
よかったら来ていただければと思います。
そういうちょっと狂気を感じさせる展示にしたいなと思っているので。
別にクイズが出てくるわけではないですけども。
でもわかんないですね。そのうちそのウルトラクイズで撮った写真展みたいなものもやるかもしれないですね。
そうですね。ウルトラクイズみたいな写真展とかもやりたいですよね。
どういうことかわかんないけど。
まあ横断の。
でもね、美術全般でも今回やっぱりこのお話いただいたときにすっごい嬉しくて、
やっぱその写真の世界ってさっきも話しましたけど美術の中に写真があるんです。
そういう感覚で見る写真の人もあんまり多くないんですよ。
僕やっぱり現代アートにどっぷりハマってる時期があって、今もハマってますけど、その中の写真として生きてきたので、
やっぱこのそれより広い美術というジャンルの中で話せるってこんな光栄なことはないです。
しかもこの散々飛んでいただいたトニーさんとコラボレーションできるのでね。
本当に今日は楽しく話せました。
まさかこのレトロ美術館から始まって、最終的にウルトラクイズの予選一緒に行こうねって話になるかもわからなかったですね。
また今後ともぜひよろしくお願いいたします。
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